路傍の雛罌粟のように

08.体が反応しちゃうひみつについて

 俺の隣には長沢さんが並んで座っている。手を伸ばせば触れられそうな距離だ。
「明弘君。すごいの、教えてね」
 その言い方はちょっとどうかと思うけど、俺は頷いた。そして始める。指を小刻みに動かし、クリクリクリクリ、と。
「ひゃあっ……ダメだよ明弘君。そんなに早く動かしたら……」
「気になるかも知れないけど、俺の手を見る必要はないんだよ。それよりも下の方を見て」
 まあ、それどころじゃないとは思うけど。って言うかそろそろ俺も我慢できないかも。まあ、我慢って言うのかどうかわからないけど……そろそろぶっ放さないと訳が分からなくなりそうだ。うん、いっちまえ。
「うわあ、いっぱい溢れてくるっ、あああ、どんどん高く……高く……死んじゃう、あああもう死んじゃう」
「必死にならなくていいから、俺の方を見てごらん」
 ラッシュを掛けるともう長沢さんは高みまで行き切って崩れた。抗うのをやめたせいもあるかも知れないが、足掻いたところで同じ結果だったかろう。
「ふう……。もう、よくわかんなかったよ」
「じゃあ今度は、俺と同じようにやってごらん。ゆっくりやるからさ」
「うん」
 今度は長沢さんが俺と同じように動く。ぎこちない動きではあるが、待ってやればどうにか追いついてこられる。
「それをここに入れるんだ。やってごらん」
「うんっ。……うわあ、すごいすごい、こんなの初めて、気持ちいい!」
 頬を上気させて蕩けるような表情をする長沢さん。
「まだまだこんなもんじゃないぜ。よし、このまま続けてやってみよう」
「うんっ」
 どうせもう同じようにはできないのだから、ここからはお互いやりたいように。
「初めてって言ってたけど、どのくらいならできてたの?」
「2連鎖ならどうにか。うまく行けば3連鎖もいけるけど、まさか上に置いて下の方を消せるなんて……」
「折り返しって技だよ、これでも基本。……さーてこっちはそろそろおじゃまに埋もれてた最初に組んでた奴が丸出しになるよ?」
「えっ嘘……あんなにあったおじゃまがもう!?って言うか小刻みに落としてくるのやめてよっ」
「消してると勝手に落ちちゃうんだからしょうがないじゃん?さあて、ここにこれを入れちゃってもいいんだけど……こうしてさらにこう、こう、こうすると」
「えっ。ヤダ、ちょっと。まさか……あああ、ダメダメやめて許して、そんなにっ……いやあああ、赤いのはダメえぇっ。あああ、落ちる、落ちてくるっ……ああああああ。ばたんきゅー……」

 試練は終わり、俺はパパさんのゲーム相手として認められ、ここに残ることを許された。せっかくなので、長沢さんにもぶよぶよのコツを教えてあげていたのだ。もちろん、俺の腕前だって初心者のうまい方かぎりぎり中級者ってくらいだが、初心者相手なら教えられることもある。基本的な積み方くらいは当然のように知ってるし、序盤COM位の相手なら対戦しながら連鎖だって組める。
 そして、長沢さんの腕前だが。うまくはないと聞いていたが本当にそうだった。今日が初めてだったの、とか言われても全然信じられるくらいである。頑張れば3連鎖もいけるとは言っていたが、横で見ていてもそんな感じであった。ひとまず同じ色同士で縦に積み上げていこうとはするのだが、当然すぐに今までにない組み合わせが来て違う色で縦に重ねないとならない場面も来る。そうするとあっという間にグダりだす。
 そしてそれ以上に、対戦相手の動きを気にしすぎて自分の方が疎かになっている感じである。こっちが消し始めると手を止めて成り行きを見てしまう。それ以前に俺の操作そのものに気を取られて俺の手元まで見てくる。いい勝負ができているならずいぶん余裕があるなと思う所だが、どう見てもむしろ逆で余裕がなくなってテンパっている。そんな感じなので動きも遅い。
 なので、まずは積み方から教えることにした。とことんモードでじっくりやった方がいいかとは思ったけど、長沢さんを相手にしながらでも余裕だと踏んだのだ。その読みは正しかったが、完全に失敗だった。こっちは余裕だったが、長沢さんにこっちを見る余裕はゼロである。いや、見てはいるのだがテンパった余裕ゼロの状態で見ているのだ。これでは覚えるどころではない。案の定、よくわからないと言われてしまった。
 ならば、同じようにやってもらうのが一番だろう。幸いこのゲームは自分も相手も同じ順番でぶよが出るから、同じく積み上げていくことが可能だ。長沢さんの動きをこっちが待ってあげているので長沢さんも落ち着いて真似をすることができた。そして、待っている間にこっちもじっくりと次の手を考えられる。おじゃまが降ってこないことが分かっているので余裕をもって連鎖を伸ばすことができた。それを長沢さんに消させて体感させたわけである。体感しただけで積み方をちゃんと覚えられたかは不安しかないけど、その辺は練習次第だな。
 俺と同じくらいのパパやずっとうまい拓斗くんに教わってもいいんじゃないかと思えるが、パパに教えてもらうのはなんかヤダとのこと。パパさんがとても悲しそうであった。そして、拓斗くんとはレベルが違い過ぎる上に教えるのが下手なのだそう。そりゃあまあ、まだまだ教わるばかりで教えることなんてあまりない年頃だもんな。中学生になればまだ上下関係もできて下級生の面倒を見る機会も増えてくるけど、小学生じゃあな。
 そしてもう一つ問題点がある。長沢さんの覚えが悪くて拓斗くんから拒否されているとか。その点、俺なら長沢さんがどんな下手でも投げ出さずにずっとやっていられる自信があった。ぶっちゃけ、長沢さんが進歩しなくてもずっとこのままでいられるなら楽しいじゃんと思ってしまう。進歩できたならそれはそれできっと幸せだろうしな。
 とりあえず、しばらくは基本技の反復練習が無難だろう。いくらでも付き合ってやるさ。しかし今日の所はもうそろそろパーティの準備もできそうだしこんなところかな。

 パーティでの俺の席は上座である。ゲストとして家長であるパパさんと同格扱いだ。つまり俺とパパさんが隣り合わせである。カノジョの家でのクリスマスで俺の隣にカノジョがいないってどうなってるの。
 さらにパパさんの第一声は怒りの一撃だった
「会話がとてもけしからん感じだった。猛省したまえ」
 うん。それは俺もなんか思ってました。あれを録音して高商の四天王に聞かせたら悶え死ぬよな。ただゲームやってただけなのにね。まああいつらからすれば長沢さんと二人並んでゲームやってるってだけでも憤死ものだろうけど。
「気持ちよくなっちゃって、ついよ、つい」
 長沢さんがフォローしてくれたがそれだけ聞くとまた誤解を呼びそうな発言でもあった。
「まあぶよぶよは大連鎖の爽快感が売りみたいなものだしな。連鎖が決まると気持ちいいのは確かだ」
 パパさんもそれは認めざるを得ない。
「でも、ある程度までいくと連鎖の潰し合いになってスカッとしない泥仕合だらけになるんですよねー」
 うんうんと頷き合うパパさんと俺。
「その合間に連鎖伸ばしていって一気にトドメ刺すのが楽しいんじゃん。相殺どころかやり返されることも多いけどさ」
 より高い次元からの拓斗君の発言であった。このレベルまでいくと向こうが連鎖を始めたらこっちも連鎖を発動させて効果的に相殺したり、降らされたおじゃまですら当然のように連鎖に組み込んだりするレベルだ。そしてあの拓斗くんにやり返せる友達がいることに驚きである。切磋琢磨できる友達がいるからここまでうまくなったわけか。考えてみりゃ俺には友達も普通のしかいなかった。切磋琢磨して磨かれるのは普通ぶりばかりなり。
「……パーティが終わったらとことんで何連鎖出せるか勝負しないかい」
 周りに普通しかいなくてもいるだけマシである。周りに普通がいないのでこれまで普通の土俵での対戦ができていなかったパパさんからの提案だった。
「それはそれで派手さだけの泥仕合になりそうなんですけど」
 俺が懸念を述べると更なる恐るべき予想を打ち出すパパさん。
「派手さが出ればいいのだけどね」
 お互い大連鎖狙いすぎて凡ミスしてどっちもマックスが5連鎖とかいう地味な結果もあるのか……。普通あるあるだ。
「そういうのは後でやってくれない?せっかくクリスマスに明弘君が来てくれたんだよ。二人っきりになりたいじゃない」
 長沢さんが口を挟む。それってもしかして、部屋で……?
「さっきの続き、しよ?」
 さっきの気持ちいいすごいことの続きだよね。よっぽど気持ちよかったんだろうね、連鎖。ゲーム機はたぶん居間にしかないからここでだよね。部屋のテレビに繋ぐこともできる可能性はあるけど。
「なんか言い方がけしからんな」
 パパさんやめて。けしからん想像をしないように必死に現実を見つめているところなんだから。さっきの続きがもっと気持ちいいことになる可能性とかさ。別なことでダメダメ死んじゃうって言わせてとか。
「え?なんで?」
 不思議そうな長沢さん。って言うか今日の長沢さんはゲームしている時の声からしてなんかいかがわしいんです。全然自覚が無さそうなのが怖い。
「私たちが新婚の頃はよく言ってたわよぉー、『さっきの続き、しよ』って。友達からの電話とかで中断しちゃった時とか、美香が生まれたら泣き出して中断なんてのもよく……」
 ママさんなんてことを。さすがの長沢さんも何のことか理解して真っ赤になってて見てられません。
「子供の前でそういう話すんなよ!」
 拓斗君に全面同意せざるを得ない。とは言え、言わないと長沢さんには何のことかわからなかったかも知れないんだよね……。
「さっき気持ちいいとか言ってたことの続きをしたいんでしょ」
 やめてあげて。もう長沢さんのHPはゼロよ。エッチな話だけに。
「おい由紀江、もう酒飲んでるんじゃ……」
「当然じゃない。こんな日に飲まないなんて馬鹿げてる」
「こんな日はいいが時間が早すぎないか。まだ昼間だぞ」
「だからひっかけるくらいよ」
 ひっかけただけでこのテンションになるのか。本格的に飲み出してさらにテンションあがったらどんなことになるやらだ。
「せっかくだしあなたも飲んだら」
 と、パパさんを――ではなく明らかに俺の方を見て酒を勧めて来るママさん。
「俺、未成年ですけど」
「バレなきゃへーき!」
「いやいや、家に帰ったらさすがにバレますって」
「えー?今夜は泊まっていくんじゃないの?」
「それはもう、もちろん……泊まりませんが」
 そもそもパパさんに呼び出されてきたのだからできれば早く帰りたいというくらいの、早く帰れない時はパパさんに葬られた時だという位の覚悟で来ていたのだ。泊まるどころか明るいうちに帰る気満々だったわけだ。今は多少ゆっくりしていってもいいかなとは思っているが、流石に泊まるのは無理。
「ママ、私たちはまだそこまでの関係じゃないよ!」
「知ってるわ。だからこそ、お酒の力を借りなきゃ一線を越えられないかなって。酔った勢いで既成事実を……」
 恐ろしいな、酒って。未成年者の飲酒が禁止されるのも納得だ。俺は当分酒が怖い。っていうかママさんちょっと飲んだだけでこのテンションなの?マジで酒怖い。
「俺が呼び出した日にそんなことになったら俺、死ぬよ?いいのママ、俺が死んでも!」
 パパさん地が出てる。って言うかパパさんが怖いっていう意識がすっかり無くなってるなあ。どちらかというと今はママさんの方がヤベエと思うんです。この人R指定っすわ。

 昭和のテレビでは一家団欒の時間に濃厚なラブシーンやお色気シーンが流れることがたびたびあり、お茶の間が気まずくなることがたびたびあったそうである。
 そして時は流れ。長沢家のリビングではその様子が再現されていた。ママさんとパパさんの初めてのクリスマスの思い出話になったのだが、ママさんとしては清いまま過ごした高一の聖し夜以来となるクリスマスデート、しかも晩秋頃につき合い始めて待ちに待ったその日。経験の方も三人目だったので実にすんなりと事に及んだそうであるがそんな話は聞きたくもないのであった。特に、この状況で。まだ手も繋げない、恋人という事に実感が湧ききっていない麗しき乙女の横で、聞くに堪えない猥談などとんでもないのである。
「こんな話は聞いちゃいけない。どこかに行こう、逃げよう地の果てまで」
 俺が肩に手を回して促すと、小さく頷いて立ち上がる。
「お、おう」
 こうして俺は拓斗君と二人、居間を脱出――
「明弘君!?何で拓斗なの、私を連れて行ってよ!」
 する前に長沢さんに呼び止められた。
「高校生と小学生じゃどっちに聞かせないようにすべきか明らかだし!それにこんな話の最中に二人で消えたらどこで何をしてることにされるかっ!」
「ううっ!」
 と言うかこんな話を聞いた後に二人きりになったら気まずいなんてものじゃないのである。
「パパ、拓斗をお願い」
 割と無難な選択だが、それはそれで俺と長沢さんの二人でこの話を聞かなきゃならない気まずいアワーが訪れる気がする。そしてパパさんにも不都合があった模様。
「待て待て待て、ママを放ってどこかに行ったら何を言い出すかわからんぞ!俺さえ忘れている恥ずかしい昔話をされてはかなわん!」
「そんなのあるの?」
「ない!ないはずだ!ないはずだが……酔った勢いでのこととか、黒歴史すぎて封印した記憶とか絶対無いとは言い切れない」
 酒と若気の至り怖え。若気の至りに関しては俺も他人事じゃないし。
「最悪本人がいないことをいいことに話を盛ったりとかありそうだよね」
 たとえば吉田ならやりそうだよな。
「それはママに限っては絶対あり得ない!」
「でも今酔っぱらってるよ」
「絶対なんていうものはあり得ない……」
 とりあえず、ママさんと酒怖い。

 結局、パパさんがママさんをどこかに連れて行くというのが最善の一手だと結論が出た。俺もそれが正解かもと思いました。
「拓斗、しっかり二人を見張っておくようにな」
「はーい」
「しっかり!しっかりだぞ!」
「ほーい」
 砂漠地帯の昼夜くらいの温度差があるやりとりだ。これは拓斗くんに見張る気なんてない。そしてパパさんが姿を消すと即座に拓斗くんは動いた。
「さあて。後は若い二人に任せてお邪魔虫は消えますか」
 一番若い拓斗君はそう言ってどこかに消えた。部屋には俺と長沢さんだけが取り残される。
 長沢さんが拓斗君の出て行った引き戸を開けた。拓斗君はその隙間から部屋を覗いていた。見張らないのではなく隠れて見張ることにしたらしい。
「覗いてても何もしないわよ。ねえ」
 しないと言うかご期待に沿えるレベルの事は何もできません。キス・オア・デスくらいの二択を突きつけられたなら別だが、今はむしろキス・イズ・デスっていう感じだし。今はまだ本気を出す時じゃないのだ。
「って言うかまたゲームでもしようか」
 それが一番無難だ。

「ああっ、私どんどん変になってく……そんなに早く動かしちゃだめえ!」
「何をやっておるかあああ!」
「ぶよぶよです!」
 俺は思いっきり手加減してマックス2連鎖縛り位で遊んでいたが、長沢さんはその視界の隅ですごい勢いで消えていくぶよに焦って置きミスを連発してどんどん積みあがっていた、そんなところであった。すごい勢いで動いててもたまに数個のおじゃまが落ちてくるだけなんだけどね。
「なんで美香と君がぶよぶよをプレイすると別なプレイみたいな声が出るんだね」
 別なプレイって。まあその通りなんだけど。
「今まではとにかく消すことだけ考えてたのが、いい感じのやり方を教えてもらったので実践してみようとしたのはいいけど、思ったように事を運べずテンパってる感じ?」
 今の勝負を客観的に見ていた拓斗君が分析した。なお拓斗君は俺たちがゲームを始めたのを見てドアの外からの監視をやめて普通に後ろから眺めている。
 確かに、横で見ていても長沢さんのプレイは階段積みの絶妙な所におじゃまが落ちてきたり、それを消して立て直そうとして失敗してドツボにはまってる感じだったな。
「まあ、慣れないうちはそんなものだよね」
「うん、そうよね。小学生の頃からやってるんだけどね」
 俺は大きな思い違いをしていたらしい……。長沢さんはただの初心者じゃなく万年初心者だった模様。地雷を踏みかけた。なんでもその頃から当時幼稚園児の拓斗君に勝てなかったらしい。
「そんな拓斗もパパとはいい勝負だったな」
「パパの勝率3割くらいだったよね?」
「さすがにそんなことはないと思うんだが」
 話を盛ってもイーブンにはならなそうだな。
 パパさんはともかく、長沢さんは幼稚園児の弟に勝てないのが悔しくてどのゲームも長続きしなかったそうだ。やがてママとならいい勝負ができることがわかりゲームに対するモチベーションは上がったようだが……。
「せめてパパが!接待プレイなどせず全力で叩き潰して、高いけど越えられそうな壁として君臨していれば!」
 全力で叩き潰すっていうのはどうかと思うけど、まあ全力のたかが知れてるしな。その接待プレイのせいでなにをやっても勝てるパパと絶対に追いつけない拓斗君以外で相手をしてくれるのがママくらいだった。おかげで下手なママさんに腕前が揃ってしまったらしい。
 一人でCOM相手に練習でもしていればまだマシだったかもしれないが、夕方は拓斗くん、夜はママさん、深夜にパパさんとゲーム機を占有する時間帯が出来上がっていたので一人で遊ぶタイミングはあまりなかったみたい。誰かと遊ぶ方が楽しいしな。
「じゃあ、テニスの方は?」
 パパさんは中高生時代にテニス部員でインターハイにも出たことがあるらしい。なのでこっちにはプライドがあった。接待プレイでもこっちはぎりぎり勝てそうな感じを出しつつ勝たせてはやらなかったそうな。長沢さんは壁が高すぎるとやる気を失うがもうちょっとで手が届きそうなくらいだと燃えるタイプってことか。
 小学校低学年くらいまではそんな感じでやれていたがその後だんだん実力が拮抗し始め、中学生になったらパパさんが本気を出しても全然勝てなくなったという。この才能を伸ばすべく予算の許す限りいいコーチをつけたりもしたが、そんなことよりは顔がいいのにテニスもうまい生意気な小娘を懲らしめようと挑んでくる高校生がいい練習相手になったみたいだが。
「言うまでもなく美香は頑張った。でもな、同じくらいパパも頑張ったと思うんだよ。主に金額的にな。なのに大して力になってやれていなかった。敵意ある奴の方が役に立ってたってのはどうなの」
 最後のはただの愚痴だと思われた。接待ゲームでゲームの上達を阻害しテニスの上達には大枚はたいて効果薄。嫌われていてもおかしくない有様だった。幸いにもパパさんの嫌われ方は思春期の娘からのごくありふれたそれに過ぎないようでなによりだ。

 と言うか、今何をしていたのかという話だ。長沢さんのゲームの練習相手をしていたが、千里の道の一歩目を踏み出したところでうんこ踏んで止まってる感じである。
「練習は最弱のCOM相手とかでやった方が落ち着けると思うよ。もっとほかの……変な声が出ないゲームをやる?」
 隣で聞いてて俺の精神的な負担も大きいんです。
「たぶんそんなのないよ。姉ちゃんいつもゲームやってるとき騒がしいし」
 拓斗君の冷酷な一言。
「いつも通りなの、これ……。っていうかいつも通りなら何でパパさんこんなに騒いでんの」
 聞いてみたらいつもはもっと怒って喚く感じなのだとか。たちの悪いゲーマーだが、学校とかで溜め込んでいるストレスもまとめて吐き出してる面もあるので好きにさせてるようだ。そして、俺相手にそんな醜悪な一面は出せないので迷走した結果あんな感じになったというわけか。
「ええー……。私そんな変な感じだった?」
 本人に自覚はないようだった。録音して高商の男子に聞かせたいとか思ってたけど、最初に長沢さんに聞かせた方がいいのかも知れない。

「明弘君。あっち行って」
「え」
「近寄らないで」
 長沢さんは不機嫌そうに言った。
 なぜこんなことになったのか。それは遡ることほんの2分ほど前……。
「時に。君は美香のテニスの腕は良くわかっているね」
 パパさんの一言からそれは始まった。ほかのゲームをやるにしても何をするのか、そんなことを話している中でだ。
「ええそれはもちろん」
「ならば、是非一度二人でポリオテニスをやってみるといい」
「ええっ。やだ恥ずかしい」
「パパさんは俺と美香さんにそんな恥ずかしいことをさせようというのですか」
「そういえば私が引き下がると思うかね。恥ずかしい行為と言ってもキスとは違うのだよ、キスとは。単純に面白いから一回見ておきなさい」
 とのことで嫌がる長沢さんと無理矢理、ではなく渋々同意の上でポリオテニスを始めることになったが、それで機嫌が悪くなったのである。しかし、嫌いになったからあっち行け、という事ではなさそうであるが……。戸惑う俺に拓斗君が頷きかける。
「素直に言われた通りにしておけ。殴られても知らないぞ」
 ええ……そんなにか。
 不機嫌なままゲームが始まる。不機嫌でも最初は順調だった。しかしすぐに様相が一変する。
「んあっ。あ……やだっ。ああっ、また……やっちゃったあ」
 長沢さん、相変わらず変な声出てます。いや、問題はそこではなかった。キャラじゃなくて自分がド派手に動いちゃってます。ラケットの代わりにコントローラー振り回してます。
 ぶよぶよの時はそうでもなかった……動いてなかったわけじゃないが、こんなに大きくは動いてなかったので目立ってなかった。長沢さんは熱中するとキャラと一緒に、あるいはキャラの代わりに動いちゃってちゃんと操作できないタイプのゲーム下手だった。殴られるというか振り回してる手が当たりそうだ。確かにこれは近付いちゃダメだな。
 ほかのアクション系ゲームでもこんな感じなのだが、特にテニスはもう体に染み着いているせいでゲームであることを忘れて反射的に体が動いてしまうみたいだ。その動きで操作もブレるし最悪操作を忘れることもある。どうすればいいかはわかってるのに全然その通りに動けないもどかしさでどんどんテンパってしまうのだ。ある意味ゲームと現実が区別できてないってことだな。
 こんな感じで激しいアクションゲームは苦手なので敬遠しがちになり、ココ太郎鉄道とかポシェットモンスターみたいなゲームで遊ぶことが多いらしい。まあそっちも決して強くないみたいだが。

 この家族はバラバラだ。それはもちろんゲームの腕前の話で、天地人という感じで隔絶している。地べたの長沢さんとママさんが揃っている以外は人並みのパパさんと雲上の拓斗君。拓斗君は友達に拮抗する腕の子がいてその子と遊べば楽しめる。
 問題はパパさんであった。家族の誰とも勝負にならない。仕事仲間には上下関係も腕前も近い程良い相手は見つけられなかった。ずっと孤独を味わってきたのだ。あくまでもゲームに関して。
 そんなわけで。週末にはパパさんのゲームの相手をすることを条件に交際の許可を得たのであった。もちろん、ほぼ恒例になったダブルデートテニスもあるし、家に来てからだって長沢さんともゲームはしたいのだ。
 なのでパパさんとのゲームは一時間くらいになるだろう。その部分は譲歩しなかった――主に長沢さんが。パパさんとしては長沢さんから俺を借りているようなものなので強く出られるわけがない。それにしても実に安い条件だ。
 ここに来るときは長沢さんと一緒に過ごせることより生きて帰れるかにドキドキしながらだったが、普通に和やかにクリスマスを過ごせた。変に二人きりだと別な意味でどうしたものかわからないのでこれで良かったんじゃなかろうか。
 だがしかし。よく考えてみると俺のそばにはずっと長沢さんがいたのだ。だから我慢していたがパパさんと二人きりになった途端に豹変してバーサーカーモード入ったりなんてのはまだ可能性として残されている。まだ落ち着いていい状況じゃないかな。
「ねえ、長沢さん。……美香さん」
「なあに、明弘君」
「これからは日曜のテニスの後この家に来ることになるよね?」
「うん。そうね」
「テニスの後って竹川さんと一緒に買い物行ったりもするよね。そう言うときは俺一人でここに来ることになるのかな」
「うん、まあそうでしょ」
 何か問題でも?という風情で返された。大問題ですよ。
「大丈夫よ、最初のうちはちゃんと連れてきてあげるから。何回か来れば道も覚えるわ」
 そういう心配をしてるわけじゃないんですわ。まあ、数回は大丈夫だと思って対策とかは先送りにしてもいいか……。来るべきいざという時に後悔するパターンかもだけど。

 そんな感じで恋人と過ごすクリスマスらしくない恋人と過ごすクリスマスもどうにか無事に乗り切った。
「まさかパパさんがすんなりおつきあいを許してくれるとは思わなかったよ」
 ひとまず吉田に報告しておいた。絶体絶命だと相談した相手だし、そうでなくても冷やかされも妬まれもせずこんな話ができる相手は吉田くらいだ。
「そうか。ブラッディ・クリスマスになるかと思ったがそんなこともなかったか。どっちの意味でも」
 どっちって。一つはそのままだろうけどもう一つは何なの。いやわかるけど。下ネタだし現状では想像する事すら想定できない事態なのでとぼけただけだけど。
「冬休みは長沢さんちに通うことになりそうだ。そんでやりまくりだぜ」
 もちろんゲームをな。
「女と遊び放題とはいい冬休みじゃないか」
 ゲームでな。いい冬休みなのはほんとそう。
「まあ、夜にはパパさんの相手もしなきゃならないんだけど」
 もちろんゲームだよ。ここまでの意味深な話の流れだと誤解を呼びそうだが。まあ吉田だって解ってるはずだ……まあ解った上で竹川さんに「三沢の奴、冬休みはナガミーの家に通ってやりまくりだってよ。その代わりパパミーともやる羽目になったみたいだけど」なんて話をゲームの話なしにして勘違いをさせて楽しみそうだが。……竹川さんにも直接報告しておくか。吉田は信用ならねえ。
 なお、その竹川さんだが。
「三沢君、長沢さんのパパとゲーム友達になったんだって?」
 開口一番で大まかな事情を把握済みであることが判明した。長沢さんの方がすでに伝達していたらしく、心配する必要すらなかったようである。