Episode 2-『怪盗達の置き土産』第4話 コネクション
美術品泥棒のために警察の仕掛けた罠には続々と賊が掛かって行った。とは言え、やはり初日の勢いはなく、予定の一週間が過ぎた所で十人以上の泥棒を引き寄せたドロボウホイホイも撤収の日が来た。
一週間の間に内装も少しは立派になったかというとそんなことは決してなく、相も変わらず紙皿とラーメンのカップが並んでいる。撤収作業もゴミ袋にゴミを突っ込む作業が多い。
家具なども粗大ごみ置き場から拝借して来た物がほとんどだ。状態のよい物はリサイクルショップに買い取ってもらう。ちょっとした儲けだ。あとはゴミ捨て場に戻す。
どうにか死守した絵は真っ先に森中警視の兄に返却された。無事返却されたと言う知らせを聞いてようやく2係の面々に安堵の色が広がった。
そして市報には待ってましたと言わんばかりに今回の作戦に関する記事が掲載された。聖華市報社も作戦に協力したのだから当然だ。かつて掲載されたでっちあげ記事や逮捕者のリストも載っている。それこそ一面にどーんと載ったのである。
そして、そのリストを見て渋い顔をするものがいた。例の質屋の親父だ。
その質屋の前に高そうな黒塗りの車が止まる。外車ではなく国産車だ。中からは車に負けないくらい黒で固めた男が降りた。まるで葬式帰りだ。だが軽薄そうなにやけ顔は葬式という雰囲気ではない。
「いよう、達者か親父」
店の中に誰もいないのを確かめて黒服が親父に手を振った。いつも愛想のない親父だが今日は一段と渋い顔だ。面倒くさそうに顔を上げ、一つため息をついた。
「今週は持ち込みが少ないと思ったらこんなことになってやがった」
黒服に市報を放り投げる親父。受け取った黒服は一面の一番目立つ記事に目を通す。一目で自分に関係のある記事だと分かったからだ。
「で、この捕まった中にお客も混じってるって訳か」
「混じってたなんてもんじゃ無い。その逮捕者リストは丸っきりうちのお得意さんリストだよ。まぁ、抜けは大分あるがね」
「あいたたた……。こりゃ洒落にならんなぁ」
親父は立ち上がり荷物を持って来た。紙で包装された絵画が数点だ。
「これが今週の収穫だ」
「もしかしてこれだけか」
「そうだ。全く困ったもんだ。掘り出し物も無いしな。こりゃぁ、しばらく様子を見てだめだったら切り上げざるをえんな」
「そういうなよ。いざとなったらよその泥棒に宣伝してでも続けさせるさ。総裁はこの街に目をつけてるからな。やばくなるまで稼げるだけ稼がないと。まぁ、こんだけまとめて捕まったとなりゃぁゲロする奴もいるだろうし、場所は変えなきゃだめだろうな。一応総裁にはお伺い立てとくわ。こんな話するのは気が重いけどさ」
「早いとこ頼む。場所だけでも目星つけてもらわわんと、客に一言も言わずに場所替えるのは売上にも響くし」
「心配するな。場所は確保してあるさ。……別な目的で確保しといた奴だがな。場所はここだ。準備はしとくから客にしっかり移転を触れ回っておいてくれ」
「助かるよ。警察もいつくるかわからん。お役所仕事で動きがとろいとはいえ一週間前から取り調べられてる奴もいるようだしおちおちできん」
「俺もしばらくは小まめに顔出すことにするよ。じゃあな」
黒服は手を振りながら店を出て行った。
いくら口封じされているとはいえ、十人以上いれば一人くらいは口の軽いのがいる。警察も例の質屋の情報を得ていた。
すぐにでも踏み込みたいのだがそこはそれ、お役所仕事という奴で手順を踏まないと踏み込むことが出来ない。
令状をとって質屋に踏み込んだときは既にもぬけの殻になっていた。
組織が新たに用意した場所は港の倉庫だった。
さすがにこんなところでは看板を出して質屋は出来ない。いや、むしろ質屋にカムフラージュする必要はなくなったと考えるべきなのだろう。
場所は変わっても客は来る。捕まらずに残った客にはしっかりと引っ越しの連絡をいれておいたのだ。連絡がつかなかった客もいるが。
移転後第一号の客は例の彼だった。品物はこの街にアトリエを開いている画家の絵だ。未発表の作品で、恐らく描きたてのほやほやだろう。
画家自体さほど有名でもなく、そこに来て未発表なのであまり価値はない。が、それは今の時点での話だ。
「こいつぁまだ持っておいた方がいいかもしれんぞ。この画家が有名になれば未発表作品ってのはは逆にプラスになる。まぁ、当たるかどうか分からない宝くじみたいなものだがね」
「そうは言うけどさ、俺もそろそろ財布の中がさみしくてな。宝くじよりわずかでも現金がいいんだよな」
「そうか。まぁ、開店一号ってことでサービスしといてやるよ」
サービスしてこれか、と言いたくなるような額を受け取り、やや落胆しながら彼は倉庫を後にした。
転機はほんの数日後にやって来た。手近な邸宅に空き巣に入り戦利品を持ち込んだ彼にこんな話が持ちかけられた。
「この間の無名の画家がいるだろ。あの画家の絵を気に入った人がいてなぁ。ただな、やっぱり無名の画家ってのがよくないんだよ。多少は名が売れてないと飾るにも箔が付かないってな。そこでうちがどうにかしてあの画家をちったぁ名の知れた画家にしてやろうってな事になった。そこで、あの画家の描いた絵が何枚か欲しいんだが、この間みたいにちょいっとかっぱらって来ちゃくれんかな。もちろん報酬は弾むよ」
「報酬弾むと聞いたら断れねぇな」
「ただな、まだ警察がうろついてんのよ。あんたの手際が良すぎたみたいでな、警察もいつまでも粘ってやがんのよ。だからすぐにとはいわねぇ。まぁ早いに越した事はねぇんだがそうもいかんだろうしな。あー、この絵はセンス悪いとか言っていたが一応巨匠の作品だぞ。レプリカだがな。出来は悪かねぇ。まぁざっとこんなもんだ」
前回よりは大分まし、と言う程度の金を受け取り、彼は倉庫を後にした。そして、その足で画家のアトリエに向かったのである。
その画家……虹野画伯のアトリエには今日も警察が来ていた。
先日の絵画泥棒ホイホイ作戦で大分多くの絵画泥棒を捕まえたにもかかわらずこの事件だ。まして、この現場には犯人らしい痕跡が見当たらない。その鮮やかな手口から相当なベテランだと思われる。警察に気合が入るのも無理はない。
犯人は虹野画伯がトイレに行くためにアトリエから離れたほんの一瞬の隙を突いて恐らくは玄関から侵入し、絵を盗んで窓から逃げた。
虹野画伯がトイレから戻って見ると開けた覚えのない窓が開いていて、不審に思い部屋の様子を見てみると先日書き上げたばかりの絵がなくなっていた。恐らく一番目についたものを持っていったのだろう。まさにあっと言う間の出来事だ。虹野画伯も決して若くはなく、そのために、まぁ、その、トイレも長い訳である。とは言え、アトリエは二階にあり、窓から出入りするにはには何かしらの用意は必要だろう。さすがに絵を持ったまま飛び降りたとは考えにくい。
通りすがりの犯行であるはずがない。綿密に下調べをし、計画を練っての犯行であろう。しかし、そこまでして狙うだけの価値が自分の絵にあるとは思えない、と虹野画伯は言う。趣味が高じてアトリエを持つようになっただけの無名画家の絵などに価値が出るとも思えない。たまに画廊を借りて欲しい人には気軽に絵を売っているだけだ。小遣いになればいい、と言った程度の気持ちでそれなりの値段で売っている。その値段を考えても盗んでまで手に入れたがるようなものではないはずだ、と。
実際には警察が考えているほど手の込んだ犯行ではなかったりする。
彼も近ごろは常時ロープくらいは持ち歩いている。目立たないように体に巻き付けてあるのだ。細くて丈夫でその分いい値段のロープだ。軍手もポケットに入っている。
だからこそ、取り立てて特別な用意もしていない帰り道にぶらりと立ち寄って盗みが出来たりもする。
時間も遅くなり、警察が撤収した。その様子を近くのマンションの屋上から眺めていた彼は直ちに動き出した。
今回はこの間のように隙を突いて侵入し一気に逃げる方法は使えない。夜を待ってそれから行動開始だ。
画伯は新作に取り組んでいる。今日もアトリエにこもりっきりだ。時間はまだ夕刻、カギを締め切るには早すぎる時間だ。
玄関はあっさりと開いた。音もなくドアを閉め、家の中を探り出す。身を潜める場所を探すためだ。
1階には居間、キッチン、客間とバストイレがある。2階はアトリエと寝室、物置になっている空き部屋があったはずだ。
物置部屋が身を潜めるには都合良さそうだが、窓の外から中が見えないくらいに物がおかれているので逃げ場がないうえにいつ何を取りに来るかも分からない。
客間はこの時間でもカーテンが閉っている。本当にたまの来客にしか使わなそうだ。もう閉っているカーテンを閉めに来ることもないだろう。この客間に身を潜めることにした。
6時のチャイムが聖華市に響き渡った。同時に二階にアトリエにこもっていた虹野画伯も動き出す。ゆっくりとした足取りで階段を下り、玄関にカギを掛けた。一度泥棒に入られたために用心深くなっているのだ。早めに忍び込んでおいて正解だったと言える。
男やもめの虹野画伯は手早く夕食の支度をし、質素な夕食を済ませると風呂に入り、またアトリエにこもり出した。
客間のソファの陰でうたた寝していた彼が動き出したのは深夜12時を回ってからだった。2階に行くと寝室から鼾が聞こえる。熟睡しているようだ。
彼は悠々とアトリエに忍び込み、アトリエの隅に積んである絵を窓から差し込んで来る街の明かりに翳しながら品定めし始めた。
気に入った何枚かを選びだし、ロープで束ね窓から外にゆっくりと降ろした。
窓を閉め、自分は玄関から堂々と出た。この大量の絵をどうやって持ち帰るか悩んだが、またデートスポットで車を一台失敬することで解決した。
翌日、早速その絵を港の倉庫に運び込んだ。まさかこんなに早く持って来るとは思っていなかった親父は目を皿のようにして驚いた。
「警察は張ってなかったのか?」
「現場の捜査が済んだらとっととかえっちまった。おかげで悠々とかっぱらうことができたよ。ちょろいもんさ」
「あんた若いのに大した度胸だねぇ。なぁ、これからちょくちょく頼んでいいかい。もちろんそのたびに報酬は弾むよ」
「俺としてもそりゃありがたいね。定職にも就いてないから生活が苦しくてね」
「また何かあったら連絡する。確かあんたのアパートは電話がないらしいね。こういう話を大家の部屋の電話でする訳には行かないからできれば電話を引いておいてくれるといいんだが」
「分かった。大家には女ができたとでも言って引いておくよ」
「そうか、助かるよ。それまではうちの手の者がお邪魔して話をすることになると思う。まぁ、引いてからもちょくちょくそういうことにはなると思うがね」
数日後。彼のアパートのドアをノックするものがいた。
電気か水道の集金だろうと思いつつドアを開ける。そこには集金のおばちゃんではなく、はっとするような美女がたっていた。
「矢部光二さんですね」
「え、ええそうですが」
女は後ろ手に扉を閉めた。
「『ヤマイシ質店』と言えば分かるだろう」
女は男の声で言った。ヤマイシ質店とはあの質屋の名前である。それは分かった。が、いきなり押しかけられ、しかも女だと思っていたら男の声でしゃべるので彼は何がなんだかわからないほどに混乱した。
「ああ、この格好か。あんた、電話を引く口実に女ができたというらしいからな。それなら女のふりして出入りした方が怪しまれねぇと思ってな」
確かに言うとおりなのだが、これほどの美人がこのボロアパートに出入りしている方が目立つような気がする。しかし、それは口には出せなかった。
「すげぇな、どこから見ても女にしか見えねぇぜ」
彼は男をまじまじと見る。
「こんな格好してるが中身は男だからな。その気はねぇからあまり顔を近づけねぇでくれ」
「見た目はいい女だが男の声で喋られちゃ勃つものも勃たねぇよ」
「そりゃ都合がいい。早速だが用件を言おう。今回はこの間の仕事報酬を持ってきた。まったくもって期待以上の働きをしてくれた。報酬もその分さらに弾んである」
男の差し出した茶封筒には持っただけでも相当な金が入っていることが分かった。開けてみるのが楽しみだ。
「今日の用はこれだけだ。まぁなんだ、挨拶がてらってやつだな。また何かあったら来るが留守だと困るからな。金田のおやっさんの所にもたまに顔を出すようにしてくれ。連絡が付かないときは言付けておく。ああ、あの質屋のおやじのことだ」
男はそう言い残すと立ち上がり、部屋を出て行った。その歩き方もどう見ても女だった。
数ヶ月後、虹野画伯の絵はとあるオークションにかけられかなりの高額で取り引きされることになる。それが元で虹野画伯野名は知れ渡り、画廊などでちょこちょこと売られていた分の絵も大分高値がつくようになる。しかしそれはまだ先の話である。
その後、矢部の所には時折女装の男が訪れるようになった。必ずしも依頼を持って来る訳ではなかったが、依頼の数は多く、矢部はその仕事を危なげなくこなしていった。
盗み出すものは美術品ばかりではなくどこかの企業の重要書類や宝石の類いまで多岐に及んだ。そのどれもがどう言った理由で盗まれたのかは矢部の知るところではない。矢部自身、そんなことには興味もなかった。報酬さえ支払われれば後はどうでもよい。
矢部の暮らしはよくなった。忙しくなったお陰で遊びに使う金も減り、貯金も増えていく。だんだん金に対する執着は薄れてきた。
むしろ、仕事のときのスリル、成功させたときの達成感が彼をよりこの仕事にのめり込ませた。金に困って始めた泥棒稼業が彼の生業にまでなっていたのだ。
闇の組織ストーン。その起源は遠く江戸時代にまで溯る。もともとは石川屋という小さな商家だったが、秘密裏に御禁制の品などを密売買し大きくなったのだ。時代とともに扱うものは移り変わっていったが闇でしか流れないものを多く扱うのは変わらなかった。
石川屋グループという表向きの姿は今でも存在する。決して大きくはないがコングロマリットとして名前を知るものも多い。そこで働いているのはごく普通のサラリーマンだ。しかしその中には少なくない組織の人間が混ざっている。
そして、そんなコングロマリットの所有する、とある施設の地下に秘密結社ストーンの本部がある。幾重にもカムフラージュされた場所で、その施設に勤める人間もその存在を知らない。
その最も奥まったところに総裁の部屋がある。
地下にもかかわらずここには大きな窓がある。窓からは光が差し込んでいるが、直接日が差し込んでいる訳ではない。大きな澄んだ湖の底にあるのだ。そのため差し込んで来る光は常に揺らめいている。
その淡い光に照らされながらデスクの前にに座っている人物こそストーンの総裁その人である。そろそろ四十に手が届くかという歳の、細身の男だ。
総裁室に一人の男が入って来る。その手にはピザの箱を持っている。総裁の前でその箱が開けられる。中に入っていたのは書類だ。ここには日々さまざまな書類などが届けられる。宅配ピザを装った組織員が関係施設を回り書類を回収し、こうして書類を持ち込むのだ。
総裁は届けられた書類に一通り目を通す。
「やはり聖華市の収益は大きいようだな。ここにも大きな拠点がほしい」
誰ともなく総裁はつぶやいた。
「土地の確保は終わりました。郊外の静かな土地ですが交通の便は悪くありません」
横にいた男が総裁に告げた。差し出した聖華市の市街図上に赤いマーキングがある。
「後はこの土地を何に使うか、か。確か大きなデパートは周囲になかったな」
「市街部には数軒ありますがこの周囲にはありませんね」
「よし。大きな駐車場のあるデパートにしよう。それから住宅地付近の土地も確保し自動車部門も進出させる」
この話だけ聞いているとごく普通の企業のようだ。しかし、これらの施設の地下にはストーンの支部が作られることになるだろう。
地上に作った施設の収益が赤字でもストーンの莫大な経済力には何ら影響はない。しかし、収益は大きいに越したことはない。
総裁は聖華市の他のデパートの売れ行きや住民のニーズなどのリサーチを命じた。場合によっては計画の方向性も変わることがあるだろう。しかし、着実にストーンの聖華市進出は進んでいた。
警察の努力により、聖華市で頻発していた窃盗事件も大分少なくなってきた。まだ県内の他の所轄から比べれば多い方だが、それでもどうにか平常と言える件数にまで落ち着いた。
時間が経ってブームが去ったと言えなくもないが、やはり多くの逮捕者が出たことやパトロールの強化などの要因がそれを後押ししたのだろう。
しばらく慌ただしかった聖華警察署刑事課第2係も落ち着きを取り戻していた。
「ふ、ふああ〜〜ぁ」
机の上に足を置いたやる気のない格好で大欠伸をかましてくれているのは佐々木刑事だ。
「そんなに退屈なら未解決事件の捜査にでも行ってみたらどうだね」
「違いますよ、昨日はデートだったんですよね」
「言うなよ」
「なるほど、燃え尽きてる訳か。若いってのは羨ましいね。わたしゃ最近ご無沙汰でねぇ。まぁ、目を覚ますためにも外でも回ってきた方がいいだろう」
「うっす。行くぞ飛鳥」
「え、俺もっすか?」
「当然だろ」
渋々佐々木刑事について行く飛鳥刑事。いつもは運転席の佐々木刑事だが、今日はさっさと助手席に乗り込む。
「じゃ、運転よろしく」
そう言うと佐々木刑事は寝息をたてて寝はじめた。そういうことか、と納得しながら飛鳥刑事は車を発進させた。
ひとまず未解決になっている事件で思い当たる現場に向かう。
窃盗事件は殺人事件のように怨恨がからむことが少ないので人間関係から目星をつけることはほとんどできない。しかし、それはあくまで現金などが盗まれた場合だ。
飛鳥刑事が車を停めたのは重要書類が盗難に遭ったという企業の前だった。
企業スパイによる犯行である疑いが濃厚で、その会社と競う数社の名前が挙がってはいるが、不確かである。捜索も入れることができない。より確かな手掛かりが必要である。
この事件は発覚が遅かった。最後にその書類が確認された日からなくなったことが分かるまでに数日を要している。その間、書類の収められた部屋の戸締まりはちゃんとされていた。
最初は係のものが紛失したのではないかと思われたが、係の者は必要な時以外書類には手も触れないし、怪しい行動をすれば同じ部屋の誰かが気づく。そして、防犯カメラのビデオを巻き戻してみたところ、不審な人物が部屋に出入りしているのが確認されたのだ。
警備員が定期的に見回ってはいるものの、見回っている間はモニターのチェックができなくなる。その隙を突かれた感じだ。
ビデオの画像で犯人は警備員が見回りに出ると同時に建物に侵入し、見回りの後をつけるように移動しながら書類の部屋に近づいている。そして、鍵を使って扉を開け閉めしているのだ。
警備員の見回りのタイミングを知っているような動き、そして部外者が持っているはずもない鍵。この辺りから内部犯の可能性も高いとされている。ライバル企業に買収された社員か、ライバル企業から送られてきたスパイだ。
しかし、用意周到な外部犯による犯行の疑いも拭いきれない。
一度、夜警の見回りに立ち会ったことがある。ルート確認のためだ。そのとき、何カ所か警備員の目の届いていない場所があるのは確認されている。平常の見回りではそんなにしらみつぶしに見て回らないわけだ。
見回りのルートをあらかじめ調べ上げ、その死角に身を潜めていれば見回りをやり過ごすこともできるだろう。
問題は、この建物への侵入と鍵の入手だ。
防犯カメラは重要な数カ所にのみ設置されているだけで、当然施設内すべてを網羅している訳ではない。犯人の侵入は防犯カメラに捕らえられていない。どこから侵入したのかは全く不明だ。
窓も破られてはいなかったし、非常口はすべて外から開けられないようになっている。玄関も裏口も防犯カメラが設置されている。屋上は夜警が戸締まりを確認している。窓や屋上のドア、非常口をあらかじめ開けておいて侵入してから閉めるという手もあるが、内側から開けるには当然侵入しなければならないし、誰かが閉め忘れるのを待つのは不確実すぎる。
いつ、どこから忍び込んだのかさっぱり見当がつかないのだ。やはり内部犯か、ということになる。しかし、社員は時間のばらつきこそあるが帰宅していることは確認されており、当然戻って来た者も居ない。
不可解な謎ばかりを残し、捜査は早くも行き詰まっていた。
今日も来るには来てみたが今更見るところもない。関係者数人に何か思い出したことがあるかどうかだけ確認するとすることがなくなってしまった。
ビルの屋上に出て並んで煙草を吹かす二人。近くには同じように煙草を吹かしている社員らしい人間もいる。ここの屋上にはいつもこんな感じで一息入れに来る社員がいる。
空は厚い雲がかかっていて今にも降りそうだったのだが、ついに降って来た。社員は煙草を消していそいそと中に戻って行く。佐々木刑事も煙草を消して中に入って行くが貧乏性の飛鳥刑事はあとちょっと残った煙草が消すに消せなかった。ようやく煙草を吸い終わり中に入ろうとした飛鳥刑事の前で屋上のドアが閉められた。中から閂を下ろす音までする。
「ちょ、ちょっと!なにやってんすか!」
そんなことをしているうちに雨脚が強くなって来る。飛鳥刑事はポケットから警察手帳を取り出しその表紙をドアの間に差し込んでこじ開けた。
「何だよ、簡単に開くじゃん」
「くだらない悪戯しないでくださいよ。ガキですか、全く」
「っていうかさ、ここから入れるだろ」
「え?あ、そっすね」
「戸締まり確認したって言ってたからろくに調べちゃいねぇが、こんなんじゃ戸締まりしてないのと大してかわんねぇだろ」
「ここから侵入した可能性もありますね」
「問題は屋上なんてどう上がったかだけどな。確か非常階段も屋上までは繋がってなかったよな」
「ですよね」
「よし、飛鳥。ちょっと見てこいや」
「雨降ってるじゃないすか」
「まだ小雨だろ、気にすんな」
「先輩は……」
「行くわけないじゃん」
佐々木刑事は飛鳥刑事の言葉を遮った。
「だと思った……」
とぼとぼと小雨そぼ降る屋上に一人出て行く飛鳥刑事。
下を見ながら屋上を一周する。道路に面した面は窓ばかりが並んでいるが、裏側には非常階段が見えた。屋上までは続いていないものの、真下まで来ている。
そして、その真上に当たる場所を見て見ると、あまり目立たないがコンクリートを何かでひっかいた真新しい傷が付いていた。ここに恐らくフックのようなものを引っかけてよじ登ったらしい。
その傷のことを告げると、佐々木刑事も小雨降る屋上に駆け出した。
「ナイスだ飛鳥。これで侵入したのは屋上からでほぼ間違いねぇ。眠いの堪えてわざわざ来た甲斐があったってもんだ」
眠いのを堪えて、と言うより運転を任せて自分は一眠りするために出て来たようなものなのだが。この辺は佐々木刑事の虫のいいところだ。
侵入経路はこれでほぼ確定だが解決に近づいたとは言えないだろう。外部犯である可能性が出て来たということくらいだ。しかし、カギを持っていたことや警備員の動きを知り尽くしていることなど、ただの外部の人間とは思えない点も多い。内部の人間も少なからずこの事件に絡んでいる。それは間違いない。
盗まれた物が無関係の人間には大した価値のない書類であることから企業スパイの類いだろう。となると、この社内に社員としてもぐりこんでいる可能性は相変わらず高い。社内の人間を洗うことが今できることだ。
屋上で見つかった侵入の痕跡。ここから外部犯であると判断している、と匂わせることで相手を油断させながら、社内の人間を注意深く調べて行くこと数日。何人か疑わしい人間を絞り込むことができた。
あいつは俺と同じ給料のはずなのにやけに羽振りがいい、スパイとして別に給料をもらっているんじゃないか、とか、あいつの付き合いが悪いのはスパイ活動のためなんじゃないか、などという情報も踏まえてだ。
だが、実際調べて見るとそういう情報で上がっていた人物も、羽振りがいいのはジゴロで女に貢いでもらっていたとか、付き合いが悪いのはジゴロで女と乳繰り合っていたとかそんなのばかりと言うジゴロの多い会社だったりした訳だ。密告の中には多分に嫉妬から来るものもあったのだろう。
そう言った人間を外して行き、さらに絞り込まれた数人に密着することさらに数日。
外回りに出掛けたその人物がその足でライバル企業に入って行くのを確認した。しばらくして出て来たところに声をかけ、彼を重要参考人として署に連れて来た。
その男は企業スパイとは言え、よもや警察で尋問されるとまでは思わなかったらしくひどく狼狽した様子だった。会社の言い付けの通りに動いただけなのだから無理もない。
ただ、この男は書類を盗み出した男とは別人だった。小太りの小男でとても機敏には動けそうもないし、本人もそんなことをした覚えはないと言っていた。犯人だったとしてそうそう犯行を認めるはずもないが、疑われていると知ったときの狼狽えぶりはやった人間のものではないと刑事としての勘が教えている。
それでも取調室でこってりと調べ上げてみる。この男がやったと決めつけてどんどん追い詰めて行くという荒業を繰り出すと、男も疑いを晴らそうと必死になった。企業スパイといえど会社のために濡れ衣を被ろうという意識はないらしい。自分の人生を守るためなら会社を裏切る。
この男は会社の言い付けで被害に遭った会社の社員として働きつつ、定期的にその会社の動向を自分の会社に報告していた。
数ヶ月前から、被害に遭った会社は社運を賭けた大きなプロジェクトに取り組んでいた。今回盗まれた書類もそのプロジェクトに関するものだった。たまたま書類の保管場所を知った男がそのことを会社に報告すると、今回の事件が起こったということだ。会社が別な誰か、恐らくはプロを雇い盗み出させたのだろう。
間もなくその会社には家宅捜索が入った。盗まれた書類も見つかり、経営者を含む数人が取り調べられた。
最大の焦点は、彼らが雇ったプロの存在だ。先に取り調べた企業スパイの証言から被害に遭った会社のビルの構造や、警備員が定期的に回ってくること、その時間や大体のコースなどを会社に報告した事も判明した。犯人が使用した鍵も、その企業スパイが部屋を訪れたとき、管理者の目を盗んで鍵に刻まれたナンバーとメーカーを調べて会社に報告している。そのうちいくつかは会社に命じられて調べたものだ。
そして、そう言った情報を会社がそのプロに流したのだろう。犯人は目的の書類のある部屋まで警備員を避けて迷うこともなく向かい、恐らくは偽造した鍵を使って部屋に侵入し目的の書類を盗み出した。監視カメラがあるのも承知のうえだったので顔の写りにくい格好をしていた。
問題は、依頼したプロが何者か、と言うことだ。企業スパイの供述により企業スパイが直属していた人物は明らかになっていた。しかし、その人物を尋問したがなかなか口を割らなかった。
「あっ、光二?あたしよあ・た・し。いつもの場所で会いましょ。じゃーねー」
矢部は受話器を取るなり一方的に話を進める相手にうんざりした。何よりうんざりさせられるのはその相手がいわゆるオカマだということだ。
いつもの場所に行くとそのオカマがビシッとおめかしをして立っていた。ここは波止場だ。矢部の姿を見ると辺りを警戒しながら近寄って来た。
「待たせたな」
矢部が言う。
「何分待ったとおもってんの」
口をとがらせてオカマが言う。矢部はさらにうんざりする。
しかも、オカマは矢部の腕をつかむと腕を無理やり組ませ、そのまま人気の無いところに引っ張って行く。
「ああ、気色わりぃ」
腕を振り払いながら男の声でオカマが言った。
「だったら最初っからやめとけよ。気色悪いのはこっちも同じだよ」
矢部は苛立たしげに言う。
「そうは言っても人目があるからな。男の格好で女の声を使う訳にも女の格好で男の声を使う訳にもいかねぇ」
「男のまんまで来ればいいだろうが」
「上からはあんたと会うときは女になって会えって言われてんだ。それはできねぇ。そんなことよりわざわざ呼び出したのはな、いつぞの書類を盗み出せって依頼に関してだ」
「ああ、そんなのあったな。何かあったのか?」
「依頼人が捕まった」
「俺、何かまずったか?」
「あんたはよくやったさ。問題はそのあとだな。連中が送り込んでいた企業スパイがあの後すぐに見つけられてな、しかもそいつがあっさりとゲロったらしい。遅かれ早かれ発覚はするだろうとは思っていたが予想よりだいぶ早かったって事だ」
オカマは懐から煙草を取り出し火をつけた。色っぽいポーズで煙草をくゆらせる。
「まぁ、そっちの処分はこっちでするが間に合わずに警察に多少情報が漏れたときのためにまたおやじを引っ越させようと思っている。その手伝いをちょっとして欲しくてな。いかにせんうちの支部も人手不足なのよ。報酬は当然出る。悪い話じゃないだろ?」
「金がもらえるならいくらでも手伝うぜ」
早速引っ越しが始まった。荷物の量はさほど多くない。普通の車のトランクに積んで二往復ほどですべて運び終わった。
「お疲れ、お駄賃くらいだが報酬だ。あと、親父の新しい電話番号も教えておく」
オカマが番号のかかれたメモをよこした。
「ところでさ」
「ん?」
「さっき処分がどうのこうの言ってたけどさ、それってつまり殺すって事か?」
「いや、そこまではしないさ。殺してまで口を封じなければならないほどの秘密を握っている訳でも無い」
「逆に言えば秘密を握ってりゃ口封じのために殺すこともあるって事か」
「まぁな。あんたももし捕まったとしても余計なことは言うなよ。そのときは……」
「怖いこと言うなよ」
「まぁ、こうして脅しかけておきゃそうそう言う奴ぁいねぇがな」
「そりゃそうだ」
その後二言三言言葉を交わし、矢部は帰って行った。
残されたオカマの組織員は心の中で呟く。
奴もまだ信用はできねぇ、と。
「どうもこの間の質屋の件と言い、妙なことが多いな」
木下警部は難しい顔をしてる。
盗品を買い取る質屋。請け負い仕事をする泥棒。犯罪で商売をする輩がいる。
書類の奪取を依頼した会社役員から聞き出した連絡先は既に不通になっていた。番号を元に場所を割り出すこともできたが既にもぬけの殻だ。消え方からしてただ者ではない。
役員はその連絡先以外は何も知らなかった。役員がこの連絡先を知ったのは繋がりのあった暴力団関係からだった。
犯人との接点は何一つ見つからない。接点を隠している大きな何かがあることだけが漠然と分かっている。
「裏であの連中がからんでいるかもしれんな」
ぼそりと木下警部が漏らした。
あの連中。怪盗ローズマリーの裏にあった組織、ストーン。以前修道院で派手にやり合った連中だ。
彼らがなぜこの町に現れ、あの修道院を占拠しようとしたのか分からない。が、何か目的はあったはずだ。そして組織が壊滅しておらず、目的も果たされていないのならまだこの辺りをうろついているというのは大いに有り得ることだ。
しかし、連中の姿もまた闇に隠れていて見ることが出来はしない。ただ、この犯人を捕らえることが出来れば連中に関しての何かが分かるかもしれない。
今警察に出来ることは一人でも多くの窃盗犯を捕らえることだ。そして、その中に例の犯人が混ざっていることを祈るしか無い。
そのためには特に夜間の見回りの強化による不審者の洗い出しや現行犯での逮捕を心掛けるのが近道だろう。
まだしばらく警邏の連中の愚痴は止まりそうにない。
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