Hot-blooded inspector Asuka
Episode 2-『怪盗達の置き土産』

第2話 影の影

「様子は!?どこから侵入したか分かるか!?」
 佐々木刑事が押し殺した声で無線越しに問う。
『人目のない路地からゴミ箱のような足場を利用して塀を乗り越えたものと思います!場所はバスルーム付近、開いている窓を探しながら玄関方面へ……トイレの窓が開きました!そこから侵入します!』
 無線からやはり押し殺した緊張の窺える声が聞こえてきた。
「よし、侵入したところで出入りできそうな場所を全て押さえろ。終わったら連絡をくれ」
 この時点で不法侵入での逮捕ができる。だが、窃盗の現行犯で捕らえねば意味がない。
 しばしの沈黙のあと、邸宅の庭で一斉に気配が動く。潜伏していた警官が出入りできそうな窓や扉の下に一斉に移動したのだ。
『全ての出入り口を押さえました!』
 無線での連絡。
「よし、行くか」
 佐々木刑事を始めとする別働隊は玄関前に集結した。そして、頃合いを見はからって真夜中の静寂を打ち破るようにチャイムを押す。
 ピンポーン。
 さらにもう一度。そしてしばらく待つとドアのロックが外れる音がし、ドアを開けて館の主人らしい男が真夜中の不躾な訪問者を訝しみながら顔を覗かせた。やはり警戒しているらしく手にはゴルフクラブを持っている。
 主人は玄関前に集まった大勢の男たちにたじろいだ。相手を不安にさせたり興奮させることのないように佐々木刑事が手短に素性と事情を明かす。
「警察です。ただいまあなたの家に不審な人物が侵入するのを確認しました。おそらくまだこの中にいると思われますので改めさせていただきますよ」
 警察手帳を突きつけてやると主人はあっさりと承諾した。主人の首が縦に振られるのを確認するや否や、刑事達は一斉に邸宅内に上がり込んでいく。
「飛鳥、念のためもう一人連れて2階の方を見てきてくれ。あとは1階に散らばるぞ」
 佐々木刑事の指示に忠実に動く刑事達。飛鳥刑事も2階に駆け上がり、同僚の刑事を階段のところに待機させ、部屋を一つ一つのぞいていく。
 ふと、物音がしたような気がし、その方向に顔をむけた時だった。
 不意に、1階が騒がしくなった。犯人を見つけたのだ。
「そっちに行ったぞ!」
「向こうに回れ!逃げ道を塞げ!」
「動くな!逃げ道はないぞ!」
「抵抗するな!」
 けたたましい喧騒。飛鳥刑事達も1階に駆けおりる。
 飛鳥刑事達が騒ぎの場所に駆けつけた時には、すでに犯人は押さえつけられ、手錠をかけられるところだった。
「よし、盗んだものを出せ!」
 佐々木刑事が犯人を問い詰める。
「何も盗ってねぇよ!」
 犯人はまだ物色していた所にチャイムが鳴り慌ててトイレに戻って出ようとしたが、警官が見張っているのに気付き別な出口を探していた所で踏み込んだ刑事達に見つかったのだ。
「しまった、何か盗ってからにすれば現行犯だったのにな」
 踏み込んだ刑事の一人が悔しそうに言った。
「念のため、何かなくなったものはないか調べてもらえます?」
 言われて主人はタンスの中を確認する。その裏では刑事達も犯人の持ち物を漁りだす。犯人は別に手の込んだ道具を用意していているでもない。ガムテープが一巻あるだけだ。
「あなた、財布がない」
 夫人が主人にぼそっと言う。
「し、知らねぇよ!」
 それが聞こえたらしく慌てる犯人。再び刑事達が犯人のポケットを探りだす。
「これか!?」
 警官が男のポケットから財布を取りだす。黒い革の財布。
「それは俺んだよ!」
 犯人の言葉に夫人が頷く。
「緑色のがま口なんですけど」
 もっと念入りに身体検査をするが、それらしいものは持っていない。
「おかしいですね」
 飛鳥刑事は首をかしげる。
「なぁ、お前。別な所にあるんじゃないのか?」
「それはないわよ。私はここ以外には置かないもの。あなた、何か払ったりした?」
「いいや。ここしばらくそういうのはないな」
「俺は知らねぇって言ってんだろ!」
 考え込む夫妻の言葉を犯人が遮った。
「まぁいい。不法侵入、それから窃盗未遂の現行犯で逮捕だ。財布を見つけて再逮捕してやる」
 佐々木刑事があごで合図する。犯人はパトカーに連れ込まれた。そして、犯人を乗せたパトカーのサイレンが遠ざかっていく。
 その後、念入りに現場が調べられた。なくなった物は財布だけで、結局その財布は邸宅内のどこからも出てこなかった。
「本当にここに置いたんですか?」
 飛鳥刑事が念のため夫人に訊ねた。
「ええ。今日買い物から帰った後、確かにこの場所に。ほら、ここにレシートがありますでしょ?」
 夫人の出したレシートには確かに今日の午後のタイムスタンプがある。
「このレシートは財布から出してここに置いておきましたの。財布はその時確かにここに仕舞いました」
 確かに財布にレシートを入れる人は多い。ましてやましいことがあるでもなし、この夫人の言うことは間違いないだろう。
 では、財布はどこに行ったのだろうか。

 その頃。財布を手にした男は自分のアパートに戻ってきたところだ。
 夜遊びはいつものことだ。だからこんな時間に帰っても誰も不審には思わないだろう。
 男はポシェットの中の財布を取り出した。いかにも主婦が持つような、彼には似つかわしくないがまぐち。さっき盗み出したものだ。
 開けて見てみる。中には一万弱の現金。思っていたほど入っていない。男は舌打ちした。
 さて問題はこの空になったがまぐちをどうするかだ。いつもなら中身だけ抜く所なのだが、まさかあんなに早く警察が来るとは。さっきの奴、目をつけられていたのではないか。お陰で財布ごと持ってくる羽目になってしまった。
 自室のゴミ箱に捨てる訳には行かない。そこらへんに捨てるにしても自分との接点のないところに、誰にも見つからないように捨てた方がいいに決まっている。
 思ったより面倒だ。自分との接点のないところと言うことは、たいがい自分がいることが不自然な場所だろう。そんなところに足を運ぶのはためらわれる。
 焼いてしまうのがいいか。しかし、焼くには焼ける場所を見つけなれけばならない。
 まだ『あいつら』は彼の存在に気づいていないので、『あいつら』に預けてしまうということもできない。
 まぁ、そんなにすぐには自分に捜査の手が伸びてくることはない。それまでに処分してしまえばいいのだ。
 男は空になったがま口をひきだしに仕舞った。

「知らねぇよ!」
 やや逆上気味に容疑者が叫ぶ。昨夜捕まえた犯人を飛鳥刑事と佐々木刑事が訊問しているのだ。
「あのなぁ、あの家から財布がなくなったのは事実なんだよ!どうやって始末したのか知らねぇが、てめぇ以外にゃありえねぇんだよ!」
 怒鳴りながら容疑者にメンチを切る佐々木刑事。つばが飛ぶので容疑者は顔を背ける。
「シラを切ったって無駄だぞ。あの家の忍び込んだ時点で不法侵入だからな。手口も慣れているようだし、余罪がいくらでも出てくるだろ。一つくらい隠しても意味はないぞ」
 飛鳥刑事は少し離れたところから冷静に尋問する。二人掛かりで問い詰めるが、男は何も盗ってないを繰り返すばかりだ。
「まぁいい。もう少し経ちゃ鑑識の方の結果も出るだろ。言い逃れできねぇ証拠を叩きつけてやりゃあきらめるさ」
 やむなく取り調べは一時中断となった。
 そのころ、鑑識の方の捜査もだいぶ進んでいた。その結果、誰も予想していなかった事実が明らかになる。容疑者は土足で上がり込んでいた。その足跡を追うのは容易く、容疑者の足取りがかなり詳しいところまで明らかになった。容疑者は忍び込んだ窓から、一直線に財布のあった居間に来ている。そして、そのまま財布のあったタンスとは逆方向の茶箪笥に近づき物色したようだ。そこで警察の鳴らしたチャイムに驚きトイレに戻り、別な逃げ場所を探した。まさにその通りの足取り。足跡は刑事たちが容疑者を押え込んだ場所まで続いていた。連れ出される時の足跡も残っている。盗まれた財布のあったタンスには近づいてもいない。
 さらに、その財布のあった戸棚には無数の指紋がついていた。どれもあの邸宅の住人の物だったが、そのいくつかに不自然に擦られた跡があった。恐らく布製の手袋でタンスを開け閉めした跡だろう。容疑者は手袋などしていない。手袋をはめた何者かがあの容疑者より先に財布を盗み出していたのではないか。
 夫人が買い物から帰ってきたのは4時過ぎ。そのあとは財布のあった居間に座ってテレビを見ていたので、その目を避けて侵入できたのは夜になってからだ。
 この事件には犯人が別にいる。

「だから言ったろうが。俺じゃあねぇってよ」
 容疑が晴れた容疑者は得意げに言う。
「偉そうな口利くな。てめぇに住居不法侵入の現行犯があるんだ。これからたっぷりこってりと絞って余罪全部洗い出してやるから覚悟しとけ」
 容疑者は佐々木刑事に睨まれ首を竦めた。
「しかし、真犯人はほとんど証拠を残してませんね。これはかなりのベテランの犯行じゃないですか?」
 資料に目を通していた飛鳥刑事が誰となく言う。
「だなぁ。どのタイミングで屋敷に忍び込んだのか知らねぇが、俺達が張り込み始めたのはあそこが寝付いて割かしすぐだったんだ。ってことは、その1時間もねぇ短い間に忍び込んで出て行ったんだろうな。そんな時間に盗みに入る度胸がある奴だし場数は踏んでそうだ」
 佐々木刑事も飛鳥刑事の意見に賛同した。
 この事件は現行犯で逮捕しておきながら無実が証明されるという不思議な事件になった。
 鑑識の調査に見落としはない。つまり、証拠を残さずに何者かが侵入し財布を盗んだとしか思えないのだ。改めて例の邸宅に捜査の手が及んだ。今度は、2階や天井裏などを含め、より念入りに調べられた。さながら、殺人でも起きたような、盗犯とは到底思えない規模の捜査だった。その結果、2階の窓を外から開けて何者かが侵入したような痕跡が見つかった。窓の外側の汚れを擦ったような、指紋のない指の跡があったのだ。手袋をはめた手だ。タンスの指の跡と一致する。
 しかし、犯人を特定できる要素はおろか、犯人の特徴さえまるでつかめない。これ以上の進展は望めなかった。
 侵入した窃盗犯の影に隠れて犯行を行う姿の見えない窃盗犯。厄介な奴が現れた。警察関係者は誰もがそう思った。

 一方、不法侵入で捕らえられた男は、余罪について全く口を噤んでいた。知らない、俺は盗みに入るのは初めてだ。そう主張するばかり。やがて、拘留期限も切れてしまい、ひとまず釈放することになった。
 一応、名前と住所くらいは聞き出せたが、それ以外は何も話そうとしなかった。三村というこの近辺に住んでいる男らしい。確かにその住所に三村と言う家があった。数ヶ月前から行方をくらましている男だった。
「あの侵入の手際で盗みは初めてだとはどうしても思えねぇ。そのうち絶対に尻尾を掴んでやる」
 犯人を睨みつけながら忌々しげに吐き捨てる佐々木刑事。もっとも、一日経つときれいさっぱり忘れていたりするので、この言葉は最後の啖呵と言えよう。
「あんなみっともない捕まり方するようなベテランがいるか。俺は初めてなんだよ」
 まだそう主張し続ける三村。
「本当に初めてなら、もう二度とこんな真似しようとするなよ」
 もっともなことを飛鳥刑事が言う。
「今度はしくじらずにちゃんと盗めよ。そんで俺達に捕まるんだ」
 佐々木刑事は飛鳥刑事と全く正反対の意見だ。
 とにかく、三村は久々に家路につくこととなったのだった。
 しかし、初犯とは思えないが初犯だと言い張っている男だ。ただ帰すのは得策でない。三村の財布にはいくらかの現金があっただけで免許など本人を証明する物はなかった。だから取り調べで聞き出した住所氏名は信用できない。三村を尾行し、奴の正体に少しでも迫ることにした。
 しかし、三村はそれに気付いてでもいるのか、用のない店をぶらぶらしたり橋の上で時間をつぶしたりして一向に家に帰る気配を見せなかった。
 尾行に当たった刑事もいいかげん痺れを切らしそうになった頃、ようやく自宅らしい安アパートに入って行くのを確認した。案の定、住所も氏名も全くのデタラメだった。
 表札には田川健吉とかかれている。尾行の刑事は近くのタバコ屋で赤電話を借りて署にそれを伝えた。
 しばらくすると、覆面パトカーが来た。応援だ。この車の中で一晩奴の動向を見張るのだ。もし、動いてまたどこかに盗みに入ればそのときこそ捕まえる。もう結果を急いでしくじる真似はしない。
 気合の入る刑事たちだが、この夜は張り込みも空振りに終わることになる。

 そのころ、田川は電話を掛けていた。
「すまねぇな。こないだはまずっちまった」
 相手に伝わるぎりぎりぐらいの小声で話す田川。
『聞いてるぜ。ぱくられたってな。しかし、どうやって出てきたんだ?現行犯なんだろ?』
「ああ。現行犯だ。でも何も取らないうちに捕まったから不法侵入で留置場に入れられて終わりよ。いろいろ聞かれたがしらを切り通してやった」
『そうか。いずれにせよ、あんたはしばらくおとなしくしてた方がいいな。後ぁこっちでうまくやっからよ』
「だな。わりぃな。どうもサツに付け回されるみたいだからよ、いなくなるまでおとなしくしてるわ」
『おう。気ぃつけてな』
 話が終わった時、田川が思い出したように言った。
「そうそう、なんかよぉ、俺が捕まった時ゃ盗み入りそうな屋敷にサツが目星つけて張ってやがったんだ。まぁ、そいつらが先走って俺が何も盗らないうちに捕まえてくれたお陰で俺はすぐに出られたんだけどよ、それとは別に誰かそこから財布かっぱらってたみたいでな。俺が危うく着せられる所だったぜ。とにかく、サツもやっぱ甘かねぇやな。そっちも気ぃつけな」
『おう。肝に銘じておくよ。じゃあな』
 田川は受話器を置いた。今の話が警察に聞かれていないか不安になり、外に警察がいないか見ようと思ったが、思いとどまった。こんな時間にドアを開ければ、張っている警察が勘違いしかねない。油断しているうちはさせといた方が得策だ。
 当分夜は動けそうにない。

 田川は動かなかった。昼間は土木作業をし、終わると飲むかパチンコに行く。プロとまでは行かないが、パチンコもなかなかの腕のようで出てくるときは景品の詰まった大きな袋を持って出てくる。スーパーで買い物をする代わりにパチンコの景品をとるのだ。
 夜は部屋にこもってテレビで野球を見て演歌を聞いて寝る。それの繰り返しだった。やはりすぐには尻尾を出さない。
 何も起こらないので刑事たちは焦れた。何よりパチンコでどう見ても勝っているのが無性に腹が立つ。
 その間、田川の仲間たちが裏で動いていたのだが、田川に仲間がいることを知りもしない警察は、また田川が動くのでは、と無駄な期待をしていた。
 田川には3人の仲間がいる。朝田、三津浦、今川。皆不良上がりのごろつき同然の連中で、一応それぞれ働いてはいるものの、手堅いだけに稼ぎもそれなりの堅気稼業では物足りず、夜盗を副業に選んだ。
 彼らの手口はこうだ。入りやすそうな家を見つけたらまず一人が行商だと言って野菜を安く売る。農家から捨てる野菜をもらうこともあるがだいたいはスーパーで買った野菜なので赤字になる。しかし、後々稼がせてもらうのだから痛くも痒くもない。
 安いうえに『スーパーで売っているような』野菜なので結構売れる。玄関に来た人が誰なのか分からないのに財布を持ってくる人はいない。野菜を買おうと思うと、どうしても財布を取りに行かねばばらない。そのとき、どこに取りに行くのかをしっかりと見ておくのが野菜売りの役目だ。
 回りくどいやり方だが、これをやっておくと財布の在りかを探すのが楽になるうえ、財布そのものに金が入っていそうかどうかもある程度は見定められる。無駄なようだが結構重要な作業なのだ。

 専ら、野菜を売るのは人の良さそうな顔をした三津浦の役目だった。老けた田舎臭い顔だちも、いかにも農家のおっさんと言った風情で、怪しいところがどこにもない。今日も野菜を散々売り歩き、その結果手頃な家がまた3軒ほど見つかった。
 リーダー格の今川のアパートで集会が開かれる。三津浦は、昼間自分が目星をつけた家の印が付いた住宅地図のコピーを広げた。
「今日の獲物はこの3つだ。田川がいねぇからちょうど頭数だな」
 その頭数分の家をそれぞれ誰が担当するのか割り当てていく。割り当てられる順番には深い意味はない。強いて言えば、運転手である朝田の担当は一番遠い家になる、ということ位だ。 地図には印のほかに玄関から見える範囲の略図と財布を取りに入ったドアの場所も書かれている。その場所を暗記したりメモをとったりとスタイルもそれぞれだ。
「よし。じゃあ今夜1時に集合だ。寝過ごすなよ。特に朝田」
「まだ根に持ってんのかよ。もうあんなこたぁねぇって」
「ならいいけどな。じゃ、寝酒でもかっくらって早めに寝とけ。深酒禁止な」
 そろって曖昧な返事をしてこの場は解散になった。

 いくら夜の稼業をしているとは言え、あくまでも小遣い稼ぎだ。昼間は一応それぞれの仕事がある。そのため、夜寝ておかないと昼の仕事も夜の仕事も手につかなくなる。だから、夜に仕事をする日は寝酒を飲んでまで早目に寝るのだ。
 つまり、早めに寝付いた日は夜の仕事がある日。あまりにも分かりやすい。そして、そのことに彼も気が付いていたのだ。
 そもそもの始まりは2ヶ月ほど前のことだ。彼が親元を離れて、半ば家出同然にこのアパートに転がり込んで間もなくだった。
 彼も若者らしく夜中遅くまで起きているクチだった。そんなある日、自分のアパートの向かいのさらに安そうなアパートの前に車が止まる音がした。時間は夜中の1時。
 大して気になった訳でもなかったのだが、なにげに見てみると、数名のオヤジがライトバンに乗り込む所だった。
 そのときはそれだけだったが、その後彼が寝ようと思ったときにまた車が帰ってきて、そのとき少し気になったのだ。
 向かいのアパートなどアパートの共同トイレのついでにでも覗きに行ける。ちょうどアパートの前にライトバンが止まっているので、道路から姿が見えない。それをいいことに、流し台の前の窓から部屋の中をのぞき込んだ。オヤジ4人が財布の金を広げているのが見えた。とてもそのオヤジが持つとは思えないけばけばしい財布もある。
 これは。
 彼にはすぐに察しがついた。連中は泥棒だ。しかし、自分が被害に遭った訳ではない。警察に突き出して正義感ぶる趣味も無い。
 彼の頭に思い立ったのは、この金をちょろまかすことだった。もともと他所から盗んできた金だ。盗まれたからと言って警察沙汰にはできないはずだ。それに、こんな方法で手にした金など切り詰めてやりくりするわけでもなく、あるだけの金を派手に使ってしまうに決まっている。その時に多少減っていても気付きはしない。
 それから、時々その向かいのアパートのドアが開いてないか確認するようになった。昼間仕事出掛けるときはしっかりカギをかけて行く。寝ている間もしっかりとカギをかけてある。ただ、夜の仕事の直前、仕事前の一眠りのときはカギが開いていた。寝ている間に仲間が来たとき、入れるようにとの配慮だろう。
 窓からのぞき込み寝込んでいるのを見計らい部屋に忍び込む。殺風景で何もない部屋だ。金のありかを探すにも、探す場所は少ない。すぐに金の入った封筒を見つけた。そこから一万円札を1枚引っこ抜き、とっとと部屋を出た。そのとき、部屋のちゃぶ台の上に盗みの計画書が広げてあるのを見た。
 結局、今川は彼の侵入に気付かなかった。そんなことを数回繰り返しているうちに、彼はだんだん大胆になって行く。封筒から引っこ抜く金が少し増えた。それとは別に財布があるのにも気付き、そっちからも金を失敬した。
 そのうち、それだけでは飽き足らず、もっと大胆なことを考えるようになった。連中が盗みに入った家に自分も入り、先に金を盗み出してやろうというのだ。
 あらかじめ今川の部屋で地図を書き写しておく。連中が今川のアパートに集まっているうちにライトバンの屋根に乗って身を隠す。適当なところで降り、連中とは別ルートで財布を目指す。連中の手口は窓ガラスにガムテープを貼って音がしないようにして割るものだった。こちらはガラス切りを用意しておいた。侵入はこちらの方が手早い。
 連中より先に入っておくと、後から入ってきた、しかもこちらの存在を知らない相手側は、こちらの立てた物音に警戒して動けない。その間にさっさと目的を済ませてしまうのだ。もっとも、前回はとんだ邪魔が入ったが。

 先週あんなことになったにもかかわらず、今回もまた動くらしい。
 彼はどうすべきか迷ったが、そう立て続けにあんなことはないだろうと高をくくっていた。だからこそ、連中も懲りずに動いているのだ。
 例によって今川の上前と財布の金をくすめ、地図を書き写す。そしてライトバンが来たところで屋根によじ登る。ここまでは順調だ。
 連中は屋根の上の彼に気付かずライトバンに乗り込む。走りだしてしまえば彼も多少はリラックスできる。強い風に飛ばされないように気をつけながら先ほどの地図のコピーを広げた。向かっている場所の見当がついた。やがて地図の場所にたどり着いた。窓が多い家だ。いきなりだがここにすることにした。
 降りたのは今川だった。今川は辺りに気を配りながら門をくぐって行く。それを見届けた彼は走り始めた車から電柱に飛び移り、そこからゆっくりと地面に降りた。
 今川と同じように門をくぐり、様子を伺う。今川が窓ガラスの飛びちりを押さえるためにガムテープを貼っている音がした。その音の聞こえてくる反対のほうに進み、忍び込める場所を探す。
 トイレは、家人がいきなり入ってくることもありそうなので避ける。台所も水を飲みにきたりしそうだ。浴室は今川がガムテープを貼っている窓のほうにあるらしい。
 適当な部屋を見つけ、ガラス切りでガラスの端に穴を開ける。そこからカーテンをめくって覗くと、その部屋は居間らしくこの夜更けには人の気配がない。今度はカギのついているところのガラスを切り、そこから手を入れてカギを開けた。
 慎重に部屋に進入するとそのまま横切り廊下に出る。廊下の端には玄関が見える。この家は玄関から見て右の部屋に財布があると書いてあった。
 その部屋の扉を開けると、人の気配があった。寝息だ。老夫婦がそろって寝息を立てている。寝室だった。財布を取るには眠っている家人のそばを通らねばならず、すぐに見つかるはずもないので探すことになるだろうが、物音に相当気を使わねばならないだろう。面倒だ。
 考えていると、奥の方で物音がした。あわてて居間に身を隠す。奥の方から足音を忍ばせてくる気配。何のことはない、今川が入ってきたのだ。今川も寝室をのぞき込む。ちょっと逡巡したが、それでも今川は入って行こうとした。
 彼は居間の扉を開けた。今川は驚き、物音を立てた。そして、彼の姿に驚きあわてて逃げ出した。彼は別にそれを追うでもなく居間に戻り、開けた窓から外に出た。
 逃げる今川の立てた騒々しい物音に、家人も跳び起きた。
「泥棒!」
 旦那は逃げる今川を追い外に飛び出した。婦人も部屋を飛びだし、廊下に置かれている電話で警察に通報する。そして、彼は誰もいなくなった寝室の窓をガラス切りで音を立てぬように開け、悠々と寝室に侵入した。
 そして、そのまま誰にも気付かれぬうちに財布の中身を失敬するのだった。

 家人に追いかけられながら今川は必死で逃げていた。寝ぼけた年寄りの追跡など、余裕で撒ける。庭を飛び出し、道路に出た。その瞬間、横から強い光が当てられた。車のヘッドライトが光ったのだ。闇に目が慣れていた今川は突然の強い光に身動きが取れなくなる。
 同時に若い男の声。
「警察だ!おとなしくしろ!走って逃げたところで車相手じゃ勝ち目はないぞ!」
 その声に、今川はその場にへたり込んだ。
 飛鳥刑事が今川が出てきたところを押さえるために張っていたのだ。
 当然だが、警察も田川を尾行するだけではなかった。相手の正体が分かれば、それ以上の情報を引き出すなどわけはない。田川の周辺の人物から田川が夜中に頻繁に出掛けているという事実、田川の交友関係、その中で妙に羽振りのよい数名を洗うのは実に簡単だった。今川たちが昼間一度集まったときの面子は警察が目をつけていた人物と一通り一致した。そして、夜になって動き出したのを見計らい、尾行していたのだ。
「予定が狂ったけど、まぁいいか。現行犯の方が捕まえやすいからな。お前の仲間も捕まるだろう」
「俺は何もとってねぇ」
 警官数人に押さえつけられながらも犯行を否定し逃げようとする今川。その腕に飛鳥刑事が手錠をかけた。
「住居不法侵入だって立派な犯罪だ。それと窃盗未遂、現行犯逮捕。確保午前1時42分」
 今川を追いかけてきた家人は、さすがにその様子に面食らったようだった。
「あ、こちらのご主人ですね?ご覧のとおり賊は捕まえましたので。念のため盗まれたものがないか確認してもらえますか?」
 言われ、家人は財布と通帳を保管してある寝室に向かった。飛鳥刑事もそれについていく。
 飛鳥刑事が寝室に入ると不審な風が吹き込んできているのを感じた。カーテンが揺らめいている。見ると、窓ガラスが切り取られていた。
 財布から現金が盗まれていた。紙幣が一枚もない。
 その事実を今川に突き付けてやると、かなりの動揺を見せた。
「俺はまだ何もとってねぇ!おい、お前ら。まさか盗まれてもいない金を盗まれたことにして取り返す振りしてだまし取ろうって腹じゃねぇだろうな」
「とりあえず、お前の持ち物は改めさせてもらうぞ」
 飛鳥刑事は今川の所持品をすべて出させたうえで身体検査までした。しかし、今川はナイロンの袋に入れた小銭以外は所持金はない。持ち物はガムテープと紙切れ、タバコの箱とライター。窓ガラスの穴は見るからにガラス切りで開けたものだ。それなのにガラス切りを持ち歩いていない。
「まいったな。お前、本当に何もとってないのか?」
「見てのとおりだろうが。何にも盗ってねぇよ!」
「本当に未遂なのか?仕方ない、家宅侵入と窃盗の未遂で逮捕だ。現行犯で捕まえたかったんだけどなぁ……。この間の田川のケースと同じだ」
 飛鳥刑事は考え込んでしまった。

 そのころ、他の二人も捕まっていた。
 それぞれ現行犯。こちらはしっかりと金を盗んだところで捕まっているので言い逃れもなにもできはしない。
 今川は田川同様拘留期限で一度は釈放されたが、捕まった二人が全てを白状したので田川も今川も逮捕された。
 しかし、これでこの件が片づいたとは誰も思っていなかった。
 田川、そして今川の二人に先駆けて侵入し、現金を盗んだ何者かがいる。
 グループで財布ごと盗んでいる今川達のグループのほうが被害も大きくタチも悪いのだが、手口が巧妙で、正体も掴めないその犯人のほうが厄介であることは間違いない。
 「影」というコードネームをつけられたその姿無き犯人の捜査を任されたのは飛鳥刑事と佐々木刑事のチーム。あまりにも少ない情報からの捜査開始だった。

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