Reincarnation story 『久遠の青春』

37.ビター&スウィートデイ

 チョコを渡し終えたまつりちゃんと入れ替わりでテニスコートに現れたのは樹理亜である。
 テニス部員ではない樹理亜がなぜ部活の真っ最中にテニスコートにやってきたのかというと、ついさっき俺から生まつりちゃんを見るチャンスだと連絡を入れておいたからだ。それに釣られてやってくるくらいに真冬の園芸部は暇らしい。
「何をしにきたのかしら?ここにあんたはお呼びじゃないわよ。流星にチョコを渡しにきたのなら残念ね、先に私が渡しておいたわ」
 少女マンガの意地悪ライバルみたいな科白をはく留奈。
「そんな訳ないでしょ。チョコなら帰ってから渡すわよ、今夜流星の家でね」
「ぐはあっ」
 見事な返り討ちであった。しかし、留奈だってただやられはしない。つい先ほどのあーんの一件を洗いざらいぶちまけた。多少話を盛ったり削ったりした部分をなかスッチーが修正した結果、その一件の子細が詳らかに伝えられることとなったのである。
「流星。小西さんにもそんなことしてたの?」
 なお、なかスッチーもやられたことについてはなかスッチーは触れなかった。留奈は留奈で、やられたことを自慢しているのにそれがなかスッチーにさえする事だと思われるのは具合が悪かったのでノータッチだ。
「にも?にもって?」
 留奈が詰め寄ってきた。
「熱帯魚だろ」
 ご存じの通りあの会社は権利に小うるさいのでこの小ネタに関するコメントは割愛。
「じゃなくて。あたし以外の女にもそんなことしてるの?」
「してるでしょ、あたしにとか」
 なかスッチーも自分が同じ事をやられたことを今言った。
「あたしの場合はチーズだったけどね」
 樹理亜はチーズの件が流行った頃にはもうやられていたということで優位に立とうとしている。
「そんなことより急がないとまつりちゃんの魔法が解けるぞ」
 それは留奈の最初の質問である「何をしにきたの?」の答えである。小競り合いが長引いてめんどくさくなる前に、脱線した話題を本題に戻させて頂いた。
 話を聞いていた留奈は部室を覗き込む。
「まだ大丈夫だよ。流星も入って大丈夫」
 留奈がそう言うのなら間違いない。絶対罠がある。
 樹理亜も部室を覗き込み、そのまま入っていった。警戒は杞憂で特に罠はなかったか。俺も後に続く。ああ、別に樹理亜が留奈の罠に嵌まるかも知れないのを黙って見過ごしていたわけではないぞ。樹理亜の行動が素早すぎただけだ。留奈の言葉を信じてホイホイ行動を起こすなど、警戒心がないのか度胸があるのか。
 心配なので俺も速やかに部室に入る。なんと言うことだろうか。ハメられたのは俺の方である。部室の中ではスカートをはいた女子が一人上半身裸になって胸を隠していた。うん。ラッキースケベってこういうことか。
 いや待て。よく見たらまつりちゃんだ。つまり女子じゃなくて男の裸である。ラッキーでもスケベでも何でもなかった。むしろ上半身裸の男がいるところに連れ込まれているわけで、やっぱり樹理亜への罠だったのかもしれない。とは言え樹理亜も全裸でもない見た目は女の男ごときでどうともなりはしなかった。そもそもここは女子の部室であり、女子が姦しく犇めいているのだ。
「まだ膨らんでもないおっぱい隠してどうするんですか、まつりちゃん先輩」
「これから膨らむみたいな言い方すんな」
「わかりませんよ、デブれば。あるいは鍛えれば」
「鍛えて膨らんだ場合それはおっぱいって言うのか?ムネ肉じゃね?あと、別におっぱい隠してる訳じゃねーし」
 ムネ肉じゃなくて筋肉だと思うぞ。
「じゃあ何ですその恥ずかしそうなポーズは」
「恥ずかしくは……いや恥ずかしいけどポーズはちげーよ。さみーんだよ」
 まあ、2月にろくな暖房もない部室で裸でいれば寒いに決まってるか。肩を抱いて縮こまっていただけのようである。
「そもそも何で裸なんです。ここの変態女子に服を着るのを禁止でもされましたか」
「むしろ服を着ることを強要されたんだけどよ。こんなの着てられるか」
 すぐそこに置いてあった服を手にとって広げ見せつける。バニーガールのコスチュームである。なるほど、これは恥ずかしいしこれなら裸の方が。 
「腰のくびれの部分が苦しいんだよ」
 物理的な、骨格の差異的な問題だったようである。ちなみに現在のまつりちゃんだが、コスチュームを持った両手を突き出したポーズゆえ、あられもなくおっぱいが丸出しである。
「あと股間も」
 女子に聞こえないように耳元で囁く。しかしこの距離ではさすがに聞こえる。キャーとか声が挙がった。俺としてもキャーである。今あんたは鴨田先輩ではなくセミヌードのまつりちゃんなのだ。絵的にヤバすぎる。
「ちっこいから入ることは入るんだけどねー」
 根室が言った。俺は確認する。
「股間がっすか」
「体だ!」「体よ!」
 まつりちゃんと根室がハモって反論した。
「つーか、寒いならジャージくらい着ればいいんじゃ」
「俺のは終わるまで隠された。それに、本当ならすぐに次の服がくるはずだったんだよ」
 確かに、次のコスチュームが大急ぎでお直しされている最中のようである。
「もしかして、この機会にコスプレさせて写真撮りまくってるところで?」
 カメラ小僧ならぬカメラ小娘になっている根室に聞いてみた。
「そうよー。何なら一緒に撮る?」
「いろいろ面倒なことになりそうなので遠慮します」
 後々まつりちゃんの中の人がゴネそうだし。女子の部室にいるところを撮られてるのも面倒だし。まして今撮られたら犯罪の現場にしか見えねえ。まあ、さすがに撮るのは何か着せてからだろうけど。
「女が代わる代わる着まくった奴だぜ」
 ごねるまつりちゃん。ああそうか、見たことあると思ったら学園祭のあれか。あれは確かにいろんな女子が着まくってたな。素肌に直に着てた奴もあったろう。そんなコスチュームを着続けるのは抵抗もあるだろう。誰も見てないところで、自分だけの立場からなら問題ないしむしろノリノリでやっちゃえるかもしれないが、女子に囲まれた状況じゃキツいかもな。しかもここの女子の中にもコスチューム着た奴はいるんだし、指摘されたらますます気まずい。
「しかし、あれって直すところあるんですか?バニーみたいなくびれ強調コスならともかく、ナースってそんなに締め付けたりはみ出たりするところないでしょ。膨らんでさえないし体もちっこいし」
「うるせえや」
「あ、失言っした」
「ま、ちっこいからなのよね。丈を詰めてるとこ」
「ああ、なるほど」
 わざわざ丈を詰めるって事は、何かの限界を攻めるつもりなのか。
「で、まだ?」
「もうちょっと」
「さっきもそう言ったじゃねーかよ。あ。そうだ吉田。なかなかいいとこに来たぞ」
 そう言うと、背中を押しつけてきた。
「うひょー。あったけー」
「ちょっと、やめれって。裸の男にすり寄られる趣味はありませんし、絵的にヤバいし」
 裸の少女を後ろから襲ってるようにしか見えないことだろう。誰かに押しつけたいがここにはほかに女子しかいない。まつりちゃんをこの世界に出現させた張本人はすでに退散している。まあ、それはまつりちゃんがグラウンドに出てチョコを配る前のことだし、今まで居座ってる方が変か。
「こら、撮るな!」
 この一番ヤバい状態で根室がカメラを向けてきたので怒鳴った。
「いいなー」
 などと留奈が言うので。
「おう、ならばパスしてやるぞ」
 まつりちゃんを押すと、留奈はちょっと逃げた。ついでに、まつりちゃんにも抵抗された。
「そうじゃないよ、あたしも流星に抱きしめられたいってことよ」
 うん、知ってた。ちなみに。
「抱きしめてねえよ」
 すると、樹理亜がこんなことを言う。
「まつり先輩越しなら特別に許可してあげていいよ?」
「マジで!?……ってそれってほぼ先輩に抱きしめられてるだけじゃん!」
 樹理亜が留奈に罠を仕掛けたが見抜かれた。一瞬食いつきかけたけどな。
「俺一応まだ中学生の設定だから先輩って言うな」
 今の自分と本当の自分が同一人物であることを認めたくないまつり先輩の慟哭はスルー。
「バレたかー。じゃあ、大サービスで先輩と流星に挟まれるのを許可!ただし流星とは後ろからね」
「勝手に決めるなよ、俺の人権はどうなる」
 そしてもっと人権を蔑ろにされている、その提案なら裸のまま留奈に抱きつかれるまつりちゃんがついに逃亡した。もしかして、留奈を利用して見た目は少女のまつりちゃんを俺から引き離したかったのだろうか。
 そんなことをしているうちにもコスチュームのお直しは終了しており、留奈が樹理亜の提案を呑んだところでサンドイッチに必要なまつりちゃんがもう人肌の温もりを必要としなくなっている。
 まつりちゃんもようやく服が着られて人心地である。ナース服に身を包み、スカートを脱ぎ。
「……ズボンは?」
「パンツって言いなさいよダサいわね」
「おねえさま。パンツを穿かせてください」
「……あ、やっぱりズボンでいいわ。ひとまずそのままでセクシーナースからね」
 どうやら、裾の丈をズボンなしでも大丈夫なジャストの長さに調整したようである。ぶっちゃけパンツも要らないが、角度による。
「エロいっすよ、先輩」
「俺はエロい先輩じゃねえ、エロい先輩はこっちのメガネの先輩だ」
 あんたも日頃はメガネの先輩だろ。
「うあー。ちょっと見えるー」
 椅子に座っていた町橋がのんびりと言った。何が見えたのかはまあお察しか。座っているせいで角度がそういう事になっているわけである。立っている人準拠で決められた服の丈は、座って見る人に優しくないのだ。
 と言うわけで、俺もしゃがんでみた。
「見えん」
 町橋はまつりちゃんの後ろから、一方俺の立ち位置は前方。前傾姿勢で前身頃が下がっているのでこっちからは見えないようである。これまた町橋のポジションがベストであるらしい。あそこはまつりちゃんのパンツを見るための席と断言してもいいだろう。
「なに見ようとしてんの」
 樹理亜に叩かれた。そして。
「お?何?見る?」
 根室はお俺がその質問に答える前にまつりちゃんの裾をまくり上げた。部室内をいくつかの悲鳴が飛び交った。自分でやっておきながらまくるときに手の甲に何かと言うかナニが触れてしまったらしく根室も悲鳴を上げ、手をプルプルさせているが明らかな自業自得であり気にしないことにして俺は言う。
「黒。まつりちゃんおっとなー」
 大人っぽいセクシーな下着というか、これはあれだろ。競泳用とかボディビルダーが穿いてるような黒ビキニだな。男物だ。
「はみ出るからこれに穿きかえろって言われたんだよ」
 この場合、はみ出るのは中身の話ではあるまい。中身の話なら男子高校生が穿いてそうな普通のパンツよりこっちの方がはみ出そうである。この場合、たとえば先ほどのバニー服とかミニスカだとパンツがはみ出るということだ。ブリーフならまだしも、トランクスだった場合ガッツリはみ出るに違いない。もちろん、まつりちゃんの中の人が今日はトランクスなのかブリーフなのか、あるいは他のものだったのかは知らないし、興味もない。
 気を取り直しての撮影。セクシーナースからの標準装備ナース。現実世界のコスプレはここまでで、ここからはアニメキャラのコスプレに入った。魔法少女と言った感じのコスチュームである。
「まさかこれを俺が着ることになるとはなー」
 鴨田先輩はこのキャラを存じ上げておられる模様。
「思った以上にはまってるじゃん。これはあれだねー、ここあはまつりちゃんじゃなくて別なちびっ子に着せて並べたいねー。るなっち、ちー坊拉致ってきて」
「はーい」
 ちー坊は一部女子の間で使われるなかスッチーの呼称である。根室の命令によって速やかに連行されてくるなかスッチー。
「はいっ大至急!これに着替えて!」
 根室はよく事情を知らないなかスッチーに衣装を押しつけた。1年女子はまつりちゃんのことは聞かされていても、まさかここでコスプレ撮影会になっていることまでは聞かされていなかったようだ。
 これについては後日樹理亜が根室から事情を聞いて話してくれたが、一応断られることを想定して告知まではせず、居合わせた者だけでやってたという事らしい。まあ、女子部室という敵の本陣の真ん中で女子に囲まれながら要求されたら、チキンな鴨田じゃ断れまい。ましてや、実際のところどうだったかはともかくとして鴨田にしてみりゃ服を人質というか服質に取られている気分なのだ。質流れにされたら今日は女子の制服で帰宅せざるを得ない。そんな恐怖があったのではないだろうか。
「え。今?ここで?」
 コスチュームを手に戸惑うなかスッチーがそう言いながら俺の方をちら見するので。
「安心しろ、俺は退散するから」
 俺は言葉通り速やかに部室から出た。そして程なく。
「ちょ。俺はどうしたらいいの」
「んぎゃー!」
 部室の中にもう一人男子が居ることに気づかず着替えようとしたらしい。
「りゅーちゃんナイス鬼畜!」
 さっきのなかスッチーと同じ科白を誰かが言った。なかスッチーの自爆だ、俺のせいにすんな。まあ、多少こういう展開を期待してはいたけど。

 追い出されたのでここからは樹理亜からの伝聞なのだが、まつりちゃんはひとまずなかスッチーの着替え中コスチュームを頭から被って凌いだそうだ。
 最初はまつりちゃんがコートで穿いてた制服のスカートが置かれていたのでそれをなかスッチーが咄嗟にかぶせたのだが、それは根室の中学時代の制服だったそうである。どこで調達した制服なのかと思っていたが、可愛いまつりちゃんとなっているときに正しく着用することだけ許容し身を削って提供したのだ。よって、裏地に顔面を埋める用法は認可外である。被せられたスカートは即座に剥がれ、手頃なコスチュームに交換されたわけである。それならば、もちろんこの服のまま帰る羽目になるという先程の推測もなくなる。根室の制服を、持ち帰られては困るだろうからな。
 無事着替えを終えたなかスッチーとまつりちゃんが並んで撮影しているところに呼び戻された。本当に子供が二人でコスプレしているようだ。
 ……いや。よく見ると違和感はあるな。本当は男のまつりちゃんではなくなかスッチーの方に。
 なかスッチーがロリキャラに転向したのは身も蓋も遠慮会釈も血も涙もない言い方をすれば、ちっこい上に贅肉で寸胴だったからである。しかし今はロリになりきって跳ね回った結果ややスレンダーになった。それでも胸は、揉みがいは残った。大河ドラマにもなったあの名作のタイトルをもじっただけでありもちろん揉まないが。全体的にふっくらしていた頃の名残がふっくらと胸にあるのだ。こんな小学生はいない。……はずである。最近の小学生は発育がいいから一概には言い切れないというか、むしろ普通にいるのか。それはともかく、もちろんこの辺のことすなわち胸のことは俺の胸にしまっておくことにする。
 撮影が終わればなかスッチーは人気者である。留奈がそうしたのを皮切りに、女子が順繰りになかスッチーを抱きしめていく。本当はまつりちゃんにこうしたかったのを堪えていた反動がきたのだろう。抑圧された母性本能が丁度いい捌け口を得て爆発したか。なかスッチーは嫌がる様子もなく大きな胸でおおむねそれに応えた。舞と裕子がごく自然にそれに加わり、それにだけはちょっと顔を引き攣らせたのはまあ必然であろう。

 そんなことをやっている間に、部活も終了の時間である。まったく、何の活動をしていたのだろうか。部員がこんなに全力でサボっていられるのも、次回の合同練習の打ち合わせという名目でよねまよが高商に行ってしまったからである。これも絶対チョコを渡しに行ったんだろうな。
 そして、今日の部活に顔を出さなかったことになった鴨田は、まつりちゃんのまま女子部室の掃除用具入れに女子の着替えの間監禁され、何も知らない2年男子が出払った折を見て開放、ようやく男に戻ることができた。2年の男子達は、鴨田がいないことや女子が部室に籠もって何かこそこそしていたこと、俺や連城もこそこそ出入りしてたことなど、そう言った細かいことは女子(偽)からのチョコで浮き足立っていたため全く気にしていないのであった。
「カモー、お疲れー」
 根室が労いに来た。カモをねぎらう、カモネギである。
「マジで疲れたわ……。もう暫く勘弁してくれ」
 暫く間を開けて、またやる気ではいるようである。
「そんな疲れたカモに糖分のプレゼント♪はい、チョコどうぞ」
 根室は綺麗にラッピングされたチョコを差し出す。束で。
「お。ま、マジか。……ってさっきの余りじゃねーか!」
 それはまさしく、まつりちゃんが男子に配ったチョコの余りであった。
「余り物には福があるって言うでしょ」
「残り物だろ」
「買ったのは女子なんだから、女子からチョコをもらったのには違いないでしょ」
「うん、まあ」
 素直な鴨田である。ともかく、テニス部の男子の数は限られているのだから、その数に合わせてきっちり買えば余るわけがない。予備という名目もあったのかも知れないが、それでもちゃんと鴨田にあげる分も確保してあったと考えた方が、そんな優しさを持っていたことになる女子を含めてみんな幸せになれるだろう。そもそも、鴨田扮するまつりちゃん経由でも男子にチョコを上げている時点で優しさに溢れているではないか。
 さらにそこに一言添えておくことにする。
「それにー、鴨田先輩には根室先輩からもらったアレがあるじゃないっすかー」
「ん?なんかもらったっけ」
「こんなプレゼントもらって、忘れるなんて非道いじゃないっすか。ほら、アレっすよ、し・た・ぎ♪」
「し、下着!?……ああ、これか」
 一瞬根室が下着を脱いでプレゼントする場面でもイメージしたのか慌てる鴨田だが、すぐに俺の言っている意味を理解したようだ。
 ナース服の時にチラ見した、黒ビキニパンツ。鴨田が今日学校に穿いてきたパンツによっては衣装からはみ出ることが考えられるため用意された物である。
「別にあたしからって訳じゃないわよ」
「でも、今日の企画ってほぼほぼ根室先輩のプロデュースじゃないっすか。制服も自分のだし、コスプレ衣装手配したのも独断でしょ。ならば当然このパンツもわざわざ今日のために買ったって事ですよね?自腹で、鴨田先輩のために」
 悪魔のにやけ顔で言う俺。これはあくまでも推測ではあるが、状況的にほぼ間違いないだろう。
 なお、そのパンツは今も穿きっぱなしである。完全に要らない情報であろうが、鴨田が今日はいてきたのはトランクスであり、それを鞄やポケットに詰めて帰るのも何なので、黒ビキニの上に吐いている状態である。もちろん俺がそんなことを知っているのは、男子部室で着替えている場面に居合わせたからだ。
「プレゼントって訳じゃないから!」
「じゃ、じゃあ返す?洗うから」
 おずおずと言う鴨田。
「いらないわよ!」
 なんか二人とも真っ赤になってきて面白い。この反応からして、さっき言ったことも図星だったようである。まあ、からかうのもこのくらいにしておこう。
「ねえ先輩♪素直にプレゼントと認めるか、洗って返してもらうか……まあこの場で脱いででもいいっすけど。どっちかしか道はないんすよ」
 再び悪魔のにやけ顔で言うと。
「こ、こんのー!」
 怒って追いかけてきたので全力で逃げる。
 こうすることで、この気恥ずかしい空間から堂々と立ち去る理由を提供して差し上げたのである。

 樹理亜は適当に切り上げて園芸部に戻っていたので最後の一幕を知らない。根室だってできれば誰にも知られたくはないだろう。鴨田は知らん。むしろ自慢したいんじゃね。
 と言うわけで。
「この話はここだけの内緒で。誰にも言うなよ」
 そう言い添えておいた上で、帰り道すがらに丸ごとぶちまけた。
 特に話したことを根室に知られたくはない。もちろん、知ってしまったことがバレれば樹理亜だって無事では済むまい。だから言うまでもなく口は噤むだろうが。まあ、アッキーくらいにはこそっと話すんじゃないかな。
「女が男のパンツ買うのって勇気いるよ。先輩の本気を感じるなぁ。本気で好きじゃなきゃ買えないよ」
「好きって、鴨田先輩をか?」
 え?何?根室先輩ってツンデレ的な何かなの?
「それはあたしもわかんないけど。それかも知れないし、そこまでしてでも登場させたいくらいまつりちゃんが好きとか」
「あるとすれば多分そっちだわ。恥ずかしそうに縮こまってる鴨田先輩も何も知らずにまつりちゃんに喜んでる2年男子も見てて楽しいもんな」
「流星の価値観基準で物事決めちゃダメだけどね」
 俺の価値観、どうなってんの。
 こんな感じでテニス部のバレンタインデーは過ぎ去ったが、我々にとってはまだ終わっていない。樹理亜はこれから俺にチョコを渡すことを予告しているのである。これはいくつになっても嬉しいものだ。まあ、俺もまだ肉体は十代半ばなんだが。
 いつもなら自宅に直接帰らずうちに寄っていく樹理亜だが、今日はチョコを取りに一旦帰宅する。
 自宅では美由紀が家族にチョコを振りまいたりしたが、それで安心するほど恵まれないバレンタインデーを過ごしている兄弟ではない。心から喜んでいるのは輝義くらいだ。会社の義理チョコが撤廃になり、夫婦仲良好で浮気願望などない中年男にチョコを渡す物好きはいないようで、子供も野郎ばかりとくればチョコをくれるのは美由紀くらいになってしまう。
「で、そっちの戦果はどうよ」
 こちらの戦果をひけらかした上で恒星に聞いてみた。こちらの戦果も今の所留奈の分とまつりちゃんすなわち女子連名・代表は女装した男の義理感満載チョコという割としけた内容である。美由紀の分はイーブンだし、樹理亜は多分義理全開ながらも恒星や義輝の分も持ってくるだろう。
「こっちは三つだぜ。これはヒナ、これはアリナ、こっちがカナ」
「ナで終わる奴ばっかだな」
「……あ、ホントだ」
 言われて初めて気付く程度にどうでもいいことだった。
「何にせよ、しれっとちゃっかりモテモテじゃないか」
「どうだかなー。アリナはクラス全員にばらまいてるし、カナも普通以上の男には片っ端から渡してる感じだったし」
「見え見えの人気取りと、本命カムフラージュって感じなのかね。するってぇとヒナちゃんってのがどうなってるのか気になるところだが」
「ヒナもなー。こそっと渡す感じではあったけど、あいつも結構八方美人だし、本命のような気はしないな」
「くっくっく。数ではそちらに分があるようだが、俺のは一応一つ本命だからな。ポイントならイーブンくらいだろ」
 その代わり、もう一つは渡してくれたの男だから下手したらノーカンになってまた劣勢になりかねないけど。
「それに、樹理亜から一個ずつ貰えるだろうが俺のは本命、恒星のは義理であることを肝に銘ずるように」
「はいはい」
 などと言っている間にも、その樹理亜がチョコを持ってやってきた。何だろう、このカモがネギを背負ってやってきたみたいな感じは。
「お待ちしておりました、どうぞどうぞ」
 二人で恭しく出迎える。
「はい、お待ちかねでしょ、チョコレート。それと恒ちゃん、これ加奈から」
 さっき恒星にチョコをくれたカナちゃんというのがいたが、加奈子とは別人である。それと、俺が最近テニス部でりゅーちゃん呼ばわりされるようになったのに触発されたか、樹理亜が恒星のことをこーちゃんと呼ぶようになっている。そして、そんなことより加奈子からのチョコである。
「加奈子から?……ってチロルじゃねーか!」
 恒星の言葉通りであった。遊ばれてるな恒星。
「で、俺には?チロルさえなし?」
「うん、なし」
 加奈子からのチロルチョコなど別に欲しくもないが、この局面で貰えないと少し寂しい。
「でもさ、加奈子今年は渡す相手いないってぼやいてたから、もしかしたらそれが加奈子のオンリーワンチョコかもよ」
 一見嫌がらせレベルのチロルチョコだが、ここに来て付加価値のつく情報が。ヤバい、数で更に引き離された上一つあたりの重みを考慮したポイント勝負も勝てるか怪しくなってきた。
「その代わり、流星にはこれ」
 お、なんかもう一個チョコが出てきた。しかもしっかりラッピングされた普通のチョコだ。詩帆……?んなワケ無いよな。
「伽椎からよ」
「おお、なんか久々だなぁ。中学時代なんか音沙汰なかったけど」
「流星はそうでしょ。こっちはたまに一緒に遊んだり、電話で話したりとかしてたよ。あっちも勉強大変になって、回数は減ってきてるけどね。でさ、高校入ったら本当に渡したい相手がいないからって」
「行き場のないチョコの捌け口に、昔の関係を引っ張り出してきたのか。何ならうちの学校からいい男紹介してやってもいいよな。頭のいい男はあんまいないけどよ」
「例えば、誰?」
 エリートの道を進む伽椎に相応しい男となると、それなりの男でなければならない。うちの学校は偏差値もそれなりなので釣り合わせるためにはその中でのエリートか、あるいは他に一芸を持つ者でなければなるまい。見た目が秀でている知り合いもいないし、部活動で成果を上げている奴が手っ取り早いが、県内屈指の弱小テニス部では知人にもろくなのがいない。我が校がその実力を誇れる部活というと柔道部か。柔道部員で知り合いというと……。
「……今回はご縁がなかったと言うことで」
 ドストコ(あだ名)を紹介したらさすがに思い出したらチョコくれるくらいの好感度が跡形もなく吹っ飛ぶわ。
 で、樹理亜の本題はここからであった。
「……さて、始めましょうか」
「何を?……布団敷いた方がいいか?」
「何を始める気よ。ほら、小西さんにもしたんでしょ」
 何の話だっけ。留奈にも……ああ、熱帯魚が脳裏を横切ったのが引き金になって思いだした。あーんのくだりか。留奈どころかなかスッチーにまでやったヤツだ。
 留奈は樹理亜にも喰われることをも覚悟して俺にチョコを差し出した。その意志を全面的に尊重し、樹理亜にあーんとさせるために使わせて頂く。高級チョコだけに俺の取り分が減るのはちょっともったいない気はするんだけどな。まあ、なかスッチーにまで喰わせたんだから今更だ。
「でもさ、……どうせなら小西さんにまでしたのと同じのじゃなくて、一歩先のあたしにだけの特別なのが欲しいんだけど」
 ちょっと勇気を出して、と言うような間を入れつつ樹理亜が言った。俺はちょっと考える。
 チョコを口にくわえ、口が塞がっているのでジェスチャーでカモンと促した。
「えっ、ちょっ、なっ。一歩が!一歩が大きすぎる!」
 人間にとっては小さな一歩だが樹理亜にとっては大きな飛躍だったか。まあ、俺も来ると思ってやってないが。
「じゃあどうする。お互いあーんでダブルあーんとか?」
「うーん……悪くない提案だけど、あたしが流星に食べさせようとしてる隙を突いてなんかされそう……」
「そこまで信用できないのかよ。トラストミー」
「無理」
 まあ、トラストミーとか言ってる奴は信用できないよな。オバマさんだって信用してなかったみたいだし。でもって俺は明らかに隙あらばなんかするキャラだし。
「じゃあ、どんなのがいいんだ?樹理亜から言い出したって事はプランくらい立ててきてるんだろ」
「え。いや、その……別に?」
 もじもじしながら樹理亜は言った。とりあえず、言ってみただけと言う感じか。その上で俺にプランを丸投げしてみたという所だろうが、無謀すぎたな。
「あっ、そうだ。壁ドンしながらあーんってしてよ」
 随分マイルドなのに落ち着いたな。でもって、マイルドそうには見えるけど。
「自ら逃げ場をなくすとは愚かなり」
「手がフリーだから防御も攻撃もできるもの。あたしは逃げないよ」
 勇ましいな。とてもチョコを食べさせてもらうだけとは思えない。
「しかし、壁ドンされると分かってて壁ドンされるのは、色々半減しないか」
「半減くらいで丁度いいよ」
 そうか、まあこの程度のおふざけだしな。ならば御意のままにだ。では、壁ドンすることにしよう。で、どの壁にするかだが。ざっと見渡してみた感じ、机があり、パソコンラックがあり、本棚があり、カラーボックスがあり。ウォークインクローゼットの前に制服を掛けた衣装掛けがあり。
「ここかな」
 ちょうど壁が空いている場所があるが。
「そこはなんかヤだ」
 アメリカの若者の部屋に憧れて、壁に金髪ビキニ女のポスター貼っているのが気に食わないようだ。このポスターを剥がすと、その下のはとんでもないモノが隠れているのである。模様替えの時にカラーボックスの角をぶつけてできてしまった穴だ。カーチャンにバレたら大目玉であろう。どうでもいいな。
 では、壁ではなくなってしまうがドアの所で。ドアを押さえられると益々逃げ場がなくなってしまうが、樹理亜はそれで了承した。
 樹理亜をドアに追い詰め、と言うか自ら追い詰められ俺を待ち受ける。そして、お待ちかねの壁ドン。そして、チョコを構えて。
「ちょ、ちょっと待って。タンマタンマ!」
「何だよ、シチュエーションから位置取りまで樹理亜の要望通りなんだぞ。今更どこにいちゃもんをつける気だ」
「チョコ!そのチョコ、さっきくわえてたのでしょ!チェンジ!チョコをチェンジ!」
 さっきトラストミーって言われたから樹理亜もオバマネタできたか。
「だがそれでは留奈どころかなかスッチーすら越えることはできないぞ」
「え?なんで?」
「なかスッチーにあーんで毒味させた後俺も一つ食ったんだけどさ。なかスッチーにあーんしてる時に喚き散らして唾も散らして。で、間接ベロチュー。まあ、飛沫感染って感じだけど」
 唾が飛んだの主に指の背だし。
「ベロチューではないわね……」
「ベロチューならチョコを舌の上で転がしてからでないとな」
「それはやめて」
「それは、か。じゃあ、この間接キスチョコなら甘んじて受け入れると?」
 キスチョコの亜種みたいになったが全く関係ない。
 樹理亜は呼吸を整え、覚悟を決めたようである。
「いいじゃない、やってやるわ!どーんときなさうぃっ!?」
「いきましたぁ〜」
 やってやると言い切ったことだし、容赦なく。じらすのはこの間やったので、今度は不意打ちでいってみた。壁ドン状態でうだうだやってると腕も疲れてくるからな。
「もー!……おいしい……」
 甘いチョコの力で機嫌も直った……かと思いきや、そのチョコも留奈がくれた物なので更に複雑そうである。
 その後、樹理亜が自分のチョコを俺にあーんで食べさせようとしてトラの餌付けのようなビビりぶりを見せたりし、冬のイベントは一通り終了した。
 やがて、季節は春に。新たな学年、そして、新たな局面の始まりである。

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