マジカル冒険譚・マジカルアイル

02.消えた魔法使い

「かーちゃんに怒られるだろ、どうしてくれるんだよ、兄ちゃん」
 お漏らししてしまったことで不機嫌になったモッチがまだ文句を言っている。
「もうこんな所、二度とこねーかんな!」
 がに股になりながらひょこひょことモッチはついてくる。
 クレイにとってはここはとても興味深い物がたくさんあった。
 高度な魔法書。魔法の研究のための機材。そしてそれらを置いたままおそらくは外の世界に旅立っていった魔法使い。
 手紙には『あなたが帰ってくると信じている』と書かれていた。
 なぜ?結界のために外からは決してこの島に来ることが出来ないというのに。
 それとも、外の世界から戻ってくる方法があるのだろうか。
 クレイの興味は止まらなくなった。

 そろそろセルベトの店で時計を受け取る時間だ。
 店を尋ねると、セルベトは時計を見上げた。
「4時間12分か。思ったよりも早く来たな。言いっぷりだと5時間以上来ないと思ってたのに」
「そんなに遊んでたら怒られちゃうよ」
「何だ、家に帰ったんじゃなくて遊んでたのか。そりゃ早く来ないといかんわな」
 かっかっかっと時計が時を刻むような声で笑うセルベト。
 クレイはセルベトから時計を受け取る。こんな小さな島なので、ここにはお金という概念がない。誰もが島の生活に貢献している。だから、自分の出来ることをするのはそのみんなのための当然の恩返しだ。
「ありがとうおじさん」
 そう言い残しクレイは店をあとにした。日はもう傾き始めている。
 急いで家に帰ると夕ご飯のいい匂いがした。
「お帰り。やっぱり時計がないと不便ね。……あら、やだ。今日はどこで遊んでたのよ」
 玄関まで出てきたはいいがクレイの姿を見て顔を曇らせるママ。
「えっ、どうにかなってる?」
 クレイはちょっと焦る。
「埃まみれよ。そんな恰好で家の中に入ってこないで。外でたたき落としてきなさい」
「はぁい」
 とりあえずどこで遊んできたのかを問いつめる気はないようだ。
 服に付いた埃を払い落として家に入る。パパが帰ってきていて、食卓で準備が出来るのを待っている。パパはクレイを見て言った。
「頭の埃も落としておいで」
 クレイは座る前にまた外に行かなければならなかった。
「友だちの家で物置でもほじくり返していたか?」
「そ、そんなところ」
 パパの言葉にクレイは適当にお茶を濁した。
「何だ、痣まで出来てるじゃないか。まったくいつまでたっても悪ガキだな、クレイは」
「えっ、どこどこ」
「あとで鏡でも見るといい。パパ似の美男子が台無しだ」
「いいじゃない、どうせあと20年もたてばパパみたいになっちゃうのよ」
「ひどい言いぐさだなぁ」
 こんなことを言い合ってるが和やかに食事は進んでいった。

 ベッドの中でクレイはこれからどうしようか思いを馳せていた。
 あの難しすぎる本に何が書かれているのか。グレックとはどんな人物だったのか。外の世界に行って、どうなったのか。そして、戻ってくるとは。どうすれば外の世界から戻ってこられるのか。
 しかし、今そのグレックという人は島にはいない。戻ってこなかったのか。それとも戻ってきたがすでにこの世を去ったのか。
 数少ない、それでいて大きな手がかりはエマ。多分、ピクルス名人のエマおばさん。
 エマおばさんのピクルスを食べたことはあるが、本人に会ったことはない。彼女があの手紙にあった『エマ』だったとして、その時のこと、グレックのことを話してくれるだろうか。
 ふう、とため息を一つつく。
 考えていても仕方ないか。少しずつ、調べてみよう。

 翌日。学校が終わってからもう一度あの小屋に行ってみることにした。家に帰る前にちょっと寄り道する。
 荷物を置いてきた方がいいかな、とは思うが、ちょっとだけ。はやる気持ちが押さえきれなかった。
 森に分け入り、藪を押し分け、小屋についたら一目散に屋根裏に向かう。
 そういえば。気がついて階段を上げ下げする装置をよく探してみた。しかし、階段に取り付けられた鎖は何の仕掛けもないドラムに繋がっているだけ。ドラムには巻き上げるレバーさえない。ここも魔法で動かしていたのだろうか。これほどの蔵書があるほどの賢い魔法使いだ。絡繰りの機械なんか使うよりはそっちの方が楽チンだろう。
 とりあえず、何冊か本を開いてみて、読めそうな本が見つかったらそれを持って家に帰り、なかなか見つからないようなら改めて荷物を置いてまた来よう、そう思っていた。
 そして、何冊目かの本を開いた時、クレイは動きを止めた。
 下で何かの気配がする。足音が聞こえる。床の軋む音も。
 パッチか、モッチか。それ以外の人だったらどうしよう。たとえば、グレックという人だったら。
 恐る恐る下を覗き込む。そして、見えた人影に思わず大きな声が出た。
「エリア!?」
「わ。やっぱりいた。急に大きな声出さないでよ、ただでさえびくびくしてたんだから」
 クレイは階段を駆け下りた。
「な、何でエリアがここにいるの?」
「大体ここ、何なの?」
 問いかけるクレイを無視し、エリアは小屋の中を見渡す。
 言い訳しても仕方がないので正直に話すことにした。
「パッチが教えてくれたんだ。ずっと隠れ家にしてたんだって。」
 言っている間に、エリアは埃まみれで固そうな椅子を避けてベッドに腰を下ろした。でもそこでは昨日モッチが。
「なんか臭うね、この部屋」
「そのベッド、座らない方がいいよ」
「何で?」
 慌てて立ち上がりながらエリアが訊く。
「聞いたら後悔するかも」
「……なぁに?聞きたくないけど……。何なのよぉ」
「あ、そうだ。上行ってご覧よ。すごいよ」
 とりあえず話を逸らすために仕方なく屋根裏に連れて行くことにした。どうせ、こんなに目立つ階段だ。なにも言わなくても気になるだろう。
 エリアも、すぐにここがどういうところなのかを理解した。
「うわ、すごい。学校の図書館にだってこんな本ないよ」
「もしかして書いてあること、分かるの?」
「えーと。うーん。分かる……かな?いや、やっぱ分かんない」
 分からないといいながらもエリアは本に読みふけっている。
「こっそりあとをつけたの、大正解ね。こんな面白いところ、クレイに独り占めされたくないもの」
「えっ、こっそりつけてきてたの?」
「うん。なんかクレイがやけに急いで家と違う方向に走ってくから気になって追いかけてたの。そしたら森の中に入ってくし、なんか怪しいって思って」
「うわ、しっかり見られてたのか。そういえばぼく、周り見てなかったもんなぁ……。エリアでよかったよ、大人に見られてたら大変だ」
 クレイはほっとしつつも頭を抱えた。
「あ、そうだ。エリアはグレックって人のこと、知ってる?」
 エリアはかぶりを振る。
「ううん、知らない」
「ここ、そのグレックって人の家だったみたいなんだ」
 クレイは例の手紙をエリアに見せ、エマとは多分エマおばさんだ、と付け加える。
「エマおばさんならよく知ってるよ。おばさんのピクルスはよく分けてもらうもの。今度お使いに行く時聞いてみようか」
「本当?助かるよ。いつ頃になる?」
「そんなに先じゃないよ、もうそろそろピクルスも切れるもの」
 エマおばさんのことはエリアにまかせておいて大丈夫そうだ。
 エリアがこの小屋やグレックのことに興味を持ってくれたのはとても幸運だった。二人で秘密を共有していればエリアが大人にこの小屋のことをばらしてしまうこともない。
「ぼくは荷物を置いてまたここに来るつもりだけどエリアはどうする?」
「来てもいい?面白そう」
「いいよ。でも誰にも内緒だよ」
「もちろん」
 一度荷物を置いたあと、二人は屋根裏部屋の本を日が沈むまで片っ端から調べまくった。
 どの本もとても難しい本で、今の二人の知識じゃさっぱりついて行けそうにないような本ばかりだった。
「ダメね、もっともっと勉強しないと」
 エリアはぱたんと本を閉じながらため息混じりに呟いた。
「そうだね……。今ぼく達が学校で教わってることなんか、初歩の初歩だって事がよーく分かったよ」
 クレイもため息をついた。
「せっかくこんなにたくさん本を見つけたんだもの。全部分かるくらいになりたいよね」
「うん」
 頷きながらクレイは改めて本棚にぎっしり並んだ本を眺めた。今の自分たちにもちゃんと読めそうな本はこの中に一冊もなかった。ちょっと悔しいが、この本に書かれていることが分かるようになりたい、というのは目標にしても良さそうだ。

 学校の図書館の本ならば、たとえ難しくても、全て魔法の言葉で書かれていたりする物もあるような屋根裏の書斎の本よりは分かり易く書いてある。ある程度学校の図書館の本で知識をつけてから、屋根裏の本に向かう事にした。
 しばらくすると、魔法語で書かれていない本ならば何とか書かれていることは分かるようになったが、ここに書かれていることを知ったからどうなるんだろうと言うことが見えてこない有様だった。まだ、早過ぎるようだ。
 そんなある日、屋根裏部屋を探っていたクレイ机の引き出しの中に一冊のノートを見つけた。
 全て魔法語で書かれていたので、よっぽど難しいことが書いてあるんだろうと思い最初は放っておいたが、ノートにつけられた表題を魔法語辞書で引いてみると「日記」だった。
 クレイの興味は一気にそちらに向いた。しかし、やはり魔法語で書かれているのはかなり厳しい。
 思えば辞書を引かないと満足にどんな意味なのかも分からないクレイに比べ、グレックは日記にさえ魔法語を使うほど流暢に魔法語を操るのだ。
 魔法語の習得はオリジナルの呪文を作り出すには避けては通れない道だ。クレイも魔法の勉強をもっと進めていくつもりなら、いずれは魔法語をある程度理解しないとならないだろう。それにしても日記に使うほど使いこなせるなんて驚きだ。なにより、魔法語の語彙が日記に使えるほど豊富だったなんてクレイには思いも寄らなかった。
 実際、魔法を使う上では必要な単語は限られている。島の人々の多くはその最低限の言葉の、さらに自分に必要なものだけ憶えていればいい。古代の書物を調べる研究者や高度な魔法を操る術師以外には必要な知識ではないのだ。
 なぜそんな言葉で日記を書いたんだろう。クレイは考える。答えはすぐに浮かんだ。読まれたくないからだ。クレイだって自分の日記を友達に見られたくなんかない。
 それにしてもこんな人の近寄らないような森の奥に一人住み、その上に日記にまで誰も読めないような言葉を使って書くなんてなんて変わり者なんだろう。そして、誰も分からない言葉をここまで使いこなしてしまうグレックという人はどんな人物だったのだろう。
 日記を読めればその謎が解けるかも知れない。

 学校にある魔法語辞書は厚さはそれなりだが、意外と内容は薄い。呪文を組み立てる時の使い方も詳細に書いてあるため、載っている単語の数はだいぶ絞られているのだ。
 日記に使うような生活感の溢れた言葉も、高度な魔法にしか使わないような難しい言葉も辞書にはあまり載っていない。
 しかし、学校の辞書にさえ載っていないような単語をグレックはどうやって知ったのだろう。グレックの本棚には辞書の類はない。
 学校の近くにある中央図書館ならもしかして。
 しかし、中央図書館の、そんな高度な魔法関連の書物のある一角など学生風情が立ち入れるものではない。
 当面は今分かる単語だけを組み合わせ、間は想像で補うしか無さそうだ。

「クレイ、今日、暇?」
 授業が終わり、帰ろうとしたクレイにエリアが声をかけてきた。
「んー……」
 クレイは少し考える。大した用事はないが、日記の解読は続けている。
「あんまり暇じゃないかも」
「なんだ。今日ね、学校から帰ったらエマおばさんの所にお使いに行くことになってたの。だから誘おうと思ってたんだけど」
 クレイは顔を上げ、エリアに目を向けた。
「そういうことなら行くよ」
「暇じゃないって言ってたじゃない」
「そっちの方が面白そうじゃないか。荷物おいたらエリアの家に行くよ」
 クレイは大急ぎで荷物を置きに自宅まで走り出した。
「せっかちねぇ」
 エリアは呆れ顔で肩を聳やかした。
 クレイはあまりの慌ただしさに訝るママを尻目に、荷物を置いて家から駆けだし、エリアの家に向かった。
 エリアの家はクレイの家からそう遠くはない。庭に花がたくさん植えられた、小さな家だ。
 ちょうどクレイがエリアの家に着いた時、遠くの方に学校から帰ってくるエリアの姿が見えた。
「なにもそんなに慌てることないじゃない」
 エリアは呆れ顔だ。
「だって。待ちきれないよ」
「もう。待って、荷物おいてくるから。あんまり見えるところでうろうろしないでよ、クレイと二人でお使いに行くんだって事がバレたら親がうるさいから」
 釘を刺してから家に入るエリア。荷物を置くと、早速ママに呼ばれた。
「エリアー。今、お使い頼んじゃっていいかしら」
「うん。面倒なことはとっととすませちゃいたいしね」
 ママは苦笑いしながら、小さな壺をテーブルの上に置いた。ピクルスをこの壺に入れてもらうのだ。
「いつもの、って言えば分かるから。つまみ食いしちゃダメよ」
「分かってるって、そんなはしたない真似しないよ」
 今度はエリアが苦笑いを浮かべた。
 あまりクレイを待たせると覗き込んだりしかねない。家の近くをうろうろしているのを近所のおばさん達に見られても噂になりかねない。
 エリアはそそくさとお使いに出掛けた。
「待った?」
 一応、家の中からは見えない塀の外でうろうろしていたクレイに声をかけた。
「うん、待った待った」
「じゃ、行きましょ。クレイ、これ持って」
 エリアはクレイに壺を押しつけた。
「えーっ」
「なにがえーっよ。帰りも持ってもらうからね。男の子なんだから当然!」
「ちぇー」
 顔も言葉も全ての動作で不服を露わにするクレイだが、エリアは全く気にしない。
「ほら、ぐずぐずしない!行くよ」
「あ。待ってよ」
 すたすたと前を歩くエリアの後をとことことクレイは追い始めた。
「そういえばさ。なんでぼくと二人でお使い行くのがバレたら親がうるさいの?」
 クレイは素朴に疑問に思ったらしい。
「だって。年頃の女の子が男の子と二人っきりでどこか出掛けるなんて。それがお使いだって、なんか、こう、あやしいじゃない」
「ああ、それもそうか」
「現実はともかく……ねえ」
 まるでその気がないクレイ相手にも気を遣わなければならない。エリアは軽くため息をつく。
「なにがともかくなのさ」
「いいから!」
 エリアは大股で早足になった。広い畑の向こうにはエマおばさんの一軒家が見えている。
 この畑もエマおばさんの持ち物だ。エマおばさんの兄のラディがこの畑で作った作物をピクルスにするのだ。
「よう、元気そうだな」
 畑の中からそのラディのとぼけた声が飛んできた。振り返ると、キュウリのツルの影から麦わら帽をかぶったヒゲもじゃのラディがぬっと現れた。日に焼け、精悍な体つきだが顔はキュウリのように痩せている。ヒゲもキュウリのツルのように絡み合っている。
「こんにちは」
 二人は声を揃えて挨拶をする。
「相変わらず仲がいいな。またエリアにこき使われてるのか。苦労するな、クレイ」
「ええまったく」
 愛想笑いを浮かべて返事をしたクレイの腕をつねるエリア。クレイはちょっとだけ飛び上がった。
「エマなら家の中にいるよ」
 ラディはそう言うとキュウリのツルの間に消えていった。
「こんにちはー」
 エマの家の玄関をくぐり、声をかける。
「はーい。おや、クレイ、お使いだね?」
「お使いは私です」
 エリアがクレイから壺を取り返し、エマに差し出した。
「ぼくはお使いの使いっ走りです」
 エリアにまたつねられてクレイは体をねじった。
「クレイをいじめちゃダメだよ。いつものでいいんだよね?」
「はい」
 エマは壺を持って家の奥の方に歩いていった。
「なによ、みんなして私がクレイのことこき使ってるとかいじめてるとか。失礼しちゃうわ」
 憮然とした顔で呟くエリア。
「本当の事じゃんか」
 言うだけいってクレイは素早くエリアから離れた。しかしエリアは容赦なく追いつめてほっぺたを思いっきりつねってやった。
「こらこら、今いじめちゃダメだっていったばかりなのに」
 エマは壺にピクルスを詰めて戻ってきた。エリアにつねられているクレイを見て苦笑いを浮かべている。慌ててエリアは手を離し、クレイはほっとした顔をした。
 エマの差し出した壺を受け取るエリア。
「ほら、あのこと聞いてみようよ」
 クレイはエマの差し出した壺を受け取るエリアにぼそっと言う。
「ん?なあに?」
 エマにも聞こえたようだ。エマはにこやかに言う。
「もう。こう言う時は私を頼るんだから。……帰りも壺を持ってもらうんだからしょうがないけど」
「えーっ」
「えーっじゃないわよ」
 もう壺を押しつけるエリア。渋々クレイは壺を受け取った。ピクルスがぎっしり詰まってるだけあって大分重くなっている。
 どう切り出したものか少し悩んだ後、エリアは決心した。
「えーと。あの……グレックさんって、ご存じですよね?」
 途端にエマの表情が変わる。笑みが消えた。確かに、エマはグレックのことを知っている。
「どこでその名を?」
 エマは押し殺した声で聞いてきた。
「えーと……その……あの。森の奥でグレックさんの家を見つけたんです。クレイが」
「ぼくじゃないよ、見つけたのはパッチだよ。ぼくは教えてもらっただけ」
「私はクレイから教えてもらったんです。そこでクレイがエマおばさんがグレックさんに宛てた手紙を見つけて……。でしょ?クレイ」
「うん。グレックさんって人がどんな人なのか気になって仕方がないんだ。すごく難しそうな魔法の本がいっぱいあって、そんなすごそうな人なのに、ぼくは名前も初めて聞いたくらいだし。それに……」
 クレイはそこで言葉を切った。自分でも気がはやっているような気がしたから。少し心を落ち着けて、言葉を続けた。
「手紙には『帰ってくると信じている』って書いてあった。……グレックさんはどこに行ったの?」
 エマは小さくため息をついた。もはや隠し切れるものではないと感じ、諦めたような笑みを浮かべている。
「そう言うことなの……。そうよね、誰かが言うはずないもの。グレック……あの人はね、確かにこの島でも指折りの魔法使いであり、魔法の研究家だった」
 エマは過去を振り返りながら話を続けた。
 グレックはクレイ達が通っている魔法学校を優秀な成績で卒業し、当然のように学校に残り、魔法の研究に打ち込むようになった。島の中でも有名な名士だった。
 エマとグレックが知り合い、恋に落ちてしばらくは二人は幸せだった。農夫の娘で魔法の使えぬエマと大魔法使いのグレック。普通ならば実るはずのない身分違いの恋だったが、二人の場合は違った。グレックは若いころに両親を亡くし、天涯孤独となっていたのだ。
 もちろん、グレックの仲間はグレックに魔力を持つ女性と付き合うように勧めたが、強制は出来なかった。そればかりか、グレックがそう言う彼らを疎ましく思い始め、彼らと対立し始めた。
 その頃からグレックは少しずつ変わり始めていたのかも知れない、とエマは振り返る。
 エマの前ではなにも変わらない微笑みを浮かべ、優しい言葉をかけてくれたグレックだが、やがて森の奥に蟄居するようになってしまった。
 エマの前にだけは姿を現すが、他の人にはあまり会いたがらなかった。そして、その森の奥の庵にはエマさえも近づけようとしなかった。
 エマが理由を聞くと、あんな狭苦しくて汚らしい小屋は見せられないよ、と冗談めかして言うばかりだった。
 確かにそれもあったのだろう。だが、それ以上にあの小屋には他の人には見せられないような書物などがすでに集められていたのだ。
 グレックは人の訪れることのない庵で日々、研究に明け暮れた。エマはその間、ひたすら待ち続けた。いつか、自分のことを見てくれる日が訪れると信じて。例え、グレックがエマに会いに来てくれることが少なくなるばかりでも。
 そして。グレックはエマに唐突に告げた。
 島を出る、と。
 島は巨大な結界に包まれている。外の、魔法を知らぬ人々の世界と隔て、悪しき目的で魔法の力を欲する者が近寄れぬように張り巡らされた、古の結界に。
 そして、その結界は例え魔法を使える島の人々であっても決して打ち破ることは出来ない。つまり、島を出、結界を出れば二度と戻ってくることは出来ない。それは島の住人なら誰もが知っていることだ。
 しかし、グレックは言う。必ず戻ってくる、と。
「グレックは、外の世界から島に戻ってくる方法を見つけたと言っていたわ。そして、戻ってくる方法があるなら、外の世界が見られる。外の世界を見て、帰ってこれる。そう言った」
 遠い目をして話していたエマは、ふと視線を落とした。
「でも、グレックは帰ってこなかった。戻ってくる方法が間違っていたのか。元々そんなものはなかったのか。それとも……旅の途中で倒れてしまったのか。それは分からない。ただ、彼は帰ってこなかった」
 エマはため息を落とした。
「それでも、私はこうして嫁にも行かず、グレックを待ち続けているけど。他の人たちはグレックのことを忘れようとしている。少なくとも、彼の名を口に出したりする人はいない」
「どうして?やっぱり、そう言う人がいたって知ると真似する人がいるからかな」
 クレイが不思議そうな顔をして訊いた。
「そうね。そう言うことだと思うわ」
「でも、森の中とはいえなにもかもが残った家を残しておいたらいつか見つかるんじゃないですか?現に私たちは見つけましたよ」
 今度はエリアが口を挟んだ。
「グレックが旅立ってすぐ、森の中にある彼の庵をみんなで探したわ。彼しか知らないことがたくさんあったし、なにを研究したのか、どんな資料が残されているのか、誰もが興味を持っていたから。でもね、いくら念入りに探しても見つからなかった。多分魔法で隠されていたみたいなの。この島の名だたる賢者達でさえ見破れないような強力な魔法で……。だから、あなた達が見つけられたのはきっと魔法が解けたんだと思う。念入りに探して見つからなかったんですもの。もうあそこは探すだけ無駄と大人達は決めてかかって森に近づきもしなくなった。そして忘れられた頃に、好奇心が旺盛な子供達が見つけてしまった……。皮肉なものね」
 エマは顔を上げ、クレイとエリアの顔を見た。そして諭すように付け加える。
「いい?グレックのことをあなた達ののご両親や先生方に聞いちゃ駄目よ。彼のことを知っている子供がいるなんて知ったら大騒ぎになっちゃう。誰もが口を噤んで忘れていたはずの人のことを、誰かが子供に教えたって事になるわ。あなた達が自分たちだけで調べたと言っても……」
 クレイとエリアは頷いた。それを見てエマも安心したようだ。
「それと。私にだけ、グレックの庵の場所を教えてもらえないかしら」
 クレイとエリアは顔を見合わせる。さすがに断れるものではない。
 明日、学校が終わってからまたエマの家を訪ねる事を約束し、二人はピクルスの壺を忘れずにエマの家をあとにした。

 そして、翌日の放課後。
「クレイ、行くよ!」
 みんなが帰り始めるとエリアはすぐにクレイに寄ってきた。
「うん。でも荷物置いてこなくちゃ」
「それもそうね。じゃ、エマおばさんの家の前に集合ね!」
 そう言うとエリアは教室を駆けだしていく。学校からはエリアの家の方がクレイの家より近いし、エマおばさんの家だってエリアの家の方が近い。この様子だと、全力疾走してもエリアに『遅い!』と言われるに決まっている。
「なんだ、お前ら最近仲いいな」
 クラスメートのラッカが冷やかし混じりに言った。
「そんなんじゃないよ」
「分かってるよ。腰巾着も大変だな」
「そんなんじゃないよ」
 クレイが言い終わる前にラッカはどこかに行ってしまった。
 とにかく、クレイも急いで帰らないとならない。長い道のりを駆け抜け、ただいまも言わずに荷物を放り投げるとまた家を駆け出していく。
「あっ。もうー、お使い頼もうと思ったのにー!」
 後ろからママの声が聞こえた。でもそれどころじゃない。
 エマおばさんの家の前に到着すると、もうエリアは先に来ていてエマおばさんと一緒にクレイの到着を待っているところだった。
「クレイ、遅ーい!」
 やっぱり言われてしまった。
「しょうがないじゃないか、僕の家の方が遠いんだから」
 ぶつくさ言うクレイ。とにかく、三人で森の中に入っていく。
「ずいぶんと探したんだけどねぇ……」
 エマおばさんは当時のことを思い出しながら言った。
 獣道のような狭い道だがこの道なりに行けばすぐに小屋にたどり着く。それが見つけられないのはやはり魔法でこの道ごと隠されていたからだろう。
 昔、疲れ果てるまで探しても見つからなかったグレックの小屋にはあっけなく着いた。
「ここが……」
 エマは辺りを見回しながら小屋に入っていく。
 古び、埃が積もっている。とても殺風景な部屋だ。
 二階の書斎で、クレイはエマに例の手紙を見せた。
「懐かしいわ」
 手紙を読み終えたエマは過去がよぎったのか目頭を押さえた。
「きっと魔法をかけてこの小屋を隠したのは戻ってくるつもりでいたからね。留守の時に鍵をかけるのと同じように。だから何もかも置いていったんだわ」
 そして、グレックが机の引き出しの中に残していった日記帳。
「これが読めれば、あの人が何を考えていたか分かるかも知れないのに」
 読めぬ言葉で綴られた日記鏡をめくりながらエマは寂しそうに呟く。
「おばさん、ぼく達この日記、絶対解読してみせるよ。そしたらおばさんは必ず教えてあげる」
 エリアもクレイの言葉に同意した。
 この、一番解読が難しそうな日記。これの解読が当面の目標になった。

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