Hot-blooded inspector Asuka

Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』

第15話 波浪ページダウンページ

 ひとまず探すべき名前の方針は決まった。後は調べ始めるだけ、ではあるがここで動きがあった。外人部隊と連絡を取っていた恩納月ウェイトレスが戻ってきたのである。
「苗、分かったっす!スプラウトっす!」
「す、スプラ……とうん?」
 それは数十年後に流行るゲームのタイトルであった。
 今でこそ健康意識高い系を中心にお馴染みブロッコリースプラウトで知る人も多いスプラウトと言う言葉も、この頃はマニアックな単語でしかない。今でもブロッコリースプラウトのスプラウトが何なのか分からないまま、なんかブロッコリーみたいな味がするからブロッコリーってついてるよく分からない野菜だという認識の人もいそうではある。
 そしてスプラウトが分かったからなんだっていう話であった。今必要なのは苗ではなく石なのだ。
 調べるための準備は整った。と言うかこれ以上開始を遅らせる口実は尽きた。面倒だろうが無駄な抵抗はやめて大人しく始める時が来たのだ。
 ひとまずチームを三つに分けた。チームインテリが飛鳥刑事・深森探偵・ミサエの三人であるためだ。そしてそれぞれに担当の文字を振り分ける。飛鳥刑事はあ行・た行・ま行・わ行。ミサエにか行・な行・や行。深森探偵にさ行・は行・ら行。
 この割り振りには飛鳥刑事の悲壮なる覚悟がこめられていた。とりあえず、一人何文字担当するのかとかじっくり考えるのは面倒なので手っ取り早く行ごとに反時計回りに割り振り始めたのだが、これは自分を最初にしておけば半端が出たときに最優先に自分のところにくるのである。なお、反時計回りに深い意味はない。
 次にチームノータリンを振り分けるのだが、このチームは佐々木刑事と恩納月ウェイトレスの二人しかいない。佐々木刑事は飛鳥刑事とのコンビということになった。無難だし、飛鳥刑事は4つの行を引き受けているので負担も大きく人手は多い方が良い。飛鳥刑事同様言い出しっぺの警察サイドからここに人を出すのは筋だとも言えた。
 そして、残り一人のノータリンをどうするかは悩ましくも選択の余地はない。恩納月ウェイトレスは女の子のそばだとテンションが上がる。だがそれで作業効率も上がるかと言うとそんな気はしない。恩納月ウェイトレスは女子にちょっかいを出しがちだがさすがに節度は守る。だがそれは嫌われたりウザがられたりが一定の水準を超えない、そんな許せるちょいウザの節度であって、作業効率などへの節度ではないのだ。女同士で組ませて姦しいガールズトークで周りにまで悪影響を及ぼさないように、毒にも薬にもならない深森探偵とのコンビにするのが無難であった。
 孤独な作業をすることになったミサエ。そこは他のグループ・主に担当行数が少ない分早く終わるだろう深森&恩納月コンビが合流して手伝うのを想定していたのだが、ここで救いの手が差し伸べられることになる。
「ミサエちゃん、一人ならあたしが手伝ってあげるわよ」
 原稿の方は一区切りついたのと、そろそろ集中力が切れて気晴らししたくなったのと。そんなわけでここに探偵事務所の見習い助手&パート事務員というただの職場の同僚コンビが爆誕することになった。
 この組み合わせに関して刑事たちも特に意見はない。閃きや集中力に優れるが知識・常識の点でちょっと心許ないミサエと、肉体派で頭は並の下程度とあまり期待できないものの老獪老練おっとオトナの魅力溢れる人生経験豊富な初代ルシファーはバランスもいい。
「かきくけこのところだったわね、それじゃあたしは『こ』の方から見ていくわね」
「あ、そういう感じでやるんですね」
 ミサエがか行を見ている間に隣のさ行とか反対側のな行などを見たりするのが普通っぽい気はするが、インテリ・ノータリンというコンビの時点でノータリンの人しか見てない部分を作るのは不安なので結局一回ずつ見ることになる。そうでなくても別な視点で2回見るというのは有効すぎて常道である。そこで同じ行を後ろと前から攻める、『後ろから前からどうぞ(JASRAC)作戦』が他のチームにも標準採用される運びとなったのである。
「なんすかそのエロい作戦名は」
 エロいお姉さんが作戦名に食いついた。なお年頃の割にピュアなミサエはこの作戦名のどこがエロいのかいまいちピンと来ていない模様。もちろんだからと言ってこのメンバー相手にどうエロいのかを追求したりする気もない。
「まあ、知らんでしょう。畑中葉子の歌ですな」
「畑中葉子っていうと何年か前の『ラーブレターフロームカッナーダー♪(JASRAC)』の人よね」
 健全な方のヒット曲は初代ルシファーも知っていた。この曲ならウェイトレスも記憶に残っている。なお、もうお分かりだろうが『後ろから前から』はにっかつロマンポルノ作品の主題歌という健全ではないヒット曲であり、ウェイトレスが想像しているような内容で合っている。当然こんな歌に食いつくのはスケベな男なので多感な少女だった女性陣は興味なし。もう少しオトナなら男の気を引くために歌ってみる気になったかも知れないがそんなことはなかった。
 未成年者もいるのでその辺を深堀りするのはやめておいて。
「それにしても、羽丘さんって結構歌うまいんですな」
 これも一応『その辺』に含まれそうな話題ではあるがここまでくればセーフであろう。
「あらわかっちゃう?」
 飛鳥刑事に褒められたのが嬉しくてテンションがあがったルシファーは調子に乗って、なんならさっきの歌も歌ってあげようかなんて言い出したのだが、おっさん三人が野太い声で合唱した件の歌を聴き吟味した結果、これを人前で歌えるほど女を捨てても女として熟れてもいなかった。そしておっさんの合唱で結局未成年者にもこの歌をがっつり聴かせる結果となったのである。
 こんな一幕も挟みつつ怪しい名前探しが始まった。さっき始まっていたはずだが気のせいだったのかも知れない。
 こうなってしまうと拙い状況と言わざるを得ない。何せ、状況を描写しようにもまるっきり動きがない。全員がほぼ黙々と電話帳に向き合うのみ。ほぼと言うのは、一応時々怪しい名前があったとかこれはどうなのと言うようなディスカッションが起こるからである。
「あれっ。ゴールドスプラウトってあるよ?」
 か行を後ろから、つまりこから探していた初代ルシファーがそれを見つけるのは必然であった。
「何だっけ、スプラウト」
「苗、だ」
 他の人が黙りを決め込む中、飛鳥刑事はぎりぎり覚えていた。実を言うとウェイトレスもしっかり覚えてはいたが、ちょっと気後れしていた模様。誰しも無言のまま7秒ほど経過しいていたならおずおずと発言しただろう。
「なえ……何で探してたんだっけ」
 この辺はあまり重要そうでもなかったので聞き流していたのだった。そして重要そうでないので飛鳥刑事もうろ覚え。しかし、うろでも覚えてはいたので答えに辿り着くための道筋はすぐに見いだせた。金と苗、二つの文字を並べて書いてみる。
「ああそうか、石偏でいかりって読む漢字があったから同じ読み方の字も一応押さえていただけか」
 理由を思い出して一気に萎えた。なえだけに。とは言え、一応でも気にしていたワードが出てきてしまった以上は押さえておくしかないだろう。
「ついでだから聞いていい?謎のワードを見つけてどうしようか悩んだんだけど」
 口を開いたついでに切り出すルシファー。
「ほう。何だ」
「コンチータって言うんだけど。なんか響きが堅そうじゃない?」
 主にコンチの辺りにカチンコチン味を感じて気になったのである。
「カクテルにあるな、コンチータ」
 そう言ったのは佐々木刑事。そして深森探偵も顔を上げた。
「と言うかその店、たまに行く店だと思いますな。スペイン料理の店で、シェフの娘の名がコンチータだそうな」
「ほう、スペイン娘とは興味があるぜ。美人なんすか」
 娘と聞いて佐々木刑事も食いついた。
「ここの店主の女版と言ったところでしょうか」
 もう苗と関係ないが佐々木刑事は萎えた。堅そうどころかぶよんぶよんで柔らかそうである。コンチータの店主は60代、娘も40代のおばさんだった。
「その娘さん、今はセイカマートで総菜コーナーのパートをしてます」
「あの人かっ!」
 主婦の初代ルシファーにとってスーパーは余裕でテリトリー。そしてそこで働く赤毛碧眼の色々でっかいおばさんはちょっと目を引く存在ではあった。よくわからないワードと気になるおばさんが一つとなり謎が解けた瞬間である。なお、日本人男性と結婚したそのおばさんの名札は思いっきり日本の名字であった。
 でって言う。スーパーのパートのおばさんの名前を知ったところで別に意味はないのだ。
 そんな感じでいくつもの名前がマークされ、いくつかのワードは見なかったことにされ、後日調べる店や会社のリストができあがった。意外と多いのでうんざりである。
 なお、集中して手も動かし続けるマンガ描きより手の出番のない番号漁りは手持ちぶさたな手がカップを持ち上げるペースも上がり、喫茶店の売り上げにもわずかに貢献したのである。

 刑事二人は早速名前をチェックした施設を回り始めた。
 石田屋商店、イワサキオート、高石食堂などは露骨すぎるのでこれはないなと思っていたが、調べてみれば案の定であった。
 石田屋商店は駄菓子と文具を扱う子供ばかりが出入りする店で、大人であるストーンのエージェントが出入りしていたらそれだけで不自然に見えるような店だった。
 イワサキオートは警察がやってきたことで青ざめていたが、その理由は店内を見れば明らか。いかにもヤンキーが乗りそうな車検を通りそうにない車が置いてあった。こういう改造をしたり、車検の時だけ戻したりする店なのだ。ストーンが用意するのは当たり障りのない表の顔を持つ施設、表の顔からして警察に目を付けられるような店を用意するわけがなかった。なお、念のため後日確認したところ似たようなバイク屋を経営する深森昭良とはやはり知り合いであった。ここまでは佐々木刑事が回った。
 飛鳥刑事が訪ねた高石食堂は、まあそのまんまである。日替わり定食が売りの食堂。雰囲気はアットホームであるが、さほど流行っていなさそうだ。なにせお値段はちょっと高いし、しかし味とボリュームのレベルもまあまあ高いし、釣り合いはとれている。
 ここは少ししばらく様子を見た方がいいと思い何度か足を運んでみたものの、三日目に想定外の事態が起こり、驚くべき事実が発覚した。昼時に森中市長が市役所の職員を引き連れて来店したのである。
 市長の行きつけの店の上、ここの店主と市長は小学生の頃からつき合いがあるという。いや別につき合ったことはないのだが、同じ道を列を作って学校に通う程度の関係性はあった。年が離れているので中学校は一緒ではなかったが彼女の兄とは1学年違い。最初こそだからと言って大した関わりもなかったものの高校が近くになったので朝の電車で一緒に喋る程度の仲にはなり、ミリオタという接点が生まれ家にまで遊びに行くようになり妹である彼女ともたまに顔を合わせるようになった。
 大人になってからは顔を合わせる機会は減っていたが聖華警察に転属、そして市長立候補でまた顔を合わせるようになり市役所の近くで営業しているこの食堂にちょくちょく顔を出すようになったとか。なおミリオタ仲間だった彼女の兄は防衛庁に勤めているが常々「趣味は仕事にするものじゃない」と言っているとか。
 とまあ、やはりストーンとは全く関係なかった。刑事たちがちょっと奮発して昼飯を食べる店が一箇所増えただけだ。
 他にもバー・ロックな夜はガンガンにロックミュージックが流れる店内でオンザロックを飲んでフィーバーする店であり、特におっさん度合いの高い飛鳥刑事にはちょっとキツすぎた。
 岩下新商店は入った瞬間にキツかった。どう見ても普通の店だったのに入ってみたら内装がピンクのお店である。普段は見た目通り普通のお店なのだが、今は時期が悪かった。店名と商品名が似ている、この世界線では最近発売された新商品の生姜の漬け物とコラボしていたのである。コラボと言っても店の方が勝手に悪乗りして店内をピンクに飾りたてただけであり、後にこの比ではない悪乗りに満ちたミュージアムとか作り出すこの会社の方はまだ大人しかった。
 ここからまた佐々木刑事が回ったところになる。喫茶ストーンヘンジは名前の由来を聞いてみたら店主が須藤兵次郎だそうであり石の欠片もなかった。そして店主はストーンヘンジと言うよりモアイっぽかった。
 ダンスクラブ・イワオマコウはハワイアンソングの名曲カイマナ・ヒラの歌い出しそのままであった。そこはわかりやすいアロハ・オエにして欲しいところだった。なおここの先生である岩井ティティア先生も誰がどう見ても日本人である顔から察せられる通りに本名ではなく同じ曲の歌詞から取っており、今の姓も旧姓も岩にも石にも関わっていなかった。

 そして飛鳥刑事は一応ゴールド・スプラウトにも行ってみた。店名だけでは何の店だかさっぱりわからなかったが、看板にはパブと書いてあった。開店時間前なので閉まっていたが、出直して来てもまだ閉まっていた。
 日を改めて訪ねてもやっぱり閉まっていたので近所で話を聞いてみたが、先週は普通に営業していたようだ。ただの休業や閉店なら張り紙くらいあるだろうし、急病か何かで店を開けられていないのだろうか。
 面倒である。見なかったことに、いやもう見たことにしてスルーという手はある。だがそれだと結局見ていないので後で気になるに決まっていた。であれば強行的な手段を行使してでも調べてしまうことにする。
「お隣さんが閉まったままなのは気になりますよねえ?」
 隣の店の店主に飛鳥刑事はそう切り出す。
「ええまあ、そうですねえ」
 本音ではどうでもいいと思いつつ、社会的な体面も考慮し気に掛けるような素振りを見せる店主。
「店内で殺人事件でも起こってたら困りますもんねえ?」
「ええまあ、そうですねえ」
 返事はさっきと大差ないが、それは本当に困る。隣でそんなことが起こっていたとなっては自分の所まで客が逃げるかも知れないし、何より自分が逃げたい。そこで飛鳥刑事からの提案である。多少気になる点があってもお役所仕事なので警察としては明確な事件・事案でなければ動けない。そこで、隣の店主が原因も分からず閉まっている店を気にして相談したという体裁を取って事案化するのだ。
 もちろんそれでドアをぶち破って突入できるようにはならない。できるのはせいぜいピンポン鳴らして話を聞くくらい。それでも店が開くのを待つしかないよりは断然いい。
 まあ、ピンポンを鳴らしても誰も居なければ何の意味もないのだが。
 しかし動きはあった。その翌々日、刑事たちが他にチェックしていた店や会社を探り終えて署に戻ると、例の隣の店から連絡が入っていた。通報したことにされた隣の店も、ここまで関わった以上本当にゴールデンスプラウトのことが気になっていた。そしてその動向を静かに見守っていたのである。
 話によると昼下がりに男数名が店内に入っていったらしい。見覚えのない男も、常連客だったか見覚えがあるような無いようなそんな男もいたという。
 駆けつけて早速店内の様子を窺ってみると、店の中で物音がしている。早速、扉をノックして開けてみた。
「ひょわ。す、すいませんねまだ営業時間じゃありませんよ」
 店主らしき男が対応してきた。いきなり入ってきたとはいえ一応ノックはした。なのに驚きすぎではなかろうか。しかも飛鳥刑事の顔を見て驚いたような気がする。ちょっと怪しい、かも?他にも男が数人。
「いえいえ、警察です。少しお話を伺いたいのですがよろしいですかね」
「ええまあ」
 いきなり来た人が警察だったらもっと驚きそうなものだが、こっちではさほど驚いてないのも気になる。店主は驚いていないが他の男たちの挙動が怪しくなったのもまた。だいぶ怪しい。
「いやあ隣のお店の人がですね、ここ最近ここが張り紙もなくずっと閉まってるのが気になる相談がありましてね。なんかこう、ここで犯罪が起こっているんじゃないかとね」
 事件に巻き込まれていたら心配、そういう名目のはずだったが怪しさレベルの引き上げにより質問を微妙に変化させた。巻き込まれているだけでなく、ここが犯罪グループの拠点であるという可能性もより臭わせる言い回しに。
「いやいやまさかあ。まあ確かにちょっと強面のお客さん多めですけどね、見た目ほど悪い人じゃあないんですよ」
 微妙な言い回しだったとは言え、その返答が犯罪を行っている方向に進んだことで更に怪しさが跳ね上がった。ならば遠慮なく、一番気になるポイントに踏み込ませてもらおう。
「話は変わりますがね、この店は変わった名前ですなあ」
「そうですかね」
 ちょっとほっとした雰囲気を感じるが、油断すべきではない。
「黄金の……何でしたっけね、スプラウトって」
 知らないフリをしてカマを掛けてみる。
「えっと、何でしょうね」
 知らないならば知らないままでいてほしい。そんな気持ちでこう答えてしまうが思う壺。
「おや、自分の店の名前の意味を知らないと?」
「いや、そんなことは……」
「ああそうでした、苗でしたねスプラウト。金の苗……何故この名前になったんです?」
「え、ああ。この店のオーナーがカナエさんと言いましてね、感じで正に金の苗と書くんです」
 血を滴らせた包丁を手ににっこりと微笑むジビエ料理が得意な家政婦さんの顔が浮かんだが、関係ないだろう。
「ほう、オーナーの名前が。……そんな由来ならなぜさっきスプラウトの意味が思い出せないみたいな感じを出したんです」
 そもそも先程この男に対し「自分の店」と言った時に否定はしていないのに、ここでオーナーさんが出てくるのも怪しいポイントだ。状況に応じて話を作っていそうである。まあ細かい所は流して話をするのもありがちではある。しかし怪しいと思う以上ビシバシつついていく。
「え。いやあれは思い出せなかったわけじゃなくてちょっともったい付けただけでして」
「はあ。まあいいでしょう。つまりはオーナーさんの漢字はこんな感じだと」
 飛鳥刑事はメモ帳を取り出すとページ一杯に金苗と書いた。ただでさえ縦長の紙一杯一杯に書いたのでものすごく縦長である。それこそ錨という字に見えるほどに、と言うかそう見てもまだちょっと縦長だ。もちろん全力でわざとである。
 錨とはいうまでもなく船が動かないように繋ぎ止めるものであるが、男の目は嵐の海に取り残された小舟のように揺れ動いている。もうここまでくると怪しいの域ではなく確定だと思っていいだろう。さすがに演技が下手すぎて罠のようにも思えるが……もう少し細かくつついて様子を見よう。別に追いつめて楽しんでいるわけではないのだ。
「それで今その金苗さんはどちらに?ここには男の人しかおられないようですが」
 カナエが名字だった家政婦さんの一件の直後だが、飛鳥刑事は店主の金苗さんを女性と決めつけた。まあこの字は名前っぽい。
「ええと。店の模様替えを我々に任せて、自宅にいますね」
「あの人たちって、常連客だと聞いたんですが。そんな作業をお客に丸投げで自宅に?」
 奥の方で黙々と、それでいてどこかそわそわと力仕事に励む男たちをちらりと見つつ飛鳥刑事は言う。常連客が友達くらいの関係だったり友達が常連客だったりでちょっとしたことなら手伝ってもらうなんてのは別段無い話でもないだろう。そもそも常連客というのは隣の店の主人からの情報で、それも「じゃないかと思う」という感想でしかない。スナックやキャバクラだと思うから男の従業員に違和感があるのであって実はここがホストクラブで普通に従業員かも知れない。まあそれにしてはガラが悪いしイケメンでもないが。
「常連客兼友人でして。それで社員を引き連れて手伝いに来てるんですよ」
「ほう。何という会社で?」
「いしか……市川商事です」
 何か言い掛けて変えた感がありすぎであった。
「ふむ、石川商事」
 まあ言い掛けたのはこれだろう。
「市川です」
「そうですか。……まあいいでしょう。店主さんにも詳しい話を聞いておきたいんで、連絡先をお教え願いませんか」
「うぐっ。……自宅まで知ってるほどの仲ではないんですよねー、ははは、はは」
 こんなありきたりな答えを絞り出すのにずいぶん苦労したものである。
「仲のいい客とは言え自宅を教えるほどでもない相手に、全部任せて家に帰ったりしますかね」
「ごっ」
 ついに返答にも行き詰まりだした。後の世なら「HPはゼロよ」とか表現されそうな有様である。
 このまま居もしないだろう女店主についてつついていてもいいが、そんなことをせずとも既に怪しいなんてものではなかった。もうここは黒だ。店名はゴールドだがブラックである。さながら漆器の如き高級感ある組み合わせと言えよう。
 そうとなれば、もう切り上げてしまっていい。店の設定をつついたところで対した情報は出るまい。かと言ってここで実際に事件があったわけでも犯罪行為があったという確証があるわけでもない。出来ることは怪しいからと言って目を付けることと、見張ることくらいだろう。
 そして、警察に入り込まれたこの場所でこれから何か動きがあるとも思えない。そもそも今行われている作業が片付けというか引っ越しと言うか、いっそ夜逃げの準備に見える。今日を逃していたら空き家になった店に踏み込むことになっていたかも知れない。逃げる前にしっぽをつかめただけでも僥倖であった。何せ、店に入れもしないままに逃げられたら悔いしか残らないだろう。証拠はなくても怪しいと思える店に辿りつけたのであれば、今までの紛らわしいだけで普通だった店や企業を巡り歩いた日々も無駄ではなかったと胸を張って言えよう。
 こうして警察は確かな手応えとともに切り上げていった。そして店は案の定、翌日にはもぬけの殻となっていた。

 なお、警察はお役所仕事でさっさと切り上げてしまったが、こちらには粘着質の探偵もいた。刑事たちが切り上げた後に店の入り口におなじみのゴミ袋姿でしれっと潜んでいたところ、ゴミと間違われて持ち帰られたという。
 それによりアジトに運ばれ大冒険が――などという展開があれば面白かったのだろうが、運ばれる途中でなぜか、かつてゴミスタイルの深森探偵に煮え湯を飲まされたこともある怪盗ルシファーが現れ、正体を疑われ、気付かれ、捨てられた。正確には人気のないところでバンからトラックに荷物を積み替えようとしていた所に深森探偵が現れたので、ゴミ袋探偵だけ置いて逃げた模様。ゴミのポイ捨ては普通いけないことなのだが、この場合は――
「始末されなくて本当によかったですな」
 飛鳥刑事の言葉に頷く深森探偵。いつも通りの彼らのアジト、アトリエ喫茶ジョニーでの一幕だ。飛鳥刑事と深森探偵が向かい合ってコーヒーを啜っている。昼前のこの時間だと客は少な目だ。
「まあ私もまさかお持ち帰りされるとは思いませんでしたが。以外とマナーいいんですかね」
「ゴミ捨て場に捨てて、警察に回収されたらまずいゴミもあったんでしょう」
「ああ、それかも知れませんな。そのゴミを手に入れられれば面白かったのでしょうな。で、店の方はどうなりましたか」
「夜逃げ完了ですな。もう看板も出てませんや」
 看板と言っても、入り口に掲げられるような固定のものではなく開店中に店先に出しておくタイプのものなので、ほかの荷物と一緒に持ち去っただけだろう。
「まあ、ルシファーが出てきたならいろいろビンゴって感じですねえ。ルシファーにストーンが関わっているのも、あの店にストーンが関わっていたのも」
 朧気に、もしかしたら繋がっているかもと言うくらいだった接点が確定と言える感じになった。怪盗の捜査としてストーンを追跡するのも手だということである。
 昼前のコーヒータイムでの話はこんなもので、午後にミサエと初代ルシファーを加えて改めて昨日の件について報告をする。刑事たちと深森探偵にとっては一度した話の繰り返しでしかないが、それでも新しい視点が加わることで新たな情報も出てくるものである。
「えー。夜中のモントブレチア通りって……幽霊が出たって言う?」
「そんなもの、出ましたか」
 居合わせた本人は初耳だったようだ。
「それならきっと黒いゴミ袋の幽霊だろ。黒いゴミ袋の上に顔があって、生首が浮いてるように見えたに違いない」
「女子高生の幽霊らしいけど」
「ふむ、女子高生」
 幽霊の話になって小さくなっていたミサエに視線が集まる。
「な、なんですか。わたわた私違いますよ」
 それはまあ、生きてるしそうだろう。生き霊というものもありはするが……生きながら化けて出るほどの怨念などなさそうだ。
「なんすかそれ、どういう話っすか」
 オッサン衆が冷ややかな興味のない反応をする中、ウェイトレスが食いついた。
「うんとねー。セーラー服を着て赤ちゃんを抱いた長い髪の真っ白な幽霊が、雨の降りしきる中俯きながら歩いていたんだって」
「それはアレっすかね、理不尽な暴力で望まぬ子を授かった女子高生がその子と共に命を絶って化けて出た感じっすかね」
「そんな感じよね……酷い男もいたものだわ」
「……何で俺を見るんだよ。俺は二十歳以上にしか手は出さねえぜ」
 佐々木刑事が抗議した。しかしウェイトレスには言いたいことがある模様。
「浪人したり留年したりすれば二十歳の女子高生になるっすよ」
「そんなヤバそうなレアケース、わざわざ狙わねえよ!そもそもセーラー服着てる時点で何歳でも狙わねえし。二十歳過ぎてセーラー服ってのもなんかヤベぇだろ」
 この反応に大人の女性陣が挙動不審になったが不問に付す。
 そんな馬鹿話をしている間もセーラー服のミサエは青い顔をしている。まあこれは狙われる狙われないと言う事より幽霊が怖いだけだろう。
「そもそも幽霊が出たのっていつの話なんです」
 気分転換で学生時代の制服を着てダンナ・カレシを誘惑するなんてのは別に珍しくもないのだ。あの頃の体型を維持できている事を称えこそすれ気にするほどのことでもない。飛鳥刑事は何事もなかったように話を戻した。
「だから昨夜よ。正に草木も眠る丑三つ時」
 噂話っぽい話し方だったので人々の間に長く語られる話かと勝手に決めつけていたが思ったよりもフレッシュな話題だった。昨夜モントブレチア通りで深夜のドライブを楽しんでいた若いアベックが幽霊を目撃したらしい。
「カップルでモントブレチア通り……あのホテルか。懐かしいな、昔はよく行ったっけ」
「私は先々月くらいに。もちろん浮気調査で」
 佐々木刑事と深森探偵には何か心当たりがある模様。
「未成年者の前でそういう話はやめておけ」
 寂しい郊外の通りなので密会や初々しいカップルにうってつけのホテルがあるのだった。
 そこへの帰りか向かう所か、はたまたたまたまその道を通っただけか。車で走り抜けながらカップルは幽霊を目撃した。先刻から降り始めた雨が濡らしたフロントガラス越しに、全体的に白っぽく光っているがセーラー服の少女のような、しかし俯いたその顔は老婆のように真っ白な髪に覆われて見えない。そして、手に何か――ちょうどおくるみにくるまれた赤ん坊くらいの――を抱き抱えていた。
 通り過ぎた直後は二人で「今の何?幽霊!?」などと騒いだが、ただの人だったらこの雨の中明かりもない郊外の長い道を歩かせるのは忍びない、助けてあげたい。そう言う名目で、生身の人間であることを確認して安心したかった。そこで一度引き返したのだが――最初に目撃した地点から人の足で到底辿り着けない距離を進んでも人っ子一人見あたらず、ガチモンの幽霊だったことを思い知る羽目になったようだ。
 もちろん、カップルは再びUターンし一目散に逃げ帰った。こういう場合はバックミラーを覗くと後部座席に居たりしがちなのでミラーは見ずに突き進んだという。ミラーで姿を見なくとも座席がぐっしょり濡れてたらそこにいたのが判りやすいのだがそんなこともなく。
 今夜は寝かさないよ。そんなつもりだったかどうかはとにかく、カップルはそれぞれの自宅で眠れぬ夜を明かしたという。
「ちなみに、みもっさんは雨に降られたんすか」
「ええ、もう。田舎道に捨てられて歩き始めたら雨が、って言う感じでしたな」
「時間的にもぴったりなんだよなあ。絶対みもっさんだろ、その幽霊」
「私はセーラー服ではありませんが」
「どうせゴミ袋かぶってたんでしょ」
「そりゃまあ、あれは傘代わりにもなりますのでね」
 であるなら、上半身が黒い人影となりセーラー服に見えないこともないのではないか。ゴミ袋のツヤ感も雨の中なら濡れた服に見えてもおかしくない。白髪だってそのテカリだろう。そもそも視界の悪い中走り抜ける車の中から不意に一瞬見ただけで正確な姿を判別できるはずもない。ゴミ袋中年などと言うまず居ない存在よりセーラー服というありふれた姿に誤認するのも無理からぬこと。
 そんなわけで。
「幽霊の正体みたり枯れ探偵、ってな所だな」
「誰が枯れ探偵ですか」
 夜道を歩いているだけで大概迷惑な探偵だったと言う結論で落ち着くことになったのだった。

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