マジカル冒険譚・マジカルアイル

04.示された道

 氷の螺旋階段は深く闇の中に消えている。
 周りを包む壁は湖の水だ。手を差し伸べてみると、水瓶に溜まった水に手を入れる時と同じように、なんの抵抗もなく手が入っていく。もし、この不思議な魔法が解けたら二人は湖の水の中に放り出されてしまう。
 しかし、帰るにも二人が歩いた後から氷の階段は融けて水になってしまう。飛ばないと戻る事はできそうにない。
 突然、階段が石段になった。見渡すと、湖の底に来ている事が分かった。ここから先は地下を刳り抜いてできた穴のようだ。
「あっ」
「うわぁ。な、何!?」
 エリアが短く声を上げたので、ただでさえびくびくしながら歩いていたクレイはとんでもなくびっくりした。
 クレイが振り返ると、エリアは上を見上げていた。クレイも上を見上げた。
 さっきはなかった岩の蓋が、穴を塞いでいた。
「閉じこめられたのかな」
 少し震えた声でエリアが呟く。
「と、とにかく先に行ってみようよ。出口がきっとそっちにあるよ」
 あまり自信はないが、クレイはひとまずそう言っておいた。
「そ、そうよね!」
 エリアも空元気を出す。でも、二人とも内心はびくびくだ。もし、このまま先に行って何もない行き止まりだったら。
 そんな考えを振り切って、二人はさっきよりも急ぎ足で階段を下り始めた。
 洞窟のような岩の壁には所々に淡い光を放つ水晶の玉が嵌っていて二人の行く手を照らしていた。
 やがて、螺旋階段は終わり、長い石壁の道に辿り着いた。やはり、所々に水晶の玉があり、二人が通りかかると淡く光を放つ。
 不安のせいか、その道はとても長く感じた。同じところを歩いているような錯覚を覚える。
 その行く手に古びた扉が見えた時、とてもほっとした。
 扉を開けると、小さな部屋になっていた。
 部屋の真ん中にぽつんと置かれている書見台と、その上に載った一冊の本。その部屋にある物はそれだけだった。
 誘われるように本の方へとむかって歩き出すクレイ。
 エリアは、なんとなくいつもの癖で扉を閉めようとした。
「クレイ!」
 クレイが振り向くと、困惑した顔のエリアが壁を見つめていた。
 ついさっき、二人が入ってきた扉があったはずの壁を。
 部屋は四方を壁に囲まれている。出口は見当たらない。
「今度こそ、閉じこめられちゃったのかな」
 さっきよりも弱い声でエリアが呟く。
 クレイは上を見上げた。天井は見えず、上に続く壁は闇に融けている。
「上から出られるかも」
 少し動転しているエリアの代わりに、クレイが空を飛ぶ呪文を唱え始めた。
「あれ?」
 何も起こらない。恐る恐る、エリアも呪文を唱えてみる。が、やはり何も起きない。
「な、何よここ。魔法が使えない……?」
「とにかく、この本を読んでみようよ。ここの出方が書いてあるかも」
「うん」
 パニックになりそうなエリアを落ち着かせようとめくりだした本。だが、二人はその本の内容に目を見張った。

 見開きは地図だった。
 この島の地図ではない。世界地図だ。この島のどこにもないはずの世界地図だった。
 いくつかの大陸が描かれている。そして、この島は地図にはなかった。あまりにも小さく、地図に描けないのだ。
 島のあるあたりには印があるが、絶海のただ中だ。そして、「湧き出る流れの中心」と書き添えられている。同じような印がかなり離れた大陸の上にもあり、そちらには「力の流れ着く場所」と書き添えられている。
 ページをめくると序文が記されていた。
 この世界は虚空に浮かぶ球体であり、世界は広く力に満たされており、その力は巡っている。大地は力を一点より吸い込み、その反対側の一点から吐き出している。それが「力の流れ着く場所」であり、「湧き出る流れの中心」であると言う事が、敢えて難しい言葉を選んだかのような文で書かれている。
 横には図もあり、球形の世界から噴水のように湧き出る力のイメージ、そして、世界をまんべんなく巡りながら、一点に吸い込まれていく様が描かれている。さっきの文だけではちんぷんかんぷんだが、こう図解されるととても分かり易い。
 とにかく、この島はその「湧き出る流れの中心」にある。
 「力」とは魔法の力である。だからこそ、この島の人達は魔法を自由に使いこなせる。
 この島の外が魔法のない世界というわけではない。この島の人間は、強い力の中で育ったために、力を扱う技に優れたものが多い。言ってみれば水辺で育つと泳ぎがうまくなる事が多く、山に育てば草を見分ける能力が自ずと身に付くように、島の人間は魔法が身に付いているという事らしい。だが、外の世界では辺りの魔力が弱いため、魔法を使っても効果が薄く、役に立たないために外の世界では魔法は廃れたという。
 そして、吹き出す魔力の流れにより、この島は外からは近づく事ができない。波も風も、この島から離れる魔力の流れに沿って動いている。魔力のために空間も歪んでいる。これが結界と呼ばれるものの正体だ。
 ただでさえ絶海の孤島、類い希な確率で近づけたとしても潮流や風に阻まれ、さらに空間の捻れは近づく船の進路を狂わせ、時には捻り潰してしまう。この結界が外部からの侵入者をことごとく阻み、この島の住人達に外の世界の存在をも忘れさせた。
 小難しい文章をまとめてみるとそんな感じだ。
 だが。この書は一体なぜここにあるのだろう。
 この書は外の世界を見て帰ってきた者が記したのだろうか。それとも外の世界で書かれたこの書が、何らかの方法でこの島に運ばれたのか。この島の誰かが強力な幻視を使い、見た物を記したのだろうか。
 さらにページをめくる。世界の反対側にある「力の流れ着く場所」について記されていた。
 この島、「湧き出る流れの中心」が何者も入れぬ結界であるならば、「力の流れ着く場所」は何者も出る事ができない結界だという。外の世界の人々は、誰もがその場所を恐れ、近づく者もない。元々過酷な土地であり、その必要さえもなかった。
 砂嵐の吹き荒れる砂漠の、砂嵐の向かう先。その砂嵐もやはり魔力の流れに沿って起こるものだ。
 そこには大きな大地の裂け目があり、魔力はそこに吸い込まれ、流れ込んでいる。その魔力は大地の中を流れ、反対側のこの島に戻ってくる。
 そして、驚くべき事が書かれていた。
 その流れに乗れば、外の世界からこの島に戻ってくる事ができるというのだ。

 恐らくは、グレックも満月の夜、この場所にたどり着いてこの本を読んだのだ。そして外の世界から帰ってくる事ができると知り……。
「だからグレックさんは外の世界に行く事を決めたんだよ!」
 クレイは少し興奮気味に言う。
「でも、グレックさんは帰ってくる事ができなかったじゃない」
 冷静なエリアの一言でクレイのテンションが一気に落ちた。
「そ、そりゃそうだけどさぁ。でもこれだけの広い世界ならこれから帰ってくることだって……」
「そんなに帰ってこられないってのも辛いと思うんだけど」
「うっ……」
 クレイは実にあっさりと言い負かされた。
 それでも何か言い返せないかと考えていると。
「誰かそこにいるのか!」
 突然頭の上から声が降り注ぎ、言い返すどころではなくなった。
 見上げると、頭上の闇の中にランタンの炎と、その明かりに照らし上げられた老人の姿があった。よく見知った人物、村長だった。
 村長は縄梯子を投げ落とし、降りてきた。ここから出られるという安堵感と、絶対怒られるという怖さが二人の心を満たす。
 村長は書見台で開かれた本を慌てて閉じ、二人に向き直る。
「お前達はどうやってここに入ってきた!?」
 村長は驚きと怒りの混じった表情で二人を詰問する。ランタンの炎は揺らめき、彫りが深く皺だらけの村長の顔に無数の影を作りながら照らし上げている。平たく言えば、ちょっと怖かった。
 村長の気迫に負けて、素直に、あったはずの扉のことを話し始めるクレイ。
「扉?そんなものがどこにある」
 自分達でも信じられない出来事だ。村長も信じるはずがなかった。
 湖のところから話そう、と思ったクレイだが、村長はとにかく二人をここから追い出したいようだ。
「いいかね、この地下室のことは誰にも言ってはならん。それが約束できないならば生かしてはおけん」
 普段穏和な村長の口から出たあり得ない言葉に二人は震え上がった。とんでもないことをしてしまったと言うことがはっきりと分かった。
「言いません、絶対に言いません」
 クレイはとにかく逃げたい一心だった。
「あの……村長。あの地下室はなんなんですか?あの本は?」
 エリアは好奇心の方が勝ったらしい。あちゃー、という顔をするクレイ。
「……この島の村長が代々守ってきた地下室だ。決して誰も入れてはならぬと。決して誰にも知られてはならぬと。……あの本に関してはわしも知らぬ。決して開いてはならぬと言われておった。……一度だけ、その掟を破り開こうとしたこともあった、開くことなぞできなかったがな」
 村長はその時のことを思い出した。本を開こうとしても、表紙は固く閉じ、本を模したただの板なのではないかと思わせるほどだった。
「妙な胸騒ぎがするので起き出してきてみれば……。いいかね、お前達は禁忌を犯したのだ。この島に居続けたければここで見たものは全て忘れるのだ」
 クレイはこの言葉に違和感を感じた。グレックはあの本を見て旅立ちを決めたのではないのか。もしかして。
「グレックはあの本を見たことがバレて、追放されたんじゃ……」
 思わず呟いていた。村長の耳にもその声は届いていた。
「あやつの事を知っておるのか!なぜ、どこで知った!お前達は一体どこまで知っておるのだ!」
 詰め寄る村長の剣幕にクレイは少したじろいだ。
 押し負けたクレイは村長にグレックの家を見つけたこと、そこで見つけた日記を紐解くうちに湖からあの本のある地下室に迷い込んだことを話した。
 話を聞き終えた村長は、一つため息をついた。
「やはり、隠しきることはできぬのか……。グレックのときもそうだった。誰にも知られぬように封印までかけられていたあの地下室にどこからか入り込み、あの本を読んだらしい。あの本を紐解いたものは全て旅立って行き、誰一人として戻らん」
「誰も……?」
「そうだ」
「あの本には外の世界に行っても帰ってくることができるって書いてありました」
「だが、実際に帰ってきた者は誰もいない。あの書は悪魔の書だ。時折姿を現し、人々を二度と帰らぬ旅へと立たせる。私には悪魔が生け贄を求め、選ばれた者にあの書を見せているようにしか思えぬ。よいか、あの書に騙されてはならぬ。なぜ、あの書のことが誰にも知られぬようになっておるのか分かるな?長年にわたり、幾度も島を去っていった者たちと同じ事が二度と起こらぬようにだ」
 今までに何度も外の世界に旅立った者がいた。だが、一人として帰ってきた者はいない。
 本に書いてあることが嘘だからなのか?それとも世界の裏側への旅路は辿り着く者がいないほど険しい旅路なのか?真実を知るためには、何が起こるか分からない、二度と戻れないかも知れない外の世界に行くしかないのだ。

 二人は今夜のことを決して誰にも口外しないことを約束し、解放された。
「外の世界かぁ。面白そうではあったんだけどねぇ」
 エリアはつまらなそうに呟く。
「でもエリアはあんまり乗り気じゃなかったじゃんか」
「あたしはこう見えて結構慎重なのよ。確実に帰ってこられるって分かったなら行きたかったなぁ」
「うーん。僕も帰ってられないって分かってるんなら行かないよ」
「きっと、グレックさんは誰も帰ってきてないって知らずに行ってしまったのね」
 外の世界のことを誰にも知られないように守ってきた代々の村長達。当然、外の世界から帰ってくることができないことも、はっきりと言うことはできなかっただろう。
 外の世界があると言うことを知らせることになってしまうし、そうなれば無謀な者が、外の世界から帰ってくる最初の人間になろうと旅立ってしまうかも知れない。
 だから、何も知らずに外の世界に旅立ってしまうものが繰り返し出てしまうのだ。悪循環とも言えるが、今回はそれを未然に防げたことになる。
 だが、そうではなかった。

 翌日の放課後、放課後すぐにクレイはラルフロイに呼び出された。
 鈍いクレイだ。ラルフロイがエリアを狙っていることや、そのエリアと自分がよく行動していることなどから、呼び出された理由を察するには、まるで至らなかった。何の用だろう、とのこのこと呼び出しに応じた。
 ラルフロイはもう約束の場所で待っていた。
「やあ。用って何?」
 のんきなクレイの様子にラルフロイの気勢が少し殺がれた。
「お前、昨日の夜、エリアと二人っきりで歩いていたな」
 ラルフロイはその様子を見ていたのだ。クレイは驚く。
「何をしてた?」
 さすがにグレックの日記のことや、村長宅の地下室のことを言うわけにはいかない。どう誤魔化したものか返答に困ってしまう。
「えっと。ただ二人で話ながら歩いていただけだよ」
「精一杯誤魔化してそれか?いい度胸だ。俺を甘く見るなよ」
 ラルフロイはそう捨て台詞を残し、去っていった。ひとまずほっとするクレイ。だが、勘違いが勘違いを呼んで事態が悪化していることになど、当然気付いていないのだった。

 何事もないまま数日が過ぎた。
 ある放課後、クレイは学校から帰ってのんびりとしていた。グレックの日記も、外の世界には行く気がなくなってしまったので解読はお休み中だ。
 こつこつ、と窓を叩く音がした。
 みてみると、窓の外にエリアが浮かんでいた。とても怖い顔をしている。開けたくなかったが、もう一度ノックをされたので仕方なく開けた。
「な、何?」
 びくびくしながらクレイが尋ねる。
「クレイ。行くわよ」
「ど、どこに?」
「外よ」
「外ってどこ?」
「だから島の外よ」
「ええっ!?」
 クレイは驚く。
「でも、島の外に出たらもう戻ってこられないかも知れないんだよ?」
「分かりきったことを言わないで。もうこんな所、戻ってこなくていいのよ」
 ヤバい。目がマジだ。
「何があったのさ、エリア」
「何もへったくれも無いわ。こんな所にいたらあたしの将来は真っ暗よ!」
 何があったのかはさっぱり分からないが、とにかく大変怒っていると言うことだけはとてもよく分かった。とりあえず、この怒りの矛先はクレイには向いていないようなので一安心だ。……とはとても言えないが。
「クレイ。長老の家にあるあの本を取りに行くわよ」
「む、無茶だよ。絶対に見せてくれないよ」
「頼んだら無理に決まってるからこっそり行くか、無理矢理行くの」
「無茶苦茶だよ」
 エリアに説得の余地はない。渋々クレイは引っ張り出された。重い足取りのクレイを無理矢理引っ張って村長宅に連れて行く。
「ど、どうするの」
 クレイはエリアに恐る恐る尋ねる。エリアは何も言わず、村長宅の窓を一つ一つ覗き込む。
「留守なのかな。チャンスよ、クレイ」
 ここでどうにもならなければエリアも引き下がると思っていたクレイにとってはアンラッキーである。とにかく、今村長は留守のようなのだ。
 こんな平和な島のことだ。泥棒など出たこともない。扉に鍵をかける習慣もない。村長の家のドアはあっさりと開いた。
「クレイ、あんたがくっついてくると足手まといになりそうだから外を見張ってて。村長が帰ってきそうだったら呼んでね」
 そう言い残し、さっさとエリアは村長宅に入り込んでいった。
 窓から見えないところにいるのかも知れない。そう思いエリアはあたりに気を配りながら歩いていく。
 床下の絨毯をめくり上げ、その下にある板を退けると地下室への入り口が口を開く。この間地下室から出る時にこの入り口のことを覚えたのだ。
 縄梯子は下りたままになっている。エリアは縄梯子を下り、地下室に降り立った。
 だが、書見台の上にあったはずの本が消えていた。
 この地下室にはもう見るところなど無い。渋々上に戻る。
 地下室の入り口を戻し、そのまま帰ろうとしたが、ふと思い当たって奥に進んでみた。
 書斎があった。そして、その書斎の机の上にあの本が、開いたまま置かれていた。
 何よ。偉そうなこと言って自分だって人のこと言えないじゃない。
 しかし、地下室に隠してあるならともかく、こんないかにも読みかけの本を持ち出してはすぐにバレてしまいそうだ。
 それでもエリアはその本を手に村長宅を飛びだした。
「やったわ、クレイ!」
「そ、そう。よかったね」
 クレイはどんどん後戻りできなくなってくる事態に顔を引きつらせた。

 二人は急いでグレックの庵に向かった。そこで邪魔されることなくその本を読みふけるためだ。
「村長ったら、あんなこと言っておきながら自分でもこの本読んでたみたい。机の上にこの本が開いて置いてあったわ」
「へえ」
「村長も、外から帰ってきて机の上にあったはずの本が無くなってたらすぐ気付くわね。急ぎましょ」
「う、うん」
 事態はどこまで悪い方に向かえばいいのだろう。
「ねえ、なんでエリアは急に外の世界に行こうって決心したの?ここまでして……」
 さっきは答えてもらえなかったこの質問をもう一度切り出してみた。
 エリアは苛立たしげに机を指でトントンと叩いたあと、呟いた。
「思い出したくも無いことがあったの。島にいれば話はどんどん進むし、ご破算になってもことあるごとに思い出すことになると思う。だから、思い出さずに済むところに逃げたいの」
 エリアの身に何が起こったのかは語られなかったが、相当怒っていることは伝わってくる。そして、その怒りの対象は確実にクレイで無いことも分かる。気にはなるが、クレイとしても折角のチャンスなのだ。細かいことは気にしない方がいいのかも知れない。
 思い出したくも無いと言ったエリアだが、この話をしたことで少なからず思い出してしまった。
 学校から帰ったエリアは、にこやかに両親に迎えられた。いつもの光景ではあるが、いつもよりも嬉しげだ。
「なあに、何かいいことあったの?」
 そう問いかけたエリアに、ママが答えた。
「エリア。あなたの婚約が決まったのよ」
「……はぁ!?」
 さらっと言われたが、さらっと受け入れることは出来なかった。
「パパもな、お前を誰かに取られてしまうのは切ない。だが、相手として不足は無いし、その、エリアは我が娘ながら美しいが器量がちょっと、それで嫁の貰い手が見つかるのか不安だったからなぁ。残念ではあるが、安心もした」
「しし失礼なこと言わないで。って言うか相手は誰よ。まさか」
 エリア相手に婚約の話ができて、それも不足無いレベルの相手となるとかなり限られる。更に、婚約をしようなどと大それた事を考えるのはもう一人しかいない。嫌な予感しか無かった。
「ラルフロイさんよ」
 予想通りであった。
「なんでそんな話、私に相談無しで決めちゃうのよ!」
「だって相談したら嫌だって言うじゃ無いか」
「言うわよ!何でよりにもよってラルフロイなの!」
「よりにもよってと言うけれど。他にいないじゃないか」
 エリアとしてはうぐっと言わざるを得ない。
「パパはてっきりクレイくんと一緒になりたいんだと思っていたけど」
「ママもね」
「でも、クレイくんとはそう言う仲じゃ無いと言うし。じゃあ、他に誰がいるんだと。パパはね、お前の将来が心配だったんだよ」
「ママもね」
 エリアと年の近い男の子は何人もいる。だが、条件を付けていくと残るのはごく僅か。その中でもラルフロイは性格以外は申し分ない相手と言えた。ただ、その性格が大問題なだけで。
 エリアとしては、なぜこのタイミングでラルフロイが婚約を申し出てきたのかは分からない。しかし、ラルフロイにとって最悪のタイミングで仕掛けてしまったのは確かだ。今の所、エリアのラルフロイに対する感情は芳しくない。それにまだお互い、結婚するには若すぎる。婚約などしなければ、お互い大人になって丸くなり、エリアも受け入れられるようになったかも知れない。しかし、婚約してるけど嫌な相手という目で見続ければ、結婚までに悪いところばかり目について益々嫌いになりかねない。そして何より、今のエリアには他の誰も知らない逃げ場所があるのだ。
 ラルフロイとの婚約という絶望、そしてそれを勝手に決めた両親への怒り。その二つが、エリアを島との決別に向けて走らせたのである。

 とにかく、せっかく手に入れた本だ。あの夜は落ち着いて読めなかったのでじっくりと読みふける。
 改めて読んでみて気がついたのだが、この本の著者は恐らく外の世界にいるのではないだろうか。しかし、この島のことをよく知っている。そして、外の世界のこともよく知っているのだ。もしかしたら、外の世界に行ったこの島の人間が記した本なのだろうか。
 だが、外の世界に行って帰ってきた人の話を聞いたことはない。それでは、外の人間はこの島のことをよく知っているのだろうか?しかし、それならこの本はなぜここにあるのだろうか?
 本は、真新しくはないがそれほど古い本でもない。
 考えれば考えるほど謎だらけである。
 本を読み進めていくと、この島を取り巻く結界から抜け出す方法も書かれていた。待ってましたとばかりにエリアは熱心に目を通す。
 島の西側。このグレックの庵のある深い森の、その奥。切り立った崖の真ん中に洞窟がある。その奥に用意されている『船』で外に漕ぎ出せば外の世界にでられるという。
 洞窟が現れるのは引き潮の時のみ。それにそのあたりは、崖の上の深く不気味な森も、崖の下の岩礁だらけの海も、人も船も近寄らないような場所。誰にも見つからなくて当然だ。それに洞窟を見つけたところで、奥にまで進む人はそうはいないだろう。
「森の奥の崖の下の洞窟、行くわよ!」
「えええ〜っ」
 本をそそくさと閉じて小脇に抱えて歩き出すエリアと、空いた手で引っ張り出されるクレイ。

 森を突っ切り、崖の上に出た。眼下には岩礁の多い海が広がっている。そして、見渡す限りの水平線。あの向こうに見たことのない大陸が広がっているというのが信じられない。
「降りるわよ」
 言うや否や呪文を唱え、ふわりと浮き上がるエリア。そのまま崖の下へと降りていく。
「ちょ、ちょっと待ってよぉ」
 クレイも慌てて後を追おうと呪文を唱える。恐る恐る崖から踏み出したその時だった。
 クレイの目の前の空間がぐにゃりと歪み、煙のようなものが湧き上がり、それがみるみる人の姿をとる。見覚えのある姿。長老だった。長老がテレポートの魔法を使ってここに現れたのだ。
「やはりここに居ったか。外の世界のことは忘れろと言うたのに」
 驚いたクレイは呪文を唱え損ない、崖下に落ちてしまった。あわやと言うところでエリアが呪文を唱え、クレイの体を浮かす。
「あ、ありがと」
 青ざめながらクレイはエリアに礼を言う。
「いいから急いで!」
 エリアは洞窟の奥に駆け出している。クレイもそれを追った。
 だが、二人の行く手に長老がテレポートで現れた。
「お前達が外の世界に行くのを止めようと言うのは、なにもお前達を心配してのことだけではない。外の世界の者が魔法の力を得ようとこの島に来るきっかけを与えやせぬかと不安なのだ。確かに今までこの島の者が外へと旅立つのは幾度となくあった。いずれも戻っては来なかった。だが、お前達が戻ってくることが出来ると信じたように、外界の侵略者を招き入れてしまうかも知れぬと思わずにはいられんのだ。お前らは外に出ればどうせ戻らぬ身、ならばここで朽ち果てても同じ事」
「そ、そんな」
 クレイは泣きそうな顔をした。
「まさか長老様からそんな言葉をかけられるとは思いませんでした」
 悲しげな顔で長老を見つめるエリア。
「でも、あたしもこの島にいれば未来は明るくないんです!他に自由を得る方法がないならば、長老様でも倒します!」
「うええ。エリアの強情っぱりー」
 クレイはエリアに蹴られた。
「お前達のようなひよっこではわしには勝てん」
 長老は呪文を唱えはじめた。二人もそれが水を操る呪文だと言うことはすぐに分かる。
 二人の背後から大きな波が押し寄せてきた。波は二人を包み込むと、二つの水の塊となり、二人をそれぞれ包み込んだまま浮かび上がる。
 クレイはすっかり海水の玉に包み込まれ、息が出来ない。エリアは寸前で空気のバリアをはったのでどうにか息は出来るが、顔の周りをわずかに包み込むだけの余裕しかなく、息をすれば空気をあっという間に吸い尽くしてしまう。少なすぎる空気は既に酸素が薄くなっている。
 揺らめく水に大きく歪み、形もはっきりとは分からないが、クレイが苦しそうにもがいているのが動きで分かる。
 しかし、どうすればクレイに空気を与えられるだろう。外から送り込もうとしても、魔法で固められた水はそれを弾き返してしまうだろう。
 ならば。エリアは妙案を思いついた。呪文の詠唱をはじめる。
 クレイは、突然ものすごい苦しさに襲われた。溺れる苦しさではなく、この苦しさははち切れんばかりに息を吸い込んで止めた時のような苦しさだ。
 クレイはたまらず息を吐き出した。吐き出しても吐き出しても胸の苦しさはおさまらず、まるでふいごから風が吹き出るように空気がクレイの肺から吹き出る。
 エリアはクレイの肺の中に空気のバリアを送り込んだのだ。深呼吸をし、人心地がついたクレイは目を瞑り、目ではなく幻視の魔法でエリアの様子を見た。エリアはクレイに魔法をかけてすぐ、自分が酸欠に陥っていた。
 大変だ。今度はクレイがエリアをどうにかしなければならない。クレイは自分が助かったのはエリアのおかげだと言うことは感じ取ったが、必死だったので何が起こったのかも、どうやって助けられたのかも分かってはいない。
 空気を送り込まなきゃ。
 クレイは呪文を詠唱した。エリアを包む水の塊に、空気を送り込もうとする。だが、水の塊は空気の侵入を拒んだ。
 外からでは駄目だ。直接中に送り込むんだ。クレイは再び呪文を詠唱する。
 エリアを包む水の塊の中に、泡が沸き起こった。
 やった。
 だが、ちょっと加減を間違えたようだ。
 水の塊の中に沸き起こった泡はみるみる大きくなり、水の塊もそれにつられて大きくなり、ついには弾け飛んだ。
 エリアは投げ出され、そのショックで朦朧としていた意識も戻った。
 クレイは同じように自分の水の塊にも空気を送り込んだ。エリアの時と違い必死さが無くなったせいか、1回では弾けず、呪文を何度か唱えねばならなかった。
 水の塊から抜け出たクレイの耳にエリアの詠唱が届いた。
 見渡すと、詠唱するエリアの姿と、弾け飛んだ水の勢いで倒れ込んだ長老の姿が見えた。そして。
 エリアの詠唱の終わりと共に、洞窟の入り口の方からまた大波が押し寄せてくるのが見えた。
「うわあ、ダメだよエリア、僕たちも流されちゃうよ」
「いいの、一気に行っちゃうよ」
 クレイもエリアも、倒れ込んでいた長老も全てを押し流し、大波は洞窟の奥にまで達した。
 大波が引いた時、長老の姿はなくなっていた。途中でテレポートでもして逃げたのだろう。

 洞窟の一番奥だが、船は見当たらない。その代わり、いかにも何かありそうな石碑が建てられていた。
「ああ、もうずぶ濡れぇ」
 自分でやっておいてエリアがぼやく。もっとも、その前に長老の魔法でずぶ濡れだ。
 ふと、手に持っていた本を気にするが、理不尽なことにまるで濡れた様子はない。魔法で守られているのだろう。
 エリアは濡れたのが気になるらしく、そそくさと呪文を唱え、熱風を巻き起こして自分を乾かしはじめる。一方のクレイは濡れていることなど気にも留めずに石碑に見入っている。
『船を求めるならば最後のページを見よ』
「ねえ、この最後のページって、その本の最後のページかな」
 エリアも石碑を覗き込んだ。
「そうかな。他になさそうだし」
 エリアは早速本を後ろからめくってみる。
「真っ白ね」
「そこじゃないんだよ」
 ページをめくろうとした時、真っ白だったページにじわじわと文字が浮かび上がってきていることに気がついた。
「見て、字が出てくる」
「そんなの分かってるわよ」
 浮かび上がってきたのは呪文であった。魔法語で『大いなる海を行く船の封印を解け』これを唱えるのか。
「リリザシル・シッパドバン・ビゴーサン」
「あ、ずるい」
 エリアは呪文を声に出してみた。成り行きだがクレイがうるさい。
 足元に突然光が沸き起こり、驚いて逃げるとそれは瞬く間に船の形をとった。そして、程なくその船が実体化する。
「船だ!」
「そんなの分かってるわよ」
 いてもたってもいられず、二人は船に乗り込んだ。
「……水もないのにどうやって進むのよ」
 船は岩の地面の上に現れていたのだ。
「魔法で水を呼び寄せればいいんだよ」
「それもそうね」
 呪文を唱えようとした時、船は水など無くても勝手に進み始めた。
「何よ。動けるんだったらとっとと動けばいいのに」
 船は洞窟の入り口に向かってどんどん進んでいった。
 だが、洞窟の入り口には、岩がはまっていた。岩の前で船は止まる。
「ええっ、なんで!?どうなってるの!?」
「長老だ……!長老に閉じこめられちゃったんだ!」
「そんな。どうするのよ」
「どうって。そりゃあ……どうしよう」
 二人は途方に暮れてしまった。

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