地平線伝説の終焉

二幕・一話 飛び立て、すばらしき新世代の奇跡

 圭麻の家を出、泊まる所を探す泰造。
 安い宿のリストはしっかりと脳みそにたたき込まれていたが、ふと思い出す。タダで泊まれるあてがあることを。
 そう言えばあいつらともだいぶ会ってないな。俺のことを忘れてたりしねーだろうな。
 そう思いながら向かった先はかつて旅路を共にした涼と恭の兄妹の住まう家だ。
 二人の家はもう真っ暗だった。もう寝たのか、と思いつつドアをノックしようとしてそのドアに掛かっている看板に気付く。
『旅行のため、数日お店を留守にします。涼&恭』
 泰造には読めなかった。
 たまたま通りがかった通行人におもむろに襲いかからんばかりの勢いで声をかけ、怯える通行人にその看板を読ませた。用はそれだけだと理解した通行人は心から安堵し、それでも逃げるようにその場を去っていった。
 泰造はタダで泊まれるあてが無くなったのでやむなく安宿リストをもう一度暗誦し始めた。

 日がだいぶ高くなった頃。
 颯太は伽耶の寝起きを避けて神王宮に出向いた。
 しかし、遅らせたのが悪かったらしく伽耶はすでに天珠宮に行ってしまったという。代わりに出てきたのは留守を預かっていた社だった。
 颯太は眉を僅かに顰める。社はそれに気付いて苦笑いを浮かべた。
「そんな顔をなさいますな、颯太殿。私は指導者の下に仕えるだけの身、指導者はすでに替わりました。過去の遺恨はお忘れください」
 颯太は軽くため息をついた。
「今日はこれを献上しに来ました」
 慇懃だが心の籠もっていない仕草で社に剣を差し出す。西の地より持ち帰った隆臣の剣、天叢雲だ。
「これは……?」
「宝物庫にでもお納めください。詳しい話は那智が知っているでしょう。那智が欲しがるでしょうが渡さないように。必ず宝物庫にお納め願います」
 事務的に颯太は言い、足早に神王宮を立ち去った。

 伽耶が天珠宮に行ってしまい、自分にできそうな仕事も粗方片づけてしまった那智は退屈そうに窓から空を見上げていた。
 そんな那智の部屋のドアをノックする者がいる。開けてみると雑用係だった。
「那智様。社様がお呼びです。社様の執務室にご足労願います」
「えーっ。なんでだよ。オヤジが乙女を部屋に呼ぶんじゃねーよ。謁見室の前で待ち合わせでいいだろ。そう伝えとけ」
「は、はぁ」
 いそいそと雑用係はそれを伝えに行く。那智が社を疎んじる理由は明快だ。オヤジだから。
 やがて謁見室の前に社が現れた。那智は社が乱心したときのために女官を同伴させて待っていた。
 社の手に剣が握られていたので女官たちは青ざめる。那智はむしろ身を乗り出した。
「あっ、その剣は隆臣の剣じゃねーか!何で社が持ってるんだよ!」
 詰め寄る那智だが、社はそれだけ聞けば十分だったらしい。
「なるほど。ご足労いただいた甲斐がありましたな」
 社は笑みを浮かべ踵を返す。那智は思わず口を押さえた。

 泰造は賞金首を探してリューシャーを駆け回っていた。
 が、今日はその甲斐もなく未だ何も得る物がなかった。しかし、まだ日は沈んでいない。まだまだこれからだ。
 何でもいいから情報を、と駆け回っていた泰造は涼と恭の店の近くを通りかかったので様子を見に行くことにした。
 今日は店の前に行列ができていた。と言うことは当然帰ってきていると言うことだ。
 今夜こそ泊めてもらえそうだ。ただ、あまり長居はできないのでここで一人捕まえたらまた旅に出るつもりだ。それまで、ちょっと厄介になろうというのだ。
 仕事の邪魔をしては悪いので顔を出すのは店じまいの後にすることにし、泰造はまた賞金首の情報を追い始めた。

 圭麻の家のドアが荒々しく開けられた。
「おい、颯太はいるか!?」
 飛び込んできたのは那智だった。
「颯太なら藍と一緒にアパート探しに行ってますけど」
「えっ。颯太が?もしかしてあいつリューシャーに落ち着くつもりなのかな」
「ええ。藍を一人にはしておけませんし、ここは空気が悪いですから。それに藍は置いてきたつもりだったみたいですけど、荷物に紛れて墨頭虫が。このままじゃオレの宝物が食べられちゃいます」
「そうかー」
 ちょっと嬉しそうな顔をする那智だが。
「ちょっと待てよ。もしかして颯太と藍は二人で暮らすつもりか!?」
「……藍の歳を忘れてません?」
「そうか。まだ子供だもんな。……何考えてんだオレ」
 頭を抱える那智。
「……じゃなくて。そんなことより颯太に話があったんだ。待ってりゃ帰ってくるよな」
 居座る那智。
 圭麻は何事もなかったように研究に戻った。真苗が手伝ってくれているようだ。
「なー。真苗は住む所探しに行かないのか?」
 ふと那智が言う。
「ええ、颯太さんが一緒に探してくれてるんで、あたしは圭麻さんのお手伝いをしているんです」
「何いいっ!?もしかして颯太と一緒に暮らすつもりじゃ」
「ちちち違いますよっ」
 大いに焦る真苗。
「那智いいぃぃ。せっかく研究がいい感じになってきたんですから邪魔しないで!」
 那智に詰め寄る圭麻。
 今までは一人で煮詰まっていた圭麻だが、真苗の錬金術の知識がかなり助けになったのだ。もう殆ど原理の方は完成してしまった。今はもう設計段階にまで入っている。
「颯太さんが自分の住む所を探すっておっしゃっていたのでそのついでに私が一人で住める所も探してもらっているわけで、あくまで住む所は別々なわけで」
 真苗は誰も聞いていないことにも気付かず一人で必死に弁明している。
 しばらくして三人はどうにか落ち着いた。また二人で研究に没頭する圭麻と真苗。その様子を見ていても面白くないので一人でだれている那智。
 設計も一段落したらしく、圭麻はもう組み立ての方に入ったようだ。真苗は何かの薬品を混ぜ合わせている。薬品は混ざり合い泡を立てている。その発生した気体を溜めているらしい。
「なぁ、それってもしかして気球みたいな乗り物になるのか?」
「ええ。最終的にはまるで違う物を目指してはいますけどね。とりあえずこれは原型です」
「へぇ。でもあんまりスピード出なくないか?」
「これはあまり出ないと思いますよ」
「そっか。だからまるで違う物を目指してるのか」
 那智の言葉に圭麻は頷く。
「いきなり完成品ができるとは思っていません。小さな一歩を積み重ねて行くことでどんなものでも進歩していくんです。月読の築き上げた文明はいきなり上を目指してしまった。技術力が追いつかず、自然を破壊し、資源を食いつぶし……。止めなければ無理に積み上げた積み木のようにあっけなく崩れてしまうでしょう」
 難しい話になったので那智は少しとまどう。
「なぁ、話は変わるけどさ。社のことどう思う?」
 那智が話を変えたのは話について行けなかったからではない。月読の遺志を継ぐ人物として社を警戒しているのだ。
「……オレはあの男の事を詳しくは知りません。那智の方がよく知っているでしょう?」
「でもさ、あいつ、なんかのらりくらりとしててさ、掴み所がねーんだよな。オレが颯太の事待ってるもあいつのことなんだよ」
 那智が黙りこくると圭麻の家はとたんに静まりかえった。

 日も暮れかかり、涼と恭の店も店仕舞いになった。
 泰造は後片づけをしている店を覗き込んだ。ちょうど戸締まりをしようとしていたらしい恭と目が合う。
「あっ。泰造さん、久しぶりじゃないの。もう来てくれないかと思った」
 恭は大喜びで泰造を店の中に招き入れる。
「泰造さんもすっかり時の人じゃん。噂は聞いてるよ」
 涼も仕事の手を止めた。
「あっ。こんなしゃべり方じゃ失礼かな」
「まさか。今まで通りでいいぜ。今日はこっちが頭下げたいくらいだ。何せ宿を借りに来たんだからな。俺は別に偉くなったつもりはねーし、やってる事は前と大してかわらねーよ」
「そう言うと思ったけどね」
 涼はそう言うとさっさと片づけを終わらせた。恭は奥からお茶を持ってきた。リラックスしていくらでもお喋りできる準備を整えたわけだ。
「なぁ、旅行ってどこ行ってたんだ?昨日も来たんだけど留守だったよな」
 先手を打って泰造が切り出す。二人もそれを話したかったと言わんばかりだった。
「ちょっと面白い噂が入ったんで見に行ってたんよ」
「そうそう。空の上から天女が降ってきたんだって!」
「ノガーナの近くにある小さな山里なんだけど。天女が降りてきたって噂があってさ。面白そうだから行ってみたんよ」
「でもね、その山里には行けたんだけど天女は見せてもらえなかったの」
「見世物じゃない、って言われてさ。まぁ、その通りなんだけどね」
「空から降ってきたときからずっと眠っていて目を覚まさないんだって」
「息はしているんだけど、死んだように冷たい手をしているって言ってたよな」
「見られなかったけどとてもきれいな顔をしているんだって」
「見たかったよなぁ」
「見たかったよねぇ」
 そろってため息をつく二人。泰造は二人が一息入れたのでほっとため息をつく。
「でも、目を覚まさないなんて気になるよね」
「だよな。里の人たちも心配してたし。何とか原因が分からないのかな」
「そうだ。俺の知り合いにそういうのを見るのが得意な奴がいるんだけど」
 再び話し出した二人に割り込む泰造。
「あっ。もしかして透視人の颯太様じゃない!?」
「そうか。泰造さん、颯太様に頼んで見てもらってよ。このままじゃ気になってしょうがないよ」
「もちろん、見たら話してくれるよねっ」
「じゃ、決まった所でこの話は置いといて。泰造さんすごいよねー。あの地平線の少女様のお供をしたんでしょ」
「お供なんて失礼よ、お兄ちゃん。泰造さんだって大切な役目を持った天神の一人だったんでしょ、ねぇ」
 どこで聞いたんだ、と言いたくなるほどいろいろな事を知っている二人。結局、泰造の旅の話にもかかわらず二人の言う事に頷くだけで泰造は殆ど喋る必要はなかったという。

 その頃、颯太と藍も物件探しを終えて帰ってきた。
「あっ。颯太!待ってたんだぞ……」
 颯太は静かにしろ、と人差し指を口に当てた。那智もそれを見て静かになる。颯太の背中では藍がすやすやと寝息を立てていた。
「おい颯太。何であの剣、社なんかに渡すんだよ!」
 ひそひそと小声で言う那智。
「献上するって言っただけだ、あいつにはあれが隆臣の剣だとは気付かれないと思う。どこかでよく見ていれば別だが、渡したときの表情から見ると何も知らないな」
「バカ、オレ、あれが隆臣のだって言っちまったぞ」
 気まずそうな顔をする那智。颯太の表情が険しくなる。
「何で言うんだよ、バカ」
「バカって言うなよぉ。何も知らない所に社があの剣持ってきたからさ、ついさ、それ隆臣のじゃんかーって言っちまったんだよぉ」
「那智だってバカって言っただろ。うーん。社に渡すとき那智の名前を出したのもまずかったかもしれないな」
「何で名前出したんだよぉ」
「那智に渡すなって言っておかないと社を丸め込んで那智が剣を持って行きそうだったからさ」
「そんなことしねーよ」
「どうだか」
「オレの事、信じられないって言うのかよ。ひでぇよ」
 半泣きになる那智。泣かれると颯太も弱い。
「那智をいじめないで、颯太」
 いつの間にか声が大きくなっていた二人の言い合いで目を覚ました藍の言葉が颯太に止めを刺した。
 とにかく、この事については様子を見る事しかできない。しかし、颯太にはいやな予感がするのだった。

「おーう、颯太、いるか」
 まだ鍵がかかっている圭麻の家のドアをノックする泰造。
 眠そうな顔の圭麻がドアを開けた。
「早いですね、泰造。颯太ならここじゃなくてどこかの宿に泊まってますよ」
「あ、そうだっけ」
「でも待ってれば来ると思いますよ。今日も藍と一緒に物件探しに行きますから」
「なんだ、まだ見つかってねーのかよ。とろくさいな、あいつは」
「誰がとろくさいって?」
 実にいいタイミングでやってくる颯太。
「いや、とろろと野菜で朝飯にしようかなと」
「お前がそんな朝飯で昼飯までもつわけ無いな」
 まったく仰るとおりである。
「細かい事は気にするな、颯太。それよりちょっと頼まれてくれないか。この間つきあってやったんだから断れないよな」
 颯太は渋い顔をする。が、これもまた仰るとおりだ。
「実はさ、俺の知り合いがノガーナの近くの山里に降ってきた天女が目を覚まさない理由を調べて欲しいって言うんだ」
「ノガーナ……か。遠いな。また空遊機のお世話にならなきゃならないか」
 断れないとは言え、気が重くなる颯太。泰造にしてみればそんなに遠くは感じない。そのくらい歩けよ、と言いたくなる。その時圭麻が割り込んできた。
「あ、それならオレが今作っている奴がもうすぐ完成するんでその試運転を兼ねて、ってのはどうです?どうせ颯太は物件探しが終わるまで動けませんよね」
「ああ」
「それまでに大急ぎで終わらせておきますんで」
 頷く颯太。圭麻は泰造にも同意を求める。
「それほど急がなきゃならない用でもないからな。じゃ、俺は朝飯食ってくらぁ」
 手を振り泰造は駆け出す。
「じゃ、那智にもそれ言っとくか。俺が留守の間、藍の面倒も見てもらわないとならないし」
 颯太は藍を連れて圭麻の家を去った。

「ちょっと待てよ!オレ一人留守番なんてあんまりじゃん」
 那智にそのことを伝えに行った颯太だが、那智は拗ねた。
「オレも行くぞ!のけ者なんてけったくそ悪いからな。絶対行く!」
 こうなると那智は手がつけられない。
「伽耶さんの手伝いはどうするんだよ」
「ちょっと待ってろ」
 那智はそういうと伽耶の執務室に入っていく。
「なー、伽耶。オレさ、明日からちょっと旅行行ってきていいか?」
「わ。いいなー。行ってらっしゃい」
 那智が部屋から出てきた。
「大丈夫みたいだ」
「みたいだな、聞こえてたよ……。でもなぁ。藍はどうするんだよ」
「連れて行けばいいじゃん。そうじゃなければ真苗に預けておくとか」
「まぁ、それもそうか。藍、お留守番できるか?」
「うん。大丈夫だよ」
 言いながら少し寂しそうな顔をする藍。
「連れてけよ」
 そんな藍の様子を察した那智が颯太に詰め寄った。颯太はその気迫に負けて承諾してしまう。
「圭麻の試作機、五人も乗れるのかな……」
 颯太はちょっと不安になった。

「五人……ですか」
 圭麻は難しい顔をする。
「やっぱり無理だよな」
 ちょっとほっとしたような顔をする颯太、不機嫌そうな顔になる那智。
「四人乗りなんですよね、この試作機は。……あ、そうだ。積み荷のスペースになら乗せられるかな」
「そうか、一人くらいはいけるか」
「オレが宝物を乗せる事を想定してますからね。試運転の段階ではそれは載せませんからそのスペースを使えば八人くらいまで乗れるかと」
「ちょっと待て。なんだその巨大な貨物スペースは」
「オレの特別仕様です」
「……特別すぎる」
 あきれる颯太。だが那智は大喜びだ。
「そんなに乗れるんじゃ伽耶も誘ってくる!仕事はあの社のクソオヤジに押しつけてさ。たまにゃぱーっと息抜きさせてやらないとな!」
 那智はあっという間に家を飛び出し神王宮に向かう。止める暇さえ与えない。

 翌日。
 泰造が圭麻の家に行くと、地下層区の底の方に見慣れない物が見えた。
「なー、圭麻。もしかして試作機ってあれか?」
 朝の挨拶もそこそこに圭麻に訊く泰造。
「ええ。いい所に来ましたね。ちょっとあれを上の広場に運んで欲しいんですが」
「って待て。あんなでかいの担いでこの階段登れってのか。いくら俺でもそりゃ無理だろ」
「そんな事ありませんよ。ちょっと来てください」
 圭麻に案内されて地下層区の底に降りていく泰造。
 底に降りるとその大きさがよく分かった。中ツ国で言えばワゴン車と言った大きさだ。
 圭麻が試作機の中に入り、始動させるとその大きな機体がぷかりと宙に浮いた。
「おおっ」
 空遊機と違い排気も風も起こらない。
「すげーじゃん!どうなってるんだ!?」
 試作機はゆっくりと地面におり、圭麻が降りてきた。
「一つは浮揚鉱(フロティウム)です。機体の一部に用いる事で機体を浮きあがるぎりぎりの状態にしてあります。そして帰天気体(リトヘリオン)を天井のドームの中に満たすことで浮かび上がるんです」
「おお!そうか!」
 泰造にはさっぱり分からなかった。
「浮かび上がった状態でならクレーンで簡単に吊り上げられるでしょう」
「おう。それじゃ上に行けばいいんだな?」
「上に行ったらクレーンからロープを下ろしてください。あとは合図したら引き上げるだけです」
 地下層区の最上層にクレーンがいつの間にか用意してあった。ロープを底に下ろす。程なく圭麻から合図が来た。
 クレーンに吊り上げられて試作機がゆっくりと持ち上がっていく。その様子を窓から身を乗り出して見守る地下層区の住人たち。
 地下層区の一番上にまで来た試作機はゆっくりと前進を始める。地下層区の穴のヘリにぶつかりそうになりながらも広場の上に出ることができた。
 程なく颯太と、那智、伽耶もやってきた。
「もしかして全員で行くのか!?」
 昨日の圭麻と颯太のやり取りを知らない泰造は驚く。
「なんだか成り行きでこうなった」
 他人事のような顔をしながら言う颯太。
「初めての試運転とはいえ、機構自体はシンプルですし動作チェックは十分やってますからね。今回は積載量ぎりぎりでの長距離運転というある意味極限に近い状態でのデータ取りです。とは言え何かトラブルが起こっても俺と真苗ちゃんでどうにかできますから何も心配ありませんよ」
 他の面子はその言葉を言葉どおりに受け止めたようだが、敢えてそういうことを言われたので颯太はちょっと不安になる。
「みんなそろったみたいですね。じゃ、出発しましょうか。みんな乗り込んでください」
 試作機の中は意外と天井が低いのを除けば広々としていた。
「座席お見合いかよ。なんか通勤電車みたいだな」
 那智が言いながらどっかりと腰を下ろす。この座席は昨日のうちに大急ぎで取り付けたもので貨物スペースまで人が座れるようになっているのだ。泰造は特に深い理由も無くその反対側に腰を下ろした。
「あ。泰造はこっちです」
 圭麻は泰造の手を引き後方に案内する。圭麻の示す席は後ろ向きで足元にペダルのようなものがある。
「……これってもしかして」
「じゃ、泰造はここでがんばってペダルを漕いでくださいね」
「人力かよ!」
 一斉に圭麻に突込みが入った。
「試作機ですからねぇ」
 けろっとした顔で圭麻が言う。
「七人も乗っているのに人力で大丈夫なのか……?」
 颯太の不安はどんどん加速していく。
「よーし、試作機『ミラクル・オブ・ワンダフル・ニュージェネレーション号』、発進!……泰造、漕いで漕いで」
「くっそー、寝ようと思ったのに!」
 きこきこきこきこ。
「真苗ちゃん、この名前でいいのか!?本当にいいのか!?」
 運転中の圭麻には詰め寄れないので真苗に詰め寄る颯太。
「あ、あたしが考えたんじゃありませんし」
「でも勝手にこんな名前付けられてどう思う」
「こんな名前とはなんですか!」
 圭麻に聞きつけられ口を噤む颯太。
「もっとスピードでねーのかよ。こんなんじゃリューシャーの町を出るだけで日が暮れちまうぞ」
 泰造は那智に頭を押さえつけられる。
「そんなことは圭麻に言え!俺はこれでフルパワーだ!」
「大したこと無いな、泰造のフルパワーも」
「んだとぉ」
「休むんじゃねー、働け働け」
「てめー、覚えてろよ」
 那智にいじめられる泰造。
「あははは。まぁ、ギアを上げればスピードももう少し出ますから」
「だったらとっととそうしろよ!」
 声を揃えて怒鳴る那智と泰造。
「町の中は飛ばすと危ないですから……。まぁ、もう少しスピード出したほうがいいですか」
「ったりめーだ、いくらなんでも遅すぎら」
 那智は泰造から離れて圭麻に絡みだす。ほっとする泰造。
 圭麻はギアレバーを操作する。カクンという衝撃が走りスピードが上昇した。
「トランスミッションをもう少しどうにかしたほうがいいかな……」
 ぼそりという圭麻。
「ちょっと待てー!今足が空回りして攣りそうになったぞ!ギアチェンジする時はなんか言えーっ」
 泰造が怒鳴る。
「ああ、そういうことかぁ。じゃ、いいや。あはははは」
「いいやじゃねー!」
 多少スピードの上がった試作機は順調にリューシャーの門に近づいていく。
「ちょっと揺れるな。大丈夫か?」
 また不安になる颯太。
「スピードが上がったからでしょう。町の外に出たら安定させます」
 やがて、試作機はリューシャーの門をくぐる。
 圭麻がボタンを操作するとバサッという音がして折りたたまれていた羽が開いた。両サイドと、上の三箇所だ。その羽が開くと今までふわふわと落ち着かない動きをしていた試作機が一気に安定した。
「なるほどな……。しかしこの大きさじゃ町の中では当分使えないな」
「小型化すれば羽も小さくてすむでしょう。……泰造、ここから飛ばしていきます。ギアチェンジしますよ」
「おう」
 ギアチェンジするたびに見る見るスピードが上がる。
「思ったよりもスピードが出ますね」
 真苗の言葉に圭麻も頷く。
「まぁ、エンジンの馬力が桁外れだからなぁ」
「誰が猿人だ!」
 泰造の勘違いは誰にも気付かれなかった。
「泰造、もうこれ以上スピードは上げなくても大丈夫です。ギアチェンジしますから漕ぐ力を緩めてください」
「オッケー、助かるぅ」
 さらにギアが上がると泰造に掛かる負担が一気に小さくなった。
「このくらいの力で済むんなら俺じゃなくてもできるよな。那智、やってみろよ」
「ふざけんな。何でオレがやらなきゃなんねーんだよ」
「シェイプアップにいいかもよ」
「よし、やる」
 泰造を押し退けて那智がペダルを漕ぎ始める。
「おお。太ももが引き締まるよな」
 那智もシェイプアップとして気に入ったようだ。今のうちに泰造は一休みする。
 海沿いに進み続ける一行。だんだん日暮れが近づいてくる。やがて港町が見えてきた。
 那智はとっくにばてて交代していた。やってみたいという人に順繰りに交代し、また泰造に戻っている。
「あの町で一泊しますか?それとも交代しながら夜通し進みます?」
「休ませろ」
 圭麻の質問にぶっきらぼうに一言返す那智。
「それは俺の台詞だ」
 もっともなことを言う泰造。
 試作機は町の入り口の近くに停まる。
「試作機の警備を自警団にでもお願いして、俺たちは宿でも探しますか」
 圭麻もほっとした様子で言う。一日中運転していたのだから疲労もかなりのもののようだ。
「なんだよ。せっかく屋根もあるんだからここで寝りゃいいだろ」
 けち臭い発言をする泰造。
「えええっ」
 素っ頓狂な声を上げたのは伽耶だ。確かに伽耶はこんなところで寝たことも無ければ、男と同じ空間で寝たこともない。戸惑って当然だ。
 そんな伽耶の心情を察し、今宵は宿をとることにした。
 のだが。
「……何だこのあばら家」
 ここ、ザナワの港町は何度か訪れたことがあるという泰造の案内で辿りついた泰造御用達の宿は、あまりにもすごい、凄すぎるボロ宿だったのだ。
「お前もうちょっとましな宿見つけられねーのか」
 那智が泰造に詰め寄る。
「でもよぉ。この町って寄港地で船しか通らねーから宿なんかねーよ」
 そうなのだ。この町に立ち寄る人たちはみな船の中で宿を済ませてしまう。旅人も船旅が殆どだ。
 陸路の栄える南岸と違い北岸は海路が栄えている。険しい地形のため歩きの旅人など殆どいないのだ。
「ここに泊まるくらいなら試作機の中でで雑魚寝のほうがましだな……」
 うんざりする颯太。
 結局、食料を買い足すだけでまた試作機に戻ってきてしまった。
「やーん、あたしどうしようっ」
 伽耶は本気で困り果てている。
「そんなことより風呂はどうするんだよ!何でブルースカイブルー号みたいにシャワー付けなかったんだ」
「そんなもの付けられるわけ無いじゃないかっ」
 言い合いを始める那智と圭麻。そこに泰造が割って入る。
「風呂なら銭湯に行きゃいいだろ」
「何だ、銭湯あるのか。早く言えよー」
 ほっとする那智。寝る場所は船で十分でも風呂の付いている船ばかりではない。
 簡素な食事を済ませると、那智は女全員で銭湯に行くという。
「銭湯ってなーに?」
 伽耶が那智に訊いた。
「しらねーのか。まぁ、関係ない世界だもんな、伽耶には。銭湯ってのは金を払って入る大衆浴場。要するにみんなではいるお風呂だよ」
「えええっ。み、みんなで!?私、男の人の前で裸になんてなりませんっ」
 青ざめる伽耶だが。
「いや、混浴じゃないから。……混浴じゃないよな」
 一応泰造に尋ねる那智。当たり前だろ、と言いたげに泰造がうなずいた。
「伽耶って世間知らずだからなー。よし、これを機会にちっとくらいは世間のことを知るべきだ!」
 那智は伽耶を引っ張って行ってしまう。
 程なくして頭から湯気を上げながら女達が帰ってきた。女湯は空いていて四人のほかには岩のような肉体を持つおばちゃんが一人いただけだという。入れ違いで男三人も銭湯に向かう。
 ここは港町、立ち寄る者の多くは船の上で一年のほとんどを過ごす海の男たちだ。旅客もいることはいるが、客船にはほとんど風呂やシャワーが装備されている。
 銭湯の男湯は泰造に引けをとらないくらいに鍛え上げられた肉体を持つ海の男たちでごった返していた。筋肉の林の狭間にちょこんと浸かる華奢な颯太と圭麻。泰造はまるっきり周りに溶け込んでいる。そのため、二人になんとなく奇異の視線が集まるのだった。
 体の疲れはいくらかましになったが精神的に大いに疲れて帰ってきた颯太と圭麻。
 いずれにせよ、一晩ゆっくり寝れば疲れは取れるだろう。
 問題はどう寝るかであった。
 泰造は早々に動力席の近く、試作機の後尾の床の上に場所をとり寝袋を広げた。こういう事態は予想済みだったらしく準備がいい。早速鼾をかき始める。
 圭麻も運転席に座り、そのまま眠ることにした。伽耶と真苗は右と左の席にそれぞれ寝ることにした。伽耶は寝心地悪い、と文句を言うが、座ったままは眠れそうに無いというしほかには床にごろ寝しかない。
 残った三人は自ずと床の上ということになる。藍が那智と颯太の間で寝る、と言ったので自ずと配置が決まった。伽耶の眠る座席の下には那智が眠る。那智は伽耶が眠れるか心配だったが、程なく今日一日の疲れが後押ししたかすやすやと寝息を立て始める伽耶の様子にほっとする。
 自分も寝よう、と思う那智はふと藍を挟んで横たわっている颯太と目が合ってしまう。
 早く寝ろよ、と言いたいが声を出して周りを起こすわけにも行かないので何も言えない。颯太は颯太で藍が服にしがみつくように眠っているので体勢も変えられず間近に横たわっている那智から目をそらすこともできない。
 那智と颯太の二人はなかなか寝付くことができなかった。

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