Reincarnation story 『久遠の青春』

15.誤解の果てに

 二学期が始まり、まず驚いたのがテニス部の顧問が新しくなっていたことだ。米村真代と言ううら若き女教師だ。インテリアデザイン科でデザインを教えている先生だったと思う。貴重な女教師だ。
 何も知らない男子からなぜ川崎が辞めたのかを訊かれると、とても言いにくそうに、夏休みの合宿で問題が起こったからだとだけ答えた。その後、女子のお喋りで女子の保護者軍団が夏休みの最中に川崎をつるし上げた事が分かった次第だ。
 この学校にはあまりテニスの上手な教師はいない。川崎の次にマシなのがこの米村ということだ。ただ、自分でも決してうまいとは思っていないようで、みんなと一緒に自分も成長しなければと所信を語った。
 テニス歴について尋ねてみると、中学の三年間テニス部に入っていたということだ。ただ、高校のときは帰宅部で、大学ではトレンド研究会という、何をするのか分かるような分からないようなサークルにいたと言う。中学卒業後ラケットを握ったのは、部屋の片付けのときに過去を振り返って甘酸っぱい思い出に浸ったときだけだそうだ。
 そんな自分がテニス部の顧問などと言う大役を任され、しかもそれが顧問初体験ということもあってかなりガチガチだった。だが、部員たちの練習を見た途端に表情が晴れやかになった。勝てると感じたのだろう。
 そんなこんなでテニス部の二学期が始まった。

 ひとつ気になるのは、やはり留奈の動向だ。最初はおとなしくしていたので樹理亜の事は気付いていないのかと思っていたが、そんなことはなかった。
 俺の知らない所で留奈の魔の手が動き始めていた。そしてそれは樹理亜も分からない所で動いていた。
 ある日、樹理亜が俺に相談を持ちかけてきた。が、留奈のことではなかった。
 樹理亜にパソコンの使い方を教え、樹理亜を俺のパソコンのエロ画像の隠し場所を探り当てるようなタチの悪いスーパーハッカーに仕立て上げてくれた、まさに悪鬼と言いたくなるような樹理亜のクラスメイトのアッキーに、最近元気がないらしい。
「それでさ。テニス部にアッキーのお姉ちゃんが居るじゃない」
「え。そうなの?」
 初耳だ。
 確かアッキーは三澤明奈だったな。三澤……そんな部員、居ただろうか。
「情報技術科の二年生で、眼鏡の人だよ」
 眼鏡?二年生で眼鏡で情報技術。一人該当するのはいるが……。
「その人、アッキーの姉ちゃんじゃないぞ。根室先輩だろ、おかっぱの」
「おかっぱって……いつの時代よ。ショートボブって言ってよ。あの人、……お姉さんじゃなかったんだ……。よく何か相談したりしてるみたいだし、お姉さんだとばかり思ってた」
 まあ、あの二人が並んでいたらそう思うかも知れないが。でも、あの二人が似たような印象をもたらす最大の原因って、似たり寄ったりのフレームのぶっとい眼鏡なんだけどな。眼鏡をとると、多分そんなに似てないぞ。それに、姉ならわざわざ学校で相談に乗らなくても家でいくらでも話ができるし。
 とにかく、アッキーの元気が無いようだが、本人があまり言いたがらないようなので、根室先輩が何か聞いて無いか聞いてもらえないかという話だ。
 早速、部活のときに根室に話を聞いてみることにした。
 話を切り出すと、根室はかなり気まずそうな顔をした。
「ごめんね、あたし何も知らなくてさ、小西に明奈のこと言っちゃったんだよ」
 小西……留奈のことだな。でもなんで留奈に。
「小西がさ、情報科の1年生の事教えてほしいって言うから明奈のこと教えちゃったの。てっきりあんたと小西が付き合ってると思ってたんだけど、違うんだね。何も知らずに小西に明奈のこと言っちゃったせいで、明奈の靴箱に脅迫状が入ってたとか……」
「……?」
 脅迫状とは穏やかじゃないが、それ以前に気になることがあるな。
「なんでアッキー……明奈がそこに出てくるんすか?もしかして、俺と明奈が付き合ってると思ってません?」
「……違うの?」
「多分小西が聞きたかったの樹理亜の事じゃ……」
「だだだ誰それ」
 狼狽え出す根室。話が見えてきたな。
「多分、留奈が先輩に訊きたがってた情報科の1年生って、樹理亜って子の方っすよ。アッキーの他にもう一人、女子居るでしょ」
「あっ。そう言えばいるね、印象の薄い子」
 印象薄いって。それを言ったらアッキーの方も大概だぞ。眼鏡のおかげで存在感が出てるだけで。
「じゃあ、あたし間違えて……。そのせいで明奈は……」
 頭を抱えてうずくまる根室。これが結論だろうが、アッキーはえらいとばっちりだ。
「脅迫状って、何が書いてあったんです?何にせよ、それアッキーじゃなくて樹理亜に向けて書かれたことだから、気にするなって言っておいてくださいよ」
「う、う、ううう。そうだね……。でもでも、このままじゃ明奈のところにこれからも謂われのない中傷が……」
「留奈の誤解も解いた方が……」
「そうだね!……でも、そうすると、その別な1年の子に迷惑が……」
「樹理亜だって、自分のことで全く関係のないアッキーに迷惑がかかっている状態よりはその方がマシだと思うかと」
「うう、そうだよね。きっとそうだよね……。じゃあ、小西にも言っておくね。ごめんね。ごめんね」
 わたわたしながら根室は走っていった。今回のことで一番精神的なダメージを受けてそうなのは根室だなぁ。
 とりあえず、根室はちゃんと手を打ったらしく、明奈への謎の嫌がらせはその日を境に止まった。やっぱり留奈の仕業だったと言うことだ。
 そして、今度こそ、樹理亜にその魔の手が伸びようとしていた。

 そんなことがあった翌日、休み時間に情報科の様子を見に行く。教室に樹理亜と明奈が一緒にいたので声をかけた。
 何があったのかを二人とも理解しているので話は早い。その上で、明奈が貰ったという脅迫状を見せてもらった。脅迫状には、人の男を横取りするような女には酷い仕打ちが待っているから覚悟しなさい、と言うようなことが丸文字で書かれている。内容は恐ろしげなんだが、この丸文字のせいで迫力も何もないのはご愛敬だ。
 まあ、勘違いで明奈の元に行ったこの手紙だが、それ以前にも重大な勘違いがあるな。留奈の奴、完全に俺とつきあってる気分でいやがる。人の男を横取りしようとしている奴なんか、俺の周りには居ないぞ。
 とにかく、明奈じゃないと言うことが確実に留奈に伝わっていれば、もうこの後明奈には何も起こらないはずだ。
 留奈は俺の前では何も無いように振る舞っている。ひとまず、こちらも素知らぬ振りをして様子を見る。
 翌日、樹理亜の下駄箱に明奈に届いたものと同じ文面の脅迫状が届いた。これで話がちゃんと留奈に伝わっていたということと、脅迫状の犯人が確かに留奈だったと言うことが分かった。現実は小説より奇なりと言う言葉もあるし、実は根室が仕組んだ留奈を陥れようとする罠という考え方もできなくは無いが、いくら何でもそれは無いだろう。
 とにかく、全く無関係なのに巻き込まれた明奈も、全く無関係の明奈を巻き込んだ無関係の根室もほっと胸を撫で下ろしたようだ。
 ただ、これからは樹理亜がどうなるかということも問題になる。特に明奈は手放しで喜べない。
 最初の数日は何事も無く過ぎたが、ある日とうとう留奈の攻撃が始まったようだ。
「びっくりしちゃったよ、上履きに画鋲が仕込まれてたの!」
 不機嫌そうに樹理亜が言う。
「見てよ、これ!」
 俺の目の前に上履きを突き付けてくる樹理亜。まさか画鋲を入れたまま履いてたのか?
 中を覗こうとするとそこじゃないよと言いながら上履きの外側を指し示した。よく見ると、ミカンの皮のように、小さな穴がポツポツとあいている。
「もしかして、これ全部画鋲が刺さってたのか?」
「そうよ!最初見たときは何が下駄箱に入ってるのかと思った。思い出しただけでぞわぞわする」
 樹理亜の腕がふつふつと粟だった。きっとその時の上履きもこんな状態だったのだろう。何とも陰湿というかその割には派手で開けっ広げと言うか、よく分からない嫌がらせだ。とにかく執念だけは感じる。早く縁を切りたいという思いがより一層強くなる。
 これ以来、樹理亜は行動一つ一つに神経を使わなくてならなくなった。

 留奈の嫌がらせは続き、机にマジックで悪口を書かれたり、下駄箱にナメコが入っていたり、ロッカーに男子の体操着が入れられたりしていたそうだ。なんでナメコ。
 最初は怒っていた樹理亜もだんだん恐怖や不安の方が大きくなってくる。
 ただいかにせん、下駄箱のナメコはともかく、机の落書きは目立つし、ジャージの件では巻き込まれた男子もいる。樹理亜の受けている嫌がらせはすぐにクラス中に知られることになる。
 クラスでは貴重な女子であり、“情1の天使”の異名をもつ樹理亜を守るため、男子も立ち上がってくれたそうだ。なお、明奈は“情1の妖精”と呼ばれているらしい。天使も妖精も実在しないよな。あのクラスにとっては、女子の存在そのものがファンタジーなのかもしれない。
 そして、早速男子は行動を起こした。
 男子の一人が、早朝の誰もいない教室を掃除用具入れの中から見張った。教室に一人でやってきた留奈が、黒板に樹理亜の悪口を書き始めたところで掃除用具入れから飛び出して声をかけたそうだ。
 驚いて逃げ出した留奈が自分の教室に駆け込んで行くのを確認した後、男子生徒はその教室を覗いて確認。
 その男子は実は気弱だった。一人では怖いと言うことで、仲間を何人か連れてそのクラスの人に留奈の名前を聞きに行ったとか。
 しかし、どう考えても留奈の方が怖いぞ、それ。
 よほど怖かったと見えて、その日から教室では何も起こらなくなった。嫌がらせは下駄箱を中心に起こるようになったが、そちらも男子が現場を押さえて声をかけてから何も起こらなくなったとか。
 ここ数日、留奈が急に元気を無くした理由はそれだったようだ。樹理亜以上に精神的なダメージを受けてそうだな。樹理亜についても自分が完全に被害者だと思いこみ、自分がこんな目に遭う理由を理解してないだろうから、確実に勘違いしてるだろうし。
 やり過ぎだろうと言いたくはなるが、思えば何もやり過ぎてる所は無いんだよなぁ。教室や下駄箱を見張って嫌がらせを止めようとしただけだし、悪戯をしていた生徒の名前を他の生徒に聞いただけだし。
 憔悴した留奈は痛々しいが、自業自得だ。ここで下手に手を差し伸べて惚れ直されても困る。放っておくしか無い。

 自分自身に危険が迫っていると勘違いしている留奈は、当然樹理亜への嫌がらせどころではなかった。
 お陰でしばらくは平穏な日々が続いたが、嫌がらせが無ければ情報科の男子も留奈に用は無い。何事もなければ留奈も落ち着きを取り戻してくる。すると、止まっていた留奈の活動も再開してくる。
 教室や下駄箱にはトラウマがあるので、その辺りでの嫌がらせはできない。かといって、樹理亜に直接手を出そうとはしないようだ。まだ樹理亜に犯人が自分だとばれて無いつもりらしい。まあ、俺が何も言わないからそう思っているんだろうが。
 だが、留奈も樹理亜に手出しができない以上、捨て身の攻撃に出ざるを得なかった。俺と樹理亜を引き離す作戦のようだ。
 いつの間に撮ったのか、俺と樹理亜が並んで歩いている所を写真に撮り、それを証拠に俺が浮気をしたとテニス部のほかの女子に泣きついたみたいだ。俺の嫁にでもなったつもりでいるんじゃないだろうな。
 いきなり女子の部室に呼び出され、取り囲まれてあること無いことでねちねちと言われた。
 俺もこの謂われのない言いぐさにさすがに驚いて、俺は留奈と付き合ってなんかいないと反論したのだが、それが完全に逆効果になった。そりゃ、普段の俺と留奈を見ていると付き合っているようにしか見えないからな。
 これ以上余計なことを言うと感情を逆なでする。とりあえず下手に出てやり過ごすことにした。
 ようやく解放されると、根室が声をかけてきた。
 根室は事情を知っているので俺や樹理亜を擁護する立場に立ったのだが、根室は樹理亜と同じ情報科だからかばっているだけだということにされ、敵側に回されてしまったらしい。
「なんか変なことになっちゃったね」
「そっすね」
「なんか落ち着いてるねぇ」
「まあ、そりゃあ……。誤解されたと言っても、それで嫌われて特に困る訳じゃないですし。別にテニス部も続ける理由がある訳でも無いし、居辛くなったら辞めればいいだけですから」
「ええっ。辞めちゃだめだよ。せっかくあんなにうまいのに!」
 驚く根室。っていうか、返す返すも俺がうまい訳じゃなくて周りが絶望的に下手なだけなんだが。
「一番やる気あったのに。辞めるなんて言わないでよ……」
 根室の狼狽えぶりは思った以上だ。っていうか、やる気があったのは、とっとと留奈を押し付けられる部員を育てたかったからなんだけどな。
 そして、根室が俺の辞めたきゃ辞める発言で狼狽えたのは、留奈に樹理亜のことを教えたのが自分だという負い目があるせいでもある。そもそも根室が最初に留奈に教えたのは第三者の明奈のことだし、樹理亜のことを留奈に伝えさせたのはこっちだ。根室が思い悩むことではないとは思う。
「それにしても、あたしまで悪者扱いしなくてもいいじゃん……。ちっくしょー!合宿の人に見せられない写真、ばらまいてやるからなー!」
 この、根室に対する悪者扱いのせいもあって、いつになくネガティブな感じだったようだ。それよりもなにげに恐ろしいことを言ってるな。まあ、興味はあるぞ、見せられない写真。
「それにしても、誰も留奈の言い分疑わないんですかね。俺、自分では相当距離置いてるつもりなんですけど」
「まあ、確かに冷たくしてるってのは感じてたけど。元がクールなキャラだし、ツンデレっていう奴かと思ってた。小西ってどこかMっぽいし」
 ツンドラか。そんなに冷たく寒々しく、針葉樹のように刺々しく尖った奴に見えたか。
 いずれにせよ俺にとっては今回のことは留奈を突き放すいい口実になる。こうなったらツンドラを極めてやるぜ。

 こちらが出方を窺っているその後数日の間に、俺を取り巻く環境は目まぐるしく動いた。
 女子の間で持ち上がっていた俺に対する誤解は、男子にまで波及した。だが、1年の男子は事情を知っているので特に反応はなかった。お前もいろいろ大変だなぁ、と他人事のように言っただけだ。こいつらもツンドラだな。
 それに対し、力強く食いついたの2年男子だ。
 合宿での1年への恨みが、熾のように消える事なく静かに燃え続け、特に1年を2年より強く鍛え上げ、頼みの綱の桐生の腰を潰して2年の負けを決定的にした俺を特に憎んでいた。まして、そうやって女子がまた遠くなったところに来て、出てきた話が浮気、二股というネタだ。恨み憎しみばかりか妬み嫉みまである。そしてこれで女子につけば女子の印象が回復するという下心。2年は留奈側に回り、俺の吊し上げに加担した。
 それと同時に、女子部員達に1年男子からも俺と樹理亜の仲、そして留奈の横恋慕の実態がちゃんと伝わり、2年男子が自分らと同じことをしているという現況と相まって、女子の熱は一気に冷めた。
 さらに、根室が腹いせに合宿の写真をばらまこうとしていることが知られ、大慌てで根室に謝り、留奈の件へのそれ以上の口出しはなくなった。
 相変わらず元気に留奈のことについて、俺を非難し続けているのは2年男子だけになった。留奈としても、この状況は予想外だったろうな。
 女子だからこそ、俺を叩きつつ樹理亜にも非難が及び、さらに噂がそれこそ学校中に伝っていくような影響が期待できたのだろうが、男子だけでは内輪だけで盛り上がり、ましてこいつらは願わくば俺から留奈と樹理亜を奪えないかと下心を出しているので、樹理亜には当然手を出さない。攻撃されるのは俺ばかりと言う状況になる。
 その状況で、留奈に“まったくなんてことしやがる”などと言いながら邪険にしてやると、向こうもさすがに俺に近づきにくい状況になった。
 留奈もさすがにこんな状況になって反省し、落ち込んだ。すると、2年の男子がまたお前が何かしたんだろうと噛み付いてきた。こいつらが何を言ってもあまり腹が立たないのはなんでだろう。むしろ負け犬の遠吠えのようで笑いが込み上げてくる。
 ただ、根室は根拠のない負い目のせいで傍観できずに俺を庇おうと割って入ってきた。
「だから違うんだって。もう、いいかげんにしてよ小西!その気のない男を騙して唆して!」
 根室の言葉に明らかにショックを受ける留奈……と二年男子。“その気のない男”という言葉が突き刺さったようだ。それだけダメージを受けるというのは自覚がない証拠だな。
「そんな……!違うんです……」
 力無く否定する留奈。流石にかわいそうになってきた。後々に無意味な遺恨を残したくないし、弁明してやる。
「あの。さすがにそれはないかと。留奈だってこんなのに助け求めないでしょ」
「う。た、確かに」
「ちょっと待てええい!こんなのとは何だあああ!」
 あ、しまった。つい本音が。っていうかあっさり認めずフォローしろよ、根室!
 俺が心の中で根室に責任を押し付けたその時。
「やめてええええ!先輩、やめてください!私のせいなんです……!」
 留奈はそう言い泣き出してしまった。
 留奈の悲痛な叫びに、1年男子と和やかに練習の振りをして遊んでいた他の女子もいっせいに反応した。
「違うんですっ!流星は悪くないんです!流星はっ……!」
 寄ってきた女子たちに、留奈は涙ながらに訴えた。もともと泣いてたんだが。
 俺が悪くないとなれば。
「ちょっと!あんたら、何泣かせてんのよ!」
「留奈は傷ついてんだからね!」
 泣きじゃくる留奈の頭を撫でながら2年男子に向かって女子は言った。2年男子から反論などのリアクションはなかったが、表情は思いっきり、ええええええええ!と叫んでいる。
 弁明の暇も与えず、女子たちは留奈をコートの隅に連れて行き、みんなで慰めている。嘘をついて俺と樹理亜を引き離す事に女子を加担させようとしたことで、みんなに少し距離を置かれていた留奈だが、これがきっかけで仲直りができればそれに越したことはない。
 2年の男子はとんだとばっちりで、まだ呆然としている。
「またややこしいことになっちゃったかなぁ。ど、どうしよう……」
 根室はおたおたしている。
「いいんじゃないすか?留奈はみんなと仲直りできそうだし、俺は悪くないって事になりそうだし、傷ついて困る様な人は誰も傷ついてないし」
「そ、そうだね。うん、そうだよ!」
 そうらしい。なんて哀れな2年男子。
「いろいろ迷惑かけてすみませんね。あまり関係ないのに」
「んー。結果、かき回しただけだったけど……。まあ、そもそもあんたのためって訳じゃないしさ」
 それもそうか。そもそも明奈を勘違いで巻き込んだ罪滅ぼしみたいなもんだもんな。
「そもそも、明奈とは何なんです?ただの同じ科の先輩後輩って訳じゃ無さそうですけど」
「え。あ、ああ。そのぉ。なんて言うか……」
 何だ、言いにくそうだな。
「初めて会ったのはここのパソコン室の入り口で、今年になってからなんだけど。なんかあの子を見てると他人のような気がしないのよね」
 確かに。樹理亜も姉だと思ってたみたいだし。ってちょっと待て。もしかして理由はそれだけか。
「なんかさぁ、鏡見てるみたいでほっとけないのよ。あたし、思わず生き別れの妹がいないか親に聞いちゃったもの。いなかったけど」
 似てるのは眼鏡だけだろうに。
「そうすると本当に何の関係もないですね」
「え。あ、そうだよねぇ。まあ、後輩のことだからってのはあるけどさ」
 本当にこれだけだよ……。
「明奈の疑いが晴れた時点で手を引いてもよかったのに」
「まあ、そうなんだけど。なんかほっとけなくてさー。別にあんたのためじゃないんだけど」
 それは分かってるって。
 そこまで言った後、根室は首を捻り出した。その後、慌てて言った。
「違うから!そういう事じゃないから!」
 根室はいそいそとどこかに行ってしまった。最期の一言が何なのかがさっぱりわからん。誰か説明してくれ。

 いざこざはあったが、テニス部の中はすっかり元に戻った。
 留奈もさすがに懲りたらしく、テニス部の中ではおとなしくしている。
 ただ、黙っておとなしくはしていられないらしく、また樹理亜の方に手を出すようになってきた。
 今度は樹理亜のいる園芸部の方にちょっかいを出し始めた。別な園芸部員の下駄箱に、ある事無い事書かれた樹理亜を告発する手紙がおかれたりし始めたようだ。
 留奈と同じクラスの園芸部員から始まり、他のクラス、上級生とその手は次々と伸びて行く。樹理亜がテニス部の女子に嫌がらせを受けたことがあるのは他の部員も知っていたので誰も気にしなかったようだが、面倒見のいい先輩が樹理亜のために立ち上がってくれたようだ。
 ある日、部活に顔を出した留奈の様子がおかしかった。そしてその日の帰り、困った様子で樹理亜が切り出してくる。
「ねえ、今日小西さんどうだった?」
「どうって。そういやなんか様子が変だったな。何かあったのか?」
「なんかさ、先輩が勝手にお仕置きとか言って、小西さんにいたずら仕掛けたみたいなの」
「いたずら?何を仕掛けたんだ」
「ミミズ千匹攻撃」
 何だそのいやらしい攻撃は。
 話によると、ミミズを山ほど下駄箱に押し込んでやっただけのようだ。しかしなんて名前をつけるんだ。ミミズ責めの時はまだ卑猥な想像をする俺の方が考え過ぎだと思ったが、これはストレートすぎる。
 俺は樹理亜にその攻撃の名前を軽々しく人前で口にしないように注意しておいた。樹理亜はこの言葉の意味を知らなかったようだ。不思議そうな顔をしながら分かったとだけ言った。
 しかし、このやり取りが樹理亜の好奇心を刺激してしまったらしい。樹理亜が使った後のパソコンを使った美由紀が、そのパソコンでミミズ千匹という言葉が検索されていた形跡を発見し、樹理亜ちゃんに変なこと吹き込んじゃだめでしょと説教を食らった。俺のせいかよ。世の中は理不尽にできてやがる。
 そして、ミミズ千匹を味わわされた留奈は、これを当然のように樹理亜による報復だと考えた。そして、復讐心に燃え上がってしまったわけだ。
 園芸部の先輩のお仕置きはとんでもなく逆効果だった。ったく、このミミズ千匹の先輩って誰だよ。こいつの下駄箱にこそミミズ千匹詰め込んでやりたいもんだ。まあ、そんな大量のミミズを他人の下駄箱に押し込めるような人物だ。自分の下駄箱にミミズが詰め込まれても、問答無用で素手で鷲掴みにして、花壇にでも逃がして終わるだろうが。

 留奈がミミズ千匹攻撃を樹理亜の仕業だと考えたことは、ただ単に樹理亜への憎しみが増しただけではない。今まで誰も言わないので、樹理亜への嫌がらせも全て誰がやったか分からないだろうと思っていたが、樹理亜が嫌がらせの犯人に気付いたと考えることになる。
 言うまでもなく、気付いてないと思っているのは留奈だけで、こちらとしては今更すぎるんだが、向こうにとっては大問題だ。なにせ、樹理亜が留奈のやっていることに気付けば、当然俺にもその話が行くことになる。留奈が一番避けたかったことだ。返す返すも今更で、そうなってないと思っていたのは留奈だけだが。
 こちらとしても、こちらが嫌がらせの犯人に気付いていないと思われている方がいいと踏んでいた。その方が留奈が何をするにもこそこそとしかしない。ばれたと思われると、より捨て身の攻撃を仕掛けてくるかも知れないからだ。
 そして、事態は案の定、まずい方に動いていた。
 休み時間に俺の教室にやってきた樹理亜によると、いつも通り俺と一緒に登校し、まだ人の少ない教室で予習で時間を潰していた樹理亜の前に留奈が現れたそうだ。
 そしてなぜか掃除用具入れを気にしながら、緊張する樹理亜に歩み寄り、言い放った。
「あたしのこと、流星に告げ口して勝ったつもりでいるんでしょう。でもね、あたし諦めてなんかあげないから。力ずくでも流星を奪ってあげる」
 何だこの科白。丸っきり少女マンガの悪役だな。
 誤解だらけの科白はともかく、留奈のやる気だけは伝わった。こっちも本気で逃げないとやばくないか。
 この啖呵の後、留奈は何食わぬ顔で朝練に顔を出している。そのときは特にいつもと変わった様子は無かったな。いつもよりもやる気満々で俺にアタックをかけてきてもいいのに。いや、よくないけど。
 合宿の夜のような思い切った行動に出られる前に軽く牽制しておいた方がいいかもしれない。
 向こうも樹理亜への嫌がらせがばれたと思っている。胸襟を開いて話し合ういい機会かもしれない。話し合いの途中でエキサイトした留奈が物理的に胸襟を開き出さないことを祈ろう。
 とりあえず、人目を避けて話し合おうとするとそういう事態を招きやすそうだ。練習の合間にコートの隅で話し合うことにする。二年男子の目もあるし、ここでは脱がないだろう。多分。
 まずは樹理亜から留奈の宣言について聞いたということから切り出す。留奈の表情が険しくなった。
「あの子……流星のなんなの?」
 娘だけどなにか?とはさすがに言えない。
「幼なじみだ。幼稚園からずっと一緒にいて、妹みたいなものだと思っている」
 実際言うと、樹理亜の方が生まれたのは早いんだけどな。樹理亜が生まれたとき、俺が死んでるんだし。
「彼女って訳じゃないんだね」
 みんなは俺の彼女だと思ってるけどな。
 いまさらだが、樹理亜は俺のことをどう思っているんだろうか。父親だと思っているということはさすがにないだろうが。……いや、分からないか。直之があれだから、父親はいない、俺の方が父親だ、と思い込もうとするということも無くは無いだろう。そこまで追い込まれてたら大問題だが。
「とにかくだ。どんな関係とかそんな話はどうでもいい。樹理亜に嫌がらせをするような奴を俺が好きになるようなことはない。樹理亜に嫌がらせをしても何にもならない。これ以上俺に嫌われたくなければ手出しをするな」
 さすがに言い過ぎたか。留奈は声を上げて泣き出した。ハイエナのような素早さで2年男子が寄ってきて騒ぎだした。今日は明らかに流星が泣かせたぞ、と。
 女子もその騒ぎに駆けつけてきた。真っ先に2年の男子を追っ払う。
「何があったの?」
 根室に聞かれ、俺はミミズ千匹攻撃の辺りからのいきさつを話した。俺の話だけを聞いていれば留奈の自業自得としか言えない。そして、俺の話を聞いていた留奈は俺の話を肯定はしなかったが、否定もしなかった。
 とりあえず、今回は留奈が悪いと言うことでまとまった。そのうえで、俺ももう少し大人の対応をしろとのお叱りを受けた。ガキどもに言われたくないぞ。もう少し柔らかく物事を考えるべきだとも言われた。どうせ40年も生きてすっかり頭が固くなったオッサンだよ、俺は。
 こいつらの思惑の中に、この面白い愛憎劇を幕引きにさせてなるものか、まだまだ楽しみ足りないぞと言う他人事丸出しのやじ馬根性が剥き出しになっているのを感じた。
 留奈を説得して諦めさせても、こいつらが諦めるなとか言って留奈を焚き付けそうな気がする。勘弁してくれ。

 言い過ぎたかと思うほどの厳しい物言いだったが、結局俺の大人気ない我が儘のような扱いになってしまった。
 結果、あまり留奈には堪えていない。なんてこった。
 さすがに、樹理亜への嫌がらせくらいはやめてくれることを期待したい。
 そして、その期待はある意味裏切られることは無かった。樹理亜に手を出すと俺に嫌われる。それは留奈にしっかりインプットされたようだ。
 しばらく経ったある日、いつも通り朝練の為に早めに学校に来ると、校門の前で留奈が待ち構えていた。
「目を見るな、噛み付かれるぞ」
 樹理亜はそんなことを言われなくても既に留奈から目を逸らしている。
「何の用だ?」
「行くんでしょ、朝練。迎えに来ただけ」
 留奈はそう言うと、俺の腕に絡み付いて引っ張ってきた。
 留奈は樹理亜の方を振り向いた。俺の位置からは留奈の顔は見えなかったが、挑発的な笑みでも浮かべたのだろう。樹理亜は機嫌の悪そうな顔で留奈を睨みつけ、こちらに背を向けて大股で校舎に向かって行く。
 どうやら留奈は樹理亜に自分と俺の仲を見せつけて諦めさせる作戦に切り替えたようだ。仲なんて無いのに。
 まあ、仲など無いのは樹理亜も分かっているし、そもそも俺と樹理亜の関係からしてそういうものじゃ無い。的外れな挑発だな。
 そう思っていた訳だ。この時は、まだ。

Prev Page top Next
Title KIEF top