路傍の雛罌粟のように

07.パパが呼ばないで

 我がテニス部もクリスマスに向けて目まぐるしく動き始めたようである。
 押しの強い中須さんやそれに影響を受けて積極性を出してきた町橋先輩なんかが一年男子を言うなれば誘惑し始めたのだ。年上が好きな奴らを町橋先輩が、ロリコンを同い年の中須さんが囲い込んだ。
 すると、これまでは男なんて誘えば食いついてくるでしょと言わんばかりに余裕をかましていた女子がにわかに焦り始めた。何せ、こうなると残っている男子は2年だけになる。男の俺からみても2年の男子は碌なのがいない。一番まともなのは江崎さん。次点でちょっと性欲強すぎてさらにちょっとどころか相当変わった人の桐生さん。ここまで彼女持ちである。フリーな男子で一番マシなのが奥村さんだが、桐生さん並みに性欲が強く女子の前でもそれを隠す気がない。覚悟か対抗しうる性欲がないと手が出せない相手で、女子には敬遠されている。
 あとは有象無象ばかりだし、どいつもこいつも健全にスケベなのがバレている。俺たちの学年にも辛うじて伝わっていた高工テニス部の「ヤれるペニス部」伝説だが、一つ上の学年だともっと濃厚に伝わっていた。それにつられてヤる気に満ち溢れたエロい男子が集結していた。
 一方、女子には女子で「恋の生まれるロマンステニス部」として噂が広まっていた。実際に何年か前は部員全員が部員同士もしくはほかの生徒とカップル成立していた時期があったらしい。その時は部員の顔面偏差値も高めだったとか。テニス部としてはその頃から弱小で不人気、純粋にテニスを楽しみたかったリア充が少人数いただけなので、部員も半分くらいだった。それでハズレもいないのならみんな片付いても不思議じゃないな。しかも実際には二股とか横取りとかどろどろしまくっててロマンスというより昼メロだったようだが。当時のことを知る生徒はもういないが、教師はいるんだよな。ちょっと聞いたらノリノリで教えてくれたらしい。で、俺は教えてもらったというよねまよ先生から聞いた。その辺の話がそれぞれ男子向け女子向けにアレンジすなわち誇張されて噂として広まったというわけだ。
 とにかく、そんな噂につられて部員が集まったので翌年からは恋愛偏差値の低い男女が群がった。欲望だけで入った部員だらけでテニス部としてのレベルも低迷したまんま。やる気もヤる気もまるでないテニス部になった。
 こうしてヤれるもロマンスも一過性で終わり、噂はほぼ立ち消え。残り火のように語られてたのを聞いたとか当時聞いて覚えてたとか、そんな感じでちらほら伝わる程度だった。まあ、現実はこうなってるっていうのを知った上でひっかけてやろうっていう思惑もあったんじゃないかな。実質俺も騙されたようなもんだ。
 今の二年生の男子は、かつて噂に騙されて入ってきてその腹いせ的に発生した下級生いびりが年々蓄積しピークに達していたせいで一部を除き性格もねじ曲がったらしく、上級生から解き放たれたというのにますますモテない。
 一方俺たち一年は同じ道を辿るかと思いきやいびりをかわして朝練なんか始めて実力であっさり二年生を越えてしまった。伝統的に朝のコートは開いてたみたいだから二年生にだって同じことはできたと思うけどな。やる気の差だね。
 まあ、俺たちだって朝練始めたのってリア充吉田の提案だったんだけど。リア充はやっぱりひと味違うってことだ。吉田も今やゴールデントリオとかいうリア充友の会の一員だし。
 吉田はともかく。上からは押さえられ下から突き上げられ、女子には離れられた二年男子はいよいよ尻に火がついた。と見せかけて一番尻に火がついたのは女子だった。
 テニス部員としては最後のクリスマス。それを夢見てテニス部に入ったものの一度はあきらめかけた異性と過ごす性……じゃない聖なる夜。その憧れと欲望に向けて動き出した。一部の女子が一年男子の囲い込みを始めると、ほかの女子もそれに追随。争奪戦の様相を呈し始めたのである。
 彼女たちを何が突き動かしているのかは第三者であるオレにはわからない。この戦いに負ければ飢えた二年男子の餌食になるという恐怖。或いは女のプライド。或いは純情すなわち純粋なる情欲――。とにかく、そんな争いの獲物として一年の男子は狙われることとなった。
 もっとも俺はそんな争いとは無縁の場所にいる。女子にとってあの長沢さんを相手に男を奪い取るのはあまりにも無理ゲーだ。そして俺にそこまでして奪う価値はない。吉田と同じリア充ポジだ。その吉田はリア充ながら恋愛マスターとしていろいろ暗躍しているので争奪戦の詳しい戦況については吉田に聞いてくれ。

 最近の周辺状況という俺の現実逃避終了。
 争奪戦どころじゃない決戦が迫っている俺にははっきり言ってそれどころじゃない。吉田はより面白そうな争奪戦のかき回しにご執心で俺のことなんか忘れてそうだ。
 長沢さんとは駅で待ち合わせである。そこからはもちろん長沢さんの案内で自宅に向かう。そう、今日は決戦のクリスマス・イブである。
 クリスマス・イブは恋人同士らしく長沢さんと過ごすことになった。それだけならばつき合い始めていくらも経っていない俺たちにはただのドキドキイベントだろう。むしろこれだけでもドキドキすぎてピンチになるくらいではある。
 問題はそのイベントが長沢さんの自宅で行われることである。これが二人きりとかだったら間違いなく間違いが起こりそうだがその心配はない。家族もご一緒だ。そしてそれも問題なのである。ママさんがそこにいるのは別に問題はないと思われる。もちろん問題になるのはパパさんの方である。
 恋人のパパさんとか、どう考えても結婚が迫った時に対峙するラスボスだと思うのである。ラスボス出てくるの、早すぎね?魔王とか勇者が最初の町にいるときに直接始末すればいいのに、なんていうそんなよくあるネタを実現するとこんな感じなのだろう。あ、もしかしてさっきの近況回想って走馬燈だったんじゃね?ピンチの時の走馬燈って、一説によると過去の記憶を辿ってこの絶体絶命の状況を打破する方策を模索するプロセスらしいな。短い恋愛人生と平凡すぎる平穏無事な思い出だけの回想にはこの窮地を脱するヒントなんて隠されてないだろうけど。
 でも。長沢さんがいきなり会わせようとするようなパパだ。きっと優しいパパなのだ。そうであってください。お願いします。
「待った?」
 長沢さんが待ち合わせ場所にやってきた。一度家に帰り私服に着替えての待ち合わせだ。場所は伝説の木の下。明治天皇お手植えらしいから伝説に違いないのだ。
「いいや、ちっとも」
 できればゆっくり来てくれと願うとあっという間に来たような気がするものである。
 歩き出した長沢さんは容赦なく軽快な足取りで自宅へと案内してくれた。楽しい時間は短い。この時間感覚の短さが単純に家との距離の短さから来ているのか、最後の楽しい二人きりの時間だからなのかははっきりしないくらい気も漫ろである。今の状況だけなら十分楽しいドキドキクリスマスである。気分は処刑台に向かう死刑囚だけどな。
 幸い、長沢さんの家は帰り道で迷ったり次に一人で来ることになっても困るような分かりにくい場所ではない。って言うか一人で来ることになる状況ってどんなだって言うんだ。家がどこにあるか分かったということは到着したということである。ラスボスへの扉が今重々しく……。
「ただいまぁー。ささ入って入って」
 いや軽々しく開かれた。パパさんとの対面の時がきたのである。

 ダメです。歓迎されてないムード一色です。
 パパさんは怖そうな人ではなかった。可憐すぎる長沢さんのパパさんとは思えないくらい平凡な顔をした親しみの持てる人物である。しかし凛々しいが男らしいとは言えない目元とか鼻筋とかは長沢さんのパパという感じではある。
 そんなパパさんだが、明らかな怒気を周囲に放っていた。怒気怒気クリスマスである。バトルが避けられなそうな感じだ。パパさんの様子に長沢さんもちょっと困ったように溜息をついた。
「座りたまえ」
 こんな状況じゃなければ全然怖くないのだろうが、今はとても怖いです。足が竦んで立てません。でも座れと言われたのでちょうどいいです。
「は、じめまして。美香さんの友人の三沢明弘と申します」
 という事にしておけば角は立たないはずだが、こんな日に自宅に男を呼んでおいてただの友人だと思ってくれるわけがないな。そして、それ以前に。
「美香からは彼氏だと聞いているが?」
「仰る通りでございます」
 長沢さーん!パパさんに喋るの早すぎるよ!それもよりにもよってクリスマス直前に!彼氏ができたなんて話はもう少し隠しておいて欲しかった。
「じゃあ私、着替えてくるから」
 そして二人っきりにしないで。長沢さんと二人きりも気まずいけど、こっちの二人きりは比じゃなく気まずい。って言うか目撃者がいなくなったところで何をされるやらだ。
「先日、美香とデートをしたらしいな」
 俺の全行動を報告されてるんじゃなかろうか。俺、なんか嵌められてたんじゃ。
「返す言葉もございません」
「それで、どこまで行ったのかね」
「ええと、学校のコートでテニスを。それと、ファミレスで食事にも」
「そういう意味ではなくてだね、ほら、手を握ったとかキスをしたとか抱きしめグォっ!?」
 何処よりか飛来した拳大のハッシー君がパパさんにローリングアタックをかました。これ、うちにもあるな。何であるのかは知らないけど。ちなみにハッシー君とは我らが市のゆるキャラみたいなものであり、このグッズは何かの記念品だったような気がする。
「何を聞いてんの!その時のことはちゃんと話したでしょ!」
 この様子だと、パパさんは長沢さんに弱そうである。早く着替えを終えて帰ってきてほしい。
 長沢さんが明らかに階段を昇っていく足音を確認し、話が再開された。って言うかパパさんも当然長沢さんなんだよな。まあいいか。
「おほん。まあ、あれだね。確かに美香からデートについては聞いているが、直接じゃないしね」
「直接じゃないと言いますと?」
「あー、その、妻を経由して聞いたんだよ。だからまあ、その過程で省かれた話もあるし、美香も家族に言えないようなことがあったかもしれないし?だから確認しようと思ってね」
 娘さんが家族に言えないようなことを、俺の口から言えると思っているのだろうか。無茶を言ってくれるぜ。そもそも、そんな事実はないのである。ラケットを握る手が触れてドキドキくらいの進行度なのだ。意図的に接触なんてとてもとても。しかし、それを言ったところで信じてもらえるかどうか。そして信じないなら聞くなと言う話になる。なので、なんで聞かれているのかが最大の疑問なのだ。
 しかし、聞かれたからには答えることこそが誠意なのだと信じる。俺は正直に、包み隠さずあの日のことを思い出せるだけ話し始めた……のだが。不意に話を遮られた。
「待ちたまえ。美香が来る、続きは今度、機会があったらだ」
 ちょっとホッとした。続きを話す機会など来ないことを祈るだけだ。
「ちゃんと大人しくしてた?」
 来るなり冷たい目でパパさんを見下す長沢さん。俺にはあまり見せない態度であるが、高商のテニス部にはこんな目で見つめられたくて長沢さんの下僕をしている男子も多数いるのである。
「もちろんだよ、美香」
「ふーん?」
 長沢さんがスマホを操作すると、さっきの会話が流れ始めた。録音アプリを起動して物陰に隠しておいたらしい。パパさん信用されて無さすぎである。そして思いっきりネタを挙げられてしまったわけだが。
「違う!これは罠だ、孔明の罠だ!」
 孔明じゃなくて長沢さんの罠だけどな。
「私、本当に話した以上のことはしてないよ?ねえ?」
 同意を求められているようなので曖昧に頷いておいたが、そもそも長沢さんがどこまで話したのかを俺は知らない。それでも、根本的にあれがデートだったと胸を張って言えるほどのことは何もしていない。しかも、ママさん経由で聞いたと言うし、娘からママになら割と開けっぴろげに恋バナもできると思うのである。そこからパパさんへの伝達も結構フィルタリングは甘そうだ。パパさんにもあの日のことはほぼ伝わっていると考えるべきだな。これで疚しいことをしていたことになっていたら俺のほうこそ孔明の罠だと騒がねばならなかったところだ。

 怖いパパさんの自滅でちょっとスカッとはしたが、そのせいでパパさんの機嫌が悪化したのでトータルとして状況も悪化したと言えよう。
 気まずい。非常に気まずい。なるべくパパさんと目が合わないように視線をさまよわせる。女の子の家らしく可愛らしい調度が目立つ。そんな中で目を引いたのはテレビの前のゲーム機だ。意外に思ったのは長沢さんとはゲームの話をしたことがないからだ。長沢さんってどんなゲームをプレイしてるんだろ。乙女ゲーとかだったりしてな。
 えーと、見覚えのあるパッケージもあるな。あれは夢想シリーズだ。バサリもあるな。歴史物が好き?それともイケメンが好きか。あとはぶよぶよとかドラゴンクエイクとかファイナルファンタズムとか有名どころが見えるか。俺でもプレイするようなゲームが多いようだ。ちょっと好みが渋い気はするが。
 これで長沢さんと共通の話題が結構確保できたんじゃないかな。今までゲームの話題を振ってこなかったのは不思議だけど。女の子がゲームやっってると思われるのが恥ずかしい?今時そんなこともないと思うんだけど……いや、このイケメンキャラが好きとかいう話はしづらいか。
 うん。共通の話題を見つけても、無事この場を切り抜けないとおしゃべりもできないんだよね。
「ゲームが気になるかね」
 現実逃避は強制終了のようだ。俺の目線がパパさんにばれた。
「ええまあ」
「ゲームは好きかね」
「はい」
「美香とゲーム、どっちが好きかね」
 なんていう質問をするのか。なんて答えるのが正解なんだ。正解は分からないが、ここで選ぶべき答えは一つしかない。
「ちょっと、何を聞いてるの」
「美香さんです」
 パパさんにツッコもうと動き出していた長沢さんの動きが俺の回答で止まり耳まで真っ赤になった。やめて。わざわざ俺の視界に入ってきてそういうリアクションしないで。俺の方が恥ずかしいに決まってるんだから。今のところ恐怖と混乱が勝ってるから平然としてるように見えるだろうけど、この状況を脱した後に悶絶して転げ回れる自信があるぞ。
 パパさんは俺の両肩をがしりと掴み、言う。
「今日君を呼んだのは他でもない。私と勝負しなさい。勝ったら美香をくれてやろう」
 はい?
「なななにを言ってるの!」
 止まってた長沢さんがつっこみを再開、完遂した。停止した上さらに動揺させられたのでかなりへなちょこなツッコミだったが。そして、長沢さんの発言には全面的に同意である。なにを言ってるの、パパさん。
 これはよっぽど腕前に自信があって俺を潰そうとしてるのか?プロゲーマー並なのか?っていうかこのゲーム機はパパさんのか。道理でソフトの趣味が渋いわけだ。
 いいぜ、その自信をへし折って長沢さんを俺のものにしてやんよ!

 ふっ……。言ってみたところで俺だってゲームは遊びでしかない。ゲームに人生を捧げる勢いでやってるわけじゃないんだ。ゲームの才能だって平々凡々Hey Bomb bomb!である。爆裂的に普通だ。
 プレイしているゲームは「ぶよぶよ」、上から降ってくるぶよぶよしたものをねちゃっと癒合させて消滅させていくおなじみの爽快パズルゲームである。
 そんな俺とパパさんの勝負は、驚くほど白熱していた。パパさんはさすがの年の功、老獪なる連鎖攻撃が発動すれば俺は為す術もなく潰されてしまう。
 だがしかし、遅い。ある程度積み上がったところにおじゃまをぐちょりと乗っけてやればなかなかリカバリーできない。そのまま一列くらいのおじゃまを継続的に投下できれば俺の勝ち。おじゃまを掃除されたりおじゃまを逆手にとって連鎖を伸ばされるとパパさんに軍配が上がる。
 もちろん俺だってちょっとした連鎖なら組めるし、大連鎖に挑戦することもある。組んでる途中でおじゃまで潰されて心が折れたり満を持して発動させても計算違いで連鎖が止まったりするけど。
 戦術やへぼさのベクトルはそれぞれ違えど、俺とパパさんは次元の低いところで拮抗していた。歴史的凡戦、端から見れば地獄の泥仕合だ。よくこの腕前で娘の未来をゲームに託したりできるものだ。この腕前でその勝負を受ける俺も俺だけど。
 だが、この泥仕合もようやく結末である。決着ではないので注意だ。あまりの一進一退ぶりにほかのゲームで決着をつけることになったのだ。ゲームは俺が選んでいいらしい。ストレートファイター、そのまんまストレートに戦うゲームをチョイスさせていただいた。パパさんの反射神経の衰えを大人げなく突かせていただく。だって俺、大人じゃないもん!未成年だもん!大人げなんて知らなーい。
 だがしかし。そんなに甘くはなかった。そうだよ、このゲームはシリーズの数字はそれほどじゃなくても20年くらい前にブームが来て以来ずっと続いてるゲームだったのである。パパさんなんかどストライク世代じゃん!俺が生まれる前からやってるじゃん!
 俺がチャミィを選ぶと「ふふふふ、チャミィならスパ2で追加されてから何度も戦っておるわ!」と笑われた。そんなパパさんのキャラは……ホンインボーミカかよ。好きなの、ミカ。まさかこのキャラから娘の名前付けてないよね?俺、知識が浅いからこのキャラがいつからいるのか知らないけど。ともあれ何で男二人で女二人の戦いを演じなければならないのか。
「くっくっく、君は父親の前でミカを殴れるかね……?」
 そういうことか!ちょっと卑怯過ぎやしませんかね!?
「殴れねえ……!殴れるわけがねえっ……!だから俺の代わりに頼むぞチャミィ!」
「のおおっ!?」
 そもそも画面の中で殴り合ってるミカはソファでくつろぎながら観戦しているミカとは別人な訳で。たとえばダンミカとか加農美香を長沢美香と同じように愛せるわけがないのだ。だって怖いもん、失礼だけど。しかもこの画面のミカは操作してるのおっさんだもん。しかも勝たねば長沢美香とはお別れっぽいし。
 パパさんは若くないだけに逸ってつっこんでこない慎重な戦い方。そして俺はビビリである。柔道なら指導が入るレベルの様子見合戦。まさかこの俺の方が痺れを切らして突っ込むことになるとはな。そして本格的に戦いが始まってもヒドかった。この俺をもってして、これは大したことないなと思わせるパパさんの腕前。もちろん俺も大したことないので、これまたレベルの低いところで拮抗する。蓋を開けてみればこのゲームでも見事な凡戦である。
「私を相手にここまで持ちこたえた奴は久々だぞ!」
 いやあんたあんまり攻撃してこないじゃん。俺だって人のことは言えないんだけど。キャラの動きだけはそういうゲームだからダイナミックなのだが、実状として大した動きもないまま時間だけが過ぎるのだ。例えば俺が意を決してぐっとパパさんに迫っていくと、パパさんは大きく後退する。そして俺もなんか怖くなって引っ込んでしまう。お互いそんな感じでゲージも貯まらないので大技も出ない。二人とも女子キャラだけにきゃぴきゃぴとじゃれ合ってる感がすごい。でも打ち解けてない二人の距離感ではあるな。
 俺からも言ってやりたい。俺を相手にここまで持ちこたえた奴は初めてだ。悪い意味で。

 地獄の膠着状態。それを打ち破ったのはとある人物の登場であった。
「ただいまぁー」
「おかえりぃー」
 やる気なさげなただいまとともに入ってきたのは若い男。画面上のミカとチャミィから目を離せないので姿を確認できないが、俺と同世代くらいの感じがする。なぜここに若い男が!?長沢さんには、俺のほかにもクリスマスを共に過ごす男が!?
「お、この人がねーちゃんの彼氏?」
「そう、三沢明弘くんね」
 うん、弟さんでしたね。ただいまって言って入ってきてるんだから家族に決まっているのだった。
「なにやってんの?」
 その質問に答えたのは、何かやってる本人のパパさんであった。
「美香とのおつきあいを許可するに値する相手かどうか、こうして試練を与えて見定めているんだよ」
 試練といってもゲームだけどな。それにしても俺との勝負の最中に雑談とは、余裕見せてくれるじゃないの。
「のおおおお!ミカが、ミカが息をしてないッ!」
 もしかして、喋ってる間くらいは手を止めてあげるべきだったのだろうか。
「お、そうだ。私の試練は合格だとして、拓斗に勝てたら美香にキスするのも許可してやろうじゃないか」
「ちょ!?何言ってんのパパ!」
 本当に何言ってんのパパ。長沢さんはパパさんを太股で倒し、馬乗りになって首を絞め始めた。なんて羨ましい。別にやられたいとか言う訳じゃないぞ、今の俺じゃ精神的に耐えられないからな。一番何が羨ましいって、照れもせずにこんなことをやり合える関係性がね。今の俺には絶対無理だわ、手も握れないわ。なのにね、キスとか無理でしょ。しかもパパさんの立場で許可するとかなんなの。普通さ、逆だよね?娘がいちゃつくのを絶対阻止しようとする立場だよね?それで「パパには関係ない!」とか言われて娘と仲が悪くなっていくって言うのがお決まりのパターンだよね?それより、しれっとパパさんの試練はいつの間にか合格してたことが判明したんだが。こんなんでいいの?お互い何一ついいところのない無様な泥仕合よ?
 そんな思考を脳内に巡らせていると、弟くん……拓斗くんか。その結論も出たようだ。
「いいよ、その勝負乗ってやろうじゃないの」
 あのね。第三者が気軽に決めていいことじゃないと思うんだよね。ゲームをやるのは確かに君だよ。でもね、ゲームの結果で今後が左右されるのは俺と長沢さんなの。そっちの意見を尊重することも覚えようね。
 大したものを背負っていない拓斗くんは、気軽にパパさんと交代し俺の横に腰掛けた。うん、隣にパパさんがいるプレッシャーから解放されただけでも全然気楽だぞ。これならフルパワーが出せる。あ、パパさんが俺の後ろに立った。駄目だ恐怖で力が出ない。
 拓斗くんが選んだキャラは……ランダムかよ。何が来ても俺に勝てるってか?舐めてるの?痛い目見せてあげてもいいんだよ、見せられるものなら。無理に決まってるけど。でなきゃパパさんもここであんな無茶な条件でパスしたりしないし。俺じゃ絶対勝てない実力を持ってると思って間違いないのだ。
 そして、無慈悲なる勝負が始まる。

 居間は阿鼻叫喚の巷と言うやつであった。
「のおおおお!たく、拓斗!何をやってんの!真面目にやれっ!」
 拓斗くんは全然大したことなかった。いや、実力は未知数だ。実力の何パーセントを出しているのかさえも量れない。大したことないのはやる気の方である。ほぼゼロと言っても過言ではなかった。
「ヘイヘイ兄ちゃんビビってるぅ♪」
 完全に遊ばれている。ならば本気で潰してやればいいとか、そんな問題じゃないのである。俺がビビっている相手は拓斗くんではない。
「そんなんじゃねえちゃんとキスできないぞ!ほれほれぇ」
 長沢さんとのキス、出来るならしたいと思っている。だがそれは遠い憧れ、今することじゃない。だから今は勝たなくていいかなと思うのだ。だが、拓斗くんはわざと負けて俺たちをキスさせようとしている。パパさんがそれを避けたいのは見ての通りだし、俺も長沢さんもまだ早いと思っているから拓斗くん以外誰もそれを望んでいないのだ。言い出しっぺのパパさんを含めて。
「美香、キスするの?あらあら楽しみ」
 あ、もう一人キス賛成派のママさんがいた。でもまだまだこっちが優勢だぞ。それに、世の中にはどう頑張っても覆らない事実と言うのがある。うかつに牽制の攻撃を出すとそこに飛び込んでダメージを食らわれるのでもう完全に何もできないが、俺がこのまま何もしなければ俺が勝利することもないのだ。ぶよぶよでの勝負だったらヤバかった、あのゲームは簡単に自滅できるからな。
 そして、拓斗くんもさすがに気付いた。俺がキス目当てに頑張っちゃうような男じゃないという事に。そうであればちょっと手を抜いてやるだけで俺を勝たせることができただろうが、俺にも勝つ気がないのだから埒が明かない。拓斗君、君が手段を選ばないなら、こちらだってそうさせてもらうよ。
「なあ。俺が勝ったらキスにルール変更しない?」
 するわけがなかったのである。そして、冷静になってからよく考えたらこの勝負で俺が勝っても獲得するのは「美香にキスする許可」なのだ。許可だけ獲得しておいて、保留にしておけば何の問題もなかったのだが、まあ今更だった。

 キス云々なしで拓斗くんと勝負してみた。勝負にもお話にもならなかった。パパさんがキスを賭けての勝負を託すわけである。
 そして先程は図らずもキス回避で心を一つにしてしまったパパさん。しれっと試練は合格という話になっていた気がするので、改めてその辺確認してみる。
「男に二言はない!美香を不幸にしない限り君との交際は許す!ただしキス以上のことは許さん、絶対にだ」
 ええ、そこはそれ。気分的にまだまだ無理ですので何ら問題ないかと。でもいつかそろそろキスくらいはってなった時に障害として立ち塞がることになるのかも知れないな。……向こうが痺れを切らして『そろそろキスくらいはしたらどうだね』とか言い出す可能性も微レ存?
「……ただし、条件がある」
 来たよなんか怖いの。
「交際を継続するに値するかを定期的に確かめるべく試練を与える!お互いスケジュールがあったら試練を受けに来るがいい!」
「試練ってゲームですよね」
「当然だ!」
「まあ、相手としてちょうどよさそうではあるよね」
 拓斗くんが何か言っている。どういうこと?
「要するにさ、ゲームの相手をしてくれる人が欲しかったんだろ。なあ?」
「まあ、そうとも言うな」
「それなら拓斗君でもいいんじゃないの?」
「相手になると思う?」
 なりませんよね。
「じゃあ長沢さん……美香さんは?」
 ここにいるのは俺以外全員長沢さんだ。長沢さんでも誰のことかは状況的にわかると思うが一応呼び方を改めておいた。
「それはそれで全然相手にならないんだな、これが」
 それについてをパパさんが引き継ぐ。
「美香のテニスの腕前はもちろん知っているね?」
「ええそれはもう」
「私も昔はなかなかだったが、サークルの中で上の方に入るっていう程度だ。最近では運動不足も相まって市民大会でも大した活躍はできないだろう……。そんな私でも、ポリオテニスでなら美香に余裕で勝てる」
 もちろん、パパさんがポリオテニスだけめちゃくちゃうまいという話ではあるまい。
「私と美香ならいい勝負よー」
 ということはママさんも絶望的な腕前か。なるほど、家族の中にパパさんといい勝負をできるちょうどいい相手はいないようだ。
「会社の同僚とゲームというのもどうかと思うしね。そこそこゲームがうまそうなのは年下ばかりで勝っても負けても微妙な気分になりそうだし」
 ああ、うん。一部を除く先輩方にテニスでもリア充ぶりでも圧勝している身として、その気もないのに下克上しちゃってる気分はわかる。これまでは下克上される立場だったからそっちの気分も良くわかる。かといって立場が上の奴がゲームでもマウントとってきてもこっちは楽しくないし。ゲームは対等な立場でやるもんだよな。
 俺とパパさんの場合、腕前が見事なまでに対等だ。マウントをとれるような勝ち方はできないだろうし、できてもそれはたまたまでどうせすぐにひっくり返されるだろう。相手としてちょうどいいのはこれまでの勝負で実感できている。
「え?じゃあもしかしてゲームがもうちょっとうまかったり下手だったりした場合って俺どうなってたんですか」
「うまかったらそのまま君の勝ち、下手だったら私の奥義・接待プレイが火を吹き君が勝っていただろうね」
「おつきあいを絶対認めないための勝負じゃなかったんですか」
「そんなことをしたら私が美香に嫌われるじゃないか。まあ、見るからに碌でもない奴なら嫌われてでも交際阻止というのもあったろうがね」
 見るからに普通な俺はその点では問題なかったらしい。
「え?え?でも、それじゃああの最初の絶対殺すオーラは?」
「ん?そんなもの出してた?ああー、うん、タイミングが悪かったよね。いやね、クリスマスだしお客も来るし、たまにはカッコイイとこ見せようとデリバリーを頼んだんだが、クリスマスで混雑しててねぇ……予約なしだと3時間待ちとか、ザッケンナって話でね」
 話しているうちに怒りが再燃してきたらしく、あの時の怒気怒気オーラが戻ってきた。俺に怒ってたんじゃないんかい。
「おかげでクリスマスにお使い行く破目になったぜ……」
 拓斗くんが出かけてたのはそれか。カッコイイところを見せようとしてこのざま、ダッセエ。そりゃあ、イライラするわけだわ。
「それでだが。そろそろ普通の喋り方に戻していい?いいよね」
 もうすでにボロが出つつあるが、威厳がある感じに見せようとちょっと偉そうな喋り方をしてたみたいだ。むしろ普通があるなら早く戻して。プレッシャー半端ないから。
 こんな感じでパパさんの通過儀礼も乗り切り、俺は長沢さんの家族に温かく迎え入れられることになったのである。