Reincarnation story 『久遠の青春』

14.下半身・軽井沢での乱れ

 午後になると雲が増え始めた。コートでは日が陰った隙に女子が練習を始めたようだ。声が風に運ばれてくる。
 いつもなら、女子の声を聞くと待ってましたとばかりに飛び出していく2年男子だが、今は女子の声を聞いてもあまり反応しない。女子が誘いにも来たが、先程恥を晒したメンツは既に部屋に引きこもっている。
 桐生もさっきの試合で完全に腰をやられている。参加するわけない。江崎は元気に参加するようだ。勘違いしたままの奥村も喜び勇んで外に出て行った。
 男子二名、しかも一人は予約済みで、もう一人は来なくていいと思われている奴だ。女子としても張り合いが出ないので、一年に声がかかるのも道理だろう。
 出て来た俺たちを見て、奥村は不満そうだ。江崎は空気も読まずにこやかに迎える。まあ、今空気を読む相手は奥村しかいないし、むしろ奥村がアウェイの状況ではある。
 留奈が早速俺に駆けよって来た。俺は少し逃げたがすぐ捕まる。それを皮切りに女子による男子の引き抜きが始まった。2年女子から順に気に入った男子をコートに連れ込んで行く。1年男子がいやにモテモテだが、そこには奥村に目をつけられる前に誰かと組んでしまおうという意図が見え隠れしている。
 最後に舞と裕子が残った。二人はお互いを見つめ合い、にっこりとほほ笑み合うと、まるで恋人同士のように二人で手を繋いでコートに入っていった。
 一人残された奥村はとぼとぼとロッジに引き返して行った。もっと早く自分の立場に気付くべきだったな。身の程をわきまえないと無様だ。

 午後の練習の間中、留奈が今夜こそ山奥に俺を連れ込もうとしきりに誘いをかけてきた。
 昨夜はまさか裸で待ち構えているとは思わずに青木を行かせ、結局留奈が青木に裸を見られるという事態を招いてしまった。自業自得のような気はするが、それで精神的に参っているようなので多少負い目がある。多少のわがままなら聞いてやってもいいとは思っていた。だが飽くまで多少ならだ。山奥に引きずり込まれてやる気はさらさら無い。
 しかし、懲りてないってことは実際にはあまり精神的に響いてないのか。むしろ青木の方が精神的に響いていそうだ。
 ロッジに帰った奥村と入れ替わりで桐生が出てきた。他の2年の沈鬱な負のオーラに耐え切れなくなったのだろうか。痛む腰をさすりながらベンチで練習の見物を始めた。
 江崎が俺に勝負を挑んできた。腰がガタガタだったとは言え桐生に勝って見せた俺と一戦交え、その持ち前の実力と、隣に留奈がいるせいで俺のやる気がこれっぽっちも沸いてこないと言う幸運で、俺相手に見事に勝利を収めて満足した江崎はコートを出て桐生の話し相手になった。お互いの彼女も一緒だ。
 外泊カップル同士ということもあり、話題は相当えげつない物になっている。慣れない女子とのペア練習中の1年男子には、断片的に聞こえてくる話題だけでも刺激が強すぎるらしく、すっかり内股のへっぴり腰になっている。
 そのうち、その話の輪に練習を切り上げた2年女子も加わり出す。何を話しているのか、先程より声のトーンが下がり、時折忍び笑いも聞こえてくる。ベッドの上の話よりもトーンを下げて話す内容なんてあるのか。

 日も傾いたころ、志賀と曽根は女子のロッジに連れ去られた。今頃、料理されていることだろう。……間違えた。今頃料理を手伝わされている頃だろうと言おうとしたんだが。一緒に夕食の準備をしようと声をかけられた訳だ。
 辺りが薄暗くなり、俺たちも練習を切り上げて程なく、女子のロッジから夕飯が届いた。肉ジャガとミネストローネというあり得ない取り合わせだが、それぞれの料理はなかなかの味だ。
 男女それぞれのロッジでの食事となったが、2年の男子にはちょうどいいようだ。
 志賀と曽根が女子のロッジから運んできたのは肉ジャガとミネストローネだけではなかった。
 先程桐生が話していた川崎の不倫相手の話が、女子の間にも広まっているそうだ。さっき、桐生達とこそこそ盛り上がっていたのはこれか。
 概ねどうでもいいと思っている男子と違い、女子はこういう話題への食い付き方がまるで違う。女性週刊誌がやたらとゴシップネタで溢れるわけだ。
 そっとしといてやろうという気持ちはないらしく、明日の朝、そのホテルで川崎が出てくるのを待ち伏せようなどと目論んでいるそうだ。そういえばついさっき、デジカメの中の画像をまたパソコンに移すんだと言いながら、根室が男子ロッジに突入してきた。このタイミングでカメラの中身を空にするということは、カメラ持参で見に行くつもりなのか。あとでその写真をネタに脅迫でもする気だろうか。
「なあ、あいつら放っといていいのか?」
 止めないとどこまでも暴走しそうな女子を、土橋は心配しているようだ。
 まだ魂の抜けている2年男子は何事にも興味など示さない。飯を食ったらとっとと部屋に引きこもりだす。女子の暴走を止められるのは俺たちしかいない。
 だが、別にどうでもいいと思ったので、放っておくことにした。

 鴨田のパソコンで、先程根室がもってきた女子の撮った写真をみんなで眺め、そのあと鴨田のパソコンに入っているエロゲームに手を出し、そのあまりの内容にどん引きしてパソコンの電源を切った頃、エントランスのチャイムの音がした。
 様子を見に行った土橋が俺に声を掛ける。
「“カノジョ”が来てるぜ、吉田」
 まさか樹理亜がこんなところに?と思ったが、何のことは無い、単なる留奈だった。こいつはカノジョじゃねえ。
「流星、今夜は曇ってるけど、だからこそ輝こうよ。夜空は今夜、あたし達だけの物だよ」
 相変わらず何のことだか分からん。
「なんでよ。曇ってるならいいじゃん。日本人なら多勢に迎合して生きようぜ?二人だけで輝いてたら、疎まれて爪弾きにされるじゃん」
「あたし、それでもいいよ」
「俺は良くない」
 だんだん留奈がふくれてきた。
「また朝練するから?明日の朝は雨だって天気予報で言ってたよ」
 げっ。まじか。
「今夜から降り出すかも知れないじゃん」
「いいじゃない。火照った体を冷ますにはちょうどいいよ」
「お前はまず俺に対する異常な熱を冷ませ。な」
 留奈は完全にふくれた。なんて見事な満月。
 とにかく、留奈を女子のロッジに送り返すことにした。こんなところで粘られたら不利だからな。
 俺がロッジから出たことで留奈は勝手に一歩前進だと思い込んだようだ。このまま女子ロッジの前において来ると、わめき立てて他の女子に誤解されるんじゃなかろうか。
 ひとまず明日の朝も忙しいということにすれば留奈も納得せざるをない。
 外は小雨がぱらつき始めている。だが、濡れる気満々の留奈に雨を理由にデート中止という話は通らないのは前ほどの話で明らか。この雨は予報どおりなら朝まで降り続くだろう。そうなれば、朝練など当然中止だ。
 そう言えば。
「おまえら、川崎の恋人見に行くんじゃなかったのか?」
「そうみたいだね」
「そうみたいって……留奈は行かないのか」
「行かないよ。あたしが興味あるのは流星のことだけ」
 うへぇ。
「もっとグローバルな視点を持たないと時代から取り残されるぞ」
「いいよ、流星にだけついて行ければそれで十分だもん」
 今までに熱を上げてきた男にもこんな調子だったんだろうか。
「でもさ、つきあい悪いとか言われないのか?」
「女子だって全員行くわけないじゃん。それに、どうせ明日は雨が降って行かなくなるよ」
 それもそうか。
 ロッジの前についた。
「展望台には行かないの?」
 今になってようやく自分が送り返されたことに気づく留奈。
「俺がいつそんなことを言ったよ?」
 また留奈が膨れた。いいね、名月だ。
 そのとき、エントランスのドアががぱっと開く。
「お帰り、どうだった?」
 顔を出したのは2年の根室だ。根室は俺を怪訝な顔でジロッと見て、留奈に向き直り一言言う。
「……これだけ?」
「えっ、いや、あの」
 少し狼狽える留奈。って言うかそもそも何の話だ。
「んもう、男はやっぱりこういう話に興味ないのかなぁ。朝練で早起きしてるから、もしかしたらと思ったんだけどなぁ」
「あの。……何の話っすか」
 恐る恐る訊いてみる。
「何って。決まってるじゃん、川崎の泊まってるホテルでの待ち伏せの話よ。もしかして、よく分からないまま留奈に誘われてついてきちゃったの?……愛の力って奴?」
 そう言い、にへらと笑う根室。もうね、何というか、どこから突っ込めばいいんだ。
「明日雨らしいっすけど、行くんすか」
「雨がなによー!」
 何もいきなり怒鳴らなくても。
「こんな面白い話、雨如きで見過ごせるわけないじゃん。嵐が来てても行くよ、ジャージで」
 なぜジャージ限定。汚れてもいいようにか?スカートだとめくれるからか?
「雨の方が都合いいよ、気配が雨音で消せるからね」
 忍者かよ。そもそもどこまで近付く気なんだ。
「とにかく、明日は6時起床の6時半出発!遅れたら置いて……起こしに行くから」
 今置いて行くって言いかけたよな。俺としてはそうして欲しいんだが。
「あとさ。あんたの方からも改めて男子に誘いをかけてみてよ。きっとね、留奈が相手だから遠慮とかもあったと思うのよね。あんたにも気を使うようなところとかあったりさ。とにかく、人数は多い方がいいから。それにほら、なんかさ、あたしらだけでラブホテル街になんて行くの、ちょっと怖い訳よ。ウブな乙女としてさ。だから何とか、もうちょっと人が欲しいのよね。特に男が。あ、一年で何人か捕まったら二年は別にいいよ」
 さっきの発言よりもつっこみどころが多いな。俺と留奈は完全につきあっているという前提で話をしているようだ。あとはウブな乙女が男引き連れてラブホテル街に行ったりしないだろうとか、そもそもどこがウブなんだとか。
 なんだか訳が分からないうちに、明日の朝つきあわされることが決定した。まあ、こっちとしても悪いことばかりじゃない。
「そんなわけだから。今日はちょっと早めに寝ないとまずそうだな」
 みたびふくれる留奈。
「留奈はゆっくり寝ていてくれ。じゃあな、おやすみ」
「あたしも行くからね!」
「そう?それなら早く寝ろよ?」
 俺は手を振ってロッジを去った。後ろの方で根室が留奈に、流星ってちょいSなの?などと訊いているのが聞こえた。どういう意味だ。それにしても、根室は一人でよくしゃべってたなぁ。
 頼まれた以上、俺の方からも男子に声をかけておかなければならないだろう。なにせ、このままでは女子軍団の中に男子は俺一人だ。居づらい上にあのおしゃべりに巻かれては寿命が縮む。しかも留奈付きだ。誰か巻き添えにしないと気が済まない。
 しかし、男子の方には川崎の不倫相手を見るために早起きして雨の中ホテルの前で待ちかまえるなんていう馬鹿らしいことに参加する気のある奴がそうそういるとは思えない。少し、手を変えて誘う必要がありそうだ。
 ロッジに戻ると、1年男子はホールにそろっていた。
「なあお前ら。女子がお前らとラブホテルに行きたがっているぞ」
 この言い方には思いっきり食いついてきた。それはいいんだが、話を聞いてがっかりして興味が殺がれる恐れがあるな。はったりをかましすぎたか。
「川崎が不倫相手と密会してるだろ?女子が川崎がホテルから出てくるのを待ちかまえて不倫相手の顔を見てやろうって企ててるんだよ。それに俺もつきあわされることになっちまってさ。ラブホテル街だから、女子だけで行くのは怖いからついてきてくれって言う話だ。もちろんお前らも来るだろ?2年には内緒だ。1年にだけお声がかかってるんだからな」
 川崎よりも女子を餌にすることにした。作戦は当たり、全員がついてくることになった。
 起きる時間が早いが、こんなのは朝練で慣れっこ。別に不満はない様子だ。どうせ夜にすることもないし、みんなとっとと寝る準備に入った。

 翌朝。昨日の夜には本降りになった雨は、朝になっても相変わらずそぼ降っている。昨日一昨日の暑さが嘘のような肌寒さだ。
 よく考えたら集合場所が分からない。とりあえず、女子のロッジに行ってみることにした。
 今回のラブホ襲撃ツアーのツアコンは根室のようだ。根室は、1年の男子が全員そろって顔を出したことに痛く感動したようだ。カメラを持つ手にも力が入った。やっぱり持って行くのか、そのカメラ。
 女子も1年は全員参加。自発的になのか、無理矢理なのかは知る由もない。2年は川崎の泊まっているラブホの情報を持ってきた桐生カップルの穂積と、ツアコン根室、あとは中川と町橋だが、町橋は立ったまま眠っていたかと思うと、眠いと言いながらギブアップしてロッジに戻っていった。もう存在自体が眠たい。
 参加者がそろった所で、ぞろぞろと山を下りていく。まず目指すのは駅だ。ラブホは隣町にある。穂積によると、ラブホらしいラブホはこの辺りにはなかったそうだ。
 駅への道、そして電車。何組か男女がペアになった。一部の例外として、女同士の相合い傘で歩いているのがいる。誰かは言うまでもない。当然、俺の横には留奈がくっついてくる。逃げても無駄のようだ。2年の中川は真っ先に曽根に声をかけ、延々と料理についての議論を戦わせている。
 穂積が案内役となって、件のホテルへと向かう。穂積はこのために呼ばれたらしい。ご苦労なこった。
 早朝と言うこともあって人はまばらだが、こそこそしたカップルが散見される。堂々と群れをなして歩く未成年者を訝しげに見ている。
 ホテルに着いた。田舎らしく、林の小道に分け入った所にあるホテルだ。ホテルの横に駐車場がある。見てみると、確かに川崎の車が停まっていた。やはりここに泊まっていたようだ。毎晩泊まるホテルを変える甲斐性があれば、こんなことにならずに済んだものを。
 とにかく、この状態では目立って仕方ない。ひとまず身を隠すことにした。根室は電柱の陰に身を潜める。傘を差したまま。……これっぽっちも隠れてないんだが。川崎の不倫相手をカメラに納めることに集中しすぎて周りが見えなくなっているようだ。テニスにもそのくらいの真剣さで打ち込めばいいのに。

 まずは身を隠す場所を探さなくてはならない。ラブホテル街と言っても端の方だし、田舎だ。ホテルがひしめき合っているという感じではない。
 連城は身を隠して待つことを想定していたか、全身迷彩の服を着ている。だが、ここはジャングルという訳でもない。普通に目立つ。ジャージの連中や私服の奴など論外だ。人のことは言えないが。
 ホテルの敷地は肩くらいの高さの生け垣に囲まれている。駐車場の周りは林だ。身を隠すにはもってこいだった。
 降り続く雨の中、姿勢を低くして待ち続ける。
 その間にコンビニに行っていた連中が役に立ちそうなものを仕入れてきた。ゴミ袋と手鏡、後は朝飯のお握りだ。
 手鏡は言うまでもなく覗きを行う道具だ。よいこはまねをしてはいけない。要するに、生け垣の上に頭を出したりする事なく様子を窺うための道具という訳だ。潜望鏡みたいなものだな。
 これを購入するための資金だが、当然合宿の積み立て金から出ている。とんでもない話だ。
 ゴミ袋の方は、特にどう使うということは考えずに、なんとなく使えそうだから仕入れてきたようだ。頭から被ってみたり地面にしいたり試行錯誤を繰り返していたが、舞が中に入って座り、顔だけ出して口を閉じると楽チンで服も汚れないことを発見し、みんなが真似をした。林の中に人の首だけ出たゴミ袋がいくつも落ちている様は、かなり異様だ。何も知らない人が見たら間違いなく警察が来る。舞と祐子は二人でゴミ袋に入り、中でしきりにもぞもぞしている。何をしているのかは考えない方が良さそうだ。
 根室はカメラの最終調整を行っている。フラッシュと撮影音を切り、隠し録りに備えている。さらに、予行練習を行い、カメラをどう向ければ車の側に来た川崎を捕らえられるか練習する。覗き込みながら撮ると目立ち過ぎるため、カメラだけ出して撮ろうという訳だ。テニスもそのくらいの気合で臨めよ。
 微妙な手首の動きでだいぶフレームがずれてしまうので苦戦していたが、液晶画面を手鏡に映してもらい、フレームを確認しながら撮るという手法を編み出した。思いついたのは不破、鏡を持つのは三沢。すばらしいチームプレイだが、こんなことにしか結束力を発揮できないのは何とも。
 林の中で身を潜めること二時間。ぼちぼちホテルの客も帰り始める。
 最初に出てきた客は全く知らない中年カップル。次に出てきたのも川崎ではなかった。
 やがて、目当ての川崎も出てきた。俄に慌ただしくなる。順繰りに鏡でその姿を確認する。よくは見えないが、かなり若い感じだ。元教え子じゃないだろうか。
 根室は無我夢中でシャッターを押しまくっている。程なくエンジン音がし、車が走り去って行った。
 すぐさま、今撮った写真を確認する根室。液晶画面でははっきりとは分からないが、それなりにしっかりと撮れているようだ。
 一刻も早く写真を確認したいのだろう。根室の命令で速やかに撤収し、ロッジへの帰路を急いだ。

 写真を確認できるのは鴨田のパソコンだけだ。ロッジ遠征組は男子ロッジに直行した。
 男子ロッジはレトルトカレーの香りに包まれている。
 足音を聞き付けた2年男子が飯も作らずにどこに行ってたんだよ、などと言ってきたが、先陣を切って現れたのが根室だったので慌てて口を噤む。
「カモ。パソコンだしな」
 開口一番のこいつらの言葉に対する呆れや、早く写真を見たいという先走る思い、鴨田のパソコンの中にぎっしり詰め込まれた鴨田の秘密を知る優越感などが合わさり、かなり強気な態度になっている根室。その気迫に鴨田も慌ててパソコンを差し出す。
 パソコンが立ち上げられた。カメラの中の画像を表示する前に、根室はまた最近使われたエロゲーのタイトルを読み上げた。
「この間見たときと違うよね」
 そう言いながらにやっとする根室。まあ、昨日俺たちも手を出してるからな。まあ、そのときのゲームが履歴で2番目になってるが。
「いつもこういうゲームしながらこいてるの?あたしらの写真が同じパソコンに入ってると思うと何かこう、寒気が……」
「ごめん、方法がこれしかなくてさ。誰かパソコン持ってきてくれてればいいんだけど」
 頭を下げる根室。生憎テニス部には、情報科のただでさえ貴重な女子は、1年2年を合わせても根室ただ一人。他はケータイこそ使いこなすが、パソコンはさわったこともないような女子がほとんどだ。
「こいた手で触ってるパソコンだと思うと触りたくないなぁ。勇気あるね、リサ」
 そう言われ、表情を凍りつかせる根室里沙子。今までその考えは浮かばなかったらしい。慌ててマウスをティッシュでくるむが、どう考えても手遅れだ。
 そんな紆余曲折はあったが、写真が表示される。何枚かはピンぼけだったりぶれていたりでよく見えなかったが、よく撮れている物もいくつかある。特に、ズームできれいに撮れた物にはみんなから喝采の声が上がった。
 さっきは手鏡ごしに窺うばかりだったし、手鏡も数個をみんなで回して使ったので、一人が使える時間が限られており、結局ほとんどの人がよく見えなかった。この大写しの写真で、はっきりと、しかもじっくりとその顔を拝むことができた。
 いまさら言うのも何だが、これなら根室が単身で乗り込んで写真だけ撮って帰ってくれば十分だったかもしれない。まあ、俺たちがいないと、考えも無しにホテル前でカメラを構えて警察のご厄介になってたかもしれないが。
「やべぇ、川崎の彼女かわいいじゃん!」
 素直な感想をぶちまける三橋に、女子数人の冷たい視線が突き刺さったが、本人は気づかずにやけながら写真に見入っている。
 こういう言葉で女子が不機嫌になるというのはある意味いい兆候ではある。同じ発言を、例えば奥村や鴨田あたりがしたところでこれと言った反応はなかっただろう。やきもちを焼かれると言うことは、それなりには脈有りと言うことだ。
 ひとしきり写真を見、満足した女子はぞろぞろと去って行った。根室はこれ片付けておいて、とパソコンを放置したまま、手を洗ってから帰って行った。

 川崎が帰ってきたのは昼前だった。美人で若い彼女と軽井沢での最後のデートの後、駅にでも送り届けてきたのだろう。自分の身に何が起こったのか気付いた様子はない。三日間じっくりと楽しんだ後の爽やかですっきりした表情だ。
「おまえら、ちゃんといい子にしてたか?ん?」
 高校生が監視もなく三日間も放置されて、いい子にしてる訳がないだろ。
 川崎の指示で、荷物をまとめて後片付けをし、帰り支度を済ませた。結局、このお目付役が見ていたのは、到着して荷物を広げるところと、出発前に荷物をまとめるところだけだ。
 駅までの道程を川崎の車が先導する。ついさっき通ったばかりの道だ。先導などなくても歩ける。桐生以外は。桐生は腰痛のため途中から車に乗せてもらった。桐生は腰を痛めた理由をテニスで張り切りすぎたせいだと断言した。強ち間違いではない。止めを刺したのは俺とのテニスだからな。
 その後、軽井沢の駅で解散となった。もっとも、途中までは全員行動が一緒だ。他の部員と違う電車に乗ろうものなら、他県に運ばれてしまうだろう。一人だけ行動が違う川崎だが、それは車に乗っているからであることは言うまでもない。合宿を抜け出して彼女とデートする時の足にするために車に乗ってきたとしか思えない。ちっとも引率になっていない。

 それにしても、今回の夏の合宿は、一部を除く2年の男子以外にはいい思い出になったことだろう。2年の男子にとっては、短かったいい夢の終わりとなったようだ。 
 この合宿は、このテニス部に大きな変化をもたらすきっかけとなって行くのだが、今の時点でそれを予感していた奴はいない。
 とりあえず、真っ先に大きな変化を求められたのは顧問の川崎だった。
 根室は鴨田のパソコンから速やかに写真のデータを取り出し、自分のパソコンに移した。
 そして、見られたくないデータはしっかり削除したが、それだけでは飽きたらず、消したデータが鴨田の手によって復帰、パスワードを解析されて、秘密の写真を見られないように、ご丁寧にワイプをかけてとどめにデフラグまでかけたそうだ。膨大な量のエロゲーをすべてデフラグしたのだから相当な時間がかかっただろう。ちなみに、鴨田はエロゲー以外のパソコンの使い方には実に疎いようだ。ものすごい取り越し苦労だ。
 とにかく、そうやって自分のパソコンに移した写真の、見ていいようなものを両親にも見せたわけだ。
 見てはいけない写真は、乙女の赤裸々な写真だけで、川崎の赤裸々な浮気現場は別に見てもいいカテゴリーに入っていた。みんなで見た後だったしな。
 川崎の浮気現場の写真について両親から問い詰められた根室は、悪びれる様子もなくありのままを、傑作でしょ?とかいいながらぶちまけた。
 娘と男子生徒との合宿の監督という役目を投げ出し、ふしだらな行為に及んでいた顧問を両親は許すはずもなく、すぐさま女子部員の父兄中心のグループで校長に詰め寄ったらしい。
 すぐに川崎は問いつめられ、テニス部の顧問を辞任させられる羽目になった。さらに、そのことが原因で浮気のことが川崎のかみさんにもばれてしまった。
 ただでさえ、顧問を辞めさせられるようなことだ。何かあったと言うことくらいは分かっただろう。さらに、誰の仕業かは分からないが、浮気現場をとらえた根室の写真がプリントアウトされて川崎の家に匿名の封書として届けられ、完全にばれてしまった。恐らく親の誰かだろうが、誰の仕業かは分からない。とにかく恐ろしい。
 俺はこの辺の話については何も知らん。男子部員の親にはお呼びがかからなかったからな。女子の親にとっては、もしかしたら自分の娘をこましているかも知れない男子部員の親の顔など見たくないと言ったところか。俺たちは夏休みが終わったらいつの間にか顧問が替わっていて、女子の話でそれを初めて知ったくらいだ。
 浮気なんてするもんじゃないと改めて思い知った。くわばらくわばら。

 合宿から帰ってすぐ、1年男子の練習はいつものように再開された。合宿では2年男子から女子をもぎ取ることに成功したが、慢心は禁物だ。2年もこれに懲りてまじめに練習し始めれば、すぐに巻き返される。合宿でついたマイナスイメージばかりはどうしようもないだろうが。
 合宿の時に朝練のことを初めて知った女子が、たまに顔を出すようになっていた。
 いつものように朝早く起きての朝練だとそうはいかないんだろうが、夏休みは昼下がりに練習をしているので気軽に様子を見に来られる。だいたいの女子は、何となく退屈だから見に来たとか、面白そうだからからかいに来たなど、やる気は特にない。
 そんな中に約一名、とてもやる気満々で通い詰めてくる女子がいる。留奈だ。ある意味、留奈が混ざっているからこそ、他の女子も何となく気軽に混ざってみたりできる。そう言う意味では留奈がいることは悪いことではない。
 ただ、張り付かれる俺としては、勘弁してほしい。
 そして、恐れていたことも起こってしまうわけである。
 何も知らない樹里亜が、のんきに取れたてのキュウリを抱え、練習を見に来たのだ。
「あれ、今日は女子もいるんだ」
 本人たちは何も知らないが、樹理亜と留奈が顔を合わせるのはまずいと誰もが思っているので、男子は一様に気まずい顔になる。
 まあ、この調子でいつまでも接触を避けられるとは俺も考えてはいなかった。そうなる前に留奈の目を俺から逸らしたいとは思っていたが。
 樹理亜は無邪気にとれたてのキュウリを部員に勧めてくる。喉が渇いているところなのでちょうどいい。味噌くらいほしいところだが。
 女子がいる分コートの空きがなくなっている。樹理亜に入る余地はない。樹理亜は練習が終わるまでベンチで見学する。
 留奈は留奈で何かを感じ取ったらしい。樹理亜のほうを気にしながら、いつもより俺に纏わり付いてくる。
 そんな無言の挑発に、にぶちんの樹理亜もさすがに感付いたていたようだ。練習が終わり、校門で待ち合わせたときに、開口一番で出た言葉がこれだ。
「あの子、誰?」
 今日見に来ていた女子は留奈のほかにも二人。そんな中、あの子というだけで誰のことか分かると判断させるほどのインパクトを放っていたという訳だ。
「女子部員だよ、もちろん」
 樹理亜はそんなことは聞いていないと言いたげに口を尖らせる。まあ、納得しないよな。どう言ったもんだか。
「あいつは俺のことが気に入ってるみたいでさ。最近はずっとあんな感じだ」
「ふうん?彼女って訳じゃないんだ。ま、流星の好みじゃなさそうだもんね」
「え、なんで?」
「だってほら、いなかったじゃない、ああいうタイプの子」
「いなかった?どこに?」
「ほら、あの……使用済み」
「うっ。あ、ああ」
 まだ覚えていやがったのか。
「まあなんだ。おかげさまでむしろあの手はうんざりっていうか。トラウマになりつつあるな」
「この間の合宿で何かあったの?」
「何もなかったけど。何事もなく合宿を終わらせるために一苦労したよ」
 何もなかったと言い切れないが、ややこしくなるので伏せておくことにした。留奈のせいで一番“何か”あったのは俺じゃないしな。
 煮え切らない俺の言い草がまだ気に入らないらしい。樹理亜は言う。
「フるか付き合うかすればいいじゃん」
 相手が普通の女の子なら全くその通りなんだがな。
 もうここまで突っ込まれたんだ。俺も腹を割って洗いざらい話してやった。
 中学での留奈の“伝説”、今までの留奈のアタックぶり、そして合宿での騒動。
「留奈もさ、樹理亜があいつの事気にしてる以上に樹理亜のことを気にしてると思うぜ。これからは何かあるかもしれないし、気をつけろよ。何かあったら俺に言え」
「う、うん」
 樹理亜はちょっと緊張したような顔で頷いた。凄まじい話もいくつか出たし、さすがにな。ちょっと引いてる感じだ。俺がドン引きになる理由が分かったか。据え膳食わぬは男の恥とは言えど、皿まで食う決心が無い以上、毒は食えん。
「本当は樹理亜のことを知られる前に誰かに押し付けようとしてたんだけどな。朝練を始めたのだって、あいつらをもう少しマシな選手に育てて留奈を押し付けようという思惑がないでもない。まあ、こうなった以上俺も樹理亜も諦めるしかない」
「そうなんだ……。それなのにあたし、無理言ってまで朝練についてきて……。運動神経鈍いのに、練習なんか覗かなければよかった。馬鹿だ、あたし」
 樹理亜はしょげた。樹理亜は馬鹿かもしれないが、それは親譲りだ。樹理亜のせいじゃない。親の顔が見たいものだ。
「練習に来るのも来ないのも樹理亜の自由だ。わざわざ留奈に合わせてやることはないさ。そもそも樹理亜は完全にとばっちりだろ。樹理亜が居ようが居まいが、俺は留奈に付きまとわれていただろうしな」
 むしろ、留奈が樹理亜の存在を知ったことで、留奈が俺を諦めると言う道もできた。もっとも、その前に樹理亜が音を上げてしまうかもしれない。俺が守ってやらなければ。樹理亜に悪い虫がつかないように目を光らせているうちに、俺についていた悪い虫に樹理亜が刺されそうになっている。とんだお笑いぐさだ。

 夏休みの終わり、二学期の始まり。それは平穏な日々の終わりであり、女達の熱き陰湿な戦いの始まりでもあった。

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