路傍の雛罌粟のように

06.はじまりの終わり

 さすがは一番昼が短い時期だ。もう日が傾き始めている。天気も下り坂で風も冷たくなってきた。真面目に練習していれば体ももう少し温まっているのだろうが後半は口ばかりが動いていて、なぜか体が温まっているのは長沢さんくらいのもの。
 こんな中途半端な感じだが、練習はお開きにすることになった。練習としてはこんな感じだが、半分デートであるならこんなもんだ。
 そして、ふと思い出す。女子部室には女子部員たちと男子二名が籠もったままだ。今この中はどうなっているのだろうか。男の方も変なことになるような顔ぶれじゃないが、ある意味変なことにしかならない顔ぶれでもある。心配である。これからそんなところで着替えないといけない長沢さんが。いや、さすがにそうなったら男はつまみ出されるはずだけど。
 長沢さんと竹川さんが部室に入っていくと、早速そして案の定男たちがつまみ出されてくる。
 話によればこれまで部室の中で、連城は話を聞くまでもなく女子に化粧をしまくり、鴨田先輩はそんな化粧した女子がめいめいに撮った写真をひたすら整理させられていた。鴨田先輩はそのために呼ばれたようだ。
「化粧が終わったら俺はもう用済みだろ。なんで帰してくれないんだろ」
 気まずいだけで手持ちぶさたなひとときを過ごす羽目になった連城が言う。
「お前が帰ったら俺はあの中に一人残されるんだぞ。つれないこと言うなよな」
 連城がそこに居るだけで救われる、女子に囲まれる状況をハーレム状態だと言って喜べない鴨田先輩もいたのだ。無意味なことなど何も無い。きっと、連城はその為に残されていたのだろう。他に男がいないと鴨田先輩、逃げるかも知れないし。
 と、思っていると。女子が長沢さんと竹川さんのお化粧直しのために連城を呼び戻した。ああ、残されてたのはこのためだったか。外で待たせると連城の奴、逃げるかも知れないし。
 連城が入れるなら俺たちも入れるだろ、と吉田が女子の部室を覗き込んだ。すんなり入室許可が出て入っていくので俺もそれに続く。
「……なにやってんすか、先輩。行きますよ」
「え。俺もかよ」
 鴨田先輩に声をかけると狼狽えだした。
「お、お前らはその、連れが居るからアレだが。俺はその」
「女子部室の前でカメラ持ったまま一人で立ってるつもりっすか」
「あうあっ。それはまずいっ。これはヤバいっ」
 鴨田先輩はいそいそと俺についてきた。カメラを仕舞うとか、ここを去るという選択肢はなかったようである。

 部室の中は近未来の光景が広がっていた。
 数年後、このメンバーで同窓会を開くとこんな感じになるんじゃないだろうか。そんな、一足先に大人になったような女子達の姿がそこにあったのだ。いや、一部化粧で若返ってる女子もいるけど。中須っちはもちろん、他にもちらほら。
 長沢さんと竹川さんの化粧直しも、主に竹川さんの方で一悶着あったもののささっと終わり、全員揃ったところで集合写真を撮るらしい。全員とは言うが、後から加わった二人はどちらも部外者。一人はテニス部員じゃないし、もう一人はテニス部員だが他校の生徒だ。全員化粧バッチリ衣装もバッチリである時点で異質だが、部外者が混ざり完全にカオス。
 そんな非日常的な女子達にまずは吉田が巻き込まれてツーショット写真を撮られ、次いで俺たちも撮られた。仕上がった物を見ると、もはやデート中のカップルの写真には見えない。長沢さんのオーラと俺のオーラの無さのコントラストが著しい。格の違いがありすぎる。どう見てもアイドルのイベントでツーショット写真を撮らせて頂いた一介のファンだ。
「なあなあなあなあ。ちょいちょいちょい」
 連城が声をかけてきた。
「ん?何だ?」
「お前なんかみょーにナガミーと仲良くなってない?何ツーショット写真なんか撮ってんだよ」
「今更かよ!つーか今気付いたのかよ!休日に一緒にテニスなんかやってる時点でお察しだろ」
 でもって、この状況を既に当然の物として受け入れている女子達を見ろと。今日の事は1年の男子にも話したが、そう言えばその場にこいつはいなかったか。最近は女子の所にちょこちょこ呼ばれていくこともあるし、そのタイミングだったらしい。それならそれで女子の方から話が行きそうなものだが、一応男相手に他人の恋の話まではしなかったのだろう。
 それで、今になってようやく気付いたわけだ。今日まで気付かなかったのはまあしょうがないとして、今日のこの状況で今まで気付かなかったのはどうかと思うが。
「何だよ!こないだのいかにも初対面って感じは演技かよ!恋人の演技をしているという体で堂々といちゃついてただけかよ!」
 さすがにそこまで遡っての話ではない。
「いやいや、そもそもその前に合同練習で一度会ってるだろ……。まあ、そん時は多分普通にモブの一人でアウトオブ眼中だったと思うよ。市民大会の時が演技だったのもマジ。でもあの時の演技がツボったみたいでそのままガチでおつきあいが始まった感じ」
 説明するとすごい小っ恥ずかしいんだけどな。俺にもその実感が未だに薄いんだし。
「うん、よく分からん。……でもまあ何にせよだ。おかげでナガミーに触れたのは大変喜ばしいことだ。もうこの世に思い残すことは何一つねえ」
「志低すぎだろ。でもまあ、あんなに堂々と触りまくれるのは羨ましいと思っている」
 直に触ったこと自体も羨ましいし、緊張しまくりでも触れる度胸があることも羨ましい。俺なんか手を繋ぐどころか手の甲がちょっと触れただけでもどぎまぎしてしまう。それなのに顔なんて、とてもとても。直視するだけでも一苦労なのだ。これは自分じゃないと思えるプレイボーイの芝居のおかげで乗り切ってるようなものである。しかし、今のうちはともかくこのまま本格的に恋人になってきたらそんなことを言ってはいられない。頬を撫でるとか、唇に触れるとか、重ねるとか。そんな想像を絶することも求められることになるのだ。などとうっかり想像しちゃって悶絶しかけるが人目があるので耐える。
「しかし、なんだなぁ。あそこまで行くと俺の技術じゃまだまだ太刀打ちできてない感じがするんだよなぁ」
 よく分からないことを言い出す連城。
「太刀打ちって何の話だ?」
「化粧前後の落差があまりないって言うのかな。他の女子に化粧した時みたいに激変まではしてないし」
 なんか、他の女子に失礼なことを言ってる気がするが置いておく。
「そうか?うーん、よく分からん。十分綺麗になってると思うけど」
「そりゃ元が美人だからだ。雰囲気が変わって新鮮にはなってるけど、格上げができてない感じがするんだよな」
 これ以上格上げされたら俺との格差がひどいことになる気がするけど。でもって、そんな格上げされた長沢さんに俺が耐えられる保証もないし。でもまあ、とりあえず。
「思い残すこと、無くなってないじゃん」
「確かにな」
 連城を現世に留まらせることができたようである。
「よし、もっと腕を上げるぜ」
 少年漫画のような展開であるが、目標が化粧なのは謎だ。
「いやさ、もしかして長沢さんにべたべた触りまくろうとか考えてないか。やめろよ、俺の女だぞ」
「ちょっと明弘くん。私のいないところで何を言ってるの」
 思いっきり聞こえていたようである。聞こえていたと言うことは、いないところではない思うんだが。
「いやちょっと。こいつが美香を化粧の練習台にしたがりやがっているみたいだからさ、ガツンとな」
「ガツンと何を言ったの」
 いやそれは、今し方の。
「俺の女に手を出すな、って言う?」
「きゃあああ、ひ、人前で何を言ってるの!」
 真っ赤になった顔を覆う長沢さん。あなたに言わされたんですけど。と言うかもう、こういうことは本当に長沢さんの居ないところで言わないとダメっぽい。
「自分でお化粧する時の参考にもなるし、私は別にお化粧くらいなら構わないけど。明弘くんがそう言うなら……遠慮してもらうしかないわね。そうだ、こうしましょうか。明弘くんが私に化粧できるようになればいいんじゃないかしら」
 何かいいことを思いついたという風に言う長沢さんだが。
「それは色々とハードルが多すぎると思うんだ」
 その一。俺に化粧のスキルは一切無い。ぶっちゃけ、絵心も人並みだ。本当に一から練習を始めないとならないし、まともな化粧ができるところまで行ける才能があるかどうかも判らない。そして、その二。これはきっと長沢さんにとっても大きなハードルになるんじゃないかと思われる。
「シミュレーションしてみようか。美香、椅子に座ってくれるかい」
「ええ」
 椅子に座る長沢さん。そして、俺はその顔に恐る恐る手を伸ばしていくと、長沢さんの首がどんどん後方に伸びていき。
「む、無理無理無理無理無理!」
 逃げ出す長沢さん。
「だろ?」
 そして、正直超ほっとする俺。やるまでもなく俺だってこれ以上無理だ。さっきは頬に触れることを想像しただけで悶えかけたんだからな。長沢さんの首が後ろに動いてなければ俺の手が止まっていたに違いない。そうならなかったのだから俺の勝ちと言えるが、それはなんの勝負なのか。
「何でだよ、俺なら平気なのに。普通逆じゃね?」
 連城はツッコむが。
「俺にも分からないよ」
 長沢さんにツッコむ度胸はなく、俺の方に来たのであしらっておいた。
「んー、まあアレか、俺でもナガミー様のご尊顔に触るのはさすがに緊張したし、どうでもいい相手とスペシャルな相手の差ってのはあるのはまあ分かるかも知れないな。そういう事だろ」
 ああ、そういう事か。それはいいとして、顔をべたべた触られた挙げ句どうでもいい相手として一緒くたにされた女子の皆様から何か負のオーラのようなものが飛んできている気がするぞ。
 とにかく、自分にやれないことを無責任に言い出してしまうのは困りものであった。

 こうして改めて見ていると、俺たちはやっぱりどこか似ている。同じだと言ってもいいくらいに。もちろん外見は全くレベルが違うが、恋愛のレベルというかスタイルは同じなのだ。モテるイケメン風の芝居を頑張ってしている俺と、シャイな自分を隠してフレンドリーをちょっとはき違えながらも演じ続けている長沢さん。本当の自分では何もできない同士。磁石の同じN極同士で、近付くことができない。しかしそれだとお互い引き合うこともないわけで、改めて俺たちに恋愛って無理じゃね?と思わないでもない。
 長沢さんから見れば俺は初心者向けの親しみやすい顔や性格なのだろうが、こっちから見れば顔は絶品の別嬪だしシャイな性格は攻めにくい。まあ、俺が演じてる勘違いモテ男というかモテてると勘違い男はどうなんだろうな。まあ、ぐいぐい来つつもある一線は絶対に越せないの見え見えだし、やっぱり相手にするなら初心者向けか。
 考え方を変えれば俺たちは交わることも離れることもない平行線のようなものだとも言える。そう考えれば、いつまでも側にいられるって事になるんじゃないかな。側にいるだけで何もできないとも言えるけど。
 まあ、理想としてはこんな感じで絶妙な距離を取りながら、少しずつ近付いて行ければいいかな。側にいる時間が長くなれば、距離が近いことにも慣れていけるはずだから。……慣れるかなぁ?
 吉田と竹川さんは幼馴染みの腐れ縁だと聞いている。長く一緒にいればあのくらいにはなると言うことだ。都合、十数年かかることになるのだろうか。人生における一緒にいた割合だとするともっとなんだが。まあ、個人差もあるし。その個人差、俺たちの場合確実に伸びる方向に向きそうな気がするけど。
 つくづく、先が思いやられる気がする。でも、今のこの現状が俺たちのスタートだ。
 そう、俺たちの日常――ロマンス――は、始まったばかりなんだ。

 なんか打ち切りみたいなまとめ方をしたが、実際の所ダブルデートもまだお開きになっていない。何もかも、終わる状況ではない。
 終わったのはメイクアップ撮影会だけだ。まだみんなでわいわい騒いでいる最中だが、小西さんの吉田への擦り寄りが閾値を越えたためか竹川さんがここからの離脱を決定。校門を出て、日の傾きかけた学校から駅までの通学路となっている田舎道を漫ろ歩いている。
「それで結局、今日は何だったんだろうな」
 俺の前を歩く吉田が誰と無く言う。返事をしたのは無難にその隣を歩く竹川さんだ。
「デートって感じじゃなかったよね」
「練習って感じでもなかったしな」
「結構部員も来てたけど、みんな遊んでただけだしな」
 俺も横から会話に入る。
「でも、楽しかったわ」
 長沢さんの意見に皆同意である。
「テニスの練習だと思ってきてみたら、いきなりデートって言われた時はびっくりしたけど」
 ただの練習だと思ってたのは長沢さんだけだったみたいだしな。
「なあ吉田。お前らってさ、普段からデートとかしてるの?」
 せっかくの機会なので、恋愛マスターと呼ばれている吉田に色々聞いてみることにした。
「うーん。デートってつもりじゃないけど、二人で遊びに行くことはまあ多いかなぁ。テニスしたり、サイクリングしたり、山菜とか採りに行ったり」
「二人で出かけるなんて、デートじゃないの」
 二人の進行具合に長沢さんは驚いたようである。山菜採りは微妙だと思うけど。
「家にいてもすることないから出かける感じっすよ。……あー、樹理亜のことは別に呼んでるとかそういう感じじゃなくて。一緒に家にいるからそのままついてきてるような感じ?」
 そう言えば、竹川さんって吉田の家に入り浸って半同棲みたいな生活してるんだっけ。……ぱっと見た感じは大人しい真面目な子って感じだけど、そう考えると結構な不良娘だな……。で、もちろん長沢さんはそんなことは初めて聞いたようだ。
「え?え?一緒に……住んでるの?」
「夜は帰ってますよ。ただ、昼間はちょっと、家に居辛いって言うのかな……」
 なんか、竹川さんの家庭の闇を垣間見てしまったようである。それはとにかく、一緒に住んでいるなら俺も同棲だと説明したのだ。夜にはちゃんと帰るから半同棲。寝るのは自宅だ。気になるのはお風呂にはどっちで入ってるかだが、女子のお風呂のことを考えちゃいいけないし、もしも自宅じゃない場合はそれはもうどうしようもないと思わないか。
 とにかく、複雑な事情に立ち入るのもなんだし、この辺はさらっと流そう。お風呂で泡を流す姿をイメージしそうになるが我慢だ。
「それで、これからどうしよっか」
「これから?もう夜じゃない」
 何を想像したのか真っ赤になりながら聞き返してくる長沢さん。まだ夜にまでは時間があると思うんだ。夜に何かを期待してるんじゃないかとさえ思わされる。
「うん、流石に夜が来る前に今日はもうお開きだけど、今後の話さ。たとえば来週とか。また今日みたいにみんなで集まったりするのかなー、って」
 今日はもう何もないことを強調しつつ。
 確かに今日のダブルデートはいい練習になったとは思う。テニスの練習もだが、デートの練習にもな。でも、まだ二人きりでデートするところまで行ってないんだ。是非とも次もご協力いただきたい。
「ごめーん。来週は妹と約束があるんだぁ」
 そりゃないよ竹川さん。でもまあ、先約があるんじゃ仕方ない。
「という訳なので来週は存分二人きりで楽しんでくれたまえ」
 あの。それって強制力ありますか?
「ご。ごめん、あたしっ。あたしも来週予定あるの」
 今無理矢理作ったかこれから慌てて作る予定だと思うけどありがとう長沢さん。でも、これはこれでちょっと困った状況なんだよな。何せ、もうあの日が目の前に迫っているんだから。
 クリスマス。キリスト教の重要な日。日本人はキリスト教なんか信じちゃいないくせにクリスマスだのバレンタインデーだのは盛り上がれる。ただし、恋人のいる奴が中心にだ。
 俺には無関係と言いたいところだが今年の俺には無関係じゃない。とは言え恋人になって間もないし何ならまだ実感が湧いてないレベルだ。だからいろいろ早いとは思うんだが、何もしないと言う選択肢はないだろう。今回を逃せば1年後だ。そこまでこの関係が持つかどうか正直怪しい。最初で最後かも知れない、千載一遇のチャンスなのだ。
 しかしやはり気軽に飛びつけるチャンスでもないのだ。何せ、クリスマス。初デートという山は勢いと吉田たちの協力で乗り切ったが早くも次の山がくるわけだ。しかもクリスマスデートと言う巨峰である。ただのデートすら後込みする俺たちにはあまりにも高く聳え立っている。
 次回はもうさすがに吉田たちに頼ることはできないだろう。あくまでもこちらからの話であって、向こうから誘ってきたら一も二もなく飛びついて参加するがな。
 しかし、ここしばらくのつきあいでさすがに俺だって長沢さんのことを少しくらいはわかってきているのだ。思うに、長沢さんだってこの状態でクリスマスデートなどと言う大それたことをしようなんて思わないはずだ。来週のただのデートさえ回避したのがその証拠である。
 吉田たちと別れて電車に乗り、駅で長沢さんとも別れた。それこそ、何事もなく。何事も、あろうはずがあろうか。
 俺と長沢さんは、こう見えて結構似た者同士。俺に無理なものは長沢さんにだって無理なのだ。
 まあ、改まってデートとかは無理でも毎日電車は一緒なのだ。もしかしたらクリスマスまでに心境の変化があったりするかもしれない。
 未来のことなんて誰にもわからない。

 俺はたった一回、半ば騙すようにデートに連れ出しただけで長沢さんを分かった気になっていたらしい。未来のことより分からないのは女心だった。
 何事もなく次の日曜日を一人で過ごした翌週。いつも通り通学電車で長沢さんと語らう。その中で、出るべき話題が出たのだ。
「クリスマスの予定は開いてる?あ、イブの方ね」
「開いてないよ、君と過ごす予定だからね」
 何を言ってるんだ俺は。
「なっ。……なるほど、それはごもっともだったわ」
 納得されたし。
 納得されたのも謎だが、そもそもの俺の反応も謎だった。クリスマスについてはどうしたものかといろいろ考え、その結果考えないようにしていたのだ。よって、君と過ごす予定どころか何の予定もないのである。
 こういう話はがんばってプレイボーイ風の芝居をしている最中に振らないでほしい。まあ、この芝居をしないと長沢さんとまともに話ができないんだけど。
「どうせ二人で過ごすなら、提案があるの」
「へえ。デートかい?」
 そんな無茶を言い出さなければいいなあ、などとドキドキしながら問いかけると、向こうもそんなことを言われてドキドキしているそぶりで答えた。
「あ、改まって二人きりになるのはさ、まだ早いと思うのよ」
 うんうん、同感だよね。まあ、さっき君と過ごす予定だとかそれはごもっともとか言った二人の会話じゃないけど。
「だからね。うちに来てくれないかしら」
 なんですと。いきなりとんでもないことを言われて思わず芝居も忘れてしまう。
「あの、それって……二人きり?」
「そんな訳ないでしょ!」
 ですよね。ほっとした。……いや、ほっとしてる場合じゃなくね、それ。
「それってつまり……ご家族も?」
 って言うか、パパさんも?
「そうよ、みんなに紹介しようと思って」
 改まってどこかで二人が会う方が先だと思うんだよね、それ。
 彼氏という立場でパパさんって、言うなればラスボスよ?ロープレで言えば最初の町で武器と防具を買おうとしたら店で魔王が待ち伏せていたみたいなもんよ?なんてイベント入れてくれてんの。
 これは断固拒否せねば、俺に未来はない。
「来て……くれるよね?」
「もちろんさ」
 その上目遣いは反則です。反射的にオッケーしてしまったじゃないか。
 そんなわけで、元々なるべく考えないようにしていたクリスマスについて、完全に考えないことにしたのである。

 無理です。長沢さんと二人で過ごすことが決まったばかりか二人きりではないことも確定したクリスマスのこと、考えるななんて無理。
 期待感と絶望感がない交ぜになった複雑な想いが渦巻き、考えれば考えるほどドツボにはまるだけで無駄なのは解ってるんだが、考えずにはいられないのだ。
 これで一人で悩みを抱えることになったら潰れていたに決まっているのだ。しかし俺には頼もしい先導者がいるのだ。恋愛マスターこと吉田様である。時々混ぜっ返しておちょくるだけの煽動者でしかないこともあるが、そういう時はおちょくって流せば済む程度の悩みでしかないということである。恋愛マスターに任せておけば何の心配もいらないのだ。
 そのくらいの気持ちでいないと怖くて相談できないんだけどな。一応、直球で質問するのは避ける。足元見て足を掬われそうだし。
「吉田、クリスマスは二人きりか」
 雑談から入ることにした。言葉は少なすぎるくらいに少ないが、いいたいことは伝わった。カノジョ持ちにとって、クリスマスに二人きりかどうか聞かれる相手などカノジョしかいないからだ。
「そうでもない。うちには弟もいるからな」
 返ってきた言葉も少なすぎるくらいに少ない。しかし、精査してみるとこれだけで相当な情報が盛り込まれていることに気付かされるのである。
 まず、うちとか言ってるので家に連れ込むことが判明。しかもさらっと言ってたり弟がいるのも気にしていないあたりから日常的に連れ込んでいることも判明。さすがですマスター。
 ちょっと踏み込んで聞いてみたら幼稚園の頃から出入りしてることが判ってそういうことかってなったが。それはそれで未だに平気で出入りしてる竹川さんがスゲエ。吉田がすごいんじゃなくて二人とも俺とは違うディメンションを進んでるだけだった。
 しかしそんな吉田からみても今回の話は想像を絶するケースだったようだ。
「何でそんなことになってんだ」
「俺が聞きたいよ。で、俺はどうすりゃいいの」
「知るかよ。郷に入れば郷に従え……じゃないけど、この場合はゲストとしてされるがままになるのが一番だろうさ」
「それはそれで宮沢賢治のアレみたいになりそうなんだけど」
 お客様として言われるままになってたら料理されそうになる奴。長沢さんになら食べられてもむしろ本望だがパパさんには踊り食いではらわたを食い散らかされそう。とは言え、今回は長沢さんが呼んでくれているのであってパパさんからの出頭命令ではないのだ。であるならば長沢さんが良きに計らってくれると信じよう。
「ちなみに俺は女の家に挨拶に行く時のアドバイスはできないぞ。樹理亜の家に行くことはないからな」
「そんな殺生な……」
「10年以上前の話ならできるが」
「役に立つか、そんなの」
 どう考えても年齢一桁じゃねーか。
「そう?まあ、家族に紹介したいくらいには腰を据えておつきあいしていくつもりってことだし、ナガミーも本気ってことだろ」
「そう……なのかなあ」
 クリスマスの惨劇で幕引きを図ろうとかしてないよね……。
 それはとにかく。俺から乗り込むことにしたというならそれは作戦も必要になるだろう。しかし今回は招かれた客なのだ。ならばお膳立ては向こうがしてくれている。そう信じて突っ込むしかない。そんな分かり切ったことが結論である。
 平たくいえば、吉田は俺に救いの手を差し伸べてはくれなかったということである。だからきっと大丈夫だ。大したことじゃない。

 俺たちは一つ重大な勘違いをしていたようである。
「それはパパよ」
 俺を長沢さんちに呼ぶことを決めたのは誰なのかを念のために聞いてみたら返ってきた答えがこれであった。俺たちは今回のプランが長沢さんによる紹介イベントであるという前提で対策を話し合っていた。だがその前提が今崩れたのだ。
 話の流れとしては今回のことを決めたのが長沢さんであることを確認し、パパさんは今回のことを知っているのかを聞くつもりだった。例えばサプライズとしてパパさんに引き合わせるプランだったら、サプライズが過ぎて一刀両断にされかねない。その辺を探るべくスパーリングのジャブとして出した最初の質問で、ある意味次の質問の答えまで出た形である。返ってきたのはカウンターのストレートからの全力ラッシュ。一手目でもうダウン寸前だ。
「パ、パパパがななんで俺を?」
 あかん。これはあきまへんわ。パパさんが俺を呼び出す理由など娘に手を出す不埒な男を処断するために決まっているのだ。百歩譲って娘に相応しい男かどうか見極めるためだとしても、釣り合ってない自覚があり過ぎる。
 うん。もうこれは考えるだけ無駄だ。終わった。
 こういう時は一人で悩んではいけない。いのちの電話のお世話になることにする。
「助けてよしだもん!」
『なんだよ、もんって』
「いや、ほらあの国民的猫型ロボットに決まってるだろ」
『そのもんか。バカもんとか田舎もんとかのもんかと思ったわ。せめてえもんまで言ってくれないと』
「ヨシえもん?ヨシでもん?」
 後者はデーモンっぽいから却下だな。はまりすぎててこれから相談するのに縁起悪い。いのちの電話で魂を取られたら本末転倒だ。まあとにかく、そんなわけで吉田に電話を掛けたのである。
『お前を呼び寄せたのがパパだったのか』
「そうなんだよ。俺、どうなっちゃうの」
『どうにもしないだろ。話の感じだとナガミーとパパミーの家族関係は良好なんだろ』
「そんな感じだな。パパさんの提案に従って俺を呼んだわけだし。ってかパパミーってなに。せめてミーパパじゃね?」
 ナガミーのミーって美香のミーなんだし。
『仲のいい娘がつき合ってる男を無理矢理引き離すようなことをして、良好な関係に傷を付ける方がデメリットだろ。最悪その八つ当たりで彼氏に意地悪することでさらにこじれるスパイラル突入なんてなったら目も当てられん。娘を愛しているならばこそ、娘の嫌がることなどできようものか』
「なるほど。そう考えるとそんなに恐れることはないのかな」
『娘の貞操を守るため我が身など捨てて討ち取りにくるかもだけど』
「恐ろしいわ!明後日行くんだぞ!」
『まあ、パパミーが何のためにお前を出頭させたのかはわからないが、ナガミーが仲介してるなら心配することはないだろ。ナガミーだって変なことにならないと考えてるからクリスマスに会わせようとしてるんだろ。ナガミーを信じてやるんだ、男らしくな!』
 顔が見えなくても判る。吉田は笑顔でそう言っていることだろう。笑顔は笑顔でも口の端だけ吊り上げた半笑いである。これはあれですわ。まじめに答えてねえですわ。
 それが意味するのはまじめに考えるほどの問題じゃないと言うことなのだろう、多分。そりゃそうだ、ただ顔を合わせて自己紹介しあってパーティーして、それだけだろうから。きっと。
 本当かなあ……。