マジカル冒険譚・マジカルアイル

01.魔法使いの島

 ママの歌声が聞こえる。
 ママは朝ご飯の準備中。
 メロディはママのオリジナル。詞は古代より伝わる不思議な呪文。
 その歌に合わせて鍋の下では火が踊る。
 炎を操る魔法の呪文の詞を口ずさめば魔法で生まれた火が料理の助けになる。
 このリズムは卵焼き。なんてね、本当は卵焼きの匂いがしたんだ。


 歌で目をさましたクレイは匂いに釣られて階段を下りた。
「おはよう、ママ」
 まだ眠い目をこすりながら朝の挨拶。ママの歌が止む。フライパンの下での火のダンスもふっと消えた。
「おはよう、クレイ。もうちょっとだから待っててね」
 そう言うとママはまた歌を歌い始めた。ゆるゆると小さな火が小さな輪を作りまた元気に踊り出した。
 火は歌のリズムに合わせ規則的に大きくなったり小さくなったりを繰り返す。火加減によって歌を変えたり、テンポを変えたりするのだ。
 待っている間にクレイは顔を洗ってくることにした。
 魔法の水瓶から水を桶に汲み出す。少し減った水瓶の水はゆっくりと元の量に戻った。前より少し水が増えるのが遅くなってきている。そろそろサーレばあさんに魔法をかけ直してもらわないとならないかも知れない。
 キッチンに戻ると朝食の準備がすっかり終わっていた。
 目玉焼きにサラダ。そしてパン。いつもの質素な朝食だ。
 パンに目玉焼きを挟んでかぶりつくと、固まっていない黄身がじわりと滲みだしてきた。いつもながら、絶妙な焼き加減だ。
 クレイもたまに自分で卵を焼いてみることはあるのだが、こううまく行った試しがない。火力が強すぎて黄身まで固まってしまったり、真っ黒に焦げてしまったりする。
 ママと同じ呪文の歌を、同じように歌っているはずなのに、出てくる火の大きさが全然違うのだ。
 クレイに才能がないのではない。むしろ逆だった。
 ママは優秀な魔法使いだ。そして、パパもまた代々続くような魔法使いの家系に生まれた。つまりクレイは言ってみれば魔法使いのサラブレッドのようなもので、むしろ魔法の力が強すぎるくらいなのだ。
 しかし、天は二物を与えずとはよく言ったもので、その強い魔力を使いこなすにはクレイはちょっとドジすぎた。
 力が強くてドジだと、失敗もド派手になってしまう。魔法で井戸から水をくみ上げようとした時も、水がすごい勢いで井戸から吹き出し辺りを水浸しにしたり、テーブルを浮かせて移動しようとした時も天井に思いっきりぶつけて天井もテーブルもめちゃくちゃになったり。
 だから特に、火の魔法は大人のいないところでは絶対禁止になってしまった。
 それでも、魔法学校に通い始めてからはだいぶマシになった方だ。
 魔法学校は普通の学校と違って魔法の使い方を教わる学校だ。魔法の力の強い子供が集まり、将来の優秀な魔法使いを目指す。
 力は強いが使い方が下手なクレイの成績は中の上といったところ。成績優秀とはちょっと言い難い。
「クレーイ」
 家の外から女の子の声がした。時計を見る。今日はちょっと来るのが早い。
 クレイはパンを咥えたまま窓から顔を出す。もごもごもごーと言ったあと、咥えていたパンを手に持ち、言い直した。
「早いよー」
「なーに、まだパジャマじゃない。遅刻しちゃうよ」
「エリアの家の時計、進んでるんじゃないの?」
「クレイの家の時計が遅れてるのよ」
 エリアは魔法学校でトップクラスの成績を誇る優等生だ。魔法の力自体はクレイに全然及ばないが使い方がとてもうまい。魔法学校ではただ一人の同期生だ。
「あらー。そう言えばもうそんな時期ねぇ」
 のんびりした口調でママが言う。
「え。ちょっとそれってもしかして」
「ええ、そろそろ時計の魔法が切れてもおかしくないわねぇ」
「しゃ、洒落にならなーい!」
 慌てて着替えに行くクレイ。魔法学校の先生は時間に厳しいのだ。
「ママー!ぼくの服がなーい!」
 着替え途中のクレイが下着姿でキッチンに駆け込んできた。
「あ、そういえば昨日洗濯して干したまんまだったわ」
 のんびりというママとは対照的に猛烈な勢いで庭に出て行くクレイ。
 ママはおっちょこちょいだ。クレイがドジなのもその血を引いているのだろう。不思議なのは、ママは魔法を使う時だけは絶対に失敗しないのだ。そしてクレイは魔法でも容赦なく失敗する。不思議だ。
 庭に出ると物干し竿にクレイの制服が翻っていた。
 大急ぎで竿から制服をとり、着替える。せっかく干したのに朝露で冷たくてしっとりしている。
 何でこんなに面倒な制服にしたんだろう、と思いながらもズボンを穿き、シャツの上に上着とベストを羽織る。そして、最後にマント。
 玄関から駆け出すと、エリアが待ちくたびれていた。
「おっそーい!もう走っても間に合わないじゃない!」
 そういうとエリアは走り始めた。走りながら呪文を唱えているのが聞こえた。
「ああっ、ずるい」
 クレイは思わず叫んだ。エリアが唱えていたのは空を飛ぶ呪文。エリアの体がふわりと舞い上がる。
 走っても間に合わないが、飛べば十分間に合う。しかし、それはエリアだけの話だ。クレイだって呪文を唱えれば飛べる。でも、クレイが飛ぶと制御できずに壁や木に突進してしまうので迂闊に飛べないのだ。
「ずるいって何よ。遅刻したくないんだからしょうがないでしょ」
 そういうと、エリアはさらに呪文を唱える。エリアは学校の方に一直線に飛び始めた。
「ううう、ぼ、ぼくだって」
 クレイも負けじと呪文を唱えた。クレイの体は宙に舞い上がり……。

 エリアは校庭にすとんと降り立った。まだちょっと時間がある。ほっとするのもつかの間。
「こら、エリア!飛んでくるな。行儀が悪いぞ」
 飛んできた怒鳴り声にエリアは思わず首を竦めた。
「お、おはようございます」
 慌てて裾を直し声の方に向かってお辞儀をする。若い──と言っても先生の中での話だが──先生が立っていた。
「うむ、おはよう。エリアが飛んでくるって事はクレイは遅刻か?」
 先生は苦笑いを浮かべた。
 その時。
「うわああぁぁ」
 頭の上からクレイの声が降ってきた。エリアと先生が見上げると、クレイ自身も降ってくるところだった。
「きゃあっ」
 慌てるエリア。対照的に先生は落ち着き、呪文を唱え始める。
 クレイは地面に叩きつけられる直前に空中に止まった。先生がクレイを中に浮かせる魔法をかけたのだ。
 一瞬何が起こったのか分からなかったクレイだが、目の前に先生の姿を見つけて苦笑いを浮かべ、走って逃げようとするが足は空中で空回りをする。程なく諦めてしょんぼりと先生に顔を向けた。
「どうにか間に合ったようだが、俺がいなけりゃまた大けがしてたぞ。まったく、遅刻がいやならもっと早く起きるか、飛ぶ魔法くらいちゃんと憶えりゃいいのに」
 呆れ顔で説教する先生にクレイはうなだれるしかない。
「は、はい……」
 クレイは先生から解放された。しかし。
「もー、クレイが遅いから私まで怒られちゃったじゃない!」
 今度はエリアに怒鳴られてしまう。
「だ、だってまさか時計が遅れてるなんて思わなかったし……」
「時計の魔法をちゃんとかけ直さないからでしょ。うちはちゃんと半年に1回はかけ直してもらってるけど、クレイの家じゃ遅れ始めないとかけ直さないの?」
「う、うん。でもそれはママが」
「気付いたら自分で持って行けばいいじゃない」
「それはそうだけど……」
 クレイが反論できないのを見て満足してエリアもクレイを許す気になったようだ。
「こんな所で油売ってる場合じゃないよね。早く教室入らないと」
 そういうとエリアはそそくさと学校に駆け込んでいった。
「ああっ。待ってよぉ」
 その後を追うようにクレイも教室に向かった。

 魔法学校の生徒は全員でも23人しかいない。
 ただでさえ小さな島だ。住んでいる人だって300人はいない。その中でもある程度の力を持った子供だけが入学できる学校だ。
 この島の住人全てが魔法を使えるわけではない。魔法を使えてもちゃんと使える者ばかりでもない。そういった者たちも職人になったり、農業を営んだりして島の暮らしを支えている。
 魔法を使える者たちの役目は魔法でしかできないこと、魔法の方が便利なことで島の暮らしを支えること。
 そして、魔法の知識を学び、語り継ぎ、新たな知識を生み出していくこと。
 魔法の原理を知ることは世界の原理を知ることにも繋がっていく。魔法学校の生徒の中にはそのまま学校に留まり、先生として、そして研究者としてさらに学び続けていく者もいる。
 クレイたちが今いるランクは魔法の基礎を学び終えた者がその技術を高めていくランクだ。クレイは力は十分にあるのだが、ここで少しつまずいている。
 ここを切り抜けないと、クレイはさらに上の応用的な魔法の使い方を学ぶランクに進めない。もっとも、そこに進まなくても出来ることは多い。今できることを活かして島の暮らしを支えてもいいし、知識を伸ばして研究者になってもいい。クレイは使う技術が足りないだけで、知識は十分にある。
 それでも、ここで投げ出すのは何か悔しいのだ。特に、同い年のエリアの実力はもう目前までそのランクに迫っている。エリアに負けたくない、と言う負けん気でひたすら頑張っているのだ。
 もちろん、先生たちもクレイの弱点は分かっている。人一倍強い魔法の力を持ちながら他の人と同じように魔法を使おうとするので思っている以上の効果が出てしまい、結果失敗する。だからもう少し押さえて、呪文をゆっくり唱えて、印を結ぶ手もゆっくり動かすだけでだいぶ違うはずなのだが、負けん気の強いクレイは他の人よりゆっくりというのが出来ない。
「クレイ、お前は他の人のいないところで一人で魔法を使ってみたらどうだ?」
 先生がそう提案するのも当然であった。
 張り合う相手がいないとやる気が出ないクレイはちょっと困惑するが。
「はい……」
 従うしかない。
 他の生徒から離れた校庭の隅に連れてこられ、一人で練習をすることになった。
「よし、今日の課題の火の玉を出してみろ」
「はい」
 校庭の真ん中では他の生徒たちがその課題の練習をすでに始めている。各生徒の前では小さな火の玉が上下に揺れている。
 およそ、拳大の火の玉を、自分の目の高さで留める練習だ。簡単そうに聞こえるが、火の玉の大きさや、位置をぴったりと決めるのはなかなか難しい。
「ボルノ・カンマ」
 クレイの足元に火が渦巻き始める。ちょっと強すぎる。クレイにだって分かるくらいだ。先生もそれは一目で分かる。
「もうちょっとゆっくり」
 言われるまま、少しゆっくり呪文を唱える。
 魔法の効果の大きさは本人の持つ力はもちろん、呪文を唱える速さ、声の大きさでも変化していく。持つ力の弱いものであっても大きな声でなめらかに呪文を唱えればそこそこの効果は出せるのだ。
 さらに言えば、魔法の力は呼び出す力ごとに個人差がある。呪文のパーツ一つ一つに自分にとって向き不向きがある。一つの呪文でも単語によってペースを変えていかないと期待通りの効果が出ないということになる。それがなかなか難しいわけだ。
 クレイのママのお料理の歌もそれを計算し尽くした上で作られた歌なのだ。だから、同じ歌を歌ってもクレイとママでは全然焼け具合が違うだろうし、エリアが歌えばまた違ってくるだろう。
 クレイの足元には今度こそちょうどいい大きさの火の渦が表れた。早速呪文の続きを唱える。
「アロ・フォルタル」
 火は地面から離れ、火の玉となって浮き上がる。クレイの腰くらいの高さになった。他の人なら膝ほども上がらないところなのだが。ちょっと気まずそうに先生の目を見る。先生は早くも苦笑いだ。
「プ……プトゥーン」
 規定の呪文の最後の一語を発する。思った通り、火の玉はクレイの頭上遥かに飛び上がっていった。
「めちゃくちゃだ」
 冗談交じりに先生が言う。
「アロ・フォルタルもプトゥーンも早いんだ。特に最後のプトゥーンはアロ・フォルタルで上がりすぎてたから焦っただろ」
「は、はい」
 あれでも早いのか、すごくゆっくり言ったつもりなのに、と心の中で呟くクレイ。
「こんなにせかせかしてるのに遅刻魔ってのはどういう事だ」
 クレイは先生の嫌味に口を尖らせた。
 今度こそ、ゆっくりゆっくり呪文を唱える。
 今度は火の玉が少し小さくなってしまった。高さもいまいちだ。
「うーん。クレイの魔法が弱すぎて失敗するなんて今までにないことだ。これはいい兆候だぞ」
 先生の言葉にちょっと苛立ち、次は少し全体的に早くなってしまう。大きな火の玉が学校の屋根くらいの高さまで上がった。
「……落ち着け」
 そろそろ先生も呆れてきた。
 練習をするうちに火の玉の大きさは決まってきた。ただ、高さがかなりばらつく。
「クレイの力ならアロ・フォルタルを強くすればプトゥーンを唱えなくても大丈夫だな」
 この呪文では最初に火を呼び、それを浮かせて少し持ち上げている。アロ・フォルタルは火を浮かせるパート、プトゥーンはさらに上昇させるパート。つまり先生は、浮かせる呪文を強くすればもっと上に上げる必要はないと言うことを言っているのだ。
「ボルノ・カンマ」
 クレイの足元に火が巻き起こる。ここで一息入れ、今までより早く大声で「アロ・フォルタル」と続ける。それだけで頭くらいの高さにまで上がった。
「いい感じだな。クレイはやっぱり力が強いからちょっと速さを変えただけでうんと変わってしまうんだ。ちょうどいいペースを見つけるのはなかなか難しいかも知れないけど、がんばれ」
 ようやく希望が見えてきた。
 クレイは呪文の一部を削ってちょうどよくなってきたが、もちろん他の生徒の中には逆のことをしなければならない生徒もいる。精一杯早く強く唱えても十分な力を引き出せない生徒は魔法を強くするために呪文を長くする。火が大きくできなければもっと強く、と言う呪文を付け加える。あまり火の玉が上がらなければ火の玉を持ち上げる呪文をもう一度繰り返す。言い終わらないうちに火の玉が消えてしまうようならもっと長く、と言う呪文を付け加えていく。力の弱い者は呪文を長く唱えることでカバーするわけだ。
 平たく言うと、力が弱いからと言って役に立たないわけではなく、微妙な火力が欲しいパン屋などの手伝いには効果の微調整がしやすい力の弱い者の方が助けになるのだ。
 島の人々は、誰もが自分が出来ることを見つけ、島の暮らしを支えている。

 家に帰ると、ママに早速お使いを言いつけられた。
「時計、やっぱりだめみたいなの。魔法かけ直してもらってきてくれない?」
 面倒ではあるが、また遅刻するよりはマシなので渋々時計を受け取る。ついでなので、朝気がついたことを付け加える。
「魔法の水瓶の魔法も切れそうだよ」
「あらやだ、そうかしら。お料理に使った時はそんな気がしなかったけど」
「そうやっていつも水が出なくなって慌てるまで放っておくんじゃないのさ」
「それもそうね。確かに最後に魔法をかけ直してもらったのってずいぶん前だし……」
「セルベトおじさんの工房ならサーレばあさんの家の通り道だし。ついでに行ってくるよ」
 魔法が切れてからまたお使いに行かされるのはたまらない、と言う本音もあるが。お使いの回数は少ない方がいいに決まってるのだ。
「気が利くじゃない。そうしてくれると助かるわぁ。じゃ、よろしくね」
 ママは上機嫌でクレイを送り出した。

 この島は小さな島だ。3時間も歩けば島の端から端まで横断できてしまう。この島の住人はこの島以外の世界を知らない。その存在が噂になる事はあるが、実際に見たものは今までにいない。
 一つはあまりにも海が広いこと。そして、何よりもこの島は結界で覆われ、外から入り込むことが出来ないのだ。だから、島から出れば二度と戻ってくることは出来ない。外の世界の人たちはこの島の存在すら知らないかもしれない。
 なので、この小さな島の中だけで全てがまかなえなければならない。
 人々は助け合いながら生きている。争いも起こらない平和な島だ。だから、この島を出て行く理由など何もないのだ。

 職人通りについた。島の中でも細工師などの工房が集まっているところだ。
 クレイはセルベトの工房を探す。看板がそのまま時計の形をしているのですぐに分かった。
「こんにちはー」
 店にはいると、たくさんの時計が時を刻む音が聞こえた。店の壁にはびっしりと時計が並べられ、全てがまったく同じタイミングで振り子を揺らしている。
「おお、カルボさんの所の坊主か。親父さんは相変わらずかね」
 奇妙な筒眼鏡をつけたままでセルベトが顔を向けた。時計職人らしく几帳面な男で、細かな動作まで機械じみている。
「ええ、まあ」
「時計の魔法が切れたのかね?」
 クレイの抱えている時計を見て用件はすぐに分かったようだ。
 慣れた手つきで時計の裏ぶたを開ける。いくつもの歯車が見えた。
「機械の方は大丈夫だな。んじゃ、魔法はかけ直しておくよ」
 セルベトは部屋にかかっている時計を見上げる。
「そうさね……3時間と48分ほどしたら来てくれ」
 顔を引きつらせながらクレイは尋ねる。
「……大体でいいですよね?」
「おう、いつでもいいぞ」
 クレイは逃げるようにセルベドの工房をあとにした。
 今度はサーレばあさんの所に行かなければならない。
 サーレばあさんは水の魔法を得意とするベテランの魔法使いだ。学校がある研究施設などの多い一角の外れに隠居している。
 学校の前を通りしばらく歩くと水の音が聞こえ始める。高い塀の上を水が流れている音だ。塀に沿って歩くと澄んだ水で小さな滝が出来ていた。塀の上から流れ落ちる水が門の代わりになっている。
 滝の門の横に小さなレバーがついている。これが呼び鈴だ。レバーを引っ張ると、程なく滝にサーレばあさんの姿が映し出される。
『おや、珍しいね。あんたは確か……そうそう、クレイだったねぇ。学校は楽しいかい?』
 滝に映っているのは幻だが、サーレばあさんにはこっちが見えている。すごい魔法だ。
「ええ、まぁ」
 無難な返事をするクレイ。
『今日は何の用だい?』
「魔法の水瓶の魔法が弱くなってきたみたいなんです」
『おお、そうかい。そこじゃ何だし、お入り』
 滝からサーレばあさんの姿が消え、滝がアーチ場に割れ始める。三角屋根のサーレばあさんの家の姿が見えた。
 滝をくぐると後ろの門は音もなく元通り、ただの滝に戻った。
 庭には小さな池があり、小船が浮かんでいる。小道の反対側にも小さな池があり、そちらは噴水になっている。噴水と言っても何か機械があるわけではなく、魔法の力で水が動いているだけなのだが。
 家の玄関の扉が開き、サーレばあさんがゆっくりとした足取りで外に出てきた。
「おお、しばらく見ないうちにずいぶん大きくなったじゃないか」
 サーレばあさんの方もしばらく見ないうちにずいぶん腰が曲がったような気がするが。
「水瓶の魔法が切れたんだって。そりゃ大変だねぇ」
「まだ切れてはいないんだけど、切れそうなんです」
 驚いた顔をするサーレばあさん。
「おやまぁ。いつもは魔法が切れないと来ないのに今日はどうしたんだい。こりゃ、嵐が来るんじゃないだろうねぇ」
 ひどい言われようだが事実なので仕方がない。
「じゃ、まあ行きますかねぇ」
 サーレばあさんは池に浮かんでいた小船に乗る。そして促すようにクレイに顔を向けるが。
「あ、ぼくはまだお使いが残ってますから」
「そうかい。えーと、確かマルシモさんの家の向かいだったっけねぇ」
「右の斜向かいです」
「ああ、そうか。……まぁ分かんなかったらマルシモさんに聞きゃいいんだねぇ。じゃあ行きますかねぇ」
 サーレばあさんが呪文を唱え始めると、池の水が波立ち、小船をのせたままふわりと宙に浮かび上がった。
「戸締まりしていくから、外に出ておくれ」
 滝の門がまた二つに割れた。言われるままに門をくぐると、クレイの後ろで滝が元に戻り、直後、瞬時に凍りついた。泥棒などでない島ではあるが、悪戯小僧が留守を知って入り込むのを防げる。
 クレイの頭の上をサーレばあさんの乗った小船が池から空に流れ出た川のように流れる水の上を滑りながら飛んでいった。

 あとは、セルベトの時計の修理が終わるのを待つばかりだ。しかし、何もすることがない。
 ぶらぶらと歩いていると友達にあった。一つ年下のパッチと、その弟のモッチだ。
「いよう、兄貴」
 パッチはクレイのことをなぜか兄貴と呼ぶ。
「あにき」
 モッチもそれを真似た。
「よう。何やってるの」
「西の森に行こうと思ってね。あそこにゃおいらがこいつよりチビだった頃からの隠れ家があるんだ」
「隠れ家?」
「ただのボロ小屋だけどな。元々誰かが住んでた家みたいだけど空き家になって忘れられてるみたいだ」
「へえ。よくそんなの見つけたね」
 西の森は子供にとってはお化けが住むと噂されている近寄りたくない場所だ。だが、さすがにクレイくらいになるとお化けが出るなんて噂よりも好奇心の方が勝つ。
「森の中に小屋?始めて知ったけど」
「行ってみるか?」
「うん。でも秘密の場所だったんじゃないの?」
「まぁな。でもただでさえぼろかったのに最近はますますぼろくなっちまってな。チビどもの遊び場所くらいにしかならなそうだからどうでもよくなっちまった」
 人通りのない寂しい森へ続く道を歩いていく。誰も見ていない事を確認してから、森の中に分け入っていった。
 まだ空は明るいのに森の中にはいるとまるで夜のように暗い。町の中では聞かないような鳥の声がする。
「よくこんな森の中、入る気になったね。お化けが出るって噂もあったのに」
「いやなに、悪ガキ仲間と根性試しした時に道に迷ってな。おかげでこってり絞られたけど、おかげであのボロ小屋に辿り着いたんだ。昔はちゃんと道もあったんだけど誰も来ないからすっかり藪になっちまってる」
 その藪をかき分けながら歩いていくパッチのあとをクレイはついていく。ぼさぼさちりちりの赤毛は深い森の中ではまるで狸か熊の背中のようだ。もっとも、この島に熊はいないのだが。
 途端に視界が開けた。そして、目の前に小さく粗末な小屋が見えた。
「ホントだ、小屋がある」
「なんだよ兄ちゃん。もっとキレイな小屋かと思ったら物置みたいなボロ小屋じゃんか」
 モッチが不服そうに言う。
「だからボロ小屋だッつったろ」
 ボロ小屋の裏手に出ていたクレイたちは前に回り込む。意外としっかりとしたドアの上にはガラスの割れた窓がある。
「何の小屋だったんだろう」
「これでも人が住んでたみたいだぜ。住むのに必要なものは一通り揃ってたからな。大方木こりが泊まり込んでたか偏屈なじいさんでも住んでたんだろうさ」
 パッチはまるで自分の家のように入り込んでいく。
 小屋の中はベッドやテーブル、椅子などが一通り揃っており、棚には埃まみれだが食器まで入っている。
「このベッドは使えるぜ。俺がこまめに埃を叩いてるからな」
 パッチはそういうとベッドに寝ころんだ。
「静かなところだね。勉強するにはぴったりかも」
「真面目だな、兄貴は」
 クレイはもっと部屋の中をよく観察する。
 焼き物で出来た流し台、そしてここに置かれたテーブルやベッドなどはどれもしっかりした作りの物だ。
 クレイはふと焜炉を見た。薪を炊くところも何もなく、石が少しくぼんでいるだけだ。それなのに石の上には煤がこびり付いている。
「ここ、魔法を使える人が住んでたんだ」
「ん?そうなのか?」
 パッチはベッドから起きあがり、クレイの方に寄ってきた。空いたベッドにモッチが飛び乗る。
「ところで、屋根裏には上がれないの?」
「屋根裏?そんな物ねぇよ」
「そんなわけないよ。ドアの上に窓があったじゃないか。どう見てもこの天井より高いところだったよ」
 パッチは慌てて外に飛び出し、窓を確認しに行った。
「確かにあるな。知らなかった。お前よく見てるじゃん」
 今までちょこちょこ来てたくせに気付かなかったのか、と内心思うクレイ。
 しかし、ドアから入ったこの部屋はどう見ても行き止まりで、階段も梯子も見当たらない。天井も真っ平らだ。
「何か仕掛けがあるんだ。探してみようぜ」
 俄然元気になるパッチ。部屋のあちこちをなで回したり、棚の食器を出して奥を眺めたりする。
 クレイは天井をよくよく見てみる。天井は板が格子状に張られていて、何か細工がしてあっても分からない。天井の一部が外れたり降りてきたりという可能性はある。しかしそれにはやはり手の届くところにある仕掛けをいじるのか。そうでなければ何か呪文でも唱えないといけないのか。
 結局出た結論はこうだ。
「外に出て窓から入った方が早いかもね……」
「でもよ、梯子も何もないぜ?」
「魔法で飛べば……!」
「兄貴、魔法はやめとけ。怪我するぜ」
「な、何を。馬鹿にするな!」
 年下のパッチになめられた発言をされ、カチンと来たクレイは何が何でも魔法で飛び上がってやる、と決心した。
「セーレ・アロ・フォルタル・プトゥーン」
 クレイの体がふわりと浮かび上がる。
「フォアッド・コンネ!」
 ちょっとカチンと来ていた所為もあって勢いよく唱えすぎた。すごい勢いでクレイの体は小屋に向かって突進していく。
「うわあああぁぁぁぁ!」
「だからやめとけっていったのに」
 バン、という音と共に窓の近くとは到底言えない外壁に全身を強かに打ち付けた。そしてそのまま、地面に叩きつけられた。幸いなのは高さがたいしたことなかったことだ。
「あいたたたたた……」
 クレイは腕や足を見回す。骨は折れてない。大きな擦り傷も無さそうだ。あざくらいは出来たかも知れない。
 ほっとするのもつかの間。
「ひゃああああ!?」
 小屋の中で大きな音がした。そしてモッチが絶叫する。
 クレイとパッチは慌てて小屋の中に駆け込む。動かすとずきずきと節々が痛んだ。
 小屋の中はもうもうと埃が舞っている。
 モッチが寝転がっていたベッドの上の天井が斜めに降りてきていた。クレイが壁に激突した衝撃で落ちたようだ。その天井には階段がついている。
「モッチ、大丈夫!?」
 クレイはベッドの上のモッチを見た。目は見開かれ、顎がガクガクしているが怪我は無さそうだ。怪我はないが、モッチのズボンからベッドまでシミが広がり、湯気が立っていた。
「あっ、きったねえ!もうベッド使えねぇじゃんか」
 パッチの声もモッチには聞こえているのか聞こえてないのか。
 モッチの無事が分かったところで、気になるのはやはり階段だった。
 階段の端は鎖で繋がれており、やはり何かの仕掛けで上げ下げできるようだ。
 クレイはゆっくりと慎重に階段を登っていく。所々でぎっぎっと音を立てるが、腐っていたり壊れていたりはしない。
 屋根裏は明かり取りの窓のおかげで思っていたより明るかった。そして、そこにはびっくりするほどの本が並んでいた。
「書斎だ」
 クレイは本を一冊手にとって読んでみる。難しい魔法の本だ。もっと勉強しないととてもじゃないが分かりそうにない。
「すごいぞ、ここに住んでいた魔法使いはきっと、パパよりもすごい魔法使いなんだ」
 隠された知識の香りにクレイの胸は打ち震えた。
 腰の抜けたままのモッチを置いてパッチも屋根裏に上がってきた。
「うひゃあ。すげぇな。こんな所があったなんて知らなかったぜ」
 パッチも本を手に取り、眺めてみるが。
「うへぇ、こりゃダメだ。訳の分かんないことがびっしり書いてある」
 1ページも読まずに投げ出した。
 クレイもこの本に書かれていることは難しすぎてよく分からない。それでも、これだけあるのだからどれか一冊くらいは分からないか、と手にとってはパラパラとめくっていく。
 早くも読めない本に飽きたパッチは窓に面した机に近づく。割れた窓から雨が吹き込むせいか机は木が傷んでがたがたになっていた。
 引き出しを引っ張ってみると、かなり抵抗があったがどうにか開いた。中には魔法学校でも見かけるような機材や手帳などが入っている。
 クレイも本を置いてパッチと一緒に引き出しの中を見始めた。
「ここに住んでた人ってどんな人なんだろう。こんなすごい魔法使いなら今でも話くらい伝わっててもおかしくないのに」
「だよな。よっぽどの嫌われ者だったのかも」
「ここに住んでいたのが誰か分かる物無いかな」
 残りの引き出しも引っ張り出してみる。
 山のようなメモ書きに埋もれ、一枚の手紙が見つかった。
『親愛なるグレックへ。どうしても旅立つというなら最後に一度だけあなたの顔を見せてください。あなたが帰ってくることを信じていますが、不安で堪らないのです。8日の夜にハルマ岬の風車の下で待っています。エマ』
「グレック、か。聞いたことないな。でもエマってのはピクルスのエマおばさんの事じゃないか?」
 ピクルスのエマおばさんは島の南側の畑の多い一帯に住んでいる。この手紙から見ると二人は恋仲たっだらしい。エマおばさんは40くらいなので、グレックという人もきっとそれに近い歳だろう。
 だが、それよりも気になる言葉がある。『旅立つ』だ。この小さな島のどこに行くにせよ、旅立つなんて言葉は使わない。かといって、この島から旅立つ所なんて言ったら。
 外の世界。
 この人は外の世界に旅立っていったのではないだろうか。

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