マジカル冒険譚・マジカルアイル

03.解け始めた謎

 グレックの日記をノートに丸写しし、学校の図書館で辞書を引きまくったが、意味が分かった単語は全体の半分にも満たない。
 先生達が使っている高等魔法書庫にある辞書なら、もっといろいろな単語が載っていそうだが、とても子供が入って行ける場所ではない。
 グレックの書斎にある本にそれらしいものがない以上、そこに入れるようになるまで待たなければならない。つまり、進級を待つしかないのだ。
 ちょっとした本なら写本が誰かの家にあったりすることもあるが、さすがにそんなに使うわけでもない辞書を丸写しして家に置いておこうという暇人はいない。百年に一度くらい、古くなった辞書のかわりに使うために、誰かが書き直すくらいだ。
 とりあえず、グレックの家のどこかに辞書がないか、他の隠し部屋がないか、念入りに探したが、やはりそんなものはなかった。
 グレックは、書斎にある膨大な数の本を写し取る時に、もう魔法語がある程度堪能になっていたのだろう。辞書など必要なかったのだ。
 こうなったら、分かる単語だけをつなぎ合わせて意味を推測するしかない。かなり無茶な作業だが仕方ない。

 グレックの日記は、多くが書物を紐解く話で、書架に並んでいる本のタイトルで始まっていることが多かった。
 そのタイトルの本を引っ張り出して、魔法語で書いてなければそれを読んでみる。難しすぎる本だが、頑張って読む。
 そんな中、グレックの書架にある書物の中に、同じ書架にある魔法語で書かれていた他の本をそのまま普段使っている言葉に翻訳した本がが混ざっていることに気付いた。
 きっかけは、魔法語で書かれた本を適当にパラパラとめくった時に、見覚えのある図解が載っていたのに気付いたことだった。
 そう言った本はほんの数ペアしかなかったが、日記の訳はだいぶ埋まることになった。やっと、光が見えてきたのだ。

 いつも通りの学校帰り、一旦エリアと別れて自宅に向かっているところで待ち構えるようにクレイの前に現れたのはクレイよりも年下の女の子。エリアが可愛がっているナミリエだ。女の子同士で集まっているときは大概一緒にいる。クレイがエリアに話しかけたり、その逆の時も一緒にいることが多く、結果としてクレイとナミリエもちょくちょく話をする。最近はこうやって二人きりで話すこともたまにあるのだ。
「ねえ、クレイ。最近やけにエリアねえちゃんと一緒にいるじゃない」
 クレイはナミリエがちょっとだけ苦手だ。ちょっと生意気だけどいい子だとは思うし、嫌いではない。ただ、エリアのような年上の子とつるんでいるせいか、ちょっとおませで話していると時々気恥ずかしくなることがあるのだ。今日も、話の流れからしてそんな話になりそうな気がする。
「いつもとそんなに違わないよ」
「いつも一緒にいるって言いたいの?」
 案の定である。
「学校じゃあ確かにいつもと同じだけど。あたし知ってるのよ。二人でちょこちょこ一緒に出掛けてるの」
 ナミリエがなぜエリアによくなついているのか。その理由は近所だからである。近所だと、その動きも目に付いたりするのである。
「仲良くするのはいいけどさ。あたしのエリアねえちゃんをとらないでよね」
 エリア相手だと素直な子なのだが、クレイ相手だとそうではなくなる。エリアのことは尊敬しているが、クレイのことは尊敬していないことがありありと感じられるのである。
 そういえば、ここ数日エリアとは一緒にグレックの庵に籠って本を読み漁っている。いや、読んでいるというよりは読めない本の前でひたすら唸っている感じではあるが、似たようなものだ。ナミリエとしてはエリアが一緒に遊んでくれなくなって寂しいのかもしれない。
「あ、そっか。ごめんね、寂しい思いをさせちゃったみたいで」
「えっ。な、なに?そそそんなんじゃないってば。変なこと言わないで。そんなことより二人で何してんの?怪しいわね」
 ナミリエはわたわたし始めた。
「お勉強……のような、そうでもないような。難しい本がいっぱいある場所を見つけてさ、分かる本が無いか片っ端から読んでるんだよ」
「うへえ。なんか混ぜて貰えなさそうな雰囲気ねー。エリアねえちゃんにも難しいの?」
「うん」
「じゃあ、あんたじゃもっと難しいわね。あたしなんかからっきしかしら……ううん、残念」
 一応、ナミリエよりは頭がいいと思って貰えてることにほっとしてしまうクレイ。
「ま、今回は諦めるけど。お互い子供なんだからさ、もっと子供らしくしようよ。勝手に大人になっちゃやだかんね。じゃ!」
 自分がナミリエくらいに子供だと思われてることは証明され、ちょっとがっかりするクレイだった。

 日記の多くは読んだ本に関する備忘録のような使われ方だった。だが、その中に混じって日記らしい日々の出来事や思ったことが記されている。毎日書いていたわけではなく、特に面白い書物を見つけたり、変わった出来事があった日にだけ書いていたようだ。なので、このさほど厚みのない日記帳に、何年分もの出来事が書かれている。
 グレックの興味は、早い段階から外の世界に向いていた。日記を書き始めた理由も、外の世界についての研究を進めてゆく、その過程を記し、残していこうという目的があったらしい。
 グレックは優れた魔法の力を持っていた。空を自在に飛ぶこともでき、雲の高さにまで昇ることもできた。その時見下ろした世界は無限に続く海。撓んだ水平線。グレックはその時、世界が球であることに気付いた。自分が見ている海だけの世界は球の半分もない。見えていないところには、海ではない世界が広がっているのではないか。
 日記の最初の方は、外の世界に関する文献を探したり、伝承を集めたりする話が多い。だが、多くの伝承は失われており、文献などまるで見当たらなかった。
 やがてグレックは、この島の長老だけに伝えられる伝承があることを突き止めた。グレックは直感的に、その伝承こそ自分の求めるものだと察した。
 だが、長老は決して口を開くことはなかった。言わなければ殺すと脅しても全く動じなかった。自分を殺せばその伝承は完全に失われる。だからグレックに長老を殺すことができないことを分かっていたのだ。
 長老を殺すと脅したことでグレックは村に居づらくなった。そのため、森のあの小屋に蟄居することになったのだ。
 いつしか、誰もがグレックのことを忘れ始めていた。人知れず死んだものと思っていた。ただ一人を除いては。
 エマだった。
 エマとはその頃から恋人同士だった。しかし、エマが自分の住処を誰かに教えてしまうことを防ぐため、そしてエマがそこへ来てしまわぬように、エマと会う時は必ずエマの家から遠くない古い風車の下に決めていたのだ。
 皆が寝静まった深夜、二人は夜の闇に紛れて会い続けた。エマは両親や兄に知られぬように窓から抜け出しグレックに会いに来た。
 このまま結ばれることがないことは、エマも気付いていた。ただ、会えれば、少しの間でもそばにいられればいい。それだけを願っていた。だが、ある日、その些細な願いでさえ届かなくなる。
 グレックはエマに旅立ちを告げたのだ。そして、エマの前に姿を現すことをやめた。そんなグレックの元に、エマからの最後の手紙が届く。クレイ達が手にしたあの手紙だ。
 エマは願いを込めて、風車にその手紙を残したのだ。誰かに見つかれば、グレックが生きていることも、エマと逢瀬を重ねてきたことも知られてしまう。最後の賭けだった。
 グレックもそのことを何か、おそらくは魔法の力で知ったのだろう。さすがに放っては置けなかった。
 グレックはエマに、多くは告げなかった。ただ、必ず帰ると、その時は自分も胸を張ってみんなの前に姿を出せるはずだと、それだけを告げた。
 その日でグレックの日記は終わる。
 帰ると言ったグレックは未だ帰らず、エマはまだ待ち続けている。

 日記によるとグレックが旅立ちを決めたのは『何か』を目撃したその時だったという。
 その『何か』が一体何なのか、その部分の訳が埋まっていなかった。
『私は読書に……夜風を……行った。月の光が暗い……さえも照らしている。私は魔法で姿を隠し、さらに周りに誰もいないことを確認し、……へと向かった。……の岩に……水面を……中央に……光が見えた……。幻視の魔法を使い、その光に視線を近づけると、……の底……に光が……確かに見えた。私は……すぐにその場所へと水面低くを飛んで近づいた。……』
 判りそうではあるのだが、あまりはっきりしないのだ
 クレイは考え方を変えてみることにした。重要と思われる判らない単語をいくつか抜き出し、日記の中に同じ単語が出てくるところを探すのだ。
 特に気になるラカという単語を、日記の中に探す。すぐに見つけられた。しかも、結構何回も出てくる。グレックにとって『ラカ』は身近なものであるらしいことが読み取れた。時々出掛け、その近くで物思いに耽るようだ。
 夜ならば、人に会わずに済む静かな場所。
 海辺。湖。採石場も夜は人気がない。風車。空を飛べるならラサンガの大崖の下にも行けるだろう。まだまだ考えればいくらでも思い浮かぶ。
 水という単語と組み合わされると言うことは、海、湖、川。このどれかだろう。グレックの庵のある森は海にも湖にも近い。湖からは川が流れ出している。どれもあり得る。何か、決定的な物があれば。
 日記を読み返していると、海らしい言葉が見つかった。海辺の風車とよく一緒に現れるゼーと言う言葉だ。その言葉を海だとすると意味が通る場所が何ヶ所もある。
 川か、湖か。それ以上ははっきりはしない。しかし、川と湖ならばさほど広くはない。川も下流の方は集落があり人目が多い。湖と湖の近くの川だけ調べれば済みそうだ。

 クレイは早速その晩のうちに湖に行こうとした。
 が、パパに見つかり、夜遊びは不良の始まりだぞ、と怒られてしまった。
 もっと寝静まってから行こうと決めたクレイは、その晩は早く眠りにつき、翌日の朝は寝坊し、結局夜中には起きられなかった。
 学校にはぎりぎりで間に合ったクレイだが、授業中に大あくびをしてしまい、先生にげんこつをもらってしまった。
「クレイ、なんか今日は特に眠そうね。徹夜でもしたの?」
 休み時間にエリアに声をかけられた。
「違うよ。徹夜しようと思って早く寝ておいたらそのまま朝まで寝ちゃったんだ」
「それで寝坊までして、まだ眠いの?ああ、そうか。寝過ぎると眠いよね。学校おやすみの時、ゆっくり寝てるとあたしもそうなるよ」
 とりあえず納得するエリア。
「で、どうして徹夜しようとしたの?日記の解読?」
「えっ。うーんとまあそんなところかな」
 何となくお茶を濁してみるクレイ。その態度が、エリアはちょっと引っかかってしまったのだ。

 その晩。クレイは今度はちゃんと起きることができた。
 放課後、グレックの庵のベッドで昼寝をしたので夜もあまり眠くないのだ。ちなみに、ベッドはちゃんと掃除したので今はおしっこ臭くない。それに、庵で見つけたシーツを一枚多めにかぶせてある。なんの心配もなく、ぐっすりと眠れた。
 ドアから出るとパパやママにバレるかも知れないので、窓からこっそりと出た。緊張しながら空を飛ぶ呪文を唱える。やっぱりコントロールを誤り、窓枠に頭をぶつけ、詠唱が止まってそのまま落ちそうになった。どうにか空中で止まり、地面にぶつからずに済んだ。とりあえず開いたままの窓を閉めに飛び上がり、地面に降りる。パパもママも、さっきの物音では起きなかったようだ。
 グレックのように姿を隠す魔法は使えない。なので住宅地を忍び足で、それでいて急ぎ足で駆け抜ける。泥棒もいないこの島では、夜中に見張っている人もいない。みんな眠っているか、眠っていない人はまだ忙しく何かをしている。夜中に町中を歩いている人影に気付く者は誰もいなかった。
 急にあたりが寂しくなる。満天の星空と、沈みかけた三日月、それに申し訳程度に照らされた細い道だけが見える。辺りは虫の声で包まれている。そして、川のせせらぎ。
 クレイは緩い斜面を降り、河原に立った。ごろごろした石に足を取られながら、上流を目指して歩く。
 湖が近くなり、川の流れが激しくなってきた。湖は小高い丘の上にある。今、その丘を登っているのだ。足場も悪くなったので、クレイは河原から道に戻った。この辺は道と言っても近くに誰も住んでいない。こんな斜面に住む人もいないし、畑にも向かない土地なのでただの原っぱになっている。
 丘を登り切ると湖が目の前に広がっている。
 学校に通う時には通る道なので、見慣れているはずの風景だが、夜のこんな時間に見るとまるで違う景色に見えた。
 微かな月明かりを受けた水面は星空のようにキラキラと輝き、ほんの小さな湖だというのに、まるでどこまでも続いているかのように見える。
 クレイは小さな岩に腰掛けて水面を見つめた。
 昼間たっぷり寝たはずなのに、だんだんうとうとし始めた。
 そんなクレイの肩に、手が置かれた。
 思わず大きな声を出しそうになるクレイだが、その心配はなかった。あまりの驚きに腰が抜け、声さえも出なかったから。
 振り返ったクレイの目には細い人影が見えた。月明かりにその白い肌が微かに浮かび上がっている。
「やっぱりクレイだぁ」
 聞き慣れた声。さっき見えた姿と併せて、人影の正体がはっきりする。
「え、え、エリア?どうしてここにいるの!」
 まだ腰が抜けたままだ。
「ごめーん、びっくりさせちゃった?」
 クレイは答えない。あまりの驚きようにエリアは申し訳なさを通り越しおかしくなってきた。
「日記の解読、どうなったのか聞こうと思って森の小屋に行ったらクレイが高いびきで寝てたからさ。起こさないようにこっそりクレイの日記解読メモを見させてもらったのよ。あたしに隠し事なんかできないんだから」
「べ、別に隠してたワケじゃないよ……」
 クレイもようやく落ち着いてきたようだ。どうにか立ち上がる。
「まだ調べたことに自信が持てなかったからさ、まず自分で確かめてみようと思ったんだ」
「ふーん。でも、こんな大事なこと、クレイ一人に調べさせたりしないからね。クレイ一人ですごいの見つけちゃったら、一緒に頑張ってるあたしの立場無いもん」
「そ、そうだね……」
 やけに張り切っているエリアに、クレイは少し呆れた。
 とりあえず、湖畔をゆっくりと歩いてみる。水面に目を凝らしては見るが、特に変わったところは見当たらない。
 そのうち、クレイは眠くなってしまい、今日は帰ることにした。昼寝してなかったエリアも眠くなってきたので、そのまま帰っていった。

 翌日、学校には二人揃って遅刻してきて、二人揃って廊下に立たされた。
「やっぱり夜更かしはするもんじゃないね……」
 クレイはぼそっと言った。
「そうよね。夜中に調べに行く時はお昼寝してからでないと……」
「それ、効果無いよ」
 エリアに対し冷静に言い放つクレイだが。
「あら、あたしはどうか、やってみないと判らないじゃない。ねぼすけのクレイじゃいくら寝ても寝足りないだろうけど」
 エリアの言葉にへこまされるクレイ。
「毎晩行ってもしょうがないよね。もっと日記をよく調べてみないと。今日はそっちの方、がんばろ」
「う、うん」
 なんだか主導権を握られているクレイ。
 話し声に先生が顔を出して二人を睨み付ける。
「なーに二人で喋ってる。おまえらくっつきすぎてるからぺちゃくちゃ喋るんだ。離れろ、ほら」
 やむなく、二人は離れて立った。
 授業が始まって二人は教室に入れた。休み時間になると、さっきのことでニコポルにからかわれた。
「お前とエリア、ずいぶん仲がいいな」
「そりゃあ幼馴染みだしね」
 しれっと言い返すクレイに、ニコポルは言葉につまった。
「いや。そうじゃなくてな、最近おまえら、よく二人でこそこそ話してるしさ。さっきだって……なに話してたんだ?」
「えっ、それは……。内緒」
 さすがに日記のことも小屋のことも、誰にも言うことはできない。
「怪しすぎるって。まあ、女子の方は特に大したことになってないけどさ、エリアは……まあ俺の好みじゃないけど、かわいい方だから。いろいろ言われてるぞ」
「いろいろって?」
「おまえらがいい仲なんじゃないかって噂が立ってるんだよ。その辺どうなんだよ」
 遠巻きに伝えることは諦めたようだ。
「うん。ちっちゃい頃から仲はいいよ」
 それでもやっぱり伝わらなかった。
「まあいいや。とにかく、ラルフロイがエリアのこと狙ってるみたいだから気をつけろよ」
 ラルフロイはクレイやエリアのクラスメイトで、成績はエリアほどではないが、クレイよりは上だ。父親が島でも偉い方なのでいつも威張っている。
「へぇ〜。エリアってモテるんだ」
「お前、本当にエリアに気がないだろ」
 ニコポルは気が抜けた。
「あまりラルフロイの前でエリアと仲良くしない方がいいぞ。目をつけられるから」
「ふーん。一応気をつけるよ。でもエリアにも言っておかないと駄目だよね。大体学校で声かけてくるのはエリアの方だもん」
「うっ。そ、それは……まあ、お前に任せるよ」
 当人たちにはあまり突っ込んだ話はしたくなかったニコポルは逃げ腰になった。
「あ。そうそう。さっきニコポルが言ってた『エリアは好みじゃないけどかわいい』って言うの、本人に伝えておいた方がいいかなぁ」
「絶対やめろ」
 ニコポルはクレイの肩を掴みながら強く否定した。

 そんなことがあったので、森の奥の小屋に来たエリアに、早速その話をすることにした。
「ラルフロイがエリアを狙ってるって言ってたよ」
「えっ。狙ってるって?」
 エリアはびっくりしたようだ。まあ、当然か。
「誰よ、そんなこと言ってるの」
「ニコポルから聞いたんだ」
「なんでニコポルが?」
「そう言えば何でだろ。まあいいや。ニコポルはエリアのこと、好みじゃないけどかわいいって言ってた」
 口止めされていることをすっかり忘れているクレイ。
「うわ。嬉しいような悲しいような。まあいいか、ニコポルだし」
 ばっさり斬り捨てるエリア。
「ラルフロイかぁ……。あんまり好きじゃないのよねぇ……。顔は悪くないけど性格がねぇ……。ま、詳しいことはニコポルに聞いてみるよ」
 この話はとりあえず様子見ということになった。
 それより、日記のことである。
 読み返してみると、気になるところがあった。
「ちょっと。これってさあ、満月の夜じゃない?」
 日記の『月の光が』の辺りを指でなぞりながらエリアが言う。
「えっ。でも月の光が暗いって書いてあるじゃん」
「その後に〜さえも照らしているって書いてあるじゃない。だからこれは普段暗いところが明るくなっているのよ。月明かりが相当明るくないとこう言う言い方しないわよ?」
「あっ、そうか。だから満月なんだ。じゃ、今度は満月の夜に行ってみよう」
「決まりね。それじゃそれまで、他の部分も頑張って解読しよう」
 日記の解読はだいぶ進んでいる。どうしても分からないところは現状ではどうしようもないので、完全に行き詰まったところでエマに報告に行くつもりだ。

 翌日。エリアは早速登校してきたニコポルに昨日のことを聞いてみることにした。
 ニコポルは、うわ、とでも言いたげに、少し焦りの見える顔になった。
「クレイに聞いたんだけど、ラルフロイがあたしのこと好きなの?」
 包み隠さずモロな質問を浴びせるエリア。
「クレイー、なんでなんで俺の名前出すんだよぉ〜」
 ニコポルは頭を抱えてぼそっと言う。クレイはまだ来ていない。
「ねぇ、どうなのよ」
「う。うん。俺も本人から聞いた訳じゃないけどな、美人で才女とくりゃ俺様に一番お似合いだ、みたいなことを言ってるらしいぞ」
「呆れた……何様よ、あいつ」
「その様子だとお前はその気全然ないな」
「あったり前じゃない。あんな性格悪いヤツ、好きな人いるわけないわ」
 思わずニコポルは本人が聞いてないか辺りを見回してしまう。
「あんなのよりはまだあんたの方がマシね、見た目はだいぶ落ちるけど」
「うぇっ!?」
 ニコポルは焦るが。
「でもあんた、あたしのこと好みじゃないんでしょ?」
 安心させようとしていったエリアの一言にさらに焦るニコポル。
「そ、それもクレイに聞いたのか?あいつ、言うなっていったのに〜!」
「いいじゃない。それが分かってるからあたしだって話しかけやすいんだから」
 涼しい顔でエリアは言いはなった。ニコポルは頭を抱える。
「俺はお前のそう言う性格も苦手だよ……。よくクレイは付き合ってられるよな」
「別に付き合ってなんかいないわよ」
「いや、そう意味じゃないんだが……。お前はどうなんだよ。クレイのこと気になったりとかしてるわけ?」
「え?まっさかぁ。気になってたらあんなに気安く話しかけられるわけないじゃない」
「お前にもそんなかわいいところがあるのか、知らなかったよ」
「惚れちゃいやだからね」
「いや、それはない……」
 噂をすれば影、と言うところであろうか。まさにそこにラルフロイが教室に入ってきた。ニコポルは慌てて目をそらすが、ラルフロイがこちらを見たのは分かった。
「ヤバ。来たぞ、ラルフロイ」
 エリアもその言葉に目を向けた。ラルフロイと目があったが、すぐに逸らした。
 エリアは自分の席に戻る。ラルフロイはニコポルに疑惑の視線を投げかけ、ニコポルは居心地が悪そうだ。
 そこに、クレイもやってきた。エリアとニコポルのやりとりのことなどクレイは知らない。それどころかニコポルから聞いた話をエリアに話したことさえすっかり忘れていた。
「おいクレイ、言うなっていったじゃんかよー」
「え?何を?」
 なので、ニコポルがクレイに声をかけた時にこんなとぼけた返事をしてしまう。
「いや、この件を蒸し返すのはやめておく。一生忘れててくれ」
 クレイはきょとんとしている。が、暫し考えたあと、ニコポルの席にかけだした。
「ごめん、忘れてたよ。そう言えば口止めされてたよね、ニコポルがエリアのことかわいいって言ってたの。僕、言っちゃったよ」
「ちょ、おま……忘れてくれって言ったのに」
 ニコポルの席はラルフロイの席に近いのだ。おもいっきり聞こえてたらしく、ラルフロイの視線が突き刺さる。
「お前俺に何か怨みでもあるのか」
 ラルフロイの視線を気にしながらクレイにぼそっと言うニコポル。
「えっ、なんで?」
「いいよもう。とにかく俺はエリアにフラれたから。もうこの話はすんな」
 ラルフロイにも聞こえるように少し大きめの声で言うニコポル。突き刺さってた視線が外れたのを感じた。
 ほっとするニコポルだが、近くにいた女子に聞こえてしまい、集られてしまうのだった。

 夜毎に月は満ち、いよいよ満月になりそうだ。
 授業が終わるとエリアは早速クレイに念を押した。
「クレイ、いよいよ満月になるよ」
「うん、そうだね」
「分かってるでしょ?あんた見てるとなんか不安だわ。忘れそう」
「まさか。いくらなんでも忘れないよ」
 これをニコポルが聞いていたらどんなつっこみが来ることか。
「まあいいわ。来なかったら呼びに行くから。場所はこの間の湖畔でいいわよね?」
「うん」
 そんなやりとりを、遠くの方からラルフロイが見ているのに二人は気付かなかった。ラルフロイの場所からは、二人が何を話しているのかはよく聞き取れない。手を振り合い、その場は別れる二人を見送り、ラルフロイも去っていった。

 この島では不思議なことに満月の夜は決して雲が空を覆ったりはしない。月の力が雲を寄せ付けないのだという伝説もある。
 この夜も、満天の星空にまん丸い月がぽっかりと浮かんでいる。月の光は島全体を照らしあげ、島全体がうっすらと光を放っているかのようだ。
 クレイは寝たふりをし、こっそりと部屋から抜け出した。
 今日は少し時間が早いので両親がまだ起きている。この間のように物音を立てるわけにはいかない。
 窓辺に立ち、落ち着いて、ゆっくり呪文を唱える。クレイはふわりと浮かび上がり、そのまま窓の外に出た。今日はどこもぶつけずに済んだ。ちゃんと窓を閉めて地面に降り、人目のない路地を歩く。
 不思議なほど静かだ。犬の鳴き声さえない。
 住宅地を抜け、農地に出た。月の光は強く、まるで昼間のように歩ける。
 やがて、目の前に広大な湖が広がった。月の光を受け、キラキラと水面が輝いている。こんな時間に出歩くことはないので、こんな幻想的な景色を見たのも初めてだ。
 クレイはここでエリアの到着を待つことにした。

 エリアも同じ頃、家を抜け出していた。
 クレイと同じように窓から飛んで抜け出す。クレイの家のある地区とエリアの家のある地区は川を挟んで反対側になっている。橋を渡り、クレイの家の前に来た。クレイの部屋は真っ暗だ。もう出掛けているのだろうか。忘れて寝ている場合を考えて、エリアは周りに人がいないのを確認し、呪文を唱える。エリアはふわりと宙に浮かび上がり、そのままクレイの部屋を窓から覗き込んだ。部屋の中には誰もいない。ベッドの上にもいない。エリアは湖に急いだ。
 エリアは湖に着くとクレイの姿を探した。以前うたた寝していた場所と同じところにいた。
「ねえ、どう?なにか変わったことあった?」
 エリアは俯いているクレイの肩に手を置いた。
「ひゃああああっ」
 クレイは驚いて湖に続く斜面を転げ落ちた。
「ちょっと、あたしが来るの待ってたんなら驚かないでよ」
 エリアも転げ落ちたクレイの後を追う。
「驚かさないでよ……」
「かってに驚いたんでしょ」
 クレイは上半身を起こし、砂まみれになった服を慌てて叩いた。
 実はクレイはまた居眠りをしていたのだ。何か変わったことがあったとしても、気付かなかっただろう。
 湖に水面は穏やかだ。今は風さえも凪いでいる。波一つ建たない。まるで鏡のようだ。
「見て、すごくきれい」
 エリアは幻想的な景色に浮かれ出した。クレイ果て元の石を一つつかみ、湖に投げ込む。広がる波紋が月の光を受けて瞬いている。
「こんな所から見るんじゃなくて、飛んで上から見てみようよ。湖の真ん中あたりに何かあったんだから」
 エリアは座っていたクレイの腕を引っ張って立ち上がらせた。
「飛ぶのやだなぁ……落ちたら溺れそう……」
「落ちなきゃいいのよ、落ちなきゃ」
 怖じ気づくクレイを尻目に、エリアは詠唱を始める。
「マ・ツェル・バダ・アロ・フォルタル・プトゥーン・フュルス・プトゥーン……」
 エリアの体がふわりと宙に舞い上がった。エリアはこんなこともあろうかと今日はスパッツを穿いてきている。見上げられてもへっちゃらだ。
「ああっ、待ってよぉ」
 クレイも覚悟を決めて詠唱を始めた。クレイだって別に飛べないわけではない。ただ、魔法の効果が安定しないのでふらふらするだけだ。上に行きすぎたり下がりすぎたりして慌てて軌道修正の呪文を唱えたりしなければならない。
「なにも見えないね」
 エリアは余裕で水面を見渡している。
「う、うん」
 クレイもどうにかおっかなびっくり見回すが、気を抜くと落ち始まってしまう。
 安定しないのは飛び方だけではない。この呪文で空中に浮いていられる時間もだ。なので、不意にがくっと来ることもある。
「湖の真ん中ってこのあたりよね?うーん。なにも見えないわ。もっと下に降りてみよっか」
「えっ。無理」
 クレイを無視してエリアはゆっくりと高度を下げた。
 クレイも緊張しながら高度を下げる。
 だが、ビビっていたクレイは緊張のあまり、高度を下げる呪文を強く唱えすぎてしまった。
「あああぁぁぁぁぁ……」
 エリアの横を勢いよく降下するクレイ。
 あーあやっちゃった、でも下は水だから大丈夫よね、とエリアは心の中で呟き、クレイを目で追った。
 派手な水しぶきが上がった。
 だが、クレイは湖に落ちなかった。いや、落ちた。落ちたのだが、湖の表面がクレイの落ちた辺りだけ凍りつき、クレイが湖で溺れることはなかった。
「なにこれ。どうなってるの?クレイ、何かした?」
 直接落ちなかったものの、跳ね上がった水を浴びてしまったクレイにエリアは空中から声をかけた。
 クレイはまだどうなったのか把握できていなかったようだ。目を開け、辺りを見回す。今、どうなっているのかは理解したが、何が起きたのかは理解できなかったようだ。
「なにこれ」
 クレイもエリアと同じ事を言う。
「僕、なにもしてないよ」
「そうよねぇ。あんな状態でとっさに何かできるような人じゃないもんね、クレイは」
 ちょっとぐさっと来たらしく、へこむクレイ。
 座り込んでいても仕方ないし、足が冷たく冷たくなったのでクレイは立ち上がった。
 すると、クレイの足元の氷が、まるで導くように伸び、湖の上に氷の橋が出来始めた。
「ね、ねえ。これどうなってるの?」
 エリアも氷の橋の上に降り立った。
「分からないよ」
 クレイも何が起こっているのか分からず、驚くことしかできない。
「行ってみようよ」
 エリアに促され、クレイは歩き始めた。歩くそばから氷の橋はみるみる溶けて無くなっていく。
「どこに続いてるのかな……」
「あ、あそこだ」
 クレイは氷の橋の先に何かを見つけた。遠くてよく見えない、二人は駆け寄る。氷の橋だが、不思議と滑らない。
 それはまるで井戸のように見えた。近づいてみると、小さな氷の島の真ん中に、ぽっかりと穴が開いて螺旋階段がその穴の底の方に続いていた。
「い、行ってみる?」
 クレイは恐る恐る覗き込む。
「当然でしょ!」
 エリアはクレイの背中を押した。
 なんで僕を前にするのさ、とクレイは心で呟きながら、どこまであるのか分からない、暗闇に続く螺旋階段をゆっくりと降り始めた。

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