
Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』第6話 怪盗ルシファーVS怪盗ルシファー
「こんにちはー♪お、集まってます……ね?」
深森探偵事務所にここはもう完全なる自分の居場所だという顔をして堂々と入ってきたミサエだが、揃っていたメンバーの顔を見回し固まった。
見慣れた面々については何ら問題ない。あまり見慣れてはいない新顔の事務員さん──と言うことになっているルシファーについてもまあ、問題は無かっただろう。問題は、そこに加わった新たな一人。と言うべきか、一柱と言うべきか。あるいはいっそ、一個と言うべきなのだろうか。
白く滑らかな素肌を剥き出しにした女神様、アニメ顔の裸婦像。
「な、何ですこれ。この事務所の新しいマスコットですか」
「新しいマスコットと言っても、そもそも古いマスコットがないのですがね」
「いやいや、いるじゃないですか。この名探偵アケビちゃんというマスコットが!」
マスコットでいいのだろうか。と言うか、マスコットにしがみついてまでこの事務所に関わりたいのだろうか。
「ならばあたしは新しいマスコットキャラになるのかしら?」
ルシファーも参戦するつもりなのか。ややこしい話になる前に、どうでもいい誤解は解いておくに限る。
「こいつはルシファーのターゲットである『女神様の微笑み』だ。これからこいつをどう守るかについて話し合う」
「ええー。これがぁ……?」
怪訝な顔で覗き込んだミサエは、はっとなる。
「い、いやいや!ルシファーのターゲットは絵だったはずじゃ!?」
「名前が紛らわしいもんだから間違えたみたいだぞ。ま、この感じだとこの変更の方が間違いなんじゃないかと思うけど」
飛鳥刑事の言葉を遮り佐々木刑事がチチチと舌を鳴らす。
「わっかんねーぞ?絵の方だって無名画家の作品じゃん。こっちの方が価値とか実用性とかありそうだし?」
「実用性って……何に使うんです」
怪訝な顔でミサエは問う。
「そりゃあ平面より立体の方がよ、さすったり抱きしめたり……」
「こいつはな、フロントカウルっていってバイクの前に取り付ける風除けなんだよ。一応実用品さ」
今度は佐々木刑事の発言を飛鳥刑事が遮った。とりあえずミサエには今回の経験を教訓に、蛇が出そうな藪をつつくのは自重して欲しいところである。
「へ、へえ……」
ミサエは複雑な顔で『女神様の微笑み』を見つめた。コレを前につけて街を疾走するの?とか考えているのだろう。やり場に困るらしく目線の動きも複雑である。
「今は盗まれた後の使われ方を考えてる場合じゃない。盗まれないためにどうすべきかを話し合おうじゃないか」
「と言うか、それはまず警察で話し合うことではないですかな」
飛鳥刑事が会議の開始を促すが深森探偵が横やりを入れた。その疑問には佐々木刑事が答える。
「そっちの予告変更状はみもっさんが個人で受け取ったもんで、最初の予告を受け取った警察やメディアには何の話も来てねえ。紙やらインクやらは今までの予告状と同じだから本物である可能性が高いが、おそらく注意を分散させようって魂胆だろうさ。警察としては自分たちが予告されている絵の方を重点的にガードし、変更については表面上知らなかったことにする。女神様がかっ攫われても我々は聞いてないで押し通すみたいだな」
「ええー。そんなことが許されるんですかぁ?」
ミサエは不服そうに言う。
「予告変更のことが誰にも知られていない以上、文句を言える人はいないのですよ。何せ、変更についてはこのモリサダだけにこっそり伝えられた事実。その情報をどう扱おうが私の勝手です。情報を握り潰し警察を出し抜こうとするくらい、探偵ならやりかねないってもんです。今からでも予告変更が広く知られれば話は別ですがね」
つまり、深森探偵が情報を止めたことにするということだ。
「それなら万が一盗まれても予告で嘘をついた卑劣で愚劣なパイレーツということになるだけでしょう。後から予告を変更したなんて主張したところで、被害者側が黙っていれば証拠はない。もちろん、根回しはばっちりですぞ」
邪悪な笑みを浮かべる深森探偵、ミサエはどん引きであった。
「大人ってズルいでしょ?あなたはこんな大人になっちゃダメよ」
「このくらい狡猾でないと勝ち残れないのが大人の世界なんだがな」
佐々木刑事よりも元怪盗の方が真っ当なことを言っているのはいかがなものか。とりあえず、飛鳥刑事は──。
「怪盗が海賊になってますよ」
そこにつっこんでおいた。と、そこに。
「こんにちはーっ!おわっ、なんだこれっ」
入ってきたのは大貴である。『女神様の微笑み』に気付いた──むしろこれだけの存在感で鎮座する女神様に気付かない方がどうかしているが──大貴はいきなり遠慮会釈も恥じらいもなく女神様のおっぱいをしげしげと眺めると、容赦も躊躇もなくむんずと掴んだ。
「こらっ、やめなさいっ!」
大貴と一緒に入ってきた小百合が大貴を女神様のおっぱいから引き離した。恥ずかしいのは親の方であった。
「すぐおっぱい触るんじゃないの!そのおじちゃんみたいになるわよ!」
そのおじちゃんこと佐々木刑事は抗弁する。
「俺がすぐおっぱい触るみたいに言うなよ。いくら俺でも段階は踏むぜ」
「でも出会ったその日のうちにそうなったことくらいあるでしょ」
「だからそれはちゃんと段階踏んだ上のことだっつーの」
ありはするようである。とりあえず、飛鳥刑事は言っておくことにした。
「子供の前で何を話してるんだ」
まあ、子供と言ってもいきなりおっぱい触る悪ガキなのだが。とはいえ流石に相手が生身の人間だったらこんなことはしないはず。おっぱい丸出しの人形だからこその行動なのだ。そして、子供と言われると抵抗はあれど乙女も一人いる。下品な話題に巻き決まれないようそっと息を殺しながら存在しているのだ。
「それにしても、怪盗を追いかけるとか……危なくないの?」
こうして集まりに参加させるべく大貴を連れては来つつも、心配であるらしい。
「危ないぞ?ある意味だがな。……何せ、狙ってるものがこれだ」
女神様を顎でしゃくる飛鳥刑事。理解した、と言う顔の小百合。
「なあに、いくら相手が男でも女でもお構いなしの変態とは言え、裸好きなら服さえ着てりゃ心配は要らねえ。ガキに興味があるかもまだ未知数だしな」
佐々木刑事は適当に言った。
「あのう。作戦の話をしましょうよぅ」
ミサエがおずおずと口を挟んだことで、やっと大人たちは自重したのである。
警察には予告変更の連絡が来ていない。そのため、当初の予告の通り恩納月邸の『女神の微笑み』を警備する。
一方、『女神様の微笑み』の方は探偵チームに任せることになった。とはいえ警察もノータッチとは行かない。表面上は予告変更について聞いていないことになっていても実際には聞いて知っているのだ。現在の方針では飛鳥刑事と佐々木刑事の二人がアトリエジョニーに潜むことになっていた。
「提案なのですがね」
深森探偵は言う。
「怪盗が標的変更などとややこしいことをしてくれているのです。こちらもちょっとややこしいことを仕掛けてやりませんか」
「ふむ。なんです?」
「女神と女神様を入れ替えてやるのですよ」
「なるほど。つまりはこの彫刻をあのお嬢さんのところに持って行くわけですね」
アトリエジョニーにあるはずの『女神様の微笑み』を恩納月邸に、恩納月邸にあるはずの『女神の微笑み』をアトリエジョニーに持って行くのだ。
「しかし、ルシファーがどっちを盗ろうとしてるかわからない以上、ややこしくなるだけで警備しやすくなるわけじゃないよな」
「ま、ただの嫌がらせですよ。どっちを盗むか決めて行動してるなら期待を裏切れる。……どっちでもいいというなら何の意味もないですがね」
「アルフォンソ親父の時の行動を考えれば、他に盗めるものがある女好き嬢ちゃんのところに行くだろうな」
佐々木刑事の恩納月女史に対する皮肉を込めた呼び方には誰も気付かなかった。何せ音が同じだ。と言うかそもそもこれまでの流れを知らない小百合には恩納月が最初から女好きに聞こえていた。そして、それで何も間違ってもいないのだし。
「アトリエジョニーには盗めるものないか?」
「多分な。あの店、表向きは健全だし。個人的な趣味でいろいろ持ってはいそうだけど」
「裏マルガリーとかか?ジョニーさんは自分で作品を産み出せるからなぁ。そう考えるどっちもあぶないんだが……。いろんな意味でさ」
それでもいろいろ検討してみた感じ、本命は様のついてない女神でついでに恩納月女史のコレクションも摘み食いする感じになると推測された。
「それじゃ、警備の方針はどうなる?」
「変わらないだろ。ルシファーが行く可能性が高いのは女好き嬢ちゃんのところだ。その上で、どっちに行く可能性も残されている。予告の点でも警察は変更を知らないというスタンスでいけるだろ。中身が入れ替わってたなんて事件関係者しか知り得ない。黙ってりゃバレねーって」
何かこちらがよからぬことを企んでいるかのような口振りである。
かくて、方針は決まったのだった。しかし、約一名不審な行動をとるものがいる。じっと白磁のごときプラスチックの女神様を見つめる、探偵事務所の事務員こと元かつ元祖・怪盗ルシファーその人である。
女神様の胸は再び鷲掴みにされる運びとなった。
作戦が決まり、関係各所に作戦について連絡を入れた飛鳥刑事たち。作戦自体は上にあっさりと認められた。何せ、怪盗の今回のターゲットはどちらも言ってしまえばしょぼい。さらには二代目ルシファーにしてみても最初のターゲット、そして今回と併せて全て狙っているものがしょぼい。よって怪盗と言ってもしょぼいという見方である。ただ目立ちたいだけと思われるしょぼい怪盗への対策などにお偉方は時間を割かないのだ。もちろん飛鳥刑事たちの実績と信頼の賜でもある。信頼できるコンビに、丸投げなのだ。もっともそんな信頼をもっとも信じてないのは自分たちであったが。
とにかく、作戦は二つ返事で認められたので早速そのように動くことになった。確保された犯人のように頭から刑事のスーツを被せられた裸の女神様が覆面パトカーで護送もとい輸送されていった。そして、アトリエジョニーに輸送されてきたのは『女神の微笑み』だけではなかった。
「何であんたがここに……?」
佐々木刑事の視線の先には恩納月女史の姿があった。
「もちろん……絵が心配だからですっっ!」
「女子高生探偵と一緒がいい!……とか言ってた記憶があるが?」
恩納月女史の力説を飛鳥刑事が訂正した。
こんな恩納月女史である。『女神の微笑み』と交換で運び込まれた『女神様の微笑み』を見たときも全力で食いついた。なにせ、自分のコレクションにはない立体造形物である。
「うおおおぉ!ナイスバディっ……。これ、触っていい奴ですか!?」
そこそこ高価とはいえその内訳の大半が材料費と工賃という代物だ。飛鳥刑事も素手で運んでいるのだし、減るもんでもない。こんなのでも女性の頼みを聞いてやりたいという思いもあり、OKを出した。迷いも遠慮もなく欲望のままに胸を鷲掴みにする姿に居合わせた警官ともどもドン引きしたものである。大貴がここにいなくてよかったと思う反面、この姿を見せて反面教師とし猛省を促すのもありかとも思えた。
そんなことがあった後、女子多めの現場の方が楽しそうと言う嘘偽りのない吐露を受けてこっちに連れてきたのである。さすがに獲物──いや、少年少女のいる場所では体面を取り繕おうとしたようだが、安全のために正体を暴いておいた。
「ぬっふふふふ、バレちまっちゃあしょうがない……!ミサエちゃぁーん、今夜は楽しもうねぇえ」
「ななな何をですかっ」
「決まってるじゃない、怪盗とのバトルさっ!」
飛鳥刑事はルシファーもこいつにだけは捕まらないようにと同情しつつ。
「と言うことで、ギャル同士仲良くしてやってくれ」
「ええー……」
当初の予定通り恩納月女史のことはミサエに丸投げにしつつ。
「やっぱりあっちにも警官だけじゃなく誰かいた方がいいだろうし、俺が行っておこうと思う」
「……なるほど。確かに今ならチャンス……じゃなくてそれがいいな。任せたぜ」
佐々木刑事は飛鳥刑事の考えを理解したようである。
一人、飛鳥刑事はアトリエを後にし今は主のいない乙女の家へと向かう。その顔に悪しき笑みを浮かべながら……。
日が沈みかける時刻。夏の遅い日の入りだけに日が沈めばもはや待った無しという感じになるが、その間際のことである。
「できたっ!」
アトリエジョニーの作業場を借りて何やら黙々と作業していた元祖ルシファーが、その作業を終えたらしい。
「何を作ってたんですか?」
「んっふふー。これよ!」
それが声を掛けたミサエに見せるべく掲げられたこれなのは、さっきから作っていたのだから流石に誰でも分かるのである。問題はそれが何なのかだ。純白の、服……というかボディースーツに見える。
「これはね、水で濡らして体に張り付けるとぴったり密着する特殊な素材なの。これにたとえば草の絵を描いて地面に伏せれば草に紛れて見えにくくなったりするわね」
「おいおい、まだこんなもの使って何か悪いことしてんじゃないだろうな」
佐々木刑事が口を挟んだ。
「違うわよ、旦那のお仕事に使ってるの。手品の種よ」
「ふうん……ははあ、こいつはつまり女神様変身スーツってわけだな?」
旦那云々というのには疑わしそうだった佐々木刑事だが、ルシファーの意図は察したようである。
「そういうこと。これで『女神様の微笑み』に化けて、盗もうと近付いてくる偽ルシファーをぐわっしと取り押さえようっていう寸法よ」
「ま=とちゃんみたいな擬音は気になるが作戦は悪くないな。本来ここにあるべきものなんだし」
「それなら私にも提案がありますぞ」
深森探偵が手を挙げた。
「我々がこうして拵えている贋作ですが、あちらに持って行くべきでしょう」
あちらとはもちろん恩納月邸のことである。そして、深森探偵とリージェント画伯はその言葉通り『女神の微笑み』の贋作を制作中であった。
リージェント画伯はさすが美大出身の現役アーティスト、なかなかな贋作である。とは言え短い時間で仕上げようとしているので細かく見ると違いは明らか。顔の細かいところは自分の画風が強く出ているし、体に至っては色の塗り方が簡略化されていて、いわゆるアニメ塗りのようになっている。一方の深森探偵は贋作というより『女神の微笑み』をテーマにした全くの別作品になろうとしている。
「この前の変態マッチョの時も思いましたけど。深森探偵は絵がお上手っすね」
無駄そうな才能だと思いながらも賞賛する佐々木刑事。
「絵は仕事でよく描きますから。人の顔も写真より似顔絵の方がわかりやすいとこも多々あります。特に写真が古けて今の顔は少し違う場合などですな。風景を描いた布をかぶって身を隠すなんていうのは探偵にはよくあることです」
以外と活用していた。というか、後者は探偵というより忍者のような気がする。
「花の絵の布を被って花壇に隠れたり、砂利山になりきったりですよね!」
元怪盗と意見が合っちゃう辺りも忍者寄りだろう。というか、言いぶりから察するに刑事たちも何度かその手でやり過ごされているらしい。このボディースーツとやらも、本当に旦那の手品の道具なのか怪しいところ。そうだったとしても、怪盗時代に使っていた物を旦那に教えただけなのではなかろうか。
そして、そんな元怪盗が深森探偵の絵のモデルなのであった。
「折角ですからのモデルになってはどうですかな?ポーズを取れとは言いません、顔だけ見えればよいです」
「えー。でも所長、あたしのことキレイに描けるんですかぁ?」
などというやりとりのあと、さっと描かれた似顔絵を見た初代ルシファーは迷いなくゴーサインを出した。しかし、元にするのが『女神の微笑み』である。となれば、もちろんヌードである。わかっていたとはいえ流石に自分のヌードを描かれるのは抵抗があるらしく、下書きを見せられると難しい顔をしながら言った。
「もっと若く描いて」
違ったようである。
「十分お若いのにこれ以上ですか」
きっかりお世辞でご機嫌をとりつつも律儀に絵は直した。おそらく刑事たちが追い回していた頃はこんなだったろうと言うような美少女の絵が仕上がりつつあった。
とにかく、ここに来て作戦は更に多少変更されることになった。ここアトリエジョニーには人間が入った偽の『女神様の微笑み』。そして『女神の微笑み』も偽物である。本物はどちらもレジデンスゆうやけロマンに運ばれることになる。本物の警官、そして飛鳥刑事がいるレジデンスゆうやけロマンの方が守りが堅いと判断されたためだ。
『女神の微笑み』の偽物は2枚存在する。こちらには元作品と似ても似つかない深森探偵作『女神の微笑み』。いや、モデルがルシファーなのだからこれはもう『小悪魔の微笑み』であろう。そしてレジデンスゆうやけロマンには本物と共にリージェント画伯作の偽『女神の微笑み』。これはかなり紛らわしいはずだ。どう使うかは現場にて要検討である。
飛鳥刑事に一報を入れてそのことを伝え、『女神の微笑み』真贋2枚セットを恩納月邸に運ぶことになった佐々木刑事。
「今日は女神とドライブしっぱなしだな……。しかもとうとう二人きりときたか。車に乗せる場面を誰かに見られたくないもんだぜ」
まあ、女神は2枚重ねなので実際には三人だ。
「もう一回、深夜のドライブが残ってますがね」
ほくそ笑む深森探偵。
「さすがにそれは友貴の番だろ……。いや、ルシファーが先にこっちにきた場合あっちの応援に行くことになるか。そうなったらラストドライブが実現しちまうな……。まあそんときゃつきあってやるぜ、ラストドライブによ」
手慣れた感じで女神の腰に手を回して背中側から抱き抱え、佐々木刑事は女神を連れ去った。何で周りから見えやすい持ち方をするのかは誰にも判らない。向かい合わせになりたくなかったのだろうか。しかし目立たず宵闇に紛れて車に無事積み込み、夜の町を走り出した。
車は恩納月邸に到着、女神を部屋に連れ込む。こういうシチュエーションだとこのアパートの名前は何ともいかがわしいホテルめいている。そういうホテルもアパートも、方向性こそエクスタシーとラグジュアリーに分かれるとはいえベッドの上での幸福なひとときのために使われるのだから名前も似通うのは仕方がないのだ。
ゆうやけロマンという名前も伊達ではない。全室西向きの夕日を楽しめる──下のフロアでは早々に太陽がビルの陰に入るが──ロマンチックなアパートなのだ。人生の斜陽もしくは斜陽の人生。そんな人にぴったりである。この時期だと直前までがっつり当たっていた西日で寝苦しい夜も楽しめるのである。
そんなわけで、部屋は物理的に熱気に包まれていた。しかし、絵のあるところはエアコンも利いてて快適である。しかし、ある種の熱気には包まれている。
飛鳥刑事と警官数名は恩納月女史のコレクション鑑賞会の真っ最中だったのである。部屋中にコレクションの絵がご開帳されている。女性には見せられない光景である。まあ、この部屋が女性の部屋ではあるのだが。
「おう、やってんな」
そんな姿を見ても何もなかったように、むしろそれが当然という顔で佐々木刑事が声をかける。
「この間はアケビ君がいたからな。誰もいない今しかチャンスがないのさ」
「妻子持ちが女子高生の目を気にしてどうすんだ。狙ってんの?」
「んなわけあるか。女子高生以前に息子の友達だぞ。息子に告げ口してそこから女房に知れたら困るだろうが」
「ああ、それでか。家庭を持つと大変だねえ」
与太話はここまで。電話で作戦変更の概要は伝えてあったが、改めて詳しく説明が為された。その間も飛鳥刑事ほか警官たちは女の裸の絵を回し見し続けている。異常な光景であった。
『女神の微笑み』の置き場を探していた佐々木刑事だったが、結局いい置き場を見つけられずしかたなく『女神様の微笑み』を退けて代わりに置き、持ち上げた『女神様の微笑み』を飛鳥刑事の頭に被せた。
「やめい。俺はバイクじゃねえぞ」
と、その時。部屋の電話が鳴った。佐々木刑事が電話にでる。と言うことは飛鳥刑事の頭に被せられたものが被せた人によって撤去されるのを待つとだいぶ先になってしまうのである。かくなる上は仕方ない。自分ではずす飛鳥刑事。
「はいよ、こちら聖華警察」
これで、かけてきたのが恩納月女史の関係者だったらどう思うだろうか。しかし、その心配は無用のようだ。
「おい、あちらに現れたようだぜ、ルシファーがよ」
佐々木刑事のラストドライブがほぼ不可避となった瞬間である。
佐々木刑事が『女神の微笑み』を積んでドライブに出た。取り急ぎ偽『女神様の微笑み』の準備もしなければならない。
「じゃあ、はじめましょうか。ミサエちゃん、こっちに来てくれる?」
初代ルシファーはミサエを連れてドアの向こうに消えた。ここからは男性陣+男みたいな好みの女性からはサウンドオンリーである。
「さ、脱いで」
「はぇ?……あたしですか!?」
「だって体のサイズはミサエちゃんの方が近いし?顔も髪型も似てる感じだし?適役だと思うけど」
「えええ……?」
ごねつつも押し切られたようである。だが。
「ご、ごめんなさい」
「え?何ですか。何がです?」
「いや、そんなだとは思ってなかったから……」
「そんなって……何の話ですか」
「だって、そんな服着てるし?体のラインぜんぜん見えないじゃない。だからさ、その……。こんなに物足りないとは思わなくて」
「何がですか!……いや、言わなくていいんです。私だって自覚はありますから!」
こうしてミサエは心に多少の傷を受けつつもボディースーツは回避し、それはルシファー自身が着ることとなった。
出てきたのはいかにも作り物めいた『女神様の微笑み』そのものであった。顔だけがアニメ顔でもな蹴れば白くもない生身の人間だ。これにはもちろん仕上げの策があるので問題ない。そんなことよりもだ。
「うっわー……。何これ、びっくりするくらい恥ずかしいんだけど!誰よ、穢れなきミサエちゃんにこんなの着せようとした悪魔は」
その悪魔の名は初代ルシファーであった。
ルシファーは思う。昔怪盗として全身タイツで町を駆け巡った時は乙女だったにも関わらず全く恥じらいなどなかったというのに、などと。
当然といえば当然だ。タイツはいくら体のラインが出やすいとはいえあくまで体を覆う着衣だ。しかも下にはちゃんと下着だって身につけていた。そして黒タイツを着ていた理由は宵闇に紛れ目立たないようにである。見られようとして着ているわけではない。
一方このボディースーツは見られるのを前提で着ている。しかもタイツではここまで隙間なく密着などしない。『女神様の微笑み』に化けるため、裸に見えるような設計だ。もちろんラインが透けてしまうので下着も付けてない。ほぼ裸を見せているようなものだ。
幸い『女神様の微笑み』には乳首がなかったのでバストトップにはカバーを付けて形を隠せている。そうでなかったとしても偽乳首で対処しただろうが、ともあれ裸というよりは水着に近い感じとは言える。だからといって水着気分で着られるわけでもない。実際に肌が露出している面積は水着とは比べるまでもなくほぼゼロのこのボディースーツの方が小さい。しかし、体を隠すものとしての体感的な安心感は水着の方が圧勝であった。隠しているようで丸見え。そんな気分なのだった。
こんな気分的に無防備な恰好で、下半身を仮の台座で固定されれば肉体的にもかなり無防備になる。おまけに、だ。顔もそのままにはできないのでマスクをつけることになっている。発泡スチロールで骨というか基礎を作り粘土で軽く肉付けした簡単なものだが、仕上げとしてボディースーツの素材でコーティングしたことで胴体との一体感も高まっている。出来は素晴らしいが、これを身につけると視界が奪われるに決まっていた。無防備トライアングルここに完成である。全くもって誰だろうか、こんな危険な作戦を思いついた悪魔は。
ましてここには今は外に出ている佐々木刑事が帰ってくればスケベなオッサンが3人揃うのである。大貴だって悪意や欲望と無縁でその無邪気さがやらかしてくれる危険性を孕んでいるのは先ほど見た通り。残りは女性だがそのうち一人は心がオッサンである。ここで安心できるのはミサエくらいなのである。まあ、そのミサエにこの変装をさせようとした悪魔が自分であるのだが。
しかし、不安は空振りに終わる。試しにマスクを被ってみたところ、目のところが半透明の素材になっていて案外視界が確保されていたのだ。おまけにルシファー扮する『女神様の微笑み』が設置される仮の台座は正面が開いた箱に囲われ、下半身を隠す土台も簡単に開く。悪戯してくる輩の顔はしっかり見られるし、素早く対処すなわちお仕置きも可能である。
作戦的にも元祖ルシファーに近付いてきた二代目ルシファーを元祖ルシファーが取り押さえるのを目標にしているのだ。作戦的に彼女は主役であって囮ではない。その主役の視界や自由を奪っては元も子もない。それゆえこの辺の気遣いはバッチリである。もちろんその気遣いはジェントルマンのレディに対する気遣いでもある。リージェント画伯も長年日本に住んでいた影響だろう。気配りもすっかり日本人並みになっているのだった。ルシファーはリージェント画伯への警戒心を一段引き下げたのだった。
羞恥、そして不安。そんなものはただの序の口であった。この作戦の最大の苦難、それは退屈。
準備はできたし覚悟もできたのでルシファー扮する『女神様の微笑み』は定位置にセットされた。そうなるともう身動きも発言もできない。物理的な制約があるわけではないが、動いたりしゃべったりしているところを天井裏や窓の外から二代目に見られては何の意味もない。
そして、ここにいる人々も先ほど恥ずかしがっていたルシファーのことをじろじろ見てはいけないと遠慮してくれていた。ありがたくはあるが、全く相手にされないのもちょっと寂しいのだった。
二代目ルシファーが現れるかも知れないとはいえ、ここには盗むべきものはない。よって待ち受けるものたちも気楽である。大人たちはリージェント画伯によるデッサン教室を受けていた。
深森探偵は画力はまあまあながら基本的に我流であるので、この機にプロの指導を仰ごうと話を持ちかけ、恩納月女史もそれに便乗したのだ。なお、恩納月女史は初心者で、才能も特になさそうである。情熱はありそうなので努力次第で普通の凡人にはなれるかも知れない。まあ、楽しそうではある。趣味にするならそれが一番である。
子供たちはこのアトリエ中にある作品について話し合っている。何のアニメの何というキャラか、どんな作品かなどである。男の子と女の子、年も10歳は離れているので総合すると幅広いジャンルを網羅しそうだが、ミサエは小さい頃はあまりアニメを見ない子だったらしくちょっと古いアニメには疎い。大貴も根本的に今の作品しか知らないし、それでいて当然ミサエとは好みが全然違う。それでもさすがに人気作品なら二人とも知っているものはいくつかあった。このアトリエが基本的に女の子を愛でる方向性なので作品も大貴には縁遠い少女向け作品のキャラが中心だが、少年向け作品のヒロインもそこそこ混ざっていた。その辺で盛り上がっている。
こうしてみてみると雑談につきあいながらもミサエだけは緊張感を持っているようだが、ほかの面々には警戒心が一切感じられない。とても怪盗の出現を待っている状況には思えないのだ。初代ルシファーはする事がないからこそ、自分も緊張感を持とうと心に決めた。少しだけ、何で自分がと思いながら。
その時である。アトリエが闇に包まれた。ブレーカーが落とされたようである。本当にこちらに二代目ルシファーが現れたのだ。
暗転に驚いた何名かが驚きの声をもらしたが、すぐに深森探偵の指示が飛んだ。各自懐中電灯を取り出し周囲を確認する。この事態は想定内、どころか願ってもないことだった。二代目ルシファーがどのような手段でこの闇の中視界を確保するつもりかは分からない。しかし半端な方法では照明下のようにくっきりとものを見ることはできない。偽物に騙されやすい状況に自ら嵌まったようなものである。
してやったり、なのだが初代ルシファーとしても降って湧いたピンチである。何せ、この状況なら何者かが狼藉を働いたならそれが誰かを突き止める術もないのである。まあ、そんなのは杞憂なのであるが。
二代目ルシファーは暗転の混乱に紛れて密やかにそして迷いなく潜入し、獲物目指して歩く。
誰かが壁に掛けられた偽『女神の微笑み』に向けた懐中電灯に黒い影が過ぎった。これこそ二代目ルシファーだと判断し、元祖ルシファーは襲いかかる。
「きゃ……きゃああああ!」
突然のことに短く声を漏らした二代目ルシファーは、自分に組み付いているものの正体に気付いて悲鳴を上げた。人の形はしているがおおよそ人間には見えないのだ、無理もない。
「初めまして、二代目さん?」
「にだ……えっ?旧ルシファー……?」
「旧ですって?あんたが若いからってなめるんじゃないわよ?折角あんたがあたしの後継者に相応しいようならこのまま連れ帰ってあたしが稽古付けてあげようって思ってたんだけど、そんな態度じゃ考えちゃうなあ?」
「え?え?ええっ?……あの、ご遠慮したいですぅ」
「……えっ?」
あまりのことに初代ルシファーは思わず手を緩めてしまった。その隙に逃れる二代目。
「そんな目当てがあったんですか」
絶句する深森探偵。
「くふふふ……。バレたか!でもあたしを年増だの旧だの言ってくれた以上、改心する気がないならやっぱり敵同士よ」
改心してくれるならまだルシファー同士で組むつもりがあるようだ。初代ルシファーが深森探偵に見得を切っている間に探偵たちが動く。なおその探偵に深森探偵は入っていない。初代ルシファーとのやりとりで動けなかった、というわけでもない。一足先にミサエたちが動いたのを見ており託したとも言えるし、老いて鈍い体に鞭打ってまで少女に飛びつくという一歩間違えば変態の所業を回避したとも言えた。同様にリージェント画伯も肥満体に鞭打ち少女に襲いかかる行為を自重し静観を決め込んでいたのである。
「えいっ」
ミサエが飛びかかる。二代目ルシファーはすんでの所で身を躱し、それでも腕を捕まれ数秒取っ組み合いになる。
どうにか逃れた二代目ルシファーにさらなる刺客が迫っていた。両太股に何かが絡みついてきた。先に掴まれた右足に目を向けると小さな男の子がしがみついている。ちょっと和む気持ちになる二代目ルシファーだが、彼女もまだうら若き乙女。相手がちっちゃくてもそこそこの男の子、太股にがっちりとしがみつかれるとちょっと危機感を感じてしまう。
しかも。視界の外の左太股あたりから声が。
「ぐへへへへへ、ルシファーちゃんどぅふふふふふ」
声は女の声だが笑い方は変質者である。相手の姿を確認もせず──むしろ見るのが怖い──二代目ルシファーは太股に絡みつく二人を死に物狂いで振りほどいた。大貴を手で引き剥がすと、そのまま恩納月女史に叩き付けたのである。やってからルシファーも流石に大貴に酷いことをしたと後悔したようであるが。
「いってー!よくもやってくれたな!」
大貴はすぐに立ち上がった。大して効いてなかったようで何よりである。探偵達の失敗は、恩納月女史に自由を与えていたことである。恩納月女史のこれがなければ、ここまで必死な抵抗をされることもなかったであろう。一旦部屋の隅まで逃れた二代目ルシファー。
ブレーカーが復旧し、辺りが明るくなった。ここの構造を熟知する主がブレーカーを戻したのだ。
捕らえやすくなった目標に、大貴は即座に突進する。猪突猛進。避けるのも簡単であった。恩納月女史も立ち上が……らない。地べたに這い蹲ったままカサカサとゴで始まる虫のように這い寄ってきた。ただでさえ恐怖心を抱いていた二代目ルシファーはあまりのキモさにその動きを鈍らせた。しかしルシファーがいくら鈍くなってもそんな動きで近寄ってくる恩納月女史よりは速かった。
初代ルシファーも飛びかかりたい気持ちでいっぱいであった。しかし問題が発生していた。先ほどの格闘で体に密着していたボディスーツが所々剥がれかかっていたのだ。濡らせばまた張り付くようになるのだが、先ほどまでじっとしていたので汗もかかず乾ききっている。素材の丈夫さは十分なので破れたりはしないはずだが、隙間から見えやしないか気になって思うように動けないのだ。
二代目もそんな事情にはさすがに気付いていないものの、動かない初代ルシファーとの刹那の睨み合いから隙をついて『小悪魔の微笑み』を掻っ攫い脱出に入った。
「こらー!待ちなさーい!」
ミサエが追いかけていく。だがあまり期待はされていなかった。
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