地平線伝説の終焉

一幕・一話 宵闇迫れり

 神々の黄昏は訪れなかった。
 地平線の少女が世界を救ってくれた。
 一度は闇に包まれた世界に太陽が戻ってきた。
 遙か天上において何が起こったのかを知るものはあまりにも少ない。
 すべてを目にし地上に戻ってきたただ一人の人物、高天原の新たなる若き指導者、伽耶は黙して多くを語ろうとはしなかった。
 彼女の口から語られたのは神々の黄昏は地平線の少女の手により回避されたこと。そして、そのためにいくつかの尊い犠牲があったこと。その犠牲については伽耶は何も語ろうとしない。彼女が心を許す数少ない人間である四人の若者がいくら問うても決して語ろうとはしなかったという。そして、彼らも伽耶の心中を察し、追求はするまいと誓った。何より、彼らも事実を知ることには躊躇いがあったから。
 そして、伽耶はこれから人が為すべきことについても語る。それは、過去への贖罪。

 最悪の結果は免れたものの、むしろそれで消えるはずだった自然界の怒りは治まらずに世界に留まった。
 『闇』、スサノヲの力に、あるいは呼びかけに応え集まった自然界の人間への憎悪。
 いわば、自然界に生き、人に命の火を消された生き物たちの悪霊。中には人から受け続ける苦しみから逃れるために自ら『闇』へと化した命もあった。
 目的を果たすことが出来ず怒りを抱えたままそれは地上に降り注いだ。
 天照、太陽の光が地上を照らしあげているうちはそれは力を失っているが、夜の訪れとともに目覚め、己の中にある憎悪を晴らさんとする。
 月亡き夜の時代を『闇』は深く包み込んでいた。
 人が為すべきことは、彼らへの罪を償い、憎悪を取り払うこと。さもなくば、その憎悪に食われることになる。
 月読を始めとする多くの人間の手により壊された世界を繕おうと、多くの人間が立ち上がった。
 それが果たされぬ限り夜の訪れとともに迫り来る闇の恐怖に怯える日々が続くだろう。
 指導者としての仕事ばかりか天珠宮での雑務もこなさなければならない余りにも多忙な伽耶に成り代わり、筆頭となりこの世界を変えていこうと立ち上がったのは地平線の少女結姫の旅路の同行者でもある四人だった。

 颯太は世界の各地を巡り、その視る力を使い自然界の怒りの原因を突き止める。
 深い森が目の前に広がる小さな村。自然界の怒りのざわめきを感じ取った颯太はこの村に立ち寄った。
 村全体が不穏な空気に包まれているのを感じた。一つ一つは小さな怒りがたくさんこの村を取り巻いている感じだった。
 村長は颯太のことを喜んで迎え入れた。世界を歩きながらその怒りを静める術を説いて回っている颯太のことはこの村にも伝えられていた。
 村長の家で、水を借り、水鏡を作り出す。
 水鏡をじっと覗き込む颯太はこの地に存在する怒りの源を見つけ出した。
「村長さん。この村は森を切り開いて作られたのですね」
「ええ、そうです」
「この村を取り巻く怒りのほとんどはそのために住処を追われた生き物たちです。森の生き物は森にしか住めません。彼らの怒りを静める方法は彼らの住処となる森を返すことです」
「やはり、この村は捨てなければならないのでしょうか……」
 村長の言葉に颯太は首を横に振った。
「村を捨て、新しい村を作ろうとすればまた同じようなことが起きるでしょう。それにそれは何の償いにもなりません。森を開いたことに対する償いを捨て逃げるのと同じですから。村の周りや村の中に木を植え、森を元に戻すこと。彼らの怒りを取り払うまでには時間がかかるでしょう。しかし、だからといってこのままこの村を放っておけば永遠にここは人の住めない土地になります」
 村長はため息をつく。しかし、元はと言えば全て自分たちの行いのせいだ。
「元々自然と人間は共存できます。暮らしの中から自然を排除しようとしなければ。元々自然のあったところに住もうというなら尚更です」
「心に、留めておきます」
 村長は深く頭を下げた。
「さて、と。私は次の村に行かなければなりません。今からなら日が暮れるまでには間に合うでしょう。急がないと」
 余りにも慌ただしい旅人を、村人たちは総出で見送った。

 泰造も世界各地で自然を破壊する人間たちを捕らえようと駆けめぐっていた。
 今まで通り、賞金首を追いかけるだけでよかった。月読亡き後、彼とともにやりたい放題を続けていた人間たちには軒並み賞金がかけられたからだ。
「見つけたぞ、百七十二号!」
 賞金首の番号もこの通り三桁に及ぶ。いくら賞金首の顔と名前と金額を覚えるのが得意な泰造でも元々半分筋肉の脳みそに詰め込める量には限度がある。とにかくどんどん捕まえて減らしていかないととてもじゃないが覚えきれない。
 幸い、自然破壊を繰り返してきたような人間はその土地に根付いているものが多く、情報を得ればその近くで見つかることが多かった。
 泰造に追われ、必死に逃げる百七十二号。町の門めがけ駆けだしていくが門の外に待ちかまえるように不気味な光を放ちながら百七十二号の姿を見つめている闇の中の目に気づき足を止めた。
 時は夜。町の中に『闇』が入り込まないように焚かれた松明のおかげで町の中は安全だ。しかし、光の届かないところにいけば『闇』の餌食になってしまうだろう。
「どうだ、おまえが捕まえまくった野生動物のように、追いつめられて捕らえられる気分ってのは。まして数少ない生き物だ。さぞかし高く売れただろうな」
 泰造は金砕棒を突きつけながらさらに続ける。
「今度はお前で俺が稼がせてもらうぜ。まぁ、お前みたいにがっぽりとはいかねーけどよ」
「み、見逃してくれ!」
「俺に捕まるのがいやだってんならあの化け物に食われてみるか?それだけでだいぶ治まると思うんだけどな」
「や、やめてくれ……」
「安心しろ。それは俺にも何の得にもならねーからな」
「俺は月読様に命令されてたんだ!本当だ、嘘じゃない!」
「命令されてたかもしれねーが、てめーのやったことには何にも変わりはねーんだよ!金に目が眩んで絶滅しかけてる動物を捕まえて売りさばくなんざふてぇ野郎だ!月読の命令だろうが無視してどっかに逃げることも出来るだろうが。それをしなかった時点でてめーにゃ弁明する余事はねーんだよ!
 うなだれる百七十二号
「安心しろ、てめーを役所に突き出すときにゃ売りさばいた動物を全部取り戻して森に返したら許してもらえるように取り成しといてやる。それが俺の役目だからな」
 泰造に腕を捕まれ、百七十二号は立ち上がった。

 那智はリューシャーに残った。今まで通り神王宮で伽耶の世話を焼いたり、伽耶の補佐として働く。
 そういった働きとしてはいささか力不足であることは本人も認めていた。しかし、それ以上の役割があった。
 様々な憂いを抱えながら激務に奔走する伽耶の心の支えとして、そばにいること。短い休息の間には一番のともとして伽耶と語らい、役目に押しつぶされそうになる伽耶を励まし続けた。
 そのおかげで伽耶も幾度となく挫けそうになったが、それを乗り越えてきた。
 そして、伽耶が天珠宮へと行き、下界に残されたときも那智に休む暇はない。
 那智は那智なりに、闇と戦っていた。
「な、那智様!お外は危険ですぞ!まもなく日も暮れましょう、そうすればこのあたりは『闇』に包まれてしまいます!」
 門番の制止も聞かず、那智は町の外に歩み出す。
「っせーな、だから行くんだよ。オヤジはすっこんでろ、乙女の肌に触るなよ。ただでさえ最近荒れ気味なんだから」
 呆気にとられる門番を背に、那智は夕闇迫る荒野を目指す。
 このあたりは最も自然の破壊の進んだところである。光が消えればこのあたりは闇に包まれる。そして自然界の怒りに満たされていくのだ。
 荒れ野にぽつんと存在する岩の上に腰掛け、背中に担がれた四弦琴を下ろしかき鳴らし始めた。
 やがて、深い闇に包まれた辺りが怒りに満ちたいやな気配を孕み出す。那智はいっそう強く弦をはじき、強く、それでいて穏やかに歌い始めた。
 闇の中にぽつぽつと小さな光が現れた。『闇』だ。荒れ野にただ一人佇む人間を餌食にしようと『闇』が群がり始める。
 が。闇は那智に近づくと動きを止める。その歌声に魅せられ、聞き惚れている。
 その歌声はその怒りを鎮めていく。中には怒りを忘れ、消えていく『闇』もある。
 那智は声が嗄れそうになるまで歌い続ける。やがて、空はうっすらと白み、『闇』の姿が朧になり、光の中に姿を消していく。
 観客のいなくなったステージで、那智は弦をひときわ強くかき鳴らし孤独なクライマックスを迎えた。アンコールなど、当然無い。
 那智は無言で立ち上がり、四弦琴を担ぎまだ目覚めきらぬ町へと向かい歩き出した。
「ちっ。ったくお肌に悪いったらありゃしない。あー、おれは寝るぞ。寝るっ。あーその前にスキンケアしなきゃ」
 『闇』など怖くない那智だが、鏡を見るのはとても怖かった。

 圭麻もリューシャーに留まった。為すべきことは余りにも多い。
 月読のもたらした文明社会は余りにも高度だった。しかし、それ相応にエネルギーを消費し、環境を汚した。
 今の文明の恩恵を受け続けた人たちから文明の利便さを奪うことは出来ない。自然の中で強く生きる術の殆どを捨ててしまっていたからだ。
 圭麻の為すべきことはその文明に見劣りしないだけの利便をよりクリーンに生み出す方法を見つけ出すことだった。
 特に、空遊機の改良は急務と言えた。すさまじい勢いで世界に広がり、人々を風のような早さで運び、同時に世界に煤煙をまき散らす。圭麻もその開発に携わってはいるのだ。現に、一部の人間にはこの乗り物の開発者は圭麻だと吹聴されていた。
 強ち間違いではない。しかし、あくまで実験機を作り、その原理を月読に与えたにすぎない。元は、自然界の力をうまく利用した空気も汚さない、圭麻の力無しには浮かぶことさえ出来ない小さなカプセル。
 その技術を欲し、最初は神王宮に圭麻を招き入れた月読だが、圭麻の力無くては動かぬものだと知り、期待を裏切られたと激怒して圭麻を地下層区に追放した。
 しかし、圭麻にとってその罰はまるで堪えなかった。むしろ、拾い放題のゴミに喜びまでした。
 やがて、月読は浮かび上がるという原理だけが共通の全く違う乗り物を開発した。大量に燃料を必要とし、煤煙と塵埃を巻き上げる空遊機だ。そして、この空遊機がリューシャーに多く出回り、圭麻の住まう地下層区に煤煙と粉塵が集まり始めた頃、圭麻の家に役人が訪れ、空遊機の開発に対する功績をたたえる、と言った。そして、近隣にこのことを触れ回った。
 狡猾な月読がこの状況の責任を圭麻に押しつけるためにとった行動だ。空遊機の恩恵を受けるリューシャーの殆どの地域では圭麻の名など知るものはいない。空遊機は月読が生み出したもの、と知られている。そして、地下層区の人間は月読が空遊機の開発をしたことなど全く知らされない。地下層区へ追放しても堪えない圭麻をさらに追い込もうという魂胆もそこにはあった。
 人々は気付いていた。圭麻は直接空遊機開発には関わっていないことに。それだけの功績があれば、このようなところに住まう必要など無く、神王宮に歩いてすぐに行けるような一等地に屋敷を用意してもらい、さらに研究に打ち込んでいるはずだから。
 それでも、怒りのやり場の無い地下層区の人々は圭麻を責め続けた。もっとも、それは過去の話だ。
 今は、相変わらず地下層区でゴミと膨大な資料に囲まれて研究に没頭する圭麻に、地下層区の住人たちは協力を惜しまない。
 圭麻も、その彼らに報いるためにも空遊機を全廃しそれに代わる新しい乗り物を開発しなければならないのだ。

 泰造は今日も賞金首を捕まえていた。さすがにうじゃうじゃいるだけあって、すぐに見つかる。
 今日の賞金首は結構暴れるのでむしろで簀巻きにし、動きを止めてようやく役所に担ぎ込むことが出来た。
「あ、泰造様」
 待っていたと言いたげに役人が声をかけてきた。慣れぬ様付けに泰造はまた全身がむずがゆくなった。
「様はやめてくれよ。で、何だ」
「リューシャーで颯太様がお待ちかねです。疾く、お戻りください」
「へ?颯太が?何でリューシャー?あいつも各地を回ってたはずだけど」
「詳しくは伺っておりませんが、とにかく戻られるようにとのことでした」
「そうか。んじゃ、その前にこいつよろしく」
 役人は捕まえられた男の顔を確認し、賞金を用意しながら言う。
「空遊機でリューシャーまでお送りいたしましょうか?」
「タダか?」
 空遊機は空気を汚すからあまり使わないが、タダならば話は別なのだ。
「ええ、当然」
「よっしゃ、乗る」
 泰造は賞金を受け取りながらうなずいた。
 賞金もだいぶ稼いでいるのだが、この金は殆どがボランティア活動中の颯太の資金や圭麻の研究費に使われてしまうのでまるで残らない。泰造が稼ぎ頭というわけだ。そして、気付かないうちにその稼ぎは那智の化粧品やスキンケア用品にまで化けている。
 空遊機でかっ飛ばすとリューシャーは一昼夜でついた。空遊機の快速は『闇』など容易く振り切る。圭麻はこれに代わるものを作り上げなければならないのだ。
 リューシャーに来い、と言われた場合、たいがいその集合場所は圭麻の家だ。また颯太に掃除されて圭麻がすねているだろう。
 空遊機の運転手も泰造が止めるように言った場所があまりにもへんぴな場所だったので怪訝そうな顔をしている。それを気にせず相変わらず臭い空気の漂う地下層区へと下りていく。
 圭麻の家が近づくと、にぎやかな声が聞こえた。特に甲高い那智の声。那智がいるのならにぎやかで当然だろう。
 自分の家のように泰造は圭麻の家のドアを開けた。
「おう、みんないるな」
「思ったよりも早かったな」
「ああ、空遊機でかっ飛ばしてきたからな。……そんな目で見るなよ。圭麻、とっとと次の作ってくれ」
 颯太のねちっこい視線から逃げるように圭麻に話しかける泰造。
「努力はしてますけどね。言うほど楽じゃないですよ」
「たいぞーっ!待ってたぞ、会いたかったぁ」
 那智が飛びついてきた。
「で、今日はいくら持ってきたんだ?はやく、はやくっ」
 那智が泰造に嬉々としながら訊いた。
「何でてめーにくれてやんなきゃなんねーんだ。てめーの肌なんぞきれいになっても何の得にもなりゃしねーっての」
「ううう、ひっでー!男が女を養うのは義務だろ、義務っ」
「てめーは女官で給料もらってんだろーが。宿無しの颯太や引きこもりの圭麻と違って自分で稼いでるだろ」
「引きこもりとはなんだっ!」
「そういう馬鹿な会話はあとにしろ、スカタンども」
 颯太も若干カチンとは来たようだが、努めて平静を装っている。これでも、だ。
 スカタンと言われて一同颯太を三方から取り囲むが、颯太に一睨みされてたじろいだ。
「ちぇっ。で、わざわざこんなところに呼びつけたのは何だ」
「こんなところとはどういう……」
 泰造に圭麻が掴みかからんばかりの勢いで言いかけたが、颯太の射るような視線に気付き固まった。
「ほかの二人にはもう言ってあるけど、俺は各地で『闇』の出現した理由、つまり自然界の怒りの原因を突き止めてきた。その土地その土地で原因も多種多様だ。しかし、俺はそのとき気付いたことが一つある」
「まだるっこしいな。話はまだ長いのか」
「これでも泰造に合わせてだいぶ話は端折ってあるんだ。文句を言うな。さっき言ったとおり原因は多種多様なんだが、そのとき必ず一緒に見えた物があった」
「そうか、大変だったな颯太。いったい何に取り憑かれてたんだ」
 泰造の先読みは大概ものすごく方向違いである。
「そういう話じゃないんだけどな」
「颯太は幽霊なんかみたらこんなに落ち着いてませんよ」
「うるさい、ほっとけ。話進めるぞ!で、俺も気になったもんで改めてそれについてよく見てみることにしたんだ。そうしたら、どうもその何かが『闇』の活動の源になっているエネルギーを出してるみたいなんだ」
「じゃ、それをどうにかすればこの『闇』は消えて無くなるかもしれないってことか」
「恐らくは、な。とにかく、そのエネルギーの元は遠すぎるのと、何かもやみたいな物の奥にあるらしいのとではっきりと姿が見えない。それでも見えた感じでは細長い棒のような物だった。場所は西、と言うところまでしか分からなかった。勾玉さえありゃもっと探れたんだろうが、ここからだとこれが限界だ」
「つまり、西に行こうってことだな」
「ああ。俺一人じゃ何かあったときに何も出来ないからな。悪いけど、泰造。つきあってくれないか」
「まかせとけ。じゃ、明日出発でいいんだな?」
「俺はいいけど、泰造は大丈夫か?長旅の疲れもあるだろ?」
「俺は鍛え方が違うんだ、このくらいどうってことねーさ」
 誇らしげに言う泰造。
「何だよ、もう行っちまうのか。つまんねーの」
 黙って聞いていた那智が口を挟む。
「なぁ、せっかくリューシャー来たんだからさ、伽耶にも会ってやれよ。ここんとこまた煮詰まってるみたいだから喜ぶぞ、たぶん」
 那智の言葉に一同うなずいた。
「四人そろうのも久しぶりですからね。たまには一堂に会するのもいいかもしれませんね」
 翌日、出発の前に神王宮の伽耶のところに顔を出すことに決まった。

 朝。那智の出勤に付き添う形で神王宮を訪ねる。
 荘厳な雰囲気を醸し出す神王宮の中を、まるで似合わない雰囲気の四人が歩いていく。
「伽耶ー、今日は久しぶりにみんな連れてきたぞー」
 あろう事か、那智は伽耶の寝室に三人を案内したのだった。
「ふぇ?やーん、もうこんな時間っ!わ。せっかく皆さんが来てくださったのに私ったらこんな格好。はずかしいっ」
「ほら、何ぼーっと突っ立ってんだおまえら!伽耶が着替えるんだから野郎は外で待ってろ!」
「連れてきたのはお前だろ!」
 那智の言いぐさに半ばキレかけながら今し方入ってきた部屋を追い出される野郎三人。
「ねぇ那智。今日は皆さんも来てることだしこれにしようと思うんだけど」
「えーっ。マジか。あんな連中に気を遣うこと無いぞ。寝間着でだっていいくらいだ」
「やーん、寝間着姿なんてサービスしすぎだと思うの」
「ありゃ。そうか、そう来るか。まぁ、それでいいからとっとと着とけ。いつまでも下着姿の方がよっぽどサービスしすぎだしな」
 男三人を部屋の前で待たせているのを完全に忘れていそうなやりとりである。
「なぁ、俺たちここにいていいのかな」
 颯太が硬い表情で言う。
「しかし、他にどこに行けと言うんですか」
 圭麻も居心地は悪そうだ。
「腹減った……。マジで飯食わしてくれるんかなぁ……」
 泰造はそれどころではなかった。
 どうにか着替えも終わり、伽耶も寝室から出てきた。
「お待たせしちゃいましたね。皆さん、ご朝食は?」
 上品な歩き方で伽耶が三人の方に歩み寄る。
「那智がさっき調理人に俺たちの分まで作るように言っておいてくれたからここで食うぞ」
 食べることになると泰造は反応が早い。
「じゃ、みんなでお食事しながらたっくさんお話ししましょ」
 伽耶はうれしそうだ。颯太たちが来たのは正解だったようだ。
 食堂では急な来客のためにテーブルの配置まで変えなければならなかったので大わらわだった。
 ただ、料理に関しては客人は質素な料理を好まれる、と伝達があったため使用人たちと同じ料理を出せばよかった。泰造にいたってはあまり高級な料理がでると腹を壊すらしい。
 朝食から贅の限りを尽くした月読の食卓とはまるで異なり、伽耶はなるべく庶民に近い料理を、と料理人たちに申しつけていた。そのため、料理人たちは調理に金よりも時間と腕をかけるようになり、大変ではあるが充実した仕事が出来るようになった。
 さらに伽耶は会食を好んだ。側近たちと語らいながらの食事。特に、側近でありながら伽耶の親友でもある那智は必ず伽耶の隣に座っている。そして、上品さのかけらもない那智と話す伽耶はこのときばかりはただの年頃の娘のように楽しげで、誰もが親近感を抱いた。
 誰からも愛される伽耶は、まさにこの世界を変えてくれるという期待を一身に受けていた。
 久々に会いに来てくれた親友たちと伽耶は時間の許す限り語らった。
 そして、伽耶はその分の遅れを取り戻そうと仕事に励む。那智はその手助けを。圭麻は自分の為すべきことを。そして、颯太と泰造は西の地を目指し旅立っていった。

 悔しいが、空遊機は本当に便利だ。これに匹敵する物を作らなければならない圭麻の苦労は半端ではないだろう。そうひしひしと感じながら、背後に巻きあがる煤煙と砂塵を見つめる颯太。
 リューシャーから西に向かえばそこはトリト砂漠、一面の砂の大地だ。
 泰造は歩いていける、と言っていたが颯太にはそこまで化け物じみたスタミナはない。申し訳ない気持ちいっぱいで空遊機をチャーターしたのだ。特に颯太は昨日空遊機ですっ飛ばしてきたという泰造に軽蔑の視線を送ったばかりだ。何というか、実に後ろめたい。
「き、昨日は済まなかった」
 耐えきれずに颯太が泰造に謝罪した。
「ん?なにが?」
「いや、昨日空遊機使ってきたの責めてさ」
「そんなことあったっけ?まあいいや」
 きれいさっぱり忘れていた泰造。言わなきゃよかった。
「しかし、便利だな、こりゃ」
 誤魔化すように颯太が言う。
「だよなー。まぁ、こんなのでずっと旅してたら体がなまっちまうけどな。歩くか」
「勘弁してくれ」
 見渡す限りの砂の大地。終わりなど無いようにも見える。空には所々に白い雲が浮かんでいる。その雲くらいしか景色に変化がない。
 ようやく、地平線の上に海と小さな町が見えてきた。日は沈みかけている。次の町はかなり遠いらしい。夜までには着かないだろう。颯太と泰造はこの町で宿を取ることにした。
 トリト砂漠の名前の元にもなったトリトの町。
「だいぶ、小さくなっちまったな」
 颯太は町を見ながら呟いた。
「来たことがあるのか?ここに」
 小さくうなずく颯太。
「……俺の故郷だよ」
「なんだって!?」
「そんなに驚くこともないだろ。忘れたか、泰造。俺とお前が会ったのもこの砂漠だった。そして俺と結姫が出会ったのもこの近くの村だ。俺はほんの数年前までコトゥフで修行して透視人の力を伸ばし、それからはこの辺りの町や村を巡って水源を探したり、災害などから民を守るために努力してきた。ここはこんなところだ。俺の力が何かの役に立つなら、と」
「そうか、それで透視人に……。それじゃ、この世界が落ち着いてきたらこっちに戻るつもりなのか」
「ああ。正直なところ、今すぐにでも帰りたいよ。ここの暮らしはひどいもんだ。だから早く、助けになってやりたい。でも、この様子だとその必要もないかもしれない」
「どういうことだ?」
「あの大きかった町がこんなに小さくなっている。多分、この辺りには月読が死んで政府が変わったことも知らされたに違いない。月読の圧政をおそれて砂漠に留まっていた連中も、みんなさほど遠くないリューシャーに移り住んでいるんだろう。この辺りにはもう何もないからな」
「死せる大地、か。人間にとっては本当に死んでいるようにしか思えないんだな」
「ああ。寂しい限りだ」
 二人はこの町にはただ一つになってしまった宿に泊まることになった。空遊機の運転手も当然だが宿は同じである。颯太と泰造は同じ部屋に泊まることにした。泰造が宿代をケチったのだ。
 宿の主は颯太を知る人物だった。
「耕六さん、この辺は変わりありませんか……いや、だいぶ変わりましたね」
「ええ。みんなリューシャーへと行ってしまいましたわ。わしらも、この宿を畳むわけにはいかんですが、最後になったら……。北岸はもう誰もいなくなっちまうでしょうな。月読様に言われてとれるもんはみんなとっちまった。もう何もないんです。で、あなた方はなぜ、こんな何もない土地に?」
「まだはっきりしないんですが、どうも西の方に何かあるらしくて。ちょっと水を貸してもらえませんか。水鏡を使ってみたい物があるので」
「おやすいご用で。ここは海に近いですからな。塩水ならいくらでもとれますわ」
 そう言いながら小さな水瓶を持ってきた。
「これは蒸留水ですか?貴重な飲み水でしょう?これを使うわけにはいきませんよ」
「しかし、水はそれしかありませんよ。後は海の水くらいしか」
「海の水で十分です。そのくらいの瓶に一杯ほど」
 することのない泰造が手伝い、海の水を汲みに出かけた。
「まぁ、確かに最近は雲が多くて蒸留水を作るのも一苦労ですわ」
 ぼそり、といった感じで耕六が漏らした。
「雲……ですか?」
「ええ。あの蒸留水はこいつで、海の水をお日様で炙ってこしらえたもんですが」
 風変わりな蒸留器を取り出す。黒く平たい壺に水を入れ、そこからでた管を通る水蒸気を白い壺に入れた水で冷やすのだ。最近出来た代物らしく颯太は初めて目にする。
「こんな物が出来たんですか」
「ええ。都会の人間が行商しに来るんですよ。あっちには知恵者がだいぶいらっしゃるようですな」
 こねくり回すと壺に『考想社』の銘が彫られている。都市部にあるアイディアなどで商売する会社だ。こういう便利器具の開発も行っているというわけだ。
「で、こいつは見ての通りこの黒い所にお日様を当てなきゃならんのですが、最近やたらと雲がかかりましてな。日が陰ると率が落ちますでの」
 颯太は不思議に思う。確かにトリト砂漠には時たま雨が降る。しかし、雨が降るでもなく雲ばかりがかかるというのは珍しい。ここの空はすかっと晴れるか、さもなくばにわかにどんよりとかき曇り、唐突の激しい雨に見舞われるかどちらかだ。そして、雨のあと雲はたちまちのうちに消えてしまう。
「雲、ですか」
 さっきと同じことを呟く颯太。無性に引っかかる。そこに泰造が帰ってきた。
「おう、これでいいか」
 水瓶の中になみなみと汲まれた澄んだ海水に颯太は満足げにうなずいた。
 そして、懐から水晶玉を取り出し水瓶の底に沈めた。勾玉の代わりだ。
 颯太は心を研ぎ澄ます。目の前に汲まれた水くらいに。
 やがて、その水面に朧気に何かが見えてきた。もちろん、これは颯太にしか見えない。
 しかし、はっきりとは見えない。何か霧のような物が邪魔しているのだ。
「はっきり見えない。やっぱり勾玉がないのはきついな。しかし、方向は間違いなくこっちであっているみたいだ。ずっと、西」
「西に、行くんですかい」
「ああ」
「西は危険ですよ。沢山の虫の住む未開の大地です。いや、捨てられた大地、と言うべきでしょうな」
「分かってます。しかし、行かねばならないでしょう。真実を知るためには避けて通れないのです」
 明日からの旅は厳しいものになるかもしれない。

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