Hot-blooded inspector Asuka
Episode 4-『胎動』

第2話 オケラ屋の怪人、現る

 それは一本の電話から始まった。
「……はい。分かりました。すぐに急行させます」
 そう言い、木下警部は受話器を置いた。
「佐々木くん。飛鳥君。事件……だと思う。行ってくれたまえ」
 木下警部の言葉は何か奥歯に挟まったようだ。
「だと思うってのは何スか?」
 佐々木刑事もなんとなく引っかかったようだ。
「ああ。通報の内容だとまだはっきりせん。不審な侵入者を見たという人がいるのだが、被害はまだはっきりとは分かってはいないようだ。ただ、何かの見間違いと言うことはないそうだ」
「うーん。で、場所はどこっすか」
「港通りにある楽器店。店名は……」

 飛鳥刑事は佐々木刑事に連れられ、現場に急行した。
「なるほど、この店か……」
 佐々木刑事は難しい顔で店の看板を見上げる。
「言われた通り……ですね」
 看板には、虫のような生き物がラッパを吹いたりバイオリンを弾いたりしている絵と一緒に店名のロゴがでかでかと書かれていた。
 『オケラ屋』と。
 店名から察するに、このキャラクターはオケラなのだろう。言われてみればそんな気もする。セミの幼虫だと言われればそんな気にもなるだろうし、ゴキブリだと言われればそれはそれで納得しそうではあるが。
 二人は店内に踏み込み、店内を見回す。店内には当然のように無数に楽器が生前の並べられており、店員達が固まって立っていた。
 飛鳥刑事は警察手帳を取り出し、掲げた。
「警察です。通報したのはあなた達ですか?」
「はい。通報したのは私です」
 店長らしい中年男がおずおずと出てきた。
 通報によると、この店の店員の一人がふらっとトイレに行ったきり帰ってこなかった。その後、女子店員により発見された店員は首を縛られた状態で見つかったという。
「で、被害者は……」
「俺です」
 若い男が進み出てきた。見ての通り被害者は殺されたわけではない。この通りぴんぴんしている。
「俺がトイレに行って、出たところで男と出くわしたんです。最初は客かと思ったんですが、突然男が襲いかかってきて……あとは良く憶えてないですね」
 被害者の名前は更田譲治、23歳。商品の運搬などの力仕事を任されている男性店員だ。いかにもスポーツマンタイプで、腕っ節もそれなりに強そうだ。
 男は葬式帰りのように黒いスーツで、マスクをしており顔ははっきりとは見えなかったという。背は更田と同じくらいか低いくらいだという。更田自身はやや大柄だ。
 更田は店舗の地下にあるトイレから出ようとしたところで男と遭遇。男はいきなり掴みかかってきた。そこからの記憶はなく、気がつくとトイレのパイプにロープで首を繋がれ、手足を縛られた状態で洋式の便器の蓋の上に座らされていた。
 それを発見したのは、女子店員の軽井沢孝子。おっとりとした感じの女性だ。
 更田を発見した軽井沢は驚き、すぐに他の店員や店長を呼びに行った。
「首を縛られてうなだれてたので、死んでるのかと思って気が動転してしまって……」
 1階の店舗に戻ってきた軽井沢は、譲治君が死んでいる、と騒ぎ立てた。店長や店員達も大慌てでトイレに駆け込む。しかし、落ち着いてみてみると更田は死んではおらず、揺り起こすと特に怪我もないようであった。
「その間、この店舗には誰もいなかったわけですね」
「はい」
 飛鳥刑事の問いに答えたのは店長の比留間利春だ。人の良さそうなとぼけた顔に口髭が何とも似合っていない。
「その間に何か盗られたりと言った様子はないですか?」
「ええ、特に」
 一応事件と言っていいとは思うのだが、盗難されたものはなく、被害者も特に怪我などはない。目撃された男は一体何のためにこんなことをしたのかさっぱり分からない。
 とにかく、現場を見てみることにした。
 店舗の奥の方に上に登る階段と下に降りる階段がある。地下に続く階段を下り、突き当たりを右に行くとトイレになっている。左に行くと今は使われていない空き部屋になっているそうだ。
「よし。飛鳥、先入れ」
「やですよ。先輩こそこう言うの好きそうじゃないですか」
 察しのいい読者諸君は気付いているだろうが、女子店員の軽井沢が第一発見者であるだけあって、場所は女子トイレなのである。なんとなく、男には入りにくい場所だ。いつもなら現場であれば女風呂だろうが平気で入っていくのだが、今回は事件がしょぼく緊急性に欠けるのでためらいが生じてしまう。
 とりあえず、女子トイレの更田が繋がれていた個室を調べる。更田が繋がれていたロープはタンクから伸びるパイプにまだ縛り付けられたままだ。どうやらこのロープは廊下の隅にあった段ボールを縛っていたものらしい。
 他には特にこれと言ったものは見当たらない。男子トイレの方も異常はない。
「更田さんが見た不審な人物を見かけた人はいませんか」
 飛鳥刑事は店員達に訪ねてみるが、一様にかぶりを振った。
「えっ。でも、店内を通らないとここには来ることができませんよね」
「そうですね」
「その前後に地下に降りたり地下から上がってきた客はいませんか」
「更田君がトイレに行ったくらいの頃にはお客さんは来てませんねぇ」
「と言うことは……」
 飛鳥刑事はさっき降りた地下の様子を思い出す。
 階段から左右に伸びる廊下。右にはトイレ、そして……。
「まさか犯人はまだあの空き部屋に……!」
 飛鳥刑事は駆けだしていた。

 階段を駆け下り、空き部屋のドアを開けようとする。取っ手は回るが、押しても引いてもドアは開かない。
「そのドアは開きませんよ」
 追いかけてきた店長が言った。
「え?」
「この部屋の鍵はだいぶ前になくしてしまいまして。それで使ってないんです」
「無くした?誰かがその鍵を持っているという可能性はありませんか?」
「うーん。ないとは思いますけど……」
 はっきりしないようだ。行方が分からないから『無くした』と言うことになっているのだから無理もないが。
 とにかく、この部屋は気になる。どうにかして開けられないものだろうか。
「その部屋は開けちゃダメだよ!」
 突然子供の声がして振り返る。長い髪を三つ編みにし、ランドセルを背負った一目で小学生と分かる女の子が、いつの間にかそこに立っていた。
「その部屋にはお化けがいるんだよ!開けたら呪われちゃうよ!」
「今はそれどころじゃないんだよ、メグちゃん」
 店長はそんな少女を諫めた。
「その子は?」
「店員の野尻さんの娘の恵ちゃんです」
 野尻さんと言われてもピンと来ない。とにかく、店員の娘だ。メグちゃんと呼ばれているようだ。
「譲治兄ちゃんもお化けを見たんでしょ?」
「更田君が見たのはお化けじゃなくて人だよ」
 恵の問いに店長は首を横に振りながら答えた。
「でも、黒い服を着た人でしょ!?あたしも見たもん!」
「ちょ、ちょっと待った!その話、詳しく聞かせてもらえるかな」
 飛鳥刑事は話に割って入っていった。
 恵はその時のことを話し始めた。
 これは数日前の話である。恵はいつも学校が終わるとこの店に来て、母親の帰宅時間まで遊んだり宿題をしているそうだ。
 ある日、いつものようにこの店に来て宿題をしたあと、家に帰ってから店に忘れ物をしてきたことに気がついた。店はもう既に閉まっているので、店長に電話をして店を開けてもらい、その忘れ物を取りに入った。
 その時、地下からまるで唸るような不気味な音がしたので、気になって恐る恐る地下に降りてみた。しかし、地下は人影もなにもない。だが、空き部屋の中から声が聞こえてきたという。さらに、鍵穴から微かな光が漏れているのに気がつき、覗き込んでみた。薄暗い光の中に黒い人影が浮かび上がっているのが見えた。
 怖くなった恵はすぐに上で待っていた店長にそのことを話し、二人で地下に降りてきた。しかし、声は聞こえてこなかった。店長は気のせいだと言い切ったそうだが、恵は確かにその声を聞いたらしい。
「何を言っていたかは分からないのかい?」
 恵は首を横に振る。
 飛鳥刑事はその時恵がしてみたように、鍵穴から中を覗き込んでみた。だが、真っ暗で何も見えない。
「気になるなぁ……」
 しかし、ドアを破りでもしない限りどうしようもない。この場は一旦諦めて上に戻ることにした。

 上では佐々木刑事が関係者から話を聞いていた。
 この店の関係者は以下の通り。
 店長の比留間利春。数年前にこの店舗を買い取り、店を始めた人物だ。人の良さそうなとぼけた顔が何とも憎めない。ずっと店舗にいたことが他の店員の証言で明らかになっている。
 女性店員は軽井沢孝子、栗本妙子、そして野尻政子。
 軽井沢は開店当時からいるベテラン店員で、普段は電話応対や店内の細かい仕事を担当している。おっとりとした性格が外見にもにじみ出ている。
 栗本は最近入ってきたばかりの若い店員だ。レジや接客を中心に雑務を請け負っている。元気の良さそうな溌剌とした感じで、少女と言っても差し支えがない。
 それに対して野尻はまさにおばちゃんとしか言いようのない人物である。二階の事務所で帳簿とにらめっこするのが主な仕事である。することがない時は事務所でテレビを見ていたり、店舗に降りてお喋りをしている。
 騒ぎが起こった時、被害者の更田と二階で帳簿をつけていた野尻以外は全員店舗にいた。
 その更田は見るからにスポーティな角刈りで筋肉質の兄ちゃんである。店内では力仕事担当だ。
 あとは先ほどのメグちゃんこと野尻恵。野尻政子の娘で小学四年生。幸い母親に似ていないのか、政子も若いころはこうだったのかは知らないが可愛らしい女の子だ。
 一人だけ二階にいた野尻だが、二階の事務所から地下に降りるためには一階の店舗部分をどうしても通らなければならない。二階からの階段も、地下への階段も店舗奥、レジ周辺からよく見える場所にあるからだ。レジ近くに集まっていた他の店員達に気付かれずに下に降りるのは無理だろう。
 更田が見たという男がいつどうやって地下に行き、更田を女子トイレに縛り付けて地下から消え失せたのか。そもそもそんな人物は本当にいたのだろうか。
「更田さん、あなたは女子トイレに入りたいがために居もしない人物を仕立て上げたわけではないですよね?」
 飛鳥刑事は更田に疑いの目を向けるが。
「ちょ、ちょっと刑事さん、どうすれば両手両足を自分で縛れるって言うんですか」
 あまりにもごもっともな反論をされてしまった。そこに追い打ちをかけるように店長の一言が。
「更田君はそんなことをする人間じゃない、それは私が保証しますよ。そんなすごいトリックを思いつくような頭は彼にはありません」
 援護ではあるが、更田は少しブルーになったようだ。
「となると、やはり気になるのはあの部屋ってことになりますね……」
 飛鳥刑事はそう言ったが、合い鍵もない今の有様ではドアをぶち破りでもしないと入ることはできないだろう。
 この部屋に関しては、店長が鍵屋に合い鍵を作ってもらうことになった。
「それと店長さん。一つうかがっておきたいことがあります」
 最後に一つだけ。飛鳥刑事にはどうしても気になって仕方がないことがあった。
「何でしょうか」
「この店の名前『オケラ屋』なんですけど、なぜこの名前なんでしょうか」
「ああ。それですか。この名前、オーケストラを縮めた名前なんです。オケス屋とかストラ屋とかもありましたがオケラ屋が一番親しまれやすそうかな、と」
「はぁ。そうですか」
 何か釈然としないものを感じないではなかったが、この話は深く突っ込んでもしょうがないのは分かっていたので、それで納得しておくことにした。

 二人は署に戻り、報告を済ませる。気になる奇妙な出来事ではあったが、店員が一人妙な体験をしただけで、被害と言うほどのものはない。あとは、例の部屋の鍵が出来上がって、そこで何かが見つかるかどうか。それまで、あの店に行くことはないだろう。
 そう思っていた。
 だが翌朝、事態は早くも新たな動きを見せたのだ。
 通報で駆けつけた飛鳥刑事と佐々木刑事。
 開店前の店舗には、一足早く店を開けに来た店長だけがいた。この店長が、店のレジ台の上に置かれた手紙に気付き、通報したのだ。
 夕べ、店を閉めた時はもちろん店内にこんな手紙はなかった。つまり、店を閉めたあと、鍵がかかっているはずの店内に誰かが侵入してこの手紙を置いたとしか考えられない。
 この店の入り口は正面だけ、夜の間はシャッターが閉められ、鍵も掛けられている。侵入するのは容易くない。最後にシャッターを閉め、鍵をかけたのも、先ほど鍵を開けてシャッターを上げたのも店長だ。閉めたあと、開ける前にそれぞれちゃんとシャッターが閉まっているのを確認している。手紙は、店に入ってすぐに分かるくらい目立つ場所に置かれていた。
 手紙の封はまだ切られていない。飛鳥刑事は手袋をし、手紙や封筒に指紋が付かないようにしてから手紙の封を店長から借りたハサミで開いた。中には手紙らしいものが入っている。脅迫状によくあるように、雑誌か新聞の見出し文字を切り抜いて作った手紙だった。
『店長殿へ。地下の扉を開けてはならない。合い鍵の製造を取りやめよ。警察には錠が古く鍵が作れないとでも言っておけ。この事を警察に話せば不幸が襲う』
 手紙を読み終えて、一同黙り込んだ。
「警察、呼んじゃってますね」
 店長が困ったように呟いた。
「えーと。とりあえず手紙は返しておきます。手紙のことと今回我々が来たことは誰にも言わないように。鍵はひとまず作るのを止めてもらった方がいいでしょう。何かあったら連絡してください。それでは」
 飛鳥刑事達は誰も来ないうちに切り上げた。なかったことにしたのだった。

 だがその翌日、またしてもオケラ屋からの通報があった。昨日のように店を開けたらレジ台の上に手紙が載っていたのだ。
 今度は、前回と同じ轍を踏まないためにも店長がまず封を切り、目を通した。その上で警察に通報したのだ。
『隠したつもりかもしれないが、警察が昨日の手紙を見たことは知っている。お前達を災難が襲うだろう』
 手紙にはこう書かれていた。
 今回は森中警視も同行した。何か大きな事件に発展するにおいなどを感じたわけではなく、なんとなく面白そうだからと言う理由である。
 森中警視は手紙を受け取り目を通す。
「ふむ。いよいよもって似ておるな」
 森中警視はぼそりと呟いた。
「え、似てるって何にです?」
「『オペラ座の怪人』だよ。……知っておるかね」
「だ、題名くらいなら」
 題名しか知らない飛鳥刑事がおずおずという。
「フランスのオペラ座に現れた『怪人』が一人の女性を巡って次々と事件を起こしていく、そんな話ッスね」
 こう言うものに縁が無さそうな佐々木刑事が、なぜか詳しいので飛鳥刑事は少し焦ってしまう。
「何度か女を連れて映画を見に行ったことがありますよ」
 まあそんなところだろう。
「そう。元々は今世紀の初頭(作者註:当時。この話は1970年代です)に書かれたガストン・ルルーの怪奇小説だが、その後映画やミュージカルとして何度も上演されている。この店は名前も『オケラ屋』、まさにおあつらえ向きだ」
 森中警視は、今までに飛鳥刑事と佐々木刑事が調べた今回の出来事について、ざっとまとめたメモを取り出した。
「オケラ屋という名前を聞いた時に、私はオペラ座をすぐに連想した。そして、その中で首を括られている男の話を聞いてますますそれを思い出したよ。この手紙を見て、ますますその思いを強くした。……思えばこの店には偶然なのか必然なのか、キャストまで揃っている」
 三人の刑事達は、場所を二階の事務所に移した。事務所の机に紙を広げ、関係者の名前の一覧を書く。
「『オペラ座の怪人』のヒロインはクリスティーヌ。クリスティーヌ・ダーエだ」
 森中警視はここで言葉を切る。飛鳥刑事はリストに出ていた名前にあらためて目を通し、はっとなった。
「まさか。栗本妙子?」
「その通り」
 森中警視はリストの栗本妙子の名の横に、クリスティーヌ・ダーエと書き込んだ。
「被害者の更田譲治は首を縛られていた。物語の冒頭に首を吊られて見つかる大道具係の名は……」
 更田譲治の名前の横に不幸な大道具係の名前が書き込まれた。飛鳥刑事はそれを声に出して読んでみる。
「ジョーゼフ・ビュケ……。ジョウジ・フケダ。確かに微妙に似てますね」
 強引な気がしないでもないが。
「もしかして他の登場人物も……」
 佐々木刑事の言葉に森中警視は頷いた。
「怪人のお気に入りの案内係、ジリー。名前の仲に『ジリ』が入っているのは野尻政子だ。そしてその娘は恵、メグちゃんと呼ばれているそうだが、ジリーの娘はまさにメグ・ジリーというのだ」
「怖いくらいの一致ですね」
 野尻政子の方はかなり苦しいのだが、娘の存在でそんなものは霞んでしまっている。
「オペラ座のスターだった歌手、カルロッタは恐らく、カル繋がりでカル井沢だろう。そして、オペラ座に新しくやってきていた支配人の一人が、フィルマン・リシャール。ここの店長の名前はヒルマ・トシハル……」
「トシハルのトシって、リって言う字ですね」
 飛鳥刑事がそう言っている間にも、他の名前と同じように比留間利春の名の横にフィルマン・リシャールと書き込まれ、対応表が完成した。
「もはや偶然ではないですね、これは」
「だとすると……怪しい人物が出てくるな」
 佐々木刑事がぼそっと言う。
「この店のは小さい。となれば人事を決めるのは店長だろう。店員をオペラ座の怪人の登場人物で揃えられた人物。それは店長しかいねぇ」
 珍しく佐々木刑事の頭が冴えている。
「もっとも、それを利用して事件を起こそうとしていたかどうかは分からんがね。それを確かめるためにも、店長にこの件を問いつめてみる必要があるだろう」
 森中警視も立ち上がった。

 早速、店長を二階の事務所に呼び出した。
「比留間さん。『オペラ座の怪人』をご存じですね」
 森中警視はあくまでも自然に、世間話をするかのように切り出した。
「ええまあ、名前くらいでしたら。こんな名前の店もやってますしね」
 比留間店長の回答に一同凍りついた。
「……名前くらいですか」
「ええ。私は文学とかじゃなくて音楽の方に興味があったもんで、そう言ったものはあまり読みませんので」
「えぇと……ですな。この店の従業員の方が、ですな。この『オペラ座の怪人』という作品に出てくる登場人物と、この店の従業員の名前が……その、妙に一致するわけです」
 問いつめているはずの森中警視の方が動揺してどうするのか。店長の比留間は従業員の名前と登場人物の名前を並べて書いたメモを見せられて、ほぉーと呟く。
「外国にも行ってるんですねぇ」
「と、いいますと?」
 森中警視は比留間が何を言っているのかピンと来ない。
「なんか日本のお話って感じがするじゃないですか。江戸川乱歩……でしたっけ、オペラ座の怪人」
「それは怪人二十面相じゃないですか」
「ええ。どこのオペラ座に怪人二十面相が出る話かと思ってたら、外国だったんですねぇ」
 もうお話にもならないわけである。どうやら比留間氏はオペラ座の怪人の怪人とは怪人二十面相で、明智小五郎か小林少年でも出てくるものと思いこんでいるようなのだ。
 これが、本気で言っているのか、それともお芝居なのか。
 飛鳥刑事が見た感じでは、ほぼ間違いなく本気である。森中警視も同感であるようだった。
「とにかく、キャストが揃っていて、名前もぴったりなのです。偶然とは思えないのですが……」
「偶然でしょうなぁ。求人を出してもそんなに人が来るわけじゃありませんから、名前で選んだりはできませんよ」
 もっともな話だ。偶然とは思えないが、偶然なのだろう。
「しかし、まさに怪人が住み着いてるとしか思えない状況ですからね……」
 更田が見たという男。恵が鍵穴から覗いた部屋で見たという人影。これが見間違えでないのなら、何かあるはずなのだ。

「怪人……ですか」
 更田は考え込む。
 更田が見た人物。それが実在するならまさに『オケラ屋の怪人』としか言いようがない。
「いるかも知れませんね……地底怪人オケラーンとか」
 至極真面目な顔で言う更田。彼の場合、怪人の解釈が違うようである。
「更田さん。あなたが見た人物のこと、よく思い出せますか」
 飛鳥刑事の質問に、更田はまた考え込んだ。
「トイレを出たところで、階段の下あたりにいるのを見たんですよ。こっちの方を見ていたのを覚えてます。顔は白いマスクで隠れててよく見えませんでしたね」
「口元はどうでした?髭は生えてましたか」
 森中警視が口を挟む。
「いや、だからマスクをしてたんです。よくあるガーゼのマスクですよ」
 それを聞いて森中警視は頭を押さえた。
「いかんな」
「どうしたんすか」
 そんな森中警視に、佐々木刑事が訝しげに声をかけた。
「どうやら私は『オペラ座の怪人』のイメージに取り憑かれているようだ。マスクと聞いて、目元を覆うファントムのマスクを想像してしまっていた。確かに、普通の人が普通に言うマスクは風邪の時に使うガーゼのマスクだったな……」
 そう言い、もう一度ぺしっと額を叩いた。
 更田の見た人影はスーツ姿だった。男の体つきだったという。その男が驚いてこちらに掴みかかってくる。更田の記憶はそこで途絶えている。最後の瞬間の『怪人』の姿は強烈に印象に残っているようだ。
 この店で更田以外の男と言えば比留間店長しかいない。だが、比留間店長を含め、店員達は皆カジュアルな服装だ。商談の時には比留間店長もスーツを着込むらしいので、一概にシロと断定はできないが……。
「とにかく、こうなってしまった以上、思い悩む必要はないでしょう。地下室のドアを開けましょう。そのためにも合い鍵を作らせます!」
 飛鳥刑事は森中警視に訴え出た。森中警視もそれに賛成した。
 早速店長を呼び、地下室の鍵を作ってもらうように持ちかけた。店長も納得し、すぐに合鍵作りの業者が駆けつけてきた。
 業者によれば明日か明後日には鍵は出来るはずだという。それまでに『怪人』が行動を起こさないように見張る必要がある。

 犯人が外部にせよ内部にせよ、店員の誰かもしくはこの店そのものに怨みを持っている可能性がある。店員達にはもっと細かく話を聞いてみることにした。
 この店のこと、個人のこと。取り調べや聞き込みと言うよりは世間話に近いものになった。
 この店、建物自体は古いがオープンしたのはそれほど昔ではない。ほんの5年ほど前だ。売り店舗として出ていた物を買い取ったらしい。かなりお買い得な物件だったので、一も二もなく飛びついたという。
 しかし、開店して間もなく、奇妙な噂が立った。真夜中の誰もいないはずの店内からピアノの音がしたり、店内で人魂のようなものが揺らめくのが目撃されたり。
「この事件は警察が動くものじゃないと思います。霊能者に任せて捜査を打ち切りましょう」
 見るからに腰が引けた飛鳥刑事がそう言っても、こいつお化けが怖いんだな、としか思えない。
 そんな噂も最初だけで割と平和なものだったという。ただ、物件の値段が安かったこともあり、この建物で以前何かあったのではないかと、この店を売った業者に問い合わせてみようと思ったこともあったそうだ。だが、その業者とは連絡が付かなくなっていたという。
「胡散臭い話だなぁ」
 佐々木刑事でもそう思うほどだ。まさに胡散臭い。本当に呪われた店舗だったとしてもなんの不思議もないようなエピソードである。
 いずれにせよ、この店がある建物の昔の話は、近所の人にでも聞けば何か出てくるかもしれない。
 店長の比留間は、学生時代から音楽に興味があったという。小学生から吹奏楽部に入り、トランペットの練習をしてきたが、高校あたりからはそれをサックスとギターに持ち替えた。どれもうまい方ではあるがプロになれるほどのものではないらしい。ただ、今でも音楽は好きで、それが高じてこんな店をやっているのだとか。
 この店を開く前はサラリーマンで、その頃知り合った女性と結婚し、子供もいる。妻は音楽は聴くか、せいぜいカラオケを歌う程度。しかし娘は楽器のおもちゃを与えてきたおかげか、音感も人一倍よく、将来が楽しみだとか。この辺は親バカの過大評価があることを考慮し話半分に聞いておくことにした。
 この店の名前『オケラ屋』をつけたのも比留間だ。以前言った通り、オーケストラを縮めたものだ。店を開くにあたり、ほぼ全財産を投じ自分もオケラになったのでまさにぴったりだと思ったそうだ。
 店自体はプロや金持ちをターゲットにはせず、子供の習い事や趣味で楽器を使う人達をターゲットにした、大衆向けの商品を取り扱っている。今流行りのフォークやロックにかぶれた若い人達が多く店に訪れる。ただ、店頭での売り上げではなく学校や幼稚園、音楽教室などが使う楽器の仕入れの売り上げの方が主力だ。
 この店の開店当時から居たスタッフが軽井沢と野尻。
 野尻政子は数字に弱い比留間が開店にあたり募集した経理担当のスタッフだ。旦那はバリバリのサラリーマンだが万年ヒラの安月給。子供も手間がかからなくなってきたので政子も働きに出ようと思っていたところに求人のチラシが来、経理なら昔取った杵柄だと思い応募したという。政子も旦那が勤めていた会社で経理担当のOLだったのだ。その頃はだいぶきれいで部署内でもモテモテだったそうだが、本当だとしたら今は見る影もない。
 店長の薦めで、娘の恵を幼稚園や学校の帰りにこの店に寄らせ、一緒に家に帰るようにしているそうだ。おかげで娘を鍵っ子にせずにすんで助かっているという。政子も旦那も音楽にはほとんど興味がないが、子供の頃から楽器店通いをしていただけに、恵は音楽好きに育ったらしい。比留間の娘のライバルになるか。恵はこの店でも人気者で、みんなに可愛がられている。
 軽井沢孝子は見た目からしておっとりとした女子店員だ。店がさほど繁盛していなかった頃にはそれでも十分どうにかなったが、店が繁盛し仕事が増えてくるとだんだん人手が足りなくなってきた。それで更田、さらに栗本を雇うことになったが、軽井沢はそう言った若い店員をまとめるチーフのような立場になった。経験豊富なベテラン店員として、若い二人には一目置かれている。いささかそそっかしいところがあるようだ。
 地味な見た目が災いしてかあまり浮いた話がなかったそうだが、最近ようやく常連客の一人といい関係になってきたそうだ。音楽は好きで、シャイなのでカラオケでもあまり歌おうとはしないが、歌はうまいらしい。ついでに、ウワバミだとか。飲んで機嫌がよくなると今度はマイクを離さないらしい。
 更田譲治は店が忙しくなってきた頃に雇われた若い店員で、野球部上がりの体育会系バリバリ脳みそまで筋肉タイプのようだ。音楽方面はさっぱりである。それでもロックを聴いたりはするという。ギター担いで流している友達が居て、この店の常連になっている。その友達に、更田を襲う動機があるかもしれないと言っていた。お前の働いている店がオケラ屋だから俺までオケラになったと常々口にしているとか。とてもそれが動機になるとは思えないので聞き流すことにした。これ以外は恨みを買うようなタイプとは思えない脳天気さだ。
 脳まで筋肉だけあって体力はあり、体格もいい。こんな更田をトイレに引きずり込んだ『怪人』は相当な腕っ節を持っていそうだ。
 栗本妙子は最近高校を出てここに就職したばかりだ。店頭での仕事を任されている。軽井沢がそそっかしいので店長が外に出ている時に一人で店を任せておく訳にもいかず、かといって野尻政子を店に出すと客が逃げそうなので、思い切ってもう一人雇うことにした。こうして入ってきたのが栗本というわけだ。
 小柄だが元気な子で、言うこともよく聞き助かっているとか。早速更田が目をつけていて、最近はまんざらでもなさそうだと噂だ。
 ちなみに、佐々木刑事に言わせてみれば栗本はお子様過ぎ、軽井沢は色気が無さ過ぎて好みではないという。野尻親子の話は出なかったが無理もない。
 こうしてざっと見てみると、ここの店員達は恨みを買いそうな人はいない。
 やはりこの店そのもの、特に地下室が気になる。
 一刻も早くあの地下室を調べなくてはならないようだ。

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