Episode 4-『胎動』第1話 後継者
聖華市にほど近いとある都市。
その市街地にある宝石店に、一人の女性が入ってきた。
長い髪に、細いボディライン。艶めかしいステップ。確かに高級な宝石が似合いそうな、そんな女性だった。
この女性が、今でも時折新聞をにぎわせる怪盗ローズマリーであると、誰が思うだろうか。
だが、ローズマリーも今日は仕事で来たわけではない。
ローズマリーは応対のために近寄ってきた店員に小声で言う。
「276カラットのダイヤの指輪を」
店員は表情を緊張させた。そして、無言でローズマリーを店の奥に案内する。
276カラットのダイヤの指輪。そんな物があるわけはない。これはキーワードだ。この店の奥にある、ある場所に案内してもらうための。
案内人は店員から店長に代わる。店長は店長室の奥にある扉の鍵を開けた。奥には階段があった。
地下への階段を下りるとそこは行き止まりだった。インターホンが横の壁に取り付けられている。
店長は受話器を取り、後ろにいるローズマリーに番号が分からないようにダイヤルを回す。どこかに繋がったらしく短く言葉を交わした。そして、受話器をローズマリーに手渡し、店長は急ぎ足で去っていった。
『名前は?』
受話器越しに男の声がする。
「ローズマリー」
『用件は?』
「ダイヤモンド」
ローズマリーがそう告げると、行き止まりのコンクリートの壁が低く唸った。壁が横にスライドし、人が通れるだけの隙間が出来た。そこから背広姿の男が現れた。何度か見たことのある人物だ。本名であるはずがないが、岩田と呼ばれていたはずだ。
「ご足労いただき恐縮です。さあ、『ダイヤモンド』がお待ちです」
岩田はローズマリーをコンクリートの隙間に案内する。ローズマリーが通り抜けると、岩田は壁にあるボタンを押した。コンクリートの壁が元通りに閉じる。
短い通路の先にはドアがあった。岩田はドアをノックする。中から短く応答が変えるのを待ち、岩田は扉を開ける。そしてローズマリーを部屋の中に案内した。
部屋の中は煙草の煙の臭いがした。
「待たせたみたいだね」
ローズマリーはそう言いながらデスクで本を読みふけっていた男の方に歩み寄る。
「そりゃ、な。レディを待たせる方がマナーに反するさ」
冗談めかして言う男。
「こんな所があったなんてねぇ。このビルも、あんたの持ち物かい?」
「私の、と言うわけではないよ。私の部下の物だ」
この男。巨大コングロマリット石川グループの取締役であるが、それは表向き。社会的には『お飾り社長』であり、『いるだけの存在』であるが、もちろんそれには理由がある。
裏の仕事、『本業』に専念するために、石川グループの仕事は最低限しかしないのだ。
ストーンと呼ばれる秘密組織の総裁、コードネームは『ストーン』。ストーン総裁である。
岩田がストーン総裁を『ダイヤモンド』と呼んだのは比喩のようなものだ。
「で?わざわざ呼び出すって事は用があるんだろ?」
部屋の片隅にあるソファに腰掛けながらローズマリーが言う。
「ああ。頼みたいことがいくつかあってな」
「いくつか?一つじゃないんだ」
「ああ」
ストーン総裁は立ち上がった。ゆっくりとした足取りでローズマリーに歩み寄る。
「息子の世話を頼みたいんだ」
驚いたローズマリーは立ち上がった。
「な、なんだって!?」
「何も大人になるまで育てろとは言わんさ。世話役が見つかるまでの間だ」
「世話役?その子の母親は……」
「死んだ。ついこの間だ」
「な……知らないよ、そんな話。葬式に呼ばなくても話くらいは……」
ローズマリーの言葉を遮るストーン総裁。
「死んだのは……なんだ、その……妾だ」
なんだそうか、と言う思いと、妾なんて作ってこれだから男は、と言う思いから、ローズマリーは細目で総裁を見る。その視線に気付いたか、総裁も苦笑した。
「相変わらず恋愛には潔癖だな。そんなんだからいい年だってのに独り身なんだ」
「関係ないだろ。で、その妾の子を預かればいいんだね?子供は嫌いじゃないからね。どのくらい預かればいいんだい?」
「信頼できる育て親が見つかるまでだ。早く見つかるかも知れないし、なかなか見つからないかも知れない」
「歳は?」
「13歳だ」
「学校には行かせてるの?」
「いや。小学校には通わせたが、今は『英才教育』さ」
妾の子ではストーン総裁の後継者にはなりえない。本妻の子はそろそろいい年のはずだ。そちらは『どこか』で本当に英才教育を受けていると聞いたことがある。
恐らく、妾の子の方は何か別な意図で教育を受けているのだろう。ローズマリーだってストーンの上得意である。もちろんそれだけではなく、こうしてストーンの総裁とはとある繋がりがある。そんなローズマリーだからこそ、プロジェクトジュエルの話だって当然聞き及んでいる。
犯罪のエキスパートを育て上げ、信頼の置ける実行犯をストーン内部に抱える。
そのプロジェクトが、実はその妾のこの英才教育のためという一面を持っているとしたら。
ローズマリーの考えが正しいことは、ストーン総裁の発言で証明される。
「あいつに、現場での経験を積ませてやって欲しい。知識や訓練は小さなガキの頃からたっぷりと仕込んであるが、実地での訓練はまだだ。そう言う意味でもお前さんは適任なんだ。お前さんのやり方なら、足手まといにもなりにくいだろ?むしろ、度胸さえついてくれれば役に立つはずだ」
「なるほどね。ま、引き受けてやるよ」
「おお、そうか。助かるよ。鉄也は……子供は鉄也と言うんだが、ロックに頼んで今お前さんがいるところに送らせる」
横で岩田が頭を下げた。岩田はロックと呼ばれているようだ。コードネームにしては分かり易い。もっともそれはストーン総裁にも言えたことではあるのだが。
「子供は嫌いじゃないからね。会うのが楽しみだよ」
微笑むローズマリーに対し、ストーン総裁は苦笑いを浮かべる。
「我が子ながら、偏屈なガキだがな……。で、だ。もう一つ頼みたいことがある。これは出来れば早い方がいいがそれほど急がなくてもいい。人を一人、どんな方法を使ってもいいからここに連れてきて欲しい。ただ、誰にも気付かれないようにだ」
「……誰をだい?」
「西川小百合。知っているだろ?」
ローズマリーは思わず体を硬直させた。知らないはずがない。短い間だったが、自分がその人物だったことがあるのだから。
「どうして今更?何か、問題でも……?」
「念には念を、って事だ。お前さんの催眠の腕を信用していない訳じゃないが、万が一と言うこともある。その不安を取り除くためにも、今回のことは必要なんだ」
ローズマリーとしては複雑な気持ちだ。自分が久々に抱いた淡い恋心を、そのまま託した人物でもある。二つの意味で、西川小百合はローズマリーなのだ。
でも。それならば。
「いいよ。それも引き受けてあげる」
西川小百合の運命は私の手で。そんな想いがローズマリーを駆り立てたのだった。
数日後。ローズマリーが本の短い間だけのつもりで借りているボロい安アパートの前に、不釣り合いな高級外車が停まった。
そこから降りてきたのはスーツ姿の中年と暗い表情の少年。岩田と鉄也だ。
「『アインシュタイン』様をお連れいたしました」
腰の低い岩田に連れられてきた鉄也。彼のコードネームはアインシュタインと言うようだ。アインシュタインと言えば相対性理論の提唱者としてあまりにも有名だ。そしてその名前の意味が『小さな石』であることもまた、有名である。
先ほどから鉄也は黙り込んでいる。
ローズマリーは鉄也の顔を覗き込みながら、笑顔で呼びかける。
「坊や。おねえさんはローズマリーよ。よろしくね」
鉄也はふてくされた顔のままだ。ローズマリーは心の中で手強そうね、と呟く。
「それでは、私はもう用が済みましたので……。よろしくお願いいたしますよ」
岩田はそそくさと帰って行ってしまった。この難しい状況で誰にも助けを呼べない。
いっそ催眠でもかけて言いなりにしてしまいたい衝動に駆られるローズマリーだが、意外なことに鉄也の方から口を開いた。
「……おばさんは」
「お姉さん、ね」
ローズマリーの反応は素早かった。実に素早かった。ローズマリーとて、まだ20代。まして未婚だ。相手は年の離れた弟くらい。おばさんなどと呼ばせるわけにはいかないのだ。
「……お姉さん……はどうして泥棒なんかやってるの?」
言いにくそうにしながら鉄也は呟く。
「これが仕事だからね」
「いつから始めたの?始めたきっかけは?」
「学生時代に友達にかけた催眠術がうまくいったのがきっかけでね。これは使える!って。最初は占い師をやってたんだ。催眠をかけて情報を聞き出したら催眠を解いて本人から聞いたばっかりの話を聞かせてやるんだ。すると、まさか自分が話したとは知らない客はあっさりと騙されてくれてね。あとは適当なことを言ってりゃ良かったんだ」
その頃はまだ宝石の粉などと言う高価な物は使っていなかった。色を付けた砂。それでも十分だった。
宝石の粉を使った方が効き目が強いことは知ってはいたが、自分の言う通りにしてくれる占いの客相手に、そこまでしなくてもよかったわけだ。
やがて、催眠がかかっている客の財布から金をちょろまかすことを覚えた。それがさらに大胆になり、他人の家に上がり込んで家の者に催眠をかけ、堂々と盗みを働くようになった。
ストーンのことを知ったのはその頃だ。
盗品を買い取ってくれる業者がある。そんな話を聞きつけ、コンタクトを試みた。
やっていることがやっていることだけに一筋縄ではいかなかったが、どうにかストーンと取引が出来るようになった。
催眠術に宝石の粉を使い始めたのもこの頃だ。羽振りもよくなったし、そもそも金などなくても宝石が手に入るようになった。盗めばいいからだ。
宝石の粉を使い始めると、効率は一気に上がった。ストーンでは盗品の宝石の一部は、元の宝石が分からないように磨き直したり、カットを変えたりと言ったこともする。そう言った時に出る粉を分けて貰い、貴重な宝石を粉にすることも減った。
ローズマリーは上得意になり、今や総裁と対等に話が出来るほどだ。
「それじゃ、止むに止まれぬ事情とか、辛い過去とかは特にないんだ」
「辛い過去?それならあるよ。もう生きるのも辛い日々さ。だから今は名前を捨てて伸び伸びと……」
「なんで?なんで名前を捨てたの?」
ローズマリーは喋りすぎたことに気付く。あの本名を知られたくはない。
「昔の話さ……」
鉄也は納得したようなしないような微妙な表情だ。催眠をかけて今のはなかったことにしたい衝動に駆られる。
それでも、子供心にもこの事は触れてはいけないことなんだということは悟ったらしく、鉄也がこの事を口に出すことはもうなかった。
ローズマリーが真っ先にしたのは、もう少しマシな住処に移ることだった。
自分一人でいる分なら、ボロアパートでもかまわない。所詮アパートなど寝るだけだ。転々とする生活のため、家具も置かない。食事もほとんど外だった。
しかし、鉄也と二人で暮らすことになるとそうも行かない。学校にも行かず家にいる鉄也を近所の人に見られるのは都合も悪いし、夜の仕事に連れ出す時も人目がないとも限らない。
それだけではない。ストーン総裁に頼まれたもう一つの用件のことがある。
西川小百合を密かに拉致する。それがストーンの仕業だと知られてはならない。さすがに人目の多いところで連れ去るわけにはいかないし、人目を避けての拉致ならば、計画を練るためにも情報を探る必要がある。
そのためには、聖華市もしくは聖華市に近い場所にいた方がいいに決まっている。
この件に関しては、ストーンも全面バックアップしてくれる。向こうから頼んできたのだから当然だ。
どう言ったルートで手に入れるのかは分からないが、警察の動向は定期的に流してくれるらしい。ただ、それにも限度があるのでローズマリー自身も下調べを行う必要がある。
そういった事情で、ローズマリーが選んだのは聖華市のはずれにある、林に囲まれた古い民家だった。
ここはストーンの息がかかった不動産屋が管理していたものだ。そこを適当な理由で貸してもらうことになった。
不便な場所ではあるが、必要な買い物は定期的に来るストーンの下っ端に買いに行かせればいい。とにかく、ここに長居するつもりはないのだ。ここは以前暴れ回った場所。警察も顔や手口を覚えているだろう。まして今回は、その警察を狙うのだ。
町はずれの林の中の家を選んだのも、もちろん目立たないためだ。
ひとまず場所は確保できた。あとは情報を集め、作戦を立て、機が熟すのを待たねばならない。
ローズマリーが近くに来ていることなど知らず、聖華警察署の面々は、時折起こる空き巣やスリの捜査にけだるく当たっていた。
ローズマリーが来てからしばらく経ったこの日も大きな事件は起こらない。
裕福な家が多いこの街にしては、珍しく泥棒が息を潜めているのだ。
もちろん、事件の増加により増員したパトロールなどが功を奏した一面もあるのだが、ルシファーやローズマリーで世間に注目されたこの街は、報道などでその裕福ぶりが世間に知られ、結果こそ泥を大量に呼び込んだ。だが、その泥棒が続々と逮捕されると、警察が実際以上に優秀に見えてしまい、今度はセコい泥棒があまり寄りつかなくなってしまったのだ。
小さな事件が減り、大きな事件が起こるわけでもなく、すっかり平和な町になってしまった。
「大変です!町中を武装した車両が走っています!」
などという通報を受けて慌てて駆けつけてみると、森中警視が趣味で買った装甲車の納品だったりと、人騒がせなことだけはしっかりと起こるのだが。
ローズマリーもただ調査や準備をしていたわけではない。
ストーン総裁に頼まれていたのはただ鉄也の面倒を見るだけではない。ローズマリーに現場での仕事、つまり盗みの実地訓練を仕込んで欲しいという頼みもあったのだ。
ここでローズマリーが手を貸しては何にもならない。助言だけを与え、後は鉄也に任せる。
鉄也はなかなかに筋がよく、計画通りに事が運べば問題なく仕事をこなした。一方、経験不足が影響したか、ハプニングには弱いようだ。ストーン総裁もその辺を分かった上で実地訓練をローズマリーに頼んだのだろう。
これは「訓練」だ。実益を上げる必要はない。どこかの民家に忍び込み、財布から札を何枚か抜いてくる。そんなことを一晩に2、3回。すぐに気付かれることもないし、気付いても警察に通報されるケースはほとんどない。
派手好きのローズマリーにはかったるく、つまらない仕事の連続だったが、そのおかげで誰にもその存在を気付かれずにすんでいる。ちまちまと盗んでくる現金のおかげで生活も出来ている。だが、いつまでもこのままではいられない。
とっとと西川小百合をさらい、他の町で派手に稼ぎたいものだ。
生憎、西川小百合は署内に留まっていることが多く、連れ去るのは容易ではない。
通勤は飛鳥刑事と一緒か、時間が合わない時も飛鳥刑事に送ってもらえる時は送ってもらう。それができない時はタクシーだ。
如何せん、車を買えるほどの稼ぎはない。飛鳥刑事のボロ車もボロいだけに修理だ何だと維持費がかさみ、それを小百合も出している。その代わり送り迎えをしてもらってるわけだ。もちろん、車が開いている時は小百合が運転していくこともある。買ったのは飛鳥刑事だが、すっかり二人の共有物になっている。
通勤中を狙うのはすぐに気付かれて難しいと言うことだ。
自宅にいる時でもいいのだが、これまた飛鳥刑事と冷蔵庫が共有なのだ。飛鳥刑事は自炊がからっきしなので料理も小百合が作り、飛鳥刑事はそれを食べに小百合の部屋に来る。寝る時だけ別々な部屋で寝ているだけでほとんど一緒に暮らしているようなものだった。
この状況ではアパートにいるときを狙うのも難しそうだ。眠っている間にと言うのも考えられるが、ストーン側からの注文で、あまり夜遅くは避けて欲しいとのことなのでそれも諦めるしかない。
こうなったらどうにかして外に連れ出し、出先でさらうしかない。
それには事件を起こし、小百合に警備をさせるのが一番だと踏んだ。
今度はそのための準備と計画が必要だった。
「飛鳥君、今日は君に見せたいものがあるのでな。仕事が終わったら私の屋敷に来てくれんか」
森中警視の誘いに、特に考えるでもなく飛鳥刑事はわかりました、と答えた。
その後、小百合のことを思い出した。
「小百合を送ってからでもいいですか?」
「ああ。構わんよ。時間は取らんはずだ……連れてきても構わん。その方がいいかも知れん」
「はぁ」
そして仕事が終わり、飛鳥刑事と小百合は森中警視の屋敷に向かう。
「見せたいものって何かな」
「うーん。どうせこの間買ったって言う装甲車だと思うんだけど」
そんなことを話している間に屋敷の前に着いた。門は開いている。車を森中邸の庭に入れた。
先客がいた。佐々木刑事だった。
「よう、飛鳥。お前もか。俺もだ。デートの予定が入ってたんだがキャンセルさせられたよ」
「装甲車を見るためにデートをキャンセルしたんですか」
「えっ、話って装甲車の話なのか」
佐々木刑事はそこまで考えなかったようだ。だが、落ち着いて考えればそれ以外に思い浮かぶものはない。
やがて、庭の奥から荒々しいエンジン音が近づいてきた。
まさかと思ったがそのとおり、姿を現したのは装甲車である。下半分だけ見ればジープのようだが、上の方にはしっかりと二本の長い砲身が取り付けられている。
「マジで出てきたよ……」
あきれ果てる佐々木刑事。
装甲車は呆然と見守る三人の前に、その姿を誇示するかのように停められる。
「やあ、来たかね。こいつはこの間一騒動起こした犯人だ。Sdkfz222と言うドイツの装甲車だがもちろんレプリカだ。上の機関砲と機銃の弾は出ない。だが、それ以外は実に忠実に再現してある。たとえば……」
目を輝かせながら自慢する森中警視だが、三人は話など聞いていなかった。いや、聞いたところでマニアックすぎて理解など出来やしない。
なんだか無駄な時間がいくらか流れたあと、庭に外からもう一台車が到着した。森中警視もそれに気づき言葉を切る。
車から降りてきたのは木下警部だ。警部もこの自慢話に呼ばれたのだろうか。
「さて……」
森中警視の目つきがかわった。
「役者も揃ったようだし、舞台を変えようかね」
森中警視は、木下警部が加わり4人になった客人を屋敷の中に招き入れた。装甲車は門の外からもよく見える場所に放置されたままであった。
「君たちがああいうのに興味がないのは分かっていたがね。時間つぶしに付き合ってもらったのだよ」
森中警視はそう言いながらソファに腰掛けた。客人たちにも座るように勧める。
「話とは何ですかな」
木下警部は早速切り出した。森中警視は一呼吸おいて答えた。
「私がここ……聖華警察署に来た理由、そして留まる理由、ですな」
飛鳥刑事もそれは気になっていた。ただ、聞くに聞けなかったのだ。
「表向きはルシファー捜査の応援と言うことになっているが、もちろんそれだけが理由ではない。この人事の裏には秘密組織ストーンが関わっているのですよ。深く、ね」
一同、息を飲む。
「どういう事ですか?」
飛鳥刑事は思わず身を乗り出していた。
「……私は県警でずっとストーンについて捜査を続けてきた。とは言え、彼らの存在については漠然と掴んでいたが、実態はまったく霧の中だった。分かったことは彼らが窃盗犯から盗品を買い取り、どこかに流していたと言うこと。そこから先へはなかなか進めなかった」
森中警視は資料を取り出す。
「今までに何人かストーンの構成員に肉薄したことはあった。が、彼らはみな我々警察の目の前で自殺を図っている。全員、いくら調べてもどこの誰なのか分からないままだ」
森中警視の取り出した資料には自殺したストーン構成員の写真が並んでいる。頭を銃で撃ち抜いた者、猛毒を飲み大量の吐血と共に息絶えた者。目を背けたくなるような悲惨な写真だ。身元もなにも分からないのでこの写真しかないのだ。
「だがそんなストーンも少しずつだがその姿が明らかになってきた。活動の詳細、組織の構成、石川グループとの繋がり……」
森中警視は新たな資料を広げる。細かい文字でいろいろと書かれている。ストーンに関する情報だ。
「しかし、……君たちも知っているだろう。ストーンは既に警察内部にまで入り込んできていた。その影響力が強まるに連れ、ストーンに関する捜査が行いにくくなってきた。だが、私は一人になろうともいろいろと調べてきたよ。当然、向こうもその動きに気付いていた……」
「まさか、警視はそのために……」
飛鳥刑事の言葉に森中警視は頷いた。
「適当な理由をつけて末端の警察署に追い払われた、と言うわけだ」
「そんな……」
「だが、警察だって黙って犯罪組織の思い通りに操られてはいない。私が『飛ばされた』のが、ここであることがそれを物語っている」
「この、聖華警察署に何かあるんすか?」
佐々木刑事の言葉に森中警視は頷く。
「正しくは、聖華市に。……この街は、古くから港町として栄えてきた。その一方で、隠れキリシタンの隠れ里という裏の姿を持っていた」
「それは聞いたことがありませんでしたな」
木下警部も驚いたようだ。若い三人はまったくもって聞いたこともない話だ。
「しかし、幕府がこんな近いところにある町を見落とすなんて……」
森中警視はかぶりを振った。飛鳥刑事は怪訝な顔をする。
「見落としたのではなく、見逃したのだ。この街は幕府に容認されていたのだよ」
「なぜ……?」
「幕府もこの街の人達に、正しくはある商家に、ある意味弱みを握られていたからだ。この港にはご禁制の輸入品や国外不出の品を輸出する密輸を委ねていた。それを誰にも言わない代わりに、キリシタンを匿うのを黙認していたのだ。恐らく、用済みになったところで隠滅のために焼き討ちでもするつもりだったのだろうが、その前に幕府は倒れ、明治時代が来た」
「この街にそんな過去が……」
「もちろん、そんなことを示す資料などない。国内にはな」
「と言うことは……?」
「そう、国外にその情報が残っていたのだ。私がそれを見つけたのは実に運のいい偶然だった。不確かな情報ではあったが、大まかには『かつて開国前の日本とドイツが密かに交流していたルートが今でも残っており、それをナチスも利用していた』と言う噂だった。私は……まあなんだ、そのマニア根性って奴で、それにを調べてみたのだよ。情報は何も残っていなかった。私がただ一つ手に入れたのは、この写真だけだ」
森中警視は古びた写真を取り出した。
港の風景らしい。仲の良さそうな男女が映っている。女性は日本人だが、男性は日本人離れした顔つきだ。
「この写真は、ナチスに関わりのあった人物が隠し持っていたものだそうだ。この写真を見た時、私は戦慄したよ」
「なぜ……ですか?」
飛鳥刑事も佐々木刑事も不思議そうな顔をする。小百合などもう話にもついて行けてなさそうだ。
「……この港、まさか……」
木下警部は何か思い当たるようだ。
「そう、今はだいぶ様変わりしてしまったが、まさに聖華埠頭だよ」
森中警視の言葉に飛鳥刑事も佐々木刑事も驚いた。言われてみれば、遠くに見える山の形などは似ているが、倉庫の配置や周辺の風景はまるで様変わりしている。分からないわけである。
「私が子供の頃に見たせいか埠頭の風景と似ていた。その後、倉庫も新しくなり、古い建物がなくなって新しい建物ができ、景色はかわってしまった。当時の面影はほとんどない。……この写真が、ナチスとこの街を結びつけていたのだ。私はこの女性を捜したよ。だが、見つからなかった。ただ、当時の彼女を知っている人物は見つけた。そして私は彼女がまだ『石川商店』だった、現在の石川グループの関係者であることを突き止めた」
石川グループ。今、急成長を遂げているグループ企業だ。
「石川商店について調べているうちに、ある老人から昔の聖華市の話を聞くことができたのだ。明治以降、隠れキリシタン達は自由を手に入れて多くが東京へと向かった。一方で港町としてこの町も発展していった。人は入れ替わり、この街の歴史は闇の中に消えた。その老人は、数少ない当時のことを知る、この町の住人だった。そして、私は石川商店の密輸の事実を掴んだのだ」
「しかし、その石川商店とストーンはどう結びついたんですか?」
「石川グループは新興企業だ。その歴史に『石川商店』はない。だが、調べているうちに気付いたのだ。石川グループの不自然な発展ぶりにな。石川グループの持つデパート、レストラン、その他……どれもそこそこの収益は上げているようだが、あれだけ急激に店舗を増やし、新分野に次々と参入するだけの資金は捻出できるはずがない。その資金の出所……それがストーンだ。だが、これは私の想像に過ぎない。奴らはしっぽを掴ませてくれないのだよ。そして、追い回した結果がこれだ」
「それじゃ、この街に石川商店、ストーンの本体が!?」
飛鳥刑事は息巻くが。
「いや。明治時代、石川商店は東京に本拠地を移したのだよ。だが、ここが再び港町として栄えてきた。それを機に再びこの町に戻って来ようとしていた」
「……?戻っては来られなかったんですか」
飛鳥刑事は森中警視の言葉のニュアンスに気付く。
「ああ。いち早く聖華市の発展に目をつけた企業に先を越されたのだ。石川商店はここに支店を置くに留まった。その支店でどうにかナチスとの連携を維持していたようだ。そして、その密輸で資金を稼ぎ、石川グループが発足。急成長したというわけだ」
「そこまで分かっていて、なぜ警察は動けないんですか?」
「証拠が何もないのだよ。今話したのは、少ない情報から私が想像したものに過ぎない。石川グループ傘下の企業や店舗も業務自体に怪しいところはない。私はその糸口を求めていたのだが、それが目障りだったのだろう。県警は私に出向を命じた。だが……その出向先を聖華市にしたのは、ある意味奴らにとって都合の悪い話だろう。これから進出を装い戻ってくるつもりの場所だったのだからな」
森中警視は言葉を切った。発言をする者はいない。森中警視は再び口を開いた。
「確信の持てない話なので今まで黙っていたが、先日の事件でストーンの関係者らしい人物が聖華署に潜伏していたという事実が明らかになった。リベンジャー連続殺人事件の直後に消えた、あの警官達だ。もう既に何人かは忍び込んでいるだろうと言う気はしていた。だが、あれほど数が多いとは思わなかったよ。奴らはこの聖華市に戻るための準備を進めている。確実にな。私一人ではとても追い切れない。……分かるな?」
「俺達に、協力しろと……」
佐々木刑事の言葉に頷く森中警視。
「うむ。……無理にとは言わん。だが、いずれ嫌でも奴らと対峙することになるだろう」
「芽は早く摘んだ方がいいですな」
木下警部がゆっくりとした口調で言う。実質、参加の意思を示したようなものだった。
「君たちは、どうかね」
木下警部は飛鳥刑事達の方に向き直る。
「そんな話聞いたら黙ってられません。やりますよ」
「だな。据え膳食わぬは男の恥ッスから」
小百合はなんとなく場違いな気がしてしていたが、それでも、ストーンと聞くと黙っていられないのは確かだ。何せ、自分を一度拉致した集団なのだから。
「私も何かできることがあれば協力します!」
「決まりですな」
「うむ。みんな、よろしく頼む。何かあったらすぐに伝える。それまではいつも通り仕事に当たってくれたまえ。では今日はここまで」
若い三人は敬礼し、部屋を去っていった。
「ところで警視」
木下警部は三人が出ていった扉の方をみながら森中警視に問いかける。
「どうやら私だけずいぶん遅く呼ばれたみたいですな」
「はっはっは。バレましたか。実は窓の外に見える装甲車の自慢話をちょっとばかり……」
一緒に呼ばれないでよかったと心底ほっとする木下警部であった。
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