路傍の雛罌粟のように

09.暗闇の中で待っていた

 冬休み前に今年最後の週末が訪れた。今週も午前は吉田ペアとのダブルスデートテニスだ。
 クリスマスがどえらい日になったのでこういう普通の日はインパクト的に霞むが、インパクトなんていらない。こういうまったりできるのが一番だ。
 と言うかあのクリスマスのおかげで先週は大イベントだったダブルスデートがもはやただの日常に落ち着いてしまってるのが恐ろしい。冷静に考えてみればまだまだ十分に非日常なんだよな、この状況って。遠い存在すぎて憧れてすらいなかった美少女とダブルスしてるってだけでもどえらいことなのに、これがデートだっていうんだから。
 ダブルスについて未だに現実感がないのは、ひとまず俺が前にいるときは長沢さんの姿なんか見えないし、たまに入れ替わっても見えるのは後ろ姿がほとんどだから、あんまり長沢さんとテニスをしてるという意識が上らないことか。現実逃避はしやすいけどね。
 というようなことを吉田にぼそっと漏らしたら、それじゃあ組み合わせを変えて男対女でやるか、などということになった。ヤバかった。長沢さんと正面から見つめ合う形になり、とてもテニスどころじゃなかった。
 なのでこれは今回限りかというとそうではない。このメンバーでのテニスうまい順だと1番の長沢さんと4番の竹川さん、そして2番の吉田と3番の俺が組むことで5対5のベストバランスが成り立つのだ。言うまでもなく1番がずば抜けすぎててどうやっても完全に均衡などするわけがなく、多分長沢さん対他3人でやっとまともに相手になればマシな方だと思うけど。
 ちなみに、長沢さんと正面から見つめ合うことで俺が大幅に弱体化するのだが、長沢さんに対しても俺と向き合うことでちょっとだけ同じ効果があるようだ。元から大したことない俺がへぼくなってももちろん大した変化ではないが、長沢さんがちょっとでも弱体化するのはかなりでかい。
 そんなわけで後にこの組み合わせの頻度はだいぶ高めになったりする。なお弱体化云々は回を重ねるごとにだんだん慣れて耐性がついて効果がなくなっていくのだが、気にはしないのだった。
 まだ始まってもいない冬休みが終わると話はバレンタインくらいまで一気に時間が進むと思われるので飛ばされそうなそんな状況の先だっての描写も終わり、午前のテニスは粛々と終わった。
 午後は長沢さんの家で長沢さんやパパさんとゲームで遊ぶ予定。そのインパクトのでかさからダブルスデートが日常でしかなくなったクリスマスのあれも、既に日常の一部になり始めている。
 急展開すぎて理解が追いついてないのが現状だ。もう何も考えずに必死に流されているが、このままだといつかとんでもないことになりそうな気がする。今のこの状況がすでにとんでもないような気がするが、気にしてはいけない。そしてそのとんでもないことも、翌週辺りにはまた日常になってたりするんだろうか。とんでもないことってのも具体的に何なのか見当もつかないんだけどね。そう言うことにしておかないと、想像して悶絶するから。でもまあ、長沢さんの様子からしてそう言うのはもっと先だろう。

 今回もファミレスで昼食を取り、そのまま解散することになった。今日は長沢さんの家にお邪魔させてもらう。
 家に入ったのはいいが、長沢さんが急に狼狽えだした。それをママさんが出迎える。
「おかえりー。三沢君いらっしゃい。美香、シャワー浴びるんでしょ」
 シャワア!なるほど、長沢さんの様子が変になった理由がなんか察せられたぞ。女の子らしく外から帰ったら、もしくはテニスのような運動の後だけかも知れないけど、いつもシャワーを浴びているのだ。日常のことなのでこれまで意識してなかったが、俺を家に招いた状態でシャワーを浴びねばならないことに気が付き狼狽えだしたようだ。斯くいう俺も狼狽えているわけだが。
「三沢君も一緒に浴びる?」
 と、長沢さんが言った。嘘ではない。ママさんも長沢さんだし。
「浴びないよ!」
「浴びません!」
 と言ったのは俺ではない。奥の方からパパさんの声がするのと長沢さんが叫ぶのが同時だった。パパさんもいるようである。もちろん、出遅れなければ俺も叫びたかった。
「そうね、今日はパパもいるし」
 いなくても浴びません。っていうかパパさんがいない日に二人でテニスして帰ってきたら強制的に二人でお風呂に放り込まれそうで怖いな。
「パパが三沢君の相手をしているから安心してお風呂に入るといい」
 パパさんが玄関に出てきた。もうすでにお風呂上がりみたいな真っ赤な顔をしながら奥の方に消えていく長沢さん。今日はお風呂を後回しにすると言う無難な選択肢を二人に潰された気がしてならない。何はともあれ、長沢さんがあんな感じでは恥ずかしいのが俺にまで伝染する。言い方はあれだが視界から消えてくれて何よりである。
「こんなところじゃあれだろ、さあ来たまえ」
 今日はなんか最初に会った時の威厳あるパパモードだな。まあもう化けの皮は剥がれてるんだけど。とにかく、確かにここではあれである。だって長沢さんが消えていった、お風呂と思しきドアが視界に入ってるからな。横を向けば視界から消えるだろとかそんなことじゃないのだ。それでは首を戻せばまた視界に入るんだから。

 そんなわけで居間でくつろがせてもらう。もう俺はあの日の俺じゃない。パパさんと二人きりでもそんなに緊張しないのだ。
「あーちょっといいかね。美香のメルアドは知ってるね」
「ええもちろん」
「内容は何でもいいから一通送ってもらえないかな」
「はい?まあ、いいですけど」
 よくわからないけど言われた通りに適当に一通送っておく。
「……よし。それじゃあ二人きりで少し話でもしようか」
 もう緊張しないとかくつろげるとか。そんなのはまだちょっと早かったようである。
「美香は美少女だろう」
 そしていきなり何を言い出すんだろうか。まあ答えは簡単だ。
「間違いありません」
 この状況でとてもノーとは言えないが、幸い本音でもノーという事はない内容で助かった。
「それに比べて君はどうだ。美香に釣り合う男だと自分で思うかね」
「サー、自分はまだまだでありますサー!」
 この状況でとてもイエスとは言えないが、悲しいかな本音でも断じてイエスという事はない内容で助かった。
「どこの軍隊だ……いやでもそのくらいのノリの方が気楽に話しやすいだろう。安心したまえ、ちょっと真面目な話だがそこまで構えるほどじゃないから。君は今、なぜ不相応な自分が美香に気に入られているか疑問に思っているはずだ」
「サー、イエスサー!」
 確かにその辺は本当に未だに謎なんだよな。
「君は昔の美香のことを知っているかね。今の美香からは想像もできないだろうが引っ込み思案でおとなしい子だったのだ」
「サー、ちょっとは聞いておりますサー」
「え、マジで?あの頃の話はあんまりしないのに。もうそこまで心を許したっていうのか。見た目によらずやる男なのか!?」
「いやサー、そうじゃないんでサー。俺の友達に聞き出し上手な奴がいてそいつがいろいろ聞き出すのを一緒に聞いてたんでサー」
「なんかちょっとヤンス系のしゃべり方になってないか」
「イエスサー」
 たまに子供向けのアニメとかで見かけるヤンスって語尾、どこから来たんだろうね。もちろんリアルで使ってる奴見たことないでヤンス。
「それで、どこまで聞いたんだね」
「ええと。昔、そんな事実はないのに男をとったとか言い掛かりをつけられて、幼なじみと絶交したとか。……サー」
「ひなちゃんだな。昔はよくうちに遊びにも来ていたよ。そんなことが何度かあったせいで、可愛いというのは罪深いことだと思い知ってしまったんだ。男にとっては大概のことはカワイイ無罪になるんだがね」
「サー、イエスサー」
 まあ、カワイイ無罪がまかり通っちゃうのも罪深いんだけどね。
「女子からはそんな感じで敬遠される一方、もちろん男子からはモテたわけだ。それで、だ。もし君が美香のクラスメイトだったとする。並みいるイケメンに混じって美香にアタックする気になるかね」
「サー、なりませんサー」
「そうだろうそうだろう。しかしそうなると寄ってくるのはモテ男ばかりだ。向こうから勝手に寄ってきたモテ男と普通に話していたら友達に絶交されたトラウマがある美香はそういう手合いは苦手だ。そうでなくても下心がありそうだと警戒する。中学時代はだいぶ友達の少ない子だったんだ」
「その辺の事情も聞いておりますサー」
「マジか。ずいぶん踏み込んだところまで話してるな」
「高校進学を機にキャラ変を試みて微妙に失敗したことも聞いてます!」
 吉田からだけどな。
「なんか、そのキャラ私のせいかも知れないんだけどね!」
「え。マジっすかサー」
 ああでも言われてみれば、パパさんのなんか偉そうな感じのしゃべり方って、長沢さんのタカビーキャラとちょっと通じるものはあるかも。
 何でもパパさんが長沢さんにテニスで勝つたびこのキャラで勝ち誇ってたせいでテニスの強い人はこんな感じにするものだと刷り込まれたみたい。子供の頃流行ってたテニスマンガの『みどりの四角』でも手強いライバルキャラはこんな感じだったせいもある。まあそれは少女マンガのベタな悪役キャラって言うのもあるけど。
 しかしその演じたキャラのおかげで高校に入ってからは中学生の頃ほどは敬遠されなくなっていた。変な子なので一部――高商四天王みたいな下僕体質の人たち――を除いて男受けが悪くなり、その分女子からの警戒が緩んだみたい。まあ、当人は周りの反応を見る余裕がなくてその辺気付いてないみたいだが。
「ずっとそんな感じできたせいで、可愛い割に男性経験……っていうと不純異性交遊的な感じになるな。異性との絡み……うーん」
 やめて、長沢さんのカラミのシーン想像しちゃう。ただでさえ今頃長沢さんはそういう格好になってる頃合いだし。
「ええとまあ。言わんとしてることはわかりまっサー」
 男とあんまり仲良くしてなかったってこなかったってことね。
「うんうん。そういうのが乏しいからイケメンは苦手になっちゃったみたいでね。見るのは好きみたいだけど、イケメン相手だと緊張しちゃうみたい。いいことだけどな!」
 見た目の上では全然釣り合ってないけど、精神的にはちょうどいいって感じなんだな。そう言われるとなんか納得した。

 そんな話をしていると長沢さんがシャワーを終えて出てきた。ささっと汗を流した程度なので顔が上気するところまではいっていないが、濡れた髪と漂ってくるシャンプーかボディソープの香りだけでもお風呂上がり感は満載で十分凶悪な悩殺戮兵器だ。
「ねえ、これ何」
 長沢さんはスマホの画面をパパさんに見せた。そこには見覚えのある文面のメールが表示されている。俺が送ったメールだ。『パパさんがメール送ってくれだって』と書かれている。
「うん、内容は何でもいいって言ったよ。でもなんで素直に言っちゃうの!?」
「え?なんかマズかったすか」
 って言うか、なんか察したぞ。さてはあのメール、クリスマスの時みたいにスマホが録音モードで部屋に仕込まれてないか確認するために送らせたな。パパさんが送るとその理由も感付かれるから俺に送らせたらしい。俺が送ったところでパパさんの差し金とバレれば結局は同じことだった。まあこれは俺も空気は読めていなかったが、事情を説明しなかったパパさんも悪いね。
「あきひろくーん。パパと二人で何を話してたのかなぁー?」
 にこやかに詰め寄ってくる長沢さん。ちょっと怖い。でもよく考えればパパさんと話してた内容って、ちょっと前に本人の口から聞いた内容とそんなに変わらないんだよな。むしろその時の方が踏み込んだ内容まで話してたし。
 言っちゃってもいいかぁ。そう思いかけていたところだったのだが。
「話してくれるよねー?」
 頬を染めた長沢さんが体を寄せて上目遣いで見つめてきた。
「もちろん話すとも!」
 こんなご褒美の前払いがあったら話さないわけにはいかない。と言うか早く承諾しておねだりを止めないと耐えられません。
「うんうん。じゃあ、ちょっとその前に……」
 そう言うと、長沢さんはその場で崩れた。俺にとってなかなかに耐え難いおねだりは、やってる方にも相当な無理だった模様。そりゃあ頬を染めていたわけである。ついさっきシャワーだけだから髪が濡れてるくらいと評価したその姿が長湯したような茹で蛸になってるし。
 長沢さんが落ち着くのを待ってパパさんとの話のあらましを話したのだが、聞き終わるとまた長沢さんが崩れた。パパさんからすれば一大決心の上打ち明けた娘の秘密だったんだろうが、その話は一回本人からも聞いていた。つまり、体を張って聞き出した割に大した話が出てこなかったわけである。そりゃあ脱力もするだろう。
 しかしそこまでして聞き出したのもまんざら無駄でもなかった。パパさんは長沢さんが俺を選んだ理由は俺が緊張を招くほどのイケメンじゃない手頃な男だからだと断じた。しかしそれは俺が選ばれた理由の一つ、つまり選択肢に入った理由であって決め手ではないのだ。そんな理由だけで俺を選んだと思われたくはないという。
 ここまで来たなら長沢さんだってなぜ俺を選んだのかを白状せざるを得ない。ついこの間、吉田とは長沢さんが俺を選んだ理由を年内に聞くなんて無茶だというような話をしたが、ぎりぎり年内に聞くことができそうである。
「えーと。ここじゃちょっと話せないけど」
「そうなの?」
「だってパパが聞いてるし」
「まさかパパに言えないようなことをしてるんじゃないだろうね」
 パパさんが聞き咎めて割り込んできたが、それは断じてしてません。確かにあの時の記憶は結構飛んでて何をしたか分からない怖さはあるが、意識が飛んでても俺じゃそこまでのことは絶対無理だし。でも些細なことでも長沢さん的にパパには言えないってのはあるんだろう。俺としてもなるべくなら波風立てて欲しくないから言わないで欲しいし。
「二人きりで話しましょ」
 まあそうなるわけだ。とりあえず、長沢さんが自分の部屋に案内してくれることになった……のだが。階段を途中まで昇ったところで動きを止めた。
「やっぱり外に出ましょう」
 部屋は見せられない状態だと思い出したか、ただ単に部屋に連れ込むのはまだ無理だっただけか。後者なら俺も同じ気持ちだと言える。流されるままについてきていたが、このまま長沢さんの部屋に行っちゃうの!?とか思うと思考がうまくできなくなりかけていた所だったのだ。

 玄関で待っていると長沢さんが着替えてきた。さっきまで着ていたスポーツ用のウィンドブレイカーではなくお出かけ用のコートにもこもこの帽子だ。ウィンドブレイカーでも十分可愛かったが更に可愛い。
「さて、どこで話そうか。明弘君、いい場所ある?」
 いい場所とはどんな場所か。とりあえず要望を聞くと、二人きりになれてあまり寒くないところらしい。
 午後になって風が吹き始めているので外はダメだろう。屋内にしてもこれから話すことを考えればファミレスやコーヒーショップは他の客が多すぎるのでやめておきたい。これが吉田と馬鹿話をするとかなら問題ない。下品な話をしてようがどうせ誰も聞いちゃいないだろうから。しかし長沢さんはそこにいるだけで注目される。話にもきっと聞き耳を立てられる。恋バナならなおさら。そしてとどめとしてそんなに金がない。
 この辺りで金も掛からず自由に出入りできる建物というと公共施設しか思いつかない。そして、案外いい施設が思いついた。
「運動公園の体育館に行かない?」
「人、いるんじゃない?」
「遊戯室なら空いてるかも」
 運動公園、俺たちにとっては思い出の場所だ。俺たちがつき合うきっかけになった球技大会が開かれた場所。体育館はあのとき卓球などの試合が行われていた建物だ。イベントなどがない祝祭日は一般に開放されている。
 そして遊戯室というのは球技大会で使われたピンボールやビリヤード台などが置かれている部屋だ。なお球技大会・ピンボールの部の存在は橋渡市七不思議の一つに数えられているのだ。七不思議を作ろうとしたがネタが切れたのが見え見えだな。
 実はこの不思議、同じ運動公園がらみの『遊戯室の入口よりでかいビリヤード台がなぜか遊戯室に入っている』というものから入れ替えになっている。まあ七不思議としては明らかにパンチが足りないし、分解して縦にすれば普通に入るかなあ、と思う。野球とかサッカーとかやる春の球技大会では普通に入口を通されて体育館に登場してるしな。
 何でピンボール?っていうのは本当に謎。春と秋で競技を変えたいという考えまではわかるんだ。でも、ほかの競技もあったと思うんだ。若い人しかわからないかもしれないけどポートボールとかでもいいじゃん?スペースの問題なのかねえ。まあ、こんな謎は解き明かしても別にねえ。なので俺たちの話に戻そう。
 運動公園までは自転車でそんなに掛からない。公園では数人の小中学生がサッカーをしていた。ほかにもジョギングやウォーキングをしている人もいる。早朝ならゲートボールや太極拳の老人たちで静かに賑わうこの公園も、冬の夕方は寂しいものだ。
 灯りも点いていない薄暗い体育館では中年の男が一人黙々とスクワットをしていた。気付かれないように遊戯室に入っていく。遊戯室は真っ暗である。明らかに誰もいない、これで誰かいたら怖いよな。さっきのスクワットおじさんもちょっと怖かったけど。
 室内の電気をつける。今まで闇の中だった遊戯室の一番奥に角刈りのマッチョマンが佇み片腕を上げてにっこりと微笑んでいた。
 腕相撲ゲームだった。よくゲーセンで見かけるモニターの奴じゃない。怖いから配置を変えて欲しかった。実は以前は入り口の近くにあったのを、至近距離で遭遇して怖いからとクレームを受けて奥に移動したという事実を俺たちは永遠に知ることはない。
 気になる人っぽいモノは存在するが、人はいない。奥の方さえ見なければ落ち着いて話せそうだ。
「せっかくだから何かで遊んでいく?」
「そうねえ……」
 長沢さんは室内に視線を巡らせる。卓球台、ビリヤード台。ピンボール、ダーツ、ツイスターゲーム……これも何であるんだ。確かに無理なポーズをキープする柔軟性と持久力を要求されるのでスポーツ的な要素がなくもないんだけど。そして――目と目が合ったらミラクル。見つめ合う二人……というか睨み合う長沢さんと腕相撲マシン。
「ねえ、あいつ倒しましょ」
「なんでさ!」
 ロックオンしていた時点で予測はしてたけど、よりによってそれですか!
「さっき、すっごくびっくりしたのよね」
「奇遇だね、俺もだよ」
「悔しくないの?やられっぱなしでさ」
「……悔しいです。でも、勝てるかなあ」
「大丈夫、明弘君は一人じゃないもの」
 そりゃあ、長沢さんの声援があれば百人力だとは思うけど……。それはあくまで気持ちの問題であってだな。
「二人でやれば楽勝よ!」
 ああ、そういうこと。……さすがに卑怯じゃね?でも相手は機械だし、長沢さんとしては正々堂々と挑みたいんじゃなくてやっつけられればいいのか。楽しみ方は人それぞれだもんな。
 近くで見ると、手作りっぽい人形だった。機械の造りもなんかチープ。それもそのはず、本体に『寄贈・高沢工業高校電気機械科』と書かれていた。学校の課題で作ったのか。ゲーセンで見たことないのも当然だった。我らの先輩方が作ったとなると壊したりしたらそれはそれで恐ろしいな。電源入れただけで壊れてもおかしくないボロい見た目なのも怖い。
 とりあえずコンセントに差して電源を入れてみた。微妙な機械音がしてあちこち光がついた。昔のラジカセのボリュームみたいなつまみがついていてこれで強さを設定する。勝負中に動かしてもいいらしい。そして機械の手を握った状態で肘置きを押すと動くらしい。
 試しに最弱モードに俺一人で挑んでちゃんと動くかチェック。
『レディ・ゴー!』
「ふぁっ」
 喋るんかよ。またびっくりしちゃったわ。
『ォォォォォォォォォ』
 勝負の間ずっと唸り声を出してるの、怖いんですけど。
 最弱だと俺一人でもそんなに苦労せず勝てるくらいだ。まあ俺だってテニス部員だし、日頃ラケット振り回しているだけあってそこはそれ、それなりではある。
『やるな、だがまだまだこれからだ』
 だからいきなり喋るなって。でもなんかちょうど良く本気を出しそうなセリフだったのでそれっぽくちょっと機械の強さをアップしてみた。俺といい勝負くらいになった。
『オオオオオオオオ』
 うなり声もパワーアップしたようだが。これと言いさっきのセリフと言い、機械の音じゃないよね。録音っぽい。少し押し返されてきた。この調子だとやっぱり最強モードには俺一人じゃ勝てない。
「長沢さん……じゃなかった、美香!力を貸してくれ!」
「わかったわ!」
 そして俺の手に長沢さんの手が添えられ――ない。直前で動きが止まった。そうだよね、これまでもちょっと手が触ったくらいでドギマギしてたんだよ。握ったこともない。
『どうした、来いよ』
 絶妙なセリフを機械が吐いた。誰が録音したのか、まあまあイケボだが棒読みだ。
「い。いくわよ!」
「おう」
 多分、俺に言ったというより自分に言い聞かせて鼓舞したんじゃないかと思うけど、一応答えておいた。俺としても手を握られるのに覚悟がいるしな。と、マシンの唸り声が止んだ。何か喋る予兆だ。
『お前の本気はそんなものか?』
「くっ!いいわ、私の本気を見せてあげるわ!」
 まあ多分そっち方面の本気については問ってないと思うけど。がしっと俺の手が握られた。長沢さんの体温が伝わってきて俺の体温も跳ね上がる。もうちょっとで負けそうになってたことすらどうでもよくなった瞬間である。
 軽く手を添えられただけでそれ以上押し切られることはなくなり拮抗する。長沢さんが力を入れると悠々と押し返して真ん中あたりに戻した。
『どうした、来いよ』
 何となくわかってきたぞ。数字が合ってるかどうかわからないけど、この機械は10秒ぐらい「ウオオオオ」って吠えた後、その時の腕の角度に応じてセリフを言うんだ。だからどうしたって話だが。
 さらに腕を押し込んでいく。
「うわあ。なんか初めての共同作業って感じ」
「ちょっと、やめてよ」
 思いついたままに変なことを口走ったせいで調子が狂って少し押し戻されたが、気を取り直せば相変わらず楽勝だ。
『やるな、だがまだまだこれからだ』
 やっぱり押し返したらこれを言ったぞ。いい感じに想定したセリフがでたのでまだまだこれからだってのを見せていただこう。レベルマックスだ!
『ウオオォォアアアアアアア!』
 うなりボイスが雄叫びに変わる。おまけに人形の目が赤く光り小刻みに震え始めた。表情は半笑いのままなのが不気味だ。
「きゃ」
 びっくりして長沢さんの力が抜け、真ん中に戻された。……正直に言います。俺もちょっとびっくりして怯みました。
 不意打ちでビビらされたのを抜きにしても最強モードはさすがに結構強かった。震え始めたのは何事かと思ったが、下の方に仕込まれていた扇風機が動き出して周りの布をゆらゆら揺らしオーラっぽく見せる演出のためだったみたい。なんかもう、悪乗りが止まらなくなってる感じがする。その裏にも赤い電球があって裏から照らしているみたいだが、二個あるうちの片方フィラメントが切れてるのか片側が暗い。
『どうした、来いよ』
 分かってますよ。
「行くぞ美香!俺たちの……パワーを見せてやろうぜ!」
 思わず愛のパワーとか言い掛けたがそんなことを言ったら二人揃って腰が砕けそうなので思い止まった。
「うん!えやあああああああ!」
「あいたたたたた」
 長沢さんとメカの手の間で俺の手が潰れそうです。あと可愛い気合いで悶え死にそうです。
「ごめん大丈夫?」
「問題ない!」
 俺も押せばいいだけなのだった。一気に押し切れ!
『ウオオォォアアアアアアア!……やるな、だがまだまだこれからだ……ウオオォォアアアアアアア!』
 雄叫びと棒読みセリフの熱量の差で吹き出しそうになるんだが。
 でもまあ、さすがに最強モードとは言え二人掛かりなら危なげもない。長沢さんも細腕とは言えテニスでそれなりに鍛えているわけだし。俺の手も潰れそうになるわけだな。
『ゆうういん。やるじゃないか』
 セリフが棒読みすぎて勝った気がしないが、俺たちの勝ちだ!You Winって言われたのに少したってから気が付いた。これが意味のある勝利だったかは何とも言えないけど、俺たちはハイタッチで勝利を讃え合った。うん。手を握られたり、ハイタッチしたり。こうして手を触れ合えたって言うだけで意味はあったと思えるよね。

「えっとね。私が明弘君を好きになった理由だけどね」
 と言うわけで、気を取り直して本日のメインイベントです。……でも。
「その前に、ちょっと待ってね」
 さっきの腕相撲は騒ぎ過ぎだったと思う。主に腕相撲マシーンが。あの声で物好きが様子を見に来てたりしたら、折角誰にも聞かれないようにとここまで来たのに話を丸ごと聞かれてしまいそうだ。パパさんに聞かせられないような話だ、どんなこっぱずかしい内容になるかわかったもんじゃない。これからエッチなことでも始めるんじゃないかという位の念の入れようで近くに人がいないか確認した。
 廊下に人はいない。体育館の方からはおっさんの低い声で「せいっ、おー。せいっ、おー」という掛け声が聞こえるが、そのおかげで小声で内緒話をていてもかき消されるだろう。大丈夫。
 話を再開というか改めて始めてもらう。
「もちろん、きっかけは市民球技大会の日だけど」
 でしょうね。あの日から俺の人生が激変したんだし。テニス部のみんなで応援に行くつもりが、市民である俺がちょうどいいからと捕まってダブルスを組むことに。そしてその相手が俺のクラスメイトと長沢さんの後輩という組み合わせのカップルだった。まあこの辺は流石に記憶にあるね。そんなカレシ持ちになっていた後輩に見栄を張るべく――。
「カレシのふりをしろって言われてその通りにしてたらそのまま本当のカレシになってたよね」
 で、あの時俺って何かそんな乙女心ずっきゅんしちゃうようなすっごいことやらかしたっけ?カレシのフリの演技に必死で記憶も曖昧なんだけど。そのせいもあってどんな話が出てくるのか聞くのが怖いんだよな。
「中学生時代の私のことは聞いてるでしょ」
 さっきパパさんからも聞いた話だな。恋に目覚めだしたクラスメイトたちにその美貌故に敵視され、男子と喋っているだけで誘惑しているなどと言われ、誰かがコクってフられれば長沢さんを狙ってるから自分は眼中にないと決めつけて。
 ただ単にフられた自分の惨めさとやり場のない感情の矛先が向いただけの八つ当たりだろうが、言われた方は傷つく。ごく一部のノイジーマイノリティだったそういった集団が、流されやすい日和見層をも取り込んでそこそこのマジョリティになると言動もエスカレートして長沢さんは女子の中で孤立する。その一団に見張られているので男子にも近付けない。孤独な中学生時代を送っていたわけだ。
 高校進学を機に言動を大幅イメチェンしたところ、キャラづくりを間違えて変な子になり変な趣味のない男は近寄らなくなったが、逆に女同士ではまあまあうまくやっていけるようになった、とか。
 近付いてきた男というのが吉田が言うところの下僕四天王って奴だ。俺は言ってないけどな。そいつらが長沢さんに近寄る悪い虫を悉く追い払った。特にそこそこイケメンのいかにもな遊び人を中心に。長沢さんとしてもそういう男は苦手だったのでお任せしていたらしい。結果として、高校に入っても男とは縁遠い日々を送ることになった。
 ナイト気取りの四天王も男だが、そいつらはお互い牽制しあうばかりで何もしてこない。スペックとかを比べても俺と四天王なら大差はない。俺でもよかったくらいなら積極的にアプローチしていたらあいつ等にだってチャンスがあったということだ。しかし、誰一人来ない。そのうち四人で長沢さんを巡ってバトルが起こるかとわくわくしていたが全くそんな様子はなかった。卒業ぎりぎりくらいになればそんなイベントが起こったかも知れないが、長沢さんとしては待ってられなかったってわけだね。
 そんな時にあの球技大会があり、ダブルスのパートナーとして俺を捕まえた。中学時代にぼっちだった長沢さんには気軽に誘える知り合いがいなかった。室野の彼女なんかは誘えたんだろうけど、あの時はそもそも遭ってなかったみたいだし、遭っていたとしてもその室野という先約がいた。俺は長沢さんにとってよく知らないけど全く知らないわけではない程度。学年も学校も違うよく知らない人の方が気軽に誘えるというのは皮肉な話だ。
 ダブルスのペアを組み、流れと勢いで恋人の演技をすることになり。どう見ても長沢さんと釣り合っていない俺だが、長沢さんから見てどうだったのかというと、まず絶対条件だったのが現在彼女がいないフリーの状態であること。その気もないのに横取りとか言われて傷つく子供時代の記憶があってのことだが、そんなのは問題なくクリアです。
 まあ、ちょっと遅れてたらあの後急激に火がついたクリぼっち回避男争奪戦に巻き込まれてどうなってたかわからないけど。魅力度ゼロの俺でもマイナスの人たちよりはマシだろうしな。
 で、そんな魅力度ゼロの俺でもよかった理由は。まず容姿に関してだが、長沢さんだってイケメンが嫌いなわけではない。実際見るからに桐生先輩にときめいたりしてたしね。長沢さんくらいの美少女ならイケメンを狙っても悠々とゲットできるだろうけど、いかにもモテそうなイケメンは例のトラウマで苦手意識があり、遠く憧れるところから先に踏み込めない。それにそういうイケメンはモテるのをいいことに女に次々と手を出したり、一途であってもグイグイ来るイメージがあり、見かけによらず恋愛初心者の長沢さんはちょっと敬遠したいと思っていた。
「身近にそういう人がいたの?」
「うーんと。そうでもないんだけど」
 そう言うと長沢さんはいくつか聞いたことあったりなかったりするタイトルを挙げた。ドラマかマンガか、あるいは小説とかなのかは分からないがフィクションの話みたいだね。長沢さんは幼少期の反動でイケメンを取り合うようなものや、むしろ女たちが一人の男の元に集いつつ割と平和な日常を送る男子向けのハーレムラブコメみたいのが好みになったんだが、そのせいでイケメンは八方美人で女同士争って取り合うものみたいなイメージがついてしまったみたい。
 実際がどうであれ、モテ男とつきあえば横取りしようと言い寄ったり、そんな勇気がなくても妬んで嫌がらせしてくる女とかが頻出して気苦労は多そうだ。そういういざこざが嫌なのでイケメンには食指が動かない。その点俺程度なら奪い取る価値はあまりなく、同じ程度のフツメンがいくらでもそこら辺で捕まるのでそっちに流れた方が早い。恋にエキサイティングなバトルより安らぎを求めているわけだ。
 ここまでは基本条件の話。それこそこれを満たせる普通以上イケメン未満の奴なんかいくらでもいる。それこそ高商四天王とかがそうだが、あの人たちは何もしなかったから何も起こらなかったのが明らかだけど。四人で牽制し合う形になってある種膠着状態になっているんだろう。
 で、俺だ。俺も別にモーションはかけたりしていない。思い当たるのはもちろんあの時にカレシのフリでいろいろやらかしたことだろう。あの時は俺の記憶にあるイケメンの霊――主に桐生先輩、生きてるけど――を憑依させていたので記憶が曖昧だ。
 あれは俺であって俺ではない。とは言え、憑依させていたイケメンの霊は俺のイメージが作り上げたイケメン風の架空の誰かであって、原案・キャラデザ・出演すべて俺だ。少なくとも見た目は普通に普通なただの俺だし。
 そんなただの俺が、何をしたのか。思い出せないし別に思い出したくもないんだが、あの時の感じがよかったならやっぱりそれを再現できた方がいいに決まっている。しっかり聞いておくことにしよう。