Episode 2-『怪盗達の置き土産』第1話 怪盗たちの影で
あの日を境に怪盗たちは聖華市に現れることはなくなった。
しかし、全てが終わったわけではなかった。
ルシファーとローズマリーが現れなくなってから半月が経っている。
怪盗騒ぎで浮き足立っていた聖華市も、いつしか落ち着きを取り戻しはじめつつある。
表面上は、そう見えた。
聖華市報紙上からも怪盗の文字は消え、いつも通りの地域の人気者などといった他愛ない記事が並んでいる。
事件といえば、ときどき起こる空き巣や喧嘩など些細なものが無理に紙面を埋めるために記されているだけである。
その聖華市報を見ながら複雑な顔をしている面々がいた。聖華市警察署刑事課第2係の面々である。
「空き巣の記事、また増えてますよ」
白けきった顔で言うのは飛鳥刑事である。
「まぁ、そうだろうよ。ここんところ出ずっぱりと来てやがるしな」
佐々木刑事にいたっては読む気もしないといった風情である。もともと新聞はあまり読まないタチではあるのだが。
このところ、異常なほどに空き巣が多いのだ。
ルシファーとローズマリーがいた頃は世間も空き巣くらいで大騒ぎしなかったが、元どおりの平和な街に戻ってみると、この空き巣の増えようがどうしても目につく。
怪盗対策で緊急配属された警官のほとんどが聖華警察署にとどまっているのも、この空き巣のためである。
数日後には、地域課の警ら隊に増員を配備し、パトロールに力を入れることが決定している。
飛鳥刑事が空き巣の小さい記事で埋めつくされた新聞にうんざりして畳みだした時、電話のベルが鳴った。応対に木下警部が当たる。そして、受話器を置くと、木下警部のほうに注視している飛鳥刑事と佐々木刑事に向かって言った。
「まぁ、内容は君たちの予想通りだろう。今度は聖華港5番通りの秋葉邸で白昼堂々玄関から入り込んだこそ泥がいるらしい。犯人の顔は見たがよくわからないとのことだ。詳しくは現場に行って聞いてきてくれ。また似たような電話があるかもしれん。手早く頼む」
「はい。では行ってきます」
「被害者の家がどこか分かっているのか?」
駆け出そうとする飛鳥刑事に木下警部が声をかけた。
「たった今聖華港5番通りと」
胸を張って答える飛鳥刑事。
「そうそう。聖華港5番通りの?」
「えっと、秋葉さんのうちですね」
だんだんしどろもどろになってくる飛鳥刑事。秋葉邸といわれてもどこかわからない。
「……秋葉氏の邸宅は聖華港5番通りでも一番大きい赤い屋根の屋敷だ」
「あっ……分かりました。では、行ってきます」
「飛鳥は気持ちが先走りすぎるんだよ」
佐々木刑事が笑いながらその後にのんびりとついていく。
「佐々木君はのんびりしすぎだと思うが?」
「あ、いや。これからのために体力をセーブしているんですよ。では、気合を入れて、と」
佐々木刑事は妙な弁明をする。
「いいから早く行ってくれ」
苦笑いを浮かべながらあわてて部屋を出る佐々木刑事。
「まったく……。あれでちゃんと仕事はこなせてるんだから不思議なもんだ」
ぶつぶつ言いながら茶をすする木下警部。
「今月に入って8件目ですか」
窓際で黙っていた森中警視が口を開いた。
「全く、怪盗が出なくなって少しは楽になるかと思ったら、ますます忙しくなりますな」
若干疲れたような顔で木下警部が言った。
森中警視が窓から外を見ると、ちょうど飛鳥刑事と佐々木刑事の乗った車が発進するところだった。
「怪盗への対策に専念していたから我々も他の件については疎くなってましたが、調べてみたらどうも昨年の年末から空き巣やらこそ泥やらが増えはじめてます」
佐々木刑事の運転する車を目で追いながら森中警視が言った。
「まったく……、怪盗の影響か、それとも他に要因があるのか……」
「怪盗の影響としか思えませんね」
森中警視は木下警部の言葉にきっぱりと言い放った。
「やはり、そう思いますか」
「まぁ、もう少し調べてみますよ」
森中警視は首をぽきぽき鳴らしながら部屋を出て行った。資料室にでも行くのだろう。
「水野」
木下警部に呼ばれたデスクにいた水野という刑事が顔を上げた。
「森中警視の資料集めを手伝ってやってくれ」
「はい」
水野は立ち上がり、部屋を出て行った。室内には木下警部しかいなくなった。しかし、すぐに先刻出かけた別の刑事が戻ってきて木下警部のところにきて報告を始めた。
近ごろは本当に慌ただしくなっている。
サイレンを鳴らしながらパトカー数台が秋葉邸の前に止まった。飛鳥刑事の乗った覆面パトカーもその中に混じっている。
邸宅の前には秋葉氏らしい人が立って待っていた。
「被害に遭われた秋葉さんですか」
覆面パトカーを降りた飛鳥刑事がまずその人物に声をかける。
「はい。私が秋葉です」
やせぎすの白髪の混じった中年と言うよりは初老といった方がいいような男性だった。
「えと、まず現場を見せていただけますか」
「はい、こちらになります」
秋葉氏の邸宅は通りでも一番というだけあって、かなり大きな家である。庭も広い。アパート暮らしの飛鳥刑事にとってはうらやましい限りだ。
しかし、中に入ってみると、内装は意外と質素であった。
「おや、大きい割には中は意外と質素なんですね」
見たままの感想を口にする飛鳥刑事。
「ええ。家が大きいのは家族が多いので」
「はぁ。何人家族ですか?」
「私と妻と子供が三人、長男の妻と子供、あとは私と妻の両親でくらしてますので」
ただの雑談なのだが、一応メモは取っておく。
「というと、11人家族ですか」
「いえ、孫は二人ですので」
「12人家族ですね」
12人で住む家と考えればこの大きな邸宅もちょうどいいくらいだろう。その大人数を養っているのを考えれば内装にまで金や手間をかけてられない事情も明らかだ。
被害にあったのは玄関の近くの部屋だった。
「立派な扉ですね」
飛鳥刑事がまたしても思ったとおりの感想を述べる。
「ええ、ここは応接間で人目につくところですので」
刑事に聞かれているからかこんなことにも律義に返答する秋葉氏。
その立派な扉を開けて被害のあった部屋を確認する。部屋の中は本当に泥棒の被害にあったのかというくらいに整然としている。
「えーと、この部屋……ですか?」
「はい。この部屋の中で戸棚の引き出しをあけているのを見つけて大声を出したら、そこの窓から逃げたのです」
部屋には庭に出られる大きなサッシがある。木が植わっていて小さな花壇がある、その程度の庭だ。今日は天気がいいので12人分の洗濯物が物干し竿ではためいている。
「今は窓も引き出しも閉まっているようですが」
「犯人が逃げる時に閉めて行きました」
「几帳面な犯人ですね」
飛鳥刑事はメモを取りながら話を聞いている。佐々木刑事は現場を調べている鑑識などの話を聞いている。その佐々木刑事が話に割り込んできた。
「通報では玄関から入ってきたといってませんでしたっけ?」
「あれ、そうでしたっけ?」
「ほら、警部が言ってたじゃねぇか。白昼堂々玄関から入ったってよ」
「はい。玄関から入ったみたいですね」
秋葉氏の言葉に勝ち誇ったような顔になる佐々木刑事。
「犯人が入るのを見たんですか?」
「いや、玄関に見慣れない靴があったので。それで不審に思っていたらこの部屋から物音がしたので覗きこんだんです。するとこの引き出しを明けてのぞきこんでいました」
「それで、大声を出したわけですね。で、そこから逃げた……」
「ってことは、犯人の靴が」
玄関のほうに向き直る飛鳥刑事。向き直った所で見えはしないのだが。
「はい。玄関にあります」
「さっき玄関を通った時に言って欲しかったんですがね……。踏んだかもしれねぇや」
ぶつぶつ言いながら玄関に向かう佐々木刑事。飛鳥刑事と秋葉氏もそれに続く。
「この靴が犯人の靴です」
秋葉氏が指差した靴に、餌をみつけた鳩よろしく一斉にたかり、調査を開始する鑑識。
「飛鳥、部屋のほうは頼む」
佐々木刑事に言われて部屋に秋葉氏を連れて戻る。
「被害のほうは?」
「まだ調べてませんが、あの部屋には大したものは置いてありませんよ。調度品も見た目ほど高いものではないですし、目につくようなものは盗られてません」
「では被害を調べてみましょう。ここは開けてもいいですか」
「あ、その前に。一つ盗まれたのが分かっているものがあります」
「何ですか」
「そこの窓の前においてあったサンダルです」
「サンダル、と。どんなサンダルですか」
「茶色いビニールのサンダルです」
そのサンダル以外の被害がないか調べてみた。
戸棚の中には高そうな洋酒のビンが並んでいる。しかし、秋葉氏によると中身は既に飲み、今は国産のウィスキーを詰めて飾っているとのこと。
犯人が開けていた引き出しにはその洋酒を飲むためのグラスが入っていた。もうこれ以上並ばないくらいぎっしりと並べられており、特に盗まれた様子はない。
その他、盗まれそうなものがあるところを一通り確認したが、これといって荒らされた痕跡は無かった。
「特に被害はなさそうですね」
「そうですね」
秋葉氏もほっとしたような顔をしている。
「それじゃ、被害はサンダルが一足と玄関に靴を置いて行かれたことか」
メモを見ながら佐々木刑事が確認した。
「玄関の靴も被害に入るんですか?」
「あんなくせぇ靴置いて行かれたんじゃな。不法投棄だ」
「臭い嗅いだんですか?」
露骨に嫌な顔をする飛鳥刑事。
「嗅ぎたくて嗅いだんじゃねぇ。靴に何か犯人を特定できるようなものがないか調べたんだ。そんなことより、被害がないのならここを調べるより犯人を追ったほうが早いな」
飛鳥刑事は佐々木刑事の言葉に頷くと、秋葉氏のほうに向き直り、改めて確認した。
「警察に電話をかけたのは犯人を目撃した直後ですね?」
「はい」
秋葉氏の話によると、犯人を目撃した経緯は先程話したとおりで、犯人は40代か50代の中年の男で、黒っぽいジャンパーに黒っぽいズボンをはいていたという。後頭部は若干寂しいとのことだった。
「ということは、この辺で今から20分くらい前にサンダルをはいたうすら禿げの中年男を見たかどうか調べればいいんですね」
飛鳥刑事と佐々木刑事は秋葉氏に何か気づいたことがあったら警察に連絡するようにと、型通りのことを告げ、町に飛び出して行った。
「よし、飛鳥。お前はそっち探せ。俺はこっちを探す」
佐々木刑事がそう言い、T字路を右に曲がっていった。飛鳥刑事は左に走り出す。
その突き当たりにはタバコ屋があった。しなびた老婆が道行く人に視線を向けている。
飛鳥刑事はその老婆に男のことを聞いてみることにした。
「すいません。警察ですが、今から20分ほど前にこの通りを黒いジャンパーに黒いズボンでサンダルをはいたうすら禿げが通りませんでしたか?」
と言い、あわてて言い直す。
「少し禿げかかった中年男性、です」
「はいよ、いらっしゃい。何にしますか〜」
耳が遠いのか、お客と間違えているようだ。
少しいらついてきたので、タバコを買って火をつける飛鳥刑事。少しリラックスできた。
「その禿げ頭の人ならうちでタバコを買ってそっちのパチンコ屋に入っていったよ」
どうやら耳はそれほど遠くなかったらしい。タバコを買わせるための演技だったのか。
だが、腹が立つより情報が得られたことがうれしい飛鳥刑事は、礼を言うとそのパチンコ屋に走って行った。
にぎやかなBGMと機械の騒音で店内は騒然としていた。
それでも、まだサラリーマンの来る時間ではないので人はそれほど多くない。
黒いジャンパーに黒いズボン、サンダル、禿げ。
それに該当する人を探し、店内を歩き回った。
該当する人物は3人。
この3人の誰かが犯人なのだろうが、確証はない。さっきの情報を全面的に信じるのなら、と言うことだ。
何か、特定できる手がかりはないだろうか。
最初に見つけた人物の様子をうかがう。
だいぶ稼いでいるらしい。足元には玉がぎっしりつまった箱が2つも置いてある。
通報からまだ1時間も経っていない。そんな短時間であれだけ稼げるだろうか。
少し離れた席のちょっとがらの悪い男に話しかけてみた。
「そこのおじさん、儲けてますね」
「ああ。うらやましいね。俺も開店から粘ってるんだがね。あのおっさんは朝から出ずっぱりなのにこっちはいまいちだ。でもよ、ちょっと出たりして期待させたりするんだよな。まったくうまく騙されちまうよ」
男はそう言うとワンカップに少し残っていた酒を飲み干した。
朝からいるというあの男はシロ。
2人目の様子を見に行く。
こっちはさっぱりのようだ。鼻息ばかり荒いが、玉はチューリップにも入らず下にどんどん落ちていく。
見ているそばから玉がなくなった。
男は立ち上がり、席をかえて玉を買い、再び打ち出した。今度も入るような感じはない。
あの様子だと、何度となく席をかえている。周りの人の印象も薄いに違いない。あの頭のように。
3人目。
見ると、となりの人と親しげに話をしている。白いセーターを着た、やはり禿げのおじさんだ。
「やっぱり九州はあったかくていいね」
「いいねぇ。俺も旅行に行きたいよ。でも金がなくてなぁ」
「まあ、パチンコなんかやってるうちは無理だぁね」
「言えてらぁ」
白いセーターが笑いながらタバコに火をつけた。
そういえば、タバコ。
この黒ジャンパーの座っている台の灰皿にはタバコがない。タバコを吸わない人なのだろうか。
タバコを吸う人なら、空き巣に入って失敗して逃げ回っているときにタバコもすわずに落ちついていられるはずがないではないか。
目星はついた。怪しいのは2人目だ。
2人目の様子を見てみる。あいかわらず出ていない。そういえば、少し落ち着かない様子だ。それにタバコも吸っている。
早速、職務質問を決行することにした。
「すいません、警察ですが」
そう言いながら警察手帳を出す。
男の表情が瞬時にかわった。そして、慌ててたちあがり、椅子に蹴つまずいて倒れた。
「お、俺は何もしてない!何もしてないんだよおぉ」
情けない声を出す男。
「何もしてないのに警察から逃げる人はいないぞ。とりあえず、署まで来てもらいますよ」
飛鳥刑事に連行された男は、予想通り秋葉邸に入った空き巣だった。
仕事をクビになり、生活に困ってやったという。となりの県からはるばるやってきたのだった。
「ようやく検挙者がありましたね」
「まったくだ。よくやったぞ、飛鳥君」
木下警部は満面の笑みを浮かべた。
「よし、この調子でばんばんあげようじゃないか」
森中警視も気合いが入ってきたようだ。
その後も逮捕された犯人の取り調べが行われた。この犯罪はあくまで個人的な動機で起こされた犯行であり、組織的ではない。また、この男は前科も余罪もなかった。本当に生活に困ってやっただけのようだ。
思えば、手際が悪いうえに何も盗らずに逃げている。一応サンダルを履いていっているが、被害といっていいほどのものかどうか。まさにずぶの素人だ。
「今回の検挙で一連の事件はグループではなく脈絡のない単独犯が集まったものである可能性が高まった。となると、一斉検挙というわけにはいかん。地道に一人ずつ潰していくしかないだろう」
もちろん、今回捕まえた犯人がたまたま単独犯だっただけで、別に空き巣のグループが存在している可能性は十分にありうる。まだ気が抜ける状況ではない。
いずれにせよ、空き巣の件数が増えているのは確かなのだ。
署は警ら係による巡回の徹底と住民に対する注意勧告を出しておき、刑事課にはこの件についてさらに調査するように、との指示を出してきた。
1週間もすると、巡回のおかげで空き巣の件数は激減した。
しかし、根絶はできない。特に、手際の良いプロの犯行は減った感じがしないのだ。
そういった犯行には、犯人を捕まえることが最良の対策であり、それが刑事課の仕事だ。
プロの犯人は警察の捜査や動きを熟知している。その裏をいかにかくか。それが勝負の決め手になる。
「さて、どうしたものかね」
聖華市の住宅街の地図を眺めながら佐々木刑事が呟く。地図には空き巣事件のあった家に印と日付が書き込まれている。
こうして見て見るとものすごい件数ではある。ここ一ヶ月間だけでこれだけの空き巣事件が起こっているというのは尋常ではない。
「それにしても、巡回強化しただけで劇的に減りましたよね……」
「警らがサボってたんだよ、結局は」
佐々木刑事の言葉に苦笑するしかない飛鳥刑事。
「どうだ、何か対策は浮かんだか」
言いながら木下警部が地図をのぞき込んだ。
「うーん、そうですねぇ。こうして見てみると、やはりと言うか何と言うか大きな家ばかり狙われてますよね」
飛鳥刑事は地図の印のいくつかをさらに丸で囲んで印を目立たせる。地図の上には飛鳥刑事の新しくつけた印が8つほど現われた。
「一番多く空き巣に狙われた家にはこの通り、5回もの侵入がありました。うち1回はガラスを切って侵入すると言う慣れた手口ですが、あとは深夜にガラスを割って物音で家人が起きたり、ゴミを捨てに行った間に侵入したものの、すぐに帰ってきた家人に顔を見られたりと素人臭い失敗をやらかしてます」
さらに、その印をつけた家で撮られた現場写真を並べる。
「これはそのプロらしい犯人がガラスを切った窓の写真です。全てガラス切りを使ったもののうえ、その切り方がかなり似ています。どうやらプロによる犯行は全て同一の犯人か一つのグループによるものと思われます」
「なるほど」
「そして、プロらしい手口のものは今のところ、一度入った所に二度入るケースはありません。なおかつ大きな屋敷だけを狙っている……」
「そうか、すると次に入りそうなところはある程度絞りこめるな」
木下警部が顎をさすりながらぼそっと呟いた。
「ってぇと、この辺の入られてないでかい屋敷を押さえときゃいい訳か。……なんだ、ただぼーっと見てるのかと思ったらちゃんと作戦立ててたんだな」
言いながらが後ろから顔を出す佐々木刑事。
「きみは何か対策は浮かんでいたかね」
「いや、別にこれといって」
佐々木刑事は木下警部のツッコミにたじろいだ。それを見て木下警部はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「そんなことじゃ、飛鳥君に追い抜かれるぞ」
「まじっすか」
「飛鳥君を見習って、少しは頭もつかってくれよ」
「だってよ。そんじゃ頭使うための情報収集ってことで、その地図の屋敷の下見でも行ってくるか」
佐々木刑事は印のついた地図をもっていそいそと出かけてしまう。飛鳥刑事もそれにくっついていった。
「頭を使えと言ったのに体を使ってどうする……」
呆れる木下警部。森中警視はそのやりとりを見ながら快活に笑うのだった。
「絞れるったってよ、目立つところだけでも5軒はあるじゃねぇか。他のを入れると……何軒あるのかも分かりゃしねぇ」
逃げ出すように署を飛び出した佐々木刑事だが、あらためてまじまじと地図を見るとそのとおりなのだ。もともと聖華市は裕福で大きな家が多い。
「犯人も別に大きいところから順に狙ってるってわけでもないですし。場所もとびとびで規則性はありませんね。次にどこを狙うのかなんて分かったもんじゃないですよね」
飛鳥刑事が横から覗きこみながら言う。
「なぁ。相手は空き巣だろ?空き巣なら、ガードの甘いところ狙っていくんじゃねぇの?」
「あ。それもそうですね」
「いっちょガード甘いとこ探してみねぇ?」
上司のいないところでは結構冴えている佐々木刑事。
「じゃ、ちょっと調査してみますか」
「ああ。しかし、これはさすがに可能性のあるところ全部回んなきゃなんねぇかな」
「狙われそうな所ですから、大きい順に回ってトップ3くらいまで出しとけばいいでしょう」
「それもそうか。よし、じゃ、でかい順に……だな」
二人は頷くと覆面パトカーに乗りこんだ。
まず1軒目。高い塀と立派な門の邸宅だ。
「どうだ、飛鳥。忍び込めそうか?」
佐々木刑事に聞かれ、飛鳥刑事は考え込む。
「塀はハシゴみたいなものがないと越えられそうにないですね。そんなもの持ち歩いて目立たない人種は割と限られますから塀を越えるってのは難しいですね。門はよじ登れそうだけど……」
だが、この通りに面した門から入ろうとすると、あからさまに目立つだろう。ましてよじ登るなどという不自然な行動は通報しろといっているようなもの。
「この屋敷は思ったよりたやすくないですね。次のところ行きましょうよ」
「だな、ずらかるか」
車に乗り、次の屋敷に向かった。車を止めて降りる。
「敷地のわりに小せぇ家だな。庭ばかり相当広いぞ」
佐々木刑事の言葉どおり、まるで原野の中の一軒家のようだ。広大な庭にポツンと小さな家が建っている。
「ポストには二人しか名前がありませんね。二人で隠居でもしているんでしょう」
「でもこの広さは半端じゃねぇな。金はありそうだ。……それにしてもさっきからうっせぇワン公だな」
そう、大型の犬が一匹、繋がれているのがここからも見える。それがこちらを向いてしきりに吠えているのだ。
「先輩。これだけうるさい犬がいるって事は空き巣は相当入りにくいですよ。心理的にも」
「そういやそうだ。俺だって用があっても入りたかねぇな」
この屋敷も狙われる確率は低い。次だ。
次はやや込み合った住宅街のど真ん中にある邸宅だ。車の通行はほとんど無く、近所に住んでいる人くらいしか歩かないのか、閑散としている。
「いいですね。ここは夜になれば出歩く人もいないでしょうし」
「よし、忍び込めそうなところを探すぞ」
飛鳥刑事と佐々木刑事はぐるっと塀の周りを一周する。途中、近くにブリキのゴミ箱が置いてあるのを見つけた。これを踏み台にすれば塀は簡単に越えられる。
「ここ、いいな。条件バッチりじゃん」
「ですね。まずここが1軒目……っと」
地図に丸印をつける。
「よし。あと2軒見つけるぞ。それか5軒連続でだめだったらそれ一つに絞るってことで」
ひとつ見つかったからか急に基準が甘くなる佐々木刑事。
次を探しに覆面パトカーに乗り込もうとした時だった。向かい側からパトカーが走ってきて近くに止まった。そして制服の警官がおりてくる。
「ご苦労様です。何かこの辺で事件ですか?」
飛鳥刑事が敬礼しながら声をかけると、相手も敬礼しながら言う。
「は。近辺をまるで物色するように歩き回っている怪しい二人組を見かけたと通報がありまして。それで飛んで来たというわけです」
「うーん、この辺じゃそう言う人たちは見かけませんねぇ……ん?」
よくよく考えてみると、この辺を物色して回っている二人組に思い当たる。自分たちだ。
「気をつけろ、そいつらきっと銃を持ってるぞ」
車に乗り込んでいた佐々木刑事も話が聞こえていたらしく余計なことを言う。
「本当ですか!?」
「間違いねぇ。じゃ、俺たちはちょっと用事があるんで」
誤解もとかずにエンジンをかけ、そのまま走り去って行く覆面パトカー。当然、その後近辺をくまなく捜し回る警官数人の努力は報われることはないのだった。
夜。狙われる恐れがあると目星をつけた数軒に警備の警官を張り込ませる。もちろんそれと分からないようにだ。植え込みの中や物置などに身を隠し、犯人が来るのを待つ。
犯人の侵入後、別動隊に連絡、仕事を終えて出てきた犯人を一気に逮捕、と言う作戦だ。
別動隊のリーダーは飛鳥刑事と佐々木刑事が任された。そして潜伏班は警備課が受け持ち、小百合も混じっている。
時計を見ると夜半を過ぎたところだった。犯人はいつ行動を始めるか分からない。今日行動を起こすとも限らないしそもそも目星をつけた家が的外れということも有り得る。
「マジで来るんかねぇ。なーんか不安」
時間とともにだんだんとテンションが落ちている佐々木刑事がボソッと言う。一応チームリーダーなのでこういう発言はチーム全体の士気を下げてしまう。飛鳥刑事が気合いを入れようと発言する。
「まぁ、うまくすれば別な泥棒が引っ掛かってくれますよ。ここのところ入れぐい状態ですから」
それは遠回しにすでに諦めていると言ってないか。
「あーあ、まぁ今夜はデートの予定も何もなかったからいいけどよ」
「あれっ、新しい彼女出来たんですか?よかったですね」
「何だ、その新しいってのは。俺はまだ別れてねぇよ、より戻したの」
「えっ、あの絶望的な局面を切り抜けたんですか!?すごいや!その手腕で事件を解決できるんならもうとっくに階級上がってますよね」
「うるせぇな。色恋沙汰と警察沙汰は使う頭が違うんだよ」
聞いている警官たちはだんだんやる気がなくなっていく。この二人、遊撃隊には向いているがリーダーには向いていない。
「ったく、とっととこそ泥との夜のデート終わらせて帰りてぇ」
周りでやる気を無くしている警官たちよりやる気のないリーダー佐々木刑事。
「女性が相手なら今夜は帰さないとか言うところですけどねぇ」
退屈なので話題がだんだんシモのほうに移ってくる。しかし男だけで下品な話をしているとだんだんむなしくなってくるものだ。
「ここも女っ気のねぇ所だよな。小百合のいるところからお呼びかからねぇかなぁ」
などと佐々木刑事がもらしたその時だった。
『こちらC班!不審人物の侵入を確認しました!至急応援お願いします!』
無線から不意に流れ出す声に、だれきっていた別働隊に緊張が走った。
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