路傍の雛罌粟のように

10.発言には責任を

 それはとある一言から始まった。
「カレシってことになってるんだからカレシっぽくした方がいいでしょ」
 これを言ったのは俺である。その時まだカレシでもない俺をカレシだと思わせていた相手、長沢さんの後輩である由美子さんとそのカレシである俺の元クラスメイトの室野の近くだったので、聞こえないようにものすごく小声で打ち合わせみたいな感じだった。
 俺の気分としてはそんな感じだったのだが、小声で伝えるには当然耳元に近付かねばならないわけで。そんなわけでこんな打ち合わせ的などうでもいい言葉だったが、男の人に耳元で囁かれるなんて言うドラマみたいなシチュエーションのせいでだいぶドキドキしたらしい。男の人と言ってももちろん俺だけど。
 いや。俺だって美少女の耳元で囁くのは初めてだったから結構ドキドキしたものよ?緊急事態かつイマジネーション上のイケメンが憑依状態だったからできた暴挙よ?乗り切ってすぐ記憶を封印して何もなかったことにしようとしたけど漏れ出てくる記憶の残滓だけで悶えるくらいよ?だってあの時、長沢さんはビクッとして真っ赤になったりしてたし。やべえやっちまったかとか思ってたよ?そのビクッとして真っ赤になったのは俺がやっちまったというよりむしろ長沢さんが想定外にウブだったせいだけど。
 でもまあ、言い出してしまったことだしそもそも俺をカレシだとか言い出したのは長沢さんだ。なので長沢さんもノーとは言わないし言えない。それをいいことに俺もやりたい放題をしてしまった。言動ばかりか、そのカラダにも。
 そのツートップはまず肩にぽんと手を触れたりしてしまったことである。これは社会人であればイケメン以外セクハラに該当する暴挙であり、市長だの議員だのが軽い気持ちでやらかしてよくニュースになってる奴だ。
 これはあれだね、権力を得たことですり寄ってくる女が増えて「もしかして俺ってイケてるんじゃね?」って勘違いしてやらかしちゃう感じだね。権力がなくても、周りのイケメンは気軽にやってるしこのくらいなら平気なんだと思っちゃう危険なトラップだ。いわゆる『※ただしイケメンに限る』ってやつだね。
 そうは言っても、イケメンなら何をしても許されていた時代も今は終わり、昔のノリで好き勝手やっていると吊し上げられるようになってきた。だからいい時代といえるのかどうかは微妙だけど。今でもイケメンなら許すというケースは少なからずある一方、イケメン以外でも許すというケースが増えたわけではない。イケメンはただでさえビジュアルとかのアドバンテージがあるんだから平等になるわけがない。まあそもそもイケメンは面がイケてるということじゃなくてMENとしてイケてることであり、許されるかどうかを論じるようなワルいことをしでかしてる顔がいいだけのただのクズがイケメンに入るのかは疑問だけど。
 おいといて、俺もあの時は仮想のイケメンを憑依させてたので何の気なしにやってしまっていたが、お目こぼししていただけたようだ。長沢さんが気付いてないということはない。肩に触れたとき明らかにびくんとしたし、それで俺も一瞬我に返ったんだし。
 そしてもう一つは更にヤバい。素肌と素肌が触れ合う禁断の行為、ハイタッチである。断じてぱいタッチではない。だが手とは言え本来ならば素肌を触れ合わせるのは服の上からぱいをタッチするくらいには覚悟を要する行為と言えた。
 だがこれには言い訳がある。俺は悪くないんだ。先に手を出してきたのは長沢さんだった。俺のスマッシュが珍しく決まって点を取れた時、長沢さんが何気ないナチュラルな動作で高めに手を差し出してきたのである。距離が遠ければサヨナラの挨拶かこっちだよーの合図のジェスチャーだが、距離は近くさらにこちらに向かって来つつのそれはハイタッチに向けてのそれだと本能が察知した。脳が理解するより先に体が動いていたね。手と手が触れた瞬間脳が停止して状況を理解するのに時間がかかったけど。
 後で聞いた話だと、高商テニス部では日頃から性別の壁を越えて気軽にハイタッチが横行しているらしい。だから長沢さんも何の気なしにいつものようにハイタッチをしてきたとか。例の四天王とやらなんかにはまさに至高の褒美となっている事は請け合いだ。
 そんなわけで、俺としてはヤバいと思っていたハイタッチより肩をポンの方が長沢さんにとっては効き目がでかかったみたいだ。そりゃあ自分から誘ってきたハイタッチよりいきなりやられた肩タッチの方が驚くに決まっていた。セクハラ扱いになるのもやむなしだ。俺の仮想イケメンがやらかした暴挙だったが、フツメンの俺がそれで許されたのは長沢さんにとっての俺も仮想イケメンだったからだった。
 俺にはもちろんイケメンの要素は何一つない。どうやらこれは吉田から聞いた話も合わせると長沢さんはイケメンが苦手らしく、その影響があったようだ。
 顔の好みは普通にフツメンよりイケメンの方が好きなのだが、子供の頃にイケてる男子に惚れられてそれだけで別段つき合ったりとかそもそも告白すらされててはいない方思われだったのにその男子を好きだった友達から泥棒猫扱いされて仲が悪くなったりと言ったことがあってそれ以降イケメンと関わるのがちょっと怖くなったみたい。
 そうでなくても読んでたマンガの影響でイケメンはみんなに優しくみんなに好かれてみんなに手を出すみたいなイメージもあるみたいだし。女子向けの恋愛ものじゃなくて男子向けのハーレムもの読んでないか、それ。まあ女子向けでもそういう男を独占しようとかいうラブバトルもの的なのはありそうではあるな。
 そんな感じでイケメンを避けてきたせいで耐性もない、と。その耐性の無さたるやイケメンと相対すると緊張してしまう。身近な例だとうちの桐生先輩とかが苦手みたいだ。イケメンの上積極的に絡んでくるし、そのくせカノジョ持ち。安心できる要素としてはあくまで桐生先輩にとって長沢さんはちょっと話したことがある程度のただの友達でしかないことだ。
 桐生先輩に関してはそのカノジョの市村先輩がうまく手綱を握っており他の女に靡くことはそうそうない。桐生先輩はシンプルで、ヤれるカノジョがいるのに更に他の女を口説くような面倒なことはしない。たとえそれが美少女であってもだ。逆に言えば「私とイイコトしない?」とか直接的に誘惑されればほいほいついていく可能性はあるものの、今のところそこまでして桐生先輩を奪おうとする女はいないそうだ。一応念のため、ほぼ常時賢者モードに近い状態に追い込むのもコツだとか。こんな話を男子の聞こえるところでする市村先輩も結構ヤバいよ。高校生でこの域に達していないと勝負できないならそりゃあ他の男にいくよ。
 とまあそんなわけで、カラダどころか心も簡単には開けない長沢さんに桐生先輩が手出しすることはない。市村先輩もそう思って安心して友達付き合いを許しているわけだ。
 吉田もそんなクチで初対面ではかなり苦手意識があったみたいだが、桐生先輩に輪をかけて長沢さんに無関心、というか女としての興味はないのが伝わってきて少し警戒心を解けたそうだ。
 むしろ長沢さん相手に興味なしでいられる吉田が聖人君子に思えるが、騙されてはいけない。吉田の長沢さんに対する印象は、顔はかわいいけど性格は面倒、でも性悪ではないし面白いのでいじり甲斐はあるって感じだそうだ。あいつ面倒見はいいんだよな、どす黒くてスパルタだけど。
 そんな吉田の思惑通り長沢さんはあの日自分の殻を一枚破って変わることができたのでその点感謝しているみたいだね。苦手意識もすっかりなくなったというのだから、長沢さんって少しMっ気があったりするのかも。
 一方俺くらいのフツメンが相手なら長沢さんもあまり緊張しない。むしろ相手の方が緊張しているのが伝わってきて余裕が生まれるみたいだ。四天王連中がその典型例で、あいつらが日頃からご奉仕しているおかげでフツメン耐性は上がっている。むしろ自分に緊張しない男は苦手っていう感じかも知れない。
 俺はもちろん、長沢さん相手だとガチガチに緊張するタイプの人間だ。今だって我ながら見事なまでにぎこちない。いつもお世話になっている仮想イケメンがいるからどうにかなっているだけで、素のままじゃカレシっぽくなんて振る舞えない。それでも通常会話くらいなら素のままでもできるようになっているんだから大きな飛躍だ。もちろん人類にとってはあまりにも小さな一歩なんだけど。
 当然長沢さんも俺の緊張を感じて、その分自分では落ち着けるそうだ。でもその心のガードが緩い状態でいきなりイケメンアクションされると効き目が大きかった。ギャップ萌えの一種かも知れないね。これだけだとなんか騙し討ちしてるみたいになるけど決め手はこれだけではない。
 イケメンが憑依していようが、そのこっ恥ずかしい科白を吐いているのは俺だ。俺なら絶対言えないから俺じゃないどこかのイケメンのつもりで言うのだが、結局主演脚本演出全部俺でしかない。言い終わってから悶絶したいのを必死に我慢している。素に戻って家で一人になったら思う存分悶絶しているさ。そうやってうまく騙せてるつもりだったが、全然騙せてなかったようである。自然体を装っても緊張とか、言った後の恥ずかしさとか、全然隠せてなかったらしい。
 でもそう言うのがほぼほぼバレていたことで、長沢さんは俺が自分のために頑張ってくれていると勘違……感じてくれたらしい。頑張ったと言えば頑張ったかな、仮想イケメンがやらかしたことの後始末、主に過ぎ去りし時に悶えてそれをなかったことにする自己暗示に。やらかす時点では努力はしてない。それ以降はあの日限りだと思ってノリだけでやっていたイケメンキャラを再現するのに頑張っているけどね。
 とにかくまあ、そんな感じで確かに色々頑張ってはいた。それが長沢さんも嬉しかったそうだ。それが四天王連中との大きな違いだったわけだ。
「え。頑張ってないの、あの人たち」
「頑張ってないとは言わないけど……頑張り方がちょっと違うのかなあ。テニス部のためにを頑張ってるっていうか、私に褒められるために頑張ってる感じ?」
 先述の、長沢さんのハイタッチ。長沢さんを喜ばせたいと言うよりそのご褒美が欲しくて頑張っているわけだね。長沢さんにその我欲もちょっと透けちゃってるのかも。下僕に徹して身に余る光栄までは望みはしないけど、つまりは出過ぎた真似もしないわけで。それならまあ、トキメかないわな。言い換えればあいつらが覚悟を決めて長沢さんに今の俺みたいな出過ぎた真似でアタックし始めたらそこにキュンと来てコロッといっちゃうかも知れないのか。油断してちゃいけないな。

 こうして俺が作り出した仮想イケメンのやらかしたことが長沢さんのハートに火をつけたということだった。確かにあの時の俺の立場ではやらかしでしかないのだが、最近では日常なんだよな。思えば遠くに来たものだ。
 しかししみじみしている場合ではない。何で長沢さんが俺ごときを好きになってくれたのか、その理由については長沢さんの過去が作り上げた事情の面からもあの日の俺のどこがよかったのかという点からも大体はっきりしてきた。イケメン風に迫ってくるのがドキドキしてトキメいちゃうわけだ。しかもそれをやってるのがイケメンとほど遠い俺であるのが良いようだ。
 実際そんな風に長沢さんに迫ってくるイケメンだって居たわけだが、ナチュラルにそんなことができるような奴がいつも通りに迫っても長沢さんの心は動かない。俺みたいのが無茶して身の丈に合わない科白を吐いて自爆ダメージで悶えているのが良いのだろう。長沢さん自身も女王様みたいなタカビーキャラを演じているだけあって自分のために無理して頑張るような尽くす男が好みなのかも。
 それを踏まえた上でこれから俺がどうすればいいのか、どうすれば長沢さんが喜んでくれるのかも概ねはっきりしたわけだ。
 つまりは長沢さんをしっかりトキメかせるためにこれからもイケメンムーブを継続しないといけない。ありのままの自分だけ見せてたら心が離れてしまうかも。この程度の頑張りは最低限見せていかないとね。
 何せこの話をしている間の長沢さんだって相当頑張っていたのが見て取れた。好意を抱いている相手にその理由を話すなんてのはコクるのと同じくらいのエネルギーを消費する。今の俺でさえ自分のことを長沢さんが好意を抱いている相手なんて考えているだけで大概なんだから。
 そういえば、俺たちって恋人ごっこをしてたら本当に恋人みたいになってた感じで、ちゃんと告白とかしてないんだよな。うむむ、俺も頑張りを見せると目標を掲げたところだし、これは俺も長沢さんのどこが好きなのかちゃんと言葉にしないといけないよな。
「それじゃ、今度は俺の番だよね」
 まずこれを言葉にして、退路を断つ。こんなことは不退転の覚悟がなければ無理なことなのだ。
 まずは長沢さんのどこが好きなのかを考える。全部だと言い切ってしまうのは容易いが、その全部がどう好きなのかそれぞれの項目について理由をつけていこう。
 まず、容姿についてだがこんなのは好きにならない方がおかしいくらいの美少女なんだから今更論ずるまでもない。長沢さんだってそんなのは分かり切っているのだ。吉田が興味なさそうに何も考えてない風情でさらっとかわいい連発してたけど「当然よね」みたいな反応してたし、自分でも言ってるし。
 なのでこの辺からいっとく……のはいいんだけど、面と向かってほめるのはちょっと照れくさくて勇気がいるぞ。目が真冬の水泳大会実施中だぜ。その視線が腕相撲マシーンにロックオンしたが、このくだりはさっきやった。そしてさっきなんでいきなり腕相撲マシーンのくだりが始まったのか理解した。話す決心が固まるまで何でもいいから時間稼ぎしたかったんだね。長沢さんに先にやられてもうこの手は使えないが、俺にはおなじみ仮想イケメンがついている。お任せするだけだ。
「言うまでもないけど容姿は文句のつけようがないよね」
「とっ。……当然よね!」
 このリアクションについては半分想定内。でも長沢さんが真っ赤になって挙動不審になるのは想定外。やりにくいが見なかったことにして続きを言うことにする。
「顔はとびきり可愛いし、スタイルも……ちょうどいい」
 スタイルが良いとは断言し辛い所があるのは認めざるを得ないか。一般的にスタイルが良いというのは多少古い言い方になるけどいわゆるボン・キュッ・ボンということになるのだろう。スレンダーなタイプの長沢さんは残念ながらそれには該当しない。
 でもさ、長沢さんの美少女フェイスがそんなボディに乗っかっていてもミスマッチだと思うんだよ。そういう体にはたとえばセクシーなメガネ女教師とか金髪女戦士とかそういう顔が乗っかっていればいい。まあ俺の好みではだけど。
 それ以前に顔だけでも眩しすぎるのにそんな悩ましい体だったら色々色気に耐えられない。そういう意味でも程々でいいんです。要するに体型もストライクなのだ。もちろんそんなこと言えるわけがないけれど。
「えっと。ちょうどいいって言うけど……私ってその、そんなに、むっ。むねっ。大きい方じゃないけど、それでもいいの?」
「もちろんさ、むしろちょうどいいってその話だよ」
 そんなこと言えないって言ったところなのに――心の中でだけど――言わされたんですけど。っていうか思わず言っちゃったよ!
「な、何にちょうどいいの!?」
「ご想像にお任せします」
 さすがにこれは本当に言えない。言えないけど、想像には難くないと言うか無駄に想像力を掻き立てると言うか。勝手に何か想像したらしく長沢さんは見てられないレベルで真っ赤になってしまった。さっきのがマックスじゃなかったんだ。って言うかちょっと、長沢さんのイメージの中で俺は一体何をしてるの。いや勿論これも想像には難くないと言うか無駄に想像力を掻き立てるというか……想像しちゃダメな奴だ。
「見た目についてはこんな感じで十分だよね!」
 見た目以上の、触り心地とかまで論じた気分だし。十分どころかやり過ぎだった。俺は本当に見た目までしか言ってないはずなんだけど。まあいい、その見た目についてはもはや論じるまでもない。本当は論じたかったけどこれ以上触れてもまた触れる方向で話が進みそうだ。見ることができる物は触れることもできる物、見えない内面の話をしていればカラダにはノータッチでいけるはず。
「見た目も可愛いけどそれでも控えめなところも可愛いね。……性格が」
 長沢さんの目線が自分の胸元に向いたので一言追加。それも控えめなのはわかったけど終わったんだよ、その話は。
「私って、控えめに見える?むしろ偉そうな態度だと思うんだけど」
 確かに普段は自信家みたいなキャラだ。でもそれは作ったキャラであり、表面上の姿。いざという時は度々素のままの姿を見せている。と言うか。
「俺にはあまりそういう感じじゃないよね」
「そう言えば、そうかも」
 本当の自分で接してくれているってことだね。
「私の高ビーキャラって、元は変な男が寄って来ないように始めたところもあるのよね」
 まあそのキャラのせいで、下僕気質のある別な方向性で変なのが寄って来てるんだけど……長沢さんの言う変なのにはそう言うのは含まれていないんだろう。
「だから、変な男じゃないと判るとやめちゃうのよ。疲れるし」
「……四天王にはやめてないんだよね?」
 いや、その人達ってのはさっき言った変なのの事だから俺は変だと思ってるよ?
「あの人達はなんか、あんまり親しげにすると却って緊張しちゃうみたいなの。まあ仕方ないわよね、私って可愛いから」
 長沢さんの可愛さで緊張してるのか、対等な扱いに緊張するのかは本人達にしか判らないだろう。どっちにせよ、そこでその緊張感に抗って下僕を抜け出し友達への一歩を踏み出そうとしなかったのは彼ら自身の選択だ。放っておいていい。それよりあいつらの話をしている影響か自分のことを可愛いとか言い出すいつもの感じが出てるね。
「男除けのつもりの変なキャラでも、むしろそれで寄ってくる男もある程度の数いるものだよ。その四天王とかそれだろうし、変なキャラを見るといじり倒そうとする吉田みたいのもいるし」
「変な女の子の方が好みってこと?」
「まあそんなところだね」
 四天王が下僕気質かどうかははっきりしていないんだし、無難なところでそう言うことにしてしまおう。失敗キャラ変のキャラに引き寄せられたなら強ち間違ってもいないだろうし。
「じゃあやっぱりあのキャラは続けた方がいいのね」
「そうだね」
 俺が決めることじゃないけどな。想像通りならあいつらを喜ばせるだけの選択だし。でもありのままの長沢さんで接することで距離が縮まりかねないならそれは阻止だ。
「でも別にいいわ、今は明弘君がいるもん。明弘君の前じゃ演じなくていいから」
 そしてそんな俺はバリバリイケメンを演じてるわけだけれど。とは言え話が逸れてたから今は通常モードかな。イケメンを演じるのは消費エネルギーが大きいので雑談の時まで維持してられないのだ。更に言えば通常からイケメンモードに切り替えるのもエネルギーを使うからあんまり長引かせるとだれそうなので、ここからはもう一気にいこう。
「見た目も可愛いけどそれでも控えめなところも可愛い」
 大事なことだけどだから2回言った訳じゃない。一旦話を戻したかったのと、もう言ったことならそんなに覚悟とか必要じゃないからだ。これで勢いをつけて駆け抜ける!
「特に女の子が相手だと普通に控えめだよね。可愛いマウントとかとろうとしないのが印象いいよ」
 それは子供の頃のトラウマが元でマウントどころか普通に喋ろうとしてもおどおどしちゃうだけなのは知っているけど、結果的におとなしくて可愛く見えるのだから別段恥じることもないのだ。
 それにすべての女子が苦手と言うわけでもなさそう。例えば室野の彼女の由美子ちゃんとはだいぶ砕けた雰囲気だった。中学で2年間は先輩後輩としてつき合ってきた上で久々に見かけたら向こうから声をかけてくるくらいには懐かれているし、長沢さんも気軽に対応していた。いつの間にか室野という彼氏ができていたことでだいぶ戸惑ってはいたけどね。
 謂われ無きNTR疑惑のトラウマのせいでカレシ持ちの女の子には特に心を開けない長沢さんだが、室野に関しては心配いらないだろう。たとえ室野が長沢さんに対してフツメンが好みなら俺でもイケるんじゃね?と考えたとしても、由美子ちゃんから乗り換えようなんてするタマじゃない。
 まず由美子ちゃんがいなくても長沢さんにアタックする度胸なんてない。その度胸があったら中学生時代からカノジョの一人くらいいただろうし。
 また話が逸れたが、長沢さん自身はダメな部分だと思っているらしい同性に対して一歩引いてしまうところも、俺には奥ゆかしく見えるのだ。人を傷つけたくないと思っている証拠でもあるしね。
 そして、男に対しても。
「イケメンが苦手だからだろうけど、それでも普通の男に構ってあげてるだけでも優しいと思う」
 例えば四天王なんか放っておいていいと思うのだ。イケメンじゃないからつき合いやすいと言うのもあるんだろうけど、だからと言ってアタックしてくるわけでなし、お友達というほど打ち解けているわけでもなし。そんなのをいつまでも身近に侍らせているのは優しさだと思う。本当に下僕としてこき使ってるならわかるけど、そういうワケでもないみたいだし。「優しいのかな?冷たいキャラで接してるけど」
 冷たい雰囲気を演じていても所詮演じているだけだからすぐに地が出る。だからじっくりつき合ってると強気なフリをしているだけの変な子だと割とすぐに気付く……らしい、吉田によると。
 そもそもだけど、あのキャラは冷たいというのとはちょっと違うような気がする。少女マンガの意地悪なライバルキャラみたいのをイメージしたんだろうけど、どちらかというとラノベのお嬢様とかお姫様キャラっぽいんだよなあ。
「キャラはキャラだからね。それに、そのキャラだと疲れるっていってたのは君じゃんか。四天王は無害な連中だって思ってるなら喜ばせるだけでしかない演技をして接してやる必要なんてないのに、身を削って演じてる時点でマジ天使じゃない」
「天使って……。大げさだって。それにあれは別にあいつらの為だけじゃないよ。ずっとああいう感じだったから、今更やめられないってだけだってば」
「それもそっか。でもまあ俺には本当の長沢さんを見せてくれているのも嬉しいよね」
「う。まあ、見せちゃってるのかな」
 演じなくていいと言う言葉にも表れてたけど、これは高校に入ってから知り合った男子の中では希少な例だろう。そう言えば、キャラ変以前のたとえば中学生時代とか男子とはどんな感じだったんだろ。後で気が向いたら聞いてみてもいいけど、今はまあいい。
「もっと色々な、ありのままの君を見せてほしいな。俺だけに」
 と言うことで、話を締めた。――つもりだった。しかし、長沢さんが終わらせてくれなかったのだった。
「み、見たいの?」
「……えっと、何を?」
 なんかスゴいモノを見せてくれそうな口振りなので思わず聞き返しちゃった。俺としては『飾らない君』だったり『ちょっと背伸びした君』だったりを想定していたんだけど。
「だって、明弘君だけにしか見せられない、ありのままの姿っていうと、その」
 ものすごく言い辛そうなあたりから推測して確認してみる。
「もしかして、そういうのって『生まれたままの姿』とか言わないかな」
「そう言えばそうよね!」
 想像は正したかったが、気付いてよかったのかどうなのか。見たいとか答えなくてよかったけど。見たいかどうかで言えば見たいよ?でも、もっと深い関係になってからでいいと思う。刺激が強すぎる。と言うかいきなりそんなものを見せてとか言い出すキャラだと思われてるの!?
 強いて言えばラッキースケベ的な事故ならまだいい。とりあえずその場はごめんと言って逃げて、後でもう一回ちゃんと謝ればいい。しかし覚悟を決めて女子の方から見せてくれるというシチュエーションはそうはいかない。こちらも覚悟を決めて直視し全てを見届けなければならない。逃げるなんて以ての外だ。吉田が食わず嫌いは男の恥みたいなことを言ってたけど(吉田註:据え膳食わぬは男の恥、誘われたら乗らねぇ奴は男じゃねえってことだ。要はプライドの問題だが、そんなこと言ってる奴は大体スケベを正当化する口実に使ってるな。なお現実にはツツモタセとか地雷女なんてケースもあるから誘いに乗るときは慎重にな)、今はまだ食いつく方が恥ずかしい。って言うか註が長えな。
 もっと親密になれた時にはお互い覚悟の度合いも小さくそんなことができるようになるんじゃないかな。そうなってからで十分だった。
 って言うかなんでそんな今の段階では考えられないような事態について考えているんだ。……どう考えても長沢さんが変なことを言ったせいだった。
「さっきから変な想像しちゃうんだけど。変な合いの手入れないで」
「な、何の想像してるの!?」
 そりゃあ、まあ。生まれたままの姿がどうこうという話をしていたんだし、言うまでもないし言えません。
「ご、ご想像にお任せします」
「またそれぇ!さっきもそんなこと言うから私の脳内で明弘君が私の胸をっ」
「な、何て想像してるの!?」
 胸をどうしたというのか!?って言うか、想像に任せておいたら俺は想像しちゃダメな奴だと振り払ったイメージを長沢さんは思いっきり想像していたみたい。今回も想像に任せていたらものすごい想像をされそうだ。
「変な想像させたのは謝るけど、そもそも胸の話を振ってきたのは長沢さんだからね?」
「そうだっけ?」
「胸がそんなに大きくないけどそれでもいいのかとか」
「あ。そうだったかも」
 忘れないで。俺もこの話題はやばいと記憶から消し去ろうと試みてはいたけど。まあすんなり思い出せてるあたりから失敗しているのはバレてるね。
「うう、恥ずかしくて言えないようなことを思い切って言った直後だからテンションおかしくなってる……。今なら恥ずかしいことどんどん言えちゃう」
 恥ずかしくて言えないことも言えるけど、言うと恥ずかしくなるのは変わらず。制御が利かず自滅するモードに入っているらしい。イヤなモードだった。とは言え。
「奇遇だね、俺も似たようなものだよ」
 俺のイケメン憑依も俺が言わないようなことを言っちゃってるという点では同じだ。やらかした後の気持ちはとてもよくわかる。
「言える間に言いたいことを言って、終わったら何も考えず言っちゃったことは忘れればいいのさ」
 え?自分の言ったことを忘れてた長沢さんに忘れないでってたった今ツッコんでたばっかりじゃないかって?そんなことは忘れたね。
「う。そうよね!言いたい時に言いたいことを言ってお互いに忘れるのが最高よね!」
「後になって蒸し返されるのもとても恥ずかしいしね」
「そうよね……」
 長沢さん自身もまさに今し方、言うだけ言ってすぐに記憶から消し飛ばしていた発言を蒸し返されたところなので身に沁みている模様。
「でもまあ。言われた方は簡単には忘れられないと言う現実もあるんだけど」
 悪いことなんかは特にそうだけど、言った方は1分後には忘れているようなかるーい気持ちで言った悪口なんかが言われた方は10年経っても忘れてないとかありがちだ。良いことだって似たようなもので、本人は何か言わなきゃみたいな状況でノリだけで何かそれっぽいことを言ったらそれが誰かの心に刺さりその言葉で人生すら変わったりする。夏岡修三なんか良い例だ。いろいろ名言はあるけど絶対全部ノリで言ってそうだもん。(作者註:個人の感想です。あと当作品はフィクションであり登場人物は名前が似ていても実在の人物とあまり関係ありません)
 今回の例でも、俺は言ってる傍から記憶も意識も飛んでたような発言が長沢さんに刺さりまくって今後もよろしくお願いしますってなことになっていたり、変なテンションのせいで何も考えずにうっかり出ちゃった発言が聞き捨てならなくて思わず蒸し返しちゃったりしているくらいだし。
「って言うか、私何を言ったっけ……。明弘君の話が始まってからの自分の発言、よく覚えてない」
「ええと、演じてるキャラが冷たいキャラだってのと、後は今言った胸の話と、生まれたままの姿がどうこう……」
「それは私は言ってない」
 鬼気迫る顔で返された。
「うん、そうだね。イメージしてただけだったね。……何でそんな想像してたんだっけ」
 俺のせいだった記憶がうっすらとあるんだけど。
「明弘君が言ってた『ありのままの君を見せて』って言うのを勘違いしちゃったんじゃない」
 言ったっけ、そんなこと。……言ったか。うん、言ってた。
「可愛いとか優しいとか天使だとか本当の君が見られてうれしいとか言われてすごく恥ずかしくなっちゃってさ、黙って聞いてられなかったの」
 言ったっけそんなこと!?……あ、うん。言いました。
「だから終わったから言ったの忘れてた発言を蒸し返すのはやめよう。ね?」
「そうね!」
 蒸し返すことでダメージを受けるのはきれいに忘れていた発言を蒸し返される側だけではなく、言われて恥ずかしさのあまり心に焼き付けていた言葉を自分から言わされる側もだ。まして、後で言われたことを思い出しただけでもじたばたしそうな言葉を言った本人に告げるのはかなりキツかった。今の長沢さんも同じであろう。これ以上こんなこと続けてたらお互い身が持たないので即座に同意された次第である。
「ねえ、明弘君。私もう我慢できないの。このまま、ここで……」
「こ、ここで?」
 潤んだ目を俺に向ける長沢さんに俺は問い返しその先を促すことしかできない。長沢さんは迷いなく続きの言葉を紡いだ。
「地面に転がってジタバタしてもいいかな?」
 それは俺は部屋に帰って一人になったら思う存分やるやつそのものであった。
「奇遇だね、俺もそうしたくてうずうずしていたところさ」
 しかし、今は二人ともノリと勢いだけの言動で大きな精神的ダメージを受けたばかりなのだ。軽はずみな行動はしない。
 お掃除道具を持ってきた。○スキンのパチモンである。いや、妙齢の男女二人の時にこの伏せ字は誤解を招きそうなのでダス○ンと書き直しておく。伏せ字の意味がなくなったがまあいいだろう。
 地面と言っても床、床と言っても倉庫の床。そこまで汚れてはいないがそのまま転がって俺たちがモップになったらさすがに汚れる。しっかり拭っておいた。これでいい。
 俺と長沢さんで二人で床にひっくり返り、心行くまでじたばたごろごろしたのであった。