Hot-blooded inspector Asuka

Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』

第13話 悪魔的スウィートホーム

「なんてこった……!ルシファーに、初代ルシファーにやられた!」
 飛鳥刑事は頭を抱えた。女同士で暢気にお喋りをしているなと放っておいたら、その流れでしれっとナチュラルに貴重な人手を持って行かれてしまった。
 刑事たちにとっても、捜査の一環という名目での堂々としたサボリラックスタイム。それにかまけてこの後に膨大な店名・企業名から石に関する文字が入ったものをリストアップする面倒な作業があることなど失念していたのである。それをふと思い出したらもう既に手遅れ。何なら、ミサエを連れて行った初代ルシファーにだって手伝って欲しかったというのに……。
「仕方ない、男だけでやるか」
 露骨にやる気なさそうに言う佐々木刑事。やる気のない理由が男だけだからかどうかは割と怪しい。女と言っても子供と人妻、口説けもしない相手にそんなに盛り上がれる佐々木刑事ではないのだ。シンプルに、やることが面倒くさいからだろう。
「その男だけの中に私も入っているのですかな?生憎ですが、私は原稿を仕上げねばなりませんので」
 と、深森探偵が無責任なことを言った。まあ元々誰もこの人に責任なんてものを求めてはいないのだが。
「いやいや。マンガより怪盗じゃないんすか」
「怪盗を追いかけるのと、その依頼主の組織を追いかけるのは違いますな。と言いますか、ルシファーとストーンの関係性も今の所今一つ良くは解っていないのでしょう?ルシファーを見かけた場所が泥棒塾だというなら、口コミで聞いて自費で通っているだけかも知れませんぞ」
「口コミから気軽に通える泥棒塾が存在しているってだけでも警察としては黙っていられませんがね」
 飛鳥刑事もさすがにこの言いぐさには黙っていられなかった模様。黙っていられなかった最大の理由がこのまま行くと手伝ってくれなさそうだったからであるのは言うまでもない。
「警察はそうでしょうな。しかし探偵としてはそんなもの警察にお任せっていう感じです。まあ、怪しいと踏んだどこかに潜り込んで調べ上げる手伝いなら吝かではありませんぞ」
 確かにそれは一応法に縛られて動く警察より無法探偵の方が向いている。いや探偵だって法律は守ってもらわないと困るが、向こうも無法行為をしているのであれば法に訴えることはできず、黙殺するしかないだろう。言っても規則やらなにやらで管理されている大きな組織より、個人でやっている探偵の方が圧倒的に身軽だ。後で出番はあるかも知れない。
 それでも名前探しを免除する理由にはまだ弱い気はする。何せ、まずは調査対象になる怪しい名称を見つけないことには潜入調査の出番は無く、深森探偵はただマンガを描いていただけということになりかねない。
「まあいいでしょう。しかし、原稿はきっかりと今日の締め切りに間に合わせてもらって明日こそ我々を手伝ってもらいます」
「いつの間に締め切りなんて設定されたのでしょう。そんなに間に合わせたいなら、手伝ってくれたりは?」
「足を引っ張ることを手伝う内に入れてくれるなら前向きに考えましょうか」
「……まあ、どちらにせよ今日中には終わりますがね」
 そしてこのやりとりにより、飛鳥刑事の中にあった今日中にリストアップを終わらせるという目標は、近日中ということに密かに書き換えられたのだった。

 その頃、ミサエはルシファーの本拠地に潜入していた。とは言え警察も掴んでいない現ルシファーの本拠地ではない。初代ルシファーの現在の本拠地、すなわちマイスウィートホームである。ここでは彼女も元怪盗などではなくただの主婦、映美ママである。
「さあ、ミサエちゃんどうぞ」
 招き入れられた家の中には人の気配がなかった。しかしリビングには家族の痕跡が見られる。主に部屋の隅に置かれたおもちゃとして。
「娘さんがいるんですね」
 おもちゃは人形やぬいぐるみなどいかにも女の子が好きそうなものであった。
「そうなの。言ってなかったっけ?」
「そう言えば聞いたことがあったかも……」
「芽美っていうの。あたしに似てすっごく可愛いのよ〜」
「へえ。……で、何でギロチンがあるんですか」
 部屋のインテリアであるかのように、しかし些か溶け込めない風情でそれは置かれていた。
「うふふ、それはね……お前を処刑する為じゃあああ!」
「ぎにゃああああ!」
「……冗談に決まってるでしょ。何でそんなに本気でビビるの」
「も。もちろんこっちも冗談です。ノリがいいだけですとも」
 涙目の上擦った声で膝を笑わせながらミサエは言い放った。ノリだけでここまでなるとは思えなかった。
「まあいいわ。これはパパの仕事道具なの」
「お仕事というと……処刑人ですか」
「日本の処刑はギロチンじゃないでしょ。私も処刑されたことはないからドラマとかでしか知らないけど……。縛り首よね、昔の泥棒と同じで」
 似たようなものだがさすがに昔の縛り首とは違うだろう。しかし詳しい人もツッコむ人もいないので話はそのまま続く。しかもなぜかミサエは映美の発言を派手に勘違いする。今も昔も泥棒は縛り首と。
「縛り首って、どんな感じなんでしょうね」
 そう聞かれても、映美だって時代劇か何かで「盗賊は縛り首」という言葉を聞いて印象に残っていたに過ぎない。そしてそれとの関連性も不明だが、物干し台のような木組みに洗濯物のように並んでいる首吊り死体のイメージが浮かんだので、それをそのまま言葉にして伝えた。
 なお、実際に江戸時代に行われていた縛り首は首吊りではなく縄で左右から絞めていたらしいので根本的に間違っていた。まあ、現代の絞首刑のなら首吊りなので若干イメージが近いか。さすがに死体を野晒しにしたりはしないが。更に言えばいくら江戸時代でも、金品を奪うついでに人に危害を加えたりよほど悪質であったりしなければ、物を盗んだくらいでいきなり首を絞めて処したりはしない。とことん適当な、正確性のない情報であった。
 イメージが貧困なのも無理はない。今時の処刑なんてものは人目を避けてひっそりと行われるもの。テレビのドラマなどでも生々しい処刑の瞬間など映像化されることはあまりない。されていても映美ならそんなシーンがあるような辛気くさい作品はパスだろう。なのでリアルな処刑シーンなど映像でも見たことなどないのだ。まだ切腹シーンの方が馴染みがあった。
 そして、処刑ではなくても首吊りならまだ少し身近である。
「縛り首で死ぬ時って苦しいんでしょうかね」
 ミサエからのそんな質問に映美は自身の持つ豊富ならざる受け売りの知識で答えた。
「学生の頃先生から聞いたんだけどさ。おなじみの自殺の方法では首吊りが一番楽らしいわね、すぐ意識がなくなるから」
 だからこそ現代の日本では絞首刑が選ばれているわけである。なお、左右から縄を引っ張る縛り首方式はかなり苦しいようだ。ただ首を絞められているだけであり、サスペンスドラマでもそんな殺し方をすれば、犯人の皮膚片が爪に残ったり吉川線なんて言うものができるほど抵抗できるくらいにはがっつり意識が残っている状態で首を絞められることになるのだからそりゃ苦しいだろう。
「すると自殺なら首吊りだってなりそうなものじゃない。でもそれは罠なのよ」
「あの。別に自殺に興味はないんですけど。……でも、罠って何ですか」
「首吊りはすーっと意識がなくなってそのまま死ねるから楽なんだけど、そのまま即死するわけでもないのよ。で、その意識のないほんのちょっとの間は全身が脱力して、普段締まってる穴も大開放しちゃって色んなものが垂れ流しになるんだって!特に、いい感じに下向きにされている下半身が!股間からいろいろ垂れ流している姿を見られて我慢できる?」
「嫌すぎますね!」
「でしょう!?」
 とまあ。映美の先生も何でこんな話をわざわざ生徒たちにしたのかというと、楽だという首吊りにも多感な時期の青少年にとっては特に大きすぎるデメリットがあり、他の手段も痛かったり苦しかったり、血やら臓物をぶちまけて汚したり片付けやら迷惑料などで方々に迷惑をかけて、いいことなんて何もないので自殺などやめておけと言いたかったのだろう。……多分。
 現に、映美の娘が怪盗になるくらいの頃合いに自殺のマニュアル本なるものが発行され物議を醸すが、淡々と自殺の手段と難しさや苦痛、後始末や賠償などの費用を淡々と書いただけでやれとも止めておけとも書いてはいないその本がブームになっていた頃は、件の本との因果関係は不明ながらも自殺が減っていたりする。
 とにかく。ミサエの中では捕まったルシファーの宿命は吊されていろいろ垂れ流しで確定したようである。気楽な探偵ごっこの先に、一人の少女の命と尊厳が失われる未来が――。
「じゃなくて。掘り下げるべきはそこじゃなくって。パパは処刑人じゃなくてマジシャンよ。このギロチンは手品の小道具……って言うか大道具なわけ」
 女の子がいる家らしくファンシーな小物が溢れる室内に於いても溶け込みきれない派手派手しいデザインはそのせいだった。ステージで使うものと女の子のおもちゃの華やかさはベクトルが違う。かわいらしさは薄く、むしろギンギラギンでケバい。
「これ、使えるんですか」
 どういうニュアンスで質問されているのか分かりにくい質問だったが、どうせ適当な会話なので適当に解釈し映美は答える。
「危ないから刃はついてないわよ。手品の真似事ならできるけど。やってみる?」
「え?羽丘さんも手品できるんですか?」
「助手としては長いし、器用で運動神経もいいからね。なんならあたししかできないようなトリックだって……あ、でも今はそんなの無いのか。まあとにかく、手品の一つもできなきゃ怪盗なんてやってられないわよ」
「え。そんなもんですか」
 後の世でブームになる見た目は子供頭脳は大人の名探偵コ……子供名探偵のライバルになる名前は子供のいい歳した兄ちゃん怪盗だって手品がメイン武器のようなものだし、国民的な大泥棒三世もアニメ界の巨匠となる人物が監督を務めた作品にて「今はこれが精一杯」と言いながらささやかな手品を披露していたものである。
 現実的にも警備の中盗み出す以上、ターゲットから注意を逸らすなど手品でよく使われるテクニックは必須レベルだろう。
「手品は小手先のテクニックも大事だけど、種や仕掛けが重要よ。それは怪盗にも言えることでね、入念な下調べと準備から始まるわけ」
「なるほど……」
 とまあ、ドヤ顔で語る元怪盗であるが、現役時代の彼女は割と行き当たりばったりであったのは内緒である。そもそも相手が単純な飛鳥刑事とやる気に欠ける佐々木刑事だから通じていたのであって、森中警視が出てくるとかなりかき回されてピンチに陥ることも多かった。さらにはローズマリーによる妨害……実は準備よりむしろそう言う時の臨機応変さの方が重要かも知れない。まあそれはおいておくとして。
「二代目はその辺が雑な感じがするのよねえ。行き当たりばったり感が強いと言うか、手際が悪いと言うか。手際って言うのは万全の準備があってこそなのよね。その辺、あの小娘はもう全然と言わざるを得ないわね!」
 ご高説を垂れる映美だが、賢明な読者諸君はもうお気付きだろう。二代目ルシファーは胸を張ってルシファーを名乗れるに足るくらいに初代そっくりだと。映美が準備・段取りの大切さを思い知ったのはマジックの助手をやり始めてからと言っていいのだった。
 そんな会話をしながら映美はギロチンの横に座っていた人形を手に取る。そしてその頭をギロチンに通した。
「横にハンドルが出てるでしょ。それを下ろすの。さくっとね」
 そのさくっとが動作の軽快さを示すのか切断する音を示しているのかがいまいち不明瞭だが、どちらにせよ言うほど簡単ではない。
「結構重いですね」
「ギアが入ってて、小さな操作でギロチンが大きく動くのよ。その分重いけど、動きもなめらかなの」
 こういう小細工は映美も得意なのでだいぶ製作を手伝っている。当然芽美にはかなわないがこういう舞台装置だって夫婦の愛の結晶なのである。
 そんなことより気軽な会話の裏では人形に悲劇が起こっていた。ギロチンに通され刃が下ろされたのだから当然、首が切り落とされる結末を迎えた。切断というよりはバリッという音ともに千切れた感じがあった。
 え、切っちゃっていいの?そう思いながらミサエが転がる人形の首を注視すると、切断面はマジックテープになっていた。首は着脱可能であり、切り離しても戻せるのである。それだけではなく同じシリーズの人形同士なら着せかえ感覚で体ごと服装を交換できる。女らしさや男らしさなど皆無のスーパーデフォルメ三等身人形なので男装の麗人や男の娘だって思いのままだ。まあ、単なるマジックテープなのでさもありなん。
「はい、もう一回!」
 ギロチンに映美の頭が通り準備完了していた。さくっと別なものを切断したギロチンに体の一部を通して切っても体は何ともない、そんなマジックだ。探偵(それも虚構に限る)のことばかり詳しくて根本的に世間知らずなミサエだが、このくらいなら知っているのである。
 が。何の気なしにレバーを操作してギロチンの刃を下ろすと、映美の頭が、ころん、と。
「ぎょえええ!?」
「ん?何?」
 飛び上がるミサエだが、ギロチンの後ろから何事もなかったように五体満足な映美が現れミサエも我に返った。
 改めてよく見ると転がった頭はスマイルマークのような点だけの目と円弧の口のデフォルメされきったどうみても人形の顔。髪こそカツラを使っていてリアリティが出ているものの、ちゃんと手入れされている本物のゆるふわウェイビーヘアと比較するのもおこがましいレベルでボサボサ。それでも顔の手抜きぶりにはもったいなく見えるが、使い古しのカツラで面倒な手作りを回避したもので十分手抜きである。
 首に当たる部分には穴があり、手を差し込んで奥にある取っ手を握れば持ちやすくなっていた。ミサエから見れば、カツラの後頭部とうなじに見える腕が目に入っていた。髪のぼさぼさ具合に気付かないくらいなので、首にしては細すぎるなんてのも気付くはずもなく、腕の素肌がまた違和感を抱かせなかった。こんな偽物丸出しの頭に不覚にもミサエは騙されたのだ。
 そもそもがマジックテープ首の人形に気を取られすぎていたのも注意力が損なわれていた原因である。他に注意を引きつけるのはマジックの常套手段であり基本だ。とは言え映美がそこまで考えて一連の行動を起こしていたという事実はない。たまたまであり、現実はマジックよりトリッキーなのであった。映美も何事もないように顔を出すわけである。見た目以上のことをした覚えなどなく、本当に何事もなかったのだから。

 お遊びはこの程度にしてひとまず本題である。
「パパたちが帰ってくる前に始めちゃいましょうか」
 テーブルにお菓子を並べて女同士の恋バナが始まった。映美は恩納月ウェイトレスほど恥知らずではない。なので露骨な話は流石にしないがそれでも内容はほぼほぼのろけである。本人の前では恥ずかしくて言えないようなことなので居ないうちにとのことでガンガンまくし立ててくれた。
 ついでに昔は飛鳥刑事のことも結構好きだったという話も出る。
「今は似合わない髭なんか生やしちゃってすっかりおじさんっぽいけど、昔はジャニ○ズのアイドルみたいにカワイイ感じだったの」
 それはさすがにジャニ○ズに失礼であろう。そりゃあまあ、刑事だからと言って□原軍団っぽいかというとノーであり□原とジャニ○ズどっちと言うなら辛うじてジャニ○ズという感じではあるが、結局一番しっくりくるのはた△し軍団だと思われた。
 映美が飛鳥刑事にヨロメきかけていたのは、見た目よりも追う者と逃げる者の濃密な関係性による。追いかけてくるが捕まれないスリル。そのドキドキが吊り橋効果のような感じで恋愛感情に変換されたのもあるし、テンションがあがりすぎて普段ならやらないような小悪魔キャラを演じて誘惑めいたことをしたら純情そうなリアクションが返ってきてそんなことでもキュンキュン来たり。
 しかし、この恋が叶うには障壁が多すぎた。ローズマリーだのストーンだのは怪盗としての障壁でこの場合には無関係。最大の障壁だったのは泥棒と警察という関係だった。ドキドキの追いかけっこだが、捕まったら逮捕で終わり、決してそこが恋の第二章の始まりではないのだ。よってある程度のラインを超えて近付くことができなかった。最終的にはほぼ捕まりながら一回だけ見逃してもらったようなもので、その後はなりを潜めて最近になってルシファーを名乗る小娘が出てくるまで接点はないままだった。
 まあ実は、映美の娘と飛鳥刑事の息子が同い年の上割と近所で同じ幼稚園に通うことになりそうだったので、ちょっとお高い私立の幼稚園に入れる羽目になったりと、ニアミスしそうになってそれを回避しようとするようなことが度々あったりもしたのだが。
 と言ったところで、大貴と同い年という娘を連れてパパが帰ってきたようである。
「ただいま。……お客さん?」
「ほら、いつも言ってるパート先の……同僚というか何というか」
「ああ、なるほど」
 ある程度話は聞いていた模様。
「おじゃましてます、ミサエです」
「いらっしゃい、どうぞごゆっくり」
 何とも優しそうなパパである。そしてそんなことより。
「かわいいっ」
「でしょでしょ。芽美っていうの、あたしにそっくりで超絶かわいいでしょ?」
「こんにちは。ママとおしごといっしょのひと?」
「そんなとこ」
 ぽくぽくぽく、ちーん。キリスト教関係の町が舞台の物語で効果音がまさかの一休さんである。
「ということは、おねえちゃんはかいとうなの?」
「ええっ!?」
 実は映美、芽美にも怪盗にちょっかいを出すべく探偵事務所でパートをしているという話をしてあるのだが、簡単に話しただけなので芽美はまともに理解などしていなかった。ちなみに芽美は映美が昔怪盗だったことはよく知っていたので、『怪盗ルシファー(偽物)が町に現れた』『今はお仕事で怪盗を追っている』と言うような話が『今のお仕事は怪盗』とあらぬ方向にまとめられ理解されていたのだった。
「違うのよ。今のママは正義の怪盗として悪い怪盗をやっつけるべく探偵団に入っているの。だからこの子は探偵よ」
 ややこしい話は後でゆっくりすることにして、今はざっくり流しておく。
「たんていっていうと……すけきよ?」
「それは探偵じゃなくて被害者ね」
 ミサエは怖すぎてスルーしているシリーズの作品なので親子の会話が理解できなかった。なお、芽美からこの名前が真っ先に出てきたのは。
「すけきよー!」
 芽美はそう叫びながらスカートがひっくり返りぱんつ丸出しになるのも気にせず逆立ちし開脚した。こういう持ちネタがあるからこそだった。
「うわ、すごいですね。身軽〜」
 ミサエには到底真似できそうになかった。運動神経的にも、ぱんつの丸出し具合的にも。
 右ひねりスケキヨからの左ひねりスケキヨ、宙返りして直立の決めポーズ。子供ならではの身軽さなのかも知れないが、それにしても見事である。しかも可愛い。これだけでおひねりをあげたくなる。
 かつて最初に芽美が逆立ち開脚をした時、映美が思わず「スケキヨみたい」と言ってしまったのがきっかけとなった。なんだかわからないまま、スケキヨという言葉だけ気に入ってしまい、スケキヨのポーズが芽美のマイブームになってしまったのである。
 パンツルックであれば別に好きなだけやってかまわないが、スカートでもお構いなしでやってぱんつがルックできてしまいはしたない。直接やめろといっても反発されるので、ならばとスケキヨがなんなのかを思い知らせるべくレンタルビデオ屋で八つ墓村のテープを借りてきて家族で見たりもしたのだ。
 幼稚園児が見るには怖い内容だったし、現に芽美は顔をひきつらせてパパにしがみつきながら見ていたものである。これでもうスケキヨごっこなんてやらなくなるだろう。そう思ったのだが、甘かった。幼稚園のお友達がやっていた少年探偵団ごっこに組み込まれ、スケキヨ事件が発生したら捜査開始みたいなことになっていた。
 おかげでしばらくスカート禁止になったがスカートにこだわりがあったわけでもない芽美には何の影響もなく。だがこう言ったブームはすぐに収束するのが常である。紅茶キノコしかり、エリマキトカゲしかり、シーモンキーもまたしかり。特に過熱すると飽きるのも早い。スケキヨはゆっくりと忘れられ、芽美の日常にスカートが戻った。
 まあ、スケキヨは魂に刻まれたのでこうしてちょっとしたきっかけですぐ帰ってくるのだが。特に探偵というワードはスケキヨと強く結びついていた。強固でもない封印を解くには十分すぎるきっかけなのだ。
 そして、一度マイブームが終わったものは帰ってきたところでお帰りになるのも早かった。さようならスケキヨ、いつかまた会う日まで。
 映美からスケキヨの元ネタやら芽美におけるスケキヨとの関連性などをざっくりと説明されたミサエは、今一つよく理解はできないがそのどうでもよさだけは感じ取り、気にしないことを決めた。
 その辺の話の流れで芽美もパパも映美が昔怪盗だったことを知っていることも聞かされた。パパとは怪盗として出会ったことは先ほどののろけ話で聞いている。
 警官と怪盗という距離の縮められない恋にちょっとささくれ立ち始めていた映美は、見るからに優しげな捕まってもデメリットのないこの青年にころっといってしまったのである。いろいろあってモチベーションも下がっていた怪盗もそれを気に辞める決心が付いたのだった。
 芽美にも映美が怪盗だったことは話してあるが、かなり脚色されていて悪徳な金持ちを狙い盗んだ富を弱き者に分け与える義賊という感じになっていた。もちろんそんなものでなかったことは映美が一番よくわかっている。でもせめて今のうちくらいは、昔のママがただの悪人だったのではなくかっこよかったのだと思っていてほしい。――というのが建前で、運動能力をしっかり受け継いだ芽美にはゆくゆくは怪盗としてのリベンジを、なんて思ってたりする。まあ、思うだけだが。
「なるほど、金田一ですか……。私もそろそろ、その辺もチェックしてみてもいい頃ですね」
 こんなちっちゃい子が八つ墓村を乗り越え、乗りこなしているのだ。高校生にもなって負けている場合ではないのである。

 他の家族が帰ってきたことで主婦の映美は途端に忙しくなる。ミサエと遊んでいる暇はない。
 ミサエに対する恋のレッスンはおすすめの少女マンガというテキストを貸し出しての宿題にしておいた。ミサエのピュアさだと耐えられないかも知れないレベルのレディコミも混ぜてあるが、このくらいの試練は乗り越えてほしいところだ。
 そしてミサエもそろそろお帰りです――とはならなかった。ご飯の時間まで芽美の遊び相手を務めることになったのだ。
 せっかく探偵少女と怪盗の娘が揃ったのだから怪盗ルシファーごっこである。内容的には単なる鬼ごっこだった。最初は家の中でドタバタと遊んでいたが、ママに怒られたのでパパの付き添いでお外に出る。
 その頃にはミサエも芽美と遊んであげているという意識は捨て去っていた。どう考えてもミサエの方が遊ばれていたのである。家の中でも追いつめたと思ったのに壁に三角跳びで逃げられたりと手強かったが、外に出たらますます手が付けられなくなった。
 塀でも木でもするすると登る。木の枝から枝へ渡り歩く。一応電柱とか人の家の屋根とか、登っちゃいけないところもあるようだがそれにしても危なくないの、と思いはするが近くで見ているパパは何でもないようにニコニコと見守っているばかり。このくらいは日常茶飯事でもう心配すらしていないのだろう。
 と言うか、時々現れる滑空用の風船は何なのか。どこから出してどこに消えるのか。まるで手品、というかその実も単純に手品である。芽美はママからは怪盗らしい身軽さを、パパからは手品の才能を受け継いでいた。しかもこの歳から遊びに取り入れて鍛えているので末恐ろしい才能なのである。先ほど映美が『なんならあたししかできないようなトリックだって……あ、でも今はそんなの無いのか』などと意味深なことを言っていたのは、映美にしかできなかったようなトリックも今や芽美が体得していることを示唆していた。
 高い所に登ってそこから風船で飛ばれると走って追いかけてもまるで追いつかないし、飛ばれる前に先読みして動き出しても別方向に飛ばれるだけ。高い所に登られればミサエの詰みだ。かと言って地面にいても距離は離されるばかりでこれも詰み。常時詰みであった。
 これはもう捕まえようなんて考えた時点で負けなのだろう。ずっときゃははうふふと追いかけっこを楽しんだ方が得だった。
 しかしそれでも、ミサエとて運動不足なんてことはないが運動部員のようには鍛えられてはいない。体力はあっという間に尽きてお遊びから苦行になりつつあった。相手も幼稚園児で体力がそれほどでもないのがせめてもの救い。真っ白な灰になる寸前の消し炭くらいで許してもらえたのだった。

 へとへとになったミサエは、一旦羽丘家に帰るのすらちょっと待って欲しいくらいだったので、休憩がてらちょっとおしゃべりすることにした。歩いたり走ったりする体力とおしゃべりの体力は別である。
「芽美ちゃん、その風船なあに?どうやってるの?」
「マジックなの。タネはね、ヒミツなの!」
 とりあえず、手品だったということは言質がとれた。
「一応ね、体が上に浮かない程度の風船になってるんだよ。どこかに飛んで行っちゃうと危ないからね」
 パパさん情報はまあ、特に必要な情報ではなかった。が、気にはなる。
「その気になれば人を飛ばせたりするんですか」
「その気になればね。映美さんにアシスタントをしてもらう時なんかはお客さんの後ろの方から風船で飛んで登場したりするとウケがいいんだよ。もうあんまりマジックっぽくない演出なんだけど」
「でもさっきのはマジックっぽかったですけど」
 その言葉に反応するように、どこからともなく風船を出してみせる芽美。
「これならそうだろうけど、映美さんのはもっとシンプルだよ。こんな風に風船を出したり消したりはしないで、最初から風船を持って登場していてたんだ。最近は映美さんも風船を出したり消したりできるようにはなったけどね」
 パパがあらかじめマジックのタネを仕込んでおけばいいだけなのでそのくらいは簡単なのだが、何分そこまで大がかりなステージが減ってしまった。
 芽美がいるから仕方がないのだ。大きなステージといえば多くは遠くの都市ということになる。泊まりがけになってしまい、芽美を毎回連れて行くわけにはいかない。貴重なお休みに親の都合でおともだちと遊ぶ機会を奪い、あまつさえ出先のホテルでおるすばんなど不安だしかわいそうだ。だからといって会場に連れて行くにはいたずらっ子過ぎるのである。
 おうちでおるすばんなんて言うのは論外だ。一晩遠いところで芽美が一人きりなど不安と淋しさで心が壊れてしまうに決まっているのだ。――両親の。
 そこで大きな舞台の時はママは心を鬼にしてパパ一人を送り出し、パパといちゃいちゃできない分芽美といちゃいちゃする。そしてパパは心を無にして一人で出演し一人の夜を過ごすことになるのだ。
 そうなると、映美はアシスタントになれない。せっかく身につけた新技も出番が訪れなさそうだ。芽美が大きくなればまた映美がアシスタントをしても良さそうだが、むしろその頃には芽美も一緒にステージに立っていそうだ。その方が絶対に観客からの受けも良いだろうから。それに、両親も淋しくない。
「ちなみに、ママは浮かび上がって高度調節もできるような風船を使ってるよ」
「それって……それを利用して怪盗復帰したら凄いことになるんじゃ……」
「……そうならないように、この話は内緒でね」
 とは言うものの、映美だって言われずともその位のことには気付く。あの頃にこれが使えれば、などと思いを馳せたりはしていた。しかしだからと言ってこの期に及んで復帰しようなどとは思わない。あの頃に比べれば自分も相当おとなしくなった。それに合わせて体力もそれなりになっている。今からでは鍛え直しも必要だろう。更に失う物も増えすぎた。今更遊びで怪盗などやれない。
 それに芽美がいい感じで育ちつつある。密かに夢を託しつつ、自分の出る幕はもうないと判断しているのである。もちろんパパには内緒だ。
 そんな感じで、想定外に疲れる羽目になった一日だった。
 まあ、ミサエだって楽しかったのは確かだ。ただ借りたときはなんてことなかった漫画本の重みが殊の外堪えるようになってしまった。色々と重い感じで帰途につくミサエだった。

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