Reincarnation story 『久遠の青春』

33.男女恋の機会均等法

 事の始まりは冬休み終わり間際のある日。舞に呼び出された連城は、またぞろ化粧の依頼かと道具一式を抱えて家を出たという。すっかり仕事人だ。だが、化粧の依頼ではなかった。舞の家ではなく、その近くの公園に呼び出された連城は、舞に深刻そうな顔でとんでもないことを打ち明けられたのである。
 裕子ととても仲睦まじいカップルのように見える舞だが、実はそれほど女の子ラブと言う訳ではないそうだ。元々普通に同性の友達として、その後だんだんとパッとしない男たちに声を掛けられないようにと言うのも目的でちょっと過剰な裕子の友情を受け止めてきたという。しかし、裕子の方はかなり本気でだんだん情熱的に迫るようになってきた。クリスマス頃にはなかなかにシャレにならない感じになっていたらしい。クリスマスに連城を呼んだのも、化粧でお互い美しくなって盛り上がりたいからと言うだけではなく、裕子の抑止力としてだったらしい。
 しかし、そんな抑止力も常時配置しておけるわけではなく。どうすればいいか決断しなければならない時が迫ってきているのだ。
「それで、恋愛マスターの吉田に相談してくれないかって」
 それで、朝練が終わった後に教室に向かう俺を呼び止めたわけ亜k。
「いや待て。誰が恋愛マスターだ」
 他にも引っかかることはいくつかあるが、何よりこれだ。そんなこっぱずかしい肩書をいつの間につけられたんだ。俺が何をした。
「だってほら。三沢と長沢美香をくっつけたのもそうだし。なかスッチーちゃんだってお前のおかげでモテモテになったじゃん」
 そう呼ばれるだけの理由はあったようだ。三沢らは俺がくっつけたというより俺が弄ってたら勝手にくっついたんだけどな。しかし、昨今のあれやこれやには結構な割合で俺が裏にいるような気がすることは否めないか。それでもマスターではないと思うがなぁ。
 で。女同士だといろいろな理由で話しにくかったわけだ。まず、女子同士だとすぐに伝わってしまうからそんな相談をしたことも本人にバレかねない。そうでなくても、二人の関係はバレバレとは言え女から見てドン引きであることは言うまでもない。ついでに言うならば。
「アブノーマルな女子にとって、ノーマルな女子は異性なんだろ。それこそ、恋愛対象になるくらいに。だから相談しづらいってのもあるんだろうな」
 この指摘に連城がショックを受けたようだ。
「え?相談された俺って、仲間だと思われてんの?違うぞ、俺。化粧はあくまでも女に近寄り触りまくるための手段であって、女装癖とか変身願望とか、ましてや男色とかないぞ」
「そういうことじゃなくてさ。女よりは男の方が話しやすかったってことだ。少なくとも、自分がそのアブノーマルな恋愛対象にされることがないってわかって対岸の火事って風情で聞けるだろ」
「ああ、そっか。……っていやいやいや。待て待て待て。そもそも、舞はアブノーマルじゃないっていう事じゃんこれ」
「ん?なんで?女は好きなんだろ。だってお前が言ったんじゃんか、『それほど女の子ラブじゃない』って言ってたってよ。それほど、って」
 さっき引っかかってたのはこれだ。
「ん?……うん。それはまあ、確かに。それほどって言ってたな」
「それほど好きじゃないんだろうが、ちょっとくらいは好きなんだろ。裕子程ガチじゃないけど、まあまあそれなりには」
「んん?あれ?そういう事なの?」
 混乱しているような、考えが纏まってきたような、そんな連城。
「断言はしねえ。でも、じゃねーの?傍から見てても完全にできてたじゃん、あの二人」
「え?じゃあ、どういう事になるの、これ」
「んー。じゃああれだ。分かりやすいように裕子を男に……うん、連城に置き換えて考えてみようか」
「え。なんで」
 何か言いかけた連城に文句を言う隙を与えず話を進める。
「なんとなく。面白そうだし。いいか、舞は連城とラブラブです。舞は連城が好きですが、連城は舞が大好きです」
「やっぱり俺に置き換えるのはやめてくれないか」
「手遅れです。このまま行くとこまで行きます。連城はもう我慢が出来なくなっています。肉体関係を迫ってきました。さあ、どうしましょう」
「うわー、本当に行くところまで行っちゃうよそれ。こんなのに俺を使うな」
「うむ、悪かった。で、これにアドバイスしろって事だろ。そんなの、俺からはいつまでも子供で居られると思うな、覚悟を決めろ。そうとしか言えねえだろうが。要するに、一線越えちゃう覚悟が出来なくて踏みとどまってるだけだ。まあ、そんな感じなので。伝えといてね」
「言えるかー!」
 俺が言わなきゃならなくなるから言ってもらわないと困る。
「でもまあ、実際そんなところだろうよ。なんで俺に質問したんだって感じ。自分の気持ち次第だろそんなの」
「そうだったとして、何で俺を経由したのかってもの」
「色恋沙汰だし。お前連城じゃん。読み方が恋情と一緒じゃん」
「そんな理由で!?」
「もちろん冗談だ」
 ずっこける連城。その勢いで頭を抱えて屈みこんだ。
「……多分これ、結論が違うと思う。何か間違ってるんだ」
「うん。俺も割と適当に言っただけだし。このまま伝えられても困るところだった。だが連城。お前ならきっと、踏みとどまると信じていたよ」
「お前なぁ。……何でこいつにそんな相談しようとしたんだ、舞は……」
 同感だ。さっき、発言した通りにな。
「俺が恋愛マスターだという誤解のせいだろ。ま、その辺も合わせてそのうち本人と面談しとこうぜ。無茶振りとはいえご指名だし、伝聞だけで適当な答え出すわけにも行かないだろ」
 こんな話に巻き込まれるのはごめんだが、恋愛マスターなどと言う呼び方も放ってはおけない。そのことに一言言うために、連城に付き合ってやることにした。
 そして。今すぐは面倒だし、そうでなくても学校でする話でもないし、かといって放課後となるとこの時期真っ暗で変な雰囲気になりそうなので、ひとまず少し日をおいてと言うことで話をまとめたのだった。

 日曜日の昼下がり。俺達は舞を呼び出し、約束通りの時間に待ち合わせのファミレスに舞がやってきた。ボックス席で俺の向かいに座っていた連城が、俺の隣に移動して舞に席を譲った。さっきまで連城が座っていた、その体温も残っているだろう席に舞は構わずに座った。
「えーと、まず。話が話だし、場所は変えた方がいいか?」
「ううん。ここでいいよ。知ってる人、居ないもん」
 揃ったところで各自ドリンクを注文することにした。俺と連城はそれぞれ二杯目になるコーヒーを、舞はオレンジジュースを。
「そうか。……とりあえず、連城から聞いた話を整理するとだ。……俺が何故か恋愛マスターと言うことになっているらしいじゃないか」
「おい、そこかよ」
 舞の緊張をほぐすための漫才を繰り広げる。俺のしては割と本気の最重要案件だったけどな。連城のツッコミのせいで舞からの答えはなかったのでこれが予定通りということにしておく。この件は後で改めて話をつけよう。
「結論から言わせてもらうと、だ。連城からの伝聞だけで整理すると、でもって推測すると、舞は裕子に……まあ、肉体関係を、迫られていると。そういう事でいいんだな」
「……うん」
 俯き、頬を赤らめながら答えた。本当に、男に相談することじゃねえ。
「で、だ。迷っちゃいるが、まんざらじゃあない。違うか」
 今度は少し沈黙が長かったが。
「……うん」
 とりあえず、ここまでは推測通りだった。
「それだけなら、俺は背中を押してやるくらいしか出来ないかな。いつまでも子供でいられるわけじゃない、覚悟を決めろ、と」
「……うん、そうだよね」
 この間の結論通りのことを伝えた後。
「それだけって事はないんだろうがな」
「……ん」
 俺の言葉に舞は俯き。
「……ん?」
 連城は首をかしげた。
「何でそんなことを俺に相談したかって事だが」
「だって、恋愛マスターだもん」
「そうそれ、何でそうなってるのかってのを聞きたいんだが……いや、聞かなくていいか。身に覚えがないわけじゃあない」
 テニス部に入った時からカノジョ(娘だが)持ちで。留奈にべた惚れされ。三沢とナガミーをくっつけたことになっていて。なかスッチーのモテモテ振りにも一枚噛み。色恋沙汰の裏に俺ありって感じになってしまっている。
「でもまあ、別段俺に相談したかったわけでもないんだろ」
「……ん」
「……ん?」
 さっきと同じ反応。
「裕子とどうこうってのは自分の覚悟の問題だからな。ま、誰かに背中を押して欲しいってのはあったのかも知れないが……。本当に言いたかったのは、それじゃあないんだろ。『実はそれほど女の子ラブじゃないんだよ』だったか」
「……」
 舞は黙っている。
「これ、本当にそう言ったんだよな」
「……そうだね」
 頷く舞。
「そうか、それならいいんだ。つまり、男もいけるんだってことを言いたかったわけだよな。……連城に。……舞は今、裕子を選ぶか連城を選ぶか、迷ってるんだろ」
 連城がコーヒーを飲んでいる最中なら、漫画のように吹き出すところが見られたかも知れない。だが、飲もうとして手に持っていただけだったので熱々のコーヒーが手に掛かり、それに驚いてコーヒーをぶちまけて浴びるという、まあまあ漫画っぽい状況になっただけだ。いただけないのは俺にも掛かったことである。
「何すんだ!熱いだろ!」
「いやだってお前!なんてことを!」
 コントを繰り広げる俺たちに向かい、舞は憑き物が落ちたような顔で言った。
「さすが、恋愛マスターだね」
 俺の言ったことは少なくとも大筋で間違っていなかったと言うことだ。俺は言う。
「マジか」
 そして、俺は弁明する。
「いやいやいやいや、それは違うと思うんだ。あのな、種明かしをするわ。恋愛マスターなんてのはお前らが勝手に呼んでるだけでそんな事実はないし、俺は男だから普通に女心なんて分からねえ。女が好きでも女は女だろ。だからな、女心の分かる奴に意見を求めてみたワケよ」

 連城から話を聞いた始業式の夕方。いつも通りやってきた樹理亜に話を切り出した。
「なあ樹理亜。ちょっと、女子の恋愛に関する相談があるんだが」
「えー?何?小西さんのこと?」
「いんや。まあ、誰のことかは伏せておくがあいつじゃないと言うことだけは言っておく。だから真摯な気持ちで答えてくれ。……その女子は、女同士でいちゃいちゃしているわけだが……」
「ああ、あの子達ね……。えーと、確か名前はゆうちゃんとまいちゃん……だっけ?」
「だから誰のことかは伏せておくと言っておる。詮索禁止だ!……とにかくだ。その女子の話だと、ずっと仲のよかったカノジョと……いや、こう言うと仲が冷えてきたみたいだが、仲は相変わらずよくてだな。むしろどんどんいい感じになってきて、なんかそろそろ……行くところまで行っちゃいそうなんだそうな」
「何て言う話よ……」
 なまじ誰のことか分かっているせいでその情景が頭に浮かんでしまうのか、肩を抱いて首を振る樹理亜。詮索禁止だといったのに。詮索した後にだがな。
 俺は話のあらましを、やっぱり舞は女が好きで最後の一歩を踏み出すのを躊躇ってるだけという推測と合わせて説明した。
「で、その話を流星に持ってきたって事?」
「まあ、ちょっと接点があった他の奴……仮にRとするが、そいつ経由でな」
「R……って、連城くん?」
「当てんなよ。なんで分かるんだ」
「だって。Rのつく男の子って言ったら連城くんが真っ先に浮かぶもん」
 最近よく一緒にいるということを知らなくても、そもそも選択肢が少ない。イニシャルトークは失敗だった。
「……それもそうか。樹理亜も化粧の被害者だしな……」
 誰のせいで被害に遭ったのかについては考えないことにする。
「まあ、そのRがだ。舞の家に化粧しに行ったりした事もあって、相談しやすかったんだろう。そこを経由して俺の所に来たわけだ」
 あ。うっかり舞って言っちゃった!
「家に呼ばれたの?」
「ゆ……いやその、Uとクリスマスを過ごす上で、化粧しておきたいんだって二人の化粧をさせられたらしいぞ」
 しまった、裕子のイニシャルはYだった。ぐだぐだだ。
 一応、その時抑止力として待機させられたという話もしておいた。
「舞ちゃんってさ。女の子のこと、そんなには好きじゃないって言ったんだよね」
 樹里亜はイニシャルで話す気すらないようである。
「ああ。R経由の話だから本人が本当にそう言ったのかどうかは要確認だけどな」
「そんなには好きじゃないけど、女の子は好き。それはそうだけど。そんなに好きじゃないなら、残りは何が好きかって事になるよね」
「ん?なるのか?」
 なるんだとしたら、好きになるものなんて決まっている。この世には大雑把に分けると男と女しかいないのだから。
「じゃあ、あれか。樹理亜はその、Mが、女だけじゃなくて男もちょっとくらいは好きだって言いたいのか」
 未練がましくイニシャルで呼び続ける俺。
「でしょ。だって、そうじゃなかったら男の子相手にそんな相談しないよ。だからさ、最初はその子、流星に気があるんじゃないかと思って聞いてたんだけど……それなら、流星に直接言うはずだよ」
 ここまで言われれば、俺じゃなくて誰に気があるのかも察しがつくというものだ。クリスマスに家に呼ばれ、化粧という用事が済んだはずなのに追い返されない。抑止力なんて言ってはいるが、抑止しきれなかった時全てを見られることになる。まあ、連城に限らずそんなところに居座り続けられるメンタルの男子はそうそう居ないんだが。それでも最後まで見届けなくても、結構なものを見られてしまうことになる。それを許せる相手でなければ、抑止力として配置することも出来ない。
 裕子に体を奪われる前に、連城に遠回しにでも気持ちを伝えておきたかった……そういう事だ。と、思う。これが樹理亜の結論だった。

「もちろん、話すに当たって誰のことか分からなくなるように最大限配慮をした。だから安心してくれ」
 配慮はしたが、隠しきれてないことはもちろん伏せる。
 材料は、連城とも話し合ったその時の結論。つまり、舞は別に女が好きでもないのに裕子に付き合ってやって追い詰められて困ったわけではなく、女は好きで裕子と一線を越えるのに躊躇いがあるんだと言う推測。
 そこまでは自分の考えだが、ここからは樹理亜の女心が解き明かした。これで証明終了ならぬ弁明終了である。
「だから恋愛マスターなら俺より樹理亜の方にして欲しい」
 俺の魂の叫びはスルーされた。
「本当は、連城くんのことが好きなのかまだよく分からないんだ。でも、連城くんにお化粧されてる時って、どきどきするの。普通の女の子なら当然だよ、間近で見つめられて、顔に、肌に触られて。……でも、私でもこんな気持ちになるんだって。男の子のこと嫌いじゃないんだって、気付けた」
 舞の自分語りが始まった。これは、俺は聞いていていい話なのだろうか。そして、俺の弁明は届いていたのだろうか。っていうか、肝心の連城はさっきから固まってるが、聞こえてるのか。
「化粧された自分とか、裕子が見られるどきどき感とかじゃなかったのは確かなのか?」
「それもちょっと考えたよ。だから、クリスマスパーティーに呼んだのは、それも確かめたかったんだ。キレイになった私にも、ゆうちゃんにももちろんどきどきしたよ。でも、連城くんにもどきどきしてた。見つめられて、触れられて」
「ふむ。……しかし、まだ検証として弱くないか。化粧とか裕子とか、そういうのを一切排除した上でどきどき出来るか確かめてみた方がいい。さあ、連城。手を出せ」
「え。お、おう」
 連城は既にほぼ思考が止まっているので、言われたままにする。これからアームレスリングを始めるんじゃないかというような手の出し方である。
 舞はその手を両手で挟み込んだ。そして、目を閉じる。いよいよもってレディ・ゴー!と言いたくなる体勢だ。
「……うん。どきどきする」
 舞は言った。そして、連城はどぎまぎしていた。
「ねえ、連城くん」
「お、おう」
「お化粧の練習、したいんでしょ。私と……あと、いいって言ったら裕子も。練習させてあげるよ、好きなだけ」
「え。マジ?いいの?」
 固まっていたのが解けた。現金な奴だ。
「いいよ。多分裕子だって、私がキレイになるのは、キレイな自分を私に見せるのは望むところだと思うから。嫌とは言わないよ。……明日、うちに裕子を呼ぼうと思う。だから、私たちをキレイにしてくれない?」
「おう」
 さっきからNOとは言えない、おうしか言えない連城。
「吉田くん。……色々ありがと。さすが恋愛マスターだね」
「だから違うと言ってる」
 俺はNOと言える。
 とは言え、ここに来てからの判断は全部俺の独断だ。樹理亜のせいには出来ない。
「……私、覚悟を決めるよ」
 きれいになった裕子と、覚悟を決める。その先に待つものは。
「それは結構だが、宣言せずにそっと覚悟を決めてくれないか。覚悟を決めて、することがすることなんだからさ」
「あははは、そうだね」
 笑い事じゃねえ。まあ、とりあえず気分は静かながら確かにハイになってるっぽいので、男相手にこんなことも笑いながら言えちゃうのであろう。いや、そもそも舞にとっての男は普通の女にとっての男と少し違うのだろうし。いずれにせよとんでもないことだ。つくづく、俺を巻き込まないで欲しかった。
「連城くん。時間とか決まったら電話するよ。じゃあ、また明日ね」
 握っていた連城の手を離し、普通に友達にそうするように手を振って舞は出て行った。去り際にジュース代を出そうとしたので、そのくらいは男におごらせろと言ってやった。連城に払わせよう。今ならよく分からないままに払ってくれそうだし。まあ、俺の分だけは出してやるか。
「で、結局どういうことになったんだ。俺は今日、舞に好きだって言われたわけだよな。で、舞は……裕子と」
「うん。まあ、そうだな」
「俺、告白されて、その直後にフラれたって事でいいのか」
 連城の回ってない頭だとそういう結論になるようだが。
「それはどうだろう」
「え。どういうことだってばよ。俺と裕子で迷ってて、裕子を選んだってことじゃないのか」
「奴はもっと貪欲だぞ。裕子とは今の関係を続ける。いや、更に一歩踏み込もうとしている。そして、お前とももっと仲良くなりたい。……見事な二股だな」
「え。ちょっと」
 何か言いたげだが、言う前にまくし立てて逃げることにした。
「三角関係だ。修羅場の未来が待ってそうだな」
「いや待て。それは」
「俺は巻き込まれたくありません。あとは勝手に仲良くやってくれたまえ」
「見捨てないでくれ、恋愛マスター!」
 立ち去ろうとする俺に縋る連城。
「俺は恋愛マスターじゃねえし、樹里亜だってこんなケースはキャパシティオーバーだろう」
「お前らが匙を投げる案件に俺ごときどう立ち向かえと」
「それにしても、『そんなに女の子好きじゃない』っていうから舞の方はそんなに変態じゃないんだと思ってたが……。ふたを開けてみりゃあ自分以外のほとんどの人間に対して性的な目を向けることが出来るわけだから、こっちの方がすごい変態だよな」
「あの。そんな変態の相手をすることになりそうな俺への助言を」
「秘められた思いは吐露され。俺たちはただひたすら前に進むだけだぜ。さあ、踏み出そうじゃないか次なる一歩を!」
 一歩、また一歩。俺は軽やかに前に外にそして未来に向かって進む。逃げたともいう。
「もど。戻ってきてくれえ、置いていかないでくれええぇぇぇ!」
 何か雑音が聞こえる気がするが、これにて一件落着である。

 翌朝。登校中に事の顛末を樹里亜に話すと連城への恋情というダジャレみたいな心情に関してのみ「へー。本当にそうだったの」と軽いリアクションがあっただけで話は終わった。コイバナだしもっと食いつくかと思ったのだが、やはりあまり関わりたくはないのだろう。特に、二股の件には。俺も触りたくない。
 あとはナガミーと三沢の惚気話を樹里亜経由で聞かされるという、なぜそれを俺に話すんだと常々思っているいつもの雑談くらいで別れた。まあ、樹里亜だって他人の惚気話を聞かされた憂さ晴らしはしたいだろう。俺も樹里亜のために耐えてやるのは吝かでも……いや、無くは無い。俺は俺で三沢に又聞きの惚気話の事実確認でもして三沢が恥辱で悶絶するのを楽しむことにする。
 放課後。憑き物が落ちたようにさっぱりした表情の舞と何かに憑かれたように憔悴した連城以外はいつもと変わらない部活動。
 そんな舞が、そんな連城に声を掛けた。波乱の予感である。連城の心も波立ち乱れたらしい。びくっとする。だが舞の用件は、全く関係の無い話だった。
 これまで全ての女子部員が連城の手に掛かり化粧されている。しかし、このテニス部に関わるもう一人の女がまだなのである。よねまよだ。よねまよは大人の女性たる先生だけに日頃から普通に化粧はしているのだが、それは普通のありふれた化粧と言わざるを得ない。いや、諦め交じりの投げやりメイクではありふれたなどと言う表現すらありふれたメイクに失礼だ。そこでよねまよ先生にステキなワンランク上の化粧を施してよりステキになってもらい、今の男旱から抜け出してもらいたい。そして、皆が味わった男に化粧される得も言われぬエモーションを味わってもらいたい。一言で言えば、仲間になれ。そういう事である。
 勿論、サプライズである。何も知らないよねまよをその手に掛けろと、覚悟もできていないまま化粧される恐怖を味わわせろというのである。鬼畜である。
 なお、この話を持ってきたのが舞であった理由は、単純に最近連城とよく話しているので窓口に使われただけであった。ある意味、部の女子たちに公認の関係になったと言っていいだろう。まあ、女子たちも実際どんな危険な関係なのかまでは詳しくは知るまいが。
 そんな話になっているとは知らず、よねまよがふらっとやってきた。
「せんせー。ちょっと部室に来てくれませんかぁ」
 そう切り出したのは化粧女子代表の町橋である。化粧に絡んだことは彼女が取り仕切るということか。そして、ちょっと来てくれませんかなどと言わなくてもよねまよはコートで練習に励む部員たちなどお構いなしで風の吹きこまない居心地のいい部室に真っ直ぐ向かっているように見えた。
 コートでは2年男子と1年女子が練習を行っている。1年女子もよねまよに何が起ころうとしているのかは聞かされているが、一通り済んでからのお楽しみということになっているらしい。そして、2年男子は今回もハブられて何も知らない。
 しばらく経って、連城が招き入れられた。聞いた話ではよねまよが入ってからこのような事情説明があったそうだ。
「せんせー。このポスターを見てもらったと思いますけど、この化粧って連城がやってくれたんですよー。それでー、先生だけ仲間外れっていうのはさすがにかわいそうだしー、先生にもきれいになってもらおうと思いましてぇ」
 その時点でもう既にテーブルの上には連城の化粧セットがどんと置かれていた。冬休みの間に連城が買ったり、プレゼントされたりしたものだ。連城に化粧された時の反応が面白かったので洒落で樹里亜に口紅をプレゼントすると言ってやったのだが、その序でに連城にもプレゼントしてやろうというと意外と乗り気だった。それを聞いていた1年男子が挙って化粧品をプレゼントすると言い出したのである。最初に言い出した土橋は明らかに悪ノリだったが、「化粧品をプレゼントする相手がいるという事実ができる」「連城にプレゼントした化粧品は巡り巡って女子に使われることになる」など、邪な思惑が入りだすと奴らの心を揺さぶったのである。俺もこいつらと同類だと思われるのは癪だが、まあ面白いので放っておく。
 もちろん、こんな本格的な化粧道具を持っているのは女子、しかもさすがによねまよには化粧しまくってるのがばれてる町橋だと思っていたが、その持ち主を聞いて驚いたことだろう。
「みんなきれいになってるしさー、私もやってほしかったのよねー。じゃあお願いするわぁ」
 なんとノリノリである。まあ、この辺は大人の女の余裕という奴だろう。むしろ男に触られることを楽しもうとしている節もある。うぶなモテてこなかった女子高生とは違うのだ。モテてこなくても追い込まれる年頃になれば、恥じらいよりも欲望が先に立つのである。
 連城が呼ばれたのはこのタイミング。暇だった俺たちも窓の外から覗きつつ、よねまよメイクアップが始まった。程なく、覗かれて困ることをしているわけではないので覗くのは構わないけど、覗かれているのはなんかイヤという理由で俺たちも部室の中に招き入れられた。それに気付いた2年の男子がのぞきに来たが、すぐに追い返された。そして、せっかく構ってやってるんだから余所になんか興味を持つなと言いたげな1年女子にコートに引きずり戻された。
「本当に慣れた手つきねえ。なんでこんな技術を?」
「もちろん、女に触りまくるためです!」
 極めて素直である。素直だが変態であり、素直ないい子とは言い難いのはそれはそれ。まあ、今日の場合そんな変態にいじられまくるという恐怖心をよねまよに植え付けるためという目的もあったのだろうが、元々ノリノリだったよねまよは「やぁん、くすぐったぁい」と放言するなど悪ノリを始めた。だがしかし連城もここ最近で場数を踏んでおり、この程度では小動もしない。
 悩殺しようとするよねまよとそれに耐える連城の意地の張り合い。だが、よねまよの方が分が悪かった。何せこれまで禁断の女子高生のお肌を弄り回してきた連城である。既に恥じらいの薄れた大人の女が相手だと、相手に緊張がない分自分も緊張が薄い。おかげでいつにない集中力を見せ、メイクアップの世界にトランスする。この集中力をテニスで見せられないテニス部員と言うのはいかがなものか。そして精いっぱいサービスしてるのにガン無視されるよねまよの可哀そうなことと言ったら。
 集中したおかげですぐに化粧は終わった。連城も技術力が上がったようで、はっきり言って普段のよねまよとはまるで別人である。素材の良さを活かす気がまるでない。よねまよの顔を全否定するような行為ではあるが、よねまよはそこまでは考えないのか、自分の変貌ぶりに素直に感心している。
 化粧は終わり、撮影タイム。その後速やかにポスター化するべく、根室がコートから女子相手に楽しく練習していた鴨田を首根っこ掴んで引きずってきた。引きずり込まれた先のほうが女子密度は高いが、気分は針の筵の軟禁状態だ。
 挙句、よねまよの化粧が早く終わって時間が余ったのか、あるいはよねまよが抵抗もせず落ち着いて化粧されていたせいで嗜虐欲求が満たされなかったためか、とっととポスターを仕上げるという当初の目的をさておいて鴨田を化粧するという流れになった。
「サーセン鴨田さん!先輩方には逆らえないっす!」
 内心ノリノリであることを隠す気も無く、上辺だけ頭を下げる連城。鴨田も先輩だからやめろと言われたら従わなければならないはずだが、この場合普通に多数決だな。そして。
「俺も根室には逆らえねえんだ……」
 こっちは当然まるで乗り気でないが覚悟する鴨田。覚悟できているし、男同士だ。こっちも大人しいものである。多少は抵抗した方が女子受けはいいと思うがな。まあ、別に動きはしないが念のため動かないように両脇から女子に抑えられているのと、化粧品で女子(含よねまよ)と間接的に接触している感じはむしろ役得だと思ってそうだ。
 眼鏡を外し、テーブルに置いた。思えば、貴重な眼鏡なしの鴨田だ。なんというか、鴨田の顔はほぼ眼鏡で出来ていたんだなぁという感じだった。眼鏡を外したら誰だか分からない。目立った特徴もなく、地味極まりない。まあ、キャンバスは白いほうがいいに決まっている。化粧をするには都合がいいんじゃなかろうか。特徴のない顔なら、化粧で何とでも特徴がつけられる。髪型もぼさぼさ頭で日によってぼさぼさ具合も変わり、固定的なこれぞ鴨田というビジュアルイメージがない。本当に、眼鏡以外何の印象もないのだ。
 化粧が進むにつれだんだん女子の機嫌が悪くなっていくのは、案外仕上がりがよくなりそうだからだろう。あとから聞いた話だと、連城が特にノリノリだった理由として最近テレビなどで時々見かける若返りメイクとかそういう変身メイクテクを試してみたかったからだそうだ。本人が聞いたらショックを受けるかもしれないが、よねまよは若返ったのである。
 そこまでのテクを駆使されれば、そりゃあ化ける。鴨田の童顔気味でいかにもひ弱そうなその顔立ちには男らしさが微塵もない。中性的ということもできるだろか中性的と言われる場合大体美しく魅力的な容姿をしているものだが、そう言われなくても男だか女だかわからない顔立ちの人は多々いる。おっさんなんだかおばさんなんだかわからない人、よく見かけるだろ。鴨田はあんな感じだ。そこに化粧をすると地味な女の子が化粧したのと変わらず、見た目はほぼ女に仕上がるのだった。
「こんな感じでどうっすか」
 そう言われた女子の反応は割れた。いいんじゃないと満足げな奴もいれば、笑う準備をしていたのに自分よりかわいい子が出来上がったことに不満を募らせてる奴もいる。しかし、上出来なのは変わらない。
 鴨田も自分の変わり果てた姿を鏡で見た。死んだみたいな言い方だが、男の鴨田は死んだと言えるから強ち間違いではない。
「うわあ。俺に妹がいたらこんな感じかぁ?」
 お前の妹がこんなにかわいいわけがない。……と言いたいところだが、まったく同じ顔であればこうなるんだから、努力次第ではこんな感じになるのかもしれない。
 あとは眼鏡をかけて完成だ。あ、なんか鴨田っぽくなった気がする。
「眼鏡はないほうがいいよ。かわいいけど」
「そうだよね。眼鏡かけたら普通にカモだわ。かわいいけど」
 可愛かったら普通のカモじゃないだろ。とにかく、かわいいを連呼されて鴨田は恥ずかしげに顔を伏せている。その仕草がますますかわいい。
 悪ノリが加速し、この鴨田に1年のジャージを着せて新入部員だと紹介してみることになった。曽根がいればサイズが近かったんだろうが、あいにく今の1年には鴨田にちょうどいいサイズがいない。一番小柄な土橋のジャージでもちょっとぶかぶかな感じになった。
 眼鏡で鴨田だとばれるかもしれないということで例えば根室のなど他の眼鏡を試してみたが、鴨田感は薄らぎこそすれ消えず。結局眼鏡なしだ。
 こうして2年男子の前に引き出されることになった悲惨な鴨田。そして、ひそかに悲惨なのは一時期は今日の主役のはずだったのにすっかり鴨田に主役を奪われている、きれいになっても注目してもらえないよねまよであった。

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