地平線伝説の終焉

一幕・二話 雲の中心

 どこまで行けるかは分からない。しかし、いける所までは空遊機を使って向かう。
 空を見上げると、確かに空に雲が散在している。昨日見上げた空も言われてみればこんな感じだった。リューシャーの辺りまで行くと珍しくはないのであまり気にはしなかったのだが、確かにこの辺ではこんな雲が掛かることは滅多になかったはずだ。
 代わり映えのない景色の中を延々と空遊機は走る。やがて、砂の大地は終わり黒い大地が姿を現した。
 かつてこの地は深い森だったという。かつての神々の黄昏が起こるまでは。そのときを境に、森は姿を消し、その痕跡として地面に埋まっていた根の部分だけが炭化して今も残っている。半ば風化しかけてはいるが、その大きさから相当な巨木が林立していた様が思い浮かばれる。そして、その想像通りの地がさらに進むと存在する。ただし、遠く険しい道のりを超えればの話だ。
 海沿いに進むとどこまでも砂浜が広がっていた。この辺りはすでに虫の住処だ。虫の巣に近づけばたちまちの内に食い殺されてしまう。
 颯太は空遊機の運転手に帰るように勧めた。この先は余りにも危険すぎる、と。
 しかし、運転手はそれを拒んだ。この先に進むためには風のように疾走する空遊機が必須である、と。
 まさに、その通りだった。空遊機の早さならば虫はそうそう追いつけず、縄張りから逃れることが出来た。間近まで追ってくる虫も、空遊機のはき出す煤煙に巻かれれば怯んで追うのをやめた。
 しかし、そんな快走も長くは続かない。燃料には限りがあるからだ。
 長旅に備えて、燃料の買い置きはたっぷりとある。問題は、それをタンクに補給しなければならないと言うことだ。その間は虫の来襲から逃げることは出来ない。泰造は気の抜けない防衛のひとときを過ごすことになる。力仕事になれない颯太も燃料の補給を早く終わらせるために燃料の壺を傾ける手伝いをしなければならない。
 さらに進むと、空に掛かる雲が増えてきた。やがて、雲は空を覆い尽くすほどになる。
「変な雲だな。雨を降らせるわけでもなく……。そもそもこの辺りには雨は殆ど降らないはずだな」
 颯太は不思議そうに雲を見つめる。
「なぁ、この雲が『闇』に関係してるってこともあるんじゃないのか?見ろ、この雲のせいで太陽がすっかり隠れちまってる。まるであのころの中ツ国みたいだ」
「……あり得ない話じゃない、か」
 颯太は難しい顔をしている。
「ちょっと止めてくれ」
 颯太はおもむろにそう言った。空遊機が止まる。空を見上げると雲はゆっくりと流れている。
「雲が流れてきている方向に進んでくれ。もしかしたら何かあるかもしれない」
 颯太はその方向を指さす。空遊機は再び走り出した。
「虫が来なくなったな」
 泰造がぼそっと呟いた。
「確かに、言われてみれば」
「いよいよ、って感じしてこねーか?」
「だといいんだがな」

 巨大な湖が見えてきた。それを迂回して空遊機は進路を変える。
 湖を見つめる颯太。この湖に何か映し出されないだろうか。空遊機を停めてみてみるか。そんなことを考えていると、突然泰造が大きな声を出した。
「なんだ、あれ」
 泰造は前方を指さしている。
 最初は何を指しているのか分からなかった。点在する大樹の根にばかり気をとられていたから。しかし、余りにも遠くて気付きにくいそれに気付くと、もう木の根など気にもならなくなった。
「なんだ、あれは」
 颯太もそう言うしかない。目のいい颯太にも何か分からなかった。ただ、空から何かが垂れ下がっている、と言うように見えた。
「あれだ。多分、あそこに俺たちの探している何かがある」
 空遊機を急ぎ走らせる。しかし、空遊機もすでに最大限のスピードまで出ていた。
 近づくにつれ、その目的のものの巨大さに圧倒された。
 まるで竜巻のように見えた。地上から雲にまで達する竜巻。
 だが、それが目前まで迫っているにもかかわらず風の音も何もしない。雲が地上に垂れてきている。いや、逆だ。雲が、ここからわき上がっている……?
「この中に入るのか?」
「ああ。多分この雲の中心だ。俺が水鏡で見た物の正体が少し分かってきたよ。よく見えていなかったんじゃない、とてもよく見えていたんだ。見えていたのはこの雲だ。そして、その雲の中に……何かがある」
「こんなところで何かを探すって?冗談きついぜ。迷っちまいそうだ」
「安心しろ。こいつが俺たちを導いてくれる」
 颯太は懐から水晶玉を取り出した。
 空遊機を待たせ、颯太たちは巨大な雲の塔の中に歩み入っていった。
「泰造、俺の後に付いてこい」
 そう言うと水晶玉を掲げる。雲の中では目の前に掲げた水晶玉でさえ朧にかすんでいる。まるで乳白色の闇だった。
 颯太は目を閉じた。そして集中する。水晶玉がまるで何かに引かれたような感触。それに導かれるように颯太は歩き出す。この中では何も見えそうにない。ならば、見るまでもない方法で探し出そうと言うことだ。
「なんかさ、小学校の保健室にあった加湿器の吹き出し口から出てる霧、吸い込んでるみたいだ」
 泰造がぼそっと言った。中ツ国での話だな、と颯太にはすぐに思い当たる。
「そんなことやってたのか。俺はそんなことやったこと無いぞ」
 やったら眼鏡が曇る。いや、眼鏡を外せば出来るがそこまでしてやりたいとも思わない。
「まぁ、俺の体はデリケートだからそんな馬鹿げたことをやったら変な病気に……」
「ちょっと待て。何か見えた」
 泰造に遮られたが、その言葉に颯太は瞑っていた目を開いた。
 かすかに棒のような物が見えた。近づくと、まさに颯太が占いで見たそのものだった。
「これは……?剣か?剣だな」
 颯太が顔を近づけてよく見る。剣が地面に突き刺さっていた。
「何でこんなところに剣が生えてるんだ?まぁいいか。引っこ抜くぞ」
 泰造はその柄に手をかけると地面から剣を引き抜いた。颯太はあわてて逃げる。
「危ないな!俺の顔に当たったらどうするんだ!」
「まぁ、そのときはそのときだ」
 颯太は釈然としないまま帰途についた。今度は待たせてある空遊機の方向を探る。
 雲を抜けると、その剣の姿が明らかになった。
 確かにこの雲の原因はこの剣のようだった。
 剣からはまるでゆでたての玉蜀黍(キャンドルコーン)でも持っているかのようにもうもうと湯気が、いや、雲が立ち上っている。湯気なんかより断然濃く、そして止めどなく。
「なんかドライアイスみたいだな」
 泰造はその有様をそう例えた。ドライアイスの煙は下に落ちる物なのでこの場合は逆ではあるのだが。
「そうだ。これでウェディングケーキ切るんだよ。そしたら最高だぜ」
「もう少しましなこと思いつけよ」
 そう言いながらも、自分がウェディングケーキに入刀している姿を思い浮かべてしまう颯太。しかも隣に那智が立っている。颯太はあわてて首を振ってそのイメージを吹き飛ばした。
「あっ!?」
 突然大声を出す泰造。
「な、な、なんだよ」
 なぜかうろたえる颯太に怪訝そうな顔をする。が、あまり気にはせず気がついたことを言う。
「この剣、見覚えあると思ったら隆臣のだぞ!」
「なんだって!?」
「ほら、この柄の飾り。なんか派手だったからよーく覚えてるぜ」
「言われてみれば……。似てる気がする。はっきりとは思い出せないけど」
「間違いねーって。……だとしたら、何でこんなところに落ちてるんだ?それに、隆臣が持ってたときはこんな煙吐いてなかったよな」
「……そうか」
 颯太は何かに思い当たったようだ。
「隆臣がスサノヲなら、その剣は『天叢雲』だ。雲に関わる力があっても確かに不思議じゃない」
「アメノ……ムラクモ?」
「草薙の剣、って名前は聞いたことあるだろ。中ツ国に降りた建速須佐之男命が倒した八岐大蛇から出てきたという剣だ」
「ああ。名前は聞いたことあるな」
「それの別名が天叢雲だ」
「八岐大蛇から……確かこの剣も」
「そうだ。それはあの水晶の大蛇から隆臣に渡されたものだ」
「なるほど……な。スサノヲの持っていた剣ならスサノヲの子分の『闇』のパワーの源になっててもおかしくねーってわけか」
 颯太は無言でうなずいた。
 目的は果たした。天叢雲を手に帰途につく颯太と泰造。
「でもよ、これ持って帰っていいのか?これ持って帰ったらあの雲がリューシャーの上に来ちまうぞ」
「ああ。だからこのままじゃ帰れないだろ。よらなきゃならない所がある」
「どこだ?」
「シエロブ山だ。その剣の持ち主はスサノヲ……隆臣だが、与えたのは水晶の大蛇だ。隆臣がいない以上、元の持ち主に返すべきだとは思わないか」
「でもよ、素直に受け入れてくれるか?もう結姫が間に入って話してくれるわけでもねーんだろ?」
「だから……そこは賭けだな」
「賭けか。賭けは大好きだぜ」
 単純な泰造に颯太はため息をついた。

 彼方にシエロブ山が見えてきた。
「またあの山に登るのか。結構きついんだよなぁ」
 颯太はまたため息をついた。
「自分から行くって言い出したんだから文句言うなよ」
 なだめるように泰造が言う。
 空遊機はシエロブ山麓の小さな集落に停まった。
「ここってあの温泉があった辺りじゃなかったっけ?こんなところに村なんて無かったよな」
 泰造は不思議そうに見回す。
「多分タオナの人たちじゃないか?村が無くなってここまで降りてきたんだ」
 颯太の考えは当たっていた。村を失い、鉱山を捨てたタオナの人たちは山麓におり、かつて自分たちが疲れを癒すのに使っていた温泉を目玉に観光地として再出発しようとしていたのだ。
 颯太たちのことを村人はよく覚えていた。そして、何も持て成しなどできないが、精一杯できる限りの歓迎をした。
「なー、観光地はいいけどさ、こんな辺鄙な所そうそう人なんかこねーだろ?」
 思いっきり失礼なことを容赦なく言う泰造。颯太は黙れ、とジェスチャーするが泰造は見ていない。
「ええ、だから何人かリューシャーの方で懸命に宣伝してますよ。それに今は空遊機がある。多少遠くても来ることはできます。あなた方もそうだ」
「空遊機……か。自分で乗ってきておいてなんですが、あんまり感心はしませんね」
 颯太は厳しい表情をした。
「堅ぇこと言うなよ。圭麻が新しいの作りゃ済むことだ」
 今頃リューシャーで懊悩しているだろう圭麻のことなどまるで気遣う様子もなく泰造が言う。
「温泉だけが売りじゃありません。かつての鉱山跡も見てもらいたい。身勝手な人間の行動の行く末を示すものとして。それから、水晶の森は美しい所です。あの美しさも是非見てもらいたい」
 その言葉に颯太は苦い表情をする。村人もそれに気付いたようだ。
「ええ、もちろんあの地に追いやられた水晶虫たちのこともあります。詳しい話は聞きましたとも。だからこそ、あそこへ入るには入場料代わりに水晶を持ってきてもらおうと思ってます。私たちが彼らの命ごと奪い取った水晶を、少しでも彼らに返すことができれば、と」
「なるほど」
「多少高い入場料ですがそれだけの価値は十分にあるでしょう。それだけで彼らの怒りが治まるとは思ってはいませんけどね」
 その後、颯太と泰造は温泉に浸かる。今回は大サービスでタダで入れてもらった。
「いやー、思い出すなぁ。この温泉、那智が入ってきたんだよな」
「思い出させないでくれ」
 複雑な顔をする颯太。
「ほら、これだぜ、隆臣が那智に投げつけた岩」
「拾うなよ」
「結構いいボディラインだったよな。特にウェストの辺りがさ、こうきゅっと締まってて」
 泰造の言葉につられ思い出しているうちに颯太は早々にのぼせてしまった。

 部屋の片隅に置かれた剣からは雲が立ち上っている。そして、のぼせてひっくり返っている颯太の頭からも湯気が上がっていた。その二つが混ざり合って部屋の中は霞がかったようになっていた。
「なんだかうっとうしいなぁ」
 泰造はいらだたしげに呟く。
「お前が変な話するからだろうが」
 か細い声で颯太が返す。
 そこに、ドアをノックする音がした。
「ん?なんかルームサービスでも頼んだか?」
「そんな覚えはねーけど……ちょっとでてみるか」
「ううう、頼む」
 颯太は動く気力すらない。
 泰造がドアを開けると、そこには女の子が立っていた。見覚えのある顔だ。が、今ひとつよく思い出せない。
「あれ。えーと」
 必死に記憶の糸をたどる泰造。
「あれ?君は確か錬金術師の」
 後ろで颯太が絶え絶えに言う。
「思い出した、真苗ちゃんだ」
 手をたたきながら言う泰造。が、すぐに表情が曇る。
「ここにいるってことは……錬金術師は」
「ええ、つい先日……」
「そうか……。元気出せよ」
「はい、いつまでもくよくよしてられません。で、今日来たのはお願いがあるんです」
「ん?何だ?俺たちにできることなら何でもするぞ」
 気さくに言う泰造。
「あの、リューシャーへは行きますか?」
「うん、ここでの用が済んだらまっすぐ帰るよな、颯太」
「ああ」
「あたしを……リューシャーに連れて行ってほしいんです。あたしも錬金術を学ぼうと思ったんです。だから町に行きたいんです」
「そうか。別にかまわねーよな、颯太」
「うう」
 あんまり話しかけるな、と言いたげな颯太。とりあえずOKのようではある。
「……ところで、あの剣は何ですか?」
「ああ、あれな。うっとうしいだろ。あれをどうにかしてもらうのに明日は山頂の水晶の森に行こうと思ってるんだ」
「でも、あそこは危険ですよ?恐ろしい怪物が……」
「分かってる。その恐ろしい怪物にあれを返しに行くんだ。だから、生きて帰ってこられる保証はねーんだけどさ。生きて帰ってきたら、一緒にリューシャーに行こうな」
 まるで子供の頭でもなでるように真苗の頭をくしゃくしゃとなでる泰造。真苗はちょっとあたふたしている。
「お願いします、こんな時間にすいませんでした」
 真苗はそう言うと頭を下げて帰っていった。

 翌日。颯太と泰造は早々に出発した。険しい山道を颯太のペースに合わせてゆっくりと上っていく。
「見ろ、昔のタオナがあった所だ」
 岩が崩れ、今はその跡形もないが確かにこの場所だ。
「やっとか……。まだ先は長いんだよな……。はあああぁぁぁ」
 深いため息をつく颯太。
 さらに上っていくと。
「見ろ、錬金術師の家だ」
「だな」
「鍵が掛かってる」
「だろうな」
 結局、今回はどこも休む所がないのだ。
 とうとう颯太はダウンした。
「だらしねーぞ颯太」
「うるせーよタコ」
 言いながら、自分がタコのようにぐったりとしている颯太。
 これから山頂に向けて道はさらに険しくなっていく。泰造も万全を期して休憩をとることにした。
 渓流から水を汲み、颯太に飲ませるとどうにか落ち着いてくる。
「どうだ、水を得たタコ」
 にやにやしながら泰造が言うと颯太は不機嫌そうな顔をした。
「ったく、何でこの剣のこと、気付いちまったんだろうなぁ。とんでもない面倒事に首を突っ込んじまったもんだ」
「そうぼやくなよ。まぁ、そんだけ悪態つけりゃもう大丈夫だろ。この雲で太陽も出てない、時間も分からないからな。さっさとお山の大将に会って来ようぜ」
「お山の大将って、サルみたいだな」
 今にも一人ででも歩き出しそうな泰造を見て颯太は立ち上がった。
 道無き道の果てに、水晶の地の入り口である洞窟に到着した。
「返してくれるかどうかは分からないが、とっとと用は済ませよう。空気も薄いし、またばてそうだ」
 何の躊躇いもなく水晶の地に入っていく颯太。
 水晶の地は静かだった。しかし、そこら中に水晶虫の羽音や気配を感じる。
 長の指図無しには人を襲うことはない、と彼らは言った。しかし、その長であった自然界の王スサノヲは今はいない。彼らが果たしてどのような行動に出るかは分からないのだ。
 緊張しながら、奥を目指す。
 開けた場所に出た。ここに、かの水晶の大蛇はいる。

 眼下で巨大な陰が蠢いた。
 水晶の八岐大蛇が巨大な鎌首の一つを持ち上げ客人の顔をつまらなそうに眺める。
 颯太は軽く一礼した。そして、泰造から剣を掠めるように受け取り、その鎌首の鼻先に差し出した。
「今日こうしてここを訪ねたのは他でもない、この剣のことだ。真偽はどうかは分からないがこの世界に夜毎『闇』が溢れるのはこの剣の放つ邪気のせいではないかと思っている。『闇』は元々自然界の人間への怒りの具現化だ、原因はこちらにあるのは重々承知の上で頼みたい、この『闇』をどうにかするためにもこの剣を引き取ってくれないか?あんたが隆臣に渡したものだから俺たちが隆臣に変わって返しに来た。これ以上遺恨を増やすのは得策ではないのは分かるだろう?」
 相手より下に出ない策なのか、それともただ単に機嫌がすこぶる悪いだけなのか。颯太の口調は威圧的だ。
 別な鎌首が自分の体から一枚鱗を剥ぎ取り、颯太の前に差し出した。颯太に代わり泰造がそれを受け取る。
 泰造の手の中でみるみるうちに鱗は姿を変えた。細長い棒のような物になる。
「これは鞘……か?これを納めろってことかな」
 泰造が颯太から剣を受け取り鞘に納めるとぴったりと納まった。立ち上っていた雲もぴたりと止まる。
「今更受け取る気は無し、か。これで『闇』が収まるかどうかは分からないが雲が止まっただけでもよしとするか」
 大蛇の鎌首は満足したならとっとと帰れ、とでも言いたげに鼻先で二人をあしらう。
 行きかけた二人だが颯太は立ち止まり、懐をまさぐる。
「もらいっぱなしと言うわけにはいかないからな、これを」
 颯太は懐から水晶玉を取り出し大蛇に差し出した。大蛇は目を細めた。水晶玉をくわえあげる。まもなく、羽音が近づいてきて水晶虫がその水晶玉を受け取った。水晶虫は一度颯太の前に降りて恭しく頭を下げ、無数の水晶のきらめく闇の中に飛び去っていった。

 用が済んだのでリューシャーに戻る所だが、その前に一度タオナ温泉によらなければならない。夕べ訪ねてきた真苗を迎えに行ってやらなければならないからだ。いずれにせよもう遅いのでもう一泊しなければならないだろうが。
 よく考えると、待ち合わせをしていない。真苗がどこにいるのかも分からない。真苗が訪ねてきたときに颯太が伸びてなければこのくらいの気は回せたのだが。
 もっとも小さな村だ。ちょっと探せばすぐに分かるだろう。
 宿の手配をしていると声をかけられた。
「どうでした?」
 振り返ると真苗が立っていた。
「ああ、探してたんだよ。用はばっちり済んだ。遅いから帰りは明日だ。乗ってくんだろ?」
「あの、それが……」
「なんだ、気が変わったのか」
「そうじゃなくて、ですね」
 言いかけた真苗の横を小さな人影が駆け抜けていく。
「颯太ぁっ」
 人影を目で追うとそれは藍だった。
「お知り合いだったんですか」
「ええ、まぁ」
「その子も行きたいって」
「ええっ」
 驚く颯太。
「その子も町に出て勉強したいそうなんです。あたしが持ってきていた本とか熱心に読みに通ってたんですよ。地質学者になりたいんですって」
「そうかー。偉いな藍。でも、親御さんはいいって言ってるのか?」
「ええ。何でも藍ちゃんにはいろいろと辛い思いをさせたから、夢くらいは応援してあげたいって」
「そっか。じゃあ決まりだな。明日一番に出発するから今夜のうちに荷物をまとめておいてくれ。いいよな、颯太」
 全部決めといて今さら確認をとられても頷くことしかできない。尤も断る気もないが。
 思いもかけず、乗員が一人増えることになった。

 翌朝。
 朝食を済ますと早速女の子二人を加えて出発することになった。
「みんな乗れるかな」
「定員は一人オーバーって所ですけど、女の子二人ですからどうにか。問題は荷物ですかねぇ。まぁ、動くことは動くでしょう」
 真苗は錬金術師の蔵書などをたくさん持ってきたので荷物が多い。しかも、夕べ泰造が安請け合いして山の上の錬金術師の家から持ってきた分もある。家にあった殆どの荷物を泰造一人で担いで下ろしてしまった。
「こんなに持ってくるとは思わなかったもんなぁ……」
 真苗でさえも途方に暮れている。
「それなら運びきれない分は村で預かっておいて、宣伝係が細かくわけて運ぶようにするってのはどうだ。届け先さえ教えてくれれば運んでやるよ」
 村人の提案を受け入れることにした。なので、真苗が最初に持ってきた手荷物だけを持って行く。それでも結構な量だ。これを細腕一つで山の上から降ろしたのだ。大変だったろう。
 藍も家族と別れる。やはりこの歳で家族と離れるのは辛い。泣きじゃくる藍に颯太ももらい泣きする。
 積載量ぎりぎり、いやちょっとオーバーまで積んで空遊機は走り出した。
 長旅の疲れが昨日の山登りでピークにまで達している颯太だが、さっきまで泣いていたのが嘘のようにはしゃぎだした藍の相手でちっとも休めない。泰造はそんな騒ぎなどどこ吹く風で寝こけている。
 やがてトリトの町に着いた。ここでもう一泊だ。
 翌日、一気にリューシャーを目指す。さすがに空遊機にも飽きた藍は颯太の膝の上で寝息を立てている。颯太もほっとしてうとうとしている。泰造はよくこんなに眠れるな、と言う勢いで寝っぱなしだ。することがないので本を読みふけっていた真苗は程なく酔った。
 本を読むのを諦めた真苗の酔いがどうにか覚めた頃、リューシャーにたどり着いた。

 ただでさえ手狭な所に物がぎっしりと詰め込まれた圭麻の家。
 そこに、真苗と藍、荷物まで来た。ものすごい狭さだ。
「ちょ、ちょ、ちょっと。これはどういうこと!?」
 顔を引きつらせる圭麻。
「いや、ちょっと出先で拾って来ちまってさ。まともに家持ってるの圭麻だけだしさ、ちょっと預かってくれ。な?」
 泰造は圭麻に頼み込む。
「預かれって言われても。荷物はともかく人は……」
「俺はどこか他の所行くから。藍は颯太に任せておけば大丈夫だし。俺が寝てた所に真苗ちゃんが寝れば場所の心配はないだろ」
「ま、まあ。で、でも。何もこんなところに泊めなくても」
「なぁに、真苗ちゃんが下宿先見つけるまでだから」
「いや、俺はいいんです。でもこんな男だらけの所に泊められるのはちょっと真苗ちゃんが」
「野宿よりはましだろ。あ。そうそう。真苗ちゃんの荷物が圭麻の家にいっぱい届くから」
「ええええ?」
「他にいい届け先思いつかなかったしさ。ま、そう言うわけでよろしく。俺は今日寝る所探してくるわ」
 素早くその場を立ち去る泰造。立ちつくす圭麻。
 そんな圭麻におずおずと真苗が近寄ってくる。
「あの……。これからしばらくお世話になります」
 丁寧に頭まで下げられてはもう何も言えない。
「いや、こちらこそこんなところでごめん」
 圭麻も頭を下げる。
 その時、勢いよく入り口のドアが開いた。
「颯太、いるんだろ、颯太ぁ」
 那智だ。泰造もそこで捕まったらしく襟を引っ張られて引きずり込まれてきた。
「うわ。何でこんなに人がいるんだ!?颯太ぁ、何があったんだ。詳しく聞かせてくれよ」
 とにかくすごい狭さになった。
 那智の話によると、一昨日あたりから急に『闇』がおとなしくなったという。消えてはいないのだが、町にあまり近寄らず、那智が町の外に出ても遠巻きに見るばかりで那智もいじけて帰ってきたそうだ。
 颯太も旅先で起こったことを説明した。西の彼方で見つけた天叢雲の剣、シエロブ山でその鞘をもらったこと、そして真苗と藍を連れてくることになったいきさつ。
「じゃ、これって隆臣の剣なのか?」
 那智が颯太から剣をひったくる。鞘から抜くと雲が立ち上り始めた。
「馬鹿、抜いてんじゃねーよ!」
「お、おい。オレお婆ちゃんになってないよな!?」
「玉手箱じゃあるまいしそんな訳あるか。いいから返せって」
 颯太は那智から剣を取り返そうと掴みかかる。
「ちょ、ちょっと待て」
「なんだよ」
「ケーキ入刀みたいじゃねーか、これ」
 頬を染めながら言う那智。颯太の頭からも雲が立ち上り始めた。
「いいから鞘に戻せ。炊きたてのご飯を思い出して腹が減るだろ。しかも俺と同じネタやってんじゃねーよ。俺と那智は同じレベルかよ!」
 固まった颯太の代わりに泰造が言う。同じレベルというのが多少効いたらしく、那智は慌てて剣を鞘に収めた。その時何かに気付いたようだ。
「あ。なんか鞘に書いてあるぞ」
 泰造もそれを覗き込む。
「おう、本当だ」
 そのまま、二人ともしばらく固まる。そして気付く。二人とも字を読めないことに。
「颯太。これ、なんて書いてあるんだ?おい、颯太」
 我に返る颯太。
「あ、ああ。えーっとな」
 剣の鞘にはこう記されていた。『月無き夜に闇はびこるは当然。闇を照らす月は必然。』
「なんだ、これ」
「多分、大蛇からのメッセージだ。……そうか、この闇を払うには月読の存在が必要なのか」
「えーっ。あのクソオヤジがか!?」
 声をそろえて言う那智と泰造。そして気まずそうに顔を見合わせる。やはりレベルが同じらしい。
「そうじゃない、人間の指導者としての月読という役職に就いた人間のことだ。俺たちがいろいろと手を尽くして人々をまとめ上げて、少しずつ押さえることはできる。しかしやはり指導者として誰かが立ち上がるべきだと言うことなのか」
「俺だな」
 胸を張る泰造。
「却下」
 颯太の反応は早かった。
「他に誰がいるんだよ」
 泰造の言葉にざっと考えてみる颯太。自分ではそんな大役仰せ付かるつもりはさらさら無い。圭麻も同じだろう。那智は論外。
「とりあえずこの中には適任者はいないな。まぁ、探せばいるだろ」
 気の長いことをいう颯太。しかし、確かに探すしかなさそうだ。
「そんなことよりその剣、オレにくれよ」
 颯太の手に渡った剣に再び手を伸ばす那智。
「ろくなことしないからだめだ」
「えーっ。いいじゃん。どうせ置く所無いんだろ」
「拾ってきた物は圭麻の所に置くのがセオリーだろ」
「い、いつの間にそんなセオリーが?もしかしてこの二人を預かれってのもそう言うこと?」
 泰造の言いぐさに圭麻がおずおずという。もちろん拾われた二人には聞こえないようにだ。
「まぁ待て、お前ら。一応これはゴミと一緒においておくものでもないからな。神王宮に預けておくのが道理だと思う」
「ゴミとはなんだ、これはオレの大切な宝物で……」
 圭麻の発言はどちらも無視された。
「じゃ、オレが神王宮に持って行くぞぉ〜」
 那智が剣に飛びつこうとした。颯太はさっとかわす。空振りした那智は圭麻の宝物の山に頭から突っ込み派手な音を立てた。
「危ないから俺が持ってくよ」
 颯太は何もなかったように言う。
「今日はもう遅いから、俺が明日神王宮に持っていく。じゃ、そう言うことで」
 颯太はいそいそと去っていく。
「俺も寝る所探さないと」
 泰造もそれに続いた。
「ああっ、待ってくれよぉ。せめてもうちょっと持つだけでもっ」
 那智は颯太を追って駆け出す。
 言いたいことを何も言えなかった圭麻と、にわか同居人二人が後に残された。

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