Reincarnation story 『久遠の青春』

34.倒錯まつり

「ええと。今日一日体験入部する朝日ヶ丘まつりちゃんよ」
 コートで練習中の2年男子ならびに1年女子にそう紹介されたのは紹介通り朝日ヶ丘まつりちゃん……ではない。化粧で女に化けた鴨田である。なお、朝日ヶ丘まつりと言う名前は、根室に「エロゲーで言えば誰に似てる?」と聞かれて鴨田が挙げた名前そのままである。
 そのキャラの登場するエロゲーはあまりお勧めできる要素の無い駄ゲーであり知名度もそれ相応、そうでなくてもこいつら普通はエロゲーなんかやってはいけない歳だ。鴨田自身もエロゲーは大学生の兄貴からのお下がり、そして他の男子はその鴨田からお裾分け的にやらしてもらってる。そんな貴重なエロゲーの機会を駄ゲーに費やすことはない。そんな経緯もあって男子も誰もその名前にピンと来ていないようで幸いだ。
 名前も性別も変えればそれを鴨田だと思う奴は居るまいが、さらに学年まで違えばバレないだろうと念を入れて鴨田は1年のジャージを着せられている。勿論メガネはバレる元になりそうなので外され、日頃はモテない系男子らしくぼさぼさの頭はきれいに整えられた。鴨田要素は身長くらいしかない。
 いくら甲高い声でもさすがに声を出せばバレる。根室から紹介を受けた鴨田もそれを分かっているので無言でお辞儀だけだ。なるべく顔を見られまいとずっと俯き気味であるため、自然に内気な雰囲気を醸している。そんないかにもシャイそうな“女の子”に容赦なく獣の視線を浴びせる2年男子たち。鴨田の腰はさらに引けるのである。
 そんな可哀想なまつりちゃんを、同じ女子として守ってやろうと一年女子が取り囲む。そう言えばこいつらもまつりちゃんの正体を知らない。女子の反応もそれぞれだ。可愛い女子の登場に敵意を剥きだす者、新しいお友達の登場に仲良くなろうと試みる者。前者の急先鋒がなっちゃんズで後者のそれがなかスッチー。
 なっちゃんズはただでさえ年末からの緊急男争奪戦に揃って出遅れている所にライバルが増えたわけで、しかも一目で到底勝てそうにないと思えるのだからピリピリするのも止む無しだ。
 幼く見えがちなまつりちゃんはロリキャラとして頭角を現しつつあるなかスッチーにとっても強敵に変わりないが、強敵と書いてともと読む認識であり、妹系キャラ連合を結成しようと目論んでいるようだ。それに付き合わされて留奈もまつりちゃんに話しかける。
「朝日ヶ丘さんって、何科なの?」
 ひとまずお互いの事を知るところから始めるという点では至極真っ当でさりげない質問である。だが、この場合いきなり核心でもあった。
「え。あう。えと。じょ……繊維科」
 やむを得ず発声したが、緊張でただでさえか細い声がいい感じに裏返り、鴨田の声には聞こえない。今、情報と言いかけたが、情報科の1年は人数が少ない所に来て一人は俺と一緒にここにもよく顔を出す樹里亜、もう一人も樹里亜と一緒だったり根室と仲良かったりでこのあたりでもよく見かけるアッキーだ。他の女子がいたなど言ったらすぐにバレる。その事には情報科の生徒としてすぐに思い当たったようで発言に至る前に修正が行われた。
 とは言え女子の半分くらいは繊維工業科である。当然、我がテニス部もその通りの平均的な配分となっている。残りの半分がデザイン科で、2年生に奇跡のような確率で情報科が一人いる。まつりちゃんを挟み込んでいる二人もまた繊維科であり、思案を巡らせ始める。
「うわー、おんなじー。んー?でも、居たかなぁ」
「あたし、知らないよ」
 まつりちゃん大ピンチである。
「まあ、どこかのクラスなんでしょ」
「だよね」
 まつりちゃんピンチ脱出である。女子の半分くらいは繊維工業科である。同じ科であろうと隣接すらしてない他のクラスにいる目立たない子まで全て把握している奴はそうそう居ない。
 そして一難去ってまた一難。次の難はさらに難物である。目を輝かせながら近寄ってきたのは裕子であった。
「はじめまして、まつりちゃん」
「ひ。ひゃじめまして」
 まつりちゃんの中の人は鴨田であるので、はじめましてではない。もちろん裕子が自分をどんな目で見ているかもわかっている。スケベな男に見られているような反応をした。実際、性の対象としてスケベな男に見られているようなものである。そして、それを見た舞はジェラシーに駆られたようだ。裕子のいる反対側に牽制がてら立つ。
「仲良くしましょうね」
 鴨田は舞の事も知ってはいるので自分をどんな目で見ているかもわかっている。ただ、好きなのが女だけじゃないというのは俺と連城とあとはおまけで樹里亜しか知らない。まつりちゃんの正体が男だと知れれば裕子の興味は削がれるだろう。だが舞の場合逆に食いつきがよくなる可能性がある。
 ちなみに。“可能性”と言う言葉は期待を込めた語感から概ね起こることが良い兆候になる事象に対してよく使う言葉である。ろくなことにならない場合には“恐れ”を使う事が多い。ではこの場合どうだろうか。鴨田が舞に狙われて、俺に不利益はあるだろうか。否である。むしろ傍から見ていて面白いだろうから十分に可能性と言う言葉を使うに値する。ならば鴨田にとってはどうだろうか。目立たず静かにやり過ごしたいという今日一日の目的にはそぐわないのでろくでもないことだが、グローバルな目で見れば女子に興味を持ってもらうという人生の命題に一歩近付けるのだから悪いことではなかろう。特に舞は女でも男でもいける口。女に化けられることが証明された鴨田はさらに深い興味を持ってもらえるかもしれない。これはいいことだから可能性と言って差し支えあるまい。そうだろ、なあ?
 しかしあまりちょっかいを出されると流石にバレる。
「はいはい、おしゃべりしてないで練習練習ー」
 根室に促されて練習が始まり、まつりちゃん、すなわち鴨田から女子が引き離された。まつりの腕は入部したてのなかスッチーよりはうまいと言う感じだ。いつもの鴨田ならもう少しうまいはずだが、女になりきっていなければならないので内股気味で、少しやり辛いのだろう。まあ、内股の理由はそれだけじゃなく、女子に体臭や体温を感じるレベルの至近距離にまで寄られたからと言うことも考えられるがな。
 やがて2年男子が指導と言う名目で接近を図りだすと、まつりちゃんの動きもよくなってきた。恐らく、しぼんだのだろう。相手が男であることに加え、恐怖心からでも。
 2年の男子たちも超警戒モードのまつりちゃんにあまりちょっかいを出して嫌われては困るので距離感をもって接している。あまりガン見していると泣きそうな目を向けられるのだ。じっくり見ることもできやしない。桐生だけはそんなことお構いなしだが、まあこいつは何も気付かん。それは鴨田も分かっており、桐生といる時は少し警戒を緩めている。イケメンは得だよな、と言う目で桐生を見る2年の男子達。だが、イケメンだからじゃないんだよな。
 そんな男子側の事情に加え、首謀者たるよねまよと2年女子らも皆を騙してやろうという意識がある。バレたくない鴨田と利害は一致し、見事なチームプレイでまつりちゃんに近寄る正体を知らない連中を遠ざけた。
 だがしかし。鉄壁の防御を実現するには防御対象との距離を詰めなければならない。まつりちゃんを正体バレから守ろうと頑張りすぎた女たちは一つのミスをやらかしたのだ。
 女同士であれば、距離の近さにさほど抵抗を抱くことは無い。だが男だとそうはいかない。仲の良い男同士でも距離が近過ぎると気持ち悪いと思う。お付き合いしているわけでもない女とはさらに抵抗感が生まれる。嫌ではないが、だからこそである。
 そして、まつりちゃんのガードに集中しすぎ、なおかつその正体が男であることを忘れたかあるいは気にしなさ過ぎた女たちは、その鴨田という男としての絶対領域を侵犯し過ぎたのである。鴨田と言う男には滅多に近寄ってこない距離で躍動する女子たちに、気が付けばまつりちゃんはまた内股で腰を引いた体勢になっている。
 そして、ついに限界が来た。限界と言っても精神的なものであり、同じく精で始まる何やらがどうなったとかそういう事ではないのでその点は安心して欲しい。まあ、あのまま我慢してたらそっちの我慢ができなくなってたとは思う。
 動けなくなってしまったことに気付いた2年の女子達に、緊張し過ぎで体調悪いみたいでーすという名目で撤退させられたまつりちゃんは、化粧を落としジャージも連城に返し、そのまま本当に帰ってしまったようだ。つまりは鴨田が帰ってしまったと言うことだが、部活動開始前にちょっとだけ顔を出した鴨田が居なくなったことを気にする者など誰も居なかった。そして、まつりちゃんがいなくなろうともよねまよがいつも以上に綺麗になっていることを気にする者もまた誰も居なかったのである。

 まつりちゃんとは何だったのか。
 たった一日だけテニス部に顔を出し、早々に退散して二度と現れることの無かった謎の少女。その正体は明らかにされることはなかった。その代わりに“根室の後輩で来年ここに入るかもしれないから下見”と言うそれっぽい説明をでっち上げてお茶を濁したようだ。
 もちろん、春になってもまつりちゃんが入学してくることは無い。まあ、テニス部に現れるかどうかは別問題だ。鴨田と言う素体と連城の技術があればいつでも生み出せるんだからな。全ては二年女子様の御意のままである。
 なお、後日聞いた話によると朝日ヶ丘まつりが登場するエロゲーは『虹色キャンパス潜入日記』と言うもので、とある女子大に女装して潜入した主人公が、大学に起こっている出来事の謎を突き止めようとする傍ら友達になった女子を手込めにしたり、男だとバレて手込めにされたり、男の教授に女装がバレないように女のふりをしながらヤられたり、異世界から来たエルフ少女やケモノ少女を手込めにしたり、謎の触手モンスターに絡みつかれるヒロインを為す術なく見守ったりする、幅広い需要に応えすぎて何をしたいのか分からなくなっているラブコメエロゲーだ。そして、ずっとそんなはちゃめちゃなコメディ路線で来たのに最後だけ泣きを狙いに行っているのだが、ここまでに積み上げてきたシュールすぎる世界観のせいで感動どころではないそうだ。
 で、朝日ヶ丘まつりちゃんはそんなゲームの中に放り込まれたにしては比較的普通のメガネっ娘キャラであり、飛び級で10歳で大学に入学した天才ながら話を聞いてみるとそれは10年前の話であり留年を続けて今は20歳、しかしながら見た目は10歳で止まっているので初対面の相手にはローティーンのふりをしているというキャラである。
 飛び級の天才が10留とか見た目10代前半の20歳とか……まあ後半のは全く居ないとは言い難い、むしろ探せば結構居そうとは言え、普通の女の子という感じではない設定だが、それでも人間である時点でこのゲームの中では普通と言えるのだ。そんな割と普通の女の子だけに登場してコマされるのは序盤であり、10代前半だから手を出しちゃダメだと思っていた主人公は実年齢を知るやいなや手を出してしまうのである。酷い主人公だ。
 なお、鴨田の方のまつりちゃんはバレるのでメガネは外していたが、そのような外見的な部分だけでなく性格の方も大違いで、本物はもっと元気で積極的でリーダーシップ溢れる優等生キャラだそうだ。根室先輩みたいっすね、と素直な感想を述べたら大変困ったような顔をしていた。認めたくはないが否定は出来ないようである。苦し紛れのように「見た目は全然違うんだからな」と言ったが、「そッスね。先輩似でしょ」と言うと精神的ダメージで沈んでしまった。

 そんなこんなでまつりちゃんはみんなの心の中にだけ生きる存在に戻り、代わりに残されたのは連城が男を女に変えられるほどの禁断の力を得たという事実。これはいつ俺たちが第二第三のまつりちゃんに仕立て上げられるか分からないという恐怖心を植え付けた。
 しかし。連城曰く「お前らじゃ素材が悪い。どうしてもごついオカマ顔になる」とのこと。男らしい特徴が特にない三沢がギリでどうかなってくらいだそうな。頑張れば女に見えるくらいに出来ないこともないのだろうが、その場合すっぴんに見えるかどうかは諦めるしかない。そしてそこまでの変身をさせるとなると化粧品の消費量が半端ないとか。そりゃあそうだな、まつりちゃんとか、目立ってなかったけどよねまよの時点でも相当塗りまくってたもん。ただでさえ、男に触るために磨いた技術じゃないのだ。依頼するなら別料金で然るべき。次やるときは化粧品代を出してくれと言っておいたそうだ。
 2年の女子もまつりちゃんに負けたことで懲りた模様。女じゃない奴に、女の魅力で負けるのはごめんだとのこと。この様子だと、当面まつりちゃんの出番は無さそうである。そして、よねまよがやられたレベルの変身メイクもまた、女子達の変身願望と変身による今の自分の緩やかな否定の狭間で揺れ動き、人柱は現れない。多分それだけじゃなくてごく普通に男に顔を撫でまわされたくないってのもあるんだろう。当然のように、普通の化粧よりもこってり塗りたくられると言うことはその分こってりと撫でまわされることになるんだしな。連城もある意味、そのためにやってるんだし。
 そして、普通の化粧についても舞と裕子と言う常連客を確保した連城はその欲求を満たされていた。平穏な日々が続いている。連城としてはこの二人だけではなく幅広い相手で練習をしたいという願望もあるようだが、その辺もこれまでの実績と言える女子部員のポスターなどを見せながら妹を説得しているところだとか。かつて同じように誘いを掛けたら枕で乱打されたうえ鳩尾に蹴りを入れられ部屋から叩き出されたというが、ポスターを見てからは心が揺らいだか口では嫌だというもののそれほど抵抗はしなくなり、もうひと押しと踏んでいるようだ。
 なお、連城の妹は連城にそっくりだそうである。可哀想なことだ。しかし、その連城自身の顔でたっぷりと練習した化粧を、さすがにそっくりとは言え男の連城よりは圧倒的に女らしいであろう妹の顔に施せば相当化けるはずだと連城は胸を張っている。想像もしたくないが自分自身も相当化けたのだろう。
 俺は愛する妹に美しくなれるという自信をつけてやりたいのだ、と連城は語る。絶対餌食にしたいだけで、美辞麗句はその言い訳だと思う。

 まあそっちはそっちで勝手によろしくやってもらうとして、だ。化粧絡みで我々は一つ大きな見落としをしている。
 我がテニス部で化粧キャラと言えば誰だっただろうか。女の顔に触りたいなどと言う不純な動機で化粧に手を出した邪道の男ではなく、純粋に己の美を磨くために化粧を用いそのイメチェンぶりで我々の度肝を抜いた女子がいたことを忘れてはいけない。
 町橋である。ひとたびは化粧で大化けして見せセンセーションを巻き起こし、なかスッチーと男を取り合うくらいのモテモテぶりだったが、その時の一人である連城はすり寄る振りをして化粧のノウハウだけ盗んで裕子と舞に囲われてしまい、クリスマスを共に過ごした土橋も所詮はクリスマス限定の間に合わせで、その後連城の手で化けた女達にフラフラ目移りした挙げ句、あぶれたなっちゃんズに半捕獲状態にされプチハーレムになっている。そこにに先輩面して入り込むのは流石にプライドも許さないようだ。
 かつては我がテニス部のロマンス路線先駆者だったのに、いつの間にか後塵を拝することになったのである。だが、そんなあぶれた町橋にも救いの神が、いや神々がいる。2年の男子たちである。とんだ邪神であった。しかし、じっとしていると邪神がじわじわと這い寄ってくるのである。何せ、1年生の前だけで見せていた普通に美女メイクのご尊顔も、女子メイクポスターなどで二年男子にまで知れ渡る運びとなり、いくらいつものギャルメイクで正体を秘匿したところで今更何の魔除けにもならない。
 折角一瞬だけ2年男子邪神軍団の興味を引いてくれたまつりちゃんもあっという間に姿を消し、当分現れることはあるまい。もはや、自分の身を守るだけではこの邪神の絶対包囲からは逃れるのは難しい。
 そして、町橋は動き始めたのだった。ある日、どう動き出したのかを町橋その人から知ることになる。
「りゅーちゃーん。誰かいい男いない?紹介してよぉー」
 この一言で概ねの事情は察した。町橋は形だけでもとっとと誰かとくっついて、邪神どもが諦めるように仕向けたいのだ。もちろん、そのいい男に2年の男子達は含まれていない。 
「何で俺の所に来るんすか。っつーかりゅーちゃんはやめれ。久々に聞いた気がしますよそれ」
「いいじゃん、言いやすいし。……や?」
「やっす」
 暗号みたいなやりとりになってきた。略さずに言えば「嫌?」「嫌です」だ。
「なんで?」
 って言うか質問を重ねる前に俺の質問に答えろ。
「何でと言われても。なんとなくっすよ。で、そっちこそ何で俺のところに」
「別にりゅーちゃんだけに言ってるわけじゃないから」
 何でも、もう既に声を掛けやすい連城と土橋、ならびに堂々たるカノジョ持ちで安心して切り出せる三沢には同じように声を掛けてあり、不破や志賀にも追々声を掛けるつもりだったようだ。1年の男に絞って声を掛けた理由は察することが出来る。まず、2年の男は論外。他の男を紹介するより自分を売り込もうとするのは目に見えているからである。そして、女子も押し並べてダメ。他人に紹介できるいい男などが知り合いにいたら、まず自分が囲おうとするはずである。タイプじゃないけど悪くない男友達がいたり、恋愛対象に出来ない近親者を紹介してくれる可能性はあれども効率は悪い。その点男であれば男の知り合いには事欠かない。何せこの学校は女のクラスメイトが概ね女であるくらいに男のクラスメイトは概ね男なのだから。
「カノジョ持ちなら江崎さんと桐生さんがいるっしょ」
「きゅりゅはダメ。変なの連れてきそう」
 納得である。類友って奴だ。
「れおなら頼んでもいいんだけどさ。あいつ、きゅりゅにも声かけそうだし。それにあいつらに頼ったら負けな気がする」
 どうでもいい拘りだった。どうでもいいついでにこの奇妙なあだ名についてだが、きゅりゅは分かりやすく桐生の事であり、一時期女子の間できゅうり呼ばわりされてたのが少し元に戻ってこうなった。何故言いにくい形に安定するのかが不思議でならない。残るれおは江崎の事であり、これまた一時期こちらは男子の間から玲於奈呼ばわりされていたのが少し縮んだそうだ。なお、なぜ江崎が玲於奈と呼ばれていたかその理由を把握している女子は江崎のカノジョの穂積と根室くらいだ。ノーベル賞受賞者もミシンの部品の開発者くらいの関係性では彼女らの興味を引くことはできなかったのだ。ついでに言えば、よもや桐生のきゅうり呼ばわりが玲於奈とノーベル賞繋がりで放射線のあの夫人とか、まして同じくノーベル賞を取っておきながら影が薄い旦那とか息子夫婦とかから来てたりはするまい。普通に緑のきゅうりだろう。
 とにかく。男に飢えた町橋に、生贄となる男を探して連れてこいという事である。探すまでもなく俺のクラスには男しかいないわけだし、難しい仕事ではあるまい。もちろん誰でもいいと言う訳でもない。ルックスや性格も問題なく、その上で町橋のような年上のお姉さんを好きになる奴でないといけない。ルックスや性格は半年に及ぶ付き合いで大体把握しているが、女の好みについては各自ヒアリングが必要になるだろう。多少時間がかかるか。そしてめんどくせえ。なんで俺がそんなことを。
 いずれにせよ、とっとと片付けるにしても明日の朝教室で連中と顔を合わせてからになる。しかしその前に一人、条件に当てはまる人物を見つけてしまったのである。

「お前、年上好きだろ?」
 そう問いかけられた人物は、それでも大したリアクションはしなかった。
「ん?なんで?」
「だってよ、お前、エロ画像とかだって年上ばっかじゃねーか」
「俺より年下のエロ画像は児童ポルノだろ。って言うか兄貴と同い年だってアウトじゃねーか」
 恒星の言うことはごもっともであった。これは俺の持ち出した例が悪かったとしか言えない。言い直させてもらう。
「いやいや、エロじゃなくてもさ。水着とか着衣だってお前の集めてる画像は“エロいおねえさん”って感じだろ」
 健康的美少女、みたいなものにそれほど食いつかないのである。
「俺はボインが好きなだけだぜ」
 と言う科白をかっこつけて言う恒星。かっこうどうこうと言うより最早こっけいだ。
「はっ。見え透いた嘘をつくんじゃねえ。結構な割合で普通が混じってんだろ」
 俺の指摘には反論があるようである。
「兄貴のボインの基準が厳しすぎるだけだ。その割にロリコンのケがあるとか、兄貴の方こそどうなってんだ」
「確かに俺は乳を厳しく分類するが、乳で人を評価はしないぞ。乳に貴賤なし、天は乳の上に乳を造らず乳の下に乳を造らず。みんなちがってみんないい」
「それらの元ネタになってるいろんな人に謝れ。でもまあ、確かに兄貴は乳より全体的なエロさで選んでる気がする」
 その時、部屋の扉が開かれた。
「ちょっと。人が席外した隙になんて話してんの。入りづらいじゃないの」
 家庭教師の樹理亜である。
「いや、すまん。本来なら樹理亜がトイレに行ってる間にさくっと済んでるはずの話だったんだ。まして乳の好みになんて言及する予定はなかった」
「じゃあ、とっととその本題とやらを済ませちゃいなさいよ。……って言うか、私がいて出来る話?」
「俺は気にしない」
「じゃあ俺が聞かれたらやばい話かよ。あとで聞くよ」
 恒星はそう言ったが、もう賽は投げられたのである。って言うかあとでとかあり得ないのだ。
「あとでじゃ多分忘れる。それにめんどくせえ。とっとと片付けたい。要約するとだ、年上が好みの恒星くんに素敵な年上のカノジョを斡旋してやろうと思ってな」
「誰よ。じゅりねえじゃないよな」
「分かった、小西さんでしょ」
 分かったといいながら分かっていない樹理亜。
「それはない。あいつとこいつが付き合いなんか始めたら俺の家にあいつが入り浸る口実くれてやるようなもんだろ」
「あー、それはやだ……。じゃ、もしかして顧問の先生?」
 とんでもないことを言い出す樹理亜。
「ちげーよ。それはいくら何でも犯罪過ぎるだろ。いくらよねまよだって生徒の弟にまで手を出さねえって。まずは生徒から行くだろ」
「行ったら行ったで問題だけどね」
 それも十分犯罪であった。
「まあな。紹介したいのは年上でもちゃんと未成年だ、高々お前の二つ上、2年生だ」
「それって、テニス部の人よね……」
 恒星はうちの2年生とは全く面識がないはずだ。面識があるのは1年の、正月に特攻仕掛けてきた留奈くらいだろう。一方樹理亜はうちのテニス部とは一緒に化粧をして写真を撮った仲。該当する全員の顔が思い浮かんでいることだろう。
「ちゃんと化粧して化ければキレイなおねーさんになる。普段は気の抜けたファンタオレンジみたいなギャルだ」
 一瞬太田裕美の声でオレンジギャルという言葉がメロディ付きで再生されたが、この二人に通じるはずがない。何せ俺が前世で中坊のころに親父の死蔵品であるレコードで聞いた曲だ。懐メロもいい所である。よって心の中に留めておく。
「ああ……」
 樹理亜には個人が特定できたようである。一方、恒星には全く想像すらつかないようだ。気の抜けたファンタオレンジという言葉を素直にイメージ化することしか出来ない。
「それただのオレンジジュースじゃないか」
 いよいよもってキリンオレンジだがこの二人に通じるはずがないので以下略。そう言えば、ただのオレンジジュースにはなっちゃんオレンジなるものもあったな。あの二人が介入してくるフラグになりやしないか。杞憂か。紀州ならみかんだが。
「写真あるよ。見る?」
 俺の考えがオレンジ色の濁流に流され逸れている隙に樹理亜が口を挟んだ。恒星が頷くと、樹理亜はスマホに例の化粧写真を表示した。スマホの小さい画面だと色々ごまかしが利いてしまうので正しい判断を阻害するのではなかろうか。
「その写真なら俺のパソコンにも入ってるぜ。あとでじっくり大画面でみせてやる」
「やだ、余計なところ見せないでよね」
「樹里亜が見られて困る所なんて自分のとこだけだろ」
 見せるとすれば真っ先に見せるがな。
 そうこうしている間にも樹里亜はスマホの画面いっぱいに町橋の顔を表示させた。見たいところはよく見える、そして余計な所は一切映さない絶妙なズームワークだ。恒星がその写真を眺めている間、俺は樹里亜に話しかける。
「もしかしてその写真、加奈子にも見せてないのか」
「うん」
「別にいいじゃん。減るもんじゃなし」
「減るわよ、私の精神が」
「相手が妹でもか」
「妹だからよ。さほど親しくもない男に無理やりやられたことだもの。加奈子がそこまで知ったら心配するでしょ」
「ああ、化粧の話な」
 聞きたくなかろうが聞こえているだろう恒星に、念のために釘を刺しておく。解ってるよと言いながらさりげなく恒星の手がタッチスクリーンに伸びかけたところで、樹里亜が電光石火の早業でスマホをその手からもぎ取った。俺が話しかけたことで樹理亜の意識が恒星に向いたタイミングで野郎とするからこんなことになるのだ。しっかりと隙を窺い、バレないタイミングでやらないとこういうことは成功しないぞ。
 まあ、どうせ樹里亜が帰ったら大画面でじっくり見せることになるわけだが、樹理亜としては少なくとも自分の目の前で見られるのだけは避けたいようだ。主に、写真を見られているときのリアクションを俺に見られたくないのだろう。俺がそういうの大好きなだけに。何にせよ、今のリアクションだけでも十分と言える。あるいはいっそ、恒星もそこまで考えての行動だったか。だとしたら見上げた成長を遂げたものである。
「そう言えば。情報科の男の先輩が女装させられたんだって?」
 不自然にならないようにさりげなく話題を変える樹里亜。
「ああ、まつりちゃん?もう耳に入ったのかよ」
「んー?まつり先輩?」
「まつりちゃんは1年生……のフリをした中学生だぞ」
 ややこしいので、まつりちゃんの設定などを掻い摘んで説明しておく。そして、どさくさに紛れて撮っておいた写真も見せた。どさくさなのであまりよく撮れていないが、それだけに粗が分かりにくくぼんやりとその可愛さだけが伝わる。男がこれかと言いたげな、あの時のテニス部女子たちと同じような反応を示した。
「男をこれだけ可愛くできるんならさ、流星もそのうちやられるんじゃないの?」
 期待に満ちた目を向ける樹里亜に言ってやる。
「お生憎だが、元々男っぽさのあまりない鴨田先輩だからこそ成しえた奇跡だぞ。普通の顔の男じゃ歌舞伎並みに厚塗りが必要だってよ。やれないことは無いが、コスパが悪すぎてその上先立つものがない。俺にやらせたきゃパトロンにでもなるこった」
「むー。……いくらくらい?」
「払う気あんのかよ。樹里亜の体で2回分くらい?体って言うか顔だけど」
「あー、ううー。でも、それってタダでキレイに化粧してもらえてお得でもあるんだよね……」
 やべえ。ハードル上げてるつもりがそんなに上がってないみたいだ。
「樹里亜はもう少し自分の価値と言う物を高く評価してもいいのでは?乙女の顔は聖域であろう」
「でもさ、もう一回やられちゃってるし、今更じゃない」
 どうやらアレはおたふく風邪レベルの物だったらしい。立ち直ったら免疫が出来てやがる。むしろキレイになれる喜びの方が大きかったりするのか。それに樹理亜は連城が舞に囲われていることもその件の当事者として知っているわけで。自分に化粧以上のことをすることは無いだろうと踏んでやがるな。そして、それはきっと正しい。今の奴は化粧さえ出来れば満足だ。くそっ、樹理亜が俺を売る気なら、俺は悪魔に魂を売るぞ。
「ならば、新しい練習台として加奈子を提供するくらいにすれば釣り合いが取れるかな」
 ククク、妹を人質に取られても強行できるかな?
「加奈子もキレイにしたらどうなるか見てみたいよねー。いつも派手派手しくしてるけどさ、もっとこう真面目な感じの、大人な感じも似合うと思うのよ」
 乗り気かよ。悪魔さん、俺の魂ってそんなに価値がないですかね。って言うか樹里亜が悪魔だ。直之め、俺の娘をこんな風に育てやがって。いや待て、樹里亜がこうなりだしたのって中学高校あたりの俺と過ごす時間が長くなってからのような。俺の血を引いてるわけだし……こうなったのって俺のせいか?
 斯くなる上は奥の手である。
「俺が、いやなんだ」
「えっ」
「これ以上、連城なんかにお前を触らせたくないんだ」
 ダブルデートの時に、口先では本人の意思を尊重するような素振りを見せつつ逃げ場を潰しておくくらい率先して連城の餌食に差し出した男の口から出たとは思えない言葉だ。
「あら……」
 こう言うと喜ぶというのを分かった上での発言である。それに、嘘では無いのは確か。何せ、これで樹理亜が連城からの化粧を受けいれると言うことは、俺への高コスト化粧の代金を払うと言っているような物である。マジで、困る。マジで、嫌だ。
「そこまで言うんじゃしょうがないかなー」
 緩んだ表情で樹里亜は言った。ちょろいもんである。恒星が“この人また乗せられちゃってまあ”とでも言いたげな憐憫に満ちた目を樹里亜に向けている。あっち向いてろ、樹里亜にバレるだろ。
 斯くて俺は勃発しかけた難題を無事スルーしたのである。

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