Episode 2-『怪盗達の置き土産』第3話 次なる手段
その後、あの姿なき窃盗犯はなりを潜めていた。
捜査するにも、犯人につながるような痕跡が何一つない。そのため全く捜査が進展しなかった。
「ったく、こんなこすい奴捕まえたってすかっとしねぇよ。もっとこう、派手な奴ならやる気も出るんだけどな」
派手なら派手で難癖つけてやる気でないだろう佐々木刑事が机の上の捜査資料の束のうえに足を置いたままぶつくさ言っている。確かに、他の泥棒に張りついてその上前をはねるような奴だ。地味といわれてもしかたがない。
一方、飛鳥刑事の方は犯人と2度もニアミスをしていながらその存在に気づくことがなかったせいもあって、若干むきになっているようだ。1度目は潜伏包囲作戦のとき2階に上がり、その気配に感づきながらも見逃してしまった。2度目は犯人が犯行に及んだその瞬間、現場にいながら全く気づきもしなかった。
捕まえた今川から、邸宅内で犯人と思われる人物を見たという証言を得られたのだ。今川の捕まった邸宅には二人しか住んでなかったにもかかわらず、第3の人物に遭遇し、物音を立てて逃走しようとして家人に騒がれている。しかも、家人の証言などと合わせると、まさにそのドタバタの騒ぎに紛れて犯行を行っているようなのだ。まさに飛鳥刑事が今川を取り押さえたそのときだ。
飛鳥刑事は、もう調べ尽くされた現場に今日も足を運んでいる。無駄なのは分かりきっているのだが、何かしていないと落ち着かないのだ。
しかし、やはり時間だけが過ぎて行くばかりなのだった。
そのころ、その犯人は今川絡みの犯行で得た金を使い切っていた。
自分の部屋の目の前に住んでいた今川が捕まったために、警察が聞き込みのために何度となく彼の部屋に押しかけて来たが、彼の正体に気付く事なく帰って行った。
しかし、やはり警察がうろついている状況で新たな犯行に及ぶ気にはなれず、ぶらぶらしているうちに手にした金がなくなってしまったのだ。
大学の学費と家賃などの最低限の生活費は親が仕送りしてくれているので払えているが、遊ぶための金は無い。その金を稼ぐためにアルバイトをすると遊ぶ時間がなくなってしまう。
遊ぶ金は欲しい。何としてでも。そう、たとえ盗みを働いてもだ。
だから彼が狙うのはいつも現金だ。現金は足がつきにくい。別に銀行や郵便局から奪う訳ではないのでナンバーなど控えていない。証拠さえ残して行かなければまず足はつかないだろう。
彼が犯行を行うときは指紋を残さないように手袋をして行く。どこにでもある軍手だ。現場に髪の毛を落とさないように帽子もかぶる。足跡はどうしても残るだろうが、履いている靴は靴屋に行けば各サイズ5足以上は常にストックがあるくらいありふれた学生からおばちゃんまで履いているような安い運動靴だ。現場に残していくガムテープなどもどこにでもあるものだし、他にもいろいろ気を配っている。現行犯で捕まりでもしない限り彼に捜査の目が向くことはないだろう。
とは言え、最近は二度も警察とニアミスをしている。最近は事件が増えているせいで警察の捜査や警備がやけに厳重でしつこいのだ。
もともと夜盗を始めたのは捕まりにくいからにほかならない。怪盗騒ぎで他の窃盗事件に人員が割けなくなった警察など恐るに足りない。しかし、怪盗たちがいなくなると警察もようやくこの町の現状に目を向けた。警察の人員は怪盗事件から連続窃盗事件に向いた。夜の町のパトロールは強化され、泥棒が狙いそうな家は警察が張り付いていることまである。このまま夜盗や空き巣狙いを続けるのはリスクが高すぎる。
しばらくはなりを潜めて別なことにでも手を出した方が良さそうだ。
面倒になったな。
彼はそう心で呟き、ひとつため息をついた。
この度の連続窃盗事件で動いたのは警察ばかりではなかった。
町の片隅に小さな質屋が開いた。一見変わった所のない質屋だが、裏の姿を持っている。
この店は盗品を承知で買い取ってくれているのだ。当然警察の目があるので大っぴらにはやらないのだが、口コミで噂が一気に広がりほんの一月の間に泥棒稼業の連中にはだいぶ知れ渡っている。もちろん警察はそんな事は知らない。
なぜそんなに早く情報が広まったのか。詳しいことは闇の中なのだが、刑務所から出て来たばかりの常習犯が客として多いというあたり、刑務所の中で情報が広まっていると考えるのが無難だろう。
とにかく、そんなわけでこの質屋には日々考えもつかないような量の盗品が持ち込まれているのだ。
ある晩。次の手段を考えながら夜中の街をうろつく彼の姿があった。
海沿いの道を歩く。この道は人が歩くような道ではない。市街地からは離れており、沿道には店も住宅も何もない。ただ、何もない田舎道ということではない。昼間なら横で青い海がきらめき、反対側は深い緑が広がる。そんな景観の良い道でドライブにぴったりだ。もっとも、たまにマナーのない走り屋が騒々しく走り抜けて行くこともあるが。
夜は夜で海の向こうに繁華街の明かりが見えるムードあるデートスポットとして人気だ。100メートル置きに車が停まり、その横でカップルがいちゃついている。たまにうるさいバイクが走り抜けて行くのは昼間と変わらない。
こういう道なのであまり騒がしくなるような建物はない。公園があったり、教会があったり、美術館、どこぞの金持ちの邸宅。あとは木々の向こうに隠れるようにホテルが建っているのはデートスポットならではだ。
賑々しい夜の繁華街よりもこういう静かな道の方が気分転換にはちょうどいい。いちゃつくカップルをのぞき見でもできることもあったりする。しかし、今日は平日のせいもあってそれほどカップルはいないようだった。
道路脇に車が停まっている。この辺では車を止めて海を見ながらいちゃついているカップルが多いので珍しくもないが、車の周りに持ち主らしい人影はない。
もしかしたら中でお楽しみ中かも?などと出歯亀して見るが、車の中にも誰もいなかった。茂みの中か、とがっかりする。
不意に、甲高いベルの音が耳に入ってきた。音の方に目を向けると、そこは美術館。美術館の警報ベルが鳴り響いているのだ。
様子を見ていると、美術館から人影が飛び出してきた。その後に続くように数人のガードマンらしい屈強な男が出てくる。
追われているのは細身な男だった。小さな絵を小脇に抱えている。間違いなく美術品泥棒だ。
泥棒はあっと言う間に美術館の門まで走り抜け、外に止めてあった黒い国産車に飛び乗った。さっきの誰も近くにいなかった車だ。慌ただしくエンジンをかけて急発進する。車はあっと言う間にエンジン音も聞こえないようになった。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくるのが聞こえた。一応彼も泥棒で金を稼いでいる身だ。警察に声をかけられるのは体裁が悪い。慌てて林の中に身を隠し、そのまま歩いて来た道を引き返してその場を去った。
翌日。なけなしの金を持って彼は町に出た。もっとも遊ぶ金としてはなけなしの、ではあるが。
増えることを期待してパチンコ屋に入るが、世の中そううまいことはない。これでしばらく慎ましく暮らさなければならなくなった。
パチンコ屋を出てとぼとぼと歩いていると、近くの店の前に一台の車が停まった。中から男が出てきて、トランクから平たい包みを取り出す。そして、そのまま店に入って行く。店の看板を見ると質屋だった。ちょっと前まではここははやらないアイス屋だったと思ったがいつの間にか潰れて別の店が入ったようだ。
ふと、前に止められた車を見た。黒い国産車。少し気になりのぞき込むと、バックミラーの下に小さな交通安全のお守りが下がっていて、助手席には競馬新聞。
昨夜出歯亀し、美術館に入った泥棒が乗り去っていった車だった。
こいつはまたまた運が巡ってきたかも知れねぇ。俺は金が無くなると運が向いて来やがる。
彼は素知らぬふりをして質屋に入って行った。
店の中にはガラスケースがあり、いかにも質流れのカメラや時計や財布などが並んでいる。ごく普通の質屋だ。
カウンターでは店の親父が持ち込まれた絵を眺めていた。先客は彼がいきなり店に入って来たことに戸惑っている。おどおどと視線を忙しなく彼の方に向けたり逸らしたりしている。
いくら何でも怪しすぎるぜ、おっさん。こんなやつがよくあんな大それたことする気になったよな。
そう思いながら、棚の品物を見るふりをしつつカウンターの様子をうかがう。男は枯れ柳のようななよっちい体で、不健康そうな顔色をしている。この様子じゃうまい飯を食わせてくれる女房もいないだろうし食うに困らないだけの稼ぎも無さそうだ。盗みを働いてまで金が欲しいほどに追い詰められた、と言った感じである。
彼は店を出て外で待つことにした。あのまま中にいると男が質入れを取りやめて逃げ出しそうな気がしたからだ。
しばらくすると男が質屋から出て来た。陰気な顔に少し笑みが浮かんでいる。
「なぁ、おっさん。さっきの絵、いくらで売れたんだ?」
彼は男に声をかけた。まるで電気ショックでも受けたように飛び上がる男。本当に気の弱い男だが、好都合だろう。
「結構いい値段だったんだろう?少し分けてくれよ」
「け、け、警察に言うぞ、お前」
もし疚しいところがなくても警察に言えるほどの度胸がこの男にあるかどうかさえ分からないが。
「言えるの?警察に。俺さー、昨日の夜見ちゃったんだよねー、あんたのこと」
ただでさえびびっていた男が目を泳がせ始めた。
「口止め料くれたら黙っててやるよ。財布見せてみな」
男は痙攣でもしているんじゃないかと思えるほどに震えた手で財布をポケットからつかみ出した。
財布の中には3万円ほど入っていた。さっきの絵が3万円になったということだ。美術館の絵にしては安い気もするが、元手はただなのだから丸儲けだ。万札一枚を引っこ抜き、財布を男に返した。
「あんた、そんなにびびってる割にはよく質屋なんかに盗んだ絵を持ち込んだりできるよな。美術館に忍び込んで盗み働いた時点ですごい度胸だとは思うけどさ」
「ここは盗品でも買い取ってくれるって泥棒仲間から聞いたんだよ。美術品みたいな足がつき易いものでもいいって言うから持ち込んだんだ。話じゃここの質屋で流れたものはどこかにいっちまうって言うし。絶対何かやってるぞ、この店は」
この男に泥棒仲間なんてのがいるだけでも驚きだが、盗品と知りながら買い取ってくれる質屋というのも驚きだ。盗品と分かった時点で店頭に出せない。損を覚悟で泥棒に奉仕でもしているのだろうか。
この辺では頻繁に空き巣だの夜盗だのが発生するようになったが、盗まれるのは現金や宝石ばかり。足がつきやすく、価値がないことも多い美術品は結構穴ではある。外れも多いだろうが当たりが出ればかなりの金になりそうだ。
早速、その夜彼は目星をつけた家に忍び込んだ。そこそこに大きな家だ。
居間に大きな絵がかかっている。これはちょっと持って行けそうにないがなかなかにいい絵だと思う。素人目ではあるが。
別な壁には手頃な大きさの絵がかかっている。しかし、持って行こうとして壁から外すとその裏に小さな隠し金庫があった。隠し金庫のカムフラージュ用の絵だったらしい。こういう用途に高い絵は使わないだろう。金庫の開け方も分からない。絵は元に戻した。
やはり、大きい方の絵を持って行くのがよいようだが、この大きさだと歩いて持ち帰るのは難儀だ。重いうえに目立つ。車が欲しいところだ。
絵はおいといて車を調達してくる事にした。
簡単に車が手に入る場所を彼は知っている。
海沿いの、あの美術館のある通りだ。
カップルが車から降りて海を眺めながらいちゃついている。エンジンはかけっぱなしがほとんどだ。目の前にいる恋人に気が行っていて、後ろの車になど注意を払っていない。
エンジンがかかっている車に近づく。恋人たちはキスに夢中で車に近づく人影に全く気づかない。運転席のドアを開けて飛び乗り、アクセルを踏む。免許は持っていないが、車に乗ったことは何度かあるので手慣れたものだ。
車の持ち主もさすがに気づいて追いかけてくるが間に合う訳などない。
彼はそのまま先程の家の前まで車を乗り付けた。
まだ家人も起き出す様子はない。先程の絵を壁から外す。忍び込んだ窓から絵を外に運び出した。車の後部座席に立て掛けるように絵を積み、自分のアパートまで運ぶ。その後、車は適当な場所に乗り捨てて来た。
翌日、早速絵を質屋に持ち込んだ。
主人はしばらく絵を眺めていた。そして、一言だけボソッと言った。
「いい絵だな」
その言葉どおり、その絵にはなかなかの額がついた。ちまちまと財布から札を抜くより断然儲かる。もっとも当たり外れは大きいだろうしこれはその当たりのほうだろう。それでもおいしいことに変わりはない。
これからちょっと絵の勉強でもしてみるか、などと思ったりするのだった。
一方、警察はピークを過ぎてだいぶ減ったとは言えいまだに数だけ見れば尋常ではない空き巣・夜盗の対応に追われていた。
見回り強化や相次ぐ逮捕により思いつきによる素人の犯行は激減した。
その一方で巧妙な手口によるプロの犯行が目立つようになってきた。なかには引っ越し屋に変装して留守宅の家財道具をすっかり運び出した猛者までいる始末だ。
逮捕者は減り、被害は上向き傾向。このままではせっかく減少した発生件数がまた元に戻ってしまう。
聖華警察刑事課2係では緊急会議が執り行われた。
「もう人海戦術は限界だ。県警は佐中市の銀行強盗の方にかかりきりでこちらに回せる人員はもういないと言ってきた。現状を打破するには何かこう画期的なアイディアがほしいところだ。なにかないかね」
木下警部は一同の顔を見回した。
「あればとっくに出してますがね。地道な捜査しかないんじゃないすか?」
やる気のない発言は佐々木刑事である。
「なるべく早めに効果を上げたいんだよ。多少強引な方法でもかまわんよ」
「いっそ罠でも仕掛けますか?」
佐々木刑事とは打って変わって闘志に燃える飛鳥刑事が提案する。
「罠?」
「どこかの民家に多額の現金を置いて盗みにきた泥棒を片っ端から現行犯で……」
「そりゃゴキブリホイホイだろうが。で、その泥棒はどうやってその民家に大金があるのを知るんだ?ゴキブリホイホイだって餌の臭いで釣ってんだ。臭わねぇ餌じゃゴキブリも泥棒もよっちゃこねぇぞ」
「えーと、市営のローカルテレビか市報でそれとなく噂を広めるとか」
「この町で金持ってるくらいで記事になるには億単位の金が必要だぞ」
「宝くじで一等が当たったということにすれば」
「この時期にそんなまとまった額の当たる宝くじなんざねぇよ」
「競馬で大穴が出たとか」
「こそ泥やってるような奴にゃ博打狂いで身を持ち崩した奴も多いんだ。大穴なんか出たら聞いてるような奴らばかりだぞ。すぐにばれちまうよ」
「それじゃ大穴が出るように結果を操作してもらうというのは」
「そんないかさましたら警察沙汰だろうが」
闘志に燃える飛鳥刑事はその勢いだけであまり考えずに発言していたようだ。
「美術品ならどうかね。世間全般の値打ちはたいしたことなくても蒐集家は高い金を出すこともある。高い金で取引されることになったとニュースで流せば大物が食いついてくるだろう」
横から森中警視が案を追加してきた。
「しかし、その絵をどこから調達するんです」
木下警部は少し乗り気になってきた。
「私の兄が貿易商をしてましてね。多少ですが美術品も扱っているのですよ。もっとも、日本ではまだ名の知られていないような画家のものが大半ですがね」
「しかし、貸し出してくれますかね」
「なぁに、買い取ればいいんですよ。で、用が済んだら返品すればいい」
「しかし、盗まれてしまった場合は……」
木下警部が不安げに聞いた。
「盗まれないようにすればよいまでです。そのための罠なのですから」
その後、具体的に作戦が練られた。作戦のために使う民家は売り家になっていたものを貸してもらえることになった。聖華市報社も今回の作戦に全面協力してくれることになった。後は餌となる絵画さえそろえばゴキブリホイホイの完成である。
作戦の舞台となる売り家に絵が運びこまれた。当然ながら警察のガードつきという物々しさだ。近所のおばちゃんたちも興味深そうに眺めている。
梱包を解いてみると、その絵はやや大きめののどかな農村の風景を描いたものだ。風景しかない寂しい感じの絵ではあったが、よく見れば麦畑の黄金色の穂が細部にまで入念に描かれていて、手間の掛った力作であることがうかがえる。ぱっと見の派手さはないが、吸い込まれそうな絵である。
「用途が用途なので多少吹っかけられてしまいましたよ。まぁ、作戦がうまく行けば全額戻ってきますが」
刑事の一人が恐る恐るいくら掛ったのかと切り出した。刑事課の面々はその吹っかけられたと言う金額を聞いて息を飲むことになる。この絵が盗まれでもしたらこの少ない刑事課2係の人数で返さなくてはならないだろう。となれば退職まで赤貧確定である。
「いいか、この絵は絶対に死守するんだ!何としても無事返却してちゃらにせねばならん!」
気合の入る木下警部。と言うか、もう既に追い詰められた感じである。
しばらくすると、聖華市報社の記者が数名訪れた。
別に取材をするという訳でもない。むしろ打ち合わせだ。この記事は泥棒を呼び寄せるためのデマなので、どういう話をでっちあげるのか、と言うことだ。
「この絵はですね、イタリアでは知る人ぞ知るモッシリオ・ヘモッターナ画伯の中期の作品でしてな。画伯は特に地元のトスカーニャでは人気が高いのです。この絵もそんなトスカーニャの農村の風景を描いた情緒ある作品でしてな。いまでもこの場所に行くとほとんど変わらない風景が広がっているのですよ。最も描かれているサイロは新しいものに建て替えられてますがね」
森中警視が絵について蘊蓄を話しだした。
「詳しいですな、警視」
「兄が絵を買いつけた時に聞いた話らしいですがね。どうも興味がわいたらしく兄もその風景を眺めに行ったそうですよ。私がこの絵を借りてきた時などこの画家の生い立ちまで聞かされましたからね。凝り始めるとどこまでもしつこい兄でして。まあ私も似たようなもので、この仕事にも向いているわけですが」
笑いながら言うと、森中警視は記者にその延々と聞かされた蘊蓄の続きを話し始めた。これだけ絵についての詳しい話が載ればデマ記事にも信憑性が出てくるというものだ。そもそも、絵自体は紛い無き本物である。
「後は記事が市報に載って、泥棒が狙ってくるのを待つばかりですね」
「そうだな。この先は警備課の連中にも手伝ってもらうことになるだろう」
翌週、記事は市報に載った。わざとらしく邸宅外観の写真を掲載し、すぐにこの家だというのが分かるようになっている。しかも、昨日絵を運びこむのを見たおばちゃんたちがすでに話を大きくして広めていたので
空き家だった家はうっすらとほこりが積もっていた。埃は掃除をすれば取れるが調度品や家具がない寂しさはどうにもならない。
1階の各部屋に適当な家具を置くことになった。夜中に忍び込んでくる連中に空き家だとばれない程度に飾り付けておけばよいのだ。昼間のうちはまだ殺風景さが目立つ。それでも夜の闇の中ならさほど違和感は感じないはずだ。
「食器棚があるが食器が入ってないのはちょっと気になるな」
「そう言うと思ってスーパーでちょっと買ってきたんですよ」
そう言うと飛鳥刑事はスーパーの袋から皿を取り出し並べ始めた。皿と言っても紙皿だ。カップラーメンまで入っている。
「ちょっと待てや、それはいくらなんでもねぇんじゃねぇの?」
佐々木刑事は少し呆れた顔をした。
「どうせ入ってくるのは夜中の闇の中ですし、食器棚の中の皿まで見ませんよ。見たところで、この家の中に入って物色している点で十分逮捕できます。罠に気づいたところで手遅れです」
「それもそうだがな」
腑に落ちないような顔でべらべらの皿をつまみ上げる佐々木刑事。
「何か侘しさをガンガン醸し出してるんだけど」
調度品の乏しい邸宅内に紙皿とカップラーメンを並べられるとなんとなく自分のアパートよりも貧しげに見える。
棚にも空びんを並べたりとカムフラージュに趣向を凝らす。そして、凝らせば凝らすほど邸宅の大きさに似合わない貧乏暮らしに見えてきてしまう。
まぁ、確かに昼間だからと言うのはあるだろう。夜の闇の中なら違和感は無いはずだ。
そうこうしているうちに警備課からの応援が駆けつけてきた。
警備課から回された人数は5人。刑事課で作戦に加わる人数も5人なので合わせて10人がこの邸宅に配備されている。
警備課から回された5人の中に小百合の姿があった。
「こういう仕事は真っ先に回されるんですよ」
そういう小百合は、今日は制服ではない。よそ行きのブラウスでしっかりおめかししている。
「一応ここの住人の振りをする訳だし。よそ行きってのは合わないんじゃないか?」
「確かにこの服はよそ行きだけど、これだけ立派な家に住んでるのにバーゲンで買ったほころびだらけの服なんか着てられないでしょ?」
確かに小百合の言う通りだ。あまり見窄らしいなりではこの家に釣り合わない。飛鳥刑事のようにポロシャツにジャージのズボンといういたって庶民的な出で立ちは不相応極まりないのだ。
「あちゃー、言われりゃその通りだよなぁ。この格好じゃまずいよな」
「家人というより、借金を返しに来た男という感じだな」
森中警視にまで言われてしまう。その森中警視はガウンを纏ってソファーに腰掛けている。昼間には似合わないがこの家には填まっている。
「俺ももう少しましな服取って来ます。俺だけ普段着じゃ何ですので」
森中警視に向かって言う飛鳥刑事。
「いや、私も普段着なんだが」
同じ普段着でも生活レベルが違い過ぎる。中流階級と貧民だ。
「飛鳥刑事、その格好で外出ないでくださいよー。ダサすぎて恥ずかしい」
小百合にまで言われてしまう。
「小百合だって普段はジャージじゃないかっ」
「あたしはジャージじゃ外に出ませんー。ゴミ捨てるだけでも着替えますっ」
ゴミ出しは専らパジャマの飛鳥刑事には言い返す言葉もない。
ひとまず、少しはましな服を取って来た。しかし、さっきのぼろジャージよりはいくばくかまし、と言った程度の服ではある。
「なんでそんな服しかないのよ。スーツは結構いいの持ってるくせに」
「スーツに金がかかり過ぎて普段着にまで金を回せないんだよ。あーもうっ、そんなことどうでもいいじゃないか」
「私服組は制服組より金がかかるって事だ。まぁ、飛鳥君の場合はそそっかしいから着ているものをどこかに引っかけて破くことも多いし」
結論も出たところで作戦会議に入る。
この邸宅は2階建だが、今回の作戦では2階は使わない。エントランスホールに入ると吹き抜けになっていて2階へ上る階段がある。右手前にリビング、右手奥に飛鳥刑事たちが待機している食堂とキッチン。左手に進むと応接間、さらに奥にはトイレと佐々木刑事のグループの待機するバスルームがあり、どちらの廊下を進んでも一番奥の書斎にたどり着く。書斎は三方を本棚が取り囲んだ窓のない部屋だ。絵は逃げ場のないこの部屋に置いてある。念のために作り付けの机の下にも警官を一人潜伏させてある。
庭にも警官を配備。もちろん悟られないように物置や犬小屋に潜伏させている。玄関にはカギをかけてあるがトイレなど、何ヶ所かの窓は鍵を開け、窓によっては半開きにしてある。誘い込み易いようにだ。ガラスを割られたり穴を開けられると困ると言うこともある。後から来た盗っ人が先客有りと判断して入って来なくなってしまうのだ。
もともと空き家だったので家具の類いはほとんど古道具屋から借りるなどして警察が用意した。廊下には何枚か絵がかけられているが、来れも警察で用意したものだ。借りた訳ではなく自分たちで書いた物だったりする。若いころに音楽や美術など芸術的なものにはいくつか手を出してみたという森中警視と高校時代美術は4だったという小百合の描いた絵はぱっと見違和感のない絵に仕上がっている。どちらも風景画だが森中警視の描いた絵にはよく見ると戦闘機が飛んでいたりトーチカらしい建造物が見られたりする。絵心のない佐々木刑事は適当に書きなぐり抽象画と言える代物を完成させた。いいのか悪いのかパッと見さっぱり分からないのがみそだ。ちなみに、飛鳥刑事も描くには描いたのだが、あまりにも中途半端な絵なので没になり、今は署の壁の目立たないところに貼られていたりする。雰囲気を出すための調度品とはいえ一応、勘違いした連中が盗んで行くかもしれないので本物は置けなかった。
家具の類いが無い2階には泥棒たちが入って行かないように小さなライトを置いてドアを薄く開けて光を漏れさせ、ラジオをかけている。
もっとも、そんな手をかけなくても新聞に乗せた偽記事には絵が飾られた部屋が1階の一番奥だとそれとなく書かれているのでその記事を読んで入って来た泥棒ならまずそこに向かうだろう。
書斎に足を踏み入れ、絵に手をかけた時点で合図が送られ、警官たちが一気に取り押さえる手筈になっている。そうなれば2階になど行くこともできない。
準備を万端に整え、いよいよ夜になった。
明かりを消し、闇の中で息を潜めじっと待つ。
ドアごしに気配を殺した泥棒のたてるかすかな音を聞かなければならない。
何も起こらないまま夜半も過ぎた。そして、ようやく最初の獲物が罠にかかることになる。
遠くから微かな音がした。恐らくは何者かが開けておいたトイレの窓から侵入し、ドアを開けてまた閉める。そんな音だった。
下が大理石なので足音はほとんど無い。衣擦れの音だけが食堂の前を過って行った。
今すぐにでも後を追いかけて捕まえたくなるが、絵に手をかけるまでは相手に気づかれてはいけない。
やがて侵入者は書斎のドアを開けて入っていった。わずかな間の後、潜伏していた警官が短く叫ぶ。
「動くな!」
その声を合図に食堂とバスルームに潜んでいた警官たちがいっせいに書斎に向かった。書斎から逃げ出して来た侵入者は逃げ場を失い、あっけなく取り押さえられた。
手錠をかけられ、キッチン奥の勝手口から裏口に抜けると覆面パトカーが待機している。それに乗せられて署に連行されるのだ。
一人捕まったがこれで終わりではない。記事に釣られて侵入してくるものがまだいるはずだ。
結局、日が昇るまでに3人の侵入者を捕まえることができた。
しかし、現金狙いならともかく捌きにくく足がつき易い美術品を狙うのは相当なプロだ。それが一晩に3人も現れるというのは尋常ではない。
作戦は後6日、併せて1週間の予定だ。連日同じメンバーにやらせる訳にも行かないので一日交替だ。あと何人捕まるか。いずれにせよ初日ほどたくさん来ることは無いだろう。
飛鳥刑事は佐々木刑事と共に昨晩捕まえた連中の余罪追求のための取り調べをおこなう。3人も連続で取り調べするのは久々だ。とにかく連続での取り調べは佐々木刑事のボルテージが上がり過ぎてきれるのが心配ではある。
取り調べは順調に進んだ。さすがに全員プロである。隠し立てすれば罪が重くなることをわきまえており、余罪はあっさりと引き出せた。
しかし、盗んだ絵の処理に関しては誰もが口を噤んだ。美術品は世界に唯一の物である。確かにレプリカなどもあることはあるが、それも精巧なものであればそれなりの価値も出る。そうなれはそれはやはり個別の評価を得る。
とにかく、足のつきやすい代物なのだ。市場に出回れば一目で分かる。そんなものを盗んでもリスクの方が大きい。
にもかかわらず美術品を盗む。リスクを越えるだけの利益が見込めるか、あるいはそのリスクが最小限に押さえられるのか。
連中は美術品泥棒でも小物だ。それほど大きな価値のある絵を盗んでいる訳ではない。国内でやや知名度のある程度の画家の作品を中心に獲物にしている。今回の作戦で使われた絵は海外の物だが、ややマイナーという辺りが連中の獲物としてはヒットだったのだろう。
しかし、その程度の美術品をねらうのならば忍び込んだ家で財布でもかっぱらった方が稼ぎは少なかろうがリスクが無い。
美術品は換金しようとした時点で既に発覚のリスクが生じる。かといって換金しないというのはおかしすぎるだろう。趣味で絵を集めてます、とでも言うのなら話は別だろうがこの連中の面構えはそういう趣味は無さそうだ。
つまり、どこかで金に換えているはずなのだ。それにもかかわらず美術品は闇に消えたままだ。その方法を掴まねばならない。
後ろに何らかの組織が関与しているというのは有り得る話だ。が、このけちなこそ泥にそんな大きな後ろ盾というのがいまいちピンと来ない。まして3人は面識も無いらしい。同じグループではありえない。
今までに盗まれた美術品の足取りを探るのが先決ということになりそうだが、見通しは著しく暗かった。
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