Reincarnation story 『久遠の青春』

21.井の中の蛙、大海へ

 俺の考えはこうだ。
 留奈はテニスのうまい男が好きだ。だから今まで、へっぽこの部員を鍛え上げて留奈のお眼鏡にかなうレベルのテニスプレイヤーにしようとがんばってきた。だが、もはやそんな悠長なことはしていられない。もっと思い切った手に出るべきなのだ。
 俺は顧問のよねまよこと米村真代にこう提案した。
「たまには他の学校のテニス部と試合してみたいですねー。どこかに練習試合頼んでくださいよー」
「そうねえ。でも、勝負になりそうなところっていうとどこかしら。小学校……?」
「別に勝つために相手のレベル下げなくてもいいです。ちびっ子を全力を叩き潰しても嬉しくなんか……いや、あいつらは勝てりゃ喜ぶか。とにかく、普通に高校でいいです」
 ここの弱小テニス部を育て上げるのはいいが、それには手間もかかるし限度だってある。一方、目を外に向ければ県内にだってインターハイなどの大会で国内での頂点を目指して競い合えるような選手もいれば、その出場枠を巡って惜しくも敗退していく選手もいる。そういう連中に踏みつぶされていくただの人、それにすらなれない補欠以下の雑魚部員にだって、俺よりはうまい奴らはいくらでもいる。
 そういった天然素材に留奈を押しつけることができれば手っとり早い。そいつらと留奈を巡り会わせるお膳立てまで先生任せにしてしまうのは些か他力本願だと思うかも知れない。実際その通りだと思うが何が悪い。人間は一人で生きているわけじゃないんだ。利用できる人間は利用するさ。

 相手はすぐに決まったようだ。うちの学校の工の字を商に変えただけの学校だ。とりあえず近場の高校に申し込んで、相手も深く考えず二つ返事で引き受けた感じがバリバリする。しかし、近くの学校なのは俺としても都合がいい。隣の学校なら留奈も新しいお気に入りに会いに行きやすいからな。
 期日は再来週の日曜。貴重な日曜日が潰れてしまうことで不満が出るかと思ったが、意外とそういう声はあがらなかった。顧問のよねまよがノリノリなので水を差しちゃいけないという思いもあるのかもしれない。拗ねるとタチ悪いし。
「テニス部として恥ずかしくない試合ができるように練習練習〜!」
 よねまよだってこのテニス部の実力は分かっているはずなのに、随分とハードルを上げてくれやがる。無理を承知で言ってみただけだと思っていいのか。まさか本気じゃないよな。
 よねまよの言葉を受け、あくまでもいつも通りの練習が始まった。自身の鼓舞にも関わらずのいつも通りだが、よねまよは相変わらず嬉しそうだ。部員のことなど気にしていないのだろう。ちょっと真意を探ってみたくなった。声をかけてみる。
「よねまよ先生、嬉しそうですね」
「だって。こんなにすんなりと相手が決まるなんて。このテニス部も努力の甲斐あって認められてきたってことよね」
 それは違う。絶対違う。確かに1年男子については2年男子に勝てるくらいの実力は付けたし、それにつられて部全体も目に見えて上達はしたが、認められるほどの実力なんてどこにもないし、そもそもその実力を他校に見せつけるインターハイ予選はいつも通りという即敗退。他校も我が校テニス部の実力をいつも通りのヘタレだと認めたはずだ。いいところ、こっちがどんなテニス部かも知らずに安請け合いしたか、憂さ晴らしにちょうどいいカモが寄ってきたってなもんだろ。
 俺もよねまよのように物事をポジティブに受け止められるピュアさがあればもう少し人生も楽しめるんだろうが、性分って物もあるし、一度死んでる身としては多少ひねこびるのは無理もない。
 部員の方は見た目はいつも通りだが、一応は気持ちは練習試合に向けて切り替わっていることが伝わってきた。2年の男子がだべっているのが聞こえてくる。
「高商のテニス部と言えば、2年の長沢美香って子が有名だよね」
「ああナガミーか。注目の選手だって新聞にも載ってたな」
 知らねえ。高沢商業高校もインターハイ予選はわりと早く負けたはずだ。県内ベスト8からはさすがの俺も新聞でチェックしたが、そこに名前があった記憶もない。
「生ナガミーが見られるんだ、楽しみだよな」
「写真撮らせてもらおうぜ」
「どんな声なんだろう」
 俺はどんな選手なのか知らないが、こいつらはこいつらで選手としては見てないな。女としてしか見てねえ。新聞に写真でも載っていてそれがよほど可愛かったか。
 女子は女子でいい男いるかな、などと話している。一応練習試合に意識は向いているようだが、欲望を満たすことばかり考えててテニスの試合に思いを馳せる部員は皆無だ。相変わらずだな。
 いや、ここに約一名テニスのことを考えている奴がいた。
「ねー、あたしにもテニス教えてよ。ド素人のままで試合に行けないし」
 なかスッチーだ。今までラケットすら握ったことの無かった筋金入りのド素人だけに、多少は危機感を持っているようだ。その状態でも試合に出る気でいる厚かましさはおばちゃんそのものだな。こんな部員でも戦力としてみた方がいいこのテニス部もテニス部ではあるけど。
 テニスを教えてもらいたいなかスッチーは、何の迷いもなく1年の男子に声をかけた。そのことで一部を除く2年の男子がすぐさまにむっとした。ド素人のなかスッチーにテニスのいろはを教えるべく、テニスのいろはくらいは把握している素人の1年男子が群がりにわかに逆ハーレムの様相を呈し始めた。それを見て、今度は一部を除く女子がむっとした。この無神経さもおばちゃんそのものだ。俺としてはなかスッチーとしても一番気軽に声をかけられるだろうクラスメイトの留奈を俺から引き離して欲しいところだったが。
 何はともあれ、練習試合までは2週間足らず。その短い期間では部員たちもそんなに上達するもんじゃない。ゼロからスタートで実力も未知数のなかスッチーがどうなるくらいだ。

 誰も気にしないだろうと思っていたテニス部の練習試合だが、意外と注目されていることが分かるのは数日後だ。テニスなんぞ興味があるわけもないクラスメイトのタカが話しかけてきた。
「おい、流星。おまえら、今度高沢商と試合するんだって?」
「おう。よく知ってるな」
「今度の日曜だって?応援行くぜ!」
「珍しいな、どういう風の吹き回しだよ」
「高沢商といえば長沢美香がキャプテンだろ」
「なんだ、その女子が目当てかよ。部でも話題になってたけどさ。俺、知らねえんだよね。可愛いの?その子」
「嫁がいる奴はこれだから……」
 嫁じゃねえ、娘だ。
「可愛いに決まってんだろ。そうじゃなかったらお前らがどこに試合しに行こうが知ったこっちゃねえ。俺が興味もないテニスを見に行こうと思うくらいだ。……っていうかさ、何でお前が知らないのかが分かんねえぞ。顔もテニスの腕もピカイチだってのが俺の耳にすら入ってきてるのに」
「うちの部員には高嶺の花すぎるから今まで目を背けてきたんだろうな。……そんなに可愛いならそのご尊顔、拝ませてもらうか。楽しみが一つ増えたぜ」
 とは言え、樹理亜にも試合のことは話してあるし、日曜に家を空けるいい口実になるので応援に来ることになっている。あまり鼻の下をのばすような教育によろしくない真似は慎まないとな。

 そして、試合の日はやってきた。
 俺は一つ思い違いをしていたようだ。この試合、俺がよねまよ先生に提案したときには練習試合という名目だったが、いつの間にか親善試合になっていた。
 思えば、どんなテニス部だってまともなところならうち相手じゃ練習になどならない。逆もまた然りでこっちとしてもサンドバッグにされるのは目に見えており練習相手になどならない。ともに切磋琢磨しようではないかと構えた練習試合ではなく、一緒に遊ぼうよと言う軽いノリの親善試合に名目を変えたのは正解だ。
 親善試合の場所は相手方の高沢商業高校。部員は一度学校に集合してマイクロバスでお隣の高商に移動だ。近いんだしわざわざ一度こっちの学校に顔など出さず直接行った方が早いような気がするが、この辺はお役所仕事と言ったところか。現に、応援は直接高商に乗り込む。樹理亜とはいつも通り駅で待ち合わせて一緒に電車に乗り、学校側の駅で別れて高商で合流することになる。
 駅について樹理亜と別れようとすると、見覚えのある顔が見えたので声をかけた。
「おう、タカ」
「よう、吉田」
「どうしたこんなところで。高商行くんだろ」
「ダチが何人か来るんだよ。……お、いたいた」
 男3人で固まっていたタカたちにさらに男4人が合流した。
「竹川さんだっけ?吉田の嫁」
「本人相手にも嫁とか言うのかよ」
 俺のつっこみをガン無視してタカは樹理亜に話しかけた。
「どうせ吉田の応援だろ。悪い虫が付かないようにエスコートしてやるぜ」
「お前ら長沢とか言う女が目当てだろうが。性欲丸出しで行動してる連中に任せといたらエロスコートされちまう。お天道様がお空に輝いてるうちは、お前らほど悪い虫には遭遇しないから」
 悪い虫の手が伸びる前に樹理亜を行かせようとするが、その樹理亜の背後から忍び寄る影があった。
「花嫁さん、おはよう」
 樹理亜にそう声をかけてきたのは知らない女子だ。
「だから嫁とか言うな。で、誰?友達?」
 俺には覚えがないので樹理亜に尋ねてみるが、樹理亜も首を捻る。すると女子は今度は俺に向かって言った。
「なによ、もうあたしのこと忘れたわけ?あたしにとっては忘れられない思い出をくれた貴重な男友達なのに」
「誰よこの子」
「だから知らないって」
 変なことを言うせいで樹理亜に思いっ切り睨みつけられた。その後樹理亜は女子の顔を睨みつける。すると、何かに思い当たったらしく、あっと短く声を上げた。
「もしかして、ドレスの……?」
「そうそう。思い出してくれた?」
 ドレスと言えば学園祭の時だ。あの時は女の園に乗り込んでいったわけだから、今目の前にいる女子もそのときの誰かだと思えば納得がいくし、樹理亜を花嫁と呼ぶ理由も分かる。対象が絞れたことで俺も誰なのか思い出せた。
「看護婦さん?」
 名前も何も知らないので、思い出せたのはその時のコスプレだった。
「そそそそ。覚えててくれたんだ、嬉しい」
 限りなく忘れていたに近いけどな。無理矢理思い出したようなもんだ。半分以上は樹理亜のおかげだし。
「君たちのおかげでドレスも人気だったし、男の体に触りまくったのも貴重な体験。もっとすっごい体験するまで忘れられないね」
 そういえば着付けしてもらったのはこの子だったか。確かに結構べたべた触られたかもしれない。今まで男にあまり縁がなかったみたいだ。しかし、よく臆面もなくこんな事言えるな。
「今日は応援?」
「そそ。留奈とちーの……ってか、ちーってテニスできるの?」
「ちーってなかスッチーか?」
「そそそそ中須千香」
 俺は全力で首を振った。それにしてもさっきからその多い子だ。
「ラケットは振れる。ボールに当たるかどうかは運次第」
「そー。じゃあ試合には出ないか」
「どうだろ。どうせ勝てるとは思ってない試合だし、本人が出る気なら出るんじゃね?」
「そ?じゃあちーも応援できるかもしれないんだ」
「そ」
 あ、やべ。うつった。
「樹理亜、この子と一緒に行けば?」
「うん。いい?」
「いいよー。次のバスで友達が来ると思うから待ってて」
 これで安心だ、と思った矢先、タカの連れが女子に声をかけた。
「応援なら一緒に行かない?」
「気をつけろ、そいつら女に餓えてるぞ」
「そ?あたしは大丈夫だけど」
 女子はそういい目をギラつかせた。そういえばこの子は男に餓えてたっけ。樹理亜が食い物にされる前に男どもが食い散らかされるわ。しかしまあ、このテニス部は応援に来る連中まで欲情にギラついてやがる。とんでもないところに入っちまったな。
「あーそうそう。気をつけろってので思い出したんだけど。そもそもあたしが君たちに声をかけたのってさ、あのバスで留奈が来るよって言いたかったからなのよね」
 女子はまさに今ロータリーに入ってきたバスを指さしながら言った。
「げ。留奈ってバス通だっけ?」
「チャリ通だけど今日は特別。ちーがバスなの。一緒に来るんだって」
「そりゃ、とっとと行った方がいいな。樹理亜も見つからないように隠れとけ」
 うなずく樹理亜。俺もとっとと行くことにした。
「試合がんばってねー」
「あ。がんばってねー」
 隠れかけていた樹理亜だが、俺にエールを送るそそその女子につられて出てきた。俺は手だけ振ってそれに応えた。
 駅舎を出ると、停まったところだったバスの窓から外を見ていた留奈と目が合った。バスの窓越しに見える留奈はすぐに動き出した。それを見た俺も急いで学校に向けて走り始めた。
「りゅうせえええええいくううううううん!」
 後ろから絶叫が聞こえてきた。スタートダッシュで結構距離が稼げたようだ。このまま軽くウォームアップがてらひとっ走りと行くか。

「はあ……はあ……はあ……はあ……ん……っく、はあ……はあ……ん、はあ……」
 何か言いたげな留奈だが、息は完全に上がっている。俺と同じ距離を走っただけとは思えない。運動部の部員だとは思えない体力の無さだ。
 思えば、いつもならば俺が走って逃げるとすぐに諦める留奈がこんなに疲れはてるまで追いかけて来るのは初めてのような気がする。いつもはどんどん距離を引き離しそれで留奈もすぐに諦めていたが、今日は元の距離がある余裕からジョギングがてらなどとのんびり走っていたため、留奈ももしかしたら追いつけるとか、俺が誘ってるんじゃないかなんて言う甘すぎる考えを抱いて頑張りすぎたんじゃないだろうか。何にせよ、頑張りどころをかなり間違っていると思う。
 部室にはすでに何人か部員が来ていたが、そいつらもいろいろと頑張りどころを間違っていた。男も女も化粧や髪のセットに並々ならぬ気合いが入っている。スポーツをしに行くと言うことを忘れているのでは無かろうか。
 特に約一名際だっているのがいる。最初、見慣れない女子がいると思った。誰かが友達をここに連れてきたのかと。しかし、一心不乱に化粧を直す仕草にものすごいデジャヴを感じる。よく考えたら町橋の動きだった。そう考えると髪の色や髪型も町橋のそれだ。しかしまだ確信が持てない。
 部室に入ってきた女子との「おはよー。……誰?」「あたしあたし」「…………誰?」「あ、ひど」というやりとりでどうにか確信を持てた。声や喋り方も町橋のそれだ。結局つきあいも長いはずの女子に誰だか分かってもらえず名乗る羽目になってしっかり言質も取れた。いつもの化粧は女子向けの化粧で今日のは男子向けだとか。そんなものがあるのか。女の世界はわからん。
 もう一人、気合いの入っている女が入ってきた。服も化粧も全力にフェミニンと言った装いで入ってきたのはよねまよだった。テニス部の引率という役目のことを部員以上に忘れているんじゃなかろうか。
「みんなおはよー、揃ってる?……小西さん、どうしたの?風邪?」
 息も荒く湯気を上げながら机に突っ伏している留奈に気付き、心配そうに声をかけた。
「こんな重篤な風邪だったら自宅で寝込んでます。ランニングのしすぎでへばってるだけっす」
「うう。りゅう……せいぃ……」
「どうした、生き返ったか」
「まってぇ……」
 いつの話だ。
 しかし、改めてこのメンツで試合って無茶だと思うわ。実力も悲惨なのに、見た感じテニスをやる気からして皆無だし。練習試合じゃなくて親善試合って言う名目にしたのはやっぱり正解だったのか。それとも親善試合だと思ってこのノリになってしまったのか。
 それでも部員はちゃんと揃った。方向性は間違っていてもやる気は十分だ。学校のマイクロバスに乗り込み、出発する。そして3分後目的地に到着した。分かってはいたが、近いな。マイクロバスを使ってまで移動する距離じゃない。
 とにかく、瞬殺されたインターハイ以来の、二度目の対外試合の火蓋は切られようとしていた。

 部員のやる気の無さに反する大応援団がグラウンドに集まっていた。実に男むさい集団だ。工業高校の生徒だと言えばいかにも自然に見えるが、女向け学科があって男女比半々という実態を知った上で見ると異常な光景だった。こいつらみんなナガミーとか言う女子が目当てか。
 部員の知り合いだろう女子はわずかだ。圧倒的な数の欲望丸出しな男たちに気圧されて、ひとかたまりになって縮こまっている。
 その男どものお目当てであるナガミーとやらを探す。そんなに可愛いなら顔を知らなくてもすぐに分かるはずだ。
 案の定だった。距離もそんなに近くはない場所から見ているんだが、明らかに輝いて見える。マンガならさしずめキラキラのエフェクトが描かれるところだ。だが、なによりも彼女を目立たせているのはその顔ではない。
 彼女の周りには数人のいかにも冴えない容姿の男がつき従い、ラケットを預かったり飲み物を差し出したりしている。下男さながらといったところだ。だが、お嬢様お抱えの執事たちというわけではないのが服で分かる。その下男役は皆ジャージ姿。その美貌と実力の前に屈服し、たとえ下僕扱いでも側に置いてもらうことを選んだ部員たちか。まさに女帝の貫禄を感じる。
 そのとき、集合の号令がかかった。コートに散らばっていた高商の部員たちがのっそりと集まり出す。号令をかけたのが顧問らしい。30代半ばくらいのイケメンだ。よねまよがおめかしして出てきた理由はこれか。
 なぜかよねまよが向こうの顧問に言われて挨拶することになった。要るのか、これ。よねまよは言葉を選びながら、うちのテニス部はへっぽこだけど仲良く遊んであげてねという旨の挨拶をした。どちらの部員にとってもやる気を殺ぐすばらしい挨拶だと思う。どうせこっちは元々やる気無いんだ。向こうのやる気もどんどん殺いでくれ。
 すると、高商の顧問がうちも長沢以外はへっぽこだから仲良くやろうぜ、みたいなことを言ってきた。よねまよよりもひでえ。いいのかそんなこと言って。
 しかし考えてみれば、新聞に載るほどの選手を抱えておきながらチーム全体ではまるで話題にあがらないと言うのは周りが強烈に足を引っ張っているからだとも考えられる。発言が社交辞令でなければ。

 大会の時の張りつめた緊張感と同様の雰囲気は皆目感じられない。両陣営、だらーっと準備を整え、じゃあぼちぼちいきましょうというゆるーいノリで何となく試合が始まった。
 男子と女子に分かれてのダブルスで、ルールはワンセット先取。終わったら両チームとも選手交代、一人でも多くの選手が試合に出られる方式だ。
 準備が終わるとナガミーは部長らしく誰が行くか決めているらしい。ベンチにふんぞり返って取り巻きの下男たちに伝え、そいつらがほかの部員に部長様の御勅命であるぞとばかりに伝える。勅命云々は俺の脳内補正も混みの表現だぞ。ともかくナガミー自身にやる気はなさそうだ。下々の戯れには付き合いたくなくってよ、と言ったところか。もちろん俺の脳内では。
 一方こちらは初戦から部長の江崎が名乗りを上げ、2年でもましな方の宇野を連れていった。そのおかげで次に誰が行くのかは副部長の桐生が決めることになった。丸投げという言葉がぴったりだ。
 桐生は部員の顔を見渡し一言言った。
「いいや、適当でも」
 同感だ。どうせ勝とうが負けようがどうなるわけでもないんだし。
 女子の方は自発的に和気藹々とペアを作り、出る順番まで勝手に決めている。こっちは何の心配も要らないか。いや待て。よく見ると留奈となかスッチーがペアを組んでる。クラスが同じだからそういう意味では順当な組み合わせだが、なかスッチーはラケットが振れるだけのド素人。何の役にも立たないだろう。留奈は実質一人で二人を相手にしなければならないが、ただでさえ貧弱でそんな体力などないのに、別に俺のせいじゃないと思うんだが朝っぱらから全力疾走して体力を使いきりようやく回復したところだ。うまいわけでもないし。これはひどいことになりそうだ。まあいい。俺のせいじゃないし。
 男子の方は1年と2年に露骨な温度差がある。2年の連中は自分の出番を少しでも遅くしようとまずは1年を出そうと言う。1年はいつでもいいというノリなので、それはそれですんなりと決まった。女子の方は1年と2年が交互に出るようだ。
 まずは1年が出るというのはいいとして、その組み合わせはどうするのかが問題になる。俺以外は誰が誰と組んでもドングリの背比べ同士で大差ない。それだけに俺が誰と組むかが組まれる方には重要になる。俺にしてみりゃ誰でも同じだ。
 だがそこで桐生が言う。
「吉田は俺と組め」
 1年がそれに逆らえるわけもない。権力を笠に着た見事な横取り采配だ。とは言え、俺にとっては悪い話じゃない。桐生は部でもトップクラスの実力者、テニス部員として恥ずかしくない腕前を持つ数少ない部員。一番勝てる組み合わせであることは確かだし。
 6人しかいない1年男子のうち俺が引き抜かれたことで、一人余ってしまう。さっきまでは誰が俺と組むかで取り合いになっていたが、今度は誰が2年と組むかで押し付け合いが始まった。
 そうこうしているうちに江崎の頑張りもあって最初のセットは取ることができた。これで全敗はなくなった。心おきなく負けられるのでほかの部員も喜びを隠せない。
 その後、一年は土橋・不破のペアが負け、連城・志賀が勝ち、鴨田と組んだ三沢がカモにされる一進一退。一度でも勝てたのは大したもんだ。何せ、その後に出た2年生は総崩れペースときた。
 女子の方も一進一退……いや、一進三退か。勝率で言えば男子とどっこいどっこいだが、2年の男子のように無様な負けっぷりじゃない。あと一歩及ばずと言った感じだったり、少しくらいは足掻いてから負けている。
 留奈となかスッチーのペアでさえ、意外なことに惨敗じゃなかった。留奈もへたくそでも長くテニスを続けてきた意地を見せた。序盤は留奈の頑張りで持ちこたえ、長引かせたせいで留奈の体力が尽きる自爆ぶりを見せ始めた頃にはなかスッチーのムッチリした体が生み出すスタミナとパワーが発揮された。
 小太りの鈍そうな外見に反して短い足でちょこまかとよく走り回り、勢いもなかなか落ちない。たまに空振らずに打ち返すと、小気味いい音とともに結構な勢いの球が相手コートに飛んでいく。今はただの素人だが、ゆくゆくはいい選手に育つんじゃないか。……ちゃんとラケットに当たって球も狙い通りの場所に飛ばせるようになれば。
 女子は全体的に1年生の時からちゃんと練習させてもらってきているので、やる気がそんなになくてもそれなりの腕にはなっている。
 一方、基本的にコートは上級生が女子と睦みあうために使う慣習だった男子の方は、今までは3年の男子が占拠していたコートをようやく2年が我が物顔で使えるようになったところ。今の1年のように朝練をやるほどのやる気もなかった。
 その結果が軽井沢合宿での勝敗だ。そしてその無様な大敗でさらにやる気をなくした奴もいる。下手なのを自覚してた奴はいい。半端に根拠のない自信を持ってた奴はダメージがでかかった。今回のぼろ負けもそいつ等の心にキてるんじゃないか。去年の今頃は今の3年生が来なくなってコートと女子を独占できる翌年の夏が待ち遠しくて仕方がなかっただろうが、今は来なくて済むようになる来年の夏が待ち遠しいくらいに。辞めるという手もあるがここで逃亡するのはさらに惨めだしな。実力の伴わない権力を振りかざして横暴を通してきた自業自得だ。
 一方、そんなネガティブ思考にはとうてい縁のない勝ち組の桐生も、出番が近付き市村といちゃつくのをやめてアップを始めた。思えば爽やかな顔をしながらも今一番権力を笠に横暴を働いてるのは紛れもないこいつだよな。この采配とかさ。
「さあ、行こうか吉田!」
 黙っていれば1年同士で組んでいたところに口出しして自分に都合のいい組み合わせを作った桐生が悪びれた様子もなく爽やかな笑顔を向けた。そういう笑顔は女にだけ向けとけ。
 とは言え、おかげで俺も楽して勝てそうではあるわけだ。これで負けたらメンツも道理も立たないし面目も申し訳もない。こっちからは立て続けにヘタレが出ているし、向こうがそれに合わせてくるのも期待しておくか。うちのテニス部に負けてくれるようなヘタレがまだのこっているかが問題だが……。

 俺たちがウォームアップを始めると、向こうも相手が決まったらしく、二名ほど動き始めた。あれが俺たちと対戦する選手か。対戦相手は見るからにぱっとしない連中だった。そういえば、ナガミーの下男やってる連中だよなこいつら。
 それをみた鴨田は言う。
「おいおい、向こうも四天王を出してきたぜ」
「俺たちゴールデントリオにぶつけてくるには妥当じゃないか」
 爽やかな笑顔で桐生が変なことを口走った。なんだゴールデントリオって。初めて聞いたが俺も入ってるのか?もう一人は誰なんだ。まあ順当に考えれば江崎だろうが、俺はその二人と仲良くした記憶はない。しかしこの状況で別な誰かだとは思えないし、他に思い当たる奴もいない。
「四天王って何です?」
 俺は鴨田に聞いてみた。俺としては桐生にゴールデントリオについて問いただしたい気持ちもあるが、アホらしい。
「聞いたとおり、女王長沢に次ぐ実力の持ち主だよ。竹中、橋島、坂巻、羽田の四人で、今年のインターハイ予選にも出場してベスト16まで勝ちあがってる」
 ベスト8になれずに負けたと言った方がいいんじゃないか、それ。あまり強そうじゃないな。とは言え、うちよりはどこでも強いけど。
 俺たちと対戦するのは橋島と坂巻の二人だそうだ。
「ただの太鼓持ちじゃなかったんですねー」
「実力があるからこそ持てる太鼓もあるわけよ。あのナガミーの側にいられるなんてうらやましい限りだろ」
 こき使われてへつらう下男にしか見えなかったが、そういう見方もあるわけか。
 敵を知り、己を知れば百戦危うからず。桐生と俺が出てきたことで向こうも強いのを出してきたと言うことは、こっちの情報も向こうには行ってると言うことだろう。敵方の情報も知っておいて損はない。……と思う。とりあえず、詳しく聞いてみるか。

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