Reincarnation story 『久遠の青春』

07.分岐点

 決意を新たにしたところで俺が子供であることになんら変わりはない。
 親のすねをかじって生きるしかない子供にできることはたかが知れている。
 もう少し立場的にも大人にならないことにはどうしようもない。

 立場的にも大人の母親たちが相談しあった結果、樹理亜も塾に通わせることになった。塾通いなら正当な理由で遅くまで家に帰らずに済む。
 それはなかなかよい考えだと思う。ただ、ひとついただけないのは俺まで塾に通う羽目になったことだ。まぁ、仲良しトリオで親も仲良しである以上、一人だけのけ者という訳には行かないのだろう。財政的にも大変だろうし俺は必要はないと言ったが、見栄みたいなものもあるのかあっと言う間に話は決まってしまった。

 斯くて、学校が終わったら三人で塾に通うという日々が始まった。一日のうち八割方を一緒に過ごすことになったのだ。普通に親として存在するよりよっぽど親密な関係といえる。
 クラスの他の連中は男子と女子で話していると茶化されるのに俺たちは全くそれがない。一緒にいて当たり前くらいに見られている。むしろ別行動していると不思議がられるくらいだ。俺にだって男のつきあいがあるんだって事を理解して欲しいのだが。
 学校が終わると伽椎の母親の車に乗り塾に向かう。塾は隣町だ。全国チェーンの大きな塾。何も塾がチェーン店を持つこともないだろうに、とも思うのだがこれも時代の流れなのだろう。チェーン店を持てるくらい塾生もたくさんいるということだ。
 塾の勉強も学校で習う内容とそう違う訳でもない。学校でやる内容の予習か復習というになる。違うところがあるとすれば講師の熱意だろうか。とにかく、教えるべき事は全て生徒の頭に叩き込んでやるという意気込みに溢れている。学校の教師たちが何やらのほほんとした感じに思えてくる。そして生徒も学校とは違い真剣だ。少なくとも見た感じでは。穿った見方をすれば、力強く威圧的な講釈の垂れ方をする講師の気迫に押されておとなしくしている感じがする。
 指名されて答えさせられることも学校に比べて多い。挙手など待たない。いきなり指名だ。答えられなければ恥をかくので指されたときに答えられるようにちゃんと勉強しておかなければならない。間違えれば周りの答えを知っている塾生が得意げな顔で蔑んだ視線を飛ばしてくる。答えが分からなかった奴もどさくさに紛れて嘲笑する。
 進学系の塾なのでプライドの高い塾生が多い。自分が一番になるために努力を重ねて行く訳だ。
 こうして育った人間が競争社会を生き抜くエリートになる。そしてエリートならではの人を見下した態度もここで培われて行く。
 俺はエリートなんぞになる気はさらさら無いが、こういう連中に小馬鹿にした態度をとられるのはいただけない。もっとも多少先取りしているとは言え内容は小学校のそれだ。ちょっと予習して思い出せば訳もない。逆にクソ生意気な連中を見返してやれるって寸法だ。
 塾ではこんな感じなので小学校でわざわざ手を抜くとかえって怪しいということになりかねない。学校でも手を抜くことなく、成績は普通にトップクラスになった。年の功という奴だ。
 ただ、このまま行けば遅くとも高校、早けりゃ中学位には成績を維持できなくなるだろう。二流の大学をごく普通の成績で卒業した俺だ。このままではたかが知れている。
 幸い、前世の記憶をそっくり受け継ぎながらも、この脳みそは小学生の脳みそらしく柔軟に新しい知識を取り込んでいく。今から本気で勉強すれば本当にエリートクラスになれるかもしれない。と言うか、そこまで行かなくてもせめて一流大に入るくらいのことはやってのけないと今の出来のよさに釣り合わないだろう。
 近所に5年ほど浪人していた予備校生がいて、苦心の末ようやく大学に入り、これから楽しく自堕落な大学生ライフを送るらしい。そこで、不要どころか持っているだけで忌まわしい思い出がよぎる教科書や参考書の類いを、そっくりまとめて処分したいそうだ。それを遠慮なく引き取って来た。縛ってゴミに出すにも見ただけでも虫酸が走るので困っていたらしい。そんなに勉強が嫌なら大学になんか進まなきゃいいのに。
 まとめて貰ってはみたものの、教科書はびっちりと得体の知れない落書きで埋まっている。ちょっと使い物にはなりそうもない。授業中相当退屈していたようだ。
 参考書の方はきれいだった。これは使える。5年間必死に勉強するために使いまくった感じは微塵もない。5年かかって1年分位の勉強しかしてないだろう。大学にこそ入ったもののこいつの将来が心配でたまらない。
 この参考書をこのまま家に置いておくわけにもいかないので、学校の倉庫の隅においておくことにした。いくつもある倉庫のうちの一つで、いつ使っていたのか分からないダルマストーブが埃を被っている。ほとんど開けることは無さそうだった。ここに置いておけば小学校を卒業するまでは大丈夫だろう。使うときだけランドセルに教科書の中に紛れて忍ばせておく。
 学校でたっぷりと勉強し、塾では学校の先取り学習。そのうえ、高校で習う内容を独学している。学校の一番長い勉強時間が一番ぬるくて意味のない時間に感じる。学校は遊ぶところだと割り切った方が良さそうだ。
 樹理亜はさすが俺と詩帆の娘だけあって頭の作りが極めて平凡にできているらしい。
 学年を重ねるごとに塾の勉強について行くのが難しくなってきた。学校の方はついて行けている、と言うか塾の内容のおさらいなので大して苦労はしていないのだが。
 仕方ないので休みの日には俺と伽椎が二人掛かりでじっくりと分かるまで教えることになる。かみ砕いて教えてやれば樹理亜もたいがいのことは理解できる。それに、家を抜け出すにはいい口実だ。伽椎にとっても復習できる機会なので積極的に樹理亜に教え込む。俺は黙っていることが多い。
 塾と秀才によるレッスンの甲斐あって、樹理亜も成績は中の上から上のほうへ上がってきた。俺と樹里亜と伽椎の3人は今じゃすっかり秀才トリオと呼ばれるようになった。前世からは考えられないことだ。

 一方、恒星と加奈子は幼稚園に通う歳になった。
 加奈子はどうにか恒星とはよく遊んでいるようだが、休みの日は相変わらず直之がベッタリなので遊びに来たりすることはあまりない。そしてごく普通に女の子の友達が増えているそうだ。恒星の方はそんな加奈子の友達と友達になったりしているので男友達も女友達も同じくらいいる。男友達も俺みたいに悪ガキばかりではなく、おとなしめの男の子が多い。そして、その中でリーダー的な存在になっているようだ。俺が幼稚園の頃一般隊員として配属されていた地球防衛隊でも隊長の役職を戴いている。
 俺はもうほっといても大丈夫な歳だということで美由紀も輝義も恒星の方を重点的に面倒を見ている。
 俺はようやく自分の部屋を貰うことができた。ゆくゆくは恒星の部屋も必要になるので建て増しするために苦しい家計の中でそのための資金をこつこつと貯めている。というか、それを貯めているから家計が苦しくなっているのか。
 自分の部屋ができたことで、学校に隠しておいた参考書の類も自室の押入れに漫画に紛らせ仕舞っておけるようになった。何より自分の部屋というのはなんとものびのびする。
 のびのびするのだが、この家には押しかけ住人がいる。日曜ごとにやってくる女二人にその時ばかりは部屋を半ば占拠された状態になる。おかげで、男の部屋だというのにぬいぐるみが置いてあったりする。伽椎が小遣いで親に内緒で買った少女漫画の置き場にもされている。教育ママなので漫画など言語道断だと思っているようだ。
 もう少し大人になってもこの状態が続いては、おちおちエロ本も置けない。さすがに思春期くらいになれば男の部屋に入り浸るのをやめるとは思うのだが。
 いずれにせよ、この二人にとって逃げ場はここしかないのは確かだ。直之のいる樹理亜の家は論外だし、伽椎の家も勉強できる雰囲気ではないようだ。おばちゃんたちの子供には聞かせられない世間話の邪魔にもなるし、俺たちがいる間は当たり障りのない話をしているが、あのお喋りの中ではこちらが集中などできない。他の女友達だと気を遣うらしい。俺にも気を遣って欲しいと少し思う。子供好きなうちの両親は文句も言わないしむしろ喜んで受け入れている。肝心の俺に発言権がないのは何とかならないだろうか。ここは俺の部屋なんだけどな。

 我が家にとって大きな出来事が起こった。
 輝義が出世したのだ。そこそこの営業成績と、主に人柄の良さで係長に抜擢された。人望って奴だ。
「多少給料も上がるし、暮らしも楽になるかしらね」
「でも、仕事も大変になるからあんまり家族のことも構ってやれなくなるかもしれないぞ」
「あたしは大丈夫よ。流星だってしっかりしてるから問題ないと思う。恒星が心配だけど、あたしと流星で面倒見るからあなたは仕事に専念して大丈夫よ」
「そうか。苦労かけるな」
「まだ出世してどうなるか分からないでしょ。今と変わらないかもしれないし。それに、あなたが会社で認められたならあたしにとっても誇りだもの。それでちょっとくらい苦労してもどうってことないわ」
 いい妻を貰ったものだ、いいえあたしこそ幸せ、などという流れになってきたのでお子様は早々に退散することにした。まぁ、俺が退散したところで恒星がいるので何もできないだろうが。
 これにより輝義の給料は若干上がり、仕事も忙しくなったらしく帰りが遅くなることも多くなった。それでも美由紀は別に今までどおりだ。だいたい、最初に言ったとおりになったわけである。
 恒星は恒星でやんちゃはやんちゃだが手は掛からなくなっているし、美由紀よりも俺が面倒を見ることが多いので美由紀はかえって楽になってきたようだ。特に昼間は遊びまわっている。うらやましい位だ。
 出世して輝義も小遣いが増え、一度は社食から恒星の弁当のついでに作られる愛妻弁当になった昼食が、また外食になった。社員食堂でなく、そこより少しは高い外食屋だ。弁当は恒星が幼稚園に持っていくものだけ。当然俺は給食だ。恒星が幼稚園に行くまでに弁当を作ればいいので起きる時間が遅くなった。その分夜遅くまで起きていられるようになり、長らく途絶えていた夜の夫婦生活が復活したようだ。輝義も仕事で溜まったフラストレーションを発散でき、次の日は張り切って仕事に臨めるということだ。
 案の定、避妊にはしっかり気を使っているので3人目は期待できないが。
 そして、その増えた収入のおかげで俺の小遣いもちょっと増え、ゲーム機を買ってもらえた。
 その結果。俺の部屋は男女を問わずゲームで遊びたい友達が集まる場所になった。樹理亜と伽椎の置き土産のぬいぐるみや少女漫画を男友達には馬鹿にされたが、しばらくするとそれにも慣れ、それに倣い自分の部屋に置けない漫画などを置いたり、やりたくても本体がないのでできないゲームのソフトを俺の本体をあてこんで買って俺の部屋に置いたりするので、俺の部屋は何がなんだか分からなくなった。

 樹理亜の方はゲームにはあまり興味がないようだ。元々勝負事は嫌いな性分だからだろう。
 伽椎がゲームにベタばまりした。今まで勉強のために通っていた俺の部屋にゲームのために通うようになった。
 当然、その分勉強が遅れてしまう。特に樹理亜の勉強が。なので、それを取り戻すために今まで横で見ているだけだった俺が樹理亜に勉強を教えることになる。
 ただ、自分が一人でゲームをやっている後ろで俺と樹理亜がくっついているとやきもちを焼く。なので対戦相手をさせられたりすることも多い。その分、伽椎は学校で昼休みなどに樹理亜に勉強を教えるようになった。そのとき俺は見てるだけか、男子仲間と遊びに行ってしまう。
 だんだん樹理亜と一緒にいる時間が短くなってきた。
 娘もこうやって巣立っていくのだなぁ、などと的外れなことを考えたりもした。

 そうこうしているうちに、早いもので恒星と加奈子も小学校に上がってきた。
 さすがにランドセルまでお下がりというわけには行かない。何せボロボロだし、何より俺がまだ使っている。
 兄である俺が予想外に成績がよかったので弟のほうも過剰な期待を寄せられている。恒星にとって迷惑極まりないことだろう。俺みたいに実年齢より30年も余計に生きてない。凡人の子供に生まれ、正に凡人としてここまで育ってきたのだから。
 加奈子の方は早くも塾通いを始めている。恒星のほうはそこまで金をかけられないのと、俺を入れたのも元はといえば樹理亜の問題があったからで、今回は本人の希望もないので見送ることになった。
 塾に行っていない分、恒星は勉強の出来はよくはない。このままではいかん、と一大発起した輝義は俺に恒星に勉強を教えるようにと押し付けた。この野郎。
 仕方ないので俺はゲームを餌に恒星に勉強するように仕向けた。この問題全部解けたらゲームやっていいぞ、という奴だ。それまで俺が占拠する。恒星はゲームやりたさに勉強せざるを得ない。何か目的を持って勉強するのは殊のほか効果的だ。一刻も早くゲームをやるためにしゃかりきなって勉強し、一時期仕事もしたが勉強ばかりの生涯を送ってきた俺ほどではないとはいえ、恒星もなかなかの成績になった。金をかけている加奈子ともいい勝負でざまぁみろだ。
 加奈子といえば、その頃になると加奈子とはだんだん疎遠になってきた。恒星は普通に男同士でつるみ、加奈子も女同士でつるんでいるので普通に交流がなくなってきた。
 樹理亜から聞いた話では樹理亜と加奈子は子供部屋で勉強したり姉妹で遊んだりすることがおおくなり、どちらも直之とはあまり口も利かなくなってしまったそうだ。その所為か、直之は仕事の付き合いでなかなか帰ってこないことも多くなったという。詩帆は辛いだろうがいい気味だとは思う。
 やはり、べたべたしすぎて加奈子も辟易してたのだろう。父親の違う姉妹はそうは思えないほどになかなか仲良くやっているらしい。お互い、そんなことは知らないのだから当然だろうが。そして直之は早くも娘二人から見放された感じだ。
 そのせいもあるのだろう。例によって伽椎の母親のところでの茶飲み話で聞いたようだが、直之は次の子供を作ろうとしきりに夜の生活を求めてくるらしい、と美由紀が漏らした。もちろん、俺はそれをこっそりと聞いたわけだが。
「なんだ、今までかわいがっていたのに自分の手を離れたらもう用なしで次を作ろうってのか。あいつはまったくしょうがない男だな」
 すっかり悪役にされている直之。もっとも、俺も悪役だと思っているわけだが。
「まぁ、詩帆ちゃんも安全日を選んで誘ったりしてるみたいよ。ま、そのうち諦めて他所に女でも作るんじゃないかとかいってるし」
「うは。強かじゃないか」
 俺が嫁にした頃はそんなに強かじゃなかったけどなぁ。伽椎の母ちゃんに染められたか。
「ち・な・み・に。あたし今日安全日なんだけど」
「お?しょうがないなぁ。今日は疲れてるから一度だけだぞ」
 こっちは子供はもういらないとかいいながらいつまで経ってもお盛んなこって。

 詩帆の強かさにははっきりと訳があった。
 詩帆がそもそも直之と結婚したのは樹理亜の誕生と引き換えに俺、この場合は溝口幸仁が死んでしまい、暮らしに困ったからというのがあるそうだ。
 そこに、愛がなかったわけではない。ただ、やはり詩帆の中では俺を越える人はいないだろうという思いがあり、かなりの妥協があったらしいのだ。
 だから、子供と自分を養ってさえくれればいい、という程度の思いで結婚したという。
 少なくとも娘たちが自立できるくらいまで暮らしを支えてくれさえすれば直之には多くを求めないし、他所に女を作ろうが構わないとまで言っている。なんだかすでに二人の間には愛は希薄のような感じがある。
 そんな直之との子供である加奈子を詩帆が愛せるのか、と思う人もいるだろうが、やはり父親が誰でも自分の腹を痛めて生んだ子供には変わりないのでその辺は大丈夫なのだ。そんなものか、と思ってしまう俺には女の気持ちなんぞ一生分からないだろうな。今は他人の妻になったとはいえ今でも俺のことをそこまで慕い続けている詩帆がいとおしく思えたりもする。
 ちなみに、こんなことを言うのはもちろん例の茶飲み話だ。ものすごく突っ込んだ話題がぽんぽん出てくる上に、子供が二人とも寝ていると思い込んでいるからその話を美由紀はぺらぺらと輝義に話す。もちろん輝義がそんなことを他所で話す事はない。だからこそではあるのだが。
 だから、俺も多少眠いのを堪えて二人のひそひそ話を息を潜めて襖の外で聞いているわけだ。それだけの価値はある。
「そんな事言ってたのか」
 輝義は驚いたようだ。
「うん。そこまで詩帆ちゃんが一途に愛してる前の旦那さんってどんな人だったのかしらねぇ。見てみたかったわ」
 入れ物が違うだけで、毎日見てるけどな。
「しかし、そう思うと直之の奴もちょっとかわいそうだなぁ。直之のほうは初めての結婚だったんだろ?」
「そうね。でもいいんじゃないの?浮気許してくれる奥さんなんてめったにいないわよ」
「でもさ、浮気したらやきもち焼いてくれるくらいじゃないとやっぱりつまらないだろ」
「あー。あたしだったらすっごく妬いちゃうなー。あなたまさか浮気とかしてないでしょうね」
「まさか。そんな暇ないよ」
「あっ、暇になったら浮気しそう。よーし、そんな暇なくしちゃえ」
「えっ。ああ、なんだよ。今日は疲れてるんだけどなぁ」
 何を始めたかは想像に難くない。またかよ。まったくこいつらは。しかし輝義は疲れてると言わない日はないな。それでも、ちゃんとやることはやる。大したもんだ。本当はちっとも疲れてないだろ。
「だーめ。浮気してないなら証拠見せて」
「しょうがないなぁ。一度だけだぞ」
 ほら、押っ始めやがった。まぁ、浮気の心配は当面いらないだろう。この生活の上に浮気までしたら、涸れ果てるからな。

 とにかく、俺たちの中で一番大きな問題が樹理亜一家のことなのだ。
 うちは輝義は出世したわ子供はそろっておとなしいわ夫婦生活はうっとうしいくらい円満だわで家の中には何も心配事がない。今時滅多ないぞ、こんな家庭。
 伽椎の家も、旦那はいるのかいないのか分からないくらいの存在感。一人娘はまじめで優秀、母ちゃんは親分肌で敵なし。問題があっても一ひねりだろう。
 特に子供好きのうちの両親は樹理亜には何かあったらおじちゃんたちに相談してもいいよ、と常々言ってある。親のほうのトラブルはパワフルな伽椎母が押さえ込むだろう。言ってみればこの問題に関する包囲網は万全なのだ。
 そして、そんな言葉に甘えて樹理亜はうちにちょくちょく来る。元々だが。
 おかげで、うちの両親はすっかり樹理亜を自分の娘のように可愛がる。あんたらの子じゃなくて俺の娘なんだけどな。
 直之は樹理亜に興味はないし、詩帆は詩帆で俺が悪い友達ではないと思っているし、勉強も教えてもらえている。何より、ちゃんと美由紀と輝義なら信頼できるので安心しているのだ。
 樹理亜は何かあっても、何もなくてもうちに来るようになった。
 加奈子の方はと言うと、父親との関係が修復されてきたらしい。直之が加減というものをようやく身に付けたとか。そして、樹理亜は直之にあまり近づかないので変なことも起こらないという。
 つまりは、懸案の樹理亜一家の問題はひとまず落ち着いている、ということだ。
 まぁ、俺は問題はずいぶんあると思う。このままでいいのか、と言う気は凄くする。
「うちは男の子二人だからなぁ。樹理亜ちゃんが来るとなんか雰囲気変わるよな」
 樹理亜が帰ったあと。いつもの、一杯やりながらの夫婦の会話だ。
「そうよねー。うちの生意気坊主どもとはなんか違うよね。おとなしくって可愛い」
 生意気で悪かったな。そもそも俺はお前らより長生きしとるんだ、偉そうで当たり前だ。若造どもめ。……ま、長生きったって微々たる差ではあるんだが。
「伽椎ちゃんは元気でうちの生意気坊主とキャラ被ってるからな、あまり変わんないんだよな」
 なんか言われてるぞ。まぁ、俺もそんな気がする。クラスでも級長副級長だし樹理亜に対する接し方も似たり寄ったりだ。俺でさえ大人しく見えるくらいだというのが違いといえば違いだろう。
「今度は女の子が欲しいなぁ」
 もう子供は要らないんじゃなかったのか。
「やだ、まだ早すぎるわよ。流星は大きくなったけど恒星がまだまだ手が掛かるじゃない。それに輝義さんももっと出世して収入増やしてくれないと大変よ〜ぅ」
「それもそうだけど。じゃ、今日はまず予行練習ってことで」
「やん。もうあなたったらぁ」
 輝義の奴、今日はやる気あると思ったら日曜日だった。だから樹理亜もうちに来たんだっけか。
 せっかくの休みくらい体休めたらどうだと思うのだが。それとも休みでパワーが余ってるのか。
 これをもう少し堪えてくれれば避妊具の分家計が助かると思うのだがどうなのだろう。

 一方伽椎の母は週末毎に娘が俺の家に入り浸ってるのを心配しているようだ。そろそろ年頃の娘が男の家に通うのはやはり不安なのだ。当然といえば当然だ。俺もいい加減うっとうしい。
 美由紀は、伽椎母に伽椎が俺の家に来るのはゲーム目的だとちゃんと言ったようだ。伽椎母はゲームのことを知らなかったようで、ほっとしつつ戸惑っていたようだ。今まで伽椎がひねくれずにすんでいたのは俺の家でしっかりガス抜きしていたからにすぎないだろう。確かに勉強勉強と言い続け、漫画さえ買うのを許さなかった自分たちの教育方針は伽椎に重すぎただろう、と今更思ったようで、ゲーム機をプレゼントすることを決心したそうだ
 ただし、タダとは言わなかった。私立の中学に入学できたらそのご褒美に買ってやるというのだ。
 伽椎にとって悪い話ではない。ただ、それで大いに悩んでいる。
 何せ、うちはそこまで俺に金をかける余裕はない。塾に入れただけで精一杯だ。馬鹿高い私立の学費まで面倒見切れない。樹理亜のところはなおさらだ。直之が樹理亜にそこまでするわけがない。つまり、伽椎が私立に行ってしまうと一人きりになってしまうのだ。
 友情を取るか、ゲームを取るか。単純に考えれば友情にゲームは敵わない。しかし、天秤のゲーム側に乗っているのはゲームだけではないわけである。家族との関係や自分の将来などの重みも乗っている。むしろ、そっちのウェイトのほうが遥かに重く、それで悩んでいるわけだ。
 伽椎にとって、もう私立中というもの自体があまりにも唐突だった。他の友達と一緒に普通に公立中に進むと思っていたからだ。
 私立に進む子供なら、まずこの苦しみを味わうだろう。今の人間関係を変えるために見知らぬ人たちとの未来を選んだわけでないのなら。
 それこそ、この問題は伽椎にとっては大ショックだった。人が変わったように落ち込み、成績も当然のように急降下だ。
 俺はそんな伽椎に、これは伽椎の問題だから決めるのは伽椎だといってやることしか出来なかった。
 伽椎の両親はさすがにそんな娘の様子にあわてて発言を取り下げたのだが、伽椎のほうはそれで問題が解決したわけではないと迷い続けていた。やはり、私立中に進めば将来は明るいだろうし、これで何もせずに公立に進んでしまえば両親との関係は気まずくなるに決まっている。すでに気まずくなっているのだから。
 伽椎が欲しがっているのは私立へと進むことへの後押しだ。俺の人生の長さ相応の勘がそう伝えていた。
 俺と樹理亜は話し合い、伽椎に私立への進学を勧め、迷いを取り去ってやることにした。
 俺と樹理亜は伽椎と塾が同じだ。親同士も親しいし家も近い。会いたくなればいつでも会える。会いたくなくても顔を合わせるくらいだろう。他の友達も伽椎のことは忘れないだろう。だから安心して私立に行けばいい。
 慎重に言葉を選びながらそういうことを伽椎に言うと、伽椎はボロボロと涙を流しながら分かったような事言わないでよ、と言い教室から走り出て行く。
 不安そうにその後を目で追い、こちらを見る樹理亜。たぶん、そう来ると思った。しかし、落ち着けば心は決まるはずだ。
「大丈夫だ、悩んでいる時にこう言われれば心で反発する思いが出るのは仕方がない。あとは伽椎が決めることだ。こう言われて私立に行く決心を固めるならそれでいいし、それでも私立に行く気が起こらないなら私立に行きたいという気持ちはそれだけのものだったということだ、その時は公立に進むように薦めるさ」
 翌日学校を休み、その次の日学校に出てきた伽椎はすべて吹っ切れたような穏やかな顔をしていた。
 不安そうに声を掛けた樹理亜にいつもの笑顔で私立に行くことにした、と告げた。樹理亜は少し寂しそうな顔をしたが、もう伽椎に迷いは無いようだった。
 ここしばらくの遅れを取り戻すように、伽椎は勉学に打ち込んだ。同時に、小学校卒業とともにもう会えなくなるかもしれない級友たちと、悔いがないように時間を惜しむように遊んだ。
 そして、伽椎は私立中学の入学試験に臨んだ。
 得意げに、なんか手ごたえなかった、という伽椎は自信に溢れ、迷いなど何も無いようだった。
 そして、その言葉の通り、見事私立中学への切符を手にし、ゲーム機も買ってもらえたのだ。
 ただ、ゲームのことをよく知らなかった両親は伽椎にソフトは買い与えなかった。
 だから当初の目的だった男の家に出入りするのをもう少し控えさせる、という目的はいまいち果たしきれなかったのだ。俺の家にゲームソフトを借りにちょくちょく来ることになってしまうから。

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