Reincarnation story 『久遠の青春』

22.悪魔たちの宴


 俺たちの相手は“高商の四天王”と呼ばれる連中だそうだ。インターハイ予選でも大活躍した、高商テニス部でも屈指の実力者だという。四天王とナガミーを足してちょうど5人で数は片手の指ぴったりだ。そうは言っても、その5人が大活躍しても結局インターハイ予選で負けてるわけだから、たかが知れてるだろうな。いや、予選初回敗退常連のうちが言えるこっちゃ無いのは分かってる。
「ははははは。相手にとって不足なしだ。俺たちの実力、見せてやろうぜ、吉田!」
 その情報を聞かされた桐生は、そう言って女に向けるようなとびきりのスマイルを俺に向けた。この意味不明の自信と爽やかさの意味も分からん。
 それにしても。
「鴨田先輩、そんなデータ取ってたんですね」
「根室に頼まれて調べさせられたんだよ」
 鴨田は合宿で根室にパソコンの中身を見られて以来、逆らえずにいいようにこき使われている。相当弱みを握られているようだ。そんなパソコン持って来なきゃよかったのに。完全に自爆だな。
 で、調べたデータが今まで出てこなかったのはなぜだ。もっと早く情報公開しろよ。役所じゃないんだから公表を渋るな。
「もしかして、さっき2年生が集まってこそこそ見てた封筒ですか?」
「え。あ、そ、そうだけど」
「どんなデータがあるんです」
「ええと……こんな感じ……」
 封筒じゃなく、曰く付きのパソコンが登場した。とはいえ、今鴨田が持ち歩いているパソコンは学校の物なのでエロゲームは入っていない。
 画面に表示されたのは写真付きの部員名簿。顔と名前だけがよく分かる、大して役に立ちそうにない資料だ。
「あと、これ」
 さすがにこれで全部と言うことはなかった。今度は何かの表だ。一つは県のインターハイ予選の結果表。出場選手と結果が大雑把に分かる。地元の新聞社サイトに掲載されていた表らしく、新聞社の名前が入っている。
 もう一つはまた部員の名前があり、細かい情報も書かれている表だ。これが本命か。
 どれどれ。えーと、山本孝明2年。出身中学はどうでもいいや。妹の名前もどうでもいい。その妹がかわいいらしいなんて情報はもっと要らない。交際中のバレー部員はいいから。テニスに関する情報は……インターハイ出場。これだけかよ!勝ち負けとかその辺の情報は?インターハイの話ならさっきの新聞社の表の方がましだぞ。他の部員についてもたまに役に立ちそうな情報が書かれていたりもするが、概ねどうでもよすぎるプライベートネタばかりだ。
「なんすか、この努力の方向を間違った変な方に詳しい表」
 鴨田は微妙な表情で言う。
「俺がまとめたんだけどさ。情報源がネットくらいだし、そうすると個人のデータなんかなくて。辛うじて学校裏サイトを見つけたからそこに書かれてることを情報ソースにしたんだけど……」
「裏サイトって、本人に言う度胸のない根暗が陰口を並べたりして憂さ晴らしする、よく自殺の原因になったりするアレですね」
「そう、その根拠のない私怨だけの情報だらけのアレ。だから個人的な話ばかりで、部の活動みたいな話が少ないんだわ。それがちょっとね」
 鴨田もまとめながらこの情報は要らないと薄々感づいていたような口振りだが、分かってるならわざわざまとめるなよな。
「はっはっは。情報なんてどうでもいいさ。勝つときは勝つ、負けるときは負ける。そうだろ、吉田!」
 爽やかに言い放つ桐生。頭を使う気はないようだ。さすが何も考えずに本能だけで生きてきた男はひと味違う。こいつは絶対できちゃった結婚するだろうな。桐生はもう情報に興味はなさそうだ。
「もしかしてこっちまでデータが来なかったのって、どうでもいいから見せなくていいやってことになっただけっすか」
「根室からも来てないならそんなとこかな。話題にならないような部員の情報ってホントなくて。ナガミーの情報はすごく集まったけど……」
 美少女だしテニスもうまいとなると僻みも相当多いんだろう。あることないこと書かれてそうだ。何にせよ、共有するほどの情報じゃないか。
 ところでそのすごく集まったというナガミーの情報だが、表に書かれていることはそれほど多くはない。
 パソコンのキャリングバッグに例の封筒も一緒に入っていたのが見えたが、封筒の厚みから見てまだまだ相当な量の情報が公開されずに隠蔽されているのではなかろうか。
「その封筒も資料なんでしょ?見せてくださいよ」
「これはプリントアウトしただけだから同じだよ」
 そう言いながら鴨田は封筒を隠した。さすがにこれは怪しすぎる。
「同じなら隠すことないじゃないですか」
「一年のくせに口答えするのか?生意気だぞ」
 ほう。立場を盾にしたか。だがこいつは自分の立場を分かっていないようだ。弱点があるくせに強気に出るとは片腹痛い。
 鴨田の弱点は言うまでもなく根室だ。教師すら利用するこの俺が先輩を利用しないわけがない。根室とは娘の樹理亜が同じ科であることを理由にどちらかというと懇意にさせていただいている……気がするし。
 根室に鴨田が調べあげたデータの一部を隠匿しているようだと言いつけてやるとすぐに駆けつけてくれた。ついでに、俺が自分に会いに来たんだと勘違いした留奈までくっついてきた。根室は単刀直入に切り出す。
「カモが調べたの、あれが全部じゃないんだって?」
「う。そんなことないよ」
「学校裏サイトを見つけたんだって?」
「う。うう……」
「長沢のゴシップがてんこ盛りだって?」
 あれ。そう言う話だったっけ?
「え。あ、ああ、それはまあ」
「そこに入ってるんでしょ?見せなさいよ」
「いや、それは。違うよ、全然違うよ。そう言うのじゃない」
 根室は鴨田のパソコンケースを奪い取るが、中は空だ。
 土橋がにやにやしながら俺に合図を送ってくる。土橋は後ろを向いている青木を指さしている。その合図が何を示しているかはこの状況的に想像に難くない。俺は根室に青木を指さして見せた。根室もすぐに理解したようだ。
「あーおーっち♪何か隠してるでしょ。隠してるよね。出しなさーい」
 青木は逃げようとしたが、根室に取り押さえられた。
「小西さん!あおっち調べて!」
 上級生に逆らえないのは女子も同じだ。留奈は青木のボディチェックを始めた。青木は軽井沢で俺を裸で待ち受けようとしていた留奈に悲鳴を上げられた一件以来、留奈に軽いトラウマがある。留奈が近付くと、青木は完全に停止した。後ろから根室にしがみつかれ、前は留奈にまさぐられる姿は何ともいかがわしい。
「先輩!何もないです!」
 留奈が言う。
「おかしいわね。まさか……はめられた?」
 いや。俺は見つけた。俺は無言で青木の背中と根室のおなかの間に手を突っ込んだ。
「きゃ。何すんのエッチ」 
「これだけ男に全身密着させておいて今更何すか。それよりこれ」
 青木のジャージをまくりあげると、案の定そこに封筒が入っていた。青木の背中が不自然な形に盛り上がっていたから分かった。青木の後ろ側の上、根室の体が邪魔で留奈には調べられず、根室にとっては灯台もと暗しと言ったところか。胸が邪魔で見えなかった……と言うことにしといてやろう。
 根室は封筒を受け取り、根室の代わりに留奈が青木を押さえる。しかしもうそいつは用済みだろ。
 根室が封筒の中身を引っ張りだした。俺は横から覗き込む。ついでに留奈も青木にしがみつきながら伸び上がって覗き込んだ。だからそいつもう要らないって。
 目に飛び込んできたのは資料とはとうてい思えない代物だった。それは水着を着た女の写真。
「……何これ」
 同感だ。何これ。よく見ると、この顔は知らない顔じゃない。コートの向こうでふんぞり返っている美少女キャプテンの顔だ。
 めくってもめくっても出てくるものは似たような写真。水着どころか素っ裸のものもある。
「何これ」
 根室はさっきと同じ科白を鴨田に投げかけた。先ほどとのニュアンスの違いが語調の強さやイントネーションに現れている。夫のスーツのポケットからキャバクラのマッチを見つけた女房のような口調だ。喩えが古いか。今なら差詰め知らない女からのハートマークてんこ盛りメールと言ったところだ。
「コラージュですね、これ。写真によって体が違いすぎる」
 特に他意なく写真を見て気付いたことを述べてみた。
「ああ、顔だけ貼り付けて別人のエッチな写真を作るヤツよね。……あんた、あたしらでもこんなの作ってるんじゃないの」
「ええっ。やだぁ」
 無意味というか逆効果か。っていうか留奈は自分から脱ぎだした前科があるんだからそう言うリアクションは滑稽に思うぞ。相手に依るってことだろうけど。
「ち違うよ作ったの俺じゃないよ裏サイトだよ裏サイトにあったんだよ誰かが作ったのが裏サイトに」
 よっぽど焦っているのか息継ぎもせずに言い訳を並べる鴨田。高商の誰かが作ったものを集めただけのようだ。学校のパソコンにエロを入れる訳にもいかず、自宅のプリンタでせこせこ印刷したのだろう。印刷したものでしこしこしたりもしたか。
「俺にそんな技術ないよ。それに裸でも根室じゃ萎える……」
 鴨田の言い訳は続いていた。どさくさ紛れの発言に根室が食ってかかる。
「ちょっと何よー!クラスのマドンナにそんなこと言っちゃっていいわけ?こうして話せるだけでも幸運なのよ?それを萎えるって?へーそー」
 根室がクラスのマドンナというのが笑えるが、根室の情報科には女子は極めて貴重だけに、平均点程度の女子がいればマドンナ扱いは別に不思議でもない。1年でも極めて平均的な女子の樹理亜が天使でアッキーが妖精と呼ばれているわけだし。
 こんな下らない揉め事だが、根室の剣幕なかなかだったのでよねまよが寄ってきてしまった。
「どうしたの?」
「何でもないんです!何でも!」
 大慌ての鴨田。
「ただの痴話喧嘩です」
「何が痴話喧嘩よー!」
 俺の言葉に根室が噛みついてきた。
「自分の裸じゃ興奮しないって言われて怒ったんなら痴話喧嘩じゃないですか」
 根室をからかってみるのも面白そうだと思ったが、根室はこちらにはそれ以上食ってかからず、よねまよへの弁明を始めた。これは女としてのプライドの問題で云々。よねまよも自分の役目を放っといてまで聞くような話じゃないと判断し、適当になだめてあしらいとっとと切り上げる体勢に入ったようだ。
 その隙に鴨田が俺に詰め寄ってきた。
「吉田てめー!何でよりによって根室にばらすんだよー!」
「先輩が変に隠し立てするからじゃないすか」
「だって。おまえすぐこうやって根室にチクるじゃん」
「俺がいつチクったんですか。……今回は別で」
「お前よく根室と話してるじゃん」
 まあ、それは確かに。だがそれは自分が気にかけている同じ情報科の樹理亜や特にメガネ仲間でもあるアッキーのことを気にかけて、そのあたりとつき合いのある俺に近況を確認しに来ているのであって、テニス部員、ましてや2年男子の話などしない。
「どっちにせよ、知ったら知ったですぐにバラしたりなんかしませんよ。バラすのはいざって時で、それまでは『バラされたくなかったら……』って取引材料に使えるじゃないですか。弱みを握ってる方が便利で楽しいじゃないっすか」
「ううう。なんて奴だ」
 鴨田は顔を引きつらせた。これにはさすがの留奈も引きつった苦笑いを浮かべている。
 そうこうしてるうちに根室も弁明を終えたようだ。いや、よねまよが振り切って逃げ仰せたか。
 根室の手には相変わらず封筒が握られている。根室は封筒を鴨田に差し出した。が、鴨田は警戒して受け取らない。封筒は俺に回ってきた。
「これ、カモに返しといて」
「俺が変なこと言ったせいで先生に渡し損ねましたか」
「ま、それもあるけどさ。こう言うのは黙っててやれば取引に使えたりするんでしょ」
「うわ。根室先輩小悪魔ぶりがぱねーっす」
「あんたの受け売りって言うか真似なんだけど。今言ってたでしょ」
「あれっ。聞いてたんすか」
「あなた人畜無害に見えてなかなかのワルねー」
「いやー。センパイも負けてないっしょ」
 なんか会話が悪代官と悪徳商人みたいになってきた。
「お前らがつるんでるとどんどん状況が悪くなる……。離れろ!」
 鴨田に追い払われた。
「あ、エロ写真。これ、大事なものでしょ?返しますよ」
「いいよ、どうせ家に帰ればまたプリントできるから。俺が持ってたらまたこんなことになるだろ。俺たちはもう見たし、お前らで見てろ」
「あら、そっすか。ごちそうさまです」
 俺としては作り物のヌード写真に興味はないが、ほかの1年部員がこれをコラだと見抜けるかで遊んでみようと考えた。
 早速1年部員にエロ写真をお披露目する。どうせ俺はすぐに出番だ。俺の試合が終わったらこいつらに聞いてみて、コラだと見抜けてたら俺の負け。とりあえず、見抜きやすそうな出来の悪いコラは抜き出して畳んでポケットに入れておいた。

 そうこうしているうちに俺の出番が来た。
 俺が出てきたことでギャラリーの一部が色めき立つ。一部ったって樹理亜だけだけど。
 樹理亜が俺に向かって手を振る。私はここにいるよとアピールしているようだが、ただでさえ数の少ない女子が身を寄せ合っている目立つ一集団、その少ない女子から樹理亜を捜すくらいすぐだ。アピールなどされなくても居場所は把握している。そんな無駄な存在アピールのせいで、俺への最初の声援を取られた。
「おーい、吉田ぁー。がんばれぇー」
 まずお前が頑張れと言いたくなるようなやる気のない声援だった。ナガミー目当てのタカだったが、逆ハーレム状態でただ座ったきりのナガミーに見飽きたようだ。可愛い上に抱いたり腕に掴まらせたりもできるが基本寝てばかりのコアラがどう足掻いてもパンダの人気に勝てないようなもので、動かずにじっとしていてはどんなにかわいくても見飽きる。元気に動き回るパンダの方が見ていても楽しいからな。
 だからと言って元気に動き回っているテニスの方を見ろと言っても難しい注文だろう。元々テニスに興味などなく、テニスをしているカワイコちゃんを拝みに来たスケベどもだ。それに加えてこちらがぼろ負けの応援し甲斐のない試合だし、何よりレベルが低すぎて見応えがない。
 高商は確かにある程度はまともなテニス部らしく、少なくとも俺よりうまいと思える奴はちらほら居る。とは言えちらほら程度である時点でレベルは高くないし、その中でもこれはと思うほどの選手はいない。最初の相手方の顧問の発言は馬鹿正直な事実だったようだ。部の中での実力者達は今までナガミーの側に侍らされていたわけだし。
 男子のコートの審判などを受け持つその高商の顧問が、準備は出来ているか聞いてきた。桐生は爽やかにいつでもどうぞと言った。俺もとっとと始めてもらって構わない。
 よく分からないが、四天王とやらとの戦いが始まる。

 サーブ権を手にしたのは相手方だった。まずサーブを打つのは高商の四天王の……あれ。
 橋島と坂巻だとは聞いたが、どっちがどっちかは分からないな。とにかくそのどっちかだ。
 さすが四天王と言うだけあって、サーブが普通にサービスエリアに入る。いや、そんなことで感心しちゃいけないよな。
 まずは様子見と言った感じでポコポコとラリーが続いていく。
「さすが四天王だ!うちの部員たちとはひと味違うね!」
 やっぱり感動しちゃったらしく、ラリーの合間に爽やかに桐生が言った。さすがにうちの部員と比べちゃ失礼だろ。その程度でひと味違うなら、四天王じゃなくてもひと味違うから。
 相手のスマッシュが飛んできた。さすがに強烈だ。割と何もできずに見送ってしまった。15−0。
「さすが四天王だ!うちの部員たちとはひと味違うね!」
 それさっきも聞いた。同じツッコミは入れない。面倒だし。
 再びラリー、橋島か坂巻どっちかのスマッシュ。今度は打ち返してやったぜ。打ち返すだけじゃ何にもならないけど。クソ邪魔なネットだ。30−0。ふむう、このままじゃいかんな。こっちからも仕掛けないと。
「吉田!今度はこっちから仕掛けてやろうじゃないか!」
 桐生がそう言った。奇遇だな、俺もそう思っていたところだ。でもさ、敵に丸聞こえに手の内明かすか普通。こう言うところがアホなんだよなぁ。
 よし決めた、俺は動かん。仕掛けると言いながら仕掛けない、フェイントにしてやる。桐生が馬鹿正直に仕掛けちゃうんだろうけど。
 すると、向こうがすぐに仕掛けてきた。桐生の言葉を真に受けて先手を打ってきたようだ。何度も同じ手は食わんぞ。
 スマッシュを返しラリーが続く。もう向こうが仕掛けた後だし、俺もいっちょ行ってやるか。食らえ、俺のスマッシュ!
 返されたか。だが、敵のペースは乱れてきたようだ。そこに桐生のスマッシュ。今度は決まった。おいしいところを持っていき、桐生は改心の笑顔を浮かべた。
「この調子でがんがん攻めようぜ!」
 だから大声で作戦ばらすな。まあ、向こうのペースも乱れただろうし、今が攻め時のような気はするけど。
 そこからは順調なようなそれほどでもないような一進一退。出遅れての一進一退で、そのままずるずるとそのゲームは落とした。40−30からデュースに持って行ければよかったんだが、ここはあっさり連続で取られてしまった。ところで、テニスのスコアの40って本当は45なんだぜ。本来ならフォーティーファイブって言わなきゃならないんだけど、面倒だからフォーティーにしちゃったんだとさ。その気持ち、分かるわー。
 ヨタ話は置いといて。さすがに正攻法だと厳しいか。桐生を負かしたときのように何か卑劣きわまりない策を講じないと。しかし、策を講じるにも奴らの弱点くらいは分からないとどうしようもない。事前の情報収集で集められたデータはアイドル部員のエロ写真ばかり、敵に関しちゃ名前が辛うじて分かってるだけだが、その名前もどっちが橋島でどっちが坂巻なのかわかりゃしない。これでどうしろって言うんだ。
「坂巻、橋島!」
 エロ写真のモデルさんの横にいた、四天王仲間らしい部員が声を掛けてきた。声を掛けた男に代わり、ナガミーが二人を手招きする。呼ばれた二人はナガミーのところにすっ飛んでいった。ナガミーは作戦を授けてやっているようだ。二人ははい、はい、分かりましたと頷いている。同じ学年だったよな、こいつら。しかも四天王なんて言うナンバーツー集団の連中だってのに敬語かよ。どんだけ尻に敷かれてんだよ。
 ナガミーは可愛らしく高いよく通る声だ。そのおかげで桐生の作戦会議ばりに丸聞こえだった。話を聞いていると作戦と言うよりは檄を飛ばしているようだ。相手は想像通り大したことないが、それだけにもし負けたらカッコ悪いし軽蔑しちゃう、というようなことを言っている。言ってくれるじゃねえか。
 さんざん脅しつけて焚きつけた後は、あなたたちならできるわ、信じてる、などと甘い言葉を投げかける。見事な飴と鞭で手懐けられているようだ。坂巻と橋島は見るからにメロメロになっている。この程度でここまで喜べるなんて安い連中だ。俺ならここでちゅーの一つもしてくれなきゃやる気出ないかな。なんだかんだ言ってこいつら、ナガミーに手も握ってもらってないと思う。モテそうな顔でもないし。
 とにかく、ナガミーのエールで向こうはすっかりやる気満々だ。こうなったらやる気が空回りして自爆するのを待つしかないのか。
 俺もナガミーからやる気を分けてもらおう。ケツのポケットに隠しておいたナガミーのヌード写真を眺めてみた。さすがは出来がいまいちで回収した写真だけのことはある。露骨に首を繋いだ痕跡が目に入り、萎えた上に空しくなった。だめだこりゃ。
 そのとき、ふと思う。今やりあっている連中にとってナガミーは特別な存在。そんなナガミーのヌードを見たらこいつらはどんな反応をするだろうか。この学校はうちと違ってパソコンオタクも多くないだろうからコラとか詳しくないだろ。面白いリアクションが見られるかもな。怒られても俺が作った訳じゃないから善意の告発者を気取れるし。
 いい感じで冷たい北風が吹き付けてくる。今は向かい風だが、コートチェンジの時にこの風に乗せてナガミーのヌードを飛ばせれば。
 次のセットが始まった。さすがにやる気がでると先程とはひと味……違わないような。どこか変わったか?むしろ浮き足だったかさっきより球筋が定まってない。逆効果だな、ナガミー。
 おかげさまで良い感じで拮抗した試合展開になった。きっこうといえばコラの中に亀甲縛りがあったな。顔の色と体の色が違いすぎるので、それは今俺のポケットの中にあるが。
 今度はどうにかデュースに持ち込む。こうなると、桐生にとって有利だ。なにせこいつはスタミナだけは半端じゃない。
 夏の軽井沢では桐生を走り回らせてガタガタにして勝ったが、アレはスタミナ切れじゃない。合宿中、連日連夜ラブホにしけ込んで市村相手に使いすぎて痛めていた腰にトドメを刺しただけに過ぎない。逆に言えば腰が耐えられないほどのスタミナというわけだ。で、それに延々とつき合った市村も相当なアレではある。若いっていいねぇ。今は俺の方が若いけど。
 今回は桐生の腰もたぶん万全。まあ、こいつらの夜のことなんて知らん。高商との親睦を前にこちらの親睦を深めあった可能性もある。どっちにせよ、どうでもいいことだ。今のところ調子は良さそうだしな。

 惜しいところでこのゲームも取られ、コートチェンジ。3ゲーム先取なのでいよいよ追いつめられてきた。ちょっと遅いかも知れないが、俺の作戦も遂行だ。日も傾いてちょうどいい強めの風も吹いてきたしな。
 次のゲームが始まる前に、ポケットに仕込んでおいたエロ写真をハンカチを取り出すフリをして手で引っ張りだして弾き飛ばすと、風に乗ってネットを越え、相手コートに落ちた。コートの真ん中で裸のナガミーが空を仰ぐ。
 手前にいた相手が近付いてきて手に取ろうとする。写っているモノに気付いたか動きを止めた。もはや固まっていると言ってもいいほどの止まり具合だ。俺がネットに近付くと、我に返って落ちてるモノを拾い上げる。何ともいえない表情。そしてその顔で俺の方を見た。俺がナガミーを裸にして写真を撮ったと思ってそうな、恐ろしいモノを見る目だ。反応が面白すぎる。
「欲しいならあげようか?」
 そう言うと慌てて突き返してきた。手が震えている。
「いらないの?いっぱいあるんだけど」
 相手は首と手を振っている。手は振っているわけではなく大きく震えているのか。すごい動揺だ。
 頭の中でどういう考えを巡らせたのかは知る由も知る術もないが、俺の期待以上に動揺してくれたようだ。この効果の大きさと反応の面白さについ俺も頬がちょっと緩んだ。……すまん、語弊があった。もう、完全に満面の笑みでした。あちらさんの心理状態を考えるともう悪魔の笑みって感じだったろうな。
 ゲームが始まっても、相手の表情はおかしなままだった。これで相手のうち一人は使いモノにならなくなった。立ち直る前に一気に叩くチャンスだ。
 とはいえ、相手の手強さはまだまだ健在。突然調子を崩した仲間の分までもう一人が頑張る。よし、今のうちだ。この元気な一人を疲れさせてやろう。ボールをコートの右へ左へ飛ばし、右へ左へ走らせる。必死に駆け回りボールを打ち返してくる。なかなかにしぶといが、今はしぶとく粘ってくれた方がありがたい。桐生は言う。
「さすが四天王だ!うちの部員たちとはひと味違うね!」
 たまには違うことも言えよ。
 何にも考えてない桐生がスマッシュを叩き込んだ。スマッシュはきれいに決まり、桐生は満足げにとびきりのスマイルを浮かべた。まあいい、点は入った。
 点を取られて我に返ったのか、固まってた奴もだんだん動くようになってきた。するとそこでタイムが入った。タイムを入れたのはナガミーだ。露骨に調子の落ちた……えーとその……橋島か坂巻に檄を飛ばすというか活を入れるというか、いっそ喝って感じ。いい加減どっちが橋島でどっちが坂巻なのか知りたいんだが。ナガミーがなんて呼ぶかで分かるかな?
「……ユースケががんばってるからなんとかなってるけど。タケシもうちの主力なんだから恥ずかしいプレーはマジで勘弁してよね。せめて動きなさい」
 ……なるほど、こっちがタケシでそっちはユースケか。で、どっちが橋島。……俺もタケシとユースケって呼ぶか。
 活は入ったものの、活を入れたのが調子の落ちた原因の一端だったりするナガミーなので、なんかタケシの顔がすごいことになっている。ナガミーの空気の読めなさも桐生といい勝負だ。
 タケシは精神的に追いつめられたか、本気を出してきた。動きは一見いいが無駄が多く、勢いだけで狙いも甘い。まさにやけくそという感じだ。
 それでも棒立ちしてたときよりは確実に厄介になっている。やけくそでもうちの部員に比べりゃよっぽどまともなプレーをする。ユースケの方もそんなに疲れたわけでもなさそうだし、チャンスタイムは終わったか。
 点を取り返され、さらには逆転された。勝てねえ。いや待て。ラリーがだんだん長くなってきている。ユースケの方は一人で頑張っていたときの疲れが出て、タケシはやけくそで動き回って無駄にスタミナを消費している。案外早くスタミナの限界が訪れそうだ。こいつはやっぱり桐生たちに勝ったときのやり方が通用するぞ。
 桐生は今のところ全く疲れた様子もなくピンピンしながらさわやかなスマイルを浮かべている。弱り始めたタケシとユースケの首を真綿で締めるようにじわじわと体力を削ってくれることを期待しよう。
 俺にできることと言えばタケシの精神面を蝕むくらいだ。点を取られてサーブを待つ間、ポケットからハンカチを出すついでにポケットの中をぶちまけてやった。ばらまいたのは俺の足下だが、俺があんなものを何枚も持っているというアピールだ。
 さりげなく自然な動作で拾い、タケシの顔色を窺う。……これはいい顔だ。いったいどんな心境ならこんな顔ができるんだろう。そしてこんなエロ写真ごときで、こんな絶望というか恐怖というかそんな心境になる理由は何なんだ。とにかく、これは確実に効いた。あとはこれがどう作用するかだ。窮鼠猫を咬むって言葉もあるし、吹っ切れるというかぶっキレるというかそんな感じで動きが良くなっちゃうかもしれない。そん時ゃそん時だ。
 そんなタケシにお構いなしでユースケは何事もなくサーブを打ってきた。タケシはしばらく固まっていたが、ボールの音に我に返り動き出した。
 動きはぱっと見た感じ滑らかだが、正確さはさらに落ちている。うんうん、これでいい。
 始まってみると、この状態はなまじ固まってるよりタチが悪いと分かった。もちろん、相手にとって。何せ、一見ちゃんと動いてて問題などなさそうだ。だが、ボールへの反応は鈍いわ空振りはするわ。ここまでならまだいないと思えば済む話だが、なまじ動いて打ち返すのがよくない。いないなら自爆はしないからな。
 見事な自爆の連続でこのセットは俺たちがいただいた。あまりの失態に再びナガミーが動き出す。だが、なぜかこっちに向かって来た。
「ちょっとあなた。そのポケットの中を見せてもらえないかしら」
 げ。これはヤバい、ヤバすぎる。って言うか間近で見ると確かに可愛いなこの子。いやそれどころじゃなかった。俺よりもあっちのコートにいるタケシの方が焦ってるな。
 俺はプライドなどあっさりとかなぐり捨てられるので敵前逃亡もお手のものだ。素早くナガミーに背を向けて逃げ出した。
 そのとき、俺のケツに何かの感触があった。振り返るとナガミーの手にはアイコラの紙が。なんて言う早業、なんて言う鋭い動き。見てたわけじゃないけど。さすがは高商のエースプレイヤーだ。
「なにこれ。ヌード写真?こんなもの持ち歩いてるなんてよほど寂しいのかしら?」
 そう言ってナガミーは自分のアイコラを投げ返してきた。慌てて拾い上げる。ちょうど顔の部分は折り込まれていたので誰のヌードかまでは分からなかったようだ。
 ナガミーはそのまま相手方のコートに向かう。俺はほっとした。タケシは泣きそうだ。
「見せてもらったわ。……とりあえず話は後。今は全部忘れてテニスに集中すること。いい?」
 泣きそうな顔で小さく頷くタケシ。ナガミーのかけた言葉は、現状から考えうる限りで最悪の言葉だった。何を見たのかを明言していないので、タケシにとって一番の救いであるはずの、ナガミーが誰の裸の写真を見てしまったのかが分かってないと言う事実が伝わっていない。そして、話は後でということで、この絶望的な気持ちが試合の終わりまで続く。むしろ試合が終わりに近付くに従って気持ちは落ちていくだろう。はっきり言う。タケシは終わった。
 終わったタケシは今度こそ吹っ切れたような顔をしている。だがプレイは生彩など欠くどころかそんなもの皆無。そして、ラリーが続くことが楽しくて仕方ない桐生が止めも刺さずに弄ぶせいで勝負は長引き、ユースケが燃え尽きてきた。もはや完全に終わった。
 もはや楽勝だった。とうとう普通のラリーすら続かなくなった。こちらが何も仕掛けなくても勝手に自爆してしまう。最後のセットに至ってはこちらは失点もなく完勝してしまう始末。見る影もない。
 最後のスマッシュを決めた桐生は言う。
「どうだい?これが高工テニス部・ゴールデントリオの実力さ!」
 すっかり忘れてたが、そのトリオにはやっぱり俺も入ってるのか。いつの間に入れられたんだか。今日初めて聞いたんだが。
 こうして、実力の足りない分は卑劣な小細工で俺たちは勝利をもぎ取った。桐生を含めて多くは気付いてないけどな。だが、俺たちの親善試合はまだこれで終わりではなかった。

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