Reincarnation story 『久遠の青春』

29.好奇心は女子を女にする

 三沢とナガミーが一緒にテニスをするという週末が近付く。三沢のわくわくと、2年男子の妬みも高まっていく。
 俺も無関係を気取っている場合ではなかった。ナガミーのテニス講座に新しい参加者がエントリーされたという報告があった。時同じくしてメル友になった樹理亜が、辛うじてテニスの経験があるという事で呼ばれたらしい。メールでのやり取りを終えた樹理亜がその旨を俺に伝えるべく、ケータイをかけてきた。
「なんでそんなことに。三沢ががっかりしそうだな」
「その三沢君とどう接したらいいか分からなくて緊張するんだって」
「ナガミーが三沢相手に緊張するのか。……いよいよもって面白いことになってそうだな。どうなるか見届けて俺にも教えろ」
「それだけど。流星も来るのよ」
「俺もかよ!何でだよ!」
「ダブルスで練習するんだって」
「ああ、そういうことね……」
 いや。試合形式なら樹理亜と三沢が一対一で練習すればいいような。流石に今や普通のテニス部員である三沢の練習相手になるかどうかは不安だが。そこに俺が加わってダブルスになったところでナガミーに太刀打ちできるとは到底思えない。ますます差が開くだけだ。桐生を連れてくれば腕前の上でも精神攻撃という点でも多少は有利だが、そこまでするほどの事でもないし。
「ああ、もしかして俺と三沢対樹理亜とナガミーで練習すんの?」
「何言ってんの。せっかくのデートなんだし、男同士女同士でペア組んでどうすんのよ」
「それはそうだ。……って、デートっていう認識でいいのか。俺たちみたいなお邪魔虫を呼ぶんだぞ」
「そこはそれ、ダブルデートだと思えばいいじゃない」
 恥らもなくさらっとなんか言われた。こんな子に育てた覚えはない。と言うことはいつも通り直之のせいだ。うん。
「まあいい、散々かき回したのは俺なんだし、責任取ってつきあってやるか。先輩にバレたら俺まで妬まれるから俺のことは内緒な。根室先輩に悟られるなよ」
「うん。多分大丈夫」
 当日は俺を巻き込んだことを後悔するくらい精々からかってやりたいところだ。

 なかスッチーは部活の間だけツインテールにして若返ることにしたようだ。
 その姿に二年の男子にも反応する者はいたが、むしろ女子の反応の方が大きかった。いきなりテニス部にやってきてちんちくりんのくせに忽ち逆ハーレムを築き上げたなかスッチーは女子からむしろ嫌われていたが、幼児化を機に愛されキャラとして他の女子との距離は一気に縮んだ。
 よねまよも全力で食いついた一人だ。羽交い締めにして頬ずりしながら言う。
「私、小学校の先生になりたかったんだぁ」
「私、小学生に見えますか」
 こんなのが小学校の先生になったら児童のトラウマになりそうだ。高校送りで妥当だろう。
 そしてそんななかスッチーの変身について、留奈は黙っていたのにあっけなくクラスメイトにバレて何人かが偵察に現れた。程なく、開き直ったちびっ子を廊下で見かけることも。そして、クラスばかりか謎の小学生の噂が学校中を駆け巡った。お前ら、そんなに幼女が好きなのか。
 一方、いつも通りのヤマンバで現れた町橋からは男が一人、また一人と離れていった。それでも女としての町橋ではなく化粧の方に興味のある連城は逃げずにその隣にいた。
 連城は町橋に教えられたメイクアップテクを実践練習しようと妹に迫ったらしいが、回し蹴りを食らって逃げられたそうだ。仕方ないのでクラスの男子に化粧させてくれる有志を募ったが全滅。当然だ。むしろそのケのある危険な奴が居なかったことを喜ぶべきだろう。
 テニス部の男子にも断られた。もちろん俺も丁重にお断りさせていただいた。それでも女子にいく勇気はなかったようだ。体当たりスキンシップを武器にするなかスッチーならやらせてくれるんじゃないかと思い、俺から話を通してみることにした。ああもちろん化粧をな。
 ひとまず、連城には内緒で話を進めて話がまとまったらサプライズとして知らせることにした。ちょっと早いクリスマスプレゼントだ。それに、連城に打診したらきっと止められる。話がまとまり逃げ場がなくなった状態で知らせるつもりだ。そんなわけなので、なかスッチーよろしくな。
「や。それはさすがにハズい」
 ダメだった。
「いいじゃん。顔なんて隠してもいないような所じゃん。触られたって減るようなもんじゃないだろ」
「どういう発想なのそれ。顔近いのはさすがにヤバいから。触られるのなんて、もうね」
 まあ、それもそうか。視覚情報で距離を感じるから目のある顔同士の距離にはセンシティブ、などと理屈を考えるまでもなく、顔が近いのは確かに恥ずかしい。
 サプライズは諦めて、当事者同士でじっくりと交渉させることにする。どうせダメ元なら直接対決する場面をしっかり目に焼き付けて2学期の思い出にするんだ。
「ええーっ。何勝手に話し進めてんだよ。でさ、なんでダメなの」
 連城の口ぶりだと案外期待してたところはあるらしい。
「練習なら自分の顔でやればいいじゃん」
 なかスッチーの言い分はごもっともだ。
「だよなぁ。男でもいいんだろ」
「いやさ。自分にやるのと人にやるのとじゃ色々違うだろ。角度とか」
「まあそりゃ、確かに」
 納得するなかスッチー。俺は折衷案を提示する。
「紙にでも描いてろよ」
「平面と立体も全然違うし」
「もう人形にでも化粧してろよ」
「それがなぁ。なかなかいい人形がないんだよな」
 一応その方向でも検討はしていたようだ。
「硬いマネキンだと塗り心地が全然違うだろ。ノリも違うし。悪くなさそうな人形に目星はつけてるんだけど、高いし、18歳未満は買えないし」
 どんな人形に目をつけたんだか。
「それにそこまでして買って化粧のノリが悪かったら……本来の目的で使うしかないし」
 本来の目的とやらについては考えないことにした。考えるまでもないし。女に近付くために身につけたい化粧テクニックだが、その練習のために女に近付かないとならないというパラドックス。こいつの目的はまだまだ達成できそうにない。
「自分の顔では練習してんだろ。それなら、女に化ければなかスッチーだってきっと恥ずかしくない」
 連城が恥ずかしいと思うが、お前の我儘のためなんだから我慢することが前提な。
「なんかあたしを練習台にしなきゃならない理由でもあるの……」
 なかスッチーの愚痴は黙殺。一応理由ならある。一番練習台になってくれそうだし。彼女が断ったら誰も引き受けてくれないと思う。
 とりあえず、次の日曜日に練習がてら集合し、その時に連城が自分にも化粧して、その顔でならなかスッチーが耐えられるかテストすることにした。午前はそれ、午後はナガミーの練習とテニス漬けの一日になりそうだ。

 日曜日がやってきた。か細い朝日が差し込み凍えるほどの寒さではないコートの隅には、町橋と並んで化粧する連城の姿があった。俺のことは気にせず練習に励んでくれとは言われたが、気になって練習に身など入るわけがなかった。そして、どこで聞きつけたのか女子も何人か見物に来ている。
「見世物じゃねえぞ。散れ散れ」
 そう言う連城の横で、いつもならさっさと元の顔が分からないくらい塗りまくる町橋がもったいぶった手つきで化粧を続け、無言のままでありのまま(ただしナチュラルメイクは済)の私を見てオーラを放ち続けている。言葉にしないと思いは伝わらないぞ。
「あれー。町橋先輩、化粧しないってことはもしかして連城が化粧させてくれっていうの誘ってたりします?」
 などと言い出す土橋。その手があったか。
「どうせこの後厚塗りするんだし、やらせてもらえ連城」
 俺も背中を押してみた。想定外の展開に町橋は狼狽える。
「うぇっ。まぢありえねー。チョーヤバいんだけど」
「ありえねーもヤベーもノーではないぞ。もうひと押しだ」
 ありえねーはノーだと思うが、気にせずに一押しという名目のごり押しをしてみることにした。
「先輩っ!俺を男にしてくださいっ!」
 連城は俺の発言をジョークと受け取ったか、ジョークの路線に進む。化粧ばっちりの顔を町橋にずいと近付ける。
「ひゃー。そんな男がいるかー!」
 苦笑いのまま尻で後ずさる町橋。
「ならば女同士の戯れだと思って気軽に」
 這いよる連城。
「お前男だろー」
 さらに後ずさる町橋。パンツが出そうになったが素早くズボンをずり上げた。ただでさえ不利な体勢に加え、その動作で完全に追いつかれる。
「俺、男なんですか女なんですか」
 そこはそれ、男らしくない男だろう。
 ジョークの路線で話を進めていた連城だったが、面白がった2年女子が介入して町橋を取り押さえ、やっちゃえやっちゃえと連城を促す。ジョークのつもりだったはずだが、状況を見て気持ちを切り替えたのか準備を始める連城。町橋もそんなに必死に抵抗するほど嫌がっていたわけではなく、割とすぐ観念した。何か面白いことになってきたので、男子としてももはや練習どころではない。
 すでに下塗りは出来上がっている。本当はそこからやりたかったようだが、それはまたの機会になかスッチーで。
「いや、あたしはもういいでしょ」
「先輩がなかスッチーの身代わりになってるんだ。このまま逃れたら恨みを買うぞ」
「うはー。何気に悪いほうに転んでんじゃん」
 そんなやり取りをよそに、まずはアイラインから入るようだ。元から近過ぎる顔を見ないように目を閉じている町橋にその旨を伝える。塗ってるかどうか、遠いし連城の後頭部で隠れているのでよくは判らない。しかし、塗られていると思しきタイミングで町橋の足がピクつき手が変な形に動いている。後ろから見た連城はただの男にしか見えない。なんかもう、キスでもしてるか押し倒してるように見える。町橋の後ろで取り押さえている女子から見ればまた違った光景になるのだろう。化粧ばっちりの男が取り押さえられた女子に化粧を施す……。何とも言えない光景だ。
 眉に入る。目元をやられるより幾分マシなのか、町橋の手の動きが小さくなった。
「ちょっとチーク入れますね」
 なんというか、女相手は初めてだと思えないくらい堂々としてやがるな。
「うへえ。まぢヤバいって。ありえねーって」
 悶えながら言う町橋だが、いつも通りの発言で何がヤバくてあり得ないのか把握しかねる。
「あたしさ、誰かに顔触られたことってないんだけど」
 化粧は自分でやっているし、学校でもナチュラルメイクが入っている。女子同士の戯れでも手についたり崩れたりするので顔に触ったりされることはない。そんなわけで、町橋の顔面は一種乙女の聖域になっていたらしい。そこを初めて他人それも男に触られまくっているわけだから、悶えたくもなるわけだ。
「じゃあ、リップを」
「ぎゃあ。それが一番ちょーヤバい」
 とは言え、連城がブラシを近付けるとさすがに動きを止めざるを得ない。暴れると変な顔にされる。そして、上半身で暴れられないので下半身で暴れることになる。
「こら、男子!何こっそり黙ってこっち見てんの!」
 根室がこっちに向かって怒鳴る。いいじゃん減るもんじゃなし。
「見てる暇があるならあたしらの代わりに写メ撮っとけ!キリキリやる!」
 そっちかよ。それを聞いた町橋が一際もがくが、何分口は開けない。口が封じられたところでの指図……流石姑息だ。
「唇突き出してください」
 要するに、チューの口をしろという事だ。男の前で目を瞑ってそれはかなりキツいだろう。挙句、唇を筆で撫でまわされるわけである。
「ん。んんん。んー。んんっ」
 くねくねと悶えながら変な声を出す町橋。さすがにエロ過ぎる。しかも、今の町橋はいつものヤマンバではなく、この間のような美人風メイクだ。それは普通に魅惑的で蠱惑的なな光景だ。俺ですら股間が反応してしまった。周りの男たちも皆心なしか内股気味になっている。
「よーっし。でっきあがりー♪」
 振り向く連城。その顔でかわいく言うな。変な気分になる。そして、ぐったりしている町橋は事後のようでやはりエロかった。出来上がりの町橋の顔を見ながら、女子もおおすげーなどと言い合う。起き上がった町橋も、コンパクトを開いて自分の顔を確認し、言う。
「なんで自分でやった時よりいいのさ……納得いかねぇー」
 ひっくり返ってバタつきだした。
「さあ。前座は終わりだ。それいけなかスッチー」
「なにそれ、顔汚れちゃダメなヤツじゃん。力が抜けるぅー」
 口ではそう言いつつもまだ顔が化粧で汚れていないのでかなりの力で抵抗された。しかし2年女子が加勢し取り押さえると、その力と権力に屈さざるを得ない。大丈夫かどうか試してみる、という事になっていたと思うが、もはや本人の意思にかかわらず強行するしかない流れだ。
 先駆者である町橋の存在によりなかスッチーの気も楽になるかと思えたが、むしろ先ほどの悶えぶりでなかスッチーの恐怖心が増大していた。迫る連城、怯えるなかスッチー。
「やめてお兄ちゃん!」
「何のための化粧だ!男だと思うな、女だ、女だと思うんだ!」
 一応エールらしきものを送っておく。
「だからスポ根はやめろって!……やめてお姉ちゃん!」
 なんだかんだ言いつつ、ノリはいいなかスッチー。
「さあちか。覚悟なさい」
 連城もお姉さんになる。
「……おやめになって、お姉さま」
 なかスッチーの中で設定の変更があったらしく呼び方が変わった。
 抵抗虚しく化粧が始まる。覚悟が決まったのか、それとも硬直しているのか、町橋よりは動きがない。そして、大人しくしていたことに加えて子供っぽい容姿に合わせた薄めの化粧という事もあって、割とあっさりと終った。
「さあちか。これがあなたよ」
 鏡を差し出す連城。
「まあ、素敵よお姉さま」
 さっきからこの二人は何の芝居をしているのか。
「……ってあーもーはずっ。はず過ぎ」
 素に戻るなかスッチー。本人曰く、あまりに恥ずかしいので何かを演じている気分になって恥ずかしさを忘れようとしていたらしいが、終わって思い返すとますます恥ずかしかったとのこと。
「で、どうだった?化粧して女に化けた連城なら安心できたか」
 終わってから聞くのも、本当になんではあるが。
「全っ然!化粧してても男は男!しかも化粧をした男!危険な香りしかしないさ……」
 まあ、そうだろう。連城は化粧で化けるような中性的な顔立ちじゃないからな。俺もきっとそうじゃないかと思ってた。それを伝えてしまうとなぜ先に言わなかったのかを詰られるのは間違いないので、心の中にそっと仕舞っておく。

「さあ、お次はだあれ?」
 連城はまだ何かを演じている。そして、その言葉に女子が散った。
「ひっ捕らえろー!」
「ラジャっす!」
 町橋先輩の命令なので従わないわけにはいかないと言わんばかりになかスッチーが猛然と追跡を始めた。二人とも、ここまで来たら仲間を増やさずにはいられないらしい。まるでヴァンパイアかゾンビだ。
 なかスッチーが見た目の割にはそして相変わらずの健脚で、ターゲットにしたのは根室だった。町橋を真っ先に取り押さえたのも、男子に写真撮影をさせたのもこいつなのでターゲットにされるのも止む無しであろう。
 取り押さえられた根室ににじり寄る連城。
「覚悟はできてんだろうな、覚えてろよー」
 後輩を脅す根室だが。
「はいっ、今日のことは一生忘れません!素敵な思い出を作りましょう!」
 連城の並々ならぬ覚悟を知りもがき始めた。
 眼鏡を外され、童顔があらわになる。まるで初めてのキスを待つような不安に満ちた表情。そこに、連城が顔を近付けると表情がさらに歪んだ。
「ぶほっ。ちょっと待て、その顔は反則だろ!どうにかしろー!」
 それは確かに。
「化粧していない連城が間近で真顔でじっと見つめながら顔をいじってくる方がいいですか」
 確認してみた。
「……ごめん化粧してた方がマシ」
 こんな奴にドキドキさせられては末代までの恥だし、ふざけていた方が気が紛れるという事だな。多分。
 しかし、化粧をされるくすぐったさに加えてこの顔を見て笑いを堪えなければならない。堪えきれずに動いてしまえば変顔にされる危険性を孕んでいる。そして、なかスッチー曰く化粧していても男は男。男に間近で見つめられ顔を弄られるという緊張も伴い、想像以上の苦行になっているようだ。日頃強気の根室の怯えた表情。案外可愛い。
「それじゃあその表情を1枚。はいっ」
「こらー!写メ撮るなー!」
「えっでも撮れって言ったの先輩っすよぉ〜」
「あたしを撮っていいとは一言も言ってない!」
「私の権限で許可する。やっちゃえー」
 割り込む町橋。もはや根室もぐうの音も出ないようだが、ぎゃーの音は出た。
「覚えてろよー!」
 俺も脅された。
「はい。一生の思い出に」
 先駆者である連城の発言をありがたくパクらせてもらう。
「お。この写真ってもしかして根室先輩の弱みになりますかね」
 撮りながら、思いついた言葉を口に出す。
「ぎゃー。恐ろしいことを言うな!」
 まあ、口に出して言っちゃう時点で本気じゃないので察して頂きたく。
「弱みにしないためにも。隠しておくのは良くないぞぉ。部室に貼り出しておくわ」
 町橋恐ろしい子。でも、むしろ優しさのような気がする。一度貼り出されてしまえばもうこの写真に怯えることはないのだから。
 どんどん八方塞がりになっていく根室。そして、どんどん化粧が施されていく根室。程なく、できるOL風メイクの根室が出来上がった。ジャージじゃなくスーツ姿であればさぞや決まってただろう。せめて制服姿なら。
「う?……んー。……うん」
 根室も仕上がりを見るとまんざらでもないようではある。
 ここまで来た以上、今後のテニス部の平穏のためにもここに居合わせた女子は全員餌食になってもらわないと示しがつかない。2年でただ一人無事だった沢木が捕獲され、1年の舞と留奈は覚悟を決めて自ら連城の前に進み出ざるを得なかった。
「あたし、きれい?」
 化粧を終えた留奈は当然のように真っ先に俺のほうに寄ってきて、口裂け女のような科白を吐いた。喩えが古すぎる気はするが気にしてはいけない。
 なんとなく水商売風のケバ目の化粧だ。しかし、悲しいことに妙に似合っている。連城はそれぞれのキャラに合わせた化粧を施しているのが恐ろしいところだ。……留奈は、こういうキャラだと認識されているという事でもある。
「よーし、化粧してる奴全員で写真撮るぞー」
 根室が仕切る。その化粧している奴の中には連城も含まれている。どうやら、諸悪の根源である連城をこの中に混ぜ込むことで辱めるのが目的のようだ。だが、すでにテンションが上がりきっている連城はこの作品は全て俺が作ったといわんばかりに自慢げかつノリノリで写真に入り込み、根室の目論見は崩れた。まあ、テンションが下がってからが勝負か。

 午前中は日曜練習をするとだけ伝えておいた樹理亜だが、記念写真の撮影中になぜかコートに現れた。更になぜか、ナガミーまで一緒である。まだ詳しい事情を知らない男子は大混乱になる。事情を知らないのは女子も同じだが、こっちはきょとんとするばかりだ。
 この後合流して4人の練習に行くことになっていたが、暇だったのだろう集合を前倒しにしてこっちの練習を見に来たようだ。だが生憎、練習そっちのけで見た目あっちのケがありそうな男に女子の顔が弄られる場面に出くわす羽目になったわけだが。
「何やってんの……?」
 呆気にとられる樹理亜。まあ、当然だ。
「連城のメイクアップショー。さあお二人もおひとついかが」
 冗談めかして言うと樹理亜は逃げだした。
「面白そうね。やってみなさい」
 対してナガミーは進み出た。本気だ。これにはさすがに連城のほうが焦る。そしてついでに自分一人取り残されることになる樹理亜も再度声が掛かったら断りにくくなるのが目に見えるので焦る。
「え。ええーっ。マジか」
 至近距離にナガミーのきれいな顔を近付けられ狼狽える連城。だが、手元ではすっかり手慣れた手つきでしっかりと準備は進む。流石に最初にその顔に手を触れる時ばかりは震えが止まらなかったが、化粧を始めると無心になった。なんかもうプロの風格が漂う。
「うん。ほんときれいよ。もう、ステキ」
 カマっぽい口調で話しかける連城。今度はこっちが役になりきることで緊張を解そうとしている節がある。
「連城君ってそっちだったっけ?」
 小声で言う樹理亜。距離は近いので、多分本人の耳にも届いているだろうが。
「いいや。なんか今日は顔がああだからキャラ作ってるみたいよ。一応、女同士で化粧しているというイメージだし」
「……うーん」
 何に対する唸り声かは分からないが唸るしかないようだ。やはり、あの顔で女同士と言うのは無理があるか。まあそもそも、樹理亜はまず何で連城の顔がああなってるのかを理解してないんだっけ。そりゃあ、唸るしかない。だがしかし。わざわざ説明するほどの事でもない。樹理亜の中では永遠に謎になることだろう。
 それはともかく。ナガミーはナガミーで平均以下の男と接する事にはやはり慣れているらしく、堂々としたものだ。あのおたおたしていた時とはまるで違う。真正面を見据え、目すら閉じない。その目に負けて連城の方が正面から外れるほどだ。もしかしたら、あの四天王とか言う腰巾着連中にマッサージくらいはさせてるのかもな。そうでなきゃ、男に触られてこうも平然とはしていられまい。
 連城の緊張に連動してか先程までのふざけた雰囲気とがらりと変わり、妙な静けさの中粛々と化粧が進む。加えて元々整った顔であまりいじらなくても見栄えがする。この化粧も早く終わった。
「せっかくナガミーに遠慮なく触れるチャンスだったのに随分あっさり仕上げたな。もっと堪能すりゃいいのに」
 化粧を終えて集中が途切れ、現実に引き戻されてその現実から逃げるようにこっちに駆けてきた連城に言う。
「うーん。なんかそう言うこと考えずに手が動いちゃうんだよなぁ」
 なんだそのプロ魂。なんかもう女に近付くために化粧をさせてもらいたいのか化粧させてもらうために女に近付きたいのか分からなくなってそうだ。
 これは後から連城から聞いたことだが、テニス部の女子は身近な題材としてもしも化粧をするとしたらどう仕上げるか何度となくシミュレーションしてきたそうだ。だからこそのあの手際の良さと迷いのなさか。一方ナガミーは、練習試合までにも近隣に名を轟かす美少女として全くシミュレーションしてきていないわけでもないが、写真でしか見たことがない接点のない相手と言うことでイメージしてみた所で現実味はないし、生で見たことでイメージこそしやすくなったもののそのままで十分通用する美少女が相手では顔を変えるほど塗りたくる意味がない。なのでイメージトレーニングが十分ではなかったらしい。
 それでも、ナガミーはその仕上がりに割とご満悦のようだ。8割方は地の顔のおかげであろうが。素材の持ち味を生かすナチュラルメイク……こういうのも料理と同じで素材がいいほど手を加えないってことだな。味付けは塩だけ、みたいな。
「ねえねえ明弘くん、どうかな。きれい?」
 三沢に駆け寄るナガミー。三沢は少し困りつつも返事をする。
「うん、きれいだよ」
 素直に答える三沢と素直にうれしそうなナガミー。それはいいが、このやり取りはいいのか。いろいろバレるぞ。
 案の定、周りの連中特に女子が不思議そうな顔をした。と言うか、ほぼ今ので察したと言えそうだ。そりゃあ、まさかの下の名前呼びだしな。ひとまず、ナガミーの方にはこのメンバー相手に隠すつもりはないようだ。むしろ、樹理亜のほうがこの状況に焦っているように見える。
 そして、化粧をしまくったことで舞い上がってるおかげか二人の様子をまったく気にしていなかった連城が、根本的な疑問を口にした。
「ところで、なんで長沢さんがここに来てんの」
 お前以外は今のやり取りを見て三沢に会いに来たんじゃないかと考えていることだろう。そして、概ねその通りなわけだが。さすがにこうしてナガミーが現れてしまった以上、午後のことを隠しておく理由もない。
「ほら、樹理亜がナガミーとメル友になったじゃん。その関係で俺もテニスやらないかって誘われてんのよ」
 思えば、この言い方だと樹理亜と俺しか誘われてないようにも聞こえる。話しているのが俺なんだから、俺に関係ある事柄が最優先されるのは仕方がない。その練習に俺も誘われたということが俺にとっては最も重要なポイントだ。だからこういう言い方になる。そして、多くの人が知りたいことについては触れてもいない。誰も何も言いださないが、この答えで満足したのは連城くらいだ。
「そうなのか。うまいことやりやがったな。楽しんで来いよ」
 本当にうまいことやりやがって楽しんでくるのは俺じゃないが、もちろん俺はそんなことを言ったりはしない。
 そして、今の連城にはそんなことよりも重要なことがあった。
「ところで吉田。……お前の彼女、貸してくれるな?」
「そこは俺が決めることじゃない。本人の意思を尊重した形になるように説得してくるわ」
 このやり取りはもちろん樹理亜の耳にも届き、ちょっと逃げ腰になった。
「そんなわけだから、ちょっと化粧されてくれないか」
「うわー。やんなきゃダメ?」
「俺はあくまで本人の意思を尊重したことにしておきたい」
 つまりは本人の意思がどうであれ無理やり本人から許可を出させたいということだ。もちろん、そのための策がないわけではない。俺は一言言い添える。
「このままだと留奈に負けるぞ。……留奈に負けるな」
 ダジャレを思いついたので言い直した。ダジャレはともかく、留奈を引き合いに出されて対抗心と言うか嫉妬心と言うか、そういうものに火が付いたようだ。ちらりと留奈の方を見、少しまだ迷った後、決意を固めた。
「分かった。あたしやるわ」
 流されやすい子だ。父親としてちょっと心配だぞ。自分で丸め込んでおいて言うことじゃないがな。
 留奈がノリノリで別段抵抗もしない樹理亜を取り押さえ、ついでにナガミーも何となく取り押さえ、二人に両脇を固められながら化粧が始まる。やはり顔が近付いた時や塗られてるときは堪えてるようなリアクションがあったが、覚悟はできていたようだし慣れてきたら大人しくなった。なんとなく、掛かる時間も流石に長めだ。普通の顔だから仕方ないのかもしれない。
 仕上がってみると、思ったよりも濃い目の化粧になっていた。かといって大人っぽさを出している感じではなく、むしろ逆方向に向かっている気がする。ほっぺたがやけにピンクい。東北の小学生みたいだ。連城曰く読者モデル風ガーリーメイクだそうな。読者モデルという事は……普通の女の子っていう事だよな。そこらへんの。
「どう?可愛い?」
「うん。可愛いんじゃないか」
 訊かれたので無難に返しておく。すっぴんよりは見栄えがするような気はするが、読者モデル風という時点で異性より同性に媚びた顔立ちになっていることが考えられる。なので、俺に聞かれても困る。
 留奈は樹理亜の仕上がりを見て不機嫌になった。という事は、やはり女から見ると可愛いと感じるようだ。俺からするとその留奈と見比べてみて、顔だけでどっちをホテルに連れ込みたいかと言われたら留奈のほうに軍配が上がりそうだ。顔だけはな。ただ、可愛いという言葉だと樹理亜の方という事になるか。そのくらい、カテゴリーが違う。
 根室がやってきて樹理亜の写真を撮り始めた。ナガミーと並べて撮らないのは優しさか。そのナガミーは三沢が撮影中だ。
 それが終わると、練習はお開きになった。そう、本来は練習だったんだよなこれ。化粧で遊んだだけで終わっちまった。
 だがしかし。女子にはこのまま終わっていいと思っている奴などいなかったのである。

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