Reincarnation story 『久遠の青春』

13.下克上・軽井沢の乱

 空は晴れ渡り清々しい朝。まさに朝練日和だ。早朝の冷えた風、まだ柔らかな日差しが心地よい。強いて言うなら、向きによっては真正面からその日差しが飛び込んで眩しいことだけどうにかして欲しい。
「なぁにやってんのー?」
 朝練で爽やかな汗を流す一年男子の心を俄にかき乱す、けだるげな女の声が飛んで来た。しかもその方向をみると、いかにも起きぬけですと言わんばかりのパジャマ姿だ。2年の町橋なのが残念な所だが、ギャル丸出しの変な化粧がない、とぼけた眠そうな素顔がパジャマ姿に妙に合う。おしゃれして町に出るタイプではなく、家で寝ているときが一番魅力的なタイプだと言えそうだ。それもどうかと思うけどな。
「朝練っす」
「へー。やる気あるじゃーん」
 自分ではやる気を微塵も感じさせない気の抜けた笑顔を浮かべながらそう言うと、やる事のない町橋は地べたに座って朝練を見物し始めた。パジャマ姿の体育座りに心乱されながらも、女子の目があるということで一段と気合いが入る一年男子。
 最近の課題は、現状一か八か捨て身の必殺技であるスマッシュを、狙ってコートの中に叩き込めるようにすることだ。
 ついでに、スマッシュを返す練習。ただ、返しようのないスマッシュが来ることが多いのが何とも。ネットに掛かってこっちに来なかったりな。それに、相手がスマッシュを打ちやすい球を返してやるのもままならない。それでも普通の球なら難無く打ち返せてリレーが続くようになったのは大きな進歩だ。って言うかそのくらいはテニス部員としては最低限のレベルだと思うけど。今までそれさえできなかったのは異常。
 最初のうちは一応は女である町橋の目を気にしてやや緊張ぎみだった一年男子も、身動き一つせずにいつしか景色の一部になっていた町橋の存在を忘れ、練習に打ち込んだ。そして、そんなすっかり忘れ切ったころに町橋が唐突に口を開いた。
「へぇー。結構うまいんじゃーん」
 突然の出来事にコンストレーションを乱され、なかなかに良いスマッシュを打つ志賀。これが狙って出せりゃなぁ。
 ここで曽根が朝飯の準備のために抜けた。町橋も自分が素っぴんパジャマ姿であることを思いだし、身支度を整えに帰って行った。
 俺たちはもう少し練習を続けてからロッジに戻った。

 ロッジは美味そうな匂いで充満している。中華の香りだ。
 キッチンでは麻婆豆腐ができあがったところだった。麻婆豆腐の素などを使わずに、ソースから手作りした本格的なものだ。美由紀にも見習って欲しいものだ。
 曽根の作った出来栄えのいい麻婆豆腐を見た二年の岩佐が、少し女子にもおすそ分けしてやろうと提案した。それで減る分、もう一品作ることになった。手早く作れる野菜炒めだが、上等だ。
 喜び勇んでおすそ分けの麻婆豆腐を持って行った岩佐だが、帰って来たときのテンションは低かった。何があったのやら。まあ、女子に聞けば分かるな。
 朝なのでこってりとした肉を少なくし、その分シーフードを加えてネギを増量したという麻婆豆腐の味は、ほう、これが本格派の味か、と言いたくなるものだった。
 正直、豆腐に混ぜるだけの出来合い麻婆豆腐の元位しか知らない俺には別な料理なんじゃないかと思うくらいの味の違いで、比較していいものかという感じだ。同じ具材でも入れるルーによってカレーになったりシチューになったりするようなものだろうか。どっちがうまいかと言われても、味のベクトルが違い過ぎる。

 そんな麻婆豆腐のおすそ分けもあった朝食を食べ終わり、女子がコートに出て練習を始めた。それに釣られて2年の男子も練習の準備を始める。
 そんな中、俺は今日はいいわと言い残して一人部屋に戻って行く二年男子がいた。青木だった。昨日の夜、留奈を呼びに行くと言って飛び出して行ったが、そのあと帰ってきてから様子がおかしい。何かあったのだろう。行ったら何かありそうだから俺は行かなかった訳だが。
 練習が始まって間もなく、女子が呼んでるぞと言いながら青木を呼びに来た。呼び出された青木はすぐに女子に取り囲まれ、昨日のことを問い詰められている。どちらもでかい声なので、ロッジにも丸聞こえだ。
 双方の話から、昨夜何が起こったのかが見えて来た。
 女子の話によれば、昨夜突然裏山から悲鳴が上がったので、何人かがロッジを飛び出して恐る恐る山を登っていったという。
 その途中、慌てて山を駆け降りてきた青木と遭遇した。女子たちの姿を見るや、青木は方向転換して、下りて来たばかりの山をまた登って行った。露骨に怪しい動きだ。
 何があったのか分からずびくびくしていた女子も、相手が青木らしいと分かると一気に強気になる。青木以外の凶悪犯でも潜んでいたらどうなったことやら。とにかく、そのまま山を登って行くと、展望広場から女のすすり泣く声が聞こえた。
 聞き覚えのある声だったので駆けつけると、そこには裸で泣きじゃくる留奈の姿があったらしい。
 このシチュエーションから、青木が留奈に何かしたんじゃないかと、ほぼ確定したノリで疑われているようだ。
 青木の言い分では、一年の吉田流星他が、山の上に行っている留奈に危ないから帰れと言うかどうか話し合っていたので、かわいい後輩のために俺が一肌脱ごうと立ち上がったと言うことになっているようだ。概ねその通りでいいと思うが、俺の名前をフルネームで出すな。っていうか可愛い後輩ってのが俺に向けられた言葉なのか、留奈に向けて言っているのか。ほぼ間違いなく後者だと思う。
 とにかくそんな可愛い後輩のために一肌脱いで、蚊に刺されないうちに帰りなさいと優しく言おうと思って山を登ったら、そこでは可愛い後輩の留奈が物理的に一肌脱いでいたわけだ。
 女子がそんな話を信じる訳はない。だが、多分青木の言っていることも本当だろう。
 昨夜、留奈が山の上で俺を待ち受けていたのは、留奈本人がみんなに聞こえるように誘ってるのを見て、誰もが知ってるはずだ。それなのに俺は行かないと言っているので、青木は留奈に対して、この機にあんな冷たい奴は諦めて俺に乗り換えないかとでも言う気だったんだろう。
 留奈は留奈で俺が誘いに乗って来ないので、俺が行かなくても自分は行くということを伝えることで、面倒見のいい俺がこんなことしてないで帰れとでも言いに来るのを期待して待ち、来たら襲いかかる気でいたのだろう。据え膳食わぬは男の恥と言うシチュエーションだが、逆に男がこんなことをやったら強制猥褻だ。まあ、女も一応そうだと思うんだが。
 ただ、向こうもまさか関係ない第三者がやって来るとは思わなかったようだ。みんなに聞こえるように誘った時点で、スケベな誰かが茂みの中から覗きに来てもおかしくないんだが。男子はスケベばかりだし。
 来たのが俺じゃなかったので、服を脱いで待ち受けていた留奈は悲鳴を上げ、何も知らずにのこのこ出向いた青木はいきなり裸の女に悲鳴を上げられて訳も分からず逃げ出し、その逃げる姿と裸の留奈を見た女子は先走った結論を出したと。
 噂には聞いていたが、留奈の裸攻撃がついに来たか。行かなくて良かった。
 青木が俺の名前を出したせいで、俺まで呼び出しを食らった。まあ、留奈に帰れと言うにせよ、俺が出向いてうまいことあしらっておけばいればこんな騒動にならずに済んだんだろうし、青木の疑いくらい晴らしてやらないとな。本当に何もしてないかは見極めないといけないが。
 話によると、留奈はこのことについてあまり話したがないようだ。まあそりゃあ、俺を裸で待ち伏せて襲いかかろうとしていたなら、そんな事恥ずかしくて言えないのも分かる。他の女子も、留奈の心情を考えあまり本人には聞かないようにしている。だから『加害者』側から事情を聞き出そうという訳だ。
 俺はとりあえず、留奈に誘われたが朝練をやるので断ったこと、それでも留奈が一人待っているという旨の伝言があったのでどうしようかと話し合っていたら、青木が来て俺が代わりに声をかけて来ると言って飛び出して行ったという事実を伝えた。これで、少なくとも山に向かうまでについての青木の説明に嘘が無いことの証明にはなる。だが、山に行ってからのことは見ていない以上何も言うことは出来ん。
 で、そんな肝心な部分の無い俺の証言だが、俺が一年だから二年に脅されて話を合わせているかもしれないと言う理由で、嘘か本当か半々という判断を下された。なんじゃそりゃ。信じる気がないなら話なんか聞くなよ。しかし、この調子だと留奈本人が何も無かったというまで疑いは晴れそうにないな。
 男の話を聞く気がないなら留奈本人から話を聞くしか無い、それができないならこれ以上疑うべきじゃない。そう言ってやると、とりあえず今回はこれ以上追求しないことで話がまとまった。まあ、わだかまりは消えそうにない。
 ある意味俺が面倒を嫌ったことで面倒に巻き込まれた青木だが、俺のお陰で追求が終わったので感謝しているようだ。マッチポンプみたいだな。まあ、この場合マッチの所有者は俺だが、そのマッチを擦って青木のケツに火をつけたのは留奈だ。俺のせいじゃない。いずれにせよ、しばらく青木は俺に強気には出られないだろう。
 全く、スケベ心は身を滅ぼすなぁ。

 糾弾会は閉幕となり、ぎくしゃくした感じで練習が再開された。
 先程の糾弾会で俺が引きずり出されたときに一緒について来た一年男子も、練習には参加しないがコート脇で休憩中の女子とダベる。
 先程糾弾されたばかりの青木はとっととロッジに逃げ帰っている。エロDVDの一件で評判の悪い奥村に話しかけたがる女子はいないし、話しかけられたら逃げる。女子同士ではロッジの中で飽きるほどくっちゃべっているし、外にいる間は貴重な男女交流の時間だ。女子だって女子同士ではなく男子と話がしたいわけだ。
 その無駄話の中で、今朝の麻婆豆腐の話題も出た。
 岩佐は案の定、この麻婆豆腐は俺が作ったんだと言いながら持って来たそうだ。だが、朝練を体育座りで見学していた町橋が、朝飯の準備に抜ける曽根の姿を見ていたので、すぐに嘘をつくなと突っ込みが入った。
 岩佐もすぐに、曽根も朝飯作りを手伝ったがこれを作ったのは俺だと反論。女子もそれなら今目の前で料理を作って見せろと挑発し、追い詰められた岩佐はたいした材料もないのに料理なんかできない、と抵抗。だが、キッチンの冷蔵庫に食材が一通り揃っているのを見て一目散に逃げ出したそうだ。
 昨日俺たちが買い出しで重い荷物を運んでいたときにも、呑気に女子と戯れていたから買い出しのことなんか知らなかったんだろう。昨日のお好み焼きや鉄板焼きの材料があったのは誰のお陰だと思ってるんだ。ただ飯食いやがって。
 お好み焼きと言えば、奈美江がお好み焼きにオイスターソースをかけて食っていたが、その奈美江が麻婆豆腐を食べたら昨日のお好み焼きの味がしたと言ったそうだ。オイスターソースのことで一番騒いでいたのは曽根だし、そのとき、あしたの朝飯どうすんだ、とか言っていたのも覚えていた。そのお陰で、この麻婆豆腐は曽根が作ったものだと確定し、岩佐は曽根の手柄を横取りしようとした狡い奴だと認定された。まあ、まさしくその通りなんだが。
 2年は女に対してやたら必死だな。まあ、去年も今年も女子の入部が少なくて3年が抜けたら一気に女子が減ったし、6人の2年女子のうち二人はカップル成立済みだ。1年女子も留奈は他に目もくれずに俺に付きまとっているし、男に目もくれずに女子同士でやけに仲良くしているのもいる。
 3年がいなくなって女子を好き放題できると思っていた2年だが、女子が全く食いついてこないこともあって焦りが生じ、がっついた態度をとりさらに女子が引いてしまう有り様だ。まあ、2年はろくなのいないからな。

 無駄話はさらに朝練の話になってくる。
 女子の朝食の場でも俺たちの朝練の話が出た。町橋が景色に紛れて見ていた俺たちの朝練の様子を話題に出し、普段から朝練をやっていることを知っていた女子がそのことも言ったらしい。
 そのとき、町橋が一年の上達ぶりをアピールしたので、その腕前を見せてと言うことになった。そして、女子が提案したのが、1年男子と2年男子の対決だった。
 いきなりの提案に2年がごね出した。今まで練習に汗を流していた俺たちと日陰でサボっていた1年じゃハンデがあり過ぎると。それには女子も反論した。1年は1年で朝練をやっていたんだからイーブンだろうと。
 2年にしてみれば、1年がうまいからということで提案された咬ませ犬のようなマッチングを、すんなりと受け入れる訳には行かない。だが、勝負を受けないということは戦わずして負けを受け入れることだ、お前らはそれでいいのか、とテニスがうまくて彼女もいる江崎が言い出したので、2年は引くことができなくなってしまった。どこにでも空気の読めない奴はいるもんだ。
 ちょうど日差しも強くなって来た頃合い、女子は屋根のあるベンチに引っ込んで観戦することにしたようだ。
 試合は人数に合わせて二人ずつ3試合行われる。1年なら7人なので一人余る事になる。
「俺、あんまりうまくないしさ。それに昼飯の準備しなきゃな。ここはお前たちに全てを託すぜ!」
 親指を立て会心の笑みを浮かべた後、全力で敵前逃亡する曽根。まあ、俺も曽根には何の期待もしていないので問題は無い。練習しても一番うまくなっていないのは自覚しているようだ。
 組み合わせは咬ませ犬特権で2年が決めることになった。曽根が抜けていなければ真っ先に俺を外していただろう。向こうもそのつもりでこのマッチングルールを決めたんだろうが、曽根の勇退の方が一足早かった。曽根、グッジョブだ。
 向こうが対戦相手を選べるとは言え、俺が前世に取った杵柄で他のテニス部なら最低限レベルの腕前でここの男子部員では屈指の腕前になっちゃってる以外、一年の腕前は未知数だろう。多分、初めてラケットを握った頃の腕前しか見てないんじゃないだろうか。朝練始めてからは、放課後の活動じゃ走り込みとかしかやって無いし。コートは朝に使い放題なので、無理して放課後まで使わなくていいもんな。

 ルールはダブルスで3セットマッチ、2セット先取で3組のペアが各セットで入れ替わる。咬ませ犬特権で最初のサーブ権は2年になる。
 向こうも考え倦ねた挙げ句、1回戦の組み合わせは土橋・三沢と江崎・奥村のペアだ。
 2年で一番うまい桐生はテニス上手の上に床上手で、彼女を連れてホテル遠征に行ったきり帰ってこない。江崎はうまいと言っても俺と同じくらいだ。最終兵器を俺にぶつけて負けでもした日には完全に追い込まれる。ここは確実に勝ち点を持って行く作戦のようだ。
 そして、奥村はエロDVDで低迷した評判を江崎にコバンザメで取り返す作戦に出たようだ。無駄なあがきだろうが。
 奥村に限らず、勝負前から2年は別な意味で追い込まれている。女子の前で失態を繰り返し晒して評価を下げてしまった。その一方で曽根と志賀が料理の腕前を披露したりして女子に注目を浴びている。
 ここで1年に負けると1年に女子を取られかねない。女子の方がテニスへの熱意がある。組んで練習するならうまい人と組みたいと思うのも道理だからな。2年にしてみればテニスの腕前は最後の砦だ。まあ、そんな最後の砦も1年が朝練でこっそり腕を上げていたと言うことが分かって、完全包囲されている状態というわけだ。相手も死に物狂いで来るだろう。
 と思ったが、最初の相手は負けても失うものが特に無い江崎だったな。江崎はもう彼女がいる余裕のオーラを体中から放出しながらコートに入る。そして、特定の一人のために爽やかな笑みを浮かべながら女子の方に手を振った。
 奥村もある意味もう失うものなど何も無い。だが、勝てば得るものがある。……そう信じているだけではあるが。だからこそ気合は入っている。フルパワーで素振りをして気合いをアピールだ。無駄に体力を使っている。

 最初のトスはなく、サーブ権は全試合2年からと言うルールだ。
 江崎の爽やかで余裕あふれるサーブ。それを三沢が必死に返した。
 江崎は余裕で、他は必死にリレーを繋いで行く。最初は一進一退の攻防と言ったところだったが、少しずつ2年チームが押して来た。その間、奥村は大して役に立ってない。
 実質一人で二人を相手にしていた江崎に疲れが出て来た頃、土橋と三沢がスマッシュというものの存在を思い出し、さらに役に立てていない事に焦りを覚えた奥村が必死に打ち返した球がネットに掛かるなどして1年チームも追い上げ、2年チームとゲーム数が並んだ。
 そこまでは善戦はしたものの、土橋と三沢にも疲れが出始め、奥村も自重したため結局このセットは2年チームが制した。
「コージ、かっこいー!」
 アイス女からの喝采を受け、江崎は爽やかな笑みを返した。活躍もしてないのに雄叫びを上げて歓喜する奥村に冷たい一瞥をくれてから、テニスもうまくてイケメンの江崎に熱い羨望の眼差しを向ける女子たち。
「いい試合だったよ。腕を上げたじゃないか」
 爽やかな笑みのまま1年の健闘を讃える江崎。女子もそんな一年に惜しみない拍手を送る。二年男子は苦虫を噛み潰したような顔をする。江崎は球筋は読めるし、女心も少しは読めるのかもしれないが、どこまでも空気は読めない奴だ。

 次のセットを落とすと1年の負けだ。1年は追い込まれた。だが、2年は2年で追い込まれている。何せ、最終兵器の江崎を初っ端から投入して追い詰めたはいいが、次を落とすと俺と当たるのは噛ませ犬の中の噛ませ犬。これっぽっちも期待できない。次のセットは雌雄を決する戦いと言っていい。
 そして、そこに投入されたのが地味な二人だ。2年にしてみれば実力の分からない相手にぶつけるには不安すぎる取り合わせだろう。でも俺の相手をする二人よりはマシだろう。
 対する一年は連城と志賀。まあなんだ。勇退したバックレ曽根を含めて、一年の実力はドングリの背くらべだ。誰が出ても大差はない。
 ゲームが始まった。
 ドングリ2個が2年のエース江崎+他一名と五分五分の勝負をした。と言うことは、エースでもなんでもない他の2年の実力は、1年のドングリに満たないと言うことだ。
 まさにそれを露呈する試合展開となっていた。あんまりと言えばあんまりな試合だった。インターハイ地方予選初戦敗退常連校の実力をまざまざと見せつけられた。まあ、今コートにいるのは、今の三年にその栄誉を奪われ、出場選手にもなれなかった連中ばかりだが。
 まあ、無理もないかもしれない。俺たちのように1年の頃にまともに練習させてもらえてないんだろうし、自主的に朝練を始めるほどのやる気もなかった。今の3年は人数も多かったし、去年の3年が引退してもコートがなかなか使えなかったんじゃないだろうか。2年の下手な奴は、それこそコートで練習を始めたのが俺たちのように3年引退後か。
 普通の打ち合いでもお互い空振りするわ、打ってもネットに掛かるわ、ネットを越えてもコートをはみ出すわで見るに堪えない。連城・志賀がスマッシュを打っても半々で自爆するので、そもそもスマッシュなんて打てない宇野・鴨田と大差ない。ただ、基本的な技術で勝る連城・志賀の方が得点を挙げやすく、自ずと点差が開いて行く。
 2年も必死に食い下がり各ゲームではデュース連発の大接戦なのだが、逃げ切られて落とす。
 5ゲームを終えて4ー1。この調子なら危なげもなく勝てそうだ。

 2年男子チームに沈鬱な雰囲気が漂い出した時。2年に救世主が現れた。
 合宿開始早々行方をくらまし、そのまま今まで帰っても来なかった桐生が、外泊二連泊から帰って来たのだ。
 2年は沸き立つ。早速事情を話して最終戦に岩佐と交替で組み込んだ。
 厄介なことになった。江崎も上手い方だが、桐生は群を抜いている。実力で言えば、普通のテニス部のちょっと上手い部員くらいだ。まともにやっては俺でもそうそう勝てそうにない。
 有無をいわさずジャージに着替えさせられた桐生だが、あまり乗り気ではないようだ。それもそのはずで、二日前に見たときに比べて顔はやつれ、目の下には濃いクマが見える。足元もふらついている。彼女とどこかにしけこんでいたこの二日間、相当激しかったのだろう。これなら勝てるかもしれん。
 連城・志賀は結局6−2で圧勝だった。最後までだらだらとした見所のないセットだった。
 余裕かと思われた俺の最終セットだが、桐生の登場で分からなくなった。桐生が二日間どれだけハッスルして腰がガタガタになっているかに全てが掛かっている。
 試合が始まってみて驚いたのは青木の頑張りようだ。起死回生のチャンスでこれまでになく気合が入っている。その気合は追い詰められたことによる焦りによるのか。はたまた、組んでいる青木が腰ガタガタになるまで楽しんでいることに対する嫉妬と怒りによるものか。とにかく、さっき留奈の件で追求を収めさせた恩のことは忘れたようだ。
 そんな青木の頑張りと桐生の実力の前に2ゲームを連続で落とした。このままではいけない。とりあえず、ここは既に疲れている桐生を潰すべきだろう。なるべく桐生のいる反対側を狙って球を打ち込んで行く。足腰にガタの来ている桐生は間に合わず取りこぼすが、こちらの狙いも察してきたか、真ん中で待ち受けるようになってきた。
 それでもそのゲームはどうにか逃げ切り、一歩追い上げた。いずれにせよ、桐生がうまいこと疲れてくれればいいのだが、青木が結構頑張っているので時間が掛かりそうだ。桐生も少ない動きで対処してくる。作戦を変えないと駄目だろうか。次のゲームは15−40と追い込まれた。
 だが、ここで急に青木の動きがおかしくなってきた。今までの滑らかな動きが急にぎこちなくなる。動きが悪くなった青木は、まともにレシーブさえ打てない。ラリーに入っても、ここは青木が拾う場面だとうというところで拾いはぐる。そんなボールを慌てて拾いに行く桐生だが、腰がついていかない。俺たちが立て続けに点をとり、デュースに持ち込んだ。
 ふと横を見て、青木の突然の不調の理由が分かった。
 青木に裸を見られたショックで部屋に籠もっていたはずの留奈が、他の女子に混じって試合を観戦していたのだ。
 後から聞いた話では、際だってテニスのうまい桐生と、留奈に何かしたことにされている青木を相手に、留奈と仲がいいことにされている俺がいい勝負をしているので、留奈に見せて元気になってもらおうと女子が気を利かせたらしい。呼びに行ってる間に押し返されてたけどな。一応、青木の顔を見たくないなら無理強いはしないと言ったらしいが、特に気にせず出てきたようだ。
 留奈が現れたことで、今まで獅子奮迅の活躍を見せていた青木が凄まじい動揺で瞬時に腰砕けになった。腰振り過ぎでガタガタだった桐生と合わせてぐだぐだだ。
 昨夜から今朝にわたり、青木が留奈に裸を見せつけられ、妙な疑いをかけられるなどしたという事情を、ついさっき来たばかりの桐生が知る由もない。もっとも、この騒動の真相を知っているのは当事者だけだが。
 なぜいきなり青木が失速したのか分からないまま、一人で必死にボールを追いかける桐生。巻き返すのも、桐生をへばらせるのも今がチャンスだ。
 とは言え、この状況が一方的にこちらにとって好条件と言う訳でもにない。何せ、1年を焚き付けて練習をさせた最大の理由が、この留奈を押し付けられるだけのプレイヤーの育成だ。順調に成長しているとは言え、先はまだ長い。留奈の前で俺が大活躍してしまっては、留奈に俺のうまさを印象づけることになってしまう。
 しかし、ここで手を抜いて勝てる相手ではない。考えれば俺たちには、勝つことによるメリットも負けることによるデメリットも大したことはないので、無理に勝つこともないような気もするのだが、桐生相手に勝てるチャンスもそう滅多にあると思えないし、負けるのはもったいない。
 ここはひとつ、さっきから大して役に立っていない志賀でも大活躍して勝てる状況を作ろう。桐生を完全に使い物にならなくしてやる。
 桐生はサイドを狙ったスマッシュは間に合わないと判断して腰をかばい見逃してしまう。打ち返せそうだが動きまわらければならない球を返すことに専念する。
 向こうも腰にくるスマッシュは打ってこない。地味なラリーが延々と続いた。それならばこのままデュースに持ち込んでさらに長引かせてやる。
 だが、俺の目論見はぐだぐだ青木が、打った球を後ろから桐生にぶつけるというフォルトの前に潰えた。ありえねぇ。

 膠着状態のままゲーム数だけが伸び、ゲームカウントが4ー4になったところで、ついに桐生の腰が音を上げた。さっき青木に後ろからぶつけられたボールも何気に効いていたのか。それでも、最初から腰が痛いと言っていた割にはよく頑張った方だと思う。
 2年としてはここで引き下がる訳には行かない。岩佐が代わりに出て来た。まあ、桐生じゃない時点で楽勝だな。
 サーブ権はあちらだ。まともだった頃の青木とどっこいどっこいのサーブ。その青木も、だんだん留奈の存在というプレッシャーに慣れてきたらしく動きが柔らかくなってきた。下手だが。
 あまりにも相手にならないので、俺は思いっきり手を抜くことにした。志賀に小声で、相手は下手なので見せ場作ってやる、俺は適当にやるから女子にかっこいい所を見せてやれ、と伝えた。志賀もやる気になったようだ。勢いが空回りして自爆しないことを祈ろう。
 俺が手を抜き始めると、留奈がそれを察して物足りなく思ったのか、声援を送ってきた。
「流星くーん。がんばれー」
 頑張るほどの相手じゃないので無視した。だが、無視出来ない奴もいる。留奈の声を聞いた青木がまた動揺し始めた。
 俺が頑張らないのを見た留奈が、さらに一歩踏み込んだ声援を送ってきた。
「流星くん、勝ったら今夜デートしてあげる!」
 いらんっての。そもそも手を抜いてやってるのにどう見ても押してるだろ、勝てるに決まってる。
「やめときなって。また青木が邪魔しに来るよ」
 二年女子が、心から心配して留奈にかけたこの一言で青木が撃沈した。
 撃沈して使い物にならない青木の分まで実質一人であがいている岩佐だが、自分よりうまい相手二人に太刀打ちできる訳がない。あっさりと5ー4に追い込んだ。
 そんな岩佐にもとどめが刺されようとしていた。昼飯の準備が終わった曽根がロッジから出て来たのだ。
「まだやってたんだ。今どうなってる?」
「3セット目で5ー4。さっきまで桐生さんだったけど、今岩佐さんになってるから楽勝ペースだよ」
 志賀の手加減ない評価が思いっきり聞こえてくる。
「ねー、曽根くーん。今朝の麻婆豆腐どうやって作ったのー?」
 女子も岩佐にとって鬼のような言葉を吐く。絶対、分かっててやっている。
「普通っすよ。ひき肉炒めて、ソース作って豆腐にからめてとろみをつけて」
「後で詳しく教えてね」
「いいっすよ」
 女子の言葉ににへらにへらしながら答える曽根。曽根にとっては聞かれたことに何げなく答えたに過ぎなかったが、今の会話で曽根が今朝の麻婆豆腐を作ったことは揺るぎない。
 女子の誰かが放った言葉が凶弾となって岩佐に突き刺さる。
「やっぱ持って来ただけじゃん」
 誰が何をかは分かる人にしか分からない言い方だが、張本人には分かり過ぎるほど分かる。岩佐も動きがおかしくなった。
 最後のゲーム。俺達は、二つのかかしを相手に勝利を手にした。

 昼飯は特製ゴマだれでいただく素麺と、少し味付けを変えた特製ゴマだれをかけた棒々鶏。糞暑い昼にぴったりの涼しくなる取り合わせだ。トリにかけたわけじゃないぞ。トリに掛けるのはゴマだれだけで十分だ。
 女子の方も昼飯の準備がまだなので、またおすそ分けだ。今度ばかりは手柄の横取りを企むことさえできない。
 夏バテで食欲がなくても優しいメニューの昼飯だが、2年はあまり食が進まないようだ。江崎と青木、あと奥村だけは元気だ。奥村はあの勝利で自分の評価が上がっていないことに気付けていないらしい。それでもまるでナニが終わった後の様なすっきりした顔をしているのは、もはや不憫だ。
 すっかりテンションの下がり切った他の2年を差し置いて、江崎と桐生は自分たちの“遠征”での武勇伝を真っ昼間っからひけらかしている。たった今、女が一歩遠のいたばかりの他の2年には耳の痛い話だ。
 そんな中、桐生がおもしろい話をし始めた。二夜連続で外泊し、すっかり腰をガタガタにした桐生。その桐生らだが、最初の夜と次の夜では泊まるホテルを変えていた。気分でなどという気楽な理由ではなく、変えざるを得ない事情があったそうだ。
 と言うのも、その前夜は桐生に跨っていた彼女の市村が、お馬に跨りたいとおねだりしていたため、朝一でビジター予約を入れておいた乗馬クラブに遊びに行こうとしていたその時、二人が泊まっていたホテルの駐車場に見覚えのある車が待っているのに気が付いた。念のためよく調べてみると、思った通りその車は川崎の車だった。川崎も不倫相手といっしょに桐生の泊まっていたホテルにしけこんでいたという訳だ。
 お馬に散々跨って満足した所で、今度はお互いに跨りあおうとホテルに戻ると、やはり駐車場に川崎の車が停まっていた。しかも朝見たときとは少し違う場所に停まっている。どこかに行って戻ってきたらしく、今夜もここに泊まる気だと察した桐生らは、急遽泊まるホテルを替えることにしたらしい。馬の背中に尻を打ち付けまくった後、ホテルを探してさまよった揚げ句に腰を女の尻に打ち付けまくった結果、腰がガタガタと言う訳だ。
 いずれにせよ、とてもどうでもいい話だ。
 この時はまだ、そう思っていた。いや、あとになっても、どうでもいいのに変わりはないのだが……。まさか、そのどうでもいい川崎教諭の不倫相手との密会現場を、押さえに行く羽目になろうとは。

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