マジカル冒険譚・マジカルアイル

05.外の世界

 この洞窟は一本道で、一番奥に行くまでにも脇道などなかった。外の世界に行くにも、諦めるにしても、この岩をどうにかしないことにはどうしようもない。
 魔法の力で岩を持ち上げようと二人で力を合わせてはみたが、びくともしない。
 少し考えて、エリアが思いつく。
「そうだ。火の魔法でうんと熱くして溶かしちゃおう!」
「無茶だよぉ。石ってどのくらいで溶けるのさ」
「うーん、分かんない。でも、鉄が溶けるんだから石だって溶けるよ!」
「本当かなぁ」
 クレイのぼやきに付き合っているといつまで経っても話が進まないので、エリアはクレイを無視して炎の呪文を唱え始めた。渋々クレイもそれに付き合うことにする。
 出来る限りのフルパワーで巻き起こされた炎は激しく渦巻き、岩の表面を舐め回していく。
 みるみる、洞窟内は蒸し暑くなっていく。
「うわあ、ダメダメ!こんな閉めきったところでこんなに火をおこしたら先に、僕らが蒸し焼きになっちゃうよ!」
「それもそうね」
 クレイの喚きにエリアも詠唱を止めた。エリアの額を汗が流れる。もちろんクレイも汗でびっしょりだ。でも、さっきびしょぬれになった時にも乾かしていないので、傍目にはあまりよく分からない。
 詠唱をやめて炎が消えても、熱せられた岩は夏の日差しのようにクレイ達に熱を放射してくる。
「ね、ねえ。一回冷まそうよ。死んじゃうよ」
「そうね」
 さすがにエリアも我慢できなくなってきた。足元の水を汲んで顔にかけるが、もはやそれはお湯であった。
 水をかけると、激しく蒸気が上がりクレイ達に襲いかかってきた。
「うわぁ、だ、ダメだあ」
 クレイは船を飛び降り、奥に逃げようとした。だが、すぐに船に飛び戻ってきた。下の水の温度が我慢できないほどに熱くなっていたのだ。
「そうだ、外の水だ!外の水を呼び込んで冷やせばいいんだ!」
 クレイにしてはいい思いつきだった。早速詠唱を始めるクレイ。
 だが、ピンチのせいで焦りすぎ、クレイの悪い癖が出てしまう。コントロールを誤ったのだ。
 洞窟の奥の方から地鳴りがしたかと思うや、凄まじい量の水が押し寄せてきた。エリアは慌ててバリアを張ろうとしたが間に合わない。船ごと二人は激流に飲み込まれた。
 次の瞬間、二人は海に投げ出されていた。
 洞窟の入り口を塞いでいた岩は丸い大きな岩ではなく、洞窟の入り口を塞ぐ程度の石板のような岩だった。熱せられ、それが急激に冷やされたことであっさりと割れてしまったのだ。
 長老は、この洞窟を丸ごと隠すために周りの崖と見分けがつかないような岩で塞いだのだ。ぴったりとはまった岩の蓋は上に持ち上げようとしても動くわけはなかった。
 もっとも、激流に飲み込まれ、気がついたら海に投げ出されていた二人にはそんなことを知る術はない。二人は何が起こったのかさえも理解していなかった。とにかく、助かったと言うことだけは分かった。
 海面に顔を出し、辺りを見渡す。二人とも、真っ先に目についたのは、二人と一緒に洞窟から吐き出されて海に漂っている船だった。狭い洞窟の中では大きく見えたが、広い海原に浮かんでいると小さく見える。二人は無我夢中で船まで泳ぎ、しがみついた。
「あー、せっかく乾かしたのにまたびしょ濡れぇ」
 船の上に上がったエリアがぼやく。
 クレイもなんとか船の上によじ登った。そして、大事な本を持っていないことに気付く。
 思わず大声を出しそうになるが、エリアの手前少し言いにくい。オドオドと視線を泳がせていると、船の舳先の辺りにぽつんと置かれている本を見つけた。偶然こんな所に乗っかるというのは考えにくい。やはり魔法の力が働いているのだろう。濡れている髪や服に気をとられているエリアが気付かないうちに、こっそりと本を手に取り、クレイはほっとため息をついた。
 船が、ゆっくりと動き出した。二人は島を振り返った。そう、この帆も櫂もない船は、それでも少しずつ速度を上げ、島から遠ざかっていく。
 船は二人を乗せて進んでいく。外の世界へと。
 二人は名残惜しげに、特にエリアの勢いに引きずられ、結局付き合わされてここまで来てしまったクレイは複雑な表情で遠ざかっていく島を見つめ続けた。自分達が住んでいた小さな世界。それは、本当に小さかった。遠くから見るとこんなに小さかったのかと思うほどに。
 感傷に浸っていると、島の方から何かの影が近づいてくるのが見えた。鳥かと思ったが、近づくにつれ鳥にしては大きいことが、人のようであることが分かる。さらに近づくと、誰なのかさえも分かった。
 長老だ。長老がすごい勢いで二人の乗った船を追いかけてくる!
「うわああぁぁ。急いでえぇぇ」
 クレイは叫ぶが船は何事もないようにそのまま進んでいる。エリアははっとする。
「ハリ・フュルス!ハリ……」
 加速の呪文。いや、慌てていたので呪文にすらなっていないのだが、それでも船はその「命令」を聞いてくれた。魔法語であれは船は命令を聞いてくれるのかも知れない。
 船は勢いを増し、水しぶきを上げながら海の上を駆け抜けていく。強い風にエリアの長い髪が靡いた。
 追ってきていた長老はみるみる小さくなる。長老は知っていたのだ。このまま進めば、自分も結界の外に出てしまうことに。
 二人はほっとした。が、気がつけば既に島は見えなくなっていた。
「もう戻れないね」
 エリアが呟く。
「え?」
 風で良く聞き取れなかったクレイが聞き返すが、エリアは繰りかえしはしなかった。

 外の世界。それはとてもとても広い世界。
 クレイもエリアもその広さを知らなかった。本に書かれた地図によれば、自分達の住んでいた島はまさに絶海の孤島。それは分かっていた。
 だが、実際、こうして海原に出てみるとその広さは想像を絶していた。三日三晩、風を切って進む船に乗り続けても海の終わりは見えなかった。
 その間、飢えも渇きも、船酔いさえも起こらなかったのは、やはり不思議な力のおかげなのだろう。
 ただ、退屈なのだけはどうしようもなかった。
 変化のない海原の風景にはすぐに飽き、本も3回くらいずつ読み返した。本を取られた方は空に浮かぶ雲を目で追うくらいしかすることがない。
 このまま永遠に漂流し続けるんじゃないか、そんなことを思い始めた頃、水平線の上にうっすらと陸地が見え始めた。
 それは、大きかった。水平線の上に現れたかと思うと、見る間に水平線を埋め尽くし、水平線は後ろにしか見えなくなった。あまりにも大きな陸地だった。
 二人を乗せた船はゆっくりと砂浜に乗り上げた。
 クレイとエリアは我先に船を飛び降り、初めての外の陸地を踏もうとした。エリアがクレイを押しのけ、ほんの少しだが先に外の世界を踏むことが出来た。島の砂浜と何ら変わりのない感触だった。
 それと同時に、船の上では押さえられていたいろいろなものが催してきた。二人は急いでそこいらの茂みに、出来るだけ離れているが、はぐれない程度の距離の茂みに隠れた。
 すっきりして戻ってきてみると、砂浜にあるはずの船は跡形もなく消え失せていた。
 次に我慢できなかったのは渇きだった。
 船に乗る直前、蒸し風呂のようになった洞窟の中で全身の水分を絞り出され、その後塩水までのまされた渇きが、一気に襲ってきた。
 水なら目の前にいくらでもあるが、この海の水を飲まされたおかげで渇きに襲われているのだ。これは飲めない。
 しかし、近くに真水が沸いているような泉も、川も、井戸もないようだ。
 いつものように魔法で水を呼び出すことにした。
 こう言う時はエリアはクレイにやらせようとする。クレイもぐだぐだ言う気力もないので言われるままに呪文を唱え始めた。
「アーカ・カンマ!」
 クレイの目の前の空間がもやもやと歪み、差し出したエリアの手に水が降り注ぐ。が。
「何よ、これ。ちゃんとやってよ」
 出てきた水はエリアの手を濡らす程度だった。
「あれー?」
 首を傾げながら、クレイはもう一度呪文を唱えてみる。先ほどと何ら変わりはなく、エリアの手には、先ほどの水を合わせて辛うじてほんの少しの水がたまった。
「もー。けちくさいわね」
 とは言いながらも、その辛うじて溜まった水を舐めとる。さっき手を洗った海水の塩味がした。またすぐに喉が渇いてしまいそうだ。
「なんか変だよ。魔法がすごく弱い」
 エリアは半信半疑でクレイと同じように呪文を唱えてみた。クレイの時と大差ない、ほんの少しの水が出てきた。いつもなら、この唱え方ならば小さな壷ならいっぱいに出来るくらいの水がでるはずなのに。
「そう言えばその本に書いてあったね。外の世界は魔法が弱いって」
 クレイが慌てて読み返してみると、確かにはっきりと書いてある。そう言えば読んだ記憶はあるが、良く覚えていなかった。
 こんな事を繰り返すより、川や泉を探した方が早そうだ。見渡すが、砂浜は延々と続いており、近くに川がありそうな雰囲気はない。
 ならば、内陸に向かって泉を探した方がいいだろうか。
 そんなことを話しあい、とりあえず歩くことにした。
 すぐに、道らしきものに突き当たった。海岸に沿い、左右に続いている。どちらに行くべきか。何も分からない以上、考えても仕方がないことだ。気の向くままに歩くしかない。
 道を歩いていくと、見たことのないものに出会う。馬車だ。狭い島では馬車など必要ない。馬はいるが、畑で働かせることがほとんどで、乗ることなどない。驚く二人の横を、馬車はあっという間に通り過ぎていった。御者は興味津々で馬車を見つめる二人に興味さえ示さない。
 とにかく、ここにも人が住んでいると言うことはこれではっきりした。道があるのだから、それを通る人がいるのは当然ではあるのだが、人をその目で見ることができたのだ。
 道はやがて林の中に入っていく。林の中を探せば食べられる木の実くらいはありそうだ。
 辛うじて、赤い実をいくつかつけた木を見つけた。酸っぱく少し渋い実だったがほんのりとは甘い。この空きっ腹には、普段ならば思わず吐き出してしまいそうな味の実でさえ、おいしく感じられた。腹が膨れると言うほどは食べられなかったが、飢えはしのげそうだ。
 さらに、林の中に小川を見つけた。二人は飛びつくように駆け寄り、喉を潤した。

 林を抜けると、広い平野だった。
 見渡す限り、平坦な草原が広がっている。道はその草原を海沿いに突っ切り、地平線に消えていく。今見えている部分だけでも、島はすっぽりと収まってしまうだろう。世界の広さを二人は実感する。だが、これでもその広い世界の片隅の、ほんの一部を見ているに過ぎないのだ。
 地平線の向こうには、また地平線があった。中央が小高い丘になっている島には地平線がない。これだけの距離を歩いたのも初めてのことだ。狭く、それだけにいろいろな物が密集している島なら少し歩いただけでも目的地に着ける。こんな長く、まっすぐで、周りに何もない道は島にはない。
 それもそのはずだ。この道は田舎町と田舎町を結ぶ田舎道。そして、どちらも港町なので、荷物運搬も海路が使われる。この道は、ほとんど通る人がいないのだ。
 この寂れた道を辿るクレイとエリアは、ほんの数回だけ荷馬車を見かけた。それ以外はこの道を通る人とていない。
 どこ果てるともなく続く長い道に、二人の不安は増していく。このまま、何もないまま永遠に道だけが続くのではないか。
 だが、二人は遂に人の住んでいる家を見つけた。
 広い平原に柵を巡らし、その中では何頭もの牛が草を食んでいる。島には牛などいない。肉を食べるために飼う生き物は鶏くらいだ。小さな島なので大きな生き物など住んでいない。初めて見る大きな牛に少し怯えながらも、その柵の近くに建つ小屋に駆け寄る。
 小屋の傍らでは小太りのおじさんが牛舎の掃除をしている。声をかけてみることにした。外の世界では初めて人に話しかけることになる。果たして言葉は通じるのだろうか。
「こんにちは!」
 二人は声を揃えておじさんに挨拶する。おじさんは振り向いた。
「おう、なんだい」
 かなり訛っているが言葉は通じるようだ。何を話そうか。
「この近くに町はありますか?」
 クレイがもたついている隙にエリアがおじさんにそう尋ねた。
「ああ、そっちにちょっと行くとベルネサの町があるよ。嬢ちゃん達、旅をしてるのかい」
 おじさんはクレイとエリアが進んでいた方を指さしながら言った。このまままっすぐ行けば町につけるようだ。
「はい」
「こんな時代になぁ……。深い事情があるんだろうが、聞かずにおくよ。しかし、今からじゃ明るいうちには着けんぞ。泊めてやろうか?」
「いいんですか?」
「こんなボロい、牛臭い田舎小屋でいいなら好きなだけ泊めてやるよ。こんな所に住んでいると、面白い話もなにもないんでな。旅の話でも聞かせておくれ」
 クレイとエリアは喜んだ。しかし、旅の話と言われてもまだ何も話すことがないのが気がかりではある。
 最初に、絞りたての牛乳を温めたホットミルクを振る舞ってもらった。もちろん、飲んだことはない。
 おじさんは二人がミルクも知らないことに驚いた。
「一体どこから来たんだね。ずいぶん訛っておるようだが」
 ずいぶんと訛ったおじさんだと思っていたが、向こうから見ればこちらの言葉が相当訛って聞こえるようだ。まあ、当然だが。
 しかし、どこから来たと言われても困ってしまう。島では自分達の住んでいる場所のことを「島」としか言わない。他に島もないのだから、改めて名前を付ける必要などないのだ。
「ちょっと遠くの島からです」
 エリアは無難な答えを返した。おじさんも、遠くの島なら名前を聞いても分からないと思ったのか、特に深くは聞こうとしなかった。
「そうか、だから牛もいないんだなぁ」
 おじさんは納得してくれたようだ。
 ホットミルクで渇きも潤い、腹も膨れた二人は、日が暮れるまでおじさんを手伝うことにした。
 おじさんのしている仕事のことはよく分からないので、小屋の掃除を手伝う。男やもめというおじさんの部屋は、物がない割には散らかっている。
 その後、二人は夕食の準備に取りかかった。野菜はもちろん、ビーフも自給自足だ。もっとも、二人にはこの肉が窓の外でのんびりと草を食べている牛の肉だとまでは分からない。
 肉と言えば鶏の肉しか見たことがなかった二人は、見慣れない大きな肉の塊に戸惑いながらも、調理を続けた。
 しかし、コンロの様式がまるで違うので使い方がよく分からない。
 とりあえず、薪をくべるのはどうにか分かったが、その薪に火を付ける方法が分からなかった。火打ち石など使ったこともないのだ。
 だが、かなり弱い魔法でも、火打ち石が散らす火花よりは強い火をおこす自信があった。
 エリアが呪文を唱えると、蝋燭の炎くらいの小さな火が、薪の上にばらまいた枯れ草の上で踊った。魔法の火はすぐにかき消えたが、枯れ草くらいにはあっさりと燃え移った。
 パチパチと音を立てて炎が大きくなるのを見てほっとしたその時。
「今、何をした!?」
 後ろを通りがかったおじさんが突然大きな声を出した。
 エリアも、外の世界の人は魔法になれていないだろうからと多少は気を遣っていたのだが、呪文を口に出すとやはり聞こえてしまう。まして、かなり弱くなった魔法を出来るだけ強くするには、出来るだけ強く呪文を唱えなければならなかった。声もどうしても大きくなってしまう。
 だが、それにしてもこのおじさんの反応は予想以上だった。
 おじさんは凄い剣幕で二人を小屋から追い出した。
「どうしちゃったんだろ、おじさん……」
 小屋を振り返りながらクレイが呟いた。
「多分、あたしが魔法使ったせいね」
 エリアは落ち込んでいる。
「え?なんで?」
 クレイは分かっていない。
「島の外じゃ魔法を使う人はいないでしょ?だから魔法を使う人がいたらとても不思議がるだろうなってのは分かってたんだよ。だからこっそり使ったつもりなんだけど、あそこまで嫌われるなんて思ってなかった」
「えーっ、関係ないんじゃない?」
「あまり、人前じゃ魔法は使わない方がいいみたいね」
 そんなことない、と思いたいクレイだが、エリアの落ち込みようを見るとそうは言いにくかった。
「うーん。まあどうせ使えるほど魔法が強くないからいいけど……」
 二人は道を歩き始めた。さっき教えてもらったベルネサという町を目指して。

 日はもう傾いている。道はどこまでも続いている。
 先ほどもらったホットミルクだけではすぐに空腹が襲ってきた。
 誰も頼る者がいない世界に放り出されることがこれほど大変だとは思っていなかった。
 歩いているうちに日がとっぷりと暮れ、空に星が瞬き始めた。
 二人はようやく海辺の小さな村を見つけた。だが人は住んでいない。捨てられた廃村だった。気味は悪かったが、贅沢は言っていられない。今日はここに泊まることにした。
 朽ちかけた家々の中でも一番壊れていない小屋を選ぶ。ベッドが一つだけあった。クレイはエリアにベッドを譲り自分は椅子に座ってテーブルに突っ伏せて寝ることにした。たまに授業中にこうして寝ていたりもしたので慣れたものだ。
 古びたほこりくさいベッドに、枕も毛布もなく寝るエリアの方が寝づらいくらいだ。もっともエリアはクレイのように授業中に机に突っ伏せて寝ることに慣れていないので入れ替わったところで眠れそうになかった。
 疲れのせいか、クレイは実にあっさりと眠りに落ちた。その寝息に誘われるように、エリアも眠りに落ちた。

 朝日が小屋の中に差し込んできた。
 目を覚ましたエリアは、朝日に照らされベッドが思ったよりも埃まみれであることを知った。体中埃まみれになっていた。最悪の目覚めだ。
 埃まみれになったエリアが慌てて埃を叩いてばたばたし始めると、クレイも目を覚ました。クレイが突っ伏していたテーブルには、埃でクレイの姿が浮かび上がっていた。
 とにかく、腹が減っている。
 食べ物があるとは思えないが、何かは見つかるだろうと、村の中を散策してみた。
 思ったよりも小さな村だ。漁村だったらしく砂浜にはいくつかのボートがうち捨てられていた。どれも朽ちて使い物にはなりそうにない。
 崩れた小屋の中で箱に入った釣り道具と竿を見つけた。これで魚を釣れば食べ物にありつける。
 クレイは浜の岩の上で釣りを始めた。エリアはその間、砂浜で貝を拾う。
 決して釣り名人ではないクレイだったが、どうにか小さな魚を一匹だけ釣り上げた。その後、古い糸は少し大きめの魚に引きちぎられてしまった。エリアは貝を結構拾っていた。
 壊れた小屋の木材を薪がわりにして、魚と貝を焼く。かなり少ない朝食だが、何もないよりはマシだ。
 このまま歩き始める気にはなれなかった。二人はもう少し村を良く捜してみることにした。錆びかけたナイフや埃まみれのずだ袋など、使えそうなものをいくつか拾うことが出来た。しかし、村から人が離れていく時に荷物はあらかた持ち去ってしまったようだ。
 これ以上この村に留まっていても仕方がないと感じた二人は、再び歩き出した。

 道は長い。まだ終わりが見えない。
 やはりこの道は歩いて通る人はいないようだ。何台か馬車が通りがかる。それだけだ。
 ようやく、町らしい物が見えたのは日もすっかり高く登った頃だった。
 この世界では小さな田舎町だ。それでも島しか知らない二人にはとても大きな町に見えた。
 道端にぽつんと置かれた看板に、島で使われている文字から見るとずいぶんと歪んだ文字で『ベルネサへようこそ』と書かれている。
 道は町をまっすぐに突っ切り、真ん中の広場に続いている。両脇には何軒も店が並んでいる。
 二人は店での客と店主のやりとりを眺め、買い物にはお金を支払う必要があることに気付く。とは言え島では物々交換かお裾分けが日常だ。お金などと言う概念はない。だからお金が要る、とははっきり分からない。とにかく、物々交換ではなく何か同じような物と商品を交換している。何を手に入れるにも、それが必要であると言うことだ。二人はそれを持っていない。それを手に入れなければ、せっかくこんなに山積みになっている食べ物も手に入れることは出来ないのだ。
 しかし、どうすればお金が手にはいるのか分からない。二人は店先の食べ物の山を飢えを堪えて眺めながら、何も出来ずに通り過ぎるしかなかった。
 この町には、島になかった物が多すぎる。店などと言う物はもちろん、馬車や船の乗り場。どこで何をするにもお金が要る。町中でも水はただで飲めたが、水がいくらでも湧いてくる魔法の壷があるわけではなく、ポンプで汲み上げて、入れ物に汲まなければならない。ポンプの使い方も、人がやっているのを見てどうにか憶えた。二人はお金のことだけでなく、この町ではあらゆる事に途方に暮れなければならなかった。
 この町の人達はたとえ相手が子供であっても、余所者には冷たかった。泊めて欲しいと頼んでも宿屋の場所を教えられるだけ。その宿屋に泊まるお金がないと知ると、乞食と罵り戸を閉めてしまう。
 二人は寝る場所もないままに夜を迎えた。
 夜風や夜露を避けられる場所を探し、家族達が笑い合う声と一緒に窓から漏れる微かな明かりを頼りに町を歩き回った。
 夜に町中をうろつく子供二人を、巡回の警備兵が見つければ、不審がるにせよ保護するにせよ、番所にでも連れて行ってくれただろう。だが、そう言った幸運は起こらず、二人は寝静まった家々の狭間で小さくなるしかなかった。
 二人とも口には出せなかったが、心には後悔とこれからの不安が渦巻いた。クレイを無理矢理誘い連れ出したエリアも、そもそもエリアがそんなことを言い出すきっかけを与えたクレイも、そんな事は言えなかった。

 冷たい夜風に晒され、寝付けずにいる二人の耳に、風に乗って騒がしい声が聞こえてきた。
 エリアはそんな事はどうでもいいと俯いたままで居たが、クレイが立ち上がりその声の方に歩き出したので、それについていった。
 きょろきょろしながら通りを歩いていると、間近で扉を開く音が夜の静寂の中に響いてきた。門のあるそこそこに大きな屋敷だ。その門が静かに開く。
 通りに人影がいくつか飛び出してきた。慌ててクレイとエリアは路地に引っ込んだが、見つかってしまった。足音が近づいてくる。
 二人は路地の奥に逃げ込んだが、歩き尽くして疲れ果て、その上空腹だった二人はすぐに追いつかれてしまう。後から追いかけてきた男たちに取り囲まれてしまった。
「なんだ、こいつらは。こんな時勢に夜中にうろつくなんざ、殺してくれと言ってるようなものだろうが」
 追いかけてきた男は懐からナイフを取り出す。エリアは思わず悲鳴を上げた。
 その声に、誰かが起き出したのか、頭上にあった窓が開いた。
「早く殺せ!」
 その声に、窓から身を乗り出した人影が引っ込んだ。慌てて家族を呼びに行ったのだ。
 クレイは必死に呪文を唱えていた。炎を起こす呪文を。
 炎は起きた。やはり、とても弱い炎ではあったが、目の前にいた男の上着に燃え移った。
「こ、こいつ魔法使いか!?」
「まずい、逃げろ!」
 二人を取り囲んでいた男たちは泡を食って逃げ出した。火のついている上着は投げ捨てられ、クレイとエリアの目の前にどすんと重い音と共に落ちた。
 先ほど窓が開いた家が、ばたばたし始めた。誰かが出て来る前にクレイとエリアもその場から離れた。
 クレイは先ほど男が投げた上着を拾ってきていた。
「何よ、そんな汚い上着。着るつもり?」
「まさか。何か入ってるみたいだからさ」
 クレイは上着にずっしりとした重みを感じていた。
 ポケットの中には革袋が入っている。その中にはぎっしりとコインがつまっていた。
「これ、お金じゃない?」
 エリアはそう言いながらコインを手に取った。昼間、町で買い物している人が渡していたものと同じだ。
 初めて見るお金なので、二人にはどれほどの価値があるのかは分かっていない。
「これ、もらっちゃおう」
 エリアは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「でも、悪いよ」
「なによ、あたし達のこと殺すとか言ってた奴らに遠慮なんかすることないでしょ」
「……それもそうだね」
 そう言いながらクレイが顔を上げた。
 その目に、赤い光が映る。火だ。
「エリア、あそこ、燃えてる」
 クレイに言われ、エリアも目を向ける。遠いところではない。あの場所は。
「あそこ、もしかしてさっきあの連中が出てきた家じゃない?」
「そう……みたい。どうなってるんだろう……」

 クレイもエリアも泥棒など知らない。島では盗みなど働かなくても生きていける。必要な物はお裾分けや物々交換で揃うし、盗むほど高価な物も滅多にない。盗むほど高価な物がある家は、強力な魔法使いの家ばかりで、盗みに入れるようなものでもない。たまに手癖の悪い悪ガキなどもいるが、せいぜいその程度だ。
 島の中は皆顔見知りだ。顔を見ればどこの誰かすぐに分かる。悪いことをすればすぐに誰か分かってしまう。あまり悪いことをするような人は、とても恐ろしい罰が待っている。島の外への追放。島の普通の人達にとって、二度と戻れない恐ろしい場所である外の世界への追放は、死に等しい。
 だから、盗みを生業にする者など、いるはずがないのだ。
 先ほど、クレイ達が出会ったのはその泥棒だ。しかも、かなりたちの悪い火付け盗賊だ。
 その火付け盗賊たちにとって、今夜の仕事はなかなかの大仕事でもあった。町の名士の家であるその家で、この町での仕事を終え次の町へ行くところだった。
 盗賊たちはその仕事を前に、この町で稼いだ金を分けたばかりだ。だから上着の財布にコインがつまっていたのだ。
 そんな大金を上着と一緒に投げ捨てた男は、やはり機嫌が相当悪くなっていた。
 魔法に驚いたとは言え、叩けば消えるような火だった。それで持ち合わせを全て投げてしまったのだ。
 盗賊は親切ではない。それは仲間に対してもそれほど差があるわけではなかった。男は次の稼ぎがあるまで仲間の借金で乗りきらなければならない。利子もしっかり取られるだろう。
 腹立たしげにボトルの酒をラッパ飲みする男に、盗賊団の首領が声をかけた。
「荒れてるな、リマーゾン」
「当たり前だ、せっかく仕事がうまく言ったと思ったのに有り金全部投げちまった。魔法使いが相手なんてぞっとしねぇ。ああ、ろくなもんじゃねぇや」
 そう言ってはまたボトルに口を付け逆さにする。
「ガキの火遊びにぞっとしてどうするってんだ」
「それよ。そんなガキの火遊びにビビっちまった自分も情けねぇや。しかもよりにもよって財布投げちまうなんざ……」
 落胆に追い打ちをかけられたリマーゾン。
「なあに、悪いことばかりじゃねぇぞ。とっさだったからかも知れないが、魔法使いったってあんなハムエッグも焼けねぇような火しかおこせないような奴だ。また見つけたら今度こそとっつかまえてやりゃいい。魔法使いなら、突き出してやりゃ王国から褒美の一つも出るだろうよ。今夜この町を出る予定だったが、もう一仕事してみるのも悪くねぇだろ?」
「そいつはいいが……タバロックよぉ、あんなガキとっつかまえて魔法使いですって差し出したって、御上は信じやしねぇぜ?」
 タバロックは顎髭をさすりながらにやりと笑う。
「なあに、名案があるのよ。それにゃ昼間だ。昼間にあいつらを見つけ出さなきゃならねぇ」
 タバロックは仲間を集め、その考えを話し始めた。

 色々あったが、色々ありすぎて疲れ果ててしまった。
 クレイとエリアは、またさまよい歩いてようやく見つけた公園の四阿で一休みした。空はうっすらと明るくなりかけていた。程なく朝日が二人を照らし上げた。その暖かさに包まれ、二人は眠りに落ちていった。
 目が覚めたのは昼だった。
 目を覚ました二人は、まず手に入れたお金をもう一度よく見てみることにした。コインには何種類かあり、数字が記されている。コインの額だ。
 早速、そのお金でちょっと遅いが朝ご飯を手に入れることにした。
 そのままでも食べられるフルーツなどを露店で買うことにした。値札に書かれている数字はそれほど大きくはない。リンゴを一つずつ買ったが、お金は余り減らなかった。一番大きな数字が書かれた金貨1枚で買えるリンゴの数を計算したら、考えただけでおなか一杯になってしまいそうだ。
 やっぱり良心が咎めないでもないが、このお金を手に入れた経緯を思い出し、あの時の恐怖を思い出すとやっぱりもらっちゃえという思いの方が強くなる。
 とにかく、このお金で必要そうな物を揃えてしまうことにした。
 そんな時。二人の耳に『魔法使い』という言葉が飛び込んできた。主婦の井戸端会議だ。クレイとエリアはその声に思わず聞き耳を立てる。
「怖いわねぇ」
「本当よねぇ」
「とうとうこの町にも魔法使いの手が伸びてきたのねぇ」
「こんな田舎町、大丈夫だと思ってたけどねぇ」
 なんの話をしているのかよく分からない。しばらく聞いているとその輪に一人加わってきた。おかげで話が最初からになった。
「なあに、なんの話?」
「あら奥さん。ほら、昨日の真夜中にアルドガーさんの家が焼けたじゃない。あれ、どうも魔法使いの仕業らしいのよ」
「ああ、そこの通りの……」
 主婦の指さした方向で、昨日の盗賊たちに襲われていた家であることをクレイたちは察した。
「なんでも、その火事が起こる前に近くの通りで誰かが魔法使いに襲われてたんですって。その後あの火事でしょ。間違いないわ」
 ピンと来る話ではある。だが、襲われていたのは魔法使いの方なのだが。
 話を聞いていると、真夜中に魔法使いが出たという声を聞いた人がいて、その直後にそのアルドガーさんの家が燃え上がったので、それも魔法使いの仕業だと言うことになっているらしいのだ。
 あの時、その騒ぎに気付いた家の人、夕べクレイたちの頭上で窓を開けた家の人達だろう。その人達は、魔法使いという言葉に怖くなり、外には出なかったのでその姿を目撃はしていないらしい。だが、魔法使いが犯人で、既に自治会も魔法使いに警戒するようにとおふれまで出しているという。
「今までに何度か火事があったけど、あれもみんな魔法使いの仕業かしらね」
「きっとそうよ」
「怖いわねぇ」
「本当よねぇ」
 そこにまた一人おばちゃんが加わってきて、話が最初に戻る。
 必要そうなことはあらかた聞いたので、二人はその場を離れた。
「この町も居づらくなりそうね……。とっとと次の町に行きましょ」
 エリアはそう言い、ふうっとため息をついた。

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