Reincarnation story 『久遠の青春』

17.駆けぬける青春

 午前のクライマックス、3年男子によるハングリー騎馬戦の前に、俺たちにも午前最後の競技が待っていた。
 女子は樹理亜も参加する200メートルエクストリーム。その後は俺の最終種目、200メートル走だ。もう俺に出番はないのだから昼飯を食ったら帰してくれてもいいのではないだろうか。
 樹理亜がエクストエリームのためにトラックに入った。俺もこの直後に200なんだから他人事ではない。1年女子と入れ違いに入場ゲートに集合して待機だ。
 エクストリームの人数は400メートルの走者よりも少ないが、200メートルは100メートルに次ぐ人数消化競技なので参加者数が多い。男子の犇めくむさ苦しい入場ゲートで樹理亜の健闘を見守る。ゲートの向こうは女の園か。運動部のごついのが多いけど。
 樹理亜のスタートが回ってくるのは割と早い。鈍そうなのから順に並んでいるので、つまりは割と鈍い方扱いだ。さすがに運動に縁の無さそうなのも多数参加する200メートルとは訳が違う。樹理亜も200メートルの時は真ん中くらいだったし、今待機している俺の200メートルも割と後ろの方だ。
 樹理亜の順番が来た。ここがスタートの真後ろなので見づらい。しかし、ハードルを飛び越えたり平均台を登ったり降りたりして頭の位置が上下するタイミングで順番が推測出来る。樹理亜が多少出遅れているのを感じた。留奈のことをあまり悪く言えない程度に樹理亜の運動神経も鈍いからな。
 しかし、序盤のテクニカルゾーン……これは俺命名な。そこで出遅れた分を中盤のマッスルゾーンで巻き返し始める。これも俺命名な。この辺りまで来ると、ここからでも全身が見える。距離が遠いので小さいが。
 細身で小柄な体の身軽さを武器にここまで先頭に立っていた女子が、体格のせいで一際重く感じるだろうタイヤ引きに苦戦し順位を下げる中、樹理亜とその後ろを走っていた三つ星とか五つ星とか言うレストランのガイドブックで有名なタイヤメーカーのマスコットみたいな子は、持ち前のタイヤとの相性を見せつけるようにタイヤの重さに負けない走りで前方の集団に迫り、ケツから2番だった樹理亜は順位をひとつ上げてケツから3番になった。
 麻袋に両足を突っ込んで跳ねながら前進する地帯も足腰の強さで快調に進む。ゴールは目前。最後によく分からない障害のあるおたのしみゾーンが待っている。命名については言うまでもないよな?
 地面に置かれた風船、目の高さの風船をそれぞれ割らなければならない。みんなおっかなびっくりで、足元の風船を割ろうとしてもびびって力が足りず跳ね返されたりする中、樹理亜は何の躊躇もなく一撃で踏み割り、目の高さの風船も両手でハエを叩くように叩き潰した。樹理亜がこんなに度胸座ってたとは。樹理亜は一躍トップに躍り出た。樹理亜が容赦なく叩き割った風船の音で吹っ切れたらしく、後続も続々と風船を割り始めた。細身の子は力のなさで苦戦しているようだ。
 最後の障害はコースの真ん中に聳え立つ泡の塊だ。ビニールプールに石鹸水を張り、そこにポンプで空気を送り込んで泡を発生させている。
 小学校のときの障害物競走でも粉の中に頭を突っ込んで餅を探すコーナーがあったが、これはその泡版。この泡の中に頭を突っ込んで物を探すわけだ。なんとなく、泡姫という言葉が脳裏をよぎる。
 探す物はボールだ。泡の中で泡塗れの玉をまさぐる。泡姫以外の何者でもない。俺が深く考え過ぎなのかもしれないが、逆に考えればこの障害を考えた教師の考えが浅すぎるということでもある。しかし、こんなところで深く考える方がどうしようもない暇人のような気がするので、俺は考えるのをやめた。
 とにかく、泡の中で玉を掴むわけだ。掴むのは一つではない。あの玉と言えば二つだが、拾い上げるのは二つでもなく三つだ。玉なら何でもいいという訳でもない。白組なら白い玉、赤組なら赤い玉を三つ、石鹸水の中から拾い上げてゴールまでそれを持って行くのだ。中には赤玉白玉のほかにどっちが取っても捨てるしかないカラフルボールもいくつか混ざっている。
 ボールはつるつるのゴムボールなので、ぬるぬるの石鹸水でかなり滑りやすい。それに、三つということで両手に一つずつ持つと、残り一つをどうするのかと言うことになる。最後は短い距離ながら、滑るボールとの格闘になる。最後の障害だからか、かなり厄介な代物だ。欲しい玉が取れるかどうかも運次第。最後の運次第で大逆転したり今までの努力が無駄になったりする理不尽な競技と言える。
 選手は泡まみれになりながらボールを探す。最初は快調だったがマッスルゾーンで疲れ果てへろへろになった、細くて小柄な子が最初にボールを見つけだした。軽そうな体に似合わない重い足取りでゴールを目指す。
 それに続いたのは特に印象のない子だ。俺や情報科の連中以外から見れば、樹理亜もこんな感じなんだろう。
 その次は始め最下位だったミシュランガール。もう一人が走りだしたところで樹理亜もボールを揃え、ゴールに向けて走りだした。
 5位かと思ったところで、ミシュランと樹理亜の間の子がボールを落とした。と言うと二人の子みたいな誤解をされるな。ミシュランと樹理亜の間を走っていた子な。
 その横を悠々と走り抜き去り、樹理亜は4位になった。見事な中庸ぶりだぞ。皆揃ってボールを落とす中、樹理亜はゴールまでボールを落とす事はなかった。これはあれだろうか。日頃のミミズ捌きでぬるぬるしたものを掴むこつでも身に付けでもしているのか。今度ウナギでも掴ませて試してみたいところだ。
 ちなみに、エクストリームの障害は男女や学年でバラバラ。泡の中で玉をまさぐるのは一年女子だけのようだ。泡の中で玉をまさぐる男子の姿は見なくてすむ。
 女子のエクストリームが終わり、男子200メートルが始まった。俺は特に盛り上がりも面白みもないまま無難に8人中3位を取った。多少出過ぎたか。
 しかしなんだ。ただ走るだけの競技ってのは凄く速い奴らがデッドヒートでも繰り広げないと、見ていてもやっていても面白くないな。まあ、だから人数消化競技扱いなんだろうが。

 午前のクライマックス3年の騎馬戦は、俺たちの騎馬戦に刺激を受けたような戦略性と、持ち前のやる気と闘争心にハングリーが加わった気合で、実に激しい戦いとなった。同じ戦略を重視した1年の騎馬戦よりも激しい点取り合戦になり、見ごたえはバッチリだった。あんなのは見るだけにしたいものだが、いざ2年後にはどうなっているかはわからん。2年も経てば学校生活や受験勉強の鬱憤が溜まって暴れたくなっているかもしれないし、飯前だと気も立ってるかもしれん。
 とにかく、3年男子のファイトくらいに今の俺もハングリーだ。
 父兄観覧席に弁当持参で美由紀がきている。詩帆も一緒だ。さすがに平日なので輝義は来ていないし、直之など土日祝日でも来るとは思えない。
 美由紀と詩帆は来られなかった父親衆の代わりにビデオ撮影に励んでいる。だが、俺は全く期待できないと思う。美由紀と詩帆だからなぁ。いつもこういうときは輝義がカメラ係だったし、輝義が仕事で来られないときは伽椎ママがカメラを持っていた。
 美由紀は昨夜一晩輝義に教わったカメラ使いを練習していたので操作などはバッチリだろうが、逆に言えばわざわざ一晩練習しないとならない程度の腕前ということだ。期待しろと言う方が無茶な注文だろう。
 それにしても、美由紀と詩帆だけだと静かだ。美由紀はそうでもないが、詩帆は割とおとなしく口数はそんなに多い方ではない。伽椎ママのにぎやかなトークのお陰でかしましママ集団のメンバー入りをしていたが、その頃からほとんど相槌を打っているだけだった。美由紀も喋らない方ではないのだが、何せカメラと格闘中だ。喋るどころではない。
 弁当が開かれ、鶏肉と醤油の匂いが漂った。どう見ても冷凍総菜詰め合わせだ。
 そこに樹理亜もやって来た。うまそうな弁当の匂いをかき消す凄い匂いとともに。
「くせえ!石鹸くせえ!」
 さっきの泡姫競争の残り香だろう。
「えー、マジ?洗ったんだけどなぁ」
 樹理亜は手の臭いを確認する。あの泡に頭を突っ込んでゴソゴソやっていたんだから手だけ洗っても無駄だろう。この臭いも全身から振り撒かれている感じがする。
 試しに頭の臭いを嗅いでみるとがっつりと石鹸の臭いがついてた。頭と服ではどうしようもない。樹理亜は諦めた。
 午前中カツカツなタイムスケジュールで競技を詰め込んでいるので午後の競技数は少ない。その代わり、全学年選抜800メートル走や同じく選抜リレーなど、長丁場の競技が挟まってくる。だが、俺は午後には出番がない。関係のない話だ。
 樹理亜もそうだろうと思ったが、樹理亜は学年別競技の綱引きに出るらしい。綱引きも他の競技同様参加人数に限りがある。それぞれの組から頼りになりそうなのを60人ずつ選び、それを30人のチームに分けて白のAチームと赤のAチーム、同じく白と赤のBチームが当たり次に白のAと赤のB、白のBと赤のAが当たるという話を、関係ないので聞き流した記憶がうっすらとある。
 細かいルールはさておき、その60人の中に樹理亜が選ばれた訳だ。
「樹理亜が選抜選手とはねぇ。小学校中学校じゃはひょろひょろの体育1娘だったのに」
「失礼ね。2でした!たまに3も取ったし」
 大差ねぇ。いばるなよ。
「テニス部には綱引き出てる奴なんかいねぇぜ?あのテニス部のへなちょこ具合の方が異常なんだけどさ」
「でも、テニス部の人達って瞬発力の方でしょ?100メートルと200メートル出てる人が多いし」
 なんて言うポジティブシンキング。てっきりへなちょこだから100メートルと200メートルなんだと思ってたぜ。でも、瞬発力があるように思える奴ってやっぱりいないよなぁ。瞬発力が辛うじてありそうな桐生や川崎は俺と同じく200メートルと400メートルの組み合わせだし。樹理亜はテニス部に敵もいるのに買いかぶり過ぎだろ。
 ふと、その樹理亜の敵が気になったので、辺りを見渡してみた。
 さすがにこれだけの人がごちゃごちゃしている状況では易々とは見つからないよな。そう思ったとき、遠くの誰かと目が合った。その樹理亜の敵、留奈だった。こちらをじっと凝視しているようだ。俺は何も見なかったことにして目を逸らした。
 ちらっと顔を上げてもう一度留奈を見てみる。まだこっちを見ている。ずっとああしてこっちを睨みつけていたのだろうか。
 俺は何も見ていない。見ていないぞ。
 娘や両親と話したり弁当を食ったりして数分過ぎた後、もう一度そちらを見てみるとそこにはもう留奈の姿はなかった。全部気のせいだったんだよ。うん。
 何で娘と話しているだけでこんな後ろめたい思いをしなきゃならないんだ。

 午後の競技が始まった。開幕は一年女子の綱引き。樹理亜の頑張りも虚しく白組が全勝した。圧倒的な体重差、いや、実力差だった。体育祭というだけあって、あらゆる意味で体が育っていた方が有利だということだな。相手が悪かったな。
 その後腹が膨れて心が穏やかになっているとは思えない迫力の2年ヒステリー姫騎馬戦で盛り上がり、全学年選抜リレーでも盛り上がった後、1年女子の100メートルになった。テニス部員が多数……というか1年女子部員は全員参加している。
 樹理亜が言うような瞬発力を発揮する者はおらず、皆地味で残念な結果を叩き出していく。順番こそそこそこにいく人もいるが、そこに至るまでに掛かる時間が散々だ。つまり、低レベルの勝負で抜きん出られていない。
 留奈も瞬発力を発揮することはなかったが、100メートルという距離のおかげで、持久力の無さが足を引っ張ることもなく、かといって張り合う相手もいないので無駄に気合が空回りすることも無く、他の走者と一塊になったまま8人中6位と言う結果で無難に終わった。
 3年姫騎馬戦も終わった。俺たちから3年男子に受け継がれた戦略の応酬は、結局女子には受け継がれなかったようだ。まあ、戦争物が好きで戦術をすぐ思いつけるようなマニアックな女子はいなかったと言うことだな。歴女ブームなんてのもあるが、人や城に憧れるばかりで戦術まで掘り下げる人は少ないだろうし。
 そして、体育祭のクライマックスはバトルロイヤル騎馬戦だ。徒党を組まない単騎での生き残りをかけた戦い。知略戦に走った男子も、今度は実力でぶつかり合うしかない。見た目が厳ついのでこれは強いと思われ、戦略上とどめ係になって得点を荒稼ぎしてバトルロイヤル出場に漕ぎ着けた騎馬も、見かけ倒しだとすぐに露呈してしまう。もっとも、これで負けた方が見かけ倒しだったのか、相手が悪かったのかまでは知りようがないが。
 こちらではバトルロイヤルだけに一度負けた騎馬は復活できない。生き残った騎馬が一つになったら終了だ。そのせいもあって割とあっさりと終わった。通常戦が長すぎるんだと思う。
 これにて体育祭もすべての競技がつつがなく終了した。一進一退を繰り返し、最終的に僅差で白組は紅組に敗退した。残念ではあるが勝ったからと言って何かある訳でもないし、3学年トータルの結果だ。別に負けたのは俺が悪い訳でもない。
 白組の代表に優勝旗が手渡され、続いてバトルロイヤルを制した征夷大将軍と征夷姫将軍にトロフィーが渡された。これは選手自身が貰えるらしい。疲れているところにえらい大荷物だ。でも貰った本人は嬉しそうなので別にいいのだろう。
 俺は午後することがなかったが、こうして俺たちの戦いと争いの一日は静かに幕を……いや、花火の音とともに賑やかに幕を降ろした。

 幕を下ろしたのだが、新たな戦いと争いの火種が燻っていた。世界情勢みたいなもんだ。戦争の火種が消えたことなどありはしない。火山と戦争は地球の花って言うしな。言わないか。いずれにせよ、そんな大層なものでもない。
 今日は部活などない。部活があるのは一部のやる気ある運動部のみだ。やる気ない運動部と文化部の俺と樹理亜は、いつもよりも早い時間にいつも通り待ち合わせて帰ることになった。
 校門前で樹理亜を待つ。やってきた樹理亜は心なしか不機嫌そうだった。
「何怒ってんだ、樹理亜」
 樹理亜を怒らせるようなことをした覚えのない俺は気兼ねなく聞いた。
「あの子よ」
 樹理亜は不機嫌な顔のままそれだけ言った。
「ああ、あの子ね……」
 樹理亜を怒らせるようなあの子と言ったらあの子しかいない。留奈だ。
「あたしのこと、足太いとか言うのよ。あったまくるぅっ」
 気にしている本当のことを言われると頭に来るものだ。
「ほっとけよ。いつもの事だろ」
「足太いは初めて言われたもん!」
 かなり怒ってるな。俺も足には触れないようにしよう。そう決意したところで樹理亜が俺に切り出す。
「あたし、足太いかなぁ。太くないよね?」
 学校から塾のローテーションで典型的なもやしっ子だった頃の樹理亜を知ってる俺から見れば、今の樹理亜の足は明らかに太く逞しい。マッチョだ。もうマッチョ。だが、この状況でそんなことが言える訳はない。言った日には留奈の分まで張り倒される。
「太くないよ」
「だよね。だよね!」
 こう言わざるを得ない状況を生み出したうえで引き出したとしか思えない一言だが、樹理亜は喜んでいる。
 足の太さを俺に否定させて、その点については一応の満足を得たようだ。だが、太くもないと俺が認めた足を太いと言った留奈に対しての憤りは収まらない。いや、足は太いんだよ。留奈と比べても明らかに。
 現実から目を逸らしながら樹理亜はある決意を固めていた。その決意の内容を知るのは翌日のことだった。

 朝。昨日はあれだけ激しい運動をしたのにどこも筋肉痛になっていない。若いということは素晴らしいことだ。
 いつも通り学校に通う。いつも通り樹理亜が駅前で待っていた。だが、いつもとは少し違う姿。その手には、見慣れないがある意味見慣れた物が握られていた。テニスのラケットだった。
「どうしたんだ、それ」
「あのね、あたし決めたんだ。テニスの朝練、もっとまじめにやろうと思って」
 樹理亜の朝練参加は辛うじて続いていた。しかし、一緒に朝練をやっていた1年男子は気合いも違う。樹理亜は実力がだんだん引き離され行くのを感じて、見ているだけの日が増えていた。
 それでも朝練に出続けていたのは、とっとと家を出て直之と顔を合わす時間を減らすためでもある。顔を合わせたくないのは樹理亜も直之もお互い様。その辺利害は一致している。
 もう一つ、留奈のこともあった。留奈は朝練にまで参加するほどの気合はない。それに、他の部員も朝練に来ていない。一番の理由は早起きしたくないからだというのは言うまでもないが、朝練が始まった理由が、1年生が放課後になかなかコートを使わせて貰えないからだというのは女子も分かっているので、わざわざ朝早く起きてまでコートを使いに来ている男子の邪魔をしないようにと言う心配りも辛うじてなくはない。留奈も一応それに倣った形だ。
 本当は留奈も顔を出したくて仕方ないのだろうが、正直留奈とはあまり関わりたくない俺は、留奈避けもかねて樹理亜と一緒にいるようにしがちだ。樹理亜も俺が一緒だと気が大きくなることもあって積極的に留奈を牽制する。そのうち留奈は朝練を見にも来なくなっていた。樹理亜の粘り勝ちだ。
 それ以降も俺に留奈が付きまとわないように見張りも兼ねて朝練に顔を出していた。いずれにせよ、放課後の部活では留奈が好き放題やってるんだから気休めにしかなっていない。
 ちなみに2学期に入り顧問が米村に替わったが、その時にこのテニス部のシステムを曲解して覚えてくれた。1年は朝に、2年は午後にコートを使うと。
 米村の朝は、低血圧で定まらない意識の中での化粧と髪のセットで始まる。そんな状態で朝練など見るだけでも無茶だ。早起きすればいいのにとは思うが、夜は夜で寝かせて貰えなくて大変らしい。変な意味ではなく、仕事の残務処理が山盛りだとか。おかげで夜はどうしても遅くなりがちで、早起きなどしようものなら授業中に寝てしまう。そんなことは教師では許されない。生徒も許されている訳ではないがな。
 そんな訳もあって、米村は朝練の実態を知らない。女子は暇な見物人と、テニス部員ではない女子しか朝練には顔を出していないのだが、米村は朝練に女子も来ていると思っている。
 ところで、樹理亜が持って来たラケットは、わざわざそのために買ったと言う風情ではない。使い込まれた、というかある程度使われてから長らく埃をかぶっていたような古ぼけた感じだ。それにこのラケットカバーには見覚えがある。
 樹理亜にそれとなく尋ねてみたらやっぱり詩帆のお下がりだった。
 詩帆は当時の流行と熱烈な勧誘に押し負けて、大学のテニスサークルにやって来た。そこでミニスカートの女の子が目当てでサークルに入っていた前世の俺と知り合った。俺も若かったよな。
 サークルなのでここのテニス部よりもさらに緩い感じだった。ずぶの素人だった詩帆は4年間でラケットの持ち方とルールを覚え、立派な初心者になった。それでも、一応真面目にテニスをしに来ていただけはあって、ここのテニス部員相手なら勝てるくらいだったかもしれない。
 大学を卒業してからはたまに俺と近所の公営テニスコートで打ち合いをするくらいだった。俺が死んでからはラケットを握る機会もなかっただろう。直之がテニスをするようなタイプだとは思えないしな。
 恐らく、このラケットは15年くらい使ってないことになる。よく捨てずに残ってたな。
 直之の意向なのか詩帆が気を使っているのかは分からないが、樹理亜の家には前世の俺で樹理亜の本当の父親である溝口幸仁の遺影さえない。
 そんな詩帆にとっても、このラケットはそれとなく手元に置いておける数少ない俺との思い出の品なんだろう。推測というよりは半分くらい願望だけど。
 まてよ。それを樹理亜にあげるというのはもう俺との思い出なんて要らないということじゃ。いやいや、きっと相手が俺の忘れ形見の樹理亜だからこそだよな。これも推測というより願望だが。
 樹理亜はそんなラケットの過去に秘められた思い出など何も知らず、ママが昔テニスやってたなんて初めて知った、とっても意外、などと話している。当然、詩帆は細かいことは何一つ話していないようだ。

 ラケットを持った、いつもと少し違う樹理亜と学校に着いた。いつもと違っていたのは樹理亜だけではなかった。
 いつもならいないはずの留奈がテニス部の部室前に待ち構えていた。樹理亜もその姿を見て表情を険しくする。こりゃ一悶着ありそうだ。
 だが、その予想に反して留奈は樹理亜に手出しも口出しもせずに大人しくコートに送り出した。監視するようにただ黙って樹理亜を見続けている。樹理亜も昨日のことがあるからか、練習にもより気合が入ったようだ。
 朝練は妙な緊張感の中で、それでも滞りなく進められた。
 何事もなく終わったが、いつもより疲れたような気がする。本当に若いのか?この体。
 なぜこの期に及んで留奈が朝練を見に来たのかと思ったら、昨日既に一悶着があったらしいことが放課後の部活のときに留奈の愚痴という形で明らかになった。
 不機嫌だったのは足太いと言われた樹理亜だけではなかったようだ。留奈の話を聞いた後に改めて樹理亜に詳しく聞いてみた話を合わせると、昨日のやり取りはこんな感じになる。
 終わり間際とは言え武将に格上げになるほど大活躍だった騎馬戦をはじめ、地味ながらもエクストリームや綱引きにも出場し、さらに200メートルでは自滅ながらも留奈に勝った樹理亜。一方、留奈はいいところなしで終わった体育祭。
 自分の負けを認めたくない留奈は、その腹いせに樹理亜に食ってかかったようだ。
「これで勝った気にならないことね。あなたが野蛮なのが露呈しただけよ、おほほほほ」
 留奈がこんな喋り方するとは思えないが、まあ大体こんな感じのことを言ったんだろうな。足太い発言もそんな流れの中であったらしい。
 さすがに樹理亜もカチンと来て、売り言葉に買い言葉と言わんばかりに言い返した。
「負け犬は一人で吠えてなさいな。アタクシ、こう見えて暇ではなくってよ」
 と言うようなことを、もう少し樹理亜らしい言葉で言った訳だ。
 どう暇ではないのかも樹理亜は言ってやった。これから流星の家で一緒に今日のビデオを見ることになっているの、と。
 留奈にとって、と言うか普通のこの位の年頃の女の子にとって、男の家に行って上がり込むというのは、たとえそれが日帰りであっても凄いことだ。
 とは言え、樹理亜は幼稚園のころから俺の家に何の遠慮もなく上がり込んでいた。伽椎と一緒にままごとや宿題をしに。樹理亜にとっては小さい頃から当たり前のようにしてきたことだ。
 樹理亜や伽椎にも女友達はいたが、作るための行為を含めて子供好きな輝義と美由紀のお陰で、俺の家が一番居心地がよかったようだ。伽椎の家は騒音が凄いからな。お喋りで。
 樹理亜にとって、俺の家は自分の家みたいなもんだ。だが、そんな事情を留奈が知るはずもない。樹理亜の存在すら最近まで知らなかったんだからな。
 留奈は樹理亜が俺の家まで上がり込んでいると知って、相当なショックを受け、相当な危機感を抱いたらしい。それで部活動のときに俺を問い詰めて来たわけだ。それで俺は昨日の二人のやり取りが樹理亜の言われた足太いだけで終わっていなかったこと知った。今朝、顔を合わせた二人の間に一悶着起こりそうで起こらなかったのは、既に昨日一悶着あったからだったということだな。
 留奈に問い詰められた俺だが、別に疚しいことなど何もないし、樹理亜との間に何かがあったとしてもそのことで無関係の留奈に対して疚しく思う謂れもない。俺は隠し立てもせずに有りのままを話した。
 樹理亜が俺の家に頻繁に通っていることを知りショックは受けたようだが、いわゆる“そう言ったこと”は特に何もないと言うことも知って、一応はほっとしたようだ。
「ま、そういう訳だからさ。また留奈が何かし始めるかもしれないから気を付けろよ」
 えらい時限爆弾を抱え込むことになったが、最初に余計なことを言ってそのスイッチを入れたのは樹理亜だ。俺はスイッチの入った爆弾を受け取って赤か青の線を切れと迫られたようなもので、その指示の通りにしただけ。後はそれで爆発するか、収まるのかは運と爆弾の留奈次第。どっちを切っても爆発する爆弾かもしれないのがタチ悪いがな。これで爆発しても俺のせいじゃないぞ。
 ただ、爆発すれば俺も巻き込まれる。他人事では済ませられない。合宿の時の裸攻撃のように、どうにかして他人に転嫁できればいいのだが、さすがにこれを他人に受け流す方法は思いつかない。運を天に任せるしかなさそうだ。後は留奈がこれでおとなしくなってくれるのを祈るばかり。
「しかし、こう言うのは難しいよなぁ。どうすればどうなるってのが決まってないからさ。聞いた話から察するに、留奈は突き放されたりライバルがいたりする不利な恋愛ほど燃えるタイプみたいだけど、だからといって逆のことをすれば冷めると決まってる訳でもないし。留奈の恋愛って一度も成就したことがないみたいだから、サンプルケースが皆無だもんなぁ」
 留奈は敢えてすでに彼女がいる先輩を好きになったり、その気のない相手を追い回したりと言うことを繰り返してきた。当然、うまく行ったどころか相手から気にかけられるようになったことすらない。
「そう考えると小西さんもかわいそうなのよね」
 困ったような樹理亜はいう。完全に敵視している相手から同情されるってのは屈辱だろうな。言われなきゃ留奈も樹理亜に同情されたなんて分からないから言わないけど。
 と言うか、そもそも俺は留奈をかわいそうだとはちょっと思えない。俺が冷血とか言う訳じゃなく、留奈は留奈で好きでやってるように思える。さっき言った通り、留奈はわざわざ彼女のいる相手に惚れ込んだり、好かれてもいない相手を追い回したりし、逆境の恋ほど燃え上がるタイプだと俺は思っている。疎まれながらも必死に相手を思い続け、いつか振り向いてくれる日が来ると信じる。少女漫画のヒロインにでもなったかのように。……たまに吐く科白は少女漫画の意地悪な恋敵役そのものだけどな。
 留奈も本当に辛いならとっとと乗り換えているだろう。テニスがうまい奴なんて他の学校ならいくらでもいるんだし。これだけの逆境にも諦めないのは、この状況を留奈自身も少し楽しんでいるからじゃないだろうか。言ってみればM。
 そう考えると、裸になって迫って来るというのも恥ずかしい思いをすることで喜びを得ているのでは。どっちにせよ変態なのは間違いない。そう決まった訳じゃないから決めつけちゃいけないけどな。
「樹理亜ばかりか俺も嫌がってんだ、それでも諦めずに俺に付きまとってくるのは自分がそれで満足できるからだろ。人が何かをするなんてのは誰かのためか、そうでなきゃ自分のためだ。他の誰のためにもならないことを続けていけるのは、それが自分のためだからだろう。他人に疎まれて自分でも傷ついてるなら、そんなこととっととやめちまうさ」
 樹理亜は足を止めた。
「それは言い過ぎだよ、流星。小西さんもそんなに悪い人じゃないと思う。ただ一途で真っすぐで、ちょっとだけ向こう見ずなだけで、人を傷つけて喜ぶような子じゃないよ。」
 やけに真顔で言うが。
「いやいやいや。俺もそこまでは言ってないんだけどな」
「えっ」
「留奈だって、纏わり付くことで俺が喜んでるとは思ってはいない。ちょっと鬱陶しがられてることくらいは気付いてる。それなら自分が満足するためにやってるんだろって話だよ」
「え。あ。ああ、そうね。それはそうかも」
「まったく、俺がどれだけ留奈を嫌ってると思ってたんだ。鬱陶しいし勘弁はして欲しいけど、そこまで嫌いじゃないぞ。もしかして、樹理亜こそ本音じゃ今みたいなことを……」
「えっ。いやいやいやいや。そんな、そんな事ないよ」
 本当かどうか疑わしい狼狽えようだ。まあ、とりあえず今のは不問にしておく。
「まあなんだ。自分を押し殺して相手のために尽くし続けるタイプもいれば、自分のために尽くしてくれる相手じゃないと満足できないタイプもいる。十人十色っていうだろ。色欲や色情も人それぞれって事よ。愛の形に形式はねぇ。ああ言うのもいるって事だ」
「十人十色の色ってそういう意味じゃないでしょ」
「色は違うが、意味や使い方は間違っちゃいないだろ」
 樹理亜は考え込んでいる。
「だからこそ恋愛には形式もないし、こう言うときはこうすりゃいいって言う一般的な答えもない。普通なら愛想尽かされるような意地悪だって、相手がドMなら喜ぶし、ドMを喜ばせないようにほったらかしても放置プレイだと思って喜んじまうかも知れない。留奈がどうされるのが嫌でどうすると喜んじまうのかは、留奈本人か実際にやってみた奴に聞いてみるしかねぇ。いや、今までに両想いになったことなんかないんだ、留奈本人だっていざそうなったとき自分がどう心変わりするかなんてわかりゃしないだろ。結局、どうなるかを知りたきゃ、やってみるしかねぇ」
「流星、まさか小西さんと付き合う気?」
 驚いたように樹理亜が言った。俺もそれに驚いて言う。
「なんでよ。ああ、やってみないと分からないって言ったからか。確かにやってみないと答えは出ないが、さすがに答えを得ることに対するリスクがでか過ぎる。リスクを考えるとそこまでするほどのことじゃないさ。両想いになったらつまらなくなって冷めて行くのか、今まで失敗続きだった分派手に燃え上がるのか。俺は後者の方が確率高いと思うぜ。今まで、思いっきり燃えあがるつもりで油被って男に迫り、悉くお預けになってきたんだ。火を付けちまったらさぞかしよく燃えるだろうよ。あっと言う間に灰になるほど激しく燃えるのか、いつまでもじっくりと燃えるのかは分からないが、どっちにしても勘弁してほしいわ」
「なんか流星のたとえ話っていつもなんか変……」
 樹理亜は苦笑いを浮かべながら言った。
「そうか?」
 とにかく俺の目指すゴールはただ一つ。留奈が引火して燃え出さないないうちに誰かに押し付ける。できれば余所に行ったところで火を付けて、俺に火の粉もかからないどこかで燃え尽きていただく。それだけだ。
 そのための努力は怠りなく続いているのだが、留奈の熱心な俺へのアタック同様、手応えが感じられない。いつまでこの状態が続くのやら。いや、続いてくれるなら続いた方がいいのかも知れない。悪い方に動くよりは。ただ、放っておけば確実に悪い方に動くだろう。早急に対処が必要だと、かれこれ数ヶ月間思い続けている訳だけどな。
 俺がいくら動いても無駄に終わってきた。しかしこの時、俺の知らないところで事態は動き始めてはいたのだ。



おまけパズル

問・前回ならびに今回の内容を元に、下の運動会プログラム表に100メートル走、200メートル走、400メートル走、エクストリーム、綱引き、騎馬戦を書き込んで完成させよ。
答え合わせは各自CTRL+Aもしくはドラッグによるあぶり出しにて行うものとする。ただし、ブラウザの設定などにより最初から答えが丸見えだったり、 表の形が凄惨極まりない崩れ方である場合、それはご愛敬とする。
(配点・ご褒美特になし)
1年女子1年男子2年女子-----2年男子3年女子3年男子-----
400m100mエクスト
リーム
騎馬戦200m綱引き
騎馬戦400m綱引き200mエクスト
リーム
100m
200m騎馬戦100mエクスト
リーム
綱引き400m
エクスト
リーム
200m400m綱引き100m騎馬戦
綱引きエクスト
リーム
騎馬戦全学年800m100m400m200m全学年
リレー
100m 綱引き 200m ----- 400m 騎馬戦 エクスト
リーム
騎馬戦
バトル
ロイヤル

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