Hot-blooded inspector Asuka

Episode 8-『帰ってきた怪盗ルシファー』

第4話 再会、そして紹介

 廊下で婦警たちに取り囲まれていたミサエも取り囲まれたまま会議室に連行され、テーブルを囲んで打ち合わせが始まる。
 探偵達にも予告の内容や予告されている標的についての概要が明かされる。明らかにできる内容はマスコミに公表できる程度のものに限られるが、実際のところそれ以上の情報があるわけでもない。
「それにしてもよ」
 バーボンオンザロックのグラスを持つような手つきでほうじ茶の湯飲みを揺らしながら佐々木刑事が口を開いた。女がたくさん居るのでカッコつけてる。
「今回のルシファーは裸ばっかり狙ってんな」
 カッコつけたのが台無しの科白であった。
「えっ。ど、どういうことですか」
 ミサエが反応に困ったように言った。
「どうもこうも、そのまんまだ。今回の獲物も裸の絵だったのさ。前回は男の汚い裸、今回は女神様の裸」
 アルフォンソ氏の肉体美は理解してもらえなかったようである。
「前回は裸の絵を取り損ねて別な絵を持って行ったが、今回は別な絵を持って行っても漏れなく裸だぜ。裸祭りさ」
 裸祭りと言われても、多くの人には褌一つの男たちが揉み合う勇壮な祭りのイメージが浮かぶであろう。ましてやミサエと深森探偵は丁度思い出したくもない“月下のアルフォンソ”を思い出したところ。元々脳内にマッチョがいるのである。
「安心しろ、全てそれなりに美しい女の裸だ」
 飛鳥刑事の言葉にミサエはほっとし、深森探偵はハッスルした。
「やりがいのある仕事になりそうですな!」
「本当にな」
 佐々木刑事と深森探偵の意見が一致した。
「ま、せっかくだし、このメンバーでもう一度恩納月さんの所に行くか」
「女好き……?」
 女だてらに連れて行かれることになるミサエが心配そうな顔をした。
「恩納月な」
「???」
 ミサエの発言のイントネーションからニュアンスを読みとり訂正する飛鳥刑事だが、伝わるわけがなかった。そして、ミサエも強ち間違ってはいない。
「このメンバーって、この人たちも……?」
 ミサエは場違いな婦警たちを見回す。返す返すも一番この場所で場違いなのはミサエ自身である。
「行くわけないでしょ、関係ないもの」
 婦警御自ら否定した。
「関係ないのにこんなところにいるな。税金から給料をもらってんだから市民のためにちゃんと働け」
 妻子持ちの飛鳥刑事は妻以外であれば女性にも厳しい。なお妻には頭が上がらない。
「あら。あたしがこうしてるのはちゃんと市民のためになってんのよ。同じサボってるにしても、交通課でサボってたらねずみ取りで稼いでこいとか言われるし。だったらおしゃべりしてた方が市民のためでしょ」
「未成年者がいるなら私の領分だし」
「よーちゃんみたいな危険な男から女性を守るべく目を光らせるのも仕事のうちよ」
 婦警たちの顔ぶれは交通課と生活安全課のようである。
 会議はお開きとなり、それぞれの行くべき場所へ向かうことになった。刑事と探偵たちは予告の場所へ。婦警たちは給湯室へ。……仕事に戻る気はないらしい。

 レジデンスゆうやけロマン。そんな名前にぴったりの茜色の光に包まれた、ロマンとは縁遠い安アパートにぞろぞろと入っていく。
 狭い女性の部屋に過半数が男の四人で押し掛けるのはどうかと思うが、ばらければ入れなくもない。探偵チームは初見のターゲットである絵画『女神の微笑み』を、もう一度見た刑事たちは別室でコレクションを楽しませてもらうことにした。『女神の微笑み』は普段コレクションルーム──まあ、倉庫だ──に保管されているが、今回はお披露目なので持ち出された。
 真剣な目で絵を眺めるミサエは、柔らかい笑顔を浮かべつつ真剣な目を向ける恩納月女史の熱い視線に気付かない。
 やがて、深森探偵が刑事たちの鑑賞会に加わる。
「ん?ミサエくんは?」
「お姉さんと話してますな」
 お姉さんとは、ここのお姉さんすなわち恩納月女史のことである。なんとなく、名字で呼びにくい。かと言って下の名前で呼ぶのもなんか馴れ馴れしい。なので、内輪ではなんとなくこういう言い方になる。
「二人きりで?それはまずいな」
「何がですかな」
「いや、あの姉ちゃん、名前の通り女好きなんだよな。女同士だと思って油断すると襲われちまう」
 そう言いながらも、別段それを止めるべく迅速に動く気配は見せない佐々木刑事。襲われている場面を一通り堪能してから助ける算段なのだろう。
「お前じゃないんだからそこまでのことにはならんだろ」
 飛鳥刑事が静観しているのは恩納月女史を信用しているからのようである。事態を重く受け止めていないとも言えた。
「俺だっていきなり襲ったりするかよ。まずは言い寄るところからよ」
「ならますます安心だが……ま、放ってはおけないな」
 様子を見に行く男たちだが、女二人は普通におしゃべりしているだけでほっとした。性的趣向は普通ではなくてもさすがにそこまで非常識ではなかったようだ。まあ、いつこうして男達が現れるか分からない状況なので見送ったのかも知れない。本当に二人きりならどうなっていたか、それは誰にも分からない。
「しかし、これだけ絵が多いと目的の絵がどれなのか判りにくいですな。展示されているわけでもないし、梱包されてたらますますでしょう」
 女二人のおしゃべりを邪魔しないように気を遣っていた深森探偵も話し相手を見つけて間髪を入れず声をかけてきた。
「いっそ、このまま怪盗を迎えちまおうか。探すのに手間取ってる間に取り囲めるかも」
「いや待て。最初から一枚残らず盗む計画かもしれないぞ」
「うーむ。その可能性が高いですなあ……。ならば絵をそれぞればらけさせた方が良いような……」
「そうなるとどこにばらけさせるかが問題になりますけどね」
 作戦が練りあがっていく……ような、机上の空論が進んでいるだけのような。
「そもそも、こんなアパートで個人がひっそり隠し持ってた絵を何で知ってたのかってのが気になるな。裸センサーでも持ってるのか?だったらそのセンサー俺も欲しいな。是非ともルシファーとっつかまえて秘密を聞き出してやりたいところだぜ」
 早速作戦でも何でもない話題に切り替わった。恩納月女史が私も欲しいと口を挟んできたのは黙殺するが。
「べ、別に裸を狙ってるわけじゃないと……そうと決まった訳じゃないと思いますけど」
「どういう理由で狙ってるのかが判れば対策も立てやすくなるけどな。こないだも今回も、周りに乗り換えられるものがあるっていうのが裸以外の共通点かね」
 ミサエが口を挟んできたのにはちゃんと反応する佐々木刑事。
「それなら、元々予告の物にこだわる気はないのかも知れませんな」
「ま、今回で捕まえちまえばそんなことを詮索する必要もなくなるんですがね」
 そのための作戦をどうするか。それを、そろそろ考えた方がいい。ここは一人暮らしのアパート、角部屋でもなく出入りできそうな場所は北側の玄関と南側の窓のみ。
 そして恩納月女史からの申し出で、一時的に部屋の窓を棚で塞ぐ案が採用された。男たちは棚をはじめとしたいくつかの家具の配置を変えた。後で棚だけはまた移動しなければならないが、ほかの家具はここに置きっぱなしにしておいていいとか。何となく、模様替えの手伝いをさせられたような気がしてならない。
 これで入り口は一つに絞られた。換気口なども通る気になれば通れるかも知れないが、他に通る人もいないだろうし一時的になら塞いでおいてもいい。
「くさやを焼けば換気ダクトの中のルシファーを燻し出せるでしょう」
 深森探偵が妙案を出したが。
「我々や他の住人も巻き込まれるので却下ですな」
 妙すぎたのでこうなるのが妥当であろう。
「そもそも乙女の部屋でくさや焼かないで……。美女の絵もくさや臭くなるし」
「絵の臭いなんてかがないだろ」
 恩納月女史にツッコミを入れる佐々木刑事。
「パンツの臭いで下着泥棒に気付いた奴が言うな」
 そこに更にツッコミを入れる飛鳥刑事。
「絵とパンツを一緒にするんじゃねえ」
「って言うかその話詳しく」
 身を乗り出す恩納月女史。
「今はそんな場合じゃないだろう」
 だが。狭いアパートの一室を警備する作戦など話し合うべきことは多くなく、現に作戦の骨子はすでに組み上がっている。あとはここですべきことなど精々恩納月女史のコレクションを鑑賞させてもらうくらい。
 そして飛鳥刑事はそれに加わることはできない。おっさんだけで盛り上がっているうちは問題ないが、今はミサエも目的は果たしフリーだ。おっさん達がこそこそ何をしているのか興味を持つかも知れない。鼻の下を伸ばしながら裸婦像を眺めている姿を見られるのはまずい。
 しかし飛鳥刑事だって別にミサエからの好感度を大事にするつもりは無い。所詮は勝手に現れてつきまとってるだけの変な女の子、嫌われて離れていこうが知ったことでは無い。しかし、ミサエは少年探偵団として大貴とも連んでいるのだ。見ての通り色々教育に悪い現場なので事件当日まで大貴を連れてくるつもりは無いが、なればこそ深森探偵の事務所辺りで顔を合わせた時に色々と話を聞くことになるだろう。その時にミサエから大貴にこういった話が伝われば、そこから小百合に告げ口される心配がある。
 ただでさえ美少女怪盗を美少女探偵が追う(便宜上『美』をつけさせて頂きました)楽しそうな現場に元祖本家の真・ルシファーまで出てこようとしているのだ。これだけでも小百合にバレればメガネの奥から冷凍光線が飛んでくる。これらは不可避の状況である。そこに更に自由意志で裸婦像鑑賞会に加わったりしたことが知られれば目から出るのは怒りの高熱レーザーとなろう。君子危うきに近寄らず。男しかいない時の楽しみとして取って置くに限る。もちろんこの場合、恩納月女史は女性としてカウントされない。
 気兼ねなく鑑賞会を開ける独り者達は放って置いて、飛鳥刑事は女性二人の相手をすることにした。これはこれでまあまあ楽しい役目であろう。そして、ひとまず話題と言えば、先程ちらりと話に出た下着泥棒の話題となるわけである。

 まだいくらも日が経っていない、選挙期間中に大暴れしたローズマリー。そのターゲットの一つとなった“マルガリーの女”を所持していた八雲氏には裏の顔があった。ふらりと街に繰り出しては洗濯して干されたパンツを盗む悪しき存在であったのだ。
 八雲邸にて発見された独身男性の持ち物にそぐわない布きれの山が、どのような経緯で入手されたものなのかを探り当てるため、佐々木刑事がとった手段が“臭いを嗅ぐ”と言うものであった。それによって、穿いていたものを手に入れたわけでは無い、洗濯されたものだと分かり、八雲氏の所業を突き止めたのである。
「でも、その方法って結構正確さに欠けると思うんです。一日穿いて汚れきったパンツなら間違いないでしょうけど、お風呂上がりにちょっと穿いただけなら臭いもつかないでしょ」
 真顔で言う名探偵ミサエに飛鳥刑事が率直な意見を述べる。
「その辺真面目に検証しなくていいから。臭かったとしても変態男が自分で穿いて洗濯もしてないって言う可能性があることくらい庸二だって気付いてただろうさ」
 話は聞こえていたらしく、隣の部屋から呻き声が聞こえた。
「うげっ。その可能性をまったく考慮してなかった!まあ、そもそも誰のパンツか分からない時点でそんなに興味ないけどよ。穿いてたの、ブスかも知れねえし。持ち主の体を離れた以上ただの布だぜ」
「そうそう、このどうでもいい話で思い出したけど。その“マルガリーの女”っての、3部作になってる絵で、ローズマリーが狙ってたのは品の良さそうな服を着た女の絵だったが、他のはお宅好みの絵だったそうで」
「お。それはつまりヌードですな?」
 ニヤリと笑う非常にぶれない恩納月女史。と言うかこの人、男相手にこんな話が出来るくらいには熟れているのはなんなのだろう。男が苦手というわけでは無いのだろうか。
「一つは芸術的なヌード。残るはハードコアな春画だとの話でした。そのレプリカが無いのか家捜ししてたら出てきたのがパンツだったのですよ」
 深森探偵がその時の状況を語った。この恥知らずばかりの中に放り込まれたミサエが可哀想だ。と言うか、そろそろミサエも恩納月女史の正体に、そして自分が今とても危険な状況に居ることに気付いてきているのでは無かろうか。果たして、ちゃんと予告の日にここに来てくれるか心配だ。まあもっとも来たら来たで、きっと色々心配しなければならないのだろうが。
「って言うか。そのコレクションの中に“続・マルガリーの女-はじらい-(仮題)”とか“続々・マルガリーの女-乱れ-(仮題)”が混ざってるんじゃないか」
「内容としては間違ってないんだろうが変な仮題をつけるな。んー、今まで見た絵の中にそれっぽい奴は無かったなー」
 そもそも、ここにある絵も“マルガリーの女”も、飛鳥刑事より佐々木刑事の方がじっくり見てるはずなので、飛鳥刑事が思い出すより佐々木刑事に思い出させた方が効率がいいだろう。
「んー。残念ながら私も新しい絵を買う気は無いんですよね。予算も無いし」
 物憂げな顔で、切なそうに溜息を漏らす恩納月女史。こんなことで、である。
「庸二、おごってやれよ」
「やなこった。どうせ買うんなら自分の部屋に飾るわ」
「買うなら家教えて。通うし」
「来んな。何なら有料でレンタルしてやっていいぜ。まあ、買わないんだけど」
 すげなくフってフラれた割にこの二人の仲がいい気がする。趣味は合うのだろう。碌な趣味では無いのだが。

 こんなくだらない話をしている間にも日は暮れ、親しくもない女性の家に居座るのも女子高生を連れ回すのもよろしからざる時間になりつつある。そして非常時でもないので刑事たちも仕事を切り上げたい頃合いであった。と言うか、そもそも今日のが仕事と言えるのか既に怪しいのだが。
 最近家族に言えないことが少しずつ増えている。今日の食卓で話す内容を吟味していたらそんなことを実感しつつ、玄関をくぐる飛鳥刑事。
 その食卓での第一声は大貴のものだった
「なー父ちゃん。予告の日は明日だろ。そろそろオレも予告の場所に連れてってくれよ」
「言っただろう、今回の予告の場所は一般人の家、しかもただのアパートだ。あまり騒がしくすると近所迷惑になる。だから予告の日だけしか連れていけない」
「でも探偵のおっちゃんとアケミちゃんはさっきまで現場に行ってたんだろ」
 大貴はミサエが自分のことをアケビちゃんと呼んでと言ったのを割と忠実に、少し間違えながらも守っている。少し間違えてはいても、明智っぽさは残ってるのでミサエも容認しているようだ。
 そんなことよりも、である。
「なぜ知ってるんだ」
「おっちゃんの事務所に電話かけたら受付のおばちゃんが言ってたぜ」
「あの事務所に受付のおばちゃんなんて居たっけ……。とりあえず、あまり捜査情報を口外しないで欲しいんだがなぁ」
 であれば民間人が捜査に混ざっているところから何とかすべきであった。そしてそもそも、深森探偵は決して捜査に関する情報をその受付のおばちゃんとやらに話したわけでは無い。話したのはあくまで自分自身のスケジュールのことであり、その受付のおばちゃんには『ルシファーからの予告の場所に行く』と言う言葉のみが伝わっただけで、その具体的な場所や予告の時間まで知らせたわけでは無いのだ。更に言えば、その連絡をした時点で深森探偵はまだその現場の場所すら知らなかったのである。友貴の心配は杞憂であった。
「ぴちぴちの新ルシファーに女子高生探偵なんて、楽しそうな現場ねー」
 心配すべきはこちらであろう。聞かれないのでうまいこと言わずにおいたつもりの余計なこと各種が、全て大貴の口から小百合に届いていた。小百合も友貴にわざわざ聞いたりしないわけである、だってもう全て知っていたのだから。
 元祖ルシファーの介入や、次のターゲットの所有者が一応それなりに若い独身女性であること、その居室が裸婦像天国である事などは黙っておいた方がいいような、大貴の口から伝わるより先に洗いざらい白状しておいた方がいいような。と言うか、そもそも友貴は何一つ悪いことはしていないのだが……ここまでビクついてしまうのはなぜなのだろうか。
「名探偵さんはともかく、大ちゃんや女子高生が平気で出入りしてるなら、あたしも元警備課の警官として用心棒代わりに参加しちゃおうかしら。……一人で留守番してても寂しいし」
 ただでさえ狭い現場なのだ。これ以上人が増えても困る。だがしかし、ここで断った後に先述の諸々が明らかになれば……。ここは、いっそ覚悟を決めるべきだろうか。
「うーん。斯くなる上は仕方ないか……。それじゃ明日、恩納月さんに会わせてやる」
「えっ。女好き……?」
 音だけ聞けば当然の聞き違いをする小百合。そして、友貴にはその聞き違いを正すことは出来ない。何せ、聞き違えから出た言葉ながらそれもまた事実なのだから。言うとすれば「女好きじゃ無くて恩納月さんだ。まあ、女好きなんだけど」と言うような、分かりにくい説明にしかならない。時間の無駄だ。そして。
「ただでさえ佐々木刑事もいるのに更に女好きが居るんじゃ貞操の危機だわね。家で大人しくしてるわ」
 子持ちの主婦には今更な心配をしつつ、小百合は顔出しを辞退した。
「そうだな、餌食になるのはコスプレ女子高生だけで充分だ」
 友貴はほっとした気の緩みからさらっと酷いことを言う。それを聞いた小百合はその女子高生の安全を守るためにやはり行くべきかを悩み出すが、優先度としては特売がない日のスーパー程度のものであり、一応選択肢にはありましたよという表明をしただけだったようだ。
 恩納月さんの名前を出し、女好きな人だと言うところも理解して貰ったところで、折角だから大貴を呼べずに居る理由(の一つ)を開示しておくことにした。
「で、だ。そんな人だからコレクションも女の裸の絵ばかりでな。……大貴を連れて行きたくない理由も分かって貰えると思う」
「ええ、理解したわ。……大ちゃん、今度のルシファーはパパに任せておうちで待ってたらどう?」
 だが、大貴は。
「じょーだんじゃねーぜ、探偵が女を理由に怪盗を見逃すなんて出来るかよ!」
 この言い方だと、デートがあるから怪盗の追跡をやめるような話をしているかのように聞こえる。
「それに、女の裸は見過ぎると刑事のおっちゃんみたいになるんだろ。ああはなりたくないからな、気をつけるよ、大丈夫」
 刑事のおっちゃんとはもちろん庸二のことである。大貴の中で庸二がどういう人間だと思われているのかは少し気になるが、この様子ならあまり裸のことを気にする必要はなさそうだ。
「いい子だ、息子。だが、時が来たらちゃんと女に興味も持つんだぞ」
 むしろ、別な心配事が出来そうである。

 穏やかな夜は明け、何事も無い朝が来た。
 しかし何も無かったのは飛鳥刑事の周りだけ。起こるべきところでは色々起こっていたのである。
 その事を思い知らされたのは、いよいよ明日──土曜日という予告なので今夜日付が変わった時点で現れるかも知れないし、明日の夜かも知れないが──ルシファーが現れるので、警備の準備を始めようと恩納月邸、いやアパートを訪れた時であった。
「さっき女探偵さんが来て、“女神の微笑み”はこっそり事務所に匿うからって持っていきましたよ」
「何だって。聞いてないぞ、まったく。スタンドプレーにも程があるな」
「俺たちゃ予告されてない絵を守んなきゃならないのかよ。しかも、予告の絵が無いから安心ってわけでも無いんだろ。他の絵だって盗まれるかも知れねぇんだしよ」
「ミサエくんも学校もあるってのにこんな朝からこき使われて可哀想に」
「あ、それですけど。昨日の美少女探偵さんじゃありませんでしたよ」
「んあ?じゃあ誰……?って言うかそれ、ルシファーじゃないのか」
 予告には一日早いがありそうなことである。顔を見合わせる刑事達。
「あのおじさん探偵の事務所の人だって言ってました。美人さんでしたよぉ」
 にへらと笑う恩納月女史。女性の笑顔でこれほど怖気が走るのはそうそうないことであろう。自分が女だったらもっと恐ろしかったはずだ。それはともかく。
 あの探偵の事務所に女の人などいただろうか。とそこまで考えて昨日も同じことを考えたことを思い出す。そのとき大貴が言っていたはずだ。おばちゃんがいると。恩納月女史の様子からして、大貴からみればおばちゃんだがまだまだそれなりに若い女性のようである。
 一応念のため、深森探偵事務所に電話をかけてみる。
『はい、深森探偵事務所です』
 女性が出た。確かに、受付のおばちゃんは居るようである。
「警察の者ですが。そちらで女神は微笑んでますかね」
 用心のため、解る人なら解るような質問をすると。
「はぁーい、セックスィーに微笑んでますよぉー」
 と返ってきた。解ってもらえたようだ。そして、話の通りだったようだ。
「今うちの所長もそっちに向かってますから、適当に相手してあげてくださいねー」
 所長へのリスペクトが微塵も感じられない言葉で通話が終わると、早速話し通り深森探偵がやってきた。ここはレディの自宅だけにゴミ袋ローリングで突撃したりせずちゃんとチャイムを鳴らしての来訪だ。
「これはいったいどういうことですかな」
 飛鳥刑事と佐々木刑事を見るや深森探偵が放った言葉がこれだ。
「どういうことって、何がです」
 どういうことかと聞かれるような特に変わったことと言えば、深森探偵サイドの動きくらいである。飛鳥刑事にはそう聞き返すくらいしかできることがない。
「ルシファーからターゲットが変更になった、というか予告の内容が間違っていたと予告の変更状が届いたのですがね」
「何ですそれ。こっちにはそんなもの来てませんよ」
 刑事達とついでに恩納月女史は深森探偵が取り出した紙片に目を通す。

『ターゲット変更のお知らせ
 先日の予告状には一部誤りがありました。以下のように訂正いたします。
(誤)加賀野太真吾作・女神の微笑み
(正)梨蝉慈夜奈作・女神様の微笑み
 場所はアトリエジョニーになります。
 関係者各位にご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます。』

「新聞の訂正記事かよ」
「ご迷惑をかけたって言っても本格的に迷惑かけるのこれからだしな」
「ええー、美少女探偵と美少女怪盗の対決、ここじゃなくなっちゃうの?」
 三者三様の反応だったが、予告変更状の肝心な部分に反応したのはこれで部外者になることになる恩納月女史だけであった。
「そんでこの作者、なんて読むの……?っていうかどこよ、アトリエジョニーって」
 佐々木刑事の言葉に、一同「あんた知らないか」と言いたげな顔を見合わせた。
「他の人にに聞いた方が早そうですな」
「電話帳には勝てませんよ。で、そっちは誰にかけるんです」
 飛鳥刑事は電話帳を開きながら深森探偵に問いかけた。。
「この町で私の知り合いといえばあき坊に決まってるでしょう。深森輪業ですよ」
「うっわー。知ってるはずねー」
 佐々木刑事は嘆息した。
「うーん、電話帳に載ってないなぁ」
 飛鳥刑事が諦めた、その時。
「知ってました!お得意さんだそうです」
「まじかよ」
 なぜ知っているのかは気になるが、アトリエジョニーの場所を聞いてとっとと向かうのが先である。

 ついて行きたがる恩納月女史を押し戻しながら、昭良から話に聞いたアトリエジョニーを目指す。
 辿り着いてみて納得である。電話帳に載っていないのも、誰も知らないのも当然だ。何せ、開店記念の花輪がまだ飾られている段階なのだ。手書きで雑に書かれた文字だけの看板が、確かにここがアトリエジョニーであることを示している。
「ちぃーっす。……うぇ」
 店内に一歩踏み込んだ佐々木刑事が変な唸り声を洩らした。店内びっしり、アニメ絵で埋め尽くされている。ア▽レちゃんや▽ムちゃん、≡ンキーモモやクリィ≡ーマ≡など、女の子多めというかほぼ全部それである。飛鳥刑事もちびっ子の親、そうでなくても有名作品も多く、結構分かるキャラがいる。
 そして、その真ん中にいる人物はいかにも日本語など通じなさそうな金髪碧眼の中年男性。ここの主でありながら、この空間に於いて一番異質に見えるのはなぜだろう。そして。
「いらっしゃいませ。何がご入り用ですか」
 まあ、多少外国人訛りこそあれ日本語ぺらぺらだったが。
「ええーっとぉ、ご入り用のものは特にないんですがね、その。『女神様の微笑み』ってぇ作品を探してましてね」
 場の雰囲気に圧倒されながらも佐々木刑事が切り出した。
「おお!お買い上げですか!」
 嬉しそうな店主。
「お買い上げないです。実はですね、その作品は怪盗ルシファーに狙われてるんですよ。我々は女神様が穏やかに微笑んでいられるように悪魔からお守りするために馳せ参じたっていうわけです」
「怪盗?またですか!」
「ん?またってぇのは?」
 と、その時。
「あれっ」
「おや?」
 店内での心落ち着ける居場所を探して視線と体と魂を彷徨わせていた飛鳥刑事は店の奥から出てきた人物に気付いた。知らない人物ではない。割と最近見た顔だ。
「おたく、確かパンツの」
「いやいやちょっと、その呼び方は勘弁してくださいよ。今は反省して脱・パンツの決心をしたんですから」
「その決心が脱がして奪い取るって言う意味じゃないのは言うまでもないですよね?それと一応、男物は穿いといてくださいよ」
 八雲氏。市長選期間中のローズマリー騒動で標的となった絵画『マルガリーの女』の所有者、だがその裏の顔は聖華市の女性たちを震撼させたパンツ泥棒。いや、実際のところは目立たないようにやっていたので被害者たちも被害に気付いていないか、気付いても確信に至るところまではいかずもやもやするにとどまっており、特に被害届もでてはいなかったのだが。故に書類送検で済んだようである。
「しかし、何でこんなところに」
「さすがに仕事はクビになっちまいましたからね……。ちょうどこっちに出てきた友人の手伝いをする事になったんですよ」
「それがあの人ですな」
「ええ、みなさんももうご存じの」
「え?」
 そんなことを言われても全くもって存じ上げない人物である。相手は冴えない中年ながらも金髪碧眼。知人にいれば印象に残るはずだ。であるのに全く心当たりがない。即ち、知らない。……と思っていた。彼が名乗るまでは。
「どうも。ジョナサン・リージェントです」
 思いっきり知っている名前だった。しかもちょうど昨日話題に出したばかり。噂をすれば何とやらである。
「これはどうも。それで早速ですが。……マルガリーの女の幻の第三弾についてお話しいただけますかな?」
「それも気になるけど早速話すべきことはそれじゃねえ」
 佐々木刑事は深森探偵を遮るのだった。

「ここにあるという『女神様の微笑み』という絵が怪盗に狙われているのです」
 事情を説明する飛鳥刑事だが、リージェント氏は手とかぶりを振る。
「ああー、絵ではありませんね。まあその辺は現物を見てもらえば話が早いかと」
 リージェント氏は店の奥からその作品を抱えてきた。なるほどこれは絵ではない。裸身の女性の、言うなれば女神像だ。あくまでも、言うなれば。色合いは石膏像のようだがつるっとした素材はプラスチックだろうか。軽そうに抱えてきたリージェント氏の様子、そしてテーブル上に置かれたときの音からして中は空洞。いや、そもそも後ろ側は何もない。
「芸術作品……という感じではないですな」
「同人作品……というか手製グッズですね」
 『女神様の微笑み』。それはこのアニメの絵溢れるアトリエにいたって違和感なく溶け込む代物である。平たく言えばアニメ顔なのだ。
「これは『おねがい女神様』の女神様をデザインしたフロントカウルです」
 フロントカウル。バイクのハンドル上部を覆い隠す風除けパーツである。必ず必要なものではないが、長時間もしくは高速走行時にあればライダーに掛かる負荷を軽減できる。とても目立つパーツなのでオシャレや威嚇目的で取り付けるケースもあり、族車には見上げるほどのフロントカウルがよく見受けられる。そのようなバイクからは対向車などは逃げていき、パトカーは寄ってくるものだ。
 このフロントカウルもパトカー以外は逃げていくサイズだが、逃げていく理由は少し変わりそうだ。
「ええと。これはお高いんでしょうかね」
「ええ、そりゃあもう。このサイズですから工賃も材料費も掛かってますし、コピーライトの問題もクリアするために金を使いましたし」
 日本ではこのころまだ権利関係はさほどうるさくなかったが、そういうところに先進的なアメリカ人のジョナサンは制作に取りかかる前にしっかり最低限の筋くらいは通したのだ。できあがる物が裸で暴走バイクに取り付ける代物だとまではさすがに言えないのでその分多めに金を積んだりもしている。
 そして。ここまでに一言たりとも芸術的価値などに言及していないあたり、そっちの方はお察しということだ。
「どうやら認めざるを得ないようだな……ルシファーは裸好きだと」
 この目の前に置かれた物体に芸術的価値はない。ただ、商品価値のみ。ならば、ルシファーは単純にこれが欲しいと思ったということだ。佐々木刑事の中で、この事実が確実な物となっていくのだった。

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