地平線伝説の終焉

二幕・二話 眠れる天女

 すがすがしい朝が来た。が、那智と颯太はまだ眠そうだ。朝食の後、そろってうとうとし始め、程なく熟睡する。邪魔なので二人まとめて隅っこに座らせた。寄り添うように眠る二人。目を覚ましたときにまた一騒動ありそうだ。
「『ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』、発進!」
 圭麻の号令と共に進み始める『ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』。
 風も穏やかで順調に進んでいる。今日中には目的地につけるだろう。
 一度マトーヤの町で昼食をとる。この町は錬金術にも使える薬品を多く扱う町。真苗は物欲しそうな顔で薬剤商店を覗き込むが帰りにしろと言われ、それでもまだ名残惜しそうに陳列棚を眺めている。
 出発し進むに連れ、辺りの景色はどんどんのどかなものになってくる。人の領域でも辺境のこの地は平野部も一面の畑だ。穀物が金色の穂を風に靡かせている。まるで金色の海原を進んでいるようだ。試作機の姿はここではあたかも水面を漂う魚のように見える。
 彼方に美しい山々が見えてきた。西北スプラノフィンだ。あの山々の向こうにノガーナがある。もちろん、越えることは到底できない。大きく回り込むことになる。西北スプラノフィンの裏側に入るとそこは岩だらけの険しい地形だった。近道だとしてもひどい道だ。道とすら言えそうもない。しかし、宙に浮いていれば足場の悪さもあまり気にはならない。山脈に沿いノガーナを目指す。
 日が暮れかかる頃、ようやくノガーナが西北スプラノフィンの裾野に広がる地平線の彼方に見えてきた。ノガーナの煙突は未だ煙を吐き続けていた。空遊機の製造は休み無く続けられていると言うことだ。
「それだけ多くの空遊機が必要とされているのか……。この試作機がもし形になったとしても生産のためにこんなことをしていたのではなんの意味もない……。これは、生産方法から見直さなければ……」
 圭麻は考え込んでしまった。

 今日はどうにか宿を取ることができた。が、泰造や圭麻は経費削減のために、宿代さえケチって今日も試作機の中に泊まるそうだ。ただ、風呂だけはしっかりと借りに来た。
 翌日。山村に向かうことになった一行だが、いかにせん山道だ。『ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』はとても登れそうもない。ここからは徒歩で行かざるを得ない。
 泰造と颯太、ハイキング気分でついてきた那智と伽耶、藍の五人は山道を登っていく。圭麻と真苗はノガーナに残るという。
 木漏れ日にきらめく小川に沿って道が続いている。その絶え間ないせせらぎと森のどこからか聞こえてくる野鳥のさえずり。吹き抜けてゆく柔らかいそよ風。
 伽耶はこれほど自然に満ちた所を見るのは初めてだ。自然の美しさに感動している。
 颯太がばててきた所で休憩を兼ねて弁当を広げる一行。ノガーナの弁当屋で買った出来合いだ。
「調理器具があればたまにゃオレが腕によりをかけて作りたかったんだけどな」
 那智の言葉にそんなことにならなかったことに心から感謝する颯太と泰造。
「そうね、今度ハイキングに行くときはあたしもお弁当作ってみようかしら」
「えっ。伽耶さんって料理もできるんですか」
 初耳だ、と言いたげな颯太。
「いいえ」
 きっぱりと言い放つ伽耶。那智と伽耶の合作弁当は想像するも恐ろしい。
「颯太、那智に料理教えてやれよ」
 泰造がこそこそと颯太に言う。
「なんで俺なんだよ。俺だって料理教えるほど上手くはないぞ。お前はどうなんだよ」
「卵焼きとゆで卵くらいならできるけど」
 食料を買うときは常にそのまま食べられるものを選んできたので料理などと言うまだるっこしい概念は泰造にはなかった。
「一番ましなのは圭麻か」
「一度圭麻に料理教室開いてもらった方がいいな、俺ら」
「俺もかよ」
 颯太は巻き込まれつつある予感を感じ取った。
「これから藍の面倒も見るなら外食ばかりってわけにもいかねーだろ」
「……それもそうか」
 颯太はこれからのことを考えてため息をついた。

 弁当を食べ終わり、再び山を登り出す一行。
 藍ははしゃぎ疲れたのとおなか一杯になったのとで眠くなった。颯太も那智も当然拒否したので泰造が藍をおんぶして山道を登る。
 程なく、開けた山里が姿を現した。
 果樹の並ぶ畑でせっせと働いている里人に声をかける。
「なーおばちゃん、天女が降りて来たってのはここか?」
「まーた余所者が来たかい、見世物じゃないんだ、帰りな」
 里人はまったく取り合ってくれない。颯太が泰造に下がってろと合図する。
「私は都の方から来た透視人です。天女が降りてきて、眠ったまま目を覚まさないと聞きました。なぜ目を覚まさないのか、目を覚まさせる方法があるのかを突き止めることができればと思い参ったのですが」
 里人は一転して一行を歓迎した。
「やるじゃん」
 泰造の言葉に誇らしげな顔をする颯太。
「何事もやり方ってものがあるんだよ」
 一行が案内されたのは里のはずれにある池の近くの祠だった。
 祠の前には話を聞いて待っていた神官が一行に恭しく一礼した。
 神官の話によると天女はこの池の上にゆっくりと降りてきたらしい。その時にはすでに眠っていてその時から一度も目を覚まさないという。
「その、降りてきたのはいつのことですか」
「太陽が隠れ空が暗くなったときのことです」
 あの時か。颯太は目を細めた。
 地平線の少女結姫との旅の終わり。日蝕の時。
「あの時は空が暗くなり、太陽が隠れていきました。誰もが空を見上げておりました。やがて空が明るくなり……その時です。この里に住む誰もがその姿を見ていました。皆、この池の周りに集まり、天女の降りてくる様を間近で見ていたのです」
「……となると、そろそろひと月ほどになりますか」
「ええ。私も日々祈り続けていますが目を覚ます気配もありません。日に日に痩せていくのが分かるのです」
「……いけませんね、そのままでは。早速見てみることにしましょう」
 祠の中に入っていく颯太。
「……!!泰造!」
 振り返り泰造を呼ぶ颯太。ただならぬ表情だ。その様子に泰造も慌てて祠の中を覗き込む。
 祠の中は開かれた窓のおかげで日の光が差し込み思ったよりも明るかった。
 小さな祭壇の下に天女がその細い体を横たえていた。差し込む日差しにその白い肌が透き通りそうだ。
 そして、決して安らかとは言えぬその寝顔に見覚えがあった。
 見紛うはずがあろうか。思わず泰造はその名を呼ぶ。
「鳴女さん……!?」

 狭い祠にはもうこれ以上は入れない。泰造の声を聞きつけた那智と伽耶はその様子を入り口で見守っている。
 泰造は思わず鳴女の手を掴む。が、すぐに手を引っ込めた。
 鳴女の手はあまりにも冷たかった。その冷たさに凍りついたように泰造は動くことができなくなった。
 颯太は祭壇にあった鏡を借りて祈り始めた。
 永遠かと思うほどの時が流れた。
 颯太が一つため息をつき、祈りは途絶えた。その顔からは結果が芳しくないことがありありと窺えた。
「何か分かったか!?」
 泰造が颯太に詰め寄る。颯太は無言で首を横に振った
「役立たず」
 泰造の言葉にいつもなら即刻噛みつく颯太だが、今回はそんな気も起こらないようだ。重い沈黙があたりを包む。
 小さなため息をつき、颯太が重い口を開いた。
「見えないんだ。鳴女さんの中の生命エネルギーの流れを探って原因を突き止めようとしたが何も見えなかった。鳴女さんの記憶をたどって何が起きたのかを見ようともしたが、それもできなかった。……こんなことは初めてだ」
「なぁ、鳴女さんは生きてるよな!?」
 すがりつくように颯太に詰め寄る泰造。その言葉に颯太は力強く頷いた。
「見ろ、鳴女さんの胸が極めてゆっくりだが上下している。息をしている証拠だ」
 言われてじっと見つめてみるが泰造には分からない。何より、余りにも痛々しい姿にまともに見ていられなかった。
 もう一度見てみる颯太。しかし、結果は同じだった。見えるものは闇ばかり。
 颯太は神官に、天女は思兼神であることを告げ、天珠宮に全てを委ねることを勧めた。神官もそれを承諾した。整った環境で、もっとよく調べてみるためでもある。それに、このまま置いておいては泰造がここから離れそうもなかった。
 泰造は鳴女の体を抱き上げた。つい先刻まで背負っていた藍より少し重いくらいでしかなかった。
 浮かれた登り道とはうってかわり沈痛な面持ちで言葉少なに山を降りていく一行。
 ノガーナで待っていた圭麻は鳴女の姿を見て驚いた。
「圭麻、悪いがこのままルートを変更してコトゥフに向かってくれないか」
 コトゥフなら儀式を行うにせよ医療を施すにせよ、最高の条件が揃う。
「分かりました」
「ごめんよ、真苗ちゃん。マトーヤに寄れなくて」
「いいえ、全然構いませんよ。薬はいつでも買えますから」
 泰造の心情を察し、泰造は鳴女に付き添わせ他の面子が順にペダルを漕ぐことにした。

 試作機は街道を南にたどりイティアを目指す。
 日が暮れかかってきた。イティアはまだ遠い。とても日暮れまでには着けない。
 鳴女を沈痛な面持ちで見守っていた泰造が不意に立ち上がった。必死にペダルを漕いでいた那智の肩を叩く。
「俺が、やる」
「あ、ああ」
 那智は今まで見たことがないような泰造の表情に気遣うような目を向ける。そんな那智に泰造は精一杯の笑顔で言った。
「ちんたらやられたんじゃいつまでたっても着かねーからな。俺が見本を見せてやるよ」
 那智はふうっとため息をつき微笑む。
「それだけ生意気な口がきけるんなら大丈夫だな。よし、鳴女さんは俺に任せとけ。泰造ももっと元気出せよ」
 バン、と泰造の背中を平手で打つ那智。クリーンヒットしたらしく泰造は背中を反らし身をよじって悶える。
「圭麻。こっちも代わるぞ。これから暗くなるが俺なら多少暗くても平気だからな」
 颯太が圭麻に声をかけた。
「操作はできるんですか?」
「馬鹿にするな。圭麻のやり方を見ていればだいたいは分かる」
「じゃ、お願いします」
「みんなしっかり寝ておけ。明日、また頼む」
 颯太の言葉に皆揃って頷いた。

 くすんだ空に星が輝いている。
 そろそろ夜半近くなるだろう。前方彼方にイティアの町灯りが見えてきた。
 皆もう寝静まっている。黙々とペダルを漕ぎ続ける泰造、操縦にもようやく慣れてきた颯太、そして那智を除いて。
 那智は鳴女の様子を見守りながら泰造に励ましの言葉をかけ続けていた。
「那智、いいからさ、もう寝ろよ」
 小声で言う泰造。
「……ああ、眠くなったら寝るよ」
「いつもならお肌に悪いとか言ってとっとと寝ちまうくせに」
「バカかよ。今そんな気分になれるわけねーだろ。お前こそどうなんだよ。日の出と共に起きて日の入りと共に寝るような原始人のくせに。徹夜でこんなことしてて体もつのかよ」
「……くたばるぎりぎりまで疲れないと、眠れそうにねーんだ」
「泰造がくたばるなんて考えられねーぞ」
「安心しろ、もう結構キてるから」
「そんなこと言われて安心できるかよ。マジで体壊すぞ」
「鳴女さんに比べたら……。こんなことでへばったくらいなら一晩寝れば戻っちまうさ」
 那智はため息を漏らす。人形のように動かない鳴女の耳元にそっとささやいた。
「なぁ、鳴女さん。泰造、あんたのためにがんばってるよ。止めないと壊れちまいそうなくらいにさ……。なぁ、目を覚まして止めてやってくれよ。泰造まであんたみたいなことになっちまったらどうするんだよ……」
 目を閉じた那智の睫毛が濡れた。

 旅立って何度目だろうか。再び朝が訪れた。
 徹夜で泰造と颯太が距離を稼いでくれたおかげでコトゥフには日が高く昇る前には着けそうだ。
「二人ともお疲れ様です、コトゥフに着いたらまたばたばたするでしょう、それまで少しでも体を休めてください」
 圭麻の言葉に泰造と颯太は席を立った。しかし、泰造は三歩と歩けずその場にへたり込んだ。
「ありゃりゃ、参ったなこりゃ」
 自分の有様に苦笑する泰造。その横では那智がまだ寝息を立てている。
「那智も夜遅くまで起きてたからな、しばらく寝かせておいてやってくれ」
 起こそうとする圭麻を泰造が止めた。
「そうですか……。ま、ここからならそうコトゥフも遠くありませんし、俺と真苗と伽耶さんの三人でもどうにかなるでしょう」
「あたしは鳴女お姉さんのこと、見てるよ」
「サンキュ、藍」
 精一杯の手伝いをしようとする藍の頭をくしゃくしゃとなでてやる泰造。
 試作機が再び動き出すと、泰造も颯太も泥のように眠り始めた。
 まもなく、世界で最も高いと建造物、コトゥフの尖塔が見え始め、その町並みがだんだんはっきり見えるようになってくる。
 思った通り、昼になる前にコトゥフに到着した。
 泰造も颯太も眠り初めてそれほど時間は経っていない。本当に起こしていいのかためらう圭麻だが、徹夜までして急いだ二人のことを考えるとこんなことでためらっていてはかえって申し訳ないだろう。
「着きましたよ、颯太」
「……う」
 まだ眠そうだが目を覚ます颯太。
「泰造は……どうします?揺り起こしたくらいじゃ起きませんけど。見るだけなら颯太一人でも十分でしょうし、鳴女さんなら俺たちでも運べますし」
「でも、顔面に蹴りを入れてでも起こさないと後でごねるぞ」
「……ですね」
 とりあえず顔面に蹴りは入れず頬を叩いて泰造を起こす。
「あの……。伽耶さんをあまり長いこと留守にさせられないので先にリューシャーに戻ろうと思うんですが」
 圭麻の言葉に颯太は頷く。
「そうだな。いつまでかかるか分からないし、その方がいいだろう」
 颯太は伽耶の留守中を預かっているという社を思い出し急に不安になった。
「オレはここに残るぞ」
 那智がそういうと、藍も残ると言い出した。颯太は渋るが。
「いいだろ、少しくらい。藍もいろいろがんばったんだ、ちょっとくらいわがまま聞いてやれ」
 泰造に言われ颯太も折れた。
 リューシャーに戻る伽耶、真苗、圭麻と別れ、颯太たちはコトゥフの都市部に入っていった。

 鳴女は速やかにコトゥフの最新の医学、易学、あらゆる手段で検査された。
 明確な結果はなかなか出なかったが、一つの結論に達しようとしていた。
 鳴女の体は生きながらも生きてはいない。
 生きている人間の体を満たしているはずの生命エネルギーが微塵もない、と言うのだ。
 死ぬ間際まで、人間の体は生命エネルギーに満たされている。死と同時にそのエネルギーは失われていく。
 鳴女の肉体は、生きながらにして生命エネルギーを全て失った状態だという。肉体は生きるための条件は満たしているので死にはしない。が、エネルギーだけがないのだ。山里の祠で颯太が生命エネルギーの流れで原因を突き止めようとして何も見えなかったのもそのせいだった。
「それじゃ、鳴女さんの肉体に生命エネルギーを戻せばいいってことだな!」
 その結果を颯太から伝え聞いた泰造と那智は僅かに活気づく。
「ああ……。だが、その方法が今のところ無いらしい。普通にはあり得ない状態だからな」
「それじゃ、鳴女さんはずっとあのままなのか!?」
 落胆する泰造。
「……でもな、俺は思ったんだ」
 颯太は静かに言葉を続ける。
「自分の中のエネルギーを自在に操ることができる人間がいれば、その自分のエネルギーを与えることもできるんじゃないか、とな」
「で、いるのかそんな奴」
「お前だ、泰造」
 泰造は思わず身を乗り出した。
「お、俺!?……俺、そんなことできたっけ」
「お前が勾玉を使って岩を吹っ飛ばしたのはまさにその自分の中のエネルギーを使ってたんじゃないのか?」
「勾玉……か。勾玉のない俺に何ができるんだよ」
「何寝ぼけたこと言ってるんだ、タコが。忘れたか、勾玉の力って言うのは持っている人間の中に秘められた力を逃がさないように結び留め、解放させる力だ。だからあの勾玉の力でお前がやったことっていうのは全てお前の持っている力なんだよ」
「そういえばそんなことを言われたっけ」
「俺は勾玉を見つける前から占い師だった。泰造だって勾玉を手にする前から少しくらいは自分の力に気付いてはいなかったか?」
 言われてみれば泰造にはエネルギーを集中させて放つ必殺技がある。それはまさにあの勾玉で引き出される力と同種のものだった。
「でもよ、どうすりゃいいんだ?俺は物をぶっ壊すのにこの力を使うばかりで、エネルギーを与えるとかそんなこと、やったことねーぞ」
 泰造は下手なことをすると鳴女の肉体まで壊しそうで怖くなった。
「物を壊そうとするときはエネルギーを溜めて、集中させて放出するんだろ?多分」
 頷く泰造。
「溜めずに少しずつ出せないか?ちょっとここで軽くやってみろ、俺は水鏡で生命エネルギーの流れを見るから」
 颯太は水鏡を準備する。颯太が集中すると水鏡に揺らめく人影のような物が映し出された。泰造の中で流れる生命エネルギーが映し出されているのだ。
「やってみろ」
 泰造は目を閉じ、手を虚空にかざす。エネルギーの流れがかざした手に集まっていく。
「おい、溜めてるぞ。溜めずに出せ」
「溜めてる覚えはないんだけどなぁ」
 もう一度やってみるが結果は同じだ。
「そうか、エネルギーをどこに向けて出せばいいか分からないんだろ。だから出口で詰まって溜まってくんだ」
 那智を呼ぶ颯太。
「よし、那智に向けてエネルギーを放ってみろ」
「ちょちょちょ、ちょっと待て。オレは的かよ!」
 逃げようとする那智。
「なんでオレなんだよー!自分でやれよ、颯太ぁ」
「俺は水鏡を見てなきゃならないだろ。なんかあったら好きなだけ泰造のこと引っぱたいていいから逃げるな」
 連れ戻す颯太。泰造はそれを聞きとがめた。
「好きなだけ引っぱたいていいとはどういうつもりだよ」
「なんかあったら、だ。何もなきゃ大丈夫だろ」
「オレ、死んだらどうしよう」
 顔を引きつらせながら立つ那智。
「まぁ、俺も手加減はするから」
 泰造の言葉にまた逃げようとする那智。無言で引きずり戻す颯太。
「頼むよ、……マジで」
 諦めた那智。
 泰造は目を閉じ手をかざす。
「ちょっと待てえっ!泰造の手がオレのおっぱい掴もうとしてるみたいで嫌だあぁぁぁ!」
「……後ろ向いてりゃいいだろ」
 呆れられながら向きを変える那智。ようやく準備が整った。
 泰造は自分の中のエネルギーが眼前にいる那智に向かっていく様をイメージする。
「おお、いい感じじゃないか」
 颯太の水鏡には泰造のエネルギーが那智に向かって流れていく様がありありと映し出されている。
「ううう、なんか背中がほかほかしてきた。めっちゃくちゃ近づいてねーか、泰造」
「そんなことねーぞ」
「むしろ遠すぎると思う。空気中に無駄に流れてるエネルギーがだいぶあるな。もっと那智に寄ってみろ。……うんうん、だいぶましになってきたぞ」
「お、お、お。こ、これは……。ちょっと気持ちいい……かも。ちょっと腰やってくれねーか」
「俺は気功治療師かよ」
 思わず突っ込む泰造だが。
「いや、原理としてはまったくもってそれだと思う」
「……そうなのか?」
 颯太の言葉に拍子抜けした。
「それなら泰造、ペダルの漕ぎすぎで太ももが筋肉痛なんだよ。そのパワーでいっちょ頼む」
 裾をまくり上げて太ももを出す那智。颯太は動転した。
「なんで俺がお前の治療しなきゃなんねーんだ」
「飯おごるぞ」
「おやすいご用だぜ!」
 まだ颯太が混乱しているので誰もつっこみを入れられなかった。

 颯太が落ち着いてきた所で、鳴女を相手に試してみることになった。泰造の顔がとたんに緊張する。
 鳴女が運び込まれた診療所を訪れる泰造たち。
 この世界でも最新鋭の医療は中ツ国で行われている医療と大差ない。ただ、それだけの技術を持つ医師がそう多くないのと、こういった医療には今まで莫大な税金がかけられていたので庶民はかかれなかったということもあり普及していないだけだ。
 鳴女はベッドに横たわり点滴を受けていた。衰弱を押さえるための栄養剤だ。痛々しい姿に泰造は顔を背けた。
 しかし、現実から逃げてばかりはいられない。準備は整った。
 泰造は鳴女の体の上に手をかざす。そしてエネルギーを必死に注ぎ込もうとする。
 颯太の水鏡には泰造の手から流れ出すエネルギーが映し出されている。
「……だめだな、殆どが空気中に逃げてる。泰造、鳴女さんに直接エネルギーを送り込むには体に直接触らないと」
「そ、そんなことできるか!」
「照れてる場合か。手を握ればいい。しっかりと手を握り、そこにエネルギーを注ぎ込むんだ」
 ごくり、と生唾を飲み込み鳴女の手をそっと取る泰造。あまりに冷たく、あまりにも頼りなかった。しっかりと握れ、と言われたが握っているだけで壊れてしまいそうだ。
 泰造はそっと鳴女の手を握り、もう片方の手で包み込む。
 颯太の水鏡に映し出されている泰造の生命エネルギーの流れが手に向かって流れ始める。少なくとも空気中に逃げているエネルギーは減っているが、鳴女の体に流れている様は見えてこない。
 しかし、よく見ればかすかに鳴女の体の中に流れ込んでいた。たちまちのうちに消えてしまうように見えるのは空洞に等しい鳴女の体の中にどんどん吸い込まれていってしまってるためだろうか。
「……長期戦になりそうだな」
 颯太はふぅっとため息をつく。集中し続けていたので疲れが溜まってきていた。
「なぁ、颯太。鳴女さんはいつ目を覚ますんだ?」
 那智が颯太に聞く。
「分からない。時間はかかりそうだ」
「泰造、大丈夫かな……」
 心配そうに見守る那智。
「あのバカ、さっきオレには手加減するなんて言ってたけど、自分には手加減できねーんじゃないのか。夕べのこと考えるとそんな気がしてならねーんだよ。こんなのがずっと続いたら、泰造、体も心もぼろぼろになっちまうよ」
「だな……。一刻も早く鳴女さんが目を覚ますように祈ろう。……準備する、二人についててやってくれ」
 颯太はそう言うと立ち上がる。
「颯太も無理すんなよ!」
 那智の言葉に颯太は振り返らず軽く手だけを振った。

 室内に祭壇が作られ、颯太の祈祷が始められた。
 鳴女にエネルギーを送り続ける泰造、一心不乱に祈りを捧げ続ける颯太。
 颯太の祈りの言葉が終わった。それを待っていたらしく、藍を寝かしつけに行っていた那智が部屋に入ってくる。
「なー、どうだ?」
「ちょっとみてみるか」
 颯太は水鏡を覗き込む。
 鳴女の体の中にエネルギーが流れ込んでいくのが朧気ながら見て取れる。さっき見た時から比べればかなりましになっている。
「泰造、ほんの少しだが鳴女さんの体にエネルギーが戻ってきているみたいだ。いい兆候だぞ」
 それを聞いて泰造もほっとしたような顔をした。
「今日はこのくらいにしておいた方がいい。この様子だと相当時間がかかるのを覚悟しなけりゃならない。飛ばしすぎると後々もたないからな」
「……分かった」
 泰造は颯太の言葉に頷き立ち上がろうとするのだが。
「あれ?」
 泰造は上手く立ち上がれずよろめく。結局昨夜のようにへたり込んでしまった。
「無理すんなっていっただろー!」
 那智が思いっきり拳骨で泰造を殴った。
「何しやがる……」
 いきり立つ泰造だが、見上げた那智の目に涙が一杯溜まっているのをみて黙り込む。
「……悪ぃ」
 その一言だけを言って俯いた。那智はつかつかと部屋を出て行った。
「俺、このままここで寝るわ。悪いけど毛布と、何か食い物持ってきてくれないか」
「ああ。しっかり疲れをとっておけよ」
 颯太が部屋を出ると那智が俯いて立っていた。何か声をかけるべきか、と考える颯太だが、那智の方が先に口を開いた。
「……泰造の奴さぁ……」
 顔を上げた那智の目からは止めどなく涙が流れ落ちている。
「とんでもねー石頭だな。骨折れたかもしれねー」
「大丈夫だ、見た感じ折れてない」
 颯太は放っておくことにした。

 那智の涙の効き目か、泰造は翌日からはあまり無理をしないようになった。
 那智も泰造や祈り続ける颯太と未だ目を覚ます気配のない鳴女に元気の出る歌や踊り、エールを送り応援する。
 伽耶を送り届けた後とって返してきた圭麻も新しい祭壇を組み立ててみたり圭麻特製の得体の知れない栄養剤を差し入れたりと力になろうとしている。
 努力の甲斐もあり、鳴女の体には泰造から分け与えられた生命エネルギーが満ちてきていた。鳴女の体を拭いたりもしている那智の話ではだんだん鳴女の体にぬくもりも戻ってきているらしい。言われてみれば死んだように青ざめていた頬にほのかに赤みが差しているような気もする。
「まるで天の岩戸伝説だな。伊斯許理度売命の作った道具を使い、布刀玉命が祈りを捧げ、天宇受売命が歌い舞い……。少し違うのは天手力男命が引き出そうとしているのが天照大神ではなく、俺たちに役目を授けた思兼神だと言うことだけだ」
 颯太が誰と無く呟いた。
「ならば、鳴女さんの目を覚まさせるヒントが神話の中にあるかもしれませんね」
 圭麻の言葉に颯太が考え込む。
 鳴女の体の中のエネルギーが十分な量なのかどうかも分からないが、まったく目を覚ます気配がないとなると何か目を覚まさせるきっかけが必要なのではないか、と言う気もしてきていたところだ。
「なんだなんだ、何話してんだ?」
 那智が寄ってきた。
「鳴女さんの目を覚まさせるには何かこう、特別なきっかけが必要なんじゃないかって話をさ」
 そこまで聞いて那智はぽんと手を叩いた。そして泰造に駆け寄っていく。
「おい、聞いたか、今の話」
「聞こえてたよ。でもきっかけって言われても俺や那智の頭で考えても無駄だろ。考えるのはあの二人に任せとこうぜ」
「俺の頭が無駄だってのかー!」
 要らない波風を立てる泰造。
「ってかさ、オレもしかしたら分かっちゃったかも。ほら、こういうシチュエーションってあったじゃん」
「なんだよ、もったいぶらずに早く言えよ」
「眠っているお姫様の目を覚まさせるのはなんと言っても王子様のキスだろ!」
 瞬時にゆでだこのようになる泰造。
「お、お、お、お前俺に鳴女さんにキキキスしろってのか」
「バカの考え休むに似たりってのはこの事だな」
 額を押さえる颯太。圭麻は立ち上がった。
「でも、可能性としては大いにあり得ますよ」
「……おい圭麻。たった今ヒントは神話の中にあるかもって言ったの誰だよ」
 突っ込む颯太。
「物は試しだぞ」
「僅かでも可能性があるならそれにかけてみるべきです」
 二人がかりで説得され何となくその気になってくる泰造。
「よ、よし、やってみる。……おまえら、何見てんだ!あっち行け!」
 速やかに退散する那智と圭麻。颯太と藍も二人に押し出された。
 もちろん、部屋からは出るが那智と圭麻と藍はドアから身を乗り出して覗き込む。
「……何見てんだ」
 目の前に泰造がいたので覗くのは諦めた。
「んだよ、見なきゃ本当にキスしたかどうかわかんねーじゃん」
「鳴女さんの唇に口紅塗っておけばよかったですね」
「おまえら、こういう深刻な事態で遊ぶんじゃない」
「遊んでるわけじゃねーよ」
「そうですよ。僅かな可能性を信じて」
「どうだか」
 部屋の方からばたばたと音がする。
「目が覚めたあぁぁぁ!」
「なにいいいぃぃっ」
 信じられないという顔をしながら颯太はその様子を見に行く。
「な、うっそでええぇぇぇ」
 本音が出た那智を泰造は小突いた。
「嘘に決まってんだろ。言い出しっぺのくせにいきなりうっそでーかよ!適当なこと言いやがって!」
 那智にヘッドロックをかける泰造。
「ぎゃあああああ、あたたたた、ちょ、ちょっと待て!お前本当にキスしたんだろうな」
 那智の言葉で顔が真っ赤になる泰造。実にわかりやすい。この隙に束縛から逃げ出す那智。そして残念そうに呟く。
「み、見たかった……」
「うーん。少しは期待していたんですがだめでしたか」
 圭麻の本心は誰にも分からない。
 気を取り直して部屋の中に戻った泰造たちは真剣な顔で水鏡に見入っている颯太に気付く。
「おい、颯太。今のは泰造の冗談だぞ」
 それを真に受けているんだと思った那智はそう言ったが。
「いや、目は覚ましてないが、確かに変化はあった」
「うっそでええぇぇぇ」
 那智は大きな声を出す。その声に反応するように鳴女の体が小さく揺れた。
「おいおいおいおい。マジか!?泰造のキス効果有りか!?」
「何がきっかけかは定かじゃないけど。どちらかというと那智の大声で目を覚ました感じだけど。鳴女さんの体の中で生命エネルギーがだんだんしっかり流れるようになってきている。泰造、もう一押しだぞ」
 颯太に言われるまでもなく、泰造は鳴女の手を取りエネルギーを送り込もうとする。握った手は今までよりも温かく感じた。
「泰造、もう少し強くエネルギーを放て。エネルギーの流れを後押しするんだ」
 颯太の言葉に頷き、集中する泰造。颯太の水鏡に映し出された鳴女の中のエネルギーが体内で大きな渦を巻く。
「……う……」
 鳴女の口から声が漏れた。鳴女の手を握る泰造の手に思わず力が籠もる。僅かに顔を歪め、少しずつ目が開いた。
「鳴女さん!」
 声をそろえて名を呼ぶ。
 しばらく鳴女は放心していたが、起きあがろうとする動きをみとめ、泰造はそっと手を引き身を起こさせた。颯太はその背中を支えた。
 鳴女は何かに怯えるような表情を見せる。何に怯えているのか。泰造は自分が側にいる、と言う思いを込めてその名を呼んだ。
「鳴女さん……」
 鳴女は恐る恐る泰造の方に顔を向ける。しかし、すぐに俯き震え始めた。
「どうしたんですか、鳴女さん!」
 泰造の呼びかけにも応えない。そして、小さな声で呟いた。
「なき……め?それが……私の名前……?」
 そう、鳴女は何も思い出すことができなくなっていたのだ。泰造のことも、自分の名前さえも。

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