Reincarnation story 『久遠の青春』

35.ワースト・コンタクト

 夕方になり、樹理亜は帰宅した。
 本人がいなくなったところで樹理亜も写る化粧ガールズの写真を恒星に見せることにする。今まで見せていなかった理由はシンプル。恒星にとって殆どが知らない人だからだ。樹理亜以外では正月に襲撃してきた留奈と面識があるくらい。留奈は恒星の中で“変な姉ちゃん”という身も蓋もない認識になっているようである。うん、でもその認識で合ってる。それと、今回紹介したい町橋、と。
「おおー。工業高校の女子の割に美人が揃ってるなー」
「全国の工業高校の女子に謝れ。つーか、工業ったってうちは服飾とかインテリアとか、おしゃれでフェミニンな科があるからな。そっちは女ばっかだぞ」
「そういやそんなこと言ってたっけな」
「で、これが今回紹介したいお姉さん」
 と町橋を指す。
「……さっきも思ったんだけどさ、ちょっと年上過ぎない?」
「化粧に騙されるなって。ここに写ってるのは全員高校生、しかも3年はいないぞ」
 年上に見えるのも、さらに言えば美人に見えるのもおおむね化粧のマジックと言える。特に町橋などは最初からオトナに見えるイメチェン化粧で衝撃を受けた印象が強く、写真の化粧を施した連城も完全にそれに引っ張られていた。
「親子だろ、これ……」
 写真を見渡しながら恒星はぼそっと呟いた。誰が親かは分からないが、誰が子かは分かる。親の方は無難に町橋だろうか。うーん、あの写真、誰がなかスッチーと並んでたっけなぁ。普通に留奈かなぁ。だとしたら、同級生と親子扱いされてさすがに可哀想だ。どっちもな。
「でもよ、これ化粧濃すぎて参考にならなくね?」
「いや、むしろ男の前に出るならこういう顔で出てくるはずだ。何せ、俺も先輩のすっぴん見た記憶ねえし。薄化粧なんか見る方がよっぽど参考にならねえ」
「マジかよ。つーか学校で化粧してていいの」
「よかねえけどよ。常時ナチュラルメイクで誰も素顔を見たことがないんだよ。俺もあれが化粧だって知ったのは夏休みくらいじゃなかったかな。女子から聞かなかったら今でもすっぴんだと思ってたんじゃね。俺たちが朝練やってる横で化粧しててさ」
「ん?でもそれなら兄貴らはすっぴん見てんじゃね?」
「甘え、バカップル並みに甘々だよ。俺らに見せてんのは下塗り済みの、後は仕上げだけって顔だ」
「なんかスゲーな。スパイかよ」
「むしろ彼氏になれば先輩のすっぴんを暴くスパイになれるかもよ」
「あー、もしかしてそれが目的か?」
「いいや、べつに。別段興味もないし、先輩ならシャワーを顔に掛けないスキル持ってそうだし、あるいはシャワー浴びた後脱衣所で手早くナチュラルメイクするかも」
「シャワーって。俺に何をさせる気だ」
 そりゃあナニだが。まあ、無理矢理させる気は無いんだ。
「いやさ、関係が深まれば自ずとそういうことになるだろ。させてくれるならそれも悪くないのではないか」
「俺ってもうそんな歳になってたのか」
 大人になんてなりたくない。そんな少年みたいなことを言うつもりなのか。とっちゃんぼうやになるつもりなのか。
「正直気は早いと思うけど、家康さんだって人の一生は重き荷を背負いて長き道を行くが如しって言ってたぜ。捨てられるものは捨てられるときに捨てといたほうが長い道程を歩む上で身軽であろう。ああもちろん今のは道程と童貞をかけた洒落な」
「なんか違うもの背負い込みそうだけど」
「あー、それは大丈夫だ。ケバくても普段はギャル化粧で男を牽制して遠ざけようとするくらいには乙女だ。病気は持ってない。多分」
「違う。そうじゃない。相手が乙女ならなお重い荷を背負わされるわ」
「相手が積極的に預けようとしているならずいぶん軽減されるがね。ちなみにそのギャル化粧状態がこれ」
 俺は普段の写真を見せた。別に撮りたくなる相手ではないので、他のものを撮った後ろに映り込んだようなよく見えない写真しかないが、充分だ。
「ああ、うん。ギャルだね」
「ギャルだろ」
 コメントしづらい顔だ。一時期流行ったヤマンバだの汚ギャルほどではないが、男受けを度外視した化粧。女同士でこういう化粧をカワイイカワイイ言い合うのは、男とデキてしまうのを避け、遠ざけようとしていると意思表明し合うことで抜け駆けも封じるためだと俺は思う。
 古代化粧は魔除けであったという。女にとって最大の魔である男を退け、なおかつそれにより嫉妬という同性からの魔をも断つ、ある意味正しい化粧なのであろう。そして、往々にして女同士ではない時などは男受けのする化粧をして密かに男を捕まえてたりするわけだ。町橋のように。真の魔は外から来るのではない。己の内より生まれ出ずるのだ。あの悪魔じみたギャル化粧はまさにその体現と言えるのではないか。小悪魔って言うのとはちょっと違うけど。デーモン閣下ほどでもないし。
「じゃあ、早速明日紹介しといてやる。もしかしたら早速家に連れてくることになるかも知れん。学校から帰ってきたら風呂に入っておけ」
「いやいやいやいや、乙女だって言ってる女子とそんなに急展開はないだろ」
「万が一だよ、万が一」
 で。翌日だが。あれほど言っておいたのに恒星は風呂も入らず帰ってきたままの姿だった。いつもならば“やる気あるのか、やりたくないのか”などと説教するところだが、今日の俺は寛大である。なぜなら。
「残念だったな、恒星よ。会いもせずにフラれたぞ。『うええ、まさか中学生連れてこようとするとはさ……』だってよ」
 年齢制限に引っかかったわけである。年下なら何でもいいというわけではなかったようだ。
「むしろ安心した」
「ってな訳で。再来月、改めて紹介するわ」
 その頃には恒星も立派に高校生である。
「そんなに変わんないだろ……」
 立場の違いというのは本人の自覚以上に大きな変化になるんだぞ。例えば誕生日が来たくらいで本人に変化なんざありゃあしないが、その日をまたいだだけで免許が取れるようになったり投票できるようになったり、結婚や酒やフーゾクが堂々とやれたりするんだ。
 肩書きが中学生から高校生になんかなったらとんでもないぞ。何せ、義務教育が終わるんだぜ。教育される立場から、教育されてやる立場になる。自分の意思で教育の続行を選び取ったと言うこと、中学を出た時点で何者にも縛られず、自分の行動を決める権利があるのだよ。親に従って進路を決めたり周りに流されてなんとなくって奴もいるだろうが、それはそれで親や世間に従う選択をしたって事だ。
 まあ、今回の場合は単純に学年を無視すれば高校生同士という対等の立場に立つと言う事だ。俺から見ればガキ同士の恋愛ごっことはいえ高校生が中学生に手を出すのはまずい感じがするかも知れないが、高校生が高校生に手を出したところで普通でしかない。それに、年齢と共に年齢の差のウェイトは小さくなるものだ。25歳が10歳に手を出せばおまわりさんこいつですなのはもちろんさらに加えてドン引きだろうが、65歳が50歳に手を出したところで何とも思わないだろう。まあ、そういう事である。
 とりあえず、お互いが高校生同士で居られるのは来年度の1年間だけだ。このチャンスを逃すわけには行くまい。もしも関係が中続きしたら大学生が高校生に手を出すまずい状況が発生することになるが、そういう現実からは目を逸らしておこう。
 なお、その結果についてだが。俺がすっかり忘れていたというオチであることを今のうちに記しておく。チャンスは逃すどころか見逃した訳だな。

 会いもせずに恒星がフラれたその次の日曜日。俺は某所にて女と待ち合わせをしていた。その相手は樹理亜ではない。もちろん留奈の訳も無い。
「りゅーちゃん、待ったぁ?」
 字面だけ見ると甘ったるそうな、実際には気の抜けるような間延びした喋り方で声をかけてきたのは、美人メイクモードの町橋だ。こうして見ると、やっぱり顔の素材はいいのだろう。魔除けのギャルメイクがないと悪い物を引きつけるのも解る。って言うか、声かけられなかったら誰だか判らない。
「うわー、先輩、随分気合い入ってません?」
 そしてそんな気合いの入った町橋と、デートというわけではないのは俺の隣でそう言った樹理亜を見れば明らかだろう。
「あったりまえだじぇー。こちとら必死なんだよぉー」
 必死さの欠片も感じられない気合いの抜けまくった喋りからはそう思えないが。
「あそだ。さっきさぁ、駅でナガミーちゃん見かけたよぉ。多分、隣にあき君いたと思う」
 聞いたことあるような気がするけど誰だっけ、あき君。うーん、えーとえーとえーとえーとえーとえーとえーとえーとあっそうだ三沢だ。ナガミーで関連付けて真っ先に思い出さないといけない名前だが、あき君とか言うから混乱した。アッキーの顔ばかり浮かぶし。
「わー。デートですかねー」
「そーゆーじゅりりんもついてきてるって事はこれからデートみたいなもんだろー」
 そんな呼び方されてたのか樹理亜。
「じゅりりん……?」
 いや、きょとんとしてるしこう呼ばれたのは初めてだったようだが。
「んー。まあ、そんな感じですかねー」
 まあ、樹理亜の場合はそんないい物ではなく、毎週末恒例のプチ家出みたいな物だ。いつも通り俺の家にエスケープしていた樹理亜が出かけた俺についてきたに過ぎない。もちろん、そんな込み入った事情をわざわざ話す必要もないのでデートと言うことにしてごまかしているわけである。
「いいなぢぐじょー」
 町橋はここに登場して以来の一挙手一投足が悉く見た目のエレガントさと釣り合っていない。なんて残念な美女だ。まあ、素顔であれば釣り合い取れるんだからむしろ盛り過ぎの見た目の方こそ改めた方がいいのかも知れないが。
 で、そんな盛りまくった見た目で何をするのかというと、町橋の写真を──まあ写メだが──撮るわけである。
 男を紹介してよとの頼みに手っ取り早く紹介した恒星はあっさりと年齢宣言に引っかかり、普通に俺のクラス辺りから適当にチョイスして紹介することになったのだが、それに際して手頃な写真がない。例のポスター写真はみんな写っているから目移りしそうだし、町橋のところだけ切り抜くと小さい。少人数で町橋が写っている写真を俺はもらってないし、テニス女子部室というロケーションもいまいち冴えない。
 何よりも、そんな盛り過ぎ写真で男を釣っても現物で萎えて詐欺扱いになるのは目に見えている。特に欲しかったのは日頃のギャルとかナチュラルメイクの写真だ。町橋に頼んで学校でナチュラルメイクを一枚、通学電車が同じである三沢の協力を得て──俺がわざわざ出向くのをパスしたとも言う──ギャルメイクを一枚ゲットしたのだが、交換条件として盛りメイクの写真もちゃんとしたのを使えと一枚撮らされることになったのである。
 いつも登校時に降りる駅の前で待ち合わせて、近くの公園まで移動する。
「町橋先輩って、年下の男の子が好きなんですか?」
 樹理亜を連れてきてよかったと思う。煩わしい町橋との雑談を進んでこなしてくれてるし。
「んー、別にぃ。歳が近くて格好良くていい人ならいいよ。ま、そのいい人ってのが難しいんだけどさ」
「じゃあ、流星のことは安心してて大丈夫ですねー」
 どの点をもってして安心すなわち格好良くていい人だという程度の条件を満たしていないと判断したのか。
「だねー。そだねー」
 理由はわからないがやっぱり満たしていなかったようだ。
「何を失礼な……」
 まあ、どの点に於いても否定はせんがな。
「年下だとさー、ちょっと安心かなーってさ。あんまりエッチくないって言うか、我慢するって言うか、勇気ないって言うか」
「えー。流星とかそうでもないですけど」
「俺が何かしたか?そういう事は処女じゃなくなってから言えや。それと、年上でも我慢しないで行動に移しちゃうのは犯罪っす」
 なんか結局煩わしい雑談に巻き込まれている気がする。しかもかなり煩わしい話題に。
「いやいやいやそうじゃなくってさー。犯罪にならないレベルで行動起こすってことだよ、チューしたいとか言ったりすぐ体触ろうとしたり、『いいだろ?』とか言いまくって押し負けてーみたいな?何もしなくてもヤりたいの態度に出まくってたりとかさー、ってこんな事言わすなよー恥ずかしい」
 言わせてねえ。そっちが勝手に言っただけだ。お天道様の下でする話じゃねえし。いや、夜にされても困るけど。夜に話してるシチュエーションが既にヤバいのにこの内容は流石に。
 でもまあ、中坊とか男同士じゃエロいこと言いまくっても女には意識しまくって近付く勇気さえないってのざらだしな。実際、裸で迫られて逃げ出した男の話も聞いたし。そいつのせいで俺の所に何か来てるんだからな。
 つーか、その大人チックな外見(所作は除く)でこういう話してると、とても乙女だとは思えん。男数人を手玉に取ってきた経験から出た言葉に聞こえるぞ。でもまあ、俺の前でこういう話をしちゃうって言うのは俺が男として見られてない証左だと思うが。そういう点でも手出しされることはなさそうだな。

 公園に着き、適当なベンチで写真を撮ることにする。今日はほんのり曇っており、うすら糞寒いが写真を撮るには光線も強すぎず陰影を気にしなくていいのでいい感じである。
「はい、チーズ。カマンベール!」
 チーズのチーのところで一枚、カマンベールのルで一枚撮る。チーズのチーのところだといい笑顔になるのはあまりにもおなじみだ。そしてカマンベールのルで撮ると唇をつき出したエロい表情になるのである。まあ、チーズのズで撮っても似たような写真になると思われるが、連写が必要になり技術を要するので分けるに限る。
 さあ。俺の用事は終わりである。帰ろう。
「いやいやいやいや。どうなったか確認させろー」
 ケータイを持つ腕をかなりの力で掴まれた。まあ、そのくらいならいい。俺としてはどうでもいいが、一応俺も見ておく。
「ぐあー、なんだこれー。これやめてー、消しといてー」
 カマンベールの写真が、かなり悩ましい代物に仕上がっていた。カマンベールの意図については撮影前にレクチャー済みで、町橋もノリノリで婀娜っぽいポーズを作ったものである。まさにヘイ・カマンって感じだ。
「えー、グラビアみたいな感じでいいじゃないっすかー。男とかイチコロっすよ」
 どうやらいいおもちゃを手に入れたようだ。しばらく遊ばせてもらおう。
「あんまりイチコロでも困るぅー。ちゅーかこれ、選ばれた男にしか見せたくない顔だぁ〜」
「それじゃあその選ばれた男のために大事に取っておきましょうや」
「だとしてもりゅーちゃんが持ってちゃだめぇえ」
「うーん、もったいねえ。ま、しょうがないか……。選ばれてない男ととして、こいつは処分しときます」
 俺はケータイを操作した。その時、町橋の後ろに立つ樹理亜のケータイがピロンと鳴る。樹理亜は何かを察したようで、すぐさま確認したりはしない。そして、町橋も何かを察したようである。
「ほら、消しましたよ」
 ピクチャアルバムを町橋に見せたがこっちを見もしなかった。
「ぅあー。送ったなぁー」
 まあ、分かるか。女同士で持っている分には良かろうと思ってな。
 と言うわけで、町橋のターゲットは樹理亜に擦りつけられた。そして樹理亜のスルーパス。
「まあ、私みたいな付き合いの浅い人間が持ってるのも何ですし、先輩ともう少し親しい根室先輩にパスしておきましょうね」
「ギャー。ぱんでみっくぅー」
 うわあひでえ。樹理亜はもちろん、町橋の言い草も。まあ、根室ならパンデミックさながらに1分後くらいには全テニス女子部員に写真を行き渡らせてしまうだろうな。
「冗談ですけど」
 樹理亜はそれを行動に移してしまうほど血も涙もない鬼ではなかった。口だけで脅しをかけて反応を楽しむ程度の鬼である。
「うへえ。りゅーちゃん、じゅりりんってこんな子だったのぉ?なんかりゅーちゃんに似てきてね?」
「こんな子です」
 どこが俺に似ているのかは分からない。まあ、口に出した時点で大した鬼ではない。真の鬼畜は不言実行である。
「あと、今更ですけどりゅーちゃんはやめれ」
 だが、俺の魂の叫びは。
「ところで町橋先輩。私のクラスからも誰か紹介した方がいいですか?」
「えっマジで。いい子いる?なんか二次元しか愛せない奴らってイメージなんだけど」
「そんなの半分くらいですよー。でもそれ以外でも大人しい人が多いし、先輩のニーズにはぴったりかと」
 さりげない話題の転換で掻き消された。って言うか、半分は二次元しか愛せない連中なのか。ならば樹理亜も半分は安心だね!……いや待て、確かあいつら樹理亜を二次元化してなかったか……。
 それはそうと、樹理亜のところに送った写真についてはさりげなく有耶無耶にされたようだ。根室に送るという最悪のシナリオを止めたことで安心し、樹理亜がまだその写真を抱え込んでいる事実が霞んだのである。ホント、悪い子に育ったもんである。間違いなく直之のせいである。ちなみに、樹理亜が画像を消したところで同じメールが恒星のところにも飛んでたりするんだけどな。俺もこんなだが、樹理亜が悪い子に育ったのは直之のせいである。
 写真の件はこれで完全に完了である。そしてその後小一時間、樹理亜と町橋はガールズトークを繰り広げた。それにつき合わされながら、樹理亜を連れてきたのは失敗だったかもと思った。

 さっと用事を済ませてさっと退散するはずが、結構な時間話し込むのにつき合わされた。ようやく開放されたのは昼前だ。
「町橋先輩ってなんか近付きがたいイメージあったけど、面白い人だね」
 まあ、日頃は魔除けのメイクをしてるからな。近寄りがたいと感じるのであれば樹理亜が魔性の女なんだろう。
 日頃はそうやって近寄りがたいと思い思われているだけにほとんど接点のない二人にとって、貴重な共通の話題は町橋が駅で見かけたという三沢とナガミーの話題。話の内容の結構な割合がその話だった。生憎、今日乗る電車の方向は違ったので同じ電車に乗ることは出来なかったが、発車までホームで二人のやりとりに聞き耳を立てていたそうだ。町橋が三沢のことをあきちゃん呼ばわりしていたのも、ナガミーが明弘くんと呼んでいた影響なのだとか。
 あとで、町橋が近くで見ていたことを教えて三沢を怖がらせてやろう。
「で、樹理亜はナガミーにデートのことを問い詰めたりするのか?」
 俺はあんまり興味ないからそう言う話は別にしないで良いのだが。
「何も問い詰めなくても、どうせメール来るでしょ」
「ノロケメールか!」
「うん」
 そう言えば樹理亜はナガミーからちょくちょくノロケメールをもらうのだった。
「樹理亜も大変だな……」
「え?何が?」
 気丈に耐えているのか?それともノロケメールが苦じゃないのか?どちらにしてもなんかすげえ。俺には真似できない。
 そして更に。
「ねー、流星。私らもせっかくデートなんだしさ、手くらい繋ごうよ。どうせ手袋してるんだしー」
 そのノロケメールに影響されたのか、男に貪欲な町橋の方に影響されたのか、正月に留奈が俺の家にまで出没したことで危機感を持ちだしたのか、いっそその全部か、そんなことを言い出す樹理亜。今日に限らず、樹理亜が前にも増して積極的になってきているのだった。
 俺もあの初々しさ溢れかえって飛び散りまくる三沢・ナガミーカップルじゃあるまいし、手を繋いで歩くくらいはどうって事ない。いっそのこと恋人繋ぎにでもしてやろうかと思ったが、生憎樹理亜の手袋はミトンだ。って言うか、手袋していて直に肌が触れ合わないから手を繋ぐ気になったのかも。布越しなら大胆になれるみたいだし。あ、積極的な理由の一つに身に着けている布の面積ってのもあるかもな。
「どこ行こっか」
「んー。折角だしこの辺で何かあるといいんだけど、学校の近くって、良く来る割には近くの遊び場とか知らねぇよな。ま、そもそも学校の側にあんまり遊ぶ場所作らないだろうけどさ」
 ここは風営法がどうのこうのという程学校に近い場所ではない。それに学校の周辺だって人が生活する場所、そこで生きる人々にだって楽しみは必要である。駅前周辺ならばそれなりに娯楽施設なんかもあるんだが、部活終わりの学校帰りじゃ寄る時間も無いし、時間があっても遊ぶ気力や金がない。寄り道などせずにとっとと帰ることだけを考えて歩いているので、周りなど見ていないのだ。
 とりあえず、ファミレスとかファストフードならいくつか思い当たるが、突発とは言えデートと言うことになっているのだ。もう少しマシなところに行くべきだろう。でなければ、デート前の食事扱いにされて更にどこか行くことを要求されるに決まっている。
「園芸部が借りてる畑のそばにお洒落なカフェがあるのー」
 樹理亜に心当たりがないか尋ねてみたら、答えが返ってきた。
「畑の側にお洒落なカフェを作って何がしたいんだ、そこのマスターは」
 俺のイマジネーションは収穫の秋に飛んだ。黄金色に色付く田園の真ん中にぽつんとたたずむお洒落なカフェ……。
 だが、案内されてみればそんなシュールな代物ではなかった。中心街の喧噪から離れてはいるが普通に町中にあるカフェであり、畑とやらはカフェのある通りを暫く真っ直ぐ進んだ橋を渡った先にあるそうだ。駅から少し行ったところにある学校の、更にその先。俺はまず行かない方向であり、畑の辺りまで行くと駅からの距離はあるのでぼちぼち町外れと言ったところ。
 ここに来るまでにたっぷりと歩かされたがな。この距離を芋やら大根やら運んでくるのか……。そりゃあ足腰鍛えられるわ園芸部。
「せっかくここまで来たんだ、畑も見せろよ」
「いいけど。今の季節はあんまりお花ないよ。パンジーもアネモネも花壇に持ってきちゃったし、水仙も菜の花もまだ咲いてないし」
「別に花や作物が見たいんじゃないぞ。どんな畑なのか興味があるだけだし」
 樹理亜によれば農家の休耕地を貸してもらっているとのことで、大きな畑の隅っこに柵が設けられ、その中に数列花やその苗などが並んでいた。家庭菜園程度の規模であり、手を繋いで眺めに来るには寂しい風景である。
「この畑であの芋も獲れたのか?」
「違うよ。あれは別な畑で育てたのを貰ってきてるの。植え付けとか草取りとか、肥料蒔きとか収穫とかを手伝ったお礼」
「お前ら、小作人として使われてないか」
「それは言わない約束になってるんだよ」
 自覚はあったようである。
 のどかさに拍車の掛かる一帯を指さして芋や大根をくれる農家の場所を教えて貰ったが、そこを見に行くのは丁重にパスしてカフェに戻った。
 カフェに入り、店内を見渡す。そうか、これがお洒落なのか。これが理解できれば俺もオシャピーの仲間入りか。分かるような、分からないようである。俺の感想としては普通に小綺麗な店と言ったところだ。
 お洒落と言われるだけあって、店には若い女のグループやカップルが見受けられる。中には一人寂しく茶をすする女も……って待て、あの顔見覚えある。って言うかさっきまで見てた。
 見覚えある町橋はこちらを見てビクッとし、目を逸らした。悪事を見とがめられたようなリアクションである。いかんなぁ、悪いお嬢ちゃんにはおしおきちゃうぞぐへへ。
 お仕置きは話しかけるだけで充分であろう。
「こんな所で遭うとは奇遇ですなー。誰かと待ち合わせですかい」
「バカ、うっせ!寄んじゃねー、正体バレんだろ!」
 どうやら潜伏中であるらしい。と言うことは、正体を隠さねばならない相手が居ると言うことか。何それそっちの方が面白そう。
 俺は町橋の後ろの席で町橋とドラセナを挟んで背中合わせに座った。そして、顔を合わせず小声で会話をする。相手は正体を隠しているし、スパイっぽい。
「で、誰がいるんです。俺の知ってる人ですか」
「ん。隅の席の、女」
 言われて隅の席に目をやると、男もいるが確かに女がいた。この店に俺たちを含めて4組になったカップルのうち一組。この角度から見ると横顔が見える。かなり見覚えある女であった。
「お。よねまよが男とデートしてる!相手は誰っすか?」
「知るかよ。でも、どっかで見た事ね?」
「……あ。そう言えばどこかで……」
 見覚えはある気がするんだが、どこで会ったのかは思い出せない。うちの学校の教師ならもう少しはっきり顔を覚えているはずだ。
「電車乗って帰ろうとしたらさ、駅でまよちゃん見かけてさ。みょーにおめかししてるから何かあるなーってこっそりついてったらさっきの公園で男と待ち合わせててさ。で、この店に」
 俺たちが畑を見ている間にそんなことがあったのか。待ち合わせで鉢合わせるのは回避したようだが、そこで幸運を使い果たしたらしくその後はスパイにつけられるわ俺とまで遭遇するわで散々である。いや、俺と遭遇したのはむしろ幸運だったのではなかろうか。正体不明の町橋のみが店にいても、よねまよとしては見られたことを知らないままだ。いつの間にか益体のないうわさを立てられてしまったに違いない。だが……。
 よねまよが男とともに席を立った。手を繋いだりするほどの親密さではないようだ。よねまよがこちらを見たので、スマイルを投げかけた。よねまよの表情が凍り付く。
「流星、悪魔みたいな顔してる……」
 いまいち出来の悪い笑顔だったようである。そういう樹理亜も呆れ気味の苦笑いだ。
「なっ。なんで吉田君っ」
 何でここに俺がいるのかを聞きたかったのだろうが、なぜ俺なのかを聞いてしまっている。喜べ、これで自覚もなくデートのことがばらされることはないぞ。ばらされても自覚があるから覚悟もできるだろ。
「たまには学校の近くでデートってのも乙なもんだと思いましてな。……まあ、冬休み前には学校でダブルデートなんてこともあったんすけど。で、そちらさんもデートで?」
 一度引っ込めた悪魔の微笑みがまた顔を出してきた。今声をたてて笑ったらくひひひひとかきしししししとか言う声になりそうだ。
「あのっ、ちがっ。しご。仕事の話なのっ」
 この狼狽えぶりからして本当にただの仕事仲間ではあるまい。なるほど、仕事のお付き合いが男女のお付き合いに発展しつつある感じか。
「君は確か、うちの橋島や坂巻と試合をした人だったね」
「まったく身に覚えがありませんが。人違いではないでしょうか」
 マジで誰。
「ちょ。ほら、高商のテニス部員よ」
 よねまよがにじり寄り小声で囁いてきた。
「あ。ああ!」
 それが誰かは相変わらずまったく思い出せん。だが、高商のテニス部員と試合した記憶はある。それより一応デート中なんだし、一応女のよねまよと至近距離で話すのはいかがなものかとは思う。樹理亜が案の定不機嫌な顔になってるし。
「あの変態かー……」
 どうやら不機嫌な顔ではなく嫌なことを思い出した顔だったらしい。そう言えば、そんなこともあったっけ。なんかうっすら思い出してきたぞ。顔はさっぱりだが、ナガミーのアイコラに一枚噛んでたやつだっけ。えーと、どっちか一人は無関係だったと思うが、まあいいやどうでも。
「ん?うちの生徒に何かされましたか」
 樹理亜に向けたこの一言でなんとなくそうかと思っていたこの男の正体も大体掴めてきたな。高商の先生で、テニス部の顧問か。
「男なら誰しも持つ変態的な趣味がバレて詰られたり弄られたりしたみたいですが過去の話です。って言うか、高商のテニス部の顧問さんっすよね?」
 あの件に関しては、こちらも犯罪まがいの方法で追い詰めたりしているので深追いしないようにごまかしておいた。よねまよは知らないだろうし、被害者が被害に気付かないうちに手を打てたんだから蒸し返すことはない。それより、今のことだ。
「ええ、そうです。米村先生とはまた親善試合ができればいいと思ってプランを詰めてるんですよ」
 電話やメールで済みそうな話題である。それをこうしてわざわざ雰囲気のあるお店で話しているのだから、そんなビジネスの話は逢う口実なのだろう。
「そうでしたか。まあとにかく、うちのよねまよをよろしくお願いしますよ」
 眉間によねまよのチョップが入った。とんだ暴力教師である。そして、暴力を受ける俺は満面の笑みであった。もちろん、悪魔的な。
 二人はいそいそと店を出て行った。そのおかげで町橋の方など見向きもしない。
「よねまよかわいそー」
 見逃された町橋は、慈悲をかける余裕すら見せるのだった。
「いや、これでもうバレるのを恐れてビクつくことはなくなるからいいんじゃないっすかね。開き直って堂々と交際すればいいんすよ」
「うー。でも、夏に顧問が変わったしさー。またあんなことになったらなんかやだなー。よねまよ、いい子だし」
 先生を子ども扱いかよ。まあ、今の見た目ならタメに見えるが。
「夏の合宿は、合宿を口実に不倫相手と密会してたのが良くなかったんでしょ。あの男が妻子持ちとかじゃなければ何ら問題ないっす」
「そっかー。ううー、しかしそうなると、妻子持ちとかだったら困るねー……。調べておいた方がいいかなぁ……」
 なんにせよ、気が早い話だと思う。そして俺はどうでもいいや。そっちで好きにやってくれ。
「じゃ、りゅーちゃん。デートの邪魔したくないし、毒気にも当てられたくないし。あたしも帰るわ」
「はーい、お気をつけてー」
 と言うわけで、普通のデート再開である。
「流星もさー。なんだかんだ言いながら順調に恋愛マスターの仕事してるよねー」
 このオシャレなカフェで、この真冬に、ロコモコなどと言うトロピカルで庶民的なメニューをつつきながら樹理亜が言った。お前、ただ単にロコモコって言いたかっただけと違うか。
「あー、なんかそうなっちゃうんかねー。まあ、話に乗っちゃう俺も悪いけど、持ってくる奴がいるからさ、ついよつい」
 そういう俺もカオマンガイとか言うどこかで聞いたことはあるけどなんだかよくわからない料理を頼んでみたりしている。まあ、メニューに写真がついていたのでどんな料理かはうっすらと分かっていたが、添えられている汁物がトムヤムクンであるあたり、タイ料理だったか。しかしこの店、おしゃれなカフェとは言うがこの統一感の無さ……何屋なんだ。太平洋料理?
「俺も他人のことを構ってる場合じゃねーんだよなぁ。結局1年間留奈を振り切れてないし。俺としてはとっとと留奈にいいお相手を擦り付けてやらないと恋愛マスターを名乗る資格なんてないと思うんよ」
「それはホントそう。頑張ってよ、流星」
「しかし、なんで俺が頑張んなきゃならんのかってなぁ……。つーか、擦り付けようとした部員たちはみんなほかの女とくっついちまったし。なあ樹理亜よ。町橋に紹介する男がいるなら、俺にも紹介してくれまいか」
「アッキーがBLと勘違いしそうだけど。いいの?」
「俺は別に構わん。……いや」
 BLと勘違いしたアッキーから根室に話が行き、そこからさらに話を聞いた留奈がその男を恋敵と認識して敵意を燃やす展開が想起された。まさかとは思うが、皆無だと言い切れはしない。
「あの。男同士なんだし普通に友情ってことにならない?」
「普通はなるけど。普通じゃないんだし」
「アッキーもまあ普通じゃないが、留奈も大概だからな……」
「そもそもさ。小西さんが目移りするほどの逸材はうちのクラスにはいないと思う。いたらまず私が乗り換えるわ」
「それはよせ。……まあそうかー。流石、1年どうにもできなかっただけあって難題だぁ〜……」
 腹も重くなったが気分も重くなった。
「それよりさ。デートの時まで小西さんの話しないで」
 雰囲気まで重くなるのだった。

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