
Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』第8話 怪盗ハンティング
予告の夜は過ぎ去った。盗まれたものはあるが予告されたものは守りきり、痛み分けといったところか。もっとも警察としては怪盗ルシファー二号を逮捕するのが勝利条件なので、何一つ盗まれずに追い返したところで勝ったとは言えない。
ルシファーの方の事情はわからない。予告通りのものを盗めなかったのが失敗に当たるのか、盗めれば何でもいいのか、そもそも騒がせた時点で満足なのか。
「ルシファーを名乗るならもっとちゃんとして欲しいわね。なによ、あの体たらくは。あたしが直々に稽古付けてあげようかしら」
少なくともこちらのルシファーはこの結果に不満であるようだ。どっちの味方なのやらである。二代目を名乗るルシファーも、初代から認めてもらえないと二代目と呼びにくい。目下、二号か量産型かで議論中である。どうでもいいので保留だが。
「二代目を名乗るへっぽこを退治して俺たちのところに連れてくる方向性で頼みたいね」
佐々木刑事はそういいながらブラックのコーヒーをぐいと飲む。佐々木刑事がブラックのコーヒーを飲むのは、もちろんカッコつけるためである。今この場所にはレディが二人いるのだからますますだ。もう一人が少し離れたところにいるにはいるが、それは除外である。
「教育に悪いから庸二のところはやめとけ」
飛鳥刑事はそういうと飲み終わったのに顔の前に掲げていたコーヒーカップをようやく置いた。飛鳥刑事もブラックコーヒーだが、ブラックで飲んでいる理由は面倒だからである。
砂糖とミルクをたっぷりいれたレディたちはようやく飲み始めた。少し機嫌の悪そうな元祖ルシファーの横でミサエが少し居心地悪そうである。しかし、ミサエの居心地が悪いのはそのせいだけでもないだろう。
正直、この喫茶店が居心地いいと思っている者はこのグループにはいない。店主が顔見知りでなければ絶対に来ないような店である。そして、今後もよほどのことがない限り来たい店でもない……のだが、この静けさは会議には悪くない。喫茶店として開店したばかりというのもあるが、今後もあまりはやらないのではないか。であれば、ここで会議というのが定番化しそうで怖い。
ミサエにとって、ここの居心地の悪さは格別だ。まず、他の客がいないのをいいことにウェイトレスがギラついた目で見つめてくるのだ。そして、壁に飾られた額の中に自分がいる。それについては全員同じ条件だが、それを一番気にしているのはミサエである。
怪盗の出た店・アトリエ喫茶ジョニー。ウェイトレスは恩納月女史である。制作だけでは大して伸びなかった売り上げをテコ入れすべく、そして女子の絵を描くのが好きなリージェント画伯と意気投合し店に入り浸るようになった女子の絵を見るのが好きな恩納月女史だが生産性皆無のニートだったのを働かせるべく、ギャラリー喫茶としてリニューアルオープンしたのだ。
壁には有名アニメのイラストが並んでいる。版権の問題が怖いので数は少ない。リージェント画伯がかつてアシスタントを務めていたという漫画家からは許可が出ており、その作品は多めになっているがこのメンバーに知っている人はいなかった。刑事二人と探偵のおっさんトリオが少女漫画のキャラを知っている訳がないのはもちろん、大貴ももちろん知らなかった。現役少女のミサエと元少女の初代ルシファーは可能性があったが、世代的には二人の中間くらいだったようで知らなかった。ミサエに至ってはあんまり漫画に詳しくないようである。
漫画好きでもないこの面々にはこの店の雰囲気は異空間そのものなのだが、居辛さに追い打ちをかけるようなイラストが何枚もある。権利の問題もあれば絵柄の違いでどうしてもパチモン感が出てくる版権イラストを避けたオリジナルイラスト。
この店には一つ強みがある。怪盗ルシファーが出現した店という事である。リージェント画伯はばっちりその姿を目撃し、似顔絵まで書いている。その似顔絵は捜査にも役に立つだろうが、リージェント画伯はそんなことのためにその似顔絵を描いたわけではない。私利私欲のため、そして趣味のためである。その似顔絵を元にキャラクター化し、この店のマスコットキャラにしたのだ。
それに際し、刑事や探偵サイドの面々もキャラクター化されイラストになっている。オッサン衆はどうでもいいので好きにしろと許可。ミサエも一人だけ反対しづらかったのでオッサンたちに流されてしまったが、今は後悔の真っただ中である。
飛鳥刑事や深森探偵などは誰これと言いたくなるようないぶし銀の劇画調ダンディになっていたし、もともと男前の佐々木刑事は少女漫画に出てくるような色男に描かれている。大貴に至っては中学生くらいになっていた。怪盗少女と美少女探偵が取り合いをしそうな美少年だ。心から誰なのだろうか。
男衆でもこれだけ美化されているのだ。そして描いているのは美少女を描くのが好きな男。あの夜ルシファー本人がライバル認定したミサエなどは、超絶美化されてダブルヒロインそのものの大きな扱いでイラストの中心に踏ん反り返っている。本人としては恥ずかしくて縮こまらざるを得ないのだった。
なお、初代ルシファーは何せ初代ルシファーなので配慮されたか人間としては登場していない。女神様の像としての出演である。もっとも、あの夜の出来事をそのまんまを描いているだけとも言える。石像めいた雰囲気ながら自分のヌードを、平然とした顔で見ていられる大人の余裕を、見習いたいともああなったら終わりかもとも思うミサエである。
そんなイラストを未だに気にしているのはミサエくらいのもの。大人たちは今日の本題について語り合う。二代目怪盗ルシファーからの新たな予告状である。
『今週土曜の夜、睡蓮通りの河津邸よりルーヴィッヒ王国プリンセスのドレスをいただきます。怪盗ルシファー』
「で、みもっさん。そのルートヴィッヒ云々については調べてくれたんすかね」
「ルーヴィッヒ、ですな。東欧の小国で人口は……」
「ああ、地理のお勉強はいいんで。プリンセスのドレスとプリンセスについて分かればいいっす」
「と言うか、その河津さんがそのドレスを持っているかですな」
佐々木刑事の発言を飛鳥刑事が修正した。細かい話は持ち主に直接聞けばよいし、深森探偵も最初の調査でそこまでは調べていないだろう。
「確認は取れていますぞ。面談のアポイントも取れているので早速案内しましょう」
睡蓮通りは中心街から放射状に伸びる花通りもしくはフラワーストリートと呼ばれる通りの一筋である。最終的に海沿いを通っていくので景観もよく高級住宅街となっていた。ここ最近は暴走車両の騒音に悩まされがちだったが先日の選挙で深森候補がそういった手合いを一掃したので今は静かである。若者でもないのに深森候補を支持していた市民が多いのもこの辺りだ。
そして、河津邸はプリンセスのドレスを所有しているだけあって豪邸である。応接間の壁には鹿の頭が飾られているのもいかにも金持ちの家っぽい。飛鳥刑事は新米時代にも今のように怪盗を追ってこのような豪邸にたびたび出入りした。そんな金持ちだらけの街でボロアパート暮らししながら頑張っている自分との格差に対抗心を燃やし、豪邸とまでは言えずとも立派なマイホームを持つに至った。そしてようやく、自分は自分余所は余所と思えるようになったのである。刑事の給与じゃこれが限度と悟ったとも言える。
ここに飛鳥・佐々木の刑事コンビについてきた探偵チームは深森探偵とミサエだけだ。主婦のルシファーは夕食の支度で離脱。大貴にはまだ予告のことも教えていない。何しろ前回の予告はいろいろアレにもほどがあった。教育によろしくないのでいろいろ安全を確認してから教えてもいいか決定しようと思っている。
刑事と探偵を迎え入れたのはマダムというものを体現したような典型的なマダムであった。来客があるから気合いを入れたのかそれとも普段からこうなのか、煌びやかな服に細い身を包んでいる。ややきつい顔立ちだが品はよい。さすがに佐々木刑事の守備範囲からは外れているようだがもう少し若ければロックオンされてもおかしくはなかっただろう。お茶を運んできた家政婦には反応を示したようだが。
「わたくし河津登美子ともうします。夕方には主人の芳雄も戻りますわ」
飛鳥刑事たちが名乗るとマダムも名乗った。
「そちらは?」
「家政婦のカナエさんですわ」
佐々木刑事が家政婦の名前を聞いているのは気にせず本題を切り出す。
「すでに深森探偵に概要は聞いていると思います。それで、ドレスについてどのような物なのかお伺いしたいのですが」
話を聞いているうちに、飛鳥刑事は自分の思い違いを知ることになる。好事家として余りまくった金でオークションなどを通じて手に入れた品だろうと思っていたのだが、そうではなかった。
ルーヴィッヒ王国は東欧の小国で、世界地図ではその国のあたりに番号が書いてあり欄外のリストに国名と首都名が書かれるような国だ。九州くらいの面積に四国くらいの人口で歴史はそこそこあるが、ぶっちゃけ言ってしまえば占領する魅力もない土地なので大国から見向きもされないまま国が続いているようなものである。
この国にも大学くらいはあるのだが、エリートはみな他国の一流大学に行く。このドレスの持ち主だったプリンセスもまた同じであった。河津夫人も海外の大学に通っていたが、そこで知り合う事となったのである。
ルーヴィッヒ王女・メリーことメルロワーゼ=フォン=エル=カナドバロズワゼリク=ド=ルーヴィッヒ。プリンセスと言うに相応しい高貴さ――そんなものとは無縁のフランクな人物であったという。二人ともたどたどしい英語で周囲のネイティブ勢になかなか溶け込めなかったことで意気投合。最初の半年くらいはプリンセスを名乗る彼女に対し、面白い冗談を言う能天気な女の子だと適当に取り合っていたのだった。祖国で誕生日パーティをすると言うので旅行気分でついて行ったら、宮殿でティアラを頭に載せていかにも偉そうな紳士たちに敬礼されまくる彼女を見てようやくジョークじゃなくて本当だったと気付いたほどだ。
大学卒業後もそんなプリンセスとの交流は続き、やがて河津夫人が河津夫人となる日が訪れる。今は出かけている旦那と結婚し、独身でも旧姓でもなくなるその日が。その時、プリンセスから一つの提案があったのだ。ウェディングドレスとして、かつて自分が宮殿で身に着けていたドレスを着てはどうかと。平たく言えばおさがりである。
河津夫人はこの世代の女性にしてはすらっと背が高いが、それはあくまで日本人基準で見ればである。しかもこの世代――経済も平均身長も伸びていた戦後の日本、その途上。欧米人から見れば子供のようなものである。お下がりされたのももうどう逆立ちしても着ることができない子供時代のドレスであった。現在ルーヴィッヒ王国は彼女の兄が王位を継承しており、王には3人の息子がいる。プリンセスのドレスは出番なしで、おさがりする先もないのだ。それならば友人のウェディングドレスとしてでも使ってもらえるならこの上ない。
つまり、件のドレスはプリンセスのドレスであると同時に、河津夫人のウェディングドレスでもあるのだ。価値ももちろんだが思い出の品でもある。そんなものを狙うとはなんたる卑劣か。
「ウェディングドレスってことはそんなに攻めたデザインでもなさそうだな……。拝見させていただいてもよろしいですかね」
プリンセスが河津夫人と同世代だと判明したことで一気に興味を無くした佐々木刑事が問いかけると婦人は立ち上がった。
やがてドレスが応接室に現れ、同時に部屋を満たす香しき匂い。ドレスが纏うパラジクロロベンゼンのそれであった。仕舞い込まれ、本来なら出す予定もなかったのだろうから致し方ないことだが、そこからは防虫対策はばっちりであることが窺い知れる。防犯対策も斯くありたいものである。
虫を退け意識を吸い込む防虫剤から意識を切り離し、ドレスを観察する。小さな国でも王族が身に着けていたというだけあって、肌理細やかなシルクのデザインも年代を越え洗練されたドレスである。こんなドレスを身に着けたお嬢さんが現れたら顔を見ずともメロメロになりそうだ。
「なるほど、これは見事な逸品でございますな」
その価値が本当に解るのかは疑わしいが、深森探偵がそう言うとなんか本当にそうなんだろうなあと思える。貫禄だけは大したものなのである。
標的とされたドレスは確認できた。邸宅の間取りを確認していると亭主も帰ってきた。河津芳雄氏は長らく外交官を務めていたが定年退職したばかり。それを機に別荘として買っておいたこの邸宅に移り住み余生を過ごしている。昼間は様々な社会活動を行うアクティブな御仁であった。
ひとまず、怪盗は予告の日までは動かないと思われる。それでも念のために屋敷の庭に警官を配置する旨を伝えたのち、今日の所は撤収となった。
刑事と探偵だけになった、移動の車内。
「どう思う、庸二」
ハンドルを握る飛鳥刑事が助手席の佐々木刑事にこれだけ問いかけた。
「わからねえな、ルシファーの意図って奴がよ」
「意図、ですか?」
ミサエが後部座席から不思議そうに問う。ミサエには佐々木刑事の意図も判らないようである。一方、深森探偵は察していた。しかし、黙して語ろうとはしない。
「とにかく、どうやって守るかが悩みどころではあるな。これまでは結構偽物に引っかかってくれたが、流石にあんなドレスの偽物はおいそれと用意はできねぇ。みもっさん、お裁縫はできますか」
「継ぎ当てくらいならどうにかなりますが、服を縫うのはちょっと無理ですな。ましてドレスなど……。まだ羽丘さんに聞いた方が望みがあるでしょう、何せ主婦ですし」
ドレスを縫える主婦と言うのがどれほどいるのかもわからないのだが。ちなみに、飛鳥刑事も佐々木刑事も初代ルシファーから自己紹介はされていない。散々顔を合わせていたので今更であるが、名前は知らないままだった。ましてその後姓も変わっているわけで、羽丘さんと言うのが誰なのかピンとくるのに暫く掛かったのであった。
「ぬっふっふ、それには私に腹案があるんですよ!」
ミサエが不敵に笑った。前の座席にいる二人には見えていないが、まあ声や言動でわかる。
「ドレスは着る物です。そして一番盗りにくい状態もまた着ている状態だと思いませんか!?私が着ていればガードはばっちりでしょう!」
名案だと言わんばかりのドヤ顔を決めるミサエであるが、大人たちの反応は芳しくなかった。
「ドレスごと連れて行かれて脱がされるだけだと思うぞ」
飛鳥刑事が平坦に言うと。
「連れて行かれて誰もいない所で脱がされるならまだしも、俺たちがいるところで裸に剥かれて転がされるかもしれねえ。その覚悟はできてるのか」
諭すように佐々木刑事も言う。すると、深森探偵は一言「なるほど」とつぶやき、思考の海に沈んでいく。そして、導き出した答えと言うウニを手に、じぇじぇじぇと思考の水面から顔を上げた。
「これまで、裸ばかりを狙っていたルシファーが、服を狙う意図が見えてきましたぞ。思えば先日の唐突のあの発言もまた、今回に繋がる伏線だった……」
さも謎を解いた名探偵のように――まあ探偵なのだが――深森探偵はおもむろに話し始めた。
「覚えていますか、先日ルシファーが突然ミサエくんをライバル認定したことを」
「ああ、なんかあったっすね」
女性の発言は忘れない佐々木刑事でもうろ覚えである。二代目ルシファーもミサエも佐々木刑事の女性の定義からは若すぎるせいもあるが、それにしてもこのざまだ。況や飛鳥刑事においてをや。
「あの発言でライバル認定された以上、ミサエくんとしては次の事件も出てくるしかない。今更引いては男であれば男が廃ると言うところ、別に女の子であってもプライドについては同じですからな。こうしてミサエくんを引きずり出したうえで次のターゲットはドレスです、と。そうなればミサエくんとしては自ら身に着けてドレスを守ろうと考えるのは十分想定できます」
「確かに。そうでなくても女の子なら着てみたいと思うでしょうし、いい口実ですな」
現に、ミサエは開口一番それを提案したのだ。
「しかし、そこまでもルシファーの思惑通りであったのならばどうですかな?つまり――ルシファーの真の狙い、それはドレスをミサエくんに着せたうえでドレスごとミサエくんを掻っ攫い、ドレスを頂くふりをして本当はミサエくんの肉体を堪能――いけませんな、直接的な脱がすとか言う表現をぼやかすつもりでしたが余計よろしくない感じになってしまいました。まあとにかく、本当の目的は今回もやっぱり裸だったのですよ!」
見得を切る深森探偵だが、この沈黙はツッコミ待ちなのだろうか?だがしかし、アホらしい推理だがしっくり来てしまうのもまた事実。否定してしまうのは違うと思えるし、むしろ納得できてしまうのが悲しい。
そんなわけで、ミサエの提案はボツになったのである。
「そ、そんな……」
よっぽどドレスを着たかったのだろう、ガックリと項垂れるミサエであったが、佐々木刑事が「河野さんがオッケーって言ったら着せてもらえ、な?」と宥めて事なきを得た。
では、どのような方針で行くのか。それはまあ、予告の日までに追々考えていくことにする。
今日は邸宅の構造などの情報収集。どこに置いておくと守りやすいか、侵入経路にされそうな場所はあるかなどを調べる。事務員バイトのルシファーさんも参加だ。さらには大貴もここにいる。
深森探偵の推理によれば今回もまたちょっとアレな目的の予告だったが、事前にそれを見抜いて当日ミサエがドレスを着るのを禁止したのだ。これで恐らく変な意味で教育に悪い事件にならずに済むのではないか。そう思い、大貴にも予告のことを知らせたのだ。
対策ができたので、教育に悪くなる心配よりも隠し立てして大貴の機嫌を損ねる心配の方が大きくなったのである。あとはルシファーがドレスお構いなしでミサエを付け狙う事が無いように祈るだけだ。
ちなみに、昨日のミサエの提案をルシファーがやってみるというのはどうかと打診してみたが。
「あたしだって、普通に脱がされたりするのは嫌なんですけど!?なに、この間以来あたしってばお色気要員にされてる?」
深森探偵の推理については伏せるというような酷いことはしていないので、普通に断られた。なお、ドレス自体は着てみたかったようでミサエと一緒に試着していたが、いくら細身とは言え栄養状態が改善された時代の女子であるルシファーには、子供向けのドレスは普通につんつるてんであった。特に、胸元が。誂えたようにぴったりだったミサエにとって、ちょっと嫌味のような結果である。
女性陣がドレスできゃいきゃい盛り上がっている間にも男たちはルシファー迎撃の方針を考える。すると、今日もどこかに出かけていた河津芳雄氏が帰宅してきた。今日はちょっとした野暮用だとのことだが早いお帰りである。芳雄氏は小型トラックに乗ってきた。トラックでないと積めないような荷物を持ってきたからである。
それは、露骨に物々しい荷物であった。
「……生け捕りにしたルシファーを閉じ込める檻?」
見た目から想像した使い道を口にする飛鳥刑事。
「山で使っている箱罠を借りてきたんですよ。こいつで怪盗とやらを捕まえてやろうと!」
捕まえたルシファーを閉じ込める檻ではなく、ルシファーを閉じ込めて捕まえる檻だったようである。鹿や猪ならこれで捕まえられるのだろうが、これに引っ掛かる人間はいないのではないだろうか。
だがしかし、使えないわけではないだろう。予告した以上、ルシファーとしてはドレスは盗らなければならない。であればこんな見え見えの罠にでも飛び込んでいかなければならないのだ。そして、見た目が厳つく威圧感がある。ルシファーを一瞬怯ませてわずかばかりながら警官たちの到着までの時間稼ぎにもなるかも知れない。
それにしても、である。
「河津さん。……趣味で狩猟でも?」
「いやいや、趣味って言うか、害獣駆除ですよ。まあ、昔はね。あっちにいた頃なんかはよく誘われてスポーツハンティングもやってましてね。昔取った杵柄ですわな」
現在は社会活動の一環というわけである。河津氏の活動は、こういったワイルド系の社会活動だった。エレガントなご夫人からは想像できない。
「そちらのお嬢さんも狩猟を?」
「へ?」
問われてきょとんとするミサエ。
「だって鹿撃ち帽なんて被ってるじゃないですか」
「ああ、この子はホームズのコスプレです」
そう。もうホームズが被っているよくわからない帽子というイメージしかないこの帽子は鹿撃ち帽、本来は狩猟用の帽子なのである。頭の天辺についているのはリボンのような飾りではなく、耳当てを纏めている紐。解けば射撃音から耳を守る耳当てが下りてくるのだ。
「ああ、なるほど。そっちですか」
むしろ日本ではほぼそっちである。なぜ、狩猟ガールだと思ったのかの方が謎だ。
「って言うか、鹿なんているんすか?聖華市にも」
佐々木刑事は首を傾げた。ハンターではあるがハンティングするのは鳥獣ではなく女性というシティ派の佐々木刑事には全くぴんと来ないのだが、聖華市だって郊外は普通に山林だ。いや、住宅街だって徒に都市化されず、緑溢れた広い庭を持つ邸宅が多い。狸や猪くらいなら庭で見たという話も結構多いのである。郊外に行けば、鹿や熊だって普通に出るのだ。
「ああ、ちょうどこれから冷蔵庫に入れるところですの。見ます?」
にこやかにご夫人が言う。どのような状態なのか想像もできないのでご遠慮させていただいた。食肉加工されたブロック肉とかならばいいが、そのままの姿で逆さづりにでもなっていたら夢に見そうだ。――中途半端に解体などされていたらますます。
思えば、応接間の壁に鹿の首が飾ってあったが……どこかで買ったものではなく、どこかで狩ったものだったというわけか。
折角持ってきてくれたのだ。この箱罠もぜひとも利用させてもらおう。邸宅内でこの箱罠を運び込める場所を見繕い、そこを設置場所とした。芳雄氏が連れてきた猟友会と思しきオッサンたちを手伝って箱罠を運ぶ飛鳥刑事。広い邸宅だけに廊下も広く、両開きの扉もあって運ぶのに障害はない。ただ、クソ重い。
こんな時に佐々木刑事は、誰か力仕事を手伝ってと言う家政婦のカナエさんについて行っていなくなってしまった。あっちも大変であることを密かに願う事しかできない。そして、設置されてから実はこの箱罠、分解して運べることを知った。ただ、ばらしてまた組み立てるのが面倒なのでそのまま運んだのだという。ワイルドオッサンたちはそれでいいのだろうが、飛鳥刑事としては面倒であろうがぜひばらして運びたかった。
箱罠は入り口を部屋の扉の反対側に向けて設置された。僅かながら時間稼ぎくらいにはなるだろう。あとはドレスをどう置くかだ。檻の隙間は手くらいは通るだろうが、ドレスを引っ張り出すほどではない。しかし、慎重にやればなんとかなりそうだ。そのまま置いておくのはあまり良くなさそうではある。
箱に入れておくというのはシンプルながらいいアイディアだろう。少なくとも箱ごと格子の隙間から出すことはできないし、格子の隙間から手を突っ込んででは箱を開けるのも一苦労だ。蓋の上にちょっとした重しでもしていけばなお良い。一度は檻の中に入らざるを得なくなる。
あとは部屋の入口に警官を配備しておけばかなり守りは堅くなる。ルシファー側もどんな奇手に出るか判らないので油断はできないが、こちらにできることはこのくらいだろう。
方針も定まり、罠も設置した。後は予告の日を待って迎え撃つだけである。今日の所はお開きとなった。
なぜかげんなりした顔の佐々木刑事が帰ってきたが、気にしている場合ではない。猟友会の皆さんがざわめき始めたのだ。何が始まるのだろうか?
最後に、家政婦のカナエさんから今日手伝いに来た皆さんに何かが配られた。今日のお目当てと言わんばかりに猟友会の皆さんが群がる。
「刑事さんたちもどうぞ」
にこやかに微笑むカナエさんから、少し不穏な空気を感じ取る飛鳥刑事。その正体が僅かに漂う血の匂いのせいだと気付く。そして手渡されたのは。
「うわっ。お肉!何のお肉ですか?」
素直に喜ぶ主婦のルシファー。
「鹿肉です」
「鹿肉!?」
ああ、なるほどねといろいろ察する飛鳥刑事。さっき河津夫人に冷蔵庫に入れるから見るかと言われた鹿肉らしい。
あのトラックに積まれていたのは箱罠だけではなかった。その箱罠にて捕らえられた鹿も積まれていたのだ。もちろん、もはや一切の抵抗をすることができない状態で。何なら、目当ての鹿を捕まえられたのでこの箱罠を怪盗に回すことができるようになったのだろう。
そして佐々木刑事は鹿の解体を手伝わされた模様。げんなりするわけであった。
「おい。どういう状態でホトケは運ばれてきたんだ」
「ホトケ言うな。あれがホトケなら大概なバラバラ事件だぜ」
どうやら運ばれてきた時点ですでに大きな肉塊程度にはなっていたようである。
「俺の分はお前にやるよ、飛鳥。3人家族だし多いほうがいいだろ。俺は料理するのがちょっと無理だわ。……いろんな意味で」
佐々木刑事も時々女の家に転がり込むことはあれど基本一人暮らし。自炊もするし、モテる手段としてオシャレな料理を作ったりもできる。しかしさすがに鹿肉を作ったジビエ料理は未経験である。そもそも、まだジビエが注目され始める前、ジビエと言われて分かる人がほとんどいない時代。インターネットすらない時代にいきなり鹿肉を渡されてもどうすればいいのかシティ(オールド)ボーイの佐々木刑事には分からないのだ。
そして、それよりも。まだまだぎりぎりホトケと言える状態を見ているのだ。お肉になっていてもその姿がちらつくことだろう。まあ、命を頂くという事はこういう事なのだと佐々木刑事も今更ながらお勉強になったという事にしておこう。
そんな解体作業をやってのけたカナエさんに対しても、もう口説く気すら起こらないようである。佐々木刑事がカナエさんの手伝いにホイホイついて行った時はちょっとイラっとしたが、今となっては良い選択だったのだと思える。
「しかし、あの家政婦はただ者じゃないな。よくそんなことができるもんだ」
「昔肉屋でバイトしてたことがあるから慣れてるんだってよ。その腕を買われてここの家政婦になったらしいぜ。猟師たちのアイドルみたいなもんだってよ」
つまり、家政婦兼獲物を切り分ける係と言うわけだ。エレガントな上流階級の暮らしの裏に、とんだワイルドが潜んでいたものである。まあ、ハンティングと言うハイソな趣味を延長したらワイルドの域に入っちゃった感じなのだが。ディナーは鹿肉なんて言うのも言葉だけ聞くと何かこうハイソである。
飛鳥家ではきっと、無難にカレーにでもなるのだろう。何も知らない主婦はただのちょっと変わったお肉としてそつなく処理してくれるに違いない。
こうして、飛鳥刑事はちょっと多めに、ほかも佐々木刑事以外はそれぞれのお肉を手に、家路につくことになったのである。
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