ラズニたちのスパイアジトに到着した。しばらくヴィサン国で行動することになればここを拠点にもできるだろうが、そうでなければもうここに戻ってこられないかも知れないのだ。次の目的地に向かう前に、ここでできるだけの準備を整えておきたい。
彼らがアジトを留守にしている間に何者かに侵入されたのか、酷く荒らされている。
「お恥ずかしながら、いつもこんな感じです」
ただ散らかっているだけだった。
「乙女の私と魂が一体となった今ならこんな散らかりようは断じて許さないのですがね。男の私は男らしく普通にがさつで申し訳ない限り」
「乙女ラズニの部屋は片付いているのか。……今度お邪魔してもいいかい」
「三日……いや五日待っていただけないだろうか」
そんな気がしてカマを掛けてみたが、三日では片付かないレベルで散らかっているらしい。まあ、話を聞く限りではラズニの部屋は乙女の部屋というより職人の作業場に近い。散らかっていても不思議ではない。あるいは散らかっていなくても乙女っぽい部屋に改装するのに時間がかかったりするのか。
「……五日かけて覚悟を決めてもらうようなことはしないぞ」
「ええっそんな」
されたいのか、と聞くのはどうせされたいだろうからやめておく。とにかくこの様子なら片付けるのに時間が掛かるわけではなさそうだ。……多分。どちらにせよ、部屋より先に人狩りの問題を片付けないとどうしようもない。そして、本気で言っているわけでも無いのでスバポがラズニの部屋を訪ねることは、多分ないだろう。ないはずだが……まあ、ちょっと覚悟はしておくべきかもしれない。
先のことを考えるより先にここですべきことをまず片付けてしまおう。まずはスパイであることがまるわかりのユニフォームではない、まともな服の調達だ。幸い、まともそうな服なら視界に収まっている。しかし、すぐ使えそうな感じではない。
「もしかしてあれか?脱いだら洗うんじゃなくて着ることになったら洗う方針なのかお前の一味は」
「そんなことはない。そんなことはないが……今はちょっと洗濯物がたまっている状況だ」
たまたまなわけがない。どうせいつもこうなのだろう。
「すぐに着られる服はないのか」
「それならここに」
ハンガーで吊るされた服がずらっと並んでいる、が。
「今着てるのと同じスパイのユニフォームじゃないか!これじゃ目立つから着替えるんだって言ってるだろ!」
「うむう。まあ、幸い今回のミッションの潜入先は水族館だ。こいつらの私服で問題ないだろう」
ここにあるのが服の全てかと思っていたので絶望的な気分になっていたが、これはあくまで潜入用であって服なら他にもあるらしい。さらに言えば、洗ってないのは二つの服の山の片方だけで、もう一方はちゃんと洗ってあるがただ畳まず雑然と積み上げられているだけとのこと。こうすることで、いざミッションのために着ることになったときにさも数日着込んだ着慣れた服の如き程良いよれよれ感になるそうである。言われてみれば一理あるので、今思いついた言い訳かも知れないがその言葉を信じてやろう。
「これから着るものがあるのは解った。それなら問題ないだろう。ちょうどこれから水族館に行くんだろう?干しておけばその間にある程度乾くだろうから今から洗濯をしておこうな」
「ええー」
洗濯を主にやらされる立場である少年少女たちが不満そうな声を上げた。
「いつも通りに洗濯をすればいいだけでしょう?ねえ?」
そこにスムレラが笑顔で入り込んできた。しかし目は笑っていない。
「……はい、先生」
本当に先生みたいだなあ、などとほんわかと思いつつ、自分も大概委員長っぽかったと気付くスバポであった。
スバポのポジションは委員長、あくまでも生徒サイドになるので洗濯や準備を手伝うことになった。もちろん洗濯は放っておけば終わる洗濯機である。中ツ国と比べれば楽だ。スバポが使っているものより見るからにボロいが、その代わりにでかくてパワフルだ。業務用っぽい。
スパイたちがポンの応援のためにここを出発する際に準備された物は食料も着替えも余裕を見ても精々数日分だったが、今度はいつまで掛かるかも、そもそも帰ってこられるのかさえもわからない。スバポたちもかなり急な旅立ちで準備不足だ。持って行ける物は全て持って行くくらいの気持ちで臨む。
それともう一つどうにかしておきたいことがある。乗り物は相変わらずの軍用の輸送機だが、これで活動するのはさすがに目立ちすぎるのだ。ラズニによれば軍用機の払い下げなど珍しいものでもなく割とよく見かけるとのことだが、軍属のスパイチームの周辺しか知らないラズニのよく見かける範囲がどれほどの物なのやら。過信はしない方がいいだろう。
露骨に無骨な軍用機もカラフルでおしゃれに塗り直してしまえば軍用機感は薄らぐだろう。スパイとしてそう言った細工は慣れたもの。作業の最初だけ見ていたがちゃんとやっているようなので任せておいて大丈夫だろう。
倉庫で使いそうなツール類を見繕っているうちに洗濯が終わった。ひとまずこれを干すのが先決だろう。ツールの選別は帰ってきてからでも問題ない。
「いーんちょはそれおねがーい」
みんなと一緒に洗濯物を干す。洗濯は機械任せで放っておけばいいが、干して取り込んで畳んでという洗う以外の一切合切は手作業だ。プロ用に畳みマシーンとかあるというのは聞いているが、さすがに家庭に普及はしていない。
できれば干すのも自動化してほしいし、いっそ着たり脱いだりも自動化できればいいのになどと考えてしまう――ほど、スバポはずぼらではない。でも、今だけはそう思わせてほしい。
何とも言えない気分で一枚、また一枚と洗濯物を干していく。しかしやがてスバポの何とも言えない感情がついに弾けた。
「何で俺のところに女の下着ばかりあるんだよ!」
男として、女子の下着を手に取るのはちょっとわくわくはする。だが目の前にその持ち主もいるだろう状況ではそんな態度はとれないし、どうしたらいいのやら。そもそも、きれいに女の下着だけ分けられているのだからまず自分たちでそれを選べばいい。だが先に他を確保してこのカゴが意図的にスバポに回るように計らったとしか思えない。
その理由について、シクラプが順序立てて明快に説明してくれた。
「私が干してるのは繊細な女子のおしゃれ着。ラルマが干してるのは任務とかで使うコスチューム。人目に触れるこういう服はガサツな男子に任せられないわ。もちろん、きれいに干してくれるかどうか未知数のあなたにもね。見られることなんてないのが前提の下着なら雑に扱っても問題ないわ。それに、これは訓練の一環でもあるのよ。スパイの任務では女なら色仕掛けで籠絡なんてことも求められることがあるかも知れないし、男なら逆に色仕掛けに引っかからないように異性に対して慣れておくのは大事なの。あなたにスパイになる気がなくても、郷に入れば郷に従えってことで私たちのルールには従ってもらうわ」
ふむ、そんなものか。納得するスバポ。ラルマも意見を述べる。
「訓練の成果なのか単なるマンネリなのか、うちの男たちが同じことをしても今更ドキドキもしないしね。こういうところに反応してくるあたりからしてなんか新鮮だよねー」
「ダメよラルマ。スパイたるもの、そういう本音は本人の前では胸にしまっておくの」
スパイじゃなくてもそれはそうだろう。普通はこういうことは恥ずかしくて言えないが、訓練の成果が嫌な形で出ているのかスバポと面と向かってぬけぬけと言ってのけてくれた。訓練を受けていないスバポはもうどう反応していいやらだ。とりあえず、頑張ってやり返してみる。
「その割には夕べのお風呂じゃ随分盛り上がっていたようだが」
「に"ゃっ」
スバポとしては今更ドキドキしないと言っている割にはお互い覗こうと盛り上がってた点についてツッコみたかったのだが、思えばあの時女湯にはスムレラが、男湯にもスバポがいた。いつもと違うのだから盛り上がって当然かと一瞬思い直そうとしたがいつもと違う人がいるだけで盛り上がれる程度では大した訓練になっていないようなのでそっちにツッコむ意味合いに切り替えた。
どちらにせよラルマへのツッコミなのだが、反応して真っ赤になったのはシクラプの方である。何でだ、とか考えるまでもなくあの時のやりとりは酷かった。誰が何を言ったのかまでははっきりとは判らないが、あのやりとりに加わっていたなら触れられたくもない発言をしたのは間違いないだろう。
「……何を言ったのかは知らないが、それを思い出しただけで動揺してるようじゃスパイとしてどうなの」
「う、うるさいわね!わかってるわよ、だから大きい任務にポンが選ばれたんだし」
すねてしまった。なだめるか何かしてちょっと機嫌を直しておかないととスバポが何か言おうとするより先にラルマが全く空気を読まない発言をぶち込む。
「あの時シクラプが言ったのはねえ、汁……」
「いや別に知る必要はない」
冷静にスバポがツッコむのと慌ててシクラプがラルマの口を塞ぐのは同時だった。だがシクラプもちょっと間に合っておらずキーワードの汁がちょっと漏れてしまっている。それを聞いて思い出したくもない内容を思い出してしまった。あの時の会話でも最低最悪のワードである。そしてたまたまとは言えスバポも『しる必要はない』とか言ってしまっており、ちょっと気まずかった。
言われてみれば、シクラプはボケとツッコミならツッコミのキャラだと思う。そしてあの発言もツッコミの発言であった。……いや、こんなの冷静に分析したくない。
どうせ分析するならラルマとシクラプのスパイスキルについてでもした方がマシだ。現状シクラプよりラルマの方が平然と場をひっかき回すあたりスパイに向いていそうな感じである。スバポとしてはラルマにやり返してやりたいが、多分負ける。
ラルマの発言は余計だったものの、おかげでちょっと混乱し色々有耶無耶になったので、さっきのことは何もなかったことにして粛々と洗濯物を干す。スバポに関しては気まずすぎて発言できないだけだし、シクラプも似たようなものかもしれない。それに、余計なことを言ったらまたラルマが変なことを言いそうで怖かった。とっとと洗濯物干しを終わらせてしまうに限る。
そう言えば、乾いた洗濯物も畳んでしまったりせずに着込んだかのようなよれよれ感のためにそこら辺に投げ出されるのだった。女子の私服はさすがにそんな扱いはしないだろうが、ラルマが干している変装用コスチュームは男子が適当に扱っても問題ないのではないか。結局はラルマが言っていた本音が全てだったのだろう。確かにシクラプは本当のことなど言ってなかった。さすがはスパイ、騙された。まあ、アクシデントには弱いようなのでまだまだか。
興味ないそぶりをして、シクラプが一番ノリノリでスバポに下着を押しつけてたらなんかちょっとやだな。そう思い、ちょっとうんざりするスバポだった。
各自の準備は一段落した。スバポと一部を除く女子は洗濯を完了。スバポが洗濯を手伝っている間に一部を除く男子はあとで持って行く工具や武器などをまとめていた。こちらについてはこんな短い時間で決めきれるものではなく、やはり帰ってきてからみんなで相談する必要がありそうだ。
そして男女それぞれから除かれた一部にあたるメンバーは軍用機の塗り直しに当たっていたが、そちらも滞りなく仕上がったようである。
これなら確かに軍用機には見えない。しかし、目立つのではないか。スバポにこれに乗り込む勇気が出せるだろうか。仕上がったペイントは、イタいとまでは言わないがちょっとファンシーが過ぎるイラストでデコレーションされ、特に男には近寄り難い雰囲気を放っていたのだった。
特に目を引くのは機体の中央付近でウィンクしている女性である。メガネと言い髪型と言い、その下の胴体部分でこれでもかと目を引く膨らみと言い、モデルが誰かは一目瞭然である。それが分かるからこそ、目を引かれる部分に目をやらないように強く意識せねばならない。一応機体の反対側を見たらメガネをかけた男がカッコいいポーズを取っていた。見なかったことにする。
とりあえず、絵柄は子供が描いたような拙さがあるものの、マンガに出てくる子供の落書きのような感じで本当はうまい人が頑張って下手っぽく描いたことが滲み出る、特徴の捉え方やポージングなどは下手な人には描けそうにない絵である。少なくともスバポにはここまで描けない。本気で描いたらどんなものなのか見てみたい気がする。別にスムレラである必要はないが、できればそれで。
それはともかくだ。
「あんた、これでよかったんか」
自分の操縦する機体をこんな風にされて黙っていたストリイカザに詰め寄る。
「え?なにが?」
まあ、そうだろう。見てないうちにこんなことになっていたなら言いたいことがあったかも知れないが、ずっとそばで見ていてこうなったのだ。彼は被害者ではなく共犯者と言うべき立場なのだった。実際、「こっちにはスムレラ先生とあっちにスバポいいんちょをどーんと描いてぇー、学園生活!って感じにぃー」とか言うモコリリの説明を一通り聞いた上でゴーサインを出したのはこいつだった。
ひとまずペイントされた機体を見て顔をひきつらせているのはスバポとスムレラだけなので苦言を呈しても数で押し切られる。そもそも塗り直している暇もないので諦めるしかないだろう。
それならば何もなかったかのようにとっとと目的を果たそう。乗り込んでしまえば機体の外見など――見てしまった以上記憶から消し去ることもできないが、視界に入らないことで努めて気にしないようにはできる。早速出発である。
飛び立った機内にてミッション内容を改めて確認する。これでただ浮かれているスパイ少年たちにも遊びに行くだけじゃないんだぞと認識させておかないといけない。あんな浮かれきったデザインの機体に乗って何を言っているんだなどと考えてはいけない。忘れなければ。
「おそらくスキタヤは既に例の水族館で行動を起こしているだろう。何せ昨日の時点で目的地が決まり移動をしていたんだ。アヤーツァへの到着時間が遅くて行動開始を翌日に持ち越したとしても現地に泊まって朝一で動けているからな」
「男と女で一泊だと……けしからん!」
ラズニが吼えるせいでスバポもけしからん想像をしてしまう。
「今更なんだけどさ。あの二人、本当に何かやらかそうとしてるのかしら?ただ単に、デートのプランを立ててたなんてことはない?」
スムレラがそんなことを言い出したが、さすがにそれはない――と言い切る根拠こそない。
「ただのデートでアヤーツァなら、ゴールデンタワーにある『グランネオアクアヤーツァゴールデン〜天国に一ば……」
「以下略で頼む」
スバポが無駄に長い名前の発声を阻止した。
「……うむ。とにかくそこの方が見応えがあります。タワーでショッピングもできるしホテルもそこにあるから旧海洋館をチョイスする理由はないでしょうな。人面海豚ショーも週末ならゴールデンでも開催されていたはず。前日に輸送機で移送しましてね」
そこまでしても元が取れるくらいには儲かるのだろう。
「今日は平日だし、人面海豚目当てで旧館に行くという選択は否定できないのか……」
自分たちの行動が、ただのデートの邪魔で終わらないことを祈るしかないようである。
『ところで。今から行く水族館はどんな生き物がおるのかのう?』
ハヌマーンが何気ない口調で言った。
「新館が深海に特化したので近海や淡水域のなじみある生き物が多めですな。管理に失敗して全滅してもまた近くから捕まえてくればいいという理由も込みで、身近だけど意外と知らない地元の生き物にもっと興味をというコンセプトです」
話を聞くほど楽しむ施設と言うよりお勉強向けの、いよいよデートには選ばない感じになってきた。ただのデートである可能性は低くなったのではないだろうか。
『あの辺りで身近な生き物か……。ふむ、決めた。わしゃお留守番するわい。ものすごく嫌な予感がするからのう』
何かに警戒しているようである。スバポも少し不安を抱き始めた。果たしてただの楽しい水族館で済むのだろうか。
空路は早い。アヤーツァにすぐに到着した。黄金色の大地にそびえ立つ金色のタワーがゴールデンタワーのコンセプトではあるが、この季節ではまだ麦畑も青々としていた。それでも十分見栄えする光景である。
ゴールデンタワーを横目に見ながら目的の施設に向かう。タワー周辺の管理された麦畑と違い、辺境は歪な麦畑と他の作物の畑、ため池らしき水場や農家の建物、利用すらされていなさそうな空き地や山林なども入り交じり、ただの田舎の風景である。自分たちが今都市を訪れていることを忘れそうだが、郊外などどこもこんなものであろう。水場の多さから乾燥地帯であるこの一帯には珍しい湿潤な土地であることが見て取れる。だからこそ耕作地として発展したのだろう。
しかし問題がないわけがない。何せマハーリからヴィサンにかけての土地はそれほど遠くない過去に海底隆起で海ではなくなった土地。特にこのような水の溜まりがちな場所には水と一緒に塩分も溜まっている。農耕地として使うには苦労したはずだ。スパイたちは地元民、そのくらいのことは歴史の授業で学んでいた。確かに時間はかかったが、溜まった塩水をこつこつと川に流していくうちに高所から順に塩分が抜けて、多少を土を入れ替えるだけで農地に使えるようになったようだ。元々塩分の多い土地を流れる川に海が由来の塩を流したところで自然界への影響もほとんどない。
それでも一部塩分の多い湿地が残ったが、それを逆手にとって海洋魚の養殖にも利用した。自然界への負荷が掛かるので高級食材だがそこそこに流通はしている。生物兵器の開発などは養殖漁業とは比べるのも馬鹿らしいほどの負荷が発生するので、養殖を制限していた努力が一気に灰燼と帰す愚行と言えよう。今更とは言え、何かできればよいのだが。
エアカーゴは駐機場に降り立った。平日だが一般の観覧客も別段珍しくない模様。スバポたちは学生の校外学習を装っているが、本当の校外学習や社員旅行などが中型・大型機で来ているのだ。
なのでスバポたちも目立っては――いや、このペイントはやっぱり目立つ。エアカーゴから降りて振り返ったことで自分の乗ってきたモノの状態を思い出した。一刻も早く離れて館内に入ることにする。
当然だが、一般人が気軽に観覧できるエリアは軍事施設の雰囲気はない。かといってそこまで楽しげな雰囲気もなく、ちょっと学術的な内容が多かった。なるほど、デートで来るならよほどの変わり者でなければ敢えてこちらは選ばない。
今見ているコーナーも先ほどの話にあったこの近隣に生息する身近な生き物とのことで、近隣住人にとっては見慣れた生き物なのだろう。
「そうでもないわよ。こいつは焔鼠って言って、ヤッバイ生き物なの。こいつらの生息圏に迂闊に踏み込んだら病院送りね」
ぬらぬらした黒地に赤い斑のある毒々しい見た目からしてヤバさを放つ生き物で、見た目通りの有毒生物だ。迂闊に触れると焼けるような感覚とともに皮膚が腫れ上がる。
名前には鼠とついているがネズミではない。ネズミとの共通点は大きさと四足歩行くらい。いや、顔の横に張り出した一際色鮮やかで毒々しい、まさに焔のごとき見た目のエラがネズミの耳に見えないこともないか。我々の世界でもちょっと前にこんな見た目で触れると手が腫れるキノコが公園とかでよく見つかり問題になったりしたが、エラの感じも触ったときのヤバさもほぼあのカエンタケそのものだ。アレの、両生類バージョンと言うべき生き物がこのフランモットである。全体的なフォルムはウーパールーパーのそれであり、こうして透明な壁越しに眺めているだけなら何とも愛らしい。
「そっちは雷鼠。色違いの似たり寄ったり」
RPGの同系統モンスターみたいな言われようだが、それもやむなし。見た目の主な違いは色くらいのものだ。よく見るといろいろ違うが、大同小異。正に、属性だけ違う同系統。さも電気でも流れそうな名前だが、こちらも電気ではなく毒が武器。こちらの毒は痺れたような感覚になる。見た目は主に黄色で黒い縞が所々にある。こっちの方が色がファンシーなのでより可愛く見えるが油断ならないようだ。
「こいつらはただの野生生物?開発された生物兵器じゃないのか」
「違うわね」
「なんか、敢えて開発するまでもなくヤバい生き物いるじゃん」
「ヤバいと言っても、うっかり触ったら痛いってくらいで死人がでるわけでもないし、兵器にするには弱いわね」
とはいえ、これを強毒化させるだけで十分な気もする。
さらに先に進む。
「きゃあ。闘牙のコーナーもあるわ!まあ、当然よね!」
シクラプのテンションが爆上がりした。その視線の先では白い水面が不気味に蠢いている。駆け寄って目を輝かせるシクラプに追随して近寄ったスバポはどん引きである。直径1メートルほどの丸いプールに隙間なく浸っていたのは真っ白い蛇である。数十匹はいるだろう。
「な、なんだこいつらは」
「ウォードン、私たちの守り神にして永遠のアイドル、永遠の14歳よ!」
この辺りでは昔から信仰されている白蛇である。白蛇というと珍しいアルビノという印象があるがこの種は全個体が真っ白だ。そういうのは寒冷地で雪に紛れるためにそうなったケースが多いものだが、もちろん寒いと動けない爬虫類が、こんな暑い地域に住んで降るわけもない雪に紛れる進化をするわけがない。この生き物が白いのはむしろ暑さ対策、その白さで太陽光を弾き返しているのだ。
こうして群れているのも暑さ対策、水場を覆い尽くせばその水場は太陽に熱されることはない。涼しさを保てるし、蓋になって水場が干上がるのも防げる。その水場は人間にとっても生命線になるし、そして蛇らしく肉食なので畑を荒らすネズミなどを捕食する。農業にはありがたい存在なので守り神として崇められているのだ。
真っ白な生き物を見るとお留守番中のハヌマーンを思い出すが、白い生き物同士だからと言って仲良くはできないだろう。
「なるほど、ハヌマーンが残ると言い出した理由はこれか……」
納得するスバポだった。
闘牙という名前はよく牙をむき出しで睨み合う姿を目撃されるところからつけられた。多くの場合こういう行為は牙を見せ合って優劣を決めているので闘う牙と名付けられたわけだが、実際には別段闘ってはいなかった。
優劣は決めているのだが、何のために優劣を決めているのかというと、同じくらいの序列の仲間を見つけて群れるためだ。こうして群を作り、狩りに出るわけである。体の大きさによって狙う獲物も変わるので、大きさの近い仲間を集める。MMORPGの野良パーティみたいなものだと思ってくれて構わない。
何も牙を見せ合わずとも体の大きさなど一目瞭然ではないのかと思うかも知れないが、状況を思い出してほしい。数十もの白蛇が水場を埋め尽くしているのだ。全身など見えないし、見えている胴体のどれがどの頭に繋がっているかも見分けようがない。それで判りやすい見分け方として牙を見るようになったのである。
彼らは長らく人間たちに大事にされた種であり、特にここのは人間に飼われているので人懐っこい。人を恐れず、積極的にコミュニケーションをとってくる。プールに駆け寄ったシクラプにウォードンが一斉に這い上り絡みついてきた。四肢や首など巻き付きやすい場所には締め上げるくらいの勢いで巻き付き、服の中にまで入り込もうとする。
「きゃぁー♪」
シクラプは嬉しそうだが普通ならこのきゃあは腹の底からの恐怖の絶叫になるだろう。少なくとも、スバポがやられたらそうなる。
「うわあ、いいなー」
他の女子もやってきた。スバポにはどこがいいのかよく解らないがプールに駆け寄り、あっという間に蛇まみれになった。
「やん、くすぐったいっ」
「ひゃあ〜、そこはだめええ」
状況的にはほぼえっちな触手責めである。そんなものに興奮するような民族の祖であるスバポだってちょっとムラムラきてしまうのは仕方ないのだ。しかも、さっきまでプールに浸っていた蛇はしっとりと濡れており、そんなのに全身を撫で回された少女たちはぐっしょりと濡れ薄手のシャツはほんのりと透けている。
スバポはまだこの蛇に絡み尽くされてなおこうして笑えるような境地にはほど遠いが、それでもこいつらのことが嫌いではなくなってきた。落ち着いて見れば、クリっとした目も結構可愛らしいとは思う。ただ、今は少しだけ羨ましく妬ましい。
「へえー。ここのプールはちょっと水温が低めに設定してあって、それで人が来ると密着してあったまろうとするんだってさ」
はしゃいでいる女子の代わりにニソルノチウが説明書きを読んでくれた。そのくらい自分で読めると言いたいところだが、読みに行くと蛇に絡まれる。現にニソルノチウもすでに蛇が絡んだりよじ登ったりしている。このまま解説をお願いしよう。
館内はただでさえ屋内なので日は当たらず温度は上がらない。一応はウォードンの体調に影響が出ない程度には水温を高めてはいるが、彼らにはもうちょっと高めの温度のほうが快適だ。蛇には熱を感知するピット器官がある。体温の高い人間が近付くと、すり寄って密着し体を温めようとするのだ。
「この国の連中は、蛇に巻き付かれて喜ぶ猛者ばかりなのか」
「うーん。半々くらいじゃないかなぁ」
「喜ぶ奴が半分、苦手な人が半分って感じか」
「いや、喜ぶ奴が半分で残りはそれほどでもない普通の人と苦手な人」
スバポが思っていたよりは変人も多くないようだが、苦手な人もそれほど多くないらしい。
「あ。ちなみにウォードン以外の蛇は怖いって人が多いと思うぜ」
ウォードンだけ特別なようだ。まあ、一安心……なのだろうか。何に安心しているのかは自分でもよくわからない。
話を戻すと、昼間の観客がいる間は水温は低めだが、夜になると温かめの水でぬくぬくさせてあげているので心配は不要だとのこと。そう言われて、心配してあげるべきだったんだなとスバポは思った。自分はまだまだウォードンへの愛情が足りていないようだ。まあ、それで困ることも別にないし、こうなりたいとは全く思えない。蛇まみれになりながら恍惚の表情を浮かべる少女たちを見て、改めて思う。って言うか、彼女たちのこんな姿は見ていていいものだと思えない。見ていると自分もある意味幸せな気分になるからこそ、特に。