
Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』第12話 踏み込もう!乙女のプライベート
「ってなわけで、今回のルシファーには後ろにストーンがいる」
ルシファーには逃げられ、ストーンらしき連中にも逃げられ。いきなり核心に迫りつつも何の収穫もなく帰ってきた刑事たちは、せめて持ち帰った捜査情報をぶちまけた。その相手が民間人だろうが周りに無関係の客が居ようがお構いなしである。
「ええっ!?」
ミサエは驚き立ち上がり、そのまま固まった。飛鳥刑事は理解する。いかにも分かっている風にリアクションはしたものの何のことか分かってないな、と。空気を読んだか、深森探偵がさりげなく解説する。
「ローズマリーの背後にいて、選挙でいしいいわお候補を擁立しこの町の乗っ取りを企んだりもした連中でしたな」
いしいいわおはストーンと無関係の、ピエとろだかぴえトロだかいう洋菓子屋のオーナーだったはずである。あの紛らわしいおっさんには向こうにそんな気は一切無かったとはいえ一泡食わされた苦い思い出があった。しかし売っているお菓子はまろやかに甘い。
「その話、詳しく」
ケダモノめいた眼光で問いかける初代ルシファー。飛鳥刑事は「後でな」と言ってお茶を濁した。初代ルシファーは気を取り直して言う。
「ストーンってあたしに銃弾撃ち込んで乙女の体を傷物にしてくれた連中よね。面白いじゃないの、今度はそっちのルシファーにこっちから銃弾ぶち込んであげましょうよ」
先代ルシファーが無邪気な笑顔で邪気まみれの発言をした。先ほどのお菓子情報で灯った眼光も抜けきっていないのでなんか怖い。
「お前は悪魔か」
飛鳥刑事はちょっと引いたが、そりゃあルシファーなのだから悪魔であろう。気を取り直して、ミサエにストーンについてのさわりだけ話しておく。
「詳しい内情までは把握し切れていないが、盗品の売買や密輸入なんかをしている組織らしい。最近じゃ泥棒の仕事斡旋や育成まで手を出してるみたいだな」
「俺たちが乗り込んだ場所もクライミングクラブを装った泥棒養成所だったのかも知れねえな。あん時は下らないジョークでしかなかったがよ、本当にcriming clubだったとか笑えねえわ」
本当だったかどうかに関わらず笑えるほどのジョークでもないのはご愛嬌である。
「日本人に説明なしで言っても通じにくいだろ。アメリカ人とかに言っても俺たちの発音で通じるかどうか怪しいし」
そのくらい微妙な国際的問題だった。
さておき、ルシファーに逃げられた直後に戻ってみたクラブロックは、刑事たちが立ち塞がる崖に向き合っている間に血の付いたロープも、同種の他のロープ――いい品なのできっと高い――も、棚におかれた子供たちの私物だろうリュック類などもきれいさっぱり運び出されていた。
さらには翌日に訪れてみると中に残っていたはずの折りたたみテーブルなどもきれいに撤去された上、壁や床はカラフルなペンキで塗られていた。僅かに残った証拠などを塗り潰すつぶす目的が見え見えの乱雑で無秩序な塗り方である。サイケデリック過ぎて買い取ることになる不動産屋が頭を抱えそうだ。
即座に捜査ができればこんな証拠隠滅もされなかっただろうが、そこで事件があったわけでもないのだからそんな急に踏み込めはしない。近頃は警察だってあまり無茶な捜査はできないのだ。つまりその後の収穫は何もない。強いて言えばその見事な撤退ぶりがクロであった証明と言うくらい。刑事二人の見聞きしたものだけが今回得られた全てだった。
「ルシファーはあそこの兄ちゃんたちにマキとか呼ばれてたな。まあ、ストーン絡みじゃ呼び名なんて当てにならないが」
もちろん、石廊崎シャクナゲパークだのと呼ばれていた男たちの方もそれは同じである。
「一緒に崖登りの訓練していたちびっ子たちも恐らく逃げ切ったんだろうと思われる。まあ、あんな山で潜伏されたら、探そうと呼びかけられても隠れて出てこなけりゃやり過ごされるな」
もちろん、捜索は行っている。しかし捜索隊も存在がおおっぴらにされていない犯罪組織に関連した事案だとは知らされないまま、子供たちを捜索させられているのである。潜伏する犯人と言う扱いではなく、あくまで山に迷い込んだ子供と言う扱いであり、山で迷って死んでしまわないようにと言う配慮の方が強いのだ。
そして潜伏犯や意識を失っているかも知れない遭難者のつもりで草の根を分けて探すならともかく、「おーい」と呼べば「はーい」と返す迷子の前提で探しているのだから向こうが必死に息を潜めていればそうそう見つかるまい。息を潜めて隠れているなら下手に念入りに探される方が隙を見て逃げることもできず、そのまま衰弱して危険になりそうだ。
結局、クライミングクラブを調べて得られたものは多くない。それでもルシファーのバックにストーンがいるのが判っただけでも大きい。それによりルシファーへの今後の対応も大きく変わることになる。悪ふざけをする子供を捕まえて優しく更生させる方針から、犯罪組織の下っ端の扱いに。
まあ、それで具体的にどう変わるのかは刑事たちにもわからないのだが。
「これまでアイドル向けだったドッキリが芸人向けの奴に変わる、みたいな感じか」
「ああ、そういう感じかもな。お化けとかでびっくりさせるくらいの奴だったのが、パイをぶつけたり水に落とすような汚しドッキリや爆破や宙づりみたいな危ない奴になるのな」
佐々木刑事の言葉に頷く飛鳥刑事。そこにミサエが口を挟む。
「でも、この間のドレスの事件の時にはルシファーはもう池に落ちたりロープを切られて落っこちたりしてたようですけど」
銃で撃たれたり虫の死骸まみれになったりもしたのである。
「ありゃあ自爆だけどな」
一笑に付す佐々木刑事。池に落ちたのはルシファーの自爆だろうし、虫まみれも虫だらけのところに入った方が悪い。ルシファー以外に責任の所在を求めるにしても警察ではなくメンテナンスを怠っていた河津家になるだろう。そして、銃で撃ったのも血に塗れた包丁を持ち出しロープをぶった切ったのも警察ではなく民間人だった。
「まあああいうのをこっちが能動的に仕掛ける可能性も出てくるのかもな」
「うわ、ひどっ」
そうは言ってみたが実際の所、森中警視のような財力の化け物が自腹を切らないとできないことの方が多いのだが。パイバズーカーにせよ宙吊りトラップにせよ、準備するにも警察本部からは金など出ない。金の無さを人海戦術で何とかするにも、警官に罠を仕掛けるスキルなど期待できる人物はネズミ取りで慣らした交通課員くらいにしか居ないだろう。
「何にせよ、ストーンが関わっているとなるとプライベートに関する情報から辿って正体に行き着くのは絶望的だと思っていいな」
ストーンがらみでも例えばローズマリーなどは滞在先にアパートを借りたりして普通に生活していた。あれはあくまでもストーンから見れば取引相手、外部の人間だ。
一方ルシファーのケースだが、あの崖登りクラブにいた子供たちの息の揃った逃げっぷりから察するに、全員ストーンにより養成されている泥棒の卵などではなかろうか。泥棒の養成所に入れたがる親など、親も大泥棒ならともかく普通はいない。
ストーンという組織は元々隠れキリシタンの互助組織のようなものから始まったと推測されている。存在が許されぬ者たちが密かに存続するために、手段を選ばず金品を入手する。やがて明治維新を経てさらに時代は進み宗教の自由も認められたが、キリシタンでなくとも隠れ住む者はいつの時代にもいる。構成員はそういった人物に置き換わりながら戦中戦後の混乱の中でも暗躍し力を付けたのだ。
その構成員はこの国に存在しない。本人はそこにいても、記録の上では戸籍も何も存在しないのだ。ストーンの前身となった互助組織の構成員がそもそもが処刑されたはずなのに匿われるなどして生き延びていた本来居ないはずの人間の子孫、そこに逃亡犯などがスカウトされて非存在民の集団ができあがった。
現代においても生まれても出生届が出されていないなどの理由で戸籍を持たぬ者はいる。戸籍があっても誘拐されて誘拐犯の子として架空の名をもらい育てられたりして戸籍を辿れない者もいる。そういう子供を見つけて組織に組み込むことはできよう。崖登りの訓練を受けていたのは恐らくそういう子供たちだ。そしてルシファーもまた。
であれば、学校にも行っていないだろうし住所すらない。ストーン関係者以外の知り合いなどいないだろうから写真があったところで大して役にも立たない。そりゃ堂々と顔を晒して怪盗をやっていられるわけだ。
「そうなると俺たちにできるのは現場で捕まえるか、昨日みたいにばったり出会すのを期待するしかないってわけだ」
「まあその偶然の発生率を高める方法はあると思うけどな」
今回ルシファーと遭遇したのは『クラブロック』である。これまでもストーン関係は石や岩と関係した名称が使われているのを見かけた。そういう店などを覗けば当てもなく歩き回るより確率は上がる。
しかし、石だの岩だのが入っているからと言ってそれにストーンが関わっている可能性など1%あるかどうかというありふれた名前だ。だからこそ一般社会に紛れ込もうとこういうやり方を選んだのだろうから。
更に言えば分かりやすく石だの岩だのをそのまま使っているとも限らない。今回のクラブロックにいた石廊崎や石南花山などは漢字で書かれると分かりやすいが仮名で書かれてしまうと見落としてしまいそうだ。以前警察署に潜入していた石和など、字を伊沢に変えた上イサワと読む苗字をイザワと読み間違えているのを訂正せずに石和になりようもないイザワだと思わせていたのだ。まあこれは警察に潜入するから予防線を張ったと言うことだろうが、そうでなくても砂川などと言う人物もいたので部首だけでも疑うことになる。播磨とか不破などがいい例だ。
そんな膨大な候補の中からいくつか選んでその中にストーン関連の団体がある確率がただでさえ低い上、ルシファーが関わっている可能性などと言ったら。それでも今のところ思いつく手段がそのくらいなのだから仕方ない。
それならと、飛鳥刑事は前々からちょっと怪しいと目星をつけていたところを見てみることにした。
「羽丘さん。ちょっと我々に同行してほしいのですがね」
「に。任意同行なんでしょ?」
刑事にそう言われては元怪盗としてはちょっとドキドキなのである。
「もちろん。嫌なら断って結構」
無関係なのはわかっている。だが……何度聞いてもその名前は疑わしいにもほどがあるのだ。そもそも店名だって石という意味があったはず。これでなぜストーンと関係ないんだ、いしいいわおの『ピエとろ』は。本当に関係ないのか、何度だって確認せずにはいられない。さっきちょこっと話に出て思い出してしまったのが運の尽きである。それに、他に調べるところを決めるにも電話帳でも睨みながらじっくり精査しないといけないだろう。その時にきっと必要になるはずだ。――茶菓子が。
「連れて行きなさい!嫌とは言わせないわ、断じて!」
行きたそうだったしついでに連れて行くのも吝かではない。その程度の気持ちで声を掛けた初代ルシファーが猛烈に食いついた。そして刑事たちを引きずるように連れ出したのである。
刑事と探偵事務所事務員が去り、中年と少女の探偵が残された。
「別について行ってもよかったんですよ」
深森探偵がここに残ったのは言うまでもなくマンガ執筆のためである。ミサエはそれについては何の力にもなれない。たった二人で会議を続ける意味もない。ここに残る意味は確かにないのだった。
「そう言っても、お金ないですし」
「おごらせればいいのですよ」
「その手もありますけど、悪いですもん。なんか後も怖いし」
「佐々木刑事などは体で払えとか言いそうですからな」
さすがに未成年相手ならそんなことは言わないが、大人ならデート一回くらいの借りにされるのは普通にあり得る。そしてさらに容赦ないのが飛鳥刑事だ。未成年でも借りなど作れば余裕でこき使う。ミサエ相手なら大貴のおもり兼小百合の茶飲み相手を申しつけるだろうか。いや、そんなことより手伝わせるのにふさわしい面倒な仕事がこの後待っている。石などの含まれる名前を探すという仕事が。まあこれは借りなどなくてもルシファーを追う同志として動員されるか。
「それにしても、今時マンガを読んだこともないとは……」
深森探偵がぼやいたのはミサエについてである。マンガを描く手伝いをさせようと話を聞いている時にその驚愕の事実を聞かされた。絵も描けないのはもちろん、マンガのセオリーもよくわかっていないのでネームすら手伝えない。シナリオも方向性についての意見を述べる程度。
「文学少女だったんですよぅ……。最近はマンガも読んでいいって言われてちょっと読み始めてますけど」
今時珍しい厳しい家庭なのだろう。いや、あるいは変なマンガなど読ませると影響を受けて変なコスプレをしたがるのを危惧したとか言うのもありうる。だって、今でさえ。
「まあ、これまでにどんな本を読んできていたかはその服装を見れば想像できますな」
今日もいつも通りの世間で浮きまくるホームズコスプレである。しかしこの店では少女探偵ミカエルのコスプレだと思われてむしろ馴染むのである。コスプレもなにも、そのモデルがミサエなので本人と言ってもいいのだが。
「えへ。ですよね」
「やはりご両親の影響ですかな?」
何がかは明言しない深森探偵。一応探偵好きについて聞いている。そして、ミサエも話の流れから読んできた本、つまり探偵ものについてかなとは思っていた。
「え、えーと。まあそんなところ……かな?」
これで深森探偵がコスプレ好きについて聞いていたのだとしたら……まあ変な想像はされても別に会うこともなさそうなミサエの両親について誤解されるくらいで大した影響はないか。
「ぜひとも探偵好きなご両親にご挨拶したいところですな」
コスプレ好きなら会う気はないが、探偵好きなら話は別なのだ。
「え。いやその……。パパはどちらかと言うとルパン派でして」
「そうなのですか。……それはそれでその泥棒に魅入られた根性を改めさせるべく対決が必要な気がしますが」
「いやいや。そんな泥棒大好きってほどじゃないですから」
まあ、ルパンの作品が好きでも泥棒が好きという事ではないだろう。
「まあ確かに、"どちらかと言うと"でしたな。そもそも年頃の乙女の家に初老のオッサンが乗り込むのは問題ありますし」
一応そういう常識も頭にはあったようで何よりだ。
「本当ですよ……」
「もしも乗り込むことになったら最初に言うべきは『娘さんを私にください』ですかな」
ほっとしたのも束の間。ヤバいことを言い出す深森探偵。
「うえっ!?」
「もちろんうちの事務所へのスカウトですがね。ま、冗談きつすぎて殴られるでしょうな」
「下手したら殺されても文句言えませんよ?」
本気でなさそうな軽い言い方なのが救いだが、だから本気でないという保証はない。このオッサンは危ないオッサンなのだ。
「まあ、狙っていると言うのは本当なのですが。望むのならば探偵見習いとしてすぐに採用しますぞ」
「う。うーん。考えておきます」
「ふむ、流石に即決二つ返事とはいきませんか。まあ普段の業務は浮気調査や素行調査ですからな、乙女ならちょっと躊躇するのもやむなしでしょう。せめて高校生の間にいろいろ済ませてしまえばもっと気軽にこの道に入れるのでしょうが」
「い、色々ってなんです」
「中年男が純真な女子高生にいうのは憚られるような色々ですが、聞きたいですか?まあ、万一イエスと答えてもここではさすがに無理ですが。あと本気で聞きたいなら佐々木刑事にでも」
「あ、いえ。ご遠慮させていただきます。あと佐々木刑事にこんな話させたら実技指導入りそうで怖いです」
佐々木刑事のイメージの悪さが酷かった。そして、本人がいれば修正するだろうがここに本人はいないので、ずっとこのままだろう。
佐々木刑事もあと5年も経ってミサエが大人になれば話は変わるのだろうが別に今のミサエにどう思われても知ったこっちゃないし、そもそも当人がここにおらずこのやり取りも知ることはない。今はミサエが探偵の道を歩むのに乗り越えねばならない、とまでは言わないが乗り越えておいた方が精神衛生的に良さそうな件についてだ。
「まあごもっともですな。しかし、文学少女なら恋愛小説みたいなものも読んだりは?」
「いえ、あんまり……」
「本当に探偵一筋なんですな」
ちなみに探偵ものなら何でも読むわけでもなく、ホームズや少年探偵団は読んだがそれ以外の江戸川乱歩や金田一耕助あたりは昔軽く流し読みした程度らしい。まあ、あのあたりは子供には怖すぎるので無理もない。もうそろそろ耐性もついてる頃だろうが、最初に読んだときのトラウマ具合によっては読み返す気が起こらないだろう。
「恋愛らしいものに触れる最初の機会が浮気調査なんてのはさすがに悲しすぎるのでその辺の問題はクリアしておくことですね。まあ、探偵に入れ込みすぎの変な子だからモテやしないでしょうが」
「余計なお世話です」
図星らしい。
「どぅふふふふふ、話は聞かせてもらいましたよ。ここは女の子同士、じっくり話し合おうではないですか」
背後にちんちくりんウェイトレスが忍び寄っていた。ちんちくりんなおかげで見た目は女の子だが、女の子と呼んでいい年齢かがそもそも怪しい上にこいつは性欲と好みがオッサンだ。
「どうぞおかまいなく……っていうか暇なんですか」
まあ、暇なのだろう。この店は客席が埋まっていてもその大部分が注文もせず長居する客だ。飲み物の追加注文なら向こうから声をかけるし、それまではウェイトレスに用はない。これで儲かっているのは同人誌の売り上げのおかげでもあり、この長居している客が生み出している金なので文句もないのだ。
「見りゃわかるでしょうに。見たところそっちも退屈そうじゃないですかあ。原稿の邪魔するくらいならあたしとお話ししましょうよう。なにせこちとら!ダーリンとのむふふな日々を過ごしている最中でありますからして!」
「あ。それはちょっと興味あるかも……」
そんなわけでミサエと恩納月ウェイトレスがおしゃべりを始めて深森探偵は現行に集中できるように……なったかというとそうでもなかった。何せ、その話はもはや惚気話の範疇に収まっていない、色々はみ出したりむき出したり丸出しだったりするどぎついガールズトークであったのだ。
いや、見た目はガールでも中身はオッサン、ならばガールズトークと呼ぶのはおこがましい。ただの猥談と断じて良いだろう。そもそも人前しかも殿方の前で裸婦像を広げて興奮する姿を平気で晒していたわけで、この女は基本的に羞恥心というものが欠如しているらしい。
「何を言うんすか。あたしだってベッドの上では『こんなの恥ずかしい!』とか言いまくりで……」
「私は何も言ってはおりませんな。人の心の声に反応して下品な話を始めないでいただけますかな」
「聞いてる方が恥ずかしいんですけど」
興味を持ったのが運の尽きのミサエである。
幸い、事態に気付いたマスターがウェイトレスを担いで拉致していったので事態は収束した。
「何でこんな話になったんでしたっけ」
猥談のせいで記憶が飛んだようだ。
「探偵になるなら探偵として目撃してしまいそうなことは予め経験しておけ。そんな話をしていたところでしたな」
「そうでした」
疑似体験的なものはできたが、予備知識がないのでイマジネーションが暴走していそうで心配だった。
「で、経験するにも相手の当てと言うか、狙ってる男子はいないのですか」
「いませんね……」
「なんと寂しい人生。オッサンとちびっ子しかいない現場で女怪盗など追い回している暇があるなら追いかける男を探す方が先決なのでは」
その現場に居合わせている二十代も多いだろうモブ警官のみなさんは存在を忘れられているが仕方ない。何せモブなのだから。彼らは永劫モブであり続けてもらいたい。何せそれでモブじゃなくなるという事は景観でありながら未成年者と恋愛状態になるという事であり、警察官の風上にも隅にも置けない奴に成り果てる。償うために爆死しろと言う所であるぞこのリア充め。と言うかそれは、警察官じゃなくてもダメな奴であった。
「余計なお世話です」
「もしかして男より女の方が好きとか。すなわちあのウェイトレスの同類」
「それは違います」
食い気味にツッコむミサエ。
「ちょっと。あたしだって普通に男が好きなんすけど」
奥の方から何か聞こえた。彼女が裸婦像にハマるきっかけは自分の貧相な体と比べてまったく羨ましい、自分もこうなりたいという憧憬と自己投影だった。こんな体で男にモテモテの自分を妄想するのが好きだったのだ。ちなみに、普通に男が好きなのではなく普通の男も好き、と言うのが正しい。若い娘は(羨ましいという意味で)いいのう、などと思っているうちにカッコの部分が薄れて普通に女体好きになっていた。女の子に良からぬことをしたいという欲望はある。そういうところは普通じゃないが、それを自分が女の子にされたいとは思わないのである。冴えない自分が美少女にそれをされると屈辱感が勝ちそうであり、そこはやっぱり男がいいのだ。
とまあ、多少長くても一段落で片付ける程度に割とどうでもよかった。ミサエの話に戻ろう。
「単純にいい男が身近にいないだけです。そのうち怪盗より追いかけたいと思うカッコいい男の子が現れると思いますよ」
「ふっ。甘い甘い。自ら動きまくっても恋人なんてそうそうできるものでもないのに、現れるのを待つ?青春時代どころか結婚適齢期すら過ぎ去りますな!普通の女の子ならともかく、ちょっと変わった趣味を隠しもせずに歩いている変わり者など!」
どうでもいいが、この言葉は店内に満ち溢れるマンガ好きの大人、まだ世間的に厳しい目で見られていたオタクというマイノリティに突き刺さりまくっていた。
「じゃあ、どうすればいいんですかぁ」
ちょっとふくれっ面でミサエが問う。
「部活動でも始めてみてはどうです。自分の学校にまだまだ出会いがあると思えるならその部活動で出会いがあるでしょうし、もう自分の学校の男は漁り尽くして可能性がなくても、他校と交流の機会があるような部活なら新たな出会いが期待できます」
案外まともな答えであった。しかし気になる点はある。
「私って学校中の男を漁り尽くしたと思われてるんですか……?」
「喩えです。まあ、難しくもないと思いますよ?どんなに好みのレベルが低くても見た目が好みの男なんて学校中を見まわしたところで50人はいないでしょう?性格とかでさらに半分に、略奪愛どんとこいとか言わないなら彼女持ちも除外でさらに半分くらいになる。十分総当たりをかけて玉砕できる人数だと思いませんか」
「私って十数人に告白して全滅する程度なんですか」
「つき合ってみたら理想と違ってこっちから切るということもあるでしょう」
「ああ、それは確かに。でも、もうちょっとくらいは男運はあると思いたいんですけど」
それはともかく。状況を変えないと男をゲットなどという変化はそうそう起こらないのだ。
「どっちにせよ、今のところ彼氏がほしいとか、ありませんから」
「そうですか。まあどちらにせよ私が口出しするこっちゃないですな」
そんな話をそこそこ大きな声でしたせいで、周りの人たち特にマスターの記憶に<少女探偵は男に興味なし>という情報が刻まれ、少女探偵ミカエルが百合路線に向きかけることになる。まあそんなことはミサエが許容しないのだが。
「学校と言えば。ミサエくんはどこの学校に通っているのですかな?」
「内緒です。教えたら学校に押し掛けそうですもん」
「実は制服から星峰学園だろうと推測してこっそり待ち伏せとかしてみたんですが悉く空振りでして」
「ちょ。もう押し掛けてた!やめてくださいよ!まあ、その学校はハズレですけどっ」
「ふむう。そうでしょうな、奥の手として学校に問い合わせてみましたが、そんな生徒はいないと明言されましたし」
この頃はまだ個人情報などに大した使い道はなく、こういう情報がぽろっと引き出せた時代であった。これによっていろいろ犯罪が起こり始めていた時期でもあるのだが。
「私のことよりルシファーのこと調べてくださいよ……」
「ルシファーのことを調べようと思っても手がかりが無さすぎて二進も三進もいかんのです。現状は普段の仕事も断ってますし……する事がない」
「原稿書けばいいんじゃ?」
「全くもってその通りですな」
あまり変な風に描かれたくないからと渋々協力していたマンガ制作だが、もう少し積極的に協力しようと決意するミサエであった。
「ミサエちゃーん。ごめんねー、変なおじさんと二人きりにしちゃって」
洋菓子の袋を手に初代ルシファーたちが戻ってきた。
「こら。雇い主になんてことを。むしろ変なの同士で濃密な会話ができたと思ってますがね」
変なおじさんであることを否定する気はないようである。
「うすーい世間話だったと思いますけど。せっかくなら探偵談義とかしたかったなぁ」
こちらも変なの同士だったことを否定する気はなかった。
「そういう話はうち所属の探偵になってからいくらでもできるでしょうに」
「あら。うちの事務所の探偵になるの?」
「それなんですよねえ。私の憧れはどんな事件もズバッと解決する名探偵!っていう感じで、どんな浮気もこっそり目撃!っていう探偵じゃないんですよねえ」
そんなミサエに警察官たちからのアドバイスが。
「日本じゃ刑事事件の捜査に民間の探偵は入り込めないからな。それなら刑事を目指した方がいい」
「ただ警察官になるだけだと交番勤務とかに回されるから、事件解決に関わりたかったらそれなりのエリートを目指しておかないとな。エリートすぎてキャリアまで行っちまうとあっという間に現場に立たないくらいに偉くなっちまうがよ」
「……幸いその心配はないだろうがね。言っちゃあ悪いけど」
キャリアになれるほど優秀ではない、そういうことである。ミサエの本当の知力も知らないくせに本当に失礼な物言いだった。まあ、生憎間違っていない。それだけに本当に言っちゃあ悪かった。
「刑事は刑事でなんか違うというか。まあ、進路を決めるのはもうちょっと先だからゆっくり考えます」
「探偵の話をしてないなら何の話をしていたの」
刑事たちのターンが終わり初代ルシファーのターンになった。
「それがですね……恋の話なんです、恐ろしいことに」
「うぇっ!?」
度肝を抜かれる初代ルシファーにミサエはまだ恋をしていない話をしていたこととそういう話になった経緯を話した。
「イヤねえ、ミサエちゃんたら。恋の話なら女同士ですべきだわ。たとえば家族だからってパパに好きな人の話なんてすると『どんな奴かは分からんがとにかく別れろ』とか言い出して揉めるし、幼なじみの男の子に恋の相談をしたら実は密かに自分に思いを寄せててものすごく可哀想なことになったりなんてのは定番でしょ」
「はあ」
ピンと来ていない様子のミサエに深森探偵は言う。
「……探偵もの以外の、普通の女の子が好むような本をもっと読んでいれば理解できるんでしょうな」
「ううう。そうなんでしょうね」
「その気もないのに男の子にそんな話をしても誘ってるように思われるのがオチよ。いかにも経験豊富そうだからって佐々木刑事みたいのに相談して実技指導までされたくないでしょ」
その問いかけに頷きながら答えたのは深森探偵だ。
「まさに先ほどそんなことを言ってましたな」
「いや待て。俺ってそんなキャラだと思われてんの」
「そりゃ、まあ」
「そうよね」
「さもありなん」
「違うのか」
女二人どころかほかの男二人も即答である。これには佐々木刑事も黙ってはいられない。
「俺だって倫理的に手を出しちゃダメな相手には手は出さんよ?向こうも遊び感覚で付き合ってくれる軽い奴だけよ?」
「お前はそろそろ本気で付き合える奴を探して身を固めろ」
付き合う相手を探さないとならない人物がここにもいたようである。
「まあそっちはそっちでやっといて。ミサエちゃんは恋の話をしましょうね。こんなところじゃアレだし、あたしのおうちにおいでなさいな」
「え」
ちょっと戸惑うミサエである。
「ここで出来ないような惚気話でもする気ですかな?」
そういう話は先程恩納月ウェイトレスにねっとりと聞かされていることを知る深森探偵が口出しした。深森探偵は知らないが、羽丘夫妻は今から十年経っても未だラブラブ。今も当然ラブラブであり惚気話になるに決まっていた。その推測は大当たりなのである。
「うぇっ?ここで出来ないほどの話があるんですか!?」
「お望みならしてあげてもいいんだけど?」
ものすごい話をされそうな風情ではあるが、実の所先程の破廉恥ウェイトレスの猥談を越える話は流石に出来ないのが現実である。子持ちの人妻だけに経験は十分だが、人並みの羞恥心は持ち合わせているのがウェイトレスとの違いである。
「え、遠慮しておきます……」
そのウェイトレスの猥談で、ミサエには免疫が出来ていた。そういう話に強くなる免疫ではなく、そういう話に抵抗して遠ざけたくなる免疫が。
「それじゃまあ、生々しい話は抜きで。あたしの初恋からダーリンとの出会いまで話したげるわ。もちろんこのおいしいおやつと一緒にね」
「お邪魔させていただきますっ」
ミサエが恋の話に惹かれたのか、おやつに釣られたのかは本人しか知る由もないのであった。
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