Episode 5-『Star seekers』第3話 星々の行方
レオの盗難の知らせを聞いてすぐに動き出した警官のチームが蟹江邸と村上邸にも向かっていた。
その蟹江邸から足を引きずりながら出てきたローズマリーの耳に、遠くから近づいてくるパトカーのサイレンが届く。
「おや、お早いお着きだね」
そう独りごちるローズマリーに、行く手の角から現れたヘッドライトが近づく。まさかもう来たか、と思ったが、そうではなかった。
ローズマリーの側に停められたその車の窓からは、見覚えのある中年女性が顔を覗かせて後ろを指し示した。乗れと言う訳だ。
今回の一連の仕事には、警察に潜伏中のエージェントの他に3名のエージェントが関わっている。この女はそのうちの一人だ。名前は知らない。いや、そもそも彼女たちには組織に割り振られた番号以外は偽名しかないのだが。
ローズマリーは車に乗り込んだ。
「手間取りましたね。モノは?」
「その点は大丈夫さ。散々な目にはあったけどね。足も痛めちまった。迎えに来てくれて助かったよ……」
そう言いながら、ローズマリーはキャンサーを取り出して見せた。
予定ではエージェントの車が待機する場所まで歩いて帰ることになっていたが、時間がかかり過ぎていることと、パトカーのサイレンが聞こえたことで様子を見に来たのだ。
「他はどうなった?」
「アローは一足先に成功させてきたそうです。チームの方も準備が整い次第実行に移るでしょう」
「それじゃ、あと一つだね」
計画は、キャンサーダッシュの時にローズマリーが少し痛い目にあった以外、予想以上に順風満帆に進んでくれたようである。
そのチームの方も準備が整い、動き始めていた。
クレーンのついた作業車を村上邸の塀に横付けし、チームのメンバーが車から一斉に降りた。全身を黒のスーツで包み、仰々しいガスマスクで顔も見えない。見るからに異様な姿だ。
チームは塀を乗り越え、続々と敷地に潜入する。明かりが漏れる窓に近づき、外から軽く叩くと、その音に気付いた警官が窓を開けて顔を覗かせた。
チームのメンバーがショルダータンクに繋がるノズルのついたホースの先端を警官に向けると、ホースから催眠ガスが噴射された。警官はガスを吸い込み、軽くむせて咳をしたあと呻き声と共に崩れ落ち、そのまま眠り込んでしまった。
窓枠に引っ掛かったまま眠り込んている警官を引きずり落とし、その窓から邸宅に入り込む。ここはリビングルームのようだ。テレビがついたままになっている。警官がサボってテレビを見ていたという訳はないので、先ほどまでここに館の主、村上氏がいたのだろう。
警官が応援を呼んできたらしい。複数の足音が近づいてくる。
警官たちとの出会い頭、タンクを背負ったメンバーがまた催眠ガスをまき散らした。警官たちは警戒して距離を開ける。だが、大量に振りまかれた催眠ガスはマスクもなにも無しの警官たちをあっさりと包み込み、警官たちは続々とその場に倒れていった。
事前に聞いていた警官の人数は6名。そして、その全員が催眠ガスのために床に倒れている。あとは金庫を運び出すだけである。
金庫のある部屋についた。サジタリウスの入っていた金庫よりは大きな金庫だ。運び方もあの時ほど簡単ではない。金庫の近くに台車を置き、メンバー全員でその台車の上に金庫を乗せる。台車を押して作業車に一番近い窓の前に金庫を運ぶ。そこで先回りして作業車に戻っていたメンバーが室内に引き込んだクレーンのワイヤーに金庫を結わい付け、引き上げるのだ。
ここまでは何の滞りもなく、順調に作業が進んでいた。
その時、にわかに邸宅の外が騒がしくなった。
飛鳥刑事らの車が村上邸に到着した。
玄関外で警備しているはずの警官の姿がなく、扉は半開きになっている。何かあったようだ。刑事たちを先頭に警官が続々と駆け込んで行く。
廊下に警官が二人倒れていた。息はある。眠っているだけだ。
何やら物音が聞こえた。慎重にその物音のする方へ向かう。
部屋の中で数人の人間が金庫を囲んで何かをしている。ちょうどワイヤーを結わえ終わり、吊り上げ始めたところだった。窓の外から機械の動くゴゴゴゴと言う低い振動音が聞こえている。
犯行グループの一人、タンクを背負った人物がタンクから伸びるホースを警官達に向け、何かを噴射した。
「吸うな、退避しろ!」
恐らく催眠ガスだと判断した佐々木刑事が警官たちに指示を出した。更に、数人の警官を外に回らせ、可能なら外にいる車をパトカーで取り囲むように言う。
そうこうしているうちにも金庫は窓の外に運び出され、賊も一人ずつ窓から脱出を始めた。
このまま何もせずに逃してなるものか。
意を決した飛鳥刑事は、手錠の片方を自分の腕にかけてもう片方を手に持ち、息を止めながら猛然と犯人たちの方へ突っ込んで行った。
窓に手をかけ、外に飛び出そうとしていた犯行グループの一人に飛びかかり、引きずり下ろす。犯人の仲間が飛鳥刑事に向けてガスを吹きかけてくるが、怯まず犯人を押さえつける。
息は止めていたが、少しガスを吸ってしまったらしく、少しくらくらしだす。それでも犯人の腕にしっかりと手錠をかけた。
飛鳥刑事にガスを吹きかけていたグループの一人が飛鳥刑事を押しのけて窓に駆け寄った。飛鳥刑事はその姿を目で追う。すさまじい眠気が襲ってくる。もう目を開けているのも限界だった。
窓から外に出た犯人グループの最後の一人が銃を取り出すのが見えた。だが、抗い難い強烈な眠気は飛鳥刑事の体の自由を完全に奪っていた。
遠のいて行く意識の中で、何発かの銃声を聞いた。
目を覚ますと、派手なシャンデリアが見えた。見覚えのあるシャンデリアだ。最初に村上邸に来た時、その豪華さに驚いた。だが、見栄でで応接間だけ豪勢にしてあるようで、他の部屋は割と質素だったりする。
「あっ、起きた。大丈夫?」
シャンデリアは見えなくなった。小百合が覗き込んで来たのだ。
俺は撃たれたんじゃないのか?そう思いながら飛鳥刑事は体を起こした。催眠ガスのせいか頭が重くボーッとはするが、特にどこも痛みはしない。
では、あの時聞いた銃声は何だったのか。
あの犯人たちを見つけた隣室でその答えがはっきりした。
そこには一つの死体が横たわっていた。飛鳥刑事が手錠をかけた、あの犯人グループの一人だった。
もはや見捨てるしかないと悟った犯人グループは、逮捕された仲間が余計なことを言わないように口封じをしたのだ。
犯人グループの車を足止めしようと取り囲んでいたパトカーを体当たりで弾き飛ばし、犯人たちは逃げおおせたと言う。
結局、全てのゾディアックが盗み出されてしまったのだ。
殺された犯人は若い男性だった。身元を示すものなども持っておらず、身元不明として処理をせざるをえなかった。
だが、一つだけ身体的な特徴があった。足の裏に数字の入れ墨がされていたのだ。
森中警視はその報告を聞き、この男をストーンの末端構成員だろうと推測した。
ストーンの構成員は幹部と末端に分かれており、末端構成員には番号が振られている。彼らには戸籍がないことがほとんどだ。最初から組織の中で生まれた人間は生まれていないことになっており、途中から組織に加わった者は既に死んだことになっている。そればかりか、名前さえない。だからこそ数字が振られている。これでは身元も何もない。
ローズマリーが関わっていた時点でその可能性も考慮していたが、やはりこの事件の背後にはストーンが絡んでいたのだ。
だが、何のために?
ストーンの主な活動内容は盗品の売買や密輸、窃盗犯への仕事の斡旋など。今までに構成員が直接盗みに関わって来たことはなかった。だが、それに加えて窃盗グループを抱えるようになったということか。
さらに、ゾディアックを狙った理由も分からない。12個全てを盗み出すほどの理由でもあったのか。そろえて価値を上げるにしても、リスクの方が大きい。
単に商品としてゾディアックを狙ったというのは考えにくい。何らかの理由があったのだ。
考えられるのは、依頼を受けたからということ。窃盗の依頼受け付け・斡旋はもともとテリトリー内だ。
そうなると、依頼主がいることになる。盗み出してまでゾディアックを揃えようとする事情とは。そんな事情を持つ人物とは。それを探って行けば何かが見えて来そうだ。
それには、ゾディアックそのものついてもっとよく調べて行く必要があった。伊沢刑事に頼んでおいたゾディアックのオークション出品者の行方の調査は、今のところ暗礁に乗り上げている。まったく足取りが掴めず、生存さえも確認できていない有様だ。
今回の事件の被害者達で、ゾディアックの事を何か知っている人はいないだろうか。
カニの事しか興味のない蟹江氏はとりあえず問題外。坂本氏は多分捜査に協力してくれないような気がする。川中氏はまだ太平洋上だ。石原氏も商品として品物を手に入れたという事なので、そのものについてあまり詳しくはないかも知れない。まずは、村上氏、光浦氏、そして拓磨氏から話を聞いてみる事にした。
村上氏は、自宅ではなく近所のホテルにいる。自宅の一室で、犯人グループの一人が仲間に撃たれて死亡している一件があるため、気味の悪さのために自宅を離れているのだ。
村上氏はジェミニを手に入れてからいろいろと調べてみたと言うが、伊沢刑事が調べてきたのと同じような話で、他に大したことは知らないようだ。
「しかし、噂は本当だったなぁ」
村上氏はぼそっと呟いた。
「噂?」
「ええ。ゾディアックは呪われているって言う噂が出てたんですよ。所有者仲間の間でね。……この辺の話はスコーピオンの人が詳しいと思いますよ」
「スコーピオンというと、光浦さんですね」
「そうです、光浦さん。その噂に特に深く絡んでいる物がスコーピオンですからね。うちのジェミニも結構関わってたみたいですけど。まあ、その辺の話は光浦産に聞いてみてください。……あの人、以前も一度盗まれてますし、スコーピオンを手に入れてから色々ついてない事があったと。やっぱり、噂に関わるような物は因縁が深いのか、私にも思い当たる点がありますよ。あの屋敷に今じゃ一人暮らし。オークションで出会ったジェミニを手に入れた理由は、うちにも双子の娘がいたからなんです。でもその娘達も、妻も、そしてそのジェミニも今はない。あの屋敷もあんなことがありましたし、出ていこうかと思ってるんです。もっと小さな家で余生を過ごそうかと……」
「それは……お気の毒です」
村上氏がそんな境遇だったとは。思えば、あの家は独りで住むには広すぎる屋敷だ。
「まあ、私も悪いんですけどね……。呪いのせいにして逃げてるだけだと言われればその通りかも知れません」
過去に何があったのか。余計な詮索をしても仕方ない。
そんな村上氏の話にもあった光浦氏の邸宅に行き、話を聞く。
「呪いの話ですか。私もこれを聞いたときは馬鹿げた話だとは思っていたんですがねぇ。こんなことが重なっては信じたくもなりますよ」
そう前置きして、光浦氏は話し始めた。
ここでも赤星という人物の話題から始まった。このゾディアックを日本に持ち込み、やがて没落した資産家。そして、その赤星から財産を騙し取って消えた荒木という男。その息子がゾディアックの出品者だ。
呪いと言われた出来事はイギリスにあった頃から続いていたようではあるが、光浦氏の話は日本に来てからのことだ。
「ゾディアックはただの飾り物ではないんです。スターコッファーというからくり小箱があって、それを開けるための鍵になっているんです」
「それは初耳ですね」
飛鳥刑事はメモを取り出す。
「ゾディアックを手に入れた赤星はそのことを知り、そのスターコッファーを探していました。それを見つけたのが荒木です」
伊沢刑事の調べで、荒木という人物は舶来品の主に雑貨を取り扱う商社を経営していたことが分かっている。
「荒木はスターコッファーと同時にある物を見つけていました」
「ある物?」
「ゾディアックのジェミニの本物です。というのも、赤星が見つけたゾディアックのジェミニはよくできた模造品だったんです。なんでも、ジェミニの元々の持ち主が、洒落でジェミニそっくりの物を作って双子にしたんだとか。しかし、ジェミニは一つで双子なんですから、それが二つあったら四つ子じゃないかと……おっと、話が逸れました。赤星はその偽ジェミニのことを知りませんでしたし、荒木も本物を手に入れて初めてそのことを知ったようです」
そこで、荒木は一計を案ずる。その本物の存在を隠したまま、スターコッファーを赤星に売ったのだ。
赤星は何も知らないまま偽物の混じったゾディアックでスターコッファーを開けようとするが、開かない。そんな赤星に荒木は、それはそのゾディアックが偽物だからだと言った。
「しかし、普通は箱の方が偽物じゃないかって疑いません?」
飛鳥刑事が話に割って入った。
「最初は疑ったみたいですよ。でも、ゾディアックの中には確かに偽物が混じっていました。ジェミニ、たった一つとは言え……ね。その一つの偽物ぶりを事細かに説明してやることでそれが偽物だと証明し、信用したところで他の本物も偽物だと説明したんです。こっちはもちろん出任せでね。赤星は荒木の話を真に受け、その後荒木の口車に乗って安く手放してしまった」
荒木が赤星からゾディアックとスターコッファーを買い取ったのは、スターコッファーが見つかってから随分経ってからのことだった。その間に、赤星家はどんどん資産を失っていき、見る陰もなく没落していた。
「その没落ぶりは、まさに呪いじゃないかと思うほどの物です。騙され、裏切られ、最後に残ったのはいくらかの資産だけ。その資産の中にゾディアックも入っていました」
そして、当初の目論み通りそのゾディアックも荒木が買い取っていった。偽物だと思っていたため、かなり安く買い叩かれたようだ。
「ですが、次にゾディアックを手にした荒木にも不幸が起こるわけです」
買い取ったスターコッファーを、持っていた本物のジェミニを加えたゾディアックで開けようとした荒木だが、スターコッファーは開かなかった。
実は、ゾディアックの中でもスコーピオンを特に気に入っていた赤星は、スコーピオンだけは偽物を作り、本物を自分の手元に残していたのだ。
荒木はその事実に気づき、赤星を問い詰めた。だが、そんな最中に荒木の経営していた会社の人間から、荒木が本物のジェミニを隠し持っていたという事実が赤星に知れてしまう。
赤星は荒木について警察に訴え出た。赤星も荒木に偽のスコーピオンを作り渡していたのだが、荒木のやったことの方が姑息だし、赤星が高く購入したゾディアックを安く買い取る口実にも使った。そこに来て赤星は既に失う物もなく捨て身だった。
社長だった荒木が逮捕された会社の信用は失墜し、ほどなく倒産した。話はこじれたまま赤星は齢に勝てず他界。赤星が死ぬまで手放そうとしなかった本物のスコーピオンはやっと荒木の手に渡る。
が、ここで荒木は息子に裏切られ、ゾディアックを持ち去られてしまったのだ。
「その後、息子がゾディアックをオークションにかける訳です。まあ、そういう言ういきさつがあるのでスコーピオンは特にいい値段がつきましたよ」
「しかし、詳しいですね」
「当時は結構話題になりましたからね。ただ、人の噂も七十五日って言いますか、すぐにそんな話も忘れられたんですけど。イギリスでもこのゾディアックと言うのは所有者を不幸にしていると。まあ、それを知ったのはゴシップ紙の与太記事だったので、その時は気にしていなかったんですが」
その後、スコーピオンはルシファーやローズマリーに狙われ、一度盗られて戻って来たと思ったらまたこのざまである。
「実は私、偽物の方も一緒に手に入れてまして。ほら、こんないきさつがあったものですから、両方ないと偽物かもって思うじゃないですか。まあ、スコーピオンはよく見れば結構違いがあって分かりやすいと思います。ジェミニも偽物と本物が一纏めで売られましたが、こっちは本当に精巧で、ちょっと見たくらいじゃどっちが本物なのかは分かりませんね。で、その偽物は息子に預けてあるんですが……」
そう言った後、光浦氏は何かを考え出す。
「どうしました?」
飛鳥刑事が話しかけるが考え込んだままだ。そして。
「あああああーっ!」
突然大きな声を出す。
「どどどどうしたんです!?」
「そ、それが本物です!盗まれた方が偽物だ!」
「どういう事なんですか!?」
なんだか訳の分からないことになってきそうだ。
以前、ローズマリーにスコーピオンを盗まれた光浦氏は、代わりに息子に預けていた偽物の方を家に飾ることにした。
その後、ルシファーの手により本物が返ってきた。偽物は息子に返されたが、その直後に連日の怪盗報道で聖華市に泥棒大集結という事態が起こる。また盗まれてしまうかも、と思った光浦氏は息子に本物を預け、自分の手元には偽物の方を置いておいた。そして。
「年のせいでしょうな。今の今までそれをすっかり忘れてました」
すっかり忘れて偽物を本物だと思いこんだまま、本物だと思って偽物をローズマリーに手渡してしまったのだ。
飛鳥刑事は急いでそのことを森中警視に伝えた。
森中警視は大急ぎで光浦邸にやってきた。飛鳥刑事は森中警視に今までに聞いた話の子細を伝えた。
「光浦さん、スターコッファーという箱の行方はどうなっているか分かりますか?」
「いいえ、それは聞いてないです」
森中警視の言葉に光浦氏はかぶりを振った。
「そうですか。……恐らく、ゾディアックを全て揃えようとしている目的は、そのスターコッファーにあるんだろう。その所有者が今回の事件の中心にいると見て間違いない」
「となると、やはり元々スターコッファーを所有していた荒木という人物の行方が重要になりますね」
飛鳥刑事はそう言うが。
「その件だが、ちょうど先程伊沢君が荒木の事を突き止めてくれてな。……残念ながら、もう死んでしまっているようだ。数ヶ月ほど前に死亡届が出ている。ゾディアックを売り払った金で上京して画廊を始めたようだが、馴染みの美術商に贋作をまとめて掴まされた上に、雇っていたバイトに売り上げをごっそり盗まれ経営破綻し、その後は詐欺師紛いのことをしていたようだ。そしてその後、詐欺師狙いの詐欺師に引っかかり、詐欺で捕まり服役したところで足取りは途絶えている。そして、今から数ヶ月前に廃ビルの中で半ば白骨化した状態で発見され、所持品から荒木の息子の幸吉と判明、死亡届が出たらしい」
「なんすか、その散々な生き様……。ゾディアックの呪いのせい?怖ええぇぇ」
佐々木刑事は顔を引きつらせた。飛鳥刑事も青くなりながら呟く。
「呪いなんてあるはずがない!トリックが、きっと何かのトリックがあるはずだ!」
「呪いがなかったとしてもただ単にツいてないだけだろ……。にしてもスゲェ」
何はともあれ、荒木の息子からの線は完全に途絶えてしまったわけだ。
そのころ、ローズマリーはストーンのエージェントに呼び出され、そのエージェントのもとに出向いていた。
エージェントが借りているマンションの一室。ドアチャイムを鳴らし、私だよ、と言うと扉が開いた。神妙な顔でエージェントが出迎える。キャンサーを盗み出した時に迎えに来た女性エージェントもここにいるはずなのだが、今は所用のためか見当たらない。
「厄介なことになった。お前が手に入れて来たスコーピオンだが、どうやら偽物をつかまされていたらしい」
玄関に入ったところで男は用件を切り出した。
「何だって?あの男はあたいの催眠でモノを出して来たんだよ?偽物なんか出してくるはずがない」
「本人さえ知らないところで本物と偽物が入れ替わるって事もあるからな。現実問題としてスコーピオンが偽物だということしか考えられないそうだ。クライアントが言うには偽物があることがはっきりしているのはジェミニとスコーピオン、そしてジェミニは奪って来た金庫に偽物も本物も入っていた。その後新しい偽物が作られた訳でなければスコーピオンが偽物だということ以外あり得ない」
客間についた。二人ともソファに腰を下ろし向かい合う。
「カニも大っ嫌いだけど、やっぱり蠍の方が嫌いだね。蟹座と蠍座とは絶対に結婚なんかするもんか」
憎々しげに吐き捨てるローズマリー。
「これ以上結婚のチャンスを減らす気か?……冗談だ落ち着け。それよりどうするかを考えよう」
ローズマリーは手に取った灰皿を戻した。
「あのサソリ爺に催眠をかけてどういうことなのか吐かせてみようか」
ローズマリーはそう言い、苛立ちを隠しもしない歩き方で部屋を後にした。
エージェントの運転でローズマリーが光浦氏の邸宅に着くと、ちょうど刑事たちが屋敷から出てくるところだった。光浦氏も一緒に覆面パトカーに乗り、どこかに向かうようだ。
「いいところに来たみたいだね。あの後をついていくと本物のスコーピオンがある所に連れて行ってくれそうだよ?」
「ううむ、そうかもしれんが、残念ながらそれはできんな」
「え、どうしてさ」
「考えてもみろ、俺もあんたもあの警察共には顔を覚えられている。一緒にいるところなんざ見られてみろ、まだ片も付いてないのに面倒なことになっちまう」
そう言っている間にも刑事達と光浦氏を乗せた車は走り始めた。
「行っちまったよ?どうするんだい」
「どうしようかねぇ。とりあえず、今はこの中には誰もいない。今のうちに盗聴器でも仕掛けておくか」
「でも、鍵くらいかかってるだろ」
「我々を甘く見るな。合鍵をもっている」
「よくそんなの持ってたねぇ」
「盗み出すときに確実に盗み出せる計画が立てられるように集められるデータはあらゆる手段で集めてある。事件を防ぐ意味で警察が嗅ぎ回ってくれたお陰で、仲間が警察として堂々と歩き回れたしな。この鍵もそのおかげさまって奴だ」
そう言いながらエージェントは鍵を取り出し、鍵穴に差し込んで回す。カチリと音がして鍵が開いたのを確かめると、玄関の扉を開けた。
エージェントはテーブルの裏や見えにくい場所のコンセントなどに手慣れた手つきで盗聴器を仕掛けていく。
「慣れたもんだね」
「昔取った杵柄って奴よ。ストーンに入るまではこんなことばかりやってたもんさ」
「へぇ。泥棒じゃそんな物はあまり使わないけど」
「企業スパイって奴だ。外回りの営業マンの振りをして盗聴器を仕掛けたり、書類を盗んだり写真に撮ったりな。……よし、済んだぞ。とっととおさらばだ」
「家捜しはしないのかい」
「そんなことをしたら俺達が入ったのに気づかれる。念入りに調べられてせっかく仕掛けた盗聴器も見つけられちまうよ」
「それもそうか。じゃ、帰ろうか」
二人は玄関に元のように鍵をかけ、その場を後にした。
一方、刑事達と光浦氏を乗せた車は目的地に到着しようとしていた。
車で1時間ほどの所にある光浦氏の息子夫婦が住む家だ。
呼び鈴を鳴らすと、三十過ぎくらいの男が出て来た。
「お、親父。どうした?またえらい騒ぎになってるみたいだけど」
この中肉中背で当たり障りのない顔立ちの人物が光浦氏の息子のようだ。父親似と言っていいだろう。
「それなんだが。預けてあるスコーピオンは無事か?」
「ああ。なんだ、あの偽物まで狙われてるのか」
「いや、お前が持っている方が本物なんだ」
「ええっ。いや、やっぱりそうだよな。俺も本物預かってたような気はしてたけど、親父の方に泥棒入って大騒ぎになってたからてっきり俺の思い違いか何かかと」
「いや、こっちもすっかりそれを忘れてうちのが本物かと……」
親が親なら子も子だ。
とにかく、本物は無事だったようだが、このままここに置いておくとすぐ突き止められる。一旦警察が預かり、対策を練ることにした。
翌日。飛鳥刑事は寝ぼけ眼で郵便受けから取った新聞の一面に思わず動きを止めた。そこには大きな文字で、「スコーピオン、偽物だった!新聞社宛に予告状」と書かれていた。記事によると、一連の事件の犯人と思われる人物からの手紙が新聞社に届けられたようだ。
その手紙には、全てのゾディアックを揃えたと思っていたがその一つが偽物だということが分かったこと、どうやら警察は本物の場所を掴んでいるらしいことは知っている、必ず奪い出してやる、と書かれていたと言う。そして、いたずらではないことを証明するようにゾディアックの写真が添えられていた。
そして、そこにはゾディアックと一緒にスターコッファーらしい箱も写り込んでいたのだ。
飛鳥刑事は生食パンを掴んで口に押し込み、急いでよれよれのスーツを着て車に飛び乗った。
署に着くと、聞き覚えのある声の男が喚いているのが聞こえた。
覗き込むと、案の上蟹江氏だった。なぜこんな所に。蟹江氏は伊沢刑事に詰め寄っている。
「これは聖戦だ!あの忌ま忌ましいサルどもに、怒りの鉄の臼を食らわす機会をあの子らが与えてくれたに違いないんだ!」
何か妙にボルテージが上がっているようだが、そのせいもあって一体何を言っているのか今一つ分からない。
「どうしたんですか。何の騒ぎです」
「おお、飛鳥君か。それがな……」
伊沢刑事が蟹江氏の言うことの要点をまとめてくれた。要するに、蟹江氏はキャンサーを盗まれる時、何匹かの可愛がっていたサワガニも潰されてしまい、憎しみに燃えていた。そこに今朝の記事があったのだ。これはあのサワガニたちがくれた復讐のチャンスなんだと勝手に思い、勇んで警察にやってきたというわけだ。鉄槌ではなく、鉄の臼を喰らわすと言っているのはさるかに合戦の影響だろう。
「面白いじゃないか」
後ろからそう言われた。振り返るとそこには森中警視がいた。
「こちらにしてみても、この降って湧いたような出来事は連中に一矢報いる千載一遇の好機だ」
しかし、その好機に蟹江氏がなんの役に立つのか。
「蟹江さん、あのキャンサーの防衛装置、なかなかよくできてましたな。私もあの手の仕掛けが好きでして。奴らを嵌める罠の制作に協力してもらえませんか」
「もちろんそのつもりですとも」
勝手に話を進め、がっちりと手に手を取り合う森中警視と蟹江氏であった。
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