Reincarnation story 『久遠の青春』

28.暮れゆく転機の一日

 胸に秘めていた過去を曝け出し、その呪縛を打ち破るべくメル友を作って前に進み出したナガミー。俺たちのせいで掻き乱された精神は、どうにか俺たちの手で試合までに平穏を取り戻させた。
 心機一転したナガミーは次の試合もあっさりと快勝した。見た感じではコンストレーションが乱れていても問題なく勝てたような相手だったけどな。トーナメントだからと言って当たる相手がだんだん強くなるとも限らない。トーナメントでへっぽこ同士が当たれば勝ち上がってくるのも当然へっぽこだ。冗談抜きで三沢がうまく思える位のレベルだった。その辺は腐っても現役テニス部員といったところ。いや、腐ったどころかこれからどんどん伸びていくはずだ。……普通なら。
 続けてその三沢とのペアによるダブルス。相手はご達者シルバーペア。老練の技で見事に初戦は勝ち抜けてきたようだが、体力の差は如何ともしがたい。初戦だけでも勝てていい冥土の土産にもなっただろう。これ以上無茶をさせてお迎えが近くなる前に引導を渡して休ませてやるべきだ。
 相手が相手だからかナガミーの球筋にもいくらかの容赦が垣間見えたが、これも難なく勝利。ご達者ペアはやり遂げた満足感とともに笑顔で去っていった。順当に負けこそしたものの、体のほうは無事で何よりだ。
 参加者も淘汰されて数が減り、ナガミーそしておまけの三沢も出番がハイペースで回ってくるようになった。しかし、わがテニス部員たちに本来の目的であるナガミーの応援に熱心になる者はいない。もはや応援などしなくてもナガミーの優勝は火を見るよりも明らかだ。そして、足を引っ張ることなく付いていく三沢もまた、危なげなく棚牡丹の勝利を約束されている。かといって役に立つほどのこともない。そんな棚牡丹の役立たずにも応援はいらないだろう。
 そして応援する方はする方で自分のことで手一杯、もはや美少女を眺めに来たことも忘れ、眼前の化粧美女やにわかちびっ子に釘付けだ。高嶺の花より手元の団子。牡丹餅と団子が揃ったところで茶が欲しい。
 言い出しっぺの桐生でさえも市村といちゃつく片手間でたまに声援を投げかける程度だ。一番まともに応援しているのは室野と斉藤ちゃんか。試合が終わるとこの二人とナガミー・三沢が4人になって次の出番を待つ。女同士男同士はそれぞれ中学時代の知人ということもあり一番安心できるのだろう。
 そして、留奈は俺と樹理亜の近くで牽制している。留奈だけ一人だけぽつんと居る感じになってしまっているが、淋しいのであればなかスッチーのところに逃げ込めるわけだし、敢えて孤独を選んでいるのだろう。町橋となかスッチーの逆ハーレムも合わせて、今日の定位置は確定したようだ。
 ナガミーのシングルス。やる気のありそうな怖い顔のお姉ちゃんだ。年齢は不詳。10代から40代だとは思うが、50代以上の可能性も捨て切れない。服装からして女性であることは間違いないはずだが、女装趣味の男だったらどうしよう。一応、性別も不詳にしておいた方がいいんだろうか。美女と野獣。そんな言葉が似合う二人だ。
 彼女ということになっているナガミーがいなくなり、三沢は室野と男同士で喋りだした。手持無沙汰になった斉藤ちゃんが近付いてくる。
「ねえ。あなたたちって本当は長沢先輩の何なの?こっそり教えてよ」
「なぜ俺に。三沢から何か聞かなかったのか」
「ゆうちゃん、そういう話振らないから。あなたは先輩と一番親しげに話してたでしょ」
 ゆうちゃんとは室野のことか。あいつのことは知らないが、まあそんな話振りたくないだろうな。どんな事情があったにせよ、自分といくらも変わらないような普通の男とあんな美少女との馴れ初めなんて話は聞いても妬ましいだけ。そんな自慢を始めよう物なら殴ってでも話題を変えたいくらいだろう。
「別に親しいわけじゃなくて馴れ馴れしいだけだがね。俺たちゃナガミーの学校の近くの学校の生徒でよ。この間親善試合やったんだわ。そしたらあそこにいる先輩が、一度同じコートに立った者同士は友だ!とか言い出して、その友が出る試合を嗅ぎ付けてこうしてみんなで応援に来たわけ。実質、ナガミーが可愛いから見たいってだけでついてきた男ばっかだよ」
「あなたは?いくら馴れ馴れしいとは言ったって先輩相手にいきなりそんなに馴れ馴れしくできないでしょ。何か接点があるんじゃないの」
 俺の中身はオッサンなんだから高校生なんてみんなガキンチョという感覚はある。だから余裕で馴れ馴れしくできますとも。ま、さすがにそんなことは言えんが。
「一応、ナガミー自身に直接ボコボコにされた間柄ではある。その時に二言三言話はしたな。接点と言えばそんなものかなぁ。先輩相手に容赦ないのは、うちの先輩にツッコまざるを得ないキャラが揃ってて、先輩相手のツッコミに馴らされたせいだと思う」
 適当な言い訳だが、なんとなく本当にそんな気がしてきた。ツッコミどころ満載の先輩も、今日は桐生・市村カップルと町橋しか来ていないのが……サンプルとしては十分か。
 せっかくなので、俺からも質問。
「ナガミーみたいなすごい選手がいたなら、おたくらの中学はさぞ強かったんじゃね」
 力強くぶんぶんと首と腕を振り回す斉藤ちゃん。流石なかなかのスナップ。
「一人だけ特別だからねー。凡人の中に天才が放り込まれて、周りの凡人のやる気なんかなくなっちゃうわよ。だから部活全体はダメダメ。それに比べて東中はすごかったわよー。それこそ、ゆうちゃんなんてギンギンに光ってたもん。あたし、同じ高校になったら真っ先にコクったもん、ダメもとで。まさかうまくいくなんて、ねえ」
 聞いてもない斉藤ちゃんの恋バナを聞かされた。
「あの人、モテてた?」
 なぜ食いつく、樹理亜よ。
「いやいや。何せコクるのが私だし」
 うむ。確かに、ダメだろうな。けろっと答えはしたが地雷のようなものだ。樹理亜はリアクションに困っている。
「でも、コクられるほうもアレだから。モテたことのない男子としてはコクられただけでテンションマックスだったみたい」
 理想は高く持ちたいところだが、水は低きに流れるものだ。まして、流れやすいように筋道を作ってあるのならば尚更。とは言えども。
「さっきの留奈の話だと、割と冴えない容姿の野郎でも部長になった途端一気にモテたみたいだけど」
「割と冴えないのと冴えないのは違うよぉ」
 そう言えば、留奈の食指も動かなかったっけ。“割と”ってけっこう影響力がでかいもんだな。
「でもさ。だからこそお似合いだと自分でも思うし。や、でもテニスやってる時はホントにカッコいいの」
 のろけだした。テニスをやってないときはどうだというのか。それより樹理亜は本当に開くべきでない箱を開けたと思う。
「でさ。長沢先輩とあのカレシってどんなきっかけがあったの」
 会うのすら二回目で口を利いたのに至っては今日が初めてという偽にわかカップルだが、あの釣りあわなさからはよほどのドラマを想像してしまうのだろう。役得ついでに心行くまでカレシぶる事にした強気の三沢が、ぼっちでシャイなナガミーをリードしているように見えるし。
 なまじ事情を知っている樹理亜は何と言っていいのか困っているようだが。
「知らんな」
 これでいいだろ。
「ま。そうよね」
 話は終わった。そして、別に聞きたくもない斉藤ちゃんの恋バナに戻るようだ。初対面の相手にのろけるのがそんなに楽しいのだろうか。一応楽しそうな樹理亜にこの場は任せてゆっくりと離脱する。
 視界の隅で留奈が動き出したので方向転換してなかスッチーの方に向かって歩き出した。

 方向転換したところで、走って追いかけてくる者には追い付かれる。
「ねー。流星、昔テニスやってたって言うけど、いつからやってるの?やっぱり誰かに憧れたり?」
 先ほどの流れから、今日は徹底的に過去のことを語りあうつもりらしい。俺はこれまでにもあまり過去の話はしてきていないからな。何せ、思い出話をしても世代が違うから話が合わないし。
「まあ、俺は流行ってたからって感じだな。ちょうどマッケ……いや夏岡修造が大活躍してた頃でさ」
 マッケンリーが活躍してた頃、今の俺たちは生まれてさえいない。
「ずいぶん前の話だよね、それ。あたし、あの人が選手だった頃のことは知らないなー」
 比較的最近のプレイヤーに言い換えてもこのざまだ。今でも元気にテレビに出てるから最近の人のような気がしたが、そう言えば夏岡だって俺が死ぬ前から名前は聞いてたような。車舘公子位にしておけばよかったか。いや、素直に今一番ホットな西郡圭に釣られて始めたニワカってことで十分だったな。
 なにせ、この部活を始めた理由も決して積極的ではなかったし、テニスを選んだのも消去法。前世でやっていたからこれが残ったというわけでもない。むしろ、前世でもやってたし他のものをやってみてもいいかなとさえ思ったほどだ。結局、若者につきもののフロンティアスピリットなどというものはまったく発生せず、やっぱりやったことのあるテニスをまたやろうという結論に至った有様。そして、前世でテニスを始めた理由はまさに当時何となく流行っていたからに他ならない。吉田流星になってからはほとんどテニスと縁のない人生を歩んできた。それどころか前世でも詩帆を捕まえてからは思い出したように二人でやるくらいで、他の誰がテニスでどうなろうと我関せず。それはテニス部に入った今でも相変わらずだ。今の俺にテニスを始める理由など何一つない。
 留奈なら今の発言でも騙せそうだが、こんな話を樹理亜に聞かれたら首を傾げられるな。あいつは俺がいかにテニスと無縁の人生を送ってきたか知ってるんだから。留奈が俺からこんな話しを聞いたと樹理亜に自慢でもしたら面倒だ。やはり過去のことは振り返ったりせず今を生きるのが俺に相応しい。
「ずいぶん前からやってるんだね」
 どのくらい前と言うことになったのか、俺には分からないのがもどかしい。自分の発言なのにな。とにかく、間違いなくものすごいベテランと言うことにはなったはずだ。言い訳しなくては。
「いや。その時ちょこっとやったっきりで長らくラケットなんて握ってもいないぞ」
「その割には最初から結構うまかったよね」
「そうか?人並みの運動神経があればあんなもんだろ」
 そうは言ってみたが、絶対に人並みの腕前ではないな。少なくともゆるーくながら10年くらいは経験があるんだから。少なくとも、運動神経を含めて人並みからは程遠い留奈は軽くダメージを受けたようだ。
「あたしはねー。小3の頃かな。ほら、さっきの『みどりの四角』。それがちょうどその頃でさ」
「ああ、あの四角関係の……そんな漫画を小学3年で読んでたのかよ」
「少女漫画ならあのくらいは普通だもん。男子だって殺し合いとかエッチなのとか読んでるじゃん」
 そうだっけ。昭和だとおおらかで今考えるとものすごい表現も多かったけど、最近はうるさくなってそうでもないんじゃ。あんまり子供向けのマンガは読まないし、その辺はわからん。
「そのマンガ、まさにその夏岡修造でブームが起こった世代の人が書いててさ。漫画家の人はテニスのことをよく知らなくて、編集の人に色々教えてもらいながら書いたんだって。そのせいか、今思えば結構テニスのことはいい加減でね。あたし、それを参考に練習したんだけどなー」
 それを参考にしたから自分のテニスの腕もあんな事になっちゃったんだと言いたいのだろうが、留奈の場合は基本スペックが悲惨だと言うことはバレてるから見栄を張らなくてよろしい。
「でも小学生にはさすがに二股とか早すぎだと思うぞ」
 その言葉に反応したのは留奈ではなかった。
「だから小学生じゃないっての。見た目は子供、中身は大人!」
 なにを言っているのかはわからないが、なかスッチーのところに到着した。そう言えばこの幼女も今二股ダブルデート中だったな。思えばスッチーのコスプレでテニス部に出会い、幼女のコスプレで転機を迎えるというコスプレに翻弄される人生を送っている少女だ。
「ほんとに大人なのぉ〜?」
 留奈がちょっかいを出し始めた。女同士ということもあり、大人チェックと称して遠慮なく胸を揉みだすが、男に囲まれていることを忘れてやいないか。そもそも中身のチェックになってないし。なかなかに楽しいことになりそうではあるが、留奈が離れてくれたのはこれ幸い。俺もこっそりと離脱することにした。なかスッチーが男漁りに没頭し始めてからは留奈が野放しになるのではないかと不安だったが、なかスッチーのあの状態には留奈も自分から食いつくくらいのいい餌になっている。
 樹里亜のところに戻ると、室野が樹里亜と立ち話する斉藤ちゃんのそばに所在無げに立っていた。いつの間にかコートではダブルスが始まっており、三沢が連れ去られて手持無沙汰になったらしい。初対面の相手との恋バナって、彼氏をほったらかしてまでするものなのか。
 俺が近寄っても二人は恋バナをやめなかった。初対面の相手との恋バナって、それほどまでにしたいものらしい。
 ちょうど樹里亜が俺の家の中に上がり込むほどの親密ぶりを自慢しているところで、黙って聞いているのもこっぱずかしい。しかし、樹里亜も日頃何も言わないが俺のことをカレシとして認識していたようだ。俺もカレシぶってれば悪い虫は寄り付かないと思ってそういう態度をとってはいたから、向こうもそのどんどんその気になっていったんだろう。
 絶対にモテたことなどないのが見るからにわかるピュアな二人にとって、そんな話はまさに毒そのもの。自ら毒に食いついた斉藤ちゃんは食らわば皿までという覚悟だが、行き場を失って誘い込まれた室野にとっては逃げ場のない毒沼に足を突っ込んだような絶望的な状況になっている。
 かわいそうなので声をかけてみる。一人でいるとまた留奈が忍び寄ってくるかもしれないしな。ひとまず三沢がどんな中学生時代を送ってきたのか、まったく興味はないが聞いてみることにした。
 聞かれたところで話すことも特にないくらいに平凡で何もない中学生時代を送っていたようで、ほんの1年近く目を離した隙に年上の美少女を侍らせるに至ったドラマが全く想像できないとのこと。そりゃそうだ。あいつだって昨日まではこんなことになるとは露ほども思っちゃいない。
 とにかく、せっかく毒沼から救い出してやったのに見渡せばどいつもこいつもいちゃついている有様だ。ネットじゃあこういう相手がいない方が毒男毒女呼ばわりなのにな。
 しかし、室野だってグレードこそ低めながらちゃんと彼女はいるわけで。そこはしっかり胸を張っていいと励ます。何で俺が。
 そして、そんな室野が一番妬ましく思っているだろう三沢達が最後のプレイを終えてすっきりした顔で帰ってきた。なんかいやらしいことを想像するな。もちろんテニスの話だ。残すはナガミーシングルスの決勝だけだが……。準決勝を見た感じ、頑張れば俺でも勝てそうな相手だった。今まで以上に見どころの無い、一方的で地味な勝負になるだろう。
 そんな試合に、三沢はナガミーの背中を軽く叩いて見送る。本当にカップルみたいだ。
 相手は手加減したいとも思わないような面構えのガテン系の兄貴だし、腐ってもここまで勝ち残って来る選手。さらにナガミーにとってもこれが今日最後の試合だ。温存も温情もいらない。心おきなく遠慮なく、後腐れも情け容赦もなく全力を出し尽くすナガミー。相手は何一つ見せ場もないまま完封されてあっけなく全てが終わった。

 ナガミーにはまだ最後の仕事が残っていた。表彰式だ。ゲートボールの優勝者、ピンボールの優勝者、ピンポンの優勝者に続いて最後にテニスの優勝者の表彰。
 どうでもいいが、表彰の合間に入る市長の話が長い。ゲートボールの優勝者は市長の知り合いらしく、延々と昔話を聞かされた。その話の間、微動だにしない爺さんがちゃんと生きてるかが気になってただでさえ聞く気の起こらない話がますます耳に入ってこなかった。
 ピンボールについては、この大会が15台のマシンを使って参加者には自腹で好きなだけプレイしてもらい、15時の時点でのハイスコアだという説明を始めた。それぞれの台でのハイスコアの人も表彰されたが、半分くらいは優勝した奴だ。さらに、プレイした回数ランキングも表彰されたが、そっちはスコアランキングとは被らず。考えてみりゃあハイスコアが出せるくらいうまければ少ない金で長くプレイできるわけで。これは下手なのに諦めが悪いランキングだ。
 ピンポンの優勝者は県大会でも決勝まで残ったという強豪中学の選手だとのこと。今ここに集まっている人々は大体がこの市の人間で、そんなことはとっくに知っているので今まで以上に市長の話など聞いていない。
 ゲートボール、ピンポンと優勝者を紹介しているが、それを考えればピンボールの優勝者について特に言うべきことはなかったということだな。まあ、大会の開催費用の一部くらいはプレイヤーから回収できただろうし、市としてはそっちの方が言っておきたいことだったのだろう。そう考えれば、下手くそで諦め悪いランキングも市の財政への貢献度ランキングと捉えることができるわけで。それは紹介したくなるな。
 ボウリング部門の優勝者についても語ることはなかったようだ。そして、市長自身もボウリングには興味がないのか、ボウリング場もすっかり減りましたねなどと言う優勝者の気分が守下がるような話をし始めた。幸い、誰も気にしていない。聞いているのかすら怪しい。
 最後はテニス部門の優勝者紹介。どっちもナガミーだ。先にダブルスの表彰が行われ、次いで三沢を追い払ってシングルスの表彰。そしてそこでまたしても市長の長話の口火が切られた。三沢について話すことは何一つないようだ。当然だがな。
 このような市民大会を開いてスポーツを推進してきたおかげでこの市からまた将来有望なプレイヤーが出現したということを嬉しそうに語る市長。市民の大会がナガミーの一人舞台になっちゃったがいいのかとずっと心配はしていたが、この市長の話の感じからして、この大会は強い選手のお披露目会みたいな側面もあるようだな。それはいいとして、話の途中からナガミーが少しそわそわもじもじし始めた。長話に付き合わされてトイレにも行けないからな。かわいそうに。
 表彰も終わりナガミーが無事解放されたところで、最後に市長からのダメ押し閉会のあいさつ。まだ喋り足りないのか。市民であっても興味はないだろう、まして市民でもない俺たちにまったく興味が起こらない話をしばらくした後、次は4月の市民野球大会で会いましょうと言い残してようやく演説台を降りた。スポーツで温まり汗までかいた体で寒空の下棒立ちにさせられ、風邪をひく人も多そうだ。一番の勝ち組はほとんど汗をかいていない観客とピンボール衆か。スポーツを推進しているなら市長も何かに参加して汗にまみれておくべきだな。それからなら長話もしないだろうに。ほんと、政治家というのは市民の痛み苦しみを知らん。けしからん。まったく。次の選挙には絶対に入れてやらんぞ。年齢的にも住所的にも無関係だった。ちっ。

 結局、ナガミーは長話から解放されてもトイレには行かなかった。どうやらトイレを我慢していたのではなく、ただ単に体が急に冷えて寒かったか、ずっと自分に向けられ続ける大衆の視線に落ち着かなかっただけらしい。地はシャイらしいし。体の水分はとっくに汗で体から出ちまってるか。
 一方、温かいお茶をしこたま飲んだ後に外に出てきた留奈はトイレとの往復で一汗かいたようだ。長話の途中でも寒い温めてなどとほざいていたが、寒いと感じると同時に尿意も襲ってくるようで結局それほど体は冷えなかった。最終的にはなかスッチーといういい湯たんぽも手に入れたようだ。脂肪のおかげでなかなかの温かさだろう。堂々と抱きつけるのは女子同士の特権でもある。そして女同士がじゃれ合っている姿というのは決して不快ではない。そう言うのが大好きな人も少なからず居はするものの、好みははっきりと分かれ概ね不快になることだろう。
 それはとにかく、周りの客も帰り始めている。俺たちもお開きだ。
「よーし。長沢さんの優勝を祝して祝勝会といこうじゃないか!カラオケでいいかい?」
 唐突に仕切り始める桐生。
「おごりですか」
「もちろん……割り勘さ!」
「事前に言われてないし、そんな金もってきてる人いないでしょ」
「それもそうか。それじゃ二人で行こうか、洋子」
 お前らはホテルでも行ってろ。
「じゃあさ。その前に」
 市村がナガミーに近付いてきた。男連れの女が自分に何か言いたがっている……今日の話を聞いた限り、一番苦手なパターンだ。まして、その男は彼女の目も憚らず自分に会いに来たと公言までしている。普通なら修羅場になりかねない状況。おどおどし始めるナガミー。だが、もちろんそんなことにはならない。
「このあいだ一回会っただけなのに今日は大勢で押しかけちゃってごめんなさいね。迷惑だったでしょ?」
 小声で話しかける市村。
「い、いえ、そんな!」
「あいつもさ。割となんにも考えてなくて、男だ女だってことも気にしてなくて。変な下心もないからさ。友達になってあげてよ」
 小声だが、そのあいつに聞こえないほどの距離と声ではない。
「えっ……。いいんですか」
「もちろん。……あいつよりテニスうまい人ってなかなかいないからさ。調子に乗ってたらいじめてもらおうかな」
「それは……」
「冗談よ。ほら、しょーちゃん。ちょっと来て」
 呼ばれてほいほいやってくる桐生。
「今日はしょうがないけど、もういきなり押し掛けちゃダメよ。メールくらい送っておかないと」
「それもそうだな。よーし、メルアド交換だ!」
「えっ。あ。はいっ」
 これだけ照れもなにもなく女にメルアド聞けるのはすごいな。ましていくら言い出しっぺとは言え彼女である市村の前で。ナガミーも流れに逆らえずによく分からないままメルアド交換させられ、終わってから事態が飲み込めず放心している。
「あたしとも」
 市村ともメルアドを交換させられるナガミー。それが終わると市村はナガミーに言う。
「いいお友達でいましょ」
 それって、コクってきた相手をフる時に言うセリフじゃね。まあ、同じようなことを俺も言った記憶がないわけではないな。
 去り際に、市村はちらりと町橋の方を見た。町橋は無言でにこやかな笑みを浮かべている。もしかして、これって町橋の差し金か。一日中桐生といちゃついてた市村に、ナガミーの事情を知る由もないわけで、そうなれば自分からこんなことを言い出すこともない。
 今日の様子から見ても、ナガミーが市村から桐生をもぎ取ろうなどと考えることはないだろう。その点も踏まえて、ナガミーと桐生の架け橋になるように、町橋が市村に持ちかけたと言うところか。市村から言い出せば、ナガミーも市村に気を遣って躊躇う必要はない。
 それにしても、町橋って日頃人間やめてそうなヤマンバギャルの割になかなかやるな。樹理亜とメルアド交換させたりもしてたし。思えば、裏で糸は引くが自分の手は汚してないな。結構食えない女だ。
 桐生も、去り際に一言ナガミーに言い残す。
「今日はこうして君の応援という形で駆けつけたけど、次会うときはまたコートであいまみえたいね。そして……次こそは勝つっ!」
「あ。はい」
 無理なことを言うな桐生。
「その時までに君も一段と上げて俺を楽しませてくれよ!それじゃ!」
 ナガミーがますます腕を上げたら全然勝ち目ないだろ。まあ、どっちにせよ桐生は楽しめると思うが。
 爽やかに手を振り、桐生は市村と共に去っていった。

 何もしていないが、幹事とも言える桐生が居なくなったことでいよいよもってお開きムードが強まった。来た時は駅に集合だったが、解散は現地解散だ。まあ、ほとんどは駅に行くことになるが、三沢などはここから家に直帰できる。
「三沢んちって、どっちにあんの」
「こっちの方。市内といっても隅っこの畑ばかりのところだよ」
「えっと、あの。どこ?」
 ナガミーが口を挟んできた。
「鉤淵っす」
 室野と斉藤ちゃんは居なくなっているので三沢も敬語に戻っている。っていうか、その地名は聞いたことがあるような。そう言えば、今朝三沢がナガミーに言ったんだっけ。その時は「あなたの住所になんて興味ないわ」なんて言ってたが、気が変わったみたいだ。
「そっか。……あのさ、その。あなた、今日見た感じだとフォームとかまだまだ改善の余地があるから……」
「教えてくれるんすか。そりゃ、うれしいっす」
「えっ。そう?」
 ナガミーも嬉しそうだ。何というか、これは。
「おいおい、三沢。案外脈あるんじゃねーの」
 小声で言うと、真っ赤になったナガミーに全力でひっぱたかれた。
「あっ。ご、ごめんなさい」
 本人の意志に関わらず手が出たようだ。そんでもって、なぜか俺じゃなくて樹里亜に謝るナガミー。
「いいんですよー、蹴りも入れちゃってくださーい」
 なにを言うか樹理亜。それにしても、やっぱり男相手と女相手だと態度がずいぶん変わるな。普通こういう場合は同性のほうが気楽なものだが、完全に逆だし。……ということは、話すときに緊張してしまう桐生はナガミーの中で女カテゴリーか?ナガミーが桐生に気後れせず付き合えれば、タカビーな感じと能天気な感じとでいいコンビになりそうな気がするだけにもったいない。
 しかし、俺の発言に対するナガミーのこの反応。案外マジかもしれんな。
「とりあえず、チャンスだ。メルアドくらい交換しとけ」
「お。それもそうだな。いいすか」
「そうね」
 さっきの二人とメルアド交換した時は随分と緊張していたが、今度はリラックスしてやがる。ナガミーも今日は随分とメルアドが増えたことだろう。
 俺たちもそろそろ切り上げることにしよう。そう言えば、俺たちが帰ってしまうとナガミーと三沢が二人で残るという状況になるが……。まあ、どうなるかは知ったこっちゃない。もう俺には関係ないことだしな。そう言えば、俺はナガミーに変なあだ名を付けられたと思ったが……結局一度もそのあだ名で呼ばれなかった気がする。どんなあだ名だったかももう思い出せないが、それもまたどうでもいいことだ。

 翌日。部活に出てきた三沢はあの後来週の日曜日にレッスンを付けてくれるという予定を取り付けたと嬉しそうに話し、お前ら絶対に先輩らに言うなよ、と釘を刺された。確かに、こんなことを2年男子に知られたら目をつけられるに決まっている。
 だが、俺たちが口を噤むまでもなかった。すでに町橋から根室に報告が行っていたのだ。情報科の生徒だけあって、情報の収集能力はもとより、伝達能力にも長けている。情報保護の方にももう少し気を配ることを覚えてほしいくらいだ。根室から女子に拡散すれば、穂積から江崎にも話が流れる。他人同士がどうなろうがまったく知ったこっちゃない桐生と違い、江崎は普通の人だ。小耳に挟んだ話は他の男子に話したりもする。三沢が先輩には言うなと口にした時には既に、昨日の一件くらいは先輩に知れ渡っていたのだ。
 程なく、宇野と奥村が恨み節を述べにやってきて、愚痴の中からそんな事情を汲み取る。それにしても、文句を言いに来る人数が意外と少ない。2年男子の非モテ組総動員しそうなものだが。
 その日、テニス部では色々なことが起こりすぎていて興味が分散したのがその理由だった。町橋がばらしたのはナガミー絡みの話ばかりではなく、昨日のなかスッチーの若返り作戦にも及んでいた。学校では隠しておこうと思っていたらしいなかスッチーも、バレては観念せざるを得ない。ここでも幼女に変身させられ、根室に眼鏡をかけさせられたりとおもちゃにされた。そして、それに食いつく男子もいた。
 その町橋自身は今日はいつも通りにヤマンバメイクだが、いつもと違い男を侍らせている。なかスッチーにより男漁りスイッチが入り掛かっていた女子にとって、もっとも害のなさそうな町橋が男を囲い込んだことは少なからず衝撃になった。なかスッチーをいじりつつ、なかスッチーから男子をもぎ取ろうとアプローチをしかける女子もいる。そんな空気に、構ってもらおうと入り込むも相手にされない二年男子もいる。
 そう言えば、そろそろ冬休み。そして、冬休みと言えば色欲渦巻く聖なるクリスマスがある。クリスマスを一人で過ごしたくない。そんな思いが彼女らをケダモノに変えるのだろう。
 寒い真冬に向けて、熱気が高まっていく……。

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