Hot-blooded inspector Asuka

Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』

第16話 開催、怪盗ルシファー展

 今週はお休み。そう告げたままなりを潜めていた怪盗ルシファーだったが、翌週を待たずして動きがあった。ただし、今週はやっぱり休みだった。
『来週土曜日の夜、アトリエ喫茶ジョニーの「ルシファーII世」をいただきます』
 ルシファーII世とは、最近は「マンガ」としか表記してこなかったのでそろそろ誰しもが忘れている頃だろう、深森探偵や初代ルシファーも参加し寄ってたかって今もバリバリ描いているマンガのタイトルである。
 その作中にてはちょっと前まではアルフォンソ事件すら始まっていなかったが、それはしばらくキャラや世界観に焦点を当てた展開だったせい。事件が動き出せば早いものだった。一応その月下のアルフォンソ事件の作中での扱われ方に触れると、そもそもその絵自体が大概な事件と言えたそれは、マイルドで美しいものに変更された。そのせいで本物もそうだと思って美術館に見に行き度肝を抜かれるレディが後を絶たない模様。
 その一方で、偽物を掴ませるという実際に行われた対抗策はマンガでもそのまま描写された。実際の事件で深森探偵が用意した偽物は本物より持って行きたくなるような美麗――とまでは言わないが、絵になる感じの絵であった。しかしこちらでルシファーII世が掴まされた偽物はムキムキだが脂肪も多めの髭のオッサンがニヤリと笑うひどい絵になっており、本物の月下のアルフォンソといい勝負であった。本物と偽物の作風が真逆になっているわけだ。
 おかげで本物がレディたちに偽物扱いを受けて美術館の学芸員が文句を言いにきたこともあった。その後も学芸員は足繁く店に訪れ、原稿を描いて帰って行く。ミイラ取りがミイラである。
 本来ならばルシファーII世が掴まされた絵が偽物だと分かるこのシーンはさらっと流すはずだったが、有志たちのたゆまぬ議論の末にこの事件においてのハイライトシーンとして見なされ、ページ数が大幅に水増しされた。
 ファンシーな3頭身のルシファーが布を被った盗み出した絵を担いでてこてこと走ってきて、「うふふー、やったぜぇー」とゆるい笑顔で言いながら被せられた布をばさっとめくる。そこで読者もページをめくるが、すると次の見開きは右のページに劇画調の濃い絵でページブチ抜きの偽物の絵が、左のページではルシファーが楳津某のホラーマンガみたいな顔で絶叫する姿がでかでかと描かれ、この一瞬のシーンで見開きの大部分が使い切られていた。
 このマンガはノリと雰囲気と思いつきでこんなことをやっているからページは進むが話は進まない。この後はまたファンシーな絵柄に戻って「やられた!だまされた!」と可愛らしくじたばたしているが、この人は絵柄が見るからにシンプルで描きやすそうだ。実際その通りで出現頻度が高い。1ページに費やす時間が短いので何ページも描けるわけだ。
 そして先ほどの見開きにしても、丹念でもでかい一コマの方が、それなりの絵でも込み入ったコマ数のページより描きやすい。演出効果に加えて時間短縮とページ稼ぎの効果があるのだ。まあ、描くのも早いが読み進めるペースも早くなるのでその辺はどうなのだろうと言ったところ。
 ちなみに、ここまでの感じで何となく察せられるように、このマンガはギャグマンガである。怪盗がいない間は刑事や探偵のかっこいいやりとりも結構あったのだが、実際の事件をほぼトレースしたらコメディにしかならない。きっと深森探偵の所業のせいであろう。
 まあ、大貴に当たるキャラがまだ登場していなかったので飛龍刑事と獅子木刑事で再現された、高いロープめがけて大貴を投げつけたシーンなどは、飛龍刑事が獅子木刑事を投げるもまるで届かず顔面から着地、その後獅子木刑事が潰れた顔を見なければダンディな感じでハンドサインを送りそれに応じた飛龍刑事が獅子木刑事を肩車してやるとあっさりとロープ届くというコミカルな感じにアレンジされていた。現実での飛鳥刑事たちの行動が既にコミカルだという意見については気のせいだと断言しておこう。
 こんな感じでページばかり進んでいても、雑誌連載みたいに週に1本みたいな決まりもなく、描き上がったら出る。なので結構なペースで進んでいる。話はもう女神OR女神様の微笑み事件まで来ていた。
 マンガではここから大貴っぽいキャラが登場する。その名も飛龍Jr.。安直……いやとても解りやすい呼び名だ。マンガでは基本的にキャラのフルネームは出てこない。飛龍刑事なら飛龍、獅子木刑事なら獅子木という名字はわかるが下の名前は一切出てこないし、ミモザ探偵など本名かどうかすら判らない。少女探偵ミカエルや熟女ごふん美魔女探偵ガブリエルなど本名であってたまるか。
 ちょうどいいのでもう一人新キャラを紹介しておく。ラファエルは裸婦が入っているからちょうどいい人がいるなどと言っていたら、本当にそうなった。モデルとなったウェイトレスの寸胴体型はそのままに、全体的に縮小……されているのかはちょっと現状と大差ないちんちくりんぶりで判らないがとにかく少女探偵として登場である。ミモザ探偵一味ではなく、野良探偵としての登場だが、別にライバル関係になって足を引っ張ったりすることはなく「私も混ぜて!」「よかろう、君は今日からラファエルだ」みたいな流れで仲間になっている。編入のいきさつがあまりにも雑であったが、まあどうでもいいだろう。
 飛龍Jr.もさすがに幼稚園児ではなく高校生に変更された。さすがに俺がモデルのキャラの子が高校生なのはどうかと思う飛鳥刑事だが、悲しいことにマンガで読む限り何の違和感もない。迫力を付けようと伸ばした髭だが、マンガでは5割増しくらい立派になってハルク・ホーガンみたいになっており、見た目のおっさん具合も増量しているせいもあるのだろう。そもそもページごとに絵柄が激変するリレーマンガではキャラの年齢など基本的に不詳だった。
 飛龍Jr.は一昔前の少女マンガに出るようなハンサムなシティボーイを男塾にしばらく入れたような、原形を留めていないキャラだった。と言うか男塾を出すなら髭のたとえは江田島平八の方が良かったのかもしれない。まああんなに厳つくないしハゲてもいないし、そもそも刑事たちが世代じゃないので男塾をあまり知らない。なんにせよ、集英社のネタはここには相応しくないのだ。
 それはともかく、カッコいい男子ということで多数登場する女子キャラにモテモテ――なんてことはない。飛龍Jr.は例外だが他のキャラは割とモデルになった人物の要素を残してはいる。そんな40%くらい実在の人物で勝手にラブストーリーは作れない。モデルの片割れ本人がノリノリでその設定を作り、むっつりスケベだと思われがちだがそんなことはなく案外アクティブスケベであるところの内心ではカミさんに見られたらヤバいとは思いつつもまんざらでもなさそうなもう一方が黙認している、飛龍刑事にモーションをかけまくる探偵ガブリエルが例外として存在しているくらいである。
 こんな感じで本人に配慮したキャラ設定――配慮した結果その本人の悪のりによるゴーサインでひどいキャラになっているケースも枚挙に暇がない――になっている中、本人の意見が一切反映されないままあんまりな扱いになっているキャラがいた。ルシファーII世その人である。
 そもそもの基本設定からして「男女美醜を問わず裸を愛する変態少女」である。本物も最初はもしかしてそうじゃないのかと言われていたが、その設定を取り入れた形だ。なお、うやむやにはなったが現実での本人がそうでないと確証を得られたわけではない。
 そして、先ほど例に挙げた楳津某顔をはじめとして次々と変顔を披露する。美少女キャラのはずなのにその可愛らしい顔より変顔の方が思い浮かぶような勢いだ。なぜそこまで変顔を連発しているのか。それはこのキャラがアホだからである。見え見えの落とし穴に引っかかったり、人だと思って銅像に延々と話しかけたり。籠につっかえ棒という今時スズメも引っかからなさそうな罠に置かれた怪しすぎるケーキに釣られて引っかかったり。
 今展開中の話だと、実際には初代ルシファーがボディラインを晒して変装した女神様像に、マンガでは店主のジョニーが変装。確かに女神様のように胸は豊かだが大黒様よろしく腹も豊か、そして顔は髭のおっさん。どう考えても一目で女神様ではないと判りそうなものだが、気付かない。
 そして近付いたところをぎゅっと抱きしめられる。恋人のような甘いハグではなくドラム缶をへこます勢いのベアハッグだがルシファーは嬉しそうだ。だがここで気付いてしまう。相手が裸ではなく全身タイツであるということに。するととたんにデブ男に抱きつかれるのはイヤだともがき始めるのだが、そんな嫌がるような相手が裸で抱きついてきたらもっとイヤではないのだろうか。まあその辺は気にしたら負けという奴だろうが。なお、抱きついているのがデブ男だという事実は抱きつかれた時点で気付いているので問題ない――問題ない?
 ここでの要点は裸ならおっさんでも喜ぶ変態性ではなく、こんな隠す気もなさそうなダミーにあっさり引っかかるアホさだ。現物もまあまあアホだったがさすがにここまで悲惨ではない。もちろん飛龍刑事をはじめとした他のキャラだってそれなりにアホなことをやっているが、モデル本人への配慮の分おとなしい。つまりルシファーというキャラについては配慮ゼロ、というかこれは文句を言いに出てくるようにとの撒き餌としてより酷くなるように配慮した結果だった。
 さすがに年頃の乙女を元ネタにあまり下品な展開にするのは、同世代女子でありルシファーがやられたらいずれ我が身にもと警戒していそうな良心装置であるところのミサエに全力で阻止された。確かに多感な少女をあまりにもエッチな扱いなどしようものなら怒って出てくるどころかショックや恐怖で出てこられなくなりかねない。警察としても青少年が犯罪に手を染める状況を何とかしたいのは当然だが、追い込んで引きこもれば犯罪も犯さないよなんていう方針は論外だった。
 と、表面上はそうなっているが、ミサエに内緒でちょっとエッチなルシファーイラストがやりとりされていそうな空気がある。刑事たちが本気で調べれば取引の現場を押さえられそうだが、イラストを見たいだけの同類だと思われたくないので関わらないようにしていた。
 それはそっとしておくとして、ルシファーも現にこう言った諸々が気にはなっていたらしく、先日一度この店に様子を見に来てはいる。その時はウェイトレスに即バレししつこく追い回されていた。こうして予告状を送ってきたということは、それがトラウマになったりマンガでの扱いにショックを受けたりして引きこもったりはしていないようなので何よりだ。

「くっくっく。我々の思惑通りの展開になりましたな!これで貴重な時間を割いてマンガを描いた甲斐があったというもの!」
 深森探偵はそう息巻くが、刑事たちには分かっている。これで結局怪盗がマンガを狙わず終いだったなら探偵事務所まで休みにしてひたすらマンガを描いて、ただただ遊んでいたことになってしまう。そうならずに済んで内心胸をなで下ろしているに決まっているのだ。
 まあ、最近大したことをしてこなかった点についてはひとまず怪盗が出てこないことには何もできないのだから気に病む必要はないと思う。大した成果は出ていないがルシファー不在の間に一応背後関係を調べたりもしている。まあ、それで大した成果が出ていないからこそ、こんなところにこだわったりしているのかも知れない。
「それで、どういう方針で行く?」
「方針以前に、ルシファーが何をどう狙うか具体的には判らんしな」
 投げやりな佐々木刑事の問いかけに投げやりに飛鳥刑事が返す。狙われている物が刑事たちにとって大した物ではない上にその在処ももう知っているし、予告の日も来週末とスケジュールに余裕があって慌てる必要性がないのだ。
 その上で何を狙うか判らないと言うのは、該当する物が店内に溢れているからだ。ルシファーII世と言ってもそれは製本されたものか、原稿か。壁に貼られたポスターもか、いっそネームやそれに関する議事録――と呼べなくもないメモ書き、ラフや落書きまでそこに入るのか。
 警察側の目標としてはもちろん何一つ盗ませないことだが、店内に散在する標的候補を全て守るのは難しい。ならば一箇所に集めれば楽なのではないかと言うことになるが、おそらくルシファーの目的はマンガに関する物を一つでも多く奪い取ってマンガの存続危機に追い込むことのはず。一箇所にまとめるのはルシファーにとっても願ったりなのではないか。そして、ばらけさせても一つ一つは盗みやすくなり、一つでも盗めれば本心ではもっと成果を上げたくても表面上は勝利と言い張ることもできよう。状況的にルシファーにあまりにも有利だった。
「くっくっく。それならば話は簡単じゃないですか。この店にある作品が狙いだというなら、今のうちに他の場所に運び出してしまえばいいのです」
 そう言いだしたのは探偵でも刑事でもなかった。さっきまでそこでマンガを描いていた美術館の学芸員だ。
「もちろんその運び先について提案があるからこそこうして出しゃばってきたわけです。どうです、全てC美術館に運び込んで展示会を開きませんか」
「いや、私に言われても。ここでの警備方針に対する提案なら聞きますがね、そう言う話はどちらかというとここの店長にすべき話では?」
 まあ、その店長ならすぐそこでこの話を聞いているのだが。
「面白そうな話ですし、いいと思いますけどね。むしろこういう話はそちらの館長がどういうかじゃないですかね」
 確かにイベント開催となると学芸員一人が思いつきで決定できるものではない。
「ふっふっふ。実はもう館長とは話し合っているんです。そもそもうちの館長は流行にはいつも目を光らせてましてね……、モナリザがブームになったときにはダ・ヴィンチ展を、ツタンカーメンが流行ったときにはエジプト展を開いたりしたんです。もちろんレプリカばっかりでしたがね!」
 その言葉に、刑事たちは美術館の警備をした時に目にしたものを思い出す。
「そういえば、あったなモナリザ」
「ツタンカーメンのマスクも見たぜ」
 結構ミーハーな館長のようである。
「よく言うでしょう、ピザは熱いうちに食えと!」
「それはあまり聞かないな。真理だけど」
「どちらかと言うと鉄は熱いうちに打てですかな」
 どちらかではなくそれである。
「こういった熱気というものは冷めやすいのです。流行りものに飛びつくなら、もたもたしていてはブームはソニックブームの勢いで遠のいていく。そういう館長だからこそ、その辺は弁えてますとも」
「しかし、マンガですぞ。美術館に展示するのはどうなのでしょう」
「いやいや、その考えは古いですねえ。マンガは芸術じゃないとでも?世俗的な娯楽だからと言うのなら浮世絵だって同じではないですか。それが些細なきっかけで欧州で芸術性を見いだされモネやゴッホですら作品に取り入れるほどになったんです」
「そうなの?」
「なんか聞いたことある気がするな。たぶん、何となく」
「だからマンガが世界的な芸術になる日が何ら不思議ではないのですよ!それ以前にこの町ではルシファーII世が静かなブームになっているのは間違いない」
 ちょっと前までは美術館の客が増えたと思ったら、月下のアルフォンソを見て仰天する客ばかりだった。今はそんな客は減ったが、こういうものだと事前情報を入れた状態で見に来たので驚かない客に入れ替わっただけである。美術館に足を運ぶきっかけがこの漫画というケースであることに変わりはない。
「いや待て。このマンガってそんなにみんな知ってるのか?この店で密かに描いてるだけじゃないのか」
「描いてるのはそうですね。売れるのも1巻あたり500冊くらいじゃないですか」
 飛鳥刑事の疑問に店長が答えた。
「結構多いな」
「読んでいるのが500人ではないですよ。数人のグループで回し読みも多いでしょうからね。高校生や大学生なら市外の学校に通ってるケースも多いでしょうし読者は県全域にいるでしょう。この店も収益の方には期待せずにやっているとは言え、お客さんのほとんどにポイント払いの実質無料でコーヒーを出してます。それでも余裕で儲かってるのは本の売り上げですよ」
 大学なら県外であることもざらだ。怪盗となればローカルニュースにとどまらない話題性もあるので興味を持つ人も少なくはないだろう。
「しかし、そんなに売れてる割にはここに本を買いに来る客ってのを見た記憶がないっすけど。ここに描きに来てるいつもの顔がついでに買ってくくらいで」
 佐々木刑事の言葉に飛鳥刑事も頷く。その疑問にも店長が答えた。
「ああ。それなら何箇所か本屋とかに置いてもらってますんで」
「セイカマートの青果コーナーに売ってるのみたわ」
 原稿から顔を上げて初代ルシファーが言った。
「何で青果コーナー……」
「さあ」
 初代ルシファーは知らなかったが、店長はさすがに事情を知っている。仕入れた数が普通の雑誌より多く雑誌コーナーに置ききれないし、本屋のような平積みをしたかったがスペースもない。そこで距離も近く十分なスペースもある青果コーナーで採れたて野菜と並んで刷りたて同人誌が売られることになったのだ。
 なお、新刊が出ると前の号が見切り品として2割引で売られるらしいが、狙って買うのは不可能なほどレアだそうだ。値下げしてまで売り切りたい理由は、当然鮮度の問題ではない。占有されるスペースの問題であって、売り切ったところで速やかに野菜が並ぶことになる。むしろ野菜が売れたらそこに本を置けばいいのではないかと思うが、朝どり野菜が洗って袋詰めされて入荷し、それが並ぶころには本が捌けているのでちょうどいい模様。
 ルシファーII世の本は発売日は不定で、でき上がり次第に発売される。描く人の仕上げペース、そして印刷する店長にほかの製作依頼などがあったりなかったりでその日程が変動する。そのせいもあって採れたて野菜コーナーとの相性もいいのだ。
「しかし、セイカマートにあるとなると、うちのかみさんも見てるかもな……。まずいなあ」
 自分がモデルのキャラが、自分と少なからぬ因縁のある人妻がモデルのキャラに誘惑される描写が多数あるマンガを家族に見られるのは流石にまずかろう。だから小百合はもちろん大貴にだってこのマンガのことは話したことがない。なので小百合はマンガのことは知らないと思いこんでいた。しかし、スーパーの一番目立つ場所に置かれているのなら知らないはずがない。その上で何も言ってこないのがかえって怖いが……あまり興味がないのだろう、きっとそうだ。飛鳥刑事モデルのキャラも早々に江田島ホーガンの強面になっているので表紙を見ただけでは誰がモデルかなどわかるまい。
「そんなことよりイベントの話です!」
「メインは警備の話ですがね」
 吼える学芸員に飛鳥刑事が水を差す。
「それはそちらがやってくだされば結構。いや、警備は必要なくなるんでしたっけね。何せ在処がこの店じゃなくて美術館になるのですから怪盗にも手出しが……」
「ああ、それですがね。予告状には続きがありまして」
 飛鳥刑事は予告状にクリップで添付されていた紙を提示した。その中に、こんな文言がある。
『予告状を出した時点で店内にあるものが標的です。どこかに移動させてもそこから盗みます』
「なんてこった……、先回りして対策が立てられていたとは。なんなんですか、その契約書に添えられる約款みたいな但し書きは!イベント開催のチャンスだと思ったのに!」
 それは怪盗対策する警察や探偵に対する、信用の顕れである。卑怯千万で全く信用できないという。細かく条件を付けないと、何をされるか分かったものじゃないのだ。まあそれはともかくだ。
「それは好きにすればいいと思いますがね。何なら美術館の方が警備もしやすいでしょうし」
「いいんですか!ならば警備のプランを滞りなく立てるためにも早めにイベントの件を打診してきます。打診と言っても結果は分かりきってますがね!」
 学芸員は描きかけの原稿とともに店を去った。
「ふむ。それじゃあ我々も動き出すとするか」
 飛鳥刑事はそう言うも、動き出す様子はない。
「我々のことならお構いなく。原稿が終わり次第駆けつけますので」
 深森探偵が原稿から目を離さず言う。
「そうは言いますがね。目を離すとサボりそうな気がねえ」
 もちろんもう探偵の仕事をサボって漫画を描いている点については不問に付す。
「ぐぬぬ。編集者みたいなことを。どうせあれでしょう、私を見張ることを口実に自分がサボりたいだけなのでは?」
「分かってるじゃないですか」
 優雅にコーヒーをすする飛鳥刑事。
「そう言うことなら頑張って早く終わらせてやりますぞ。ぐひゃひゃひゃひゃ」
 悪役めいた笑い方とともに奮起する深森探偵だが、その実原稿はもう8割方仕上がっていて頑張るまでもなくもうすぐ終わる。そしてそれよりも早く学芸員は帰ってきた。結果は分かりきっていると豪語しただけに二つ返事で話は付いた模様。迅速な展覧会開催に向けて打ち合わせがしたいと店長に館長からの伝言だ。
「それなら我々も美術館に行った方がいいな」
「だな」
 のんびりと言う刑事たち。口だけで動きそうもない――と。
「私も行きますかね」
 その店長の声を聞き、少し考えた後飛鳥刑事と佐々木刑事は重かった腰を上げた。羽のように軽く、風のように疾く。先ほどまでの林のように徐かで山のように動かなかったさまが嘘のように。
 そんな二人の目には先ほどまでの席に戻り原稿に取り組む学芸員の姿が映った。
「あの人、学芸員の仕事はいいのかねえ」
 覆面パトカーのエンジンをかけながら佐々木刑事が呟いた。
 お前が言うなという話であった。

 美術館の入り口には「近日開催!ルシファーII世特別展」という模造紙にマジックで書かれた張り紙が出ていた。こっちはこっちでかなり仕事が早い。美術館サイドのやる気を感じる。そしてその張り紙に反応している主婦の姿も見受けられる。この話が広がるのも火の如きスピードになりそうだ。
 館内のホールでは館長をはじめとして学芸員などスタッフが慌ただしく駆け回っていた。まだ打ち合わせもしていないのに早くも展示会の準備が始まっているらしい。
 ここに置かれていた、まさに先ほど話題にあがったモナリザやツタンカーメンのかーめん……いやマスクのレプリカなどが撤去されていた。代わりに早くもあの月下のアルフォンソが見苦しい肉体美を見せつけていた。
 ――と、刑事たちはそう勘違いしていたが、この絵がルシファーに狙われて話題になって以来ずっとここに飾られていたのだった。なんだかんだ言って美術館側だってこの絵が決して万人受けするものだとは思ってはいない。よって以前は入り口の近くに飾る勇気などなかった。しかし今や美術館の花形作品だ。わからないものである。
 そしてその隣には見覚えのある絵があった。事件の夜、飛鳥刑事はその絵を回収した。そして美術館の適当なところに置いたような気がする。その後どうなったのか、それどころか自分が美術館のどこに置いたのかすら記憶が曖昧だったが、処分されたりせずに保管されていた模様。
「みもっさん作の偽物か。ふぅん、こうして見ると……」
 佐々木刑事はじっくりと絵を見る。そうすることで隣の凄い絵を見ずに済むなんていう意図はきっと――無いことはないのだろうがまあいい。じっくり見るならこっちなのは間違いないのだ。
 しかしこちらはこちらでじっくり見れば見るほど雑さが目に見えてくる。図画工作の授業でなら誉められそうだが美術館に飾れるレベルではない。遠くから見るとまあまあきれいに見えるのだが残念だ。
 一方本物の月下のアルフォンソを覚悟を決めてじっくり見てみれば、遠くから見る時から感じられるある種のスゴさとはまた違う凄みが感じられる。精緻なタッチで描かれた肉体はいっそ生身の人間よりも生々しく体温や体臭まで感じそうな迫力である。だからこそ近寄り難い、近寄りたくない。直視に堪えない。
 うむ、こんなのじっくり見ていたらまた変な夢を見る。飛鳥刑事は絵から目を離し、館長に話しかけた。
「ついさっき決まったばかりの話なのにずいぶん対応が早いですね」
 暇なんですか。そんな気持ちを込めて言う。
「こういうのはね、手早くやらないと溶けてなくなってしまうアイスみたいなものです。なめ猫、デコトラ、その他もろもろ‥いくつのブームに乗れずに終わったことか」
 こちらは熱いものですらなく冷たいもので来た。この暑い中駆け回ってアイスが食べたくなったのか。それにしてもデコトラはまあアートトラックとも呼ばれるくらいだからまだいいとして、なめ猫は美術館で扱うものではなかろう。なめ猫の絵のコンクールでも開くのだろうか。
「忙しそうですが……一人マンガを描いてる学芸員がいますがいいんですかね」
「あれは特別任務です。月下のアルフォンソが注目された事件をモチーフにした漫画に協力することでこの絵の注目度も上げる。学芸員の仕事としての一環ですよ」
 注目したくないものである。まあ、あの学芸員についても館長がいいならそれでいい。
「ほどなくこのマンガの元締めも来ると思いますのでそれまでお構いなく。イベントの方針がわからないと警備の方針も立てられませんし」
 そう言い残して刑事たちは美術館を一度出た。しばらくすると一台のライトバンがやってきた。中からはびしっとスーツで決めた営業モードのリージェント店長が下りてくる。同時に、深森探偵と初代ルシファーも下りてきた。スーツ姿の深森探偵と、それなりにおしゃれしているのでぎりぎり秘書っぽく見えなくもない初代ルシファー。三人揃うとなんか様になっていた。深森探偵がライトバンからよっこらしょと自転車を下していなければ。
 と言うか、それ以前にライトバンが大概なのである。もともとアニメキャラでラッピングされた痛車だったが、今はルシファーII世キャラが描かれていた。下りた人の雰囲気が様になっていてもこの車で台無しだ。刑事たちもこの車に近くを走りたくないがために一足お先に動き出すほどだ。
 道路を走っていても目立つことこの上ないが、今はルシファーII世の影響で来ている人が多いこの美術館では注目の的であった。この車をこのまま展示してもよさそうなくらいに。
 リージェント氏と探偵二人は美術館に入っていった。これから展示会についての打ち合わせがなされるはずだ。刑事たちは結果だけ分かればいい。探偵たちが話を聞いておいてくれるだろう。気長に待つだけでいい。
 すぐにルシファーI世こと初代ルシファーが美術館から出てきた。もう話が決まったのか。だが、そうではなかった。
「噂には聞いてたけどすごい絵ね」
 アルフォンソ氏の肉体美から発せられる毒気に堪えかねて逃げてきただけのようだ。
 特に何事もなくさらに少し時が経過する。サボる場所が喫茶店から美術館前になっただけのような気がしないでもない。そろそろ話がまとまったか、まとまってなくても今どんな感じかちょっと確認くらいはしておきたい。そう思い始めた頃に動きがあった。しかし美術館の方にではない。
「聞きましたよ!ルシファーからの予告状が来たそうですね!」
 ミサエが学校を終えて駆けつけて来たのだ。ここ最近は探偵事務所ではなく喫茶店に直行になっており学校帰りに喫茶店に立ち寄り変な大人とつるむ悪い子になりつつあるが、今日はつるんでいる大人たちがそこにいないので事情を知っていそうなウェイトレスに聞き、ここに来たわけだ。
「なんでこんなところに立っているんです?中に入りましょうよ」
「入りたければ好きにするといい」
「やめといたほうがいいわよ。入口で裸のおっさんが生温か苦しく出迎えてくれるわ」
 飛鳥刑事と違って初代ルシファーは優しかった。美術館に入ったとたんに出迎えてくれる絵の温かさと暑苦しさをちゃんと伝える。その絵ならミサエもイヤと言うほどに見たり触れたりしたので、口に出して言うまでもなく本当にもうイヤであった。
 だがしかし、現実とは無情なものである。うわぁイヤだなぁとミサエが思ったほんのちょっと後、美術館からリージェント店長が出てきて簡単な打ち合わせが終わったことを彼らに告げた。ひとまず展示できそうなものを提案し、運び込める物はこれから運び込む。そして他に展示できるものがあるか調べてみるとのこと。
 その追加の展示物によっては若干の変更はあるかも知れないが、凡その展示レイアウトも決まったので警備方針を決めるにも問題はないだろう。
 斯くして再び対峙すべき時が訪れた。いざ赴かん、月下のアルフォンソ、そのもとへ。

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