Reincarnation story 『久遠の青春』

36.流れゆく日々をさっと流して

 何事もなかったようにデート再開である。
 よねまよ達のデートは打ち合わせを名目にしたデートだったが、こっちはこっちでデートと言っても町橋先輩に言われるまでそうだと自覚もしてないような、用事のついでで始まった半突発のデートだ。加えて場所も良いとは言えない。学校の近くは見慣れた場所ばかり、見慣れていない場所はこれまで見る価値なしと判断してきた場所だけに今更見る所もなく、いつも通りに駄弁りながら漫ろ歩くだけで時は過ぎていく。平日に見慣れた風景と言うのはやはりデート感も薄く、切り上げムードになってきた。
 と。樹理亜は誰かからメールを受け取ったようである。すわ、件のナガミー惚気メールとやらが来たかと思ったが、そうではなかった。メールは根室先輩からであり、用件は先程の件であった。
 根室先輩で先程の件とはなんぞやと思うだろうが、まとめて考えるからややこしいのであって、先程の件は先程の件。よねまよデートの件である。あとついでに町橋についての件でもあった。この時点で既に町橋は自らパンデミック呼ばわりした根室によねまよのデートのことをバラしてしまっていることになる。これは情報テロ行為とみなしていいだろう。
 そして、用件とは。よねまよのデートの相手である高商の、えーと、んーと、うー……ヤバい、名前が思い出せない。とにかくテニス部顧問の男性教師だ。かつての練習試合の時に見かけたので顔は覚えていても、どんな人なのかまでは知らない。俺がじゃないぞ、俺は名前どころかは顔も覚えてなかっただろ。女子らがな。女子にとっては確定ではないがよねまよといい感じのそいつがどんな人なのかはもちろん気になるところであろう。
 高商の教師のことは高商の生徒に聞くに限る。幸い今はコネクションがあるのだ。ナガミーがこちらとは三沢列びに樹理亜の二箇所でうちの学校と繋がっている。女子の根室としては同じテニス部員だが男の三沢よりは根室の子分その1かその2の樹理亜の方がアクセスしやすかったわけだ。
 ナガミーに、向こうの顧問教師について聞いておいて欲しいというのが一つ目の用件であった。それは案の定ナガミーから連続で送られてきたノロケメールをやんわり中断させて話題を変えるのに絶好の話題として使われることとなった。二、三度のやり取りですぐにノロケに戻ってしまったようだが、時間稼ぎにはなったので良しとすべきだ。
 そして、もう一つ。町橋の恥ずかしい写真を持っているなら提出するように、とのことであった。樹理亜が根室にパスしちゃおうかなーなどという態度を見せたせいで、町橋としては本当に根室の手に落ちてないか不安になり、根室本人に確認しちゃって写真の存在がバレたようである。自爆としか言いようがない。しかし自爆に至る罠を設置したのは樹理亜と言えよう。
 根室の子分である樹理亜は根室に屈服し素直に画像を提出した。なので町橋先輩は樹理亜を許してやってほしい。見た感じ割とノリノリだった気がするが、きっと俺の気のせいだ。

 樹理亜のメールの影響はさっそく翌日に現れた。町橋の恥ずかしい写真はさっそくパンデミックを引き起こし、女子部員全員の知るところとなった。
 恥ずかしい写真とは言え、色っぽい表情の写真をノリノリで撮ったら相手が男だったせいもあって後から恥ずかしくなったというだけのこと。女同士で見せあってもそれほどではない。町橋がきゃあーとか喚いただけで終息宣言である。
 ただし、後遺症としてカマンベール祭りが勃発し、女子同士でカマンベール顔を見せ合ったり写メを撮り合ったりしたとか。もちろん、男の目をシャットアウトできる部室での出来事なので伝聞である。しかし余波は俺の所にも来た。
「りゅうせーい♪カマンベ〜ルっ」
 などと言いながら留奈がキス顔を見せつけに来たのだ。ただ見せるだけではなく、目を閉じて本気でキスを待っている風情。これが夏の道ばたならエノコログサでも突き刺してやる所だが、この季節のましてやテニスコートでは突き刺せそうな物はラケットの柄くらいの物である。
「先輩、ご自由にどうぞ」
 考えた末、と言うか考えるのもめんどくさくなりそこに居もしない先輩にスルーパスを出してみると、それに呼応して遠くの方から怒濤の勢いで先輩が駆け寄ってきた。先輩の誰かに唇を奪われるのかと思った留奈は慌てて振り返るが、突進してきた先輩は町橋である。真っ先にカマンベール顔を回し見された町橋は、報復として女子全員のカマンベール顔写メを収集している。留奈の分は未ゲットだったようだ。留奈が町橋の相手をさせられてる間に俺は離脱させてもらった。

 カマンベール余波の収束はまだ訪れなかった。カマンベールの火付け役の一人である樹理亜には自分の行動が招いた事態を知る義務がある。俺も火付け役の一人なのは言うまでもないのでその責任もとらねばなるまい。帰りの電車で掻い摘んで話した。
 ほとんどの出来事は男にとって秘密の花園である女子部室で起こっている。俺より根室に聞いた方が、あることないことひっくるめて話してくれるだろう。俺が話せるのは概要とせいぜい留奈のことくらいだ。
 その報告を聞いている時の大変冷ややかな目を見てから、予感はしていたのである。
「ね、流星。カマンベールっ」
 樹理亜がこうして対抗し仕掛けてくるだろうことを。ただ見せるだけではなく、目を閉じてキスを待っている風情。しかし、本気ではなかったのだろう。不意にその唇に触れた、柔らかく温かい感触に身を堅くし目を見開いた。
「……何これ」
 見開いた目を細めつつ樹理亜が問いかける。
「聞かなくても分かるだろ」
 カマンベールと言われて、カマンベール以外のものを差し出すのは失礼であろう。などと留奈に対してはエノコログサがあれば突き刺していたであろう男がほざいてみる。予感があったので帰り道のコンビニで一口カマンベールを用意しておいたのだ。もっとも、袋にはカマンベール「入り」と書かれているのでその実ただのチーズだろうが。
 そもそも樹理亜は樹理亜でなかなかのもったいぶりようである。さすがにテニス部での出来事の報告直後、衆人環視の電車の中で仕掛けては来るまいと思いこの悪戯のプランを立てたが、樹理亜を出迎えた玄関先、招き入れられた部屋の中。仕掛けてきそうな素振りというか仕掛けてこない素振りのそぶりとすぶりでフェイントをかけること数回。まあ、実際に仕掛ける気が合ったかどうかは聞かなきゃ分からないし聞いても言わないだろうから推測でしかないが。そうこうしているうちにポケットに仕込んでおいたチーズがほんのり人肌に温まり、ふにゃふにゃになってしまっている。まあむしろ食べやすい柔らかさだろう。
 では、正体が明らかになったところで。
「ほれ、あーん」
「えっ。ちょ」
 食べようとしないので俺の口に放り込もうとすると。
「わ、わ。食べる、食べるから!」
 慌てて目を閉じて口を開く。
「てーれれーはやぶさ、小惑星に接近中ーてっててれー。……そんなことしてると口に何を入れられるか分からんぞ」
 まあ、入れるものもないが。じらして遊ばれた上そんなことを言われれば目を閉じているのは得策ではないと悟る。樹理亜は目を開いた。
「ちょ。近い近い」
 遊んでいるうちに全身でにじり寄りすぎたようである。仰け反ったところをさらに体ごと追いかける。樹理亜がひっくり返る前にチーズをリリースした。
「うむ。堪能させてもらった」
「何をよ、変態。乙女を弄んで楽しい?」
 カマンベールの時とは違う形に口を尖らせながら樹理亜が問うので答えてやる。
「おいおい、その言い方はどうかと思うぞ?欲望に慈悲が勝るような聖人でもない限り、楽しいに決まっているじゃないか」
 つい最近までは恒星の勉強を見るためという口実でうちにやってきていた樹理亜だが、受験も無事に終わり、一部の向上心溢れるエリート学生のような例外に当てはまることなく普通に遊び呆けている恒星に倣って、樹理亜もここ最近は遊びに来ているだけである。遊びに来ている女と遊んで何が悪い。そして、遊びに来ている女で遊んで何が悪い。
「で、そもそも何が望みでカマンベールとかやったんだ?この程度であたふたしてるようじゃキスされたかったわけでもないだろ」
 チーズの間接キスすら体を張って全力で阻止したしな。
「変なこと聞かないでよ。あ、そうそう。長沢さんからあっちのテニス部の先生についてメール来たよ」
 今度は全力で話を変えようと試みている。まあ、これ以上いじめても可哀想だからここは引いておいてやるが。暫くこのネタでいじれそうだしな。
 ナガミーは放課後の部活で早速あちらの何とかという顧問教師に確認を取って返信してきたそうだ。その内容は既に根室に伝わっているらしいので、女子部員全員が知っていることだろう。なぜ女子部員全員になのかと思うかも知れないが、顧問の恋バナなどと言う代物は全女子部員共通の話題なのだ。口止めできていると思って素知らぬ顔をしているよねまよがいっそ憐れに見えるくらいである。
 なお、ナガミーが確認をするに当たって顧問の若い男性教師にこんなことを聞いたそうである。
「先生って独身なんですよね?」
 なぜこんなことを聞いたのかというと、何のことはない樹理亜がそうオーダーしたからである。せっかくよねまよにいい感じの男ができたのに実は不倫男に弄ばれてたなんてのはかわいそうだからな。略奪愛に走られたらそれはそれで、年に2回も顧問が異性問題を起こすテニス部という呪われた代物になってしまうし。
 それはいいとして、あのナガミーから独身ですかなどと聞かれたら、勘違いしてさくっと離婚してしまいかねない。ましてや婚約もしてない、恋人までいってるかどうかもわからない平凡なよねまよなどなかったことにするのに迷う必要さえない。自分の美貌の破壊力を自覚していながらこういうことをしちゃうのがナガミーである。
 この辺はその顧問が独身かどうかだけ分かればいいのだから、何もナガミーに本人から直接聞いてまでもらわなくてもよかったのだが、ナガミーが気軽に話しかけられる下僕四天王の皆さんは同性である顧問が独身かどうかなど興味もなかった。うん、俺もうちの男性教師の結婚とか全く興味ないしな。それで結局、直接聞くことになったようなのである。下僕と言っても本人に確認させる使い走りにだすほどの下僕ぶりでもないのだろう。むしろナガミーがそんなことをさせる子じゃないか。
 それはともかく、件の教師はちゃんと独身で、女癖が悪いとか金に汚いとかそういう悪い評判は特になし。一方で別段誉めるべきところもなく、おつきあいする相手としては実に無難である。やめておけと助言しなければならない理由もないし、かと言って女子にとってよねまよから奪い取ってまで付き合いたい相手でもない。女子達は暖かくこのロマンスを応援するつもりのようだった。

 よねまよたちの件は確実に進行していた。バレンタインデーが迫る2月のとある日。よねまよから重大発表があった。
「2月の末から3月の頭くらいに、高商とまた合同練習を行うことになりましたー。いえー」
 進行していたのはこっちの件であった。ある種、本来の目的と言える一件である。
「おおー。よねまよが体を張って決めてきたんだぁ〜」
「体を張ってと言うか、体を使ってと言うか、体を売ってというかー?」
「えー、もうそこまで行ってたのー?」
 デートのことを知っていることをこれまで隠してきたのが台無しになる発言をしながら喜ぶ女子達。
「なんの話か分からないんだけどー。話し合いで決まったことだから!」
「話し合いを重ねて、ですよねー」
「唇はまだ重ねてないんですかー」
「体を重ねる勇気はまだないのー」
「……こらー!バラしたなー!」
 よねまよが俺に向かって怒鳴り散らしてきた。
「俺はなんにも。口止めされたら喋りませんよ、めんどくさ……いや俺はこう見えて案外義理堅いですから。実はあの場にもう一人テニス部員がいたことに気付きませんでしたか」
「うへへへへ、ごめーんあたしあたしー」
 へらへらと自白する町橋。説明の手間が省けて何よりである。そして、ターゲットも俺から外れて何よりである。
「うう、全く気付かなかった……」
「むしろ俺には感謝すべきですよ。俺が目撃したことで、バレる覚悟が出来てたでしょ?ちなみにその時の町橋先輩の恰好があのチュー顔の写真です」
 女子の部室に貼り出されているので、よねまよだって何度となく見ているはずなのである。そして、やっぱり見ていたようで。
「あんなんいたって分かるかー!」
 まあ、分からなかったからこうなったわけだしな。口止めできた俺たちは喋っていないが、存在に気付かず口止めされなかった町橋が盛大にぶちまけたんだから。
 とにかく、無駄にデートをしていたわけではなく、ちゃんと言った通りの成果を上げてきたわけである。ちなみに、よねまよは結局あれがデートだったことを否定はしなかった。
「本当は新入生が入ってからと言うのを目標に話を進めてたんだけど、あっちの方でちょっと話が出たらみんなかなり乗り気で、待ちきれないみたいで。前倒しで開催することになったの」
「それ、やっぱり美香ちゃんかなー」
 などと勝手に推測する女子達だが、それはぶっちゃけないと思う。だって一番会いたい人には行き帰りの電車でいつも会えてるし、週末にはこまめにデートしてんだぜ。まして、ナガミーは三沢と付き合ってるのをあまり他の部員には知られたくなさそうだったし。
 そして案の定。
「燃えてたのは男子の方みたいね。この間の練習試合のリベンジにでも燃えてるんじゃない?」
 げ。あの、えーと、名前は忘れたけどエロコラージュ写真の作者が復讐に燃えてたりするんじゃないだろうな。実力で勝つ自信はちょっとないんだけど。
 そんなことを考えていたら“くるまざき”などという言葉が耳に飛び込んできたので、あの四天王に両手両足を一本ずつ掴まれ引っぱられる想像をしてしまったが。
「詳しい日程とかは車崎さんともう一度話し合わないと」
 どうやら車裂きではなくあの高商顧問の先生の名前だったらしい。そして、大変な事実を知る。俺、あの人の名前忘れてたんじゃなくて知らなかったわ。まあ、忘れてて知らなかったのかも知れないが、思い出そうとして思い出せる状態じゃなかったのは間違いない。
「またデートの口実出来たねー」
「今度見に行っていい?」
「合同練習の時もいちゃつくの?見せつけちゃうの?」
 よねまよにとって試練となる、弄られ放題の日々が始まるのであった。

 しかし、女子達だってよねまよを弄っている場合ではない。何せバレンタインデーが来るのである。まあ来たら来たでチョコは手作りかどうかなどというネタでよねまよを弄れるのだが、そのネタはそっくり自分たちにも返ってくる。誰かに渡すのか渡さないのか。渡すなら誰に渡すのか。それは出来合いか、手作りか。ロンリークリスマス回避のために無理矢理作ったインスタント彼氏との関係を継続するのか、むしろ一歩進めるのか。他の相手を探すのか。そんな命題を突きつけられるのである。
 まあ、そういう悩み多き乙女たちは俺に関係ない。関係あるのは悩みも迷いも遠慮会釈もない乙女たちである。
「りゅうせーい♪チョコレートっ」
 カマンベールの時と同じノリで留奈がチョコを渡しにきた。小さな紙袋に収められた、きれいにラッピングされたチョコである。細かいことを言えば、贈答品を紙袋ごと渡すのはマナー違反であるがもちろんそこまで期待するのは酷だ。
「毛とか爪とか体液の入った手作りチョコじゃないだろうな」
「それもちょっと考えたんだけどぉー」
「考えるんじゃねえよ」
 何を入れようとしたのかは気になる所である。こいつの変態度の指標になるしな。
「大丈夫よぉー」
 なかスッチーが口を挟んできた。
「悲惨な出来の手作りチョコなんか見せるくらいなら裸見られる方がましだって、ねえ」
「余計な事言うなっ」
 羞恥でか怒りでか真っ赤になる留奈。そっち方面のスキルもなかったのか。
「それにほら。安心のゴデバでしょ」
 ゴディヴァなら存じ上げているがおしゃれガールにあるまじき発音の悪さだな。まだおばちゃんキャラが抜けてないんじゃないか。いや、むしろまだちゃんとゴディヴァって言えないちびっ子なのか。そもそもなかスッチーのゴデバに対抗して俺もゴディヴァとか発音良すぎる感じで言っちゃってるが、あれは公式でゴディバだ。まあ、何にせよ確かに安心のブランドだな。シックでゴージャスな黄金色のラッピングにゴディバのロゴが燦然と輝いている。ラッピングには開封されもう一度包み直したような痕跡は見受けられない。安心してよさそうだ。
「なかスッチーの太鼓腹もあることだし」
「今なんて。太鼓判でしょ」
 迅速で的確ななツッコミどうも。まあ、最近は中スッチーもすっかりスレンダーになったからそんなに無気になって反論する必要もないはずだが、まあ昔取った杵柄と言うのかね。体に染みついた条件反射であろう。
「それな。それもあることだし、安心して受け取ってはやるがそれについて一つ条件をつけるぞ。受け取ったチョコは俺の物になるわけだな」
「もちろんそうよ。そのチョコもあたしも流星の物よ」
 この発言はスルーする。
「俺の物と言うことはこいつを誰と分け合おうが文句を言わないと言うことだ」
「うっ」
 この場合、誰と分け合うかは言うまでもない。分け合えば文句を言いたくなるような相手と分け合うに決まっているのだ。
「どうせチョコを渡してくるってのは想定内だからな。突き返すのも可哀想だし受け取ってもいいがそれが条件って事になったわけだ」
「ナイス鬼畜!」
 なんだなかスッチー、そのサムアップは。どっちの味方なんだ。
「ほらほら、知らない所で竹川さんと分け合われるより事前に知らされてる方がダメージ小さいでしょ。りゅーちゃんやっさしー」
 なんて残酷な優しさなんだ。あとりゅーちゃんはやめれ。
 留奈は葛藤したようだが、覚悟を決めたようである。
「半分は流星が食べてくれるんだよね?」
「多分な。俺には弟も居るもんで」
 言葉だけ聞くと俺と恒星と樹理亜で三等分しそうな言い方だが、俺のモンを恒星と等分する義理は無いし、ましてこんな高そうな代物一つだってくれてやる気は起こらない。樹理亜だって留奈のチョコを半分も欲しがることはないと思う。半分は残るんじゃないかな。
「本当に食べてくれるよね?」
「俺を信じろ」
 俺がいかに信用できない人間かは俺が一番知っているが、まあ今回は嘘になることはあるまい。
「じゃあ、これ。受け取って」
 やっぱり袋のままつきだしてきた。まあ、屋外での手渡しなら許容範囲内だ。出来れば「袋のままで失礼いたします」くらいの言葉は添えて欲しいが。
「うむ、ご苦労である」
 俺は事務的にチョコを回収した。
「ちょっとー!もらってくれるのは嬉しいけどもうちょっとましなリアクションないのー?」
「来ることが分かってるチョコレートが予想通り来ただけでなんのリアクションをしろと。まあ、それなりに奮発したことには敬意を表するけどな」
 そう言いつつ、ラッピングを剥く。
「え。開けちゃうの」
 まるで自分が剥かれようとしてるかのように緊張する留奈。
「念のため中まで確認しないとな。開けられて困るわけでもなかろう?そうそう折角だ、一応試しておくか」
 そう言いながら、チョコを一粒つまみ上げた。まあ、何の変哲もないが高級なゴディバのチョコである。
「ほれ、あーん」
 つい最近、似たようなことがあったなぁなどと思いながらチョコを留奈の目の前に突きだした。
「え。ええっ!?なに?」
「大丈夫かどうか、留奈のカラダに聞いてようと思ってな。変なモノが入ってたら喰うのを躊躇うはずだ」
「えうっ」
 図星だったのかと思うようなリアクションだった。だが。
「りゅーちゃん、言い方エロい!シチュエーションもエロい!」
 なかスッチーの余計な茶々のせいで本当に留奈がエロいことをされようとしているかのように恥じらいだした。だが、その指摘はごもっともであった。まあ、樹理亜も結構パニクったシチュエーションだしな。図星以前の問題だった。
「ガンバレ留奈!心の汚れてないピュアな乙女がピュアなチョコを渡しただけだと証明するんだ!」
 エールを送りつつ、なかスッチーは背後から留奈をがっちりホールドした。もう逃げることはできないし、俺もやらないと終われなそうである。
「てーれ♪……てーれ♪てーれ♪てーれてーれてーれてーれてれてれてれてれ」
 今日のBGMはジョーズのテーマである。こんなトロいジョーズだったら余裕でボコボコに返り討ちにしてカマボコであろう。
 留奈の口にチョコを放り込むと、俺は素早く手を引っ込めた。噛みつかれたりしゃぶりつかれたりしたらかなわん。まあ、俺が暢気に唄ってる間にかなり精神的に消耗してぐったりしてしまったが。
「ううう。おいしい……」
 いろんな感情のこもった一言であった。
「潔白は証明された。無罪!」
 まあ、留奈だって体はちっちゃくてもパワフルななかスッチーに後ろからホールドされて逃げられず、他の理由で動揺しまくってたのでリアクションから変なモノが入ってるかどうか判断するどころじゃなかったが。
「折角だし、なかスッチーも一粒どう?」
 声をかけてはみたが、さすがに友人があげたバレンタインチョコを横取りするような非道な真似は。
「わーい。もらうもらうー」
 俺は今、友情が食欲に負けた瞬間を目撃した。
「それじゃ、あーん」
「えっそれあたしにもやんの!?」
 ここぞとばかりに留奈がなかスッチーを押さえつけた。自分のチョコを食われるのはいいらしい。まあ、樹理亜にまで喰われる覚悟を決めたんだ、今更か。
 BGMも特になく、すっとなかスッチーの口元にチョコを近づけた。なかスッチーは口を開けてチョコを待つ。
「てって♪てててれて♪てててれて♪うっ!」
 ここでBGMはマンボNO.5だ。チョコの動きは口の近くを行ったり来たり。
「こらー!少女を弄ぶなー!」
 今度はなかスッチーの言い方がエロい。チョコを口に放り込んで黙らせておく。
「毒味大義であったぞ」
 そう言いながら、俺も一つチョコを食べた。留奈がとても幸せそうな顔をしているのが癪である。
「つーかさ、なかスッチー。さっき喚いたから俺の手に唾飛んだかも」
「ギャー。間接ベロチュー!?」
 まあ指の背に唾が飛んでもチョコを掴む指の腹はチョコでガードされていたので大丈夫であろう。

 そしてこの日。チョコが貰えなさそうな2年の男子(カノジョ持ちの一部除く)に、素敵なサプライズがあった。
 かつてたった一度だけ出現し、みんなの思い出の中だけに生きていたあの子が今日、カムバックしたのである。朝日ヶ丘まつり、高校生のふりをして一日だけ我がテニス部に体験入学した女子中学生。彼女が出現する時は、なぜか鴨田がこの世から消えるという謎多き少女。
 遡ること数日。根室とまつりちゃんの中の人との間でこんなやりとりがあったそうである。
「かもー♪そろそろ、バレンタインだよねぇー?」
「お、おう。え、何?」
 くれるの?って感じであろう。だが、バレンタインのチョコは普通サプライズで渡す物。あげるのに事前告知などするケースはあげて当然の恋仲同士くらいだ。
「実はねー、モテないあんたら男子のためにサプライズ企画を準備してんのよ。あの伝説の美少女、みんなの妹キャラ・朝日ヶ丘まつりちゃんが寂しい男子に200%義理だけどチョコをくれるというドキドキ企画!」
「……あんたらの中に俺が入ってないじゃん!渡す側だし!なんでバレンタインに男相手にチョコばらまかなきゃならないの!しかも男に顔を化粧されてだろ!?……まさかチョコ代まで俺持ちなんて事は……」
「だいじょーぶ、それはバッチリあたしら女子が折半で出すから!って言うかもうチョコ準備できちゃってるのよねー。あんたに今から断る権利はないからねー」
 そんなわけで、鴨田は今日、男子の部室に顔を出すことはなく、直接女子の部室に連行され、呼び出されて待ち構えていた連城によって化粧を施された。なお、そのためのブロックはパーティションによって隔離され、まだ着替えてないあるいは着替えの終わった女子が見張っていて着替えに何ら問題は無い。
 問題と言えば、このことで約2名男子の部室から消えてしまっていることだが、事前に話を聞いている実質仕掛け人の我々1年男子はもとより、2年男子もバレンタインで浮き足立っている。貰えるとは思っていないものの、それはそれで自分たちをさておいて飛び交うチョコを目の当たりにすることに耐えねばならない。そのせいもあって、二人くらい部員がいなくても気になどしないのである。
 もう一つ問題になるのは2年男子と共にまつりちゃんの正体を隠されていた1年女子の存在だが、こっちはあっさりと正体をバラすことでクリアした。今回のターゲットは2年の男子のみである。
 そして準備は整った。どこのかよくわからないが女子の制服を着せられてコートに引き出されるまつりちゃん。正体を知った上で改めてまつりちゃんを目にした1年男子も思わず見入ってしまう。正体を知っているからこそ、である。今日のまつりちゃんはまた一段とクオリティが高い。制服の魔力もあるのだろう。
「今日はねー、まつりちゃんがお世話になったおにーちゃん達に感謝のチョコを渡したいってー。本命じゃないから勘違いしちゃダメよー」
 とてもシャイな子という設定の、喋ると正体がばれるので喋れないまつりちゃんに代わり、細かい説明はプランナーの根室が行う。
 まつりちゃんはとても恥ずかしそうな、本命チョコを勇気を出して渡す時のような雰囲気でチョコを一人ずつ手渡していく。直視されると正体がバレかねないのであまり顔を相手に向けられないのである。かなり腰も引けているが、これは前にも増してがっちりと周りを女子がガードしている距離感のせいもあるだろう。可愛いまつりちゃんに男子共が狼藉を働かないように、そしてまつりちゃんが逃亡しないように。
 チョコを渡し終えると、まつりちゃんはそそくさと退散していった。本当にシャイな子である。
 しかし、まつりちゃんの出番はまだ終わりでは無かった。まつりちゃんにこの後の予定があることなど、俺はもちろんまつりちゃん自身も知らなかったのである。

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