Episode 4-『胎動』第4話 怪人、浮気か
「いよいよだねぇ」
寒々しいコンクリートの壁に覆われたこの部屋には到底似つかわしくない、服も化粧も派手な女が、部屋相応であ
<る分彼女には似合わないパイプ椅子に腰掛けながら呟いた。
「ずいぶんと予想外のトラブルはあったが、計画はうまくいきそうだ。あんたには本当に感謝してるよ」
身なりだけはスーツでびしっとしているが、首から上はごろつきといった感じの男が女に向かって言う。これでも、普段は髪型を整えてさもまともな社会人であるかのように振る舞っている男だ。
「礼はあたしじゃなくてあんたらの所の御曹司様に言うんだね。計画のほとんどはあの子が立てたんだ。あたいはその作戦通りに動く駒の一つさ」
女の言葉に、男は複雑な顔をした。
聖華警察署ではオケラ座の怪人騒動について、より警戒を強める方針を打ち出した。
一連の出来事は、ただの楽器屋で起こるちょっと変な出来事ではあったが、裏で得体の知れぬ何者かが蠢く事件の前兆となる出来事としか思えない。「オペラ座の怪人」と照らし合わせて、栗本秋江を狙った変質者もしくは金銭や身柄を狙う人物によるもので、凶悪事件に発展する可能性もある。そうでなくても建造物不法侵入などの罪が問えるケースだ。
今までに起きた出来事から、何か起こる場所は例の地下室、そして女子トイレ。この二箇所を重点的に警備する方向でまとまった。
ただ、人員は割けない。そこで、婦人警官に警備を任せ、女子トイレに誰か入る時はトイレ内にも注意を払えるようにすることになった。
そうなれば、その仕事は当然小百合にも回ってくる。
「もう!早く犯人捕まえちゃってくださいよ!トイレの番なんてしたくありません!」
飛鳥刑事の運転する車内で小百合が拗ね気味に言った。小百合の帰宅時間に、先に当番が終わり帰宅していた飛鳥刑事が迎えに来たのだ。
「でもなぁ。しばらく事件は進展しそうにないよ」
申し訳なさそうに飛鳥刑事は言う。
「なんで!?」
「いや、狙われてる栗本って子が心労でまいっちゃって、仕事休んでるんだよね。その間は大して進展無いと思うんだ」
「そんなぁ。じめじめした地下の、トイレの前で、しかも変質者かなんだかよく分からないのが湧くのを待つんでしょ?もう最悪」
「だから、しばらく湧かないんじゃないかなと思うんだけど」
「湧かないと思うのにトイレの前で立ちんぼですか。湧いてくれた方がいいですよ」
「あ、そうなの?」
「怪人だか変人だか知らないけど、湧いたらトイレの床につくように一本背負い決めてやるんだから!」
本気で言っていないことを祈る飛鳥刑事だった。
他の婦人警官たちが警備を行った日は、案の定まったく動きがなかった。
だが、小百合に警備が回ってくる前日に、オケラ屋に栗本から連絡があり、明日から出勤すると言ってきたそうだ。
それを聞いて小百合はやる気を出した。何せ、もしかしたら何かあるかも知れないのだ。便所の前で立たされ損にならなくて済むかも知れないのだ。
「掛かってきなさい、怪人!トイレの床にキスさせてあげるわ!」
飛鳥刑事は小百合が本気であることを知った。怪人が湧かないことを祈ることにした。
一夜明けて、小百合は意気揚々とオケラ屋に警備に向かった。
刑事課でも、栗本が出勤してきたことを受けて、栗本に先日の出来事についてあれから思い出したことがあるか聞き込むことになった。
栗本はもうすっかり落ち着きを取り戻しており、この話に快諾した。しかし、特にこれと言って新たに思い出したことはなかった。
気になる点は、やはり栗本が目撃したという「女性」だ。
更田が女子トイレに縛り付けられていた時、更田が目撃したのは男性の姿である。
怪人は女性なのか、それとも男性なのか。
だが、ここに来て更田から新たな証言が飛び出すことになった。栗本が目撃した女性の話を聞いているうちに、更田も唐突にその女性の姿を見ていたことを思いだしたのだ。
なぜ今まで忘れていたのかははっきりしない。更田が女子トイレに縛り付けられる前に起こった出来事に関する、更田の新たな証言はこんな感じだ。
更田が男子トイレで用を足し、手を洗ってトイレを出たところで男と鉢合わせた。そこまでは代わりはない。驚いたが、客だろうかなどと考えているうちに、男に不意をつかれて口元を押さえつけられた。そして、その後その「女」が現れたのだ。
だが、思い出せたのはそこまでだという。やはり、この後の記憶が途絶えている。
ただ、更田は女の容貌を少しは記憶していた。髪は長く、瞼にシャドーの塗られた目は細く、睫毛は長かった。化粧が濃く、そればかりが印象に残っていたという。恐らく30前後なのではないか、とのことだった。
場末の酒場に行けばいくらでもホステスで働いてそうな人物像ではある。この証言だけではあまり参考にはなりそうにない。だが、女性も関わっている可能性はかなり高くなったことになる。
そうなると、比留間の妻の小夜子にも女性を見たかどうか確認した方がいいだろう。
飛鳥刑事と佐々木刑事は早速比留間の自宅に向かった。
「今日は『オケラ屋』にターゲットが来ているようです」
そう男が言った。
この男は些か小綺麗な男だ。どこにでもいる普通のサラリーマンに見える。ただ、目の奥に潜む光はただのサラリーマンでないことを物語っている。
「そうかい。……あの子に久々に会えるとなると、あたいも楽しみだね」
女はゆっくりと立ち上がる。
「お前も来るかい?」
扉の方に歩きながら、背後にいる人物に振り向きもせずに声をかけた。
「いや、やめておくよ。僕の姿は見せない方がいい」
「そうかい。会わせてやりたかったんだけど……」
「僕のことまで憶えられたら大変だよ」
「それもそうだねぇ……」
女は微笑んだ。
怪人を待ち構えていた小百合も、時間とともにテンションが下がってきていた。
上からは楽しそうなお喋りが聞こえてくる。途切れ途切れに聞こえてくるばかりだが、時折聞き取れる単語から推測するに、朝のうちは怪人の話題だったが、だんだん世間話になり、午後に入ってからは昼メロの話やワイドショーの芸能スキャンダルの話題にうつってきた。午後になるに従い、男の声は混じらなくなる。男はあまり興味を持たない話題だから無理もない。
それに、実は比留間と更田は近所の大正琴教室に大正琴の納入のために出かけていたのだ。午後になって女たちの話題が、女たちの好きな話題にシフトしていったのは間違いなくそのためである。
そして、その比留間と更田が大正琴の納入から帰ってきた頃。彼らと小百合の知らないところで着実に計画の実行準備が進んでいた。
最初に異変に気付いたのは、もちろん地下室の扉の側に、一人で静かに立っていた小百合である。
微かな地響き。そして低い振動音。それは明らかに地下室の扉の向こうから伝わってきた。
上の店員たちは変わりなくお喋りを続けている。小百合は耳を澄ましてみた。もう妙な音は聞こえない。いや。先ほどと違う音が聞こえる。足音のようだ。
小百合はそっと場所を離れ、女子トイレの扉を開けた。そして、階段に身を潜めた。小百合はやる気である。女子トイレの床に怪人をたたきつけるのだ。
地下室のドアでかちりと音がする。鍵の開いた音だ。そっとノブを回す音。そして、扉は静かに開かれる。人影は出てこない。
扉は開ききった。そして、ようやく人影が姿を現す。黒いスーツ姿の男だ。中肉中背と言ったところか。歳は若そうだ。
慎重に歩を進める男。小百合の側に来た。小百合はおもむろに飛び出し、男の襟と胸ぐらを掴む。不意をつかれた男は小百合に引っ張られるままに女子トイレの前にまで引きずり出された。あとは一本背負いでもかけてこいつをこのトイレの床に叩きつけるだけ!
だが、その時、小百合の視界の隅で何かが動いた。そちらに思わず気をとられる小百合の目に、もう一つの人影が映った。やはり怪人は一人ではなく、二人いたのだ。
それに……。
その頃、店には恵が顔を出し、ランドセルを降ろしていた。
その恵がふと動きを止め、不安そうな顔をして比留間と更田の方に駆け寄ってきた。
「ん?どうしたメグちゃん」
比留間が声をかけると、恵は怯えたように小声で言う。
「お化けを見た時の音がするの」
比留間と更田は顔を見合わせる。そして、二人は地下への階段を下りていった。
階段を下りていく時、二人は確かに地響きのような音を聞いた。地下に辿り着いた二人は地下室の方とトイレの方を見渡す。女子トイレの扉が開いている。地響きのような物音は地下室の方から聞こえる。
比留間は地下室の鍵が入っている財布を取り出した。
更田は女子トイレの方に走っていく。覗き込んだが見た感じ誰もいない。
「更田君、鍵がない!」
「えっ」
比留間の言葉に、更田は駆け寄る。
「ここに入ってるはずの鍵がないんだ!」
落としたのか、無くしたのか。とにかく、今この扉を開くことは出来ない。
更田はとっさに鍵穴から中を覗き込んだ。
真っ暗だ。いや、何かが見える。更田は必死に目を凝らす。
地下室の奥の方に、微かに光が揺らめいている。だが、更田が見ているうちに闇に閉ざされてしまった。
オケラ屋からの連絡を受け、警察がすぐさま駆けつけた。
飛鳥刑事と佐々木刑事、そして森中警視も地下に駆け下りる。
飛鳥刑事は鍵を取りだし、地下室の扉を開けた。いつもと変わらぬ地下室が広がっている。
女子トイレは、怖がって近づけない他の女性たちを尻目に、歳の分だけ度胸も据わっている野尻が誰もいないことを確認していた。佐々木刑事も改めて確認するが、確かに異常はない。
更田と比留間の口から、先ほどここであったことが刑事たちに伝えられた。
「おかしな事にまた地下室の鍵がなくなってるんですよ。ずっとこの財布の中に入れてあったのに」
比留間は不思議そうに言った。
「鍵を最後に使ったのは?」
「使ったのはこの間、妙子ちゃんが地下室で縛られた時ですね。あれ以来使ってません。ただ、夕べビールを買う時に小銭を取り出すために鍵を避けたのを憶えてます」
「その時落としたと言うことは?」
「いや、無いですね。財布を畳む時、鍵を斜めにして口を閉めたところまで憶えてますし。財布はその後ポケットに入れっぱなしです」
飛鳥刑事はこの話をメモにとる。
そして、更田が鍵穴を覗いた時に見たもののことを、詳しく聞いてみることにした。
事態が事態だ。更田も、何事も見逃すまいと集中していた。だからこそ、鍵穴から覗き込んだ時の様子をかなり克明に記憶している。
地下室の、かなり奥だ。奥の壁際、もしかしたらその向こう。
朧気な光が見えた。黄色い、日か、電球か。そんな色の光だ。その光は揺れながら薄らいでいく。
左から右にかけて、ゆっくりとその光が消えていく。まるで何かが覆い被さっていくようだ。その光が完全に消えた時、地下に響いていた低い地鳴りのような音も止んだ。
今、明るくなった状態から光の場所を推測するに、それは地下室の隅だろうという。
飛鳥刑事は地下室の隅の壁をくまなく調べてみた。だが、これと言って不自然なところはない。
同じように壁を調べていた森中警視が何かに気付いた。
「見たまえ」
奥の壁と床の継ぎ目を指さす。
「ここは繋がっていない。隙間がある」
確かに、床が壁の極々手前で途切れ、ハガキ1枚くらいなら入りそうな隙間がある。その隙間は奥の壁の端まで続いている。
さらに、左側の壁遠くの壁の継ぎ目も同じようにわずかな隙間になっている。反対側もだ。
一番奥のこの壁は、他の壁とは切り離されているようだ。
「更田君の話と照らし合わせると、この壁がこう、横にスライドするようだな」
森中警視は手振りを交えていった。本当にその通りなら、この壁の奥に、何かがあるのだ。
だが、押そうが叩こうが、まったくびくともしない。森中警視は暫し考える。
「ちょっと待っててくれ。その間に無くなった鍵の件について、もう少し話を聞いておいて欲しい」
森中警視はそう言い残し、急ぎ足でどこかへと消えていった。
小百合は気がついた。
と言うことは、今まで意識を失っていたと言うことだ。
なぜ?
その理由を思い出そうとすると、脳裏に記憶を失う直前の出来事が浮かんだ。
姿を現した「怪人」をトイレの床に叩き伏せるべく、襟を取って技をかけようとした刹那。もう一つの人影が視界の端で動き、そちらに気を取られた。その隙に、相手に振り払われる。
小百合は驚きのあまりに動きが止まってしまった。出てきたもう一人の人物に憶えがあったのだ。
その隙に、男が小百合の背後に回り、腕をひねりあげた。小百合はもはや動きを封じられてしまっていた。
小百合は正面にいる女に向き直った。
「なんであんたがここに……!今までここで起きてた変な出来事も全部あんたらの仕業ね!?」
「ああ、そうさ。それも全て、お前を捕らえるために仕掛けた事さ」
小百合は驚く。こんな、自分になんの関係もなさそうな出来事が、自分を捕まえるために仕組まれたととは。
「一体どういう事?答えなさい、ローズマリー!」
小百合はローズマリーを睨み付ける。
「詳しい話はあとでゆっくりしてやるよ」
ローズマリーは不敵に微笑むと、宝石の粉のつまった袋を取り出した。
いけない。
小百合は目を逸らそうとしたが、既にこぼれ落ちる小さな光の粒から目を逸らすことが出来ない。そのまま、意識を失ってしまったのだ。
そして、ここは……。
辺りを見渡そうとするが、頭が固定されて動かすことが出来ない。目の前には大きな衝立のようなものがあり、視界は遮られている。手も足も何かに固定され、動かすことは出来ないようだ。
「お目覚めかな?」
男の声がした。
「誰!?」
恐怖心を押さえ込み、強気な声で問いかける。
「そんなことはどうでもいい。目が覚めたのなら始めよう」
部屋の灯りが消され、真っ暗になる。目の前の衝立が外される音がした。
何が始まろうとしているのか。小百合は、何とかして闇の中に何かを見いだすことは出来ないかと目を凝らす。
次の瞬間、小百合の目に強烈な閃光が飛び込んできた。そして、小百合は再び意識を失った。
飛鳥刑事は森中警視の指示通り、比留間から鍵をなくした経緯を聞いていた。
本当は小百合が消えたことで気が気ではないのだが、そうも言っていられない。それに、今のままでは飛鳥刑事に出来ることは何もなかった。
比留間の話では、鍵は無くさないように財布の小銭入れに入れており、昨夜ビールを買うために財布を出した時に確認したのは先ほど聞いた通りだ。
その後、財布はポケットからは取り出しもしていない。帰宅後ズボンを脱いだ時もポケットに入れっぱなしでそのままハンガーにズボンごとかけて置いてあったという。その後、一度も財布を開けた憶えはない。
ポケットの財布の中から鍵だけが落ちるわけはないし、盗まれたにしても、現金は小銭も含めてそのまま残っているのはおかしい。だが、この鍵だけを狙う理由がある人物に思い当たらないわけではない。散々この店を騒がせている怪人だ。合鍵を作るなという手紙を残しており、この鍵があると困ることでもあるのだろう。
どこでなくなったのかを特定するためにも、比留間の昨夜から今日にかけての行動を訊いてみる。
比留間は夕べはビールを買い、家でテレビを見ながらそれを呑んだ。その後風呂に入り、寝た。特におかしな事はなかったという。
そして、今朝。普通に朝食をとり、いつも通り店を開け……。
「そう言えば、今日は朝早くお客さん来てましたね」
「え?そうだっけ?」
更田が口を挟んできた。比留間は不思議そうな顔をする。
「ほら、髪の長い女の人」
比留間はまったく思い出せない。飛鳥刑事は更田にさらに突っ込んで聞いてみる。
「俺がここに来る時、店から出て来るのを見たんですよ。店の前に黒い高そうな車が停まってて。思えばうちみたいな安い楽器ばかり扱ってる店には似合わない客だったなぁ」
「あれー?全然思い出せないや。おかしいなぁ、客が来れば憶えてるだろうに……」
この店は、店に来る客ではなく、注文を受けて納品する売り上げの方が圧倒的に多い店だ。だから、客が店に来て、まして自分で相手にすれば憶えているだろう。これは、何かおかしい。
更田も、遠巻きに見ただけなので細かいところまでは憶えていなかった。かなり気になる話だ。栗本が見、更田も見たことを思いだしたという女性と関係があるのだろうか。
程なく、森中警視が帰ってきた。早速今聞いた話をしようと思ったが、森中警視の持ってきたモノに気を取られて、その機会は先送りになる。
森中警視が持ってきたのは『愛用の』バズーカである。なぜそんな物を持ってきたのか。そもそもこんなものを愛用している時点でどうかと思うが。
さすがに、店員たちはドン引きである。
遠巻きに様子を伺う比留間に向かい、森中警視は問いかけた。
「あのーですな。どうやらこの地下室の壁の向こうに、何かがあるようなんですよ。何があるか、知りたいとは思いませんか」
「え、ええ、まあ」
比留間は困ったように答える。
「しかし、この壁をどうやって開けるのか、とんと見当がつかないわけですよ。それでも、向こう側は気になりますよねぇ」
「え、ええまあ」
「これは捜査の一環として言っているわけではなくてですな、この捜査を通して知り合った間柄として、もしもそんなことを思っているのならばいくらでも手を貸そうと提案しているのです。おお、おあつらえ向きにちょうどいいバズーカまである」
いろいろとご託を並べているが、要するにこの壁をぶち破りたいが、捜査としてはそんなことはできないので、ふとしたきっかけで知り合った間柄として『個人的に』壁をぶち破って欲しいと頼み込んで欲しい、と頼み込んでいるわけである。
しかし、ハンマーでも使ってぶち破ると言うならともかく、バズーカを持って来られると素直に『はい』とはなかなか言えない。
「大丈夫です、このバズーカの弾は爆発はしません。昔の大砲で撃ち出される砲丸みたいなもんですよ」
そう言われても昔の大砲をよく知っている人もいないのだが。
しかし、どうせ使ってもいない地下室だし、こんな事があった以上、この地下室を謎のままに放っておくのは気味が悪い。森中警視の提案を呑んで、壁をぶち破ることになった。
森中警視は上着を脱ぎ、バズーカを肩に担ぐ。
飛鳥刑事と佐々木刑事は何度か見たので今更驚かないが、まわりにいる一般の皆さんにとってはバズーカをぶっ放す所などなかなか見られるものではない。不安はあるが、興味深げにドアの向こうに隠れて見守っている。
「全軍、一斉に撃てえぇ!」
壁に向かった森中警視は号令をかける。誰に向けての号令なのかは誰にも分からない。
なかなかに凄まじい音を立てて、バズーカ砲が火を噴いた。
見てみると、確かに森中警視の正面の壁に砲丸のような鉄球がめり込んでいる。
壁にはその砲丸を中心にいくらか亀裂が入っているが、ぶち破るほどではない。
「なかなか頑丈ッスね」
佐々木刑事は壁を叩いてみた。砲丸がぶち当たっても破れないのだから、手で叩いたって崩れはしない。
「いいだろう、相手は手強いほど燃えてくるのだ。私を怒らせたことを一生後悔するがいい」
壁が後悔するわけはない。森中警視が再びバズーカを構えたので佐々木刑事は慌てて飛び退いた。
「第二陣、撃てえぇ!」
だから誰に言っているのか。
二発目の砲弾は、一発目とは腕一本分ほど離れた場所に食い込んだ。その衝撃で、一発目の砲弾は床に転げ落ちる。
地下とは言え、こんな町中でバズーカなど撃てば、音で不審に思う人が出そうだ。だが実際には、ここが楽器店であるため、誰かが大太鼓でも試し打ちしたのだろうと思われたらしく、誰も不審に思わなかった。
間髪を入れずに三発目が撃ち込まれた。今までの二発と合わせて三角形を為す。そして、その三角の真ん中を四発目が捕らえた時、壁が崩れ落ち、穴が開いた。
「五発とも撃って、穴が開かなかったらどうしようかと思っていたが、どうにか開いたな」
そう言いながら、壁に開いた穴を覗き込む森中警視。飛鳥刑事と佐々木刑事も覗き込んでみる。壁の向こうには確かに空間が広がっていた。だが、光が届かず、闇に包まれている。
飛鳥刑事は手にライターを持ち、穴の向こうで灯してみた。揺らめく炎に奥の様子が微かに浮かび上がる。正面に向けて、だいぶ長く続いている通路のようだ。左右には壁がある。もちろん、床と天井もだ。
「入れそうかね?」
飛鳥刑事は穴に首を突っ込んでみた。穴はどうにか人一人が通れそうではある。
「よし。押し込んでやるか」
佐々木刑事が飛鳥刑事の足を持って押し込もうとするが。
「ちょっと待ってください、このまま入ったら服がボロボロに。これしかないんです」
セコいが、飛鳥刑事の薄給ではやむを得ない。とりあえず、いらない段ボールで穴の縁のギザギザしたコンクリートで飛鳥刑事の一張羅が裂けないように準備してから飛鳥刑事を穴に押し込んだ。
「ぎゃ」
飛鳥刑事は壁の向こうに頭から落ちた。足から入れば良かったと今更ながらに思う。
もう一度ライターに火を灯し、あたりを見渡した。コンクリートの無機質な壁、床、天井。そんな中にあるスイッチに気付くのにそう時間はかからなかった。
二つのボタンがある。ボタンには「開」「閉」と書かれており、何が起こるのかが容易に予想できた。飛鳥刑事は迷わず「開」のボタンを押す。
ゴウン、と言う低い音の後、地響きが起こり目の前のコンクリートの壁がスライドしていく。やはりこの壁は開くのだ。
壁が開くと、通路に光が差し込んでくる。開閉のスイッチの側に照明のスイッチもあった。天井にはケーブルが伸びており、そこから電球がぶら下がっている。スイッチを入れると、電球が点った。通路の奥まで明らかになる。すぐに下り階段になっていてさらに地下に続いている。
飛鳥刑事が奥に向かって歩き出すと、森中警視が佐々木刑事の肩を押した。
「行ってきたまえ、ペルシャ人」
「へ?俺日本人ッスけど」
「そう言う役名だ。『オペラ座の怪人』のな。さらわれたクリスティーヌは西川君だった。助けに向かっている飛鳥君がラウル役であろう。ラウルを助けてやってくれたまえ、ペルシャ人のダロガ君」
「なんだか地味そうな役名ッスね」
「なかなかどうして目立つ大役だぞ。怪人のことを知り尽くしたキーパーソンだ。ストーリーもいよいよ大詰め、頑張ってきなさい」
「ま、行きますけど」
調子が狂ったように頭を掻きながら佐々木刑事も歩き出した。
階段は何度か折れ曲がり、行き止まりに差し掛かったが、こちら側にも開閉のスイッチがあった。
スイッチを押して壁を開くと、景色が一変する。打ちっ放しのコンクリートから、石造りの古びた感じになっている。道も二手に分かれているようだ。
飛鳥刑事と佐々木刑事は手分けすることにしたが、飛鳥刑事の進んだ方はすぐに行き止まりになった。
この地下のトンネルはずいぶんと広い。闇雲に進むと迷って戻れなくなりそうだ。トンネルの随所に電灯のスイッチがあり、その電灯を付けっぱなしにすることで、通り道にパンくずを残したヘンゼルとグレーテルのように自分達の通った道筋を残している。これが消されでもしたら帰れなくなるかも知れない。
「しかし、この町の地下にこんなものがあったとはな」
佐々木刑事がぼそっと言った。
地下通路の規模ももちろんだが、その壁が全て石で出来ているのも驚きだ。コンクリートで固めれば早いだろうが、わざわざ石壁にしなければならなかったのはなぜか。
理由は明らかだ。まだ、コンクリートなど無い時代に作られたのだ。
これが作られた理由。そんな事は知りようがない。既に、この町の歴史の闇の中に消えてしまっているだろう。
だが、この地下トンネルが、オケラ屋に繋がれていた理由。そのくらいならば辿れるかも知れない。
この地下通路の行き着く先を目にすれば……。
だが、そんな期待も虚しく、地下通路は程なく突き当たる。ここまでは脇道も多かったが、いずれもすぐに突き当たってしまい、ほとんど一本道だった。帰路でも一度みた脇道をもう一度調べてみたが、やはりどれもすぐに突き当たっている。
結局二人はオケラ屋のあたりにまで戻ってきた。その時、二人の耳に低い地響きのような音が聞こえてきた。
その音のする方に走る。オケラ屋から通じていたはずの通路が石壁で塞がっていた。
閉じこめられた!
だが、それは森中警視が試しにスイッチを操作しただけであった。程なく開いた。
「驚かさないでくださいよ。どこも行き止まりで、閉じこめられたと思いましたよ」
飛鳥刑事が森中警視に突っ込みを入れた。
「すまんすまん。まさかもう戻ってくるとは思っていなかったからな」
森中警視は笑って誤魔化した。
「ただ、行き止まりが本当に行き止まりだったかは怪しくなったな。こっちからみた時はコンクリートだったが、さっき閉まってた壁は周りと見分けがつかないような石壁だった。俺達が見た行き止まりの壁も、少なくともいくつかはこんな感じで開閉する仕掛けになっている可能性もある」
佐々木刑事の言葉を受け、飛鳥刑事は今は壁の中に引っ込んでいる壁を確かめた。確かに、コンクリートの壁の裏側が石壁になっている。
しかし、それが分かったところでこちら側から開く方法があるのか、あったとしてもその方法が分からない以上、手出しが出来ない。
時間だけが過ぎていく。小百合は、果たして無事なのだろうか。
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