黄昏を呼ぶ少女

一話 序章・穏やかな世界

 果てしなく広がる青い空。そして青い海。振り返ればどこまでも広がる緑の大地。
 波音に包まれ、潮風に身を任せたわだつみの国。
 古の日本。
 時は縄文時代と後に呼ばれる時代、その終わり。
 悲しき宿命と大きな使命を背負う、穢れ無き心を持つ少女の物語……。


 先ほどまで満ちていた潮は引いているが、その名残が浜の砂を濡らしていた。浜には他の名残も打ち寄せられていた。
 海草、貝。海の恵み。
 ここはナミバチの浜と呼ばれていた。この浜にはいろいろなものが流れ着く。海草や貝はもちろん、倒木や、弱ったり死んだ鯨やイルカ。それに時々不思議なものも流れ着いたりした。
 ミルイの役目は、そう言ったものを拾い集めること。
 小さなカゴにたくさんの貝や海草をどんどん放り込んでいく。
 年上のポンと一緒に、競い合うように海辺のものを拾い集めていく。
 まだ幼いミルイはポンに一度も勝てない。それがちょっとだけ悔しい。特に、カニはせっかく見つけても怖くて触れない。前にハサミで挟まれて痛い思いをしたのが忘れられず、どうしても手が止まってしまう。そうこうしているうちにポンがさっと手を出してカゴに入れてしまうのだ。
 でも、時々きれいな貝を見つけると嬉しくなる。小さな貝は食べるところも少ないし、殻も使い道がないが、ミルイのアクセサリーにはぴったりだ。
 ここしばらく、海は荒れていないので打ち寄せられているものもあまり多くない。なので、少し遠くまで探しに行くことになった。
 ポンの後ろにくっついてきょろきょろしていたミルイは砂とは色の違う丸いものを見つけて駆け出す。しかし、それは貝ではなくてただの小石だった。
「そんなところには貝はないよ。もっと波打ち際を探さないと」
 ポンに言われて波打ち際を探し始めるミルイ。今度は波打ち際だけを探しているので、ミルイはどんどん歩いていってしまう。
「あんまり遠くに行くなよー!」
 その様子を見ていた大人達がミルイに声をかけた。大人達は船で魚を捕っている。ミルイはその声に気付き、大きく手を振り返した。
「分かってんのかなぁ……」
 大人達は不安である。いずれにせよ、入り江になっているこの海ではよほど遠くに行かない限り海の上から見える。小さな子供が行けるところなんてたかが知れてもいる。
 ほどなく、ミルイは海草がたくさん流れ着いているところを見つけた。小走りで駆け寄る。これだけあればカゴはあっという間に一杯だ。それにつまみ食いしても大丈夫。
 カゴを一杯にし、喜び勇んで帰ろうとしたミルイは、さらに浜の先の方に何かの影を見つけた。決して近くはないのにこれだけよく見えるのは小さなものではない。鯨かイルカが打ち上げられているのだろうか。そうだとしたらすごいごちそうである。
 しかし、当然そんな大きな者はミルイ一人では持ってこられない。大人達の手を借りなければ。
「みんなー、こっちに来てー!何かあるよー!」
 甲高いミルイの声は海の上の大人達にも聞こえた。
 ミルイはそのまま走り出した。波打ち際に打ち上げられたものの近くまで来ると、それが何かがはっきりと分かった。
 ミルイはそこで足を止めた。大人達の船が何艘か、漁を中断してこちらに来る。ポンも駆けつけてきた。
「なんだ?」
 大人達もすぐに浜辺に打ち上げられたものに気付いた。
「ありゃあ、人じゃないか?」
 大人達はその倒れている人影に駆け寄った。まだ子供のようだ。
「まだ息がある」
 子供を抱き上げた大人が呟くように言った。生きているらしいことにほっとしたミルイとポンも恐る恐るその顔を覗き込んでみた。
 あどけない顔立ちだが、男の子であることは分かった。ミルイくらいの歳だろうか。
「水は飲んでいないな。この浜まで泳いで、疲れて倒れたのか……」
 少年を揺さぶってみると、意識を取り戻した。
「おい、坊主。大丈夫か?」
 少年は目を覚ますと、怯えたような顔をし、逃げようとする。
「落ち着け、別に捕って食いやしねぇよ」
 少年は周りを取り巻く人々を順に見渡し、危害を加えないと理解したらしく落ち着いた。
「どこの村から来た?」
「ヘルイ浜の村です」
 細い声で答えが返ってきた。大人達は顔を見合わせる。
「聞いたことがないな。この近くじゃないぞ」
「まぁいい。遠かろうが聞いてみればそのうち分かるさ。村の場所が分かったらちゃんと送り返してやるから心配すんな」
 その言葉に少年は首を振る。
「もう僕の村はないんです」
 再び顔を見合わせる大人達。
「何だ、嵐にでもやられたか?」
 少年はまた首を横に振る。
 話によると、見慣れない出で立ちをした連中が真夜中に突然襲ってきたらしい。彼らは村の人たちを誰彼見境無く縛り上げ、どこかへ連れ去ったという。少年はその混乱の中必死に逃げ出し、しつこい追っ手に追いつめられたが、海に身を躍らせどうにか捕まらずにすんだらしい。海の上で力尽きてここに流れ着いたようだ。
 とにかく、この少年を村まで連れて行くことにした。

 それから数日、ヘルイ浜の場所は分かった。
 ナミバチの浜からはだいぶ離れた場所だった。交流のある一番遠い村の人でも知らなかったが、そこと交流のある遠くの村の人々が知っていたのだ。
 ちょうどその村のあたりでは、まさにそのヘルイ浜の村で人がそっくりいなくなった神隠しの噂で持ちきりだったらしい。
 意外な所から伝えられた奇怪な出来事の真実。だが、それは神隠しに怯えていた人々を安心させられるものでないことは確かだった。
 得体の知れない「神」も怖いが、それ以上に正体のはっきりしている人のすることの方が恐ろしい。
 まだヘルイ浜の近くにその恐ろしい人々がいるのだ。
 人が人を襲うなどと言うことはこの時代にはまだ考えられないことだった。他の村を襲っても奪う物などほとんど無かった。他人のものを奪うより、その他人と助け合い、新たなものを手に入れた方が効率がよかった時代だ。石器という原始的な武器が使われていた所為もあり、人を殺すのはなかなか難しかった。
 しかし、彼らは人を襲うらしい。何が目的なのかは分からない。それは調べていく必要がありそうだ。
 だが、肝心の少年──ヤネカチという名前らしい──は助けられた翌日から口を閉ざしてしまい、何も語ろうとしなかった。

 年月が流れた。
 ポンのあとをついて走るのがやっとくらいだったミルイもすっかり大きくなり、村の仕事もだいぶ手伝えるようになった。立っていてもヒエの畑にすっぽり隠れてしまっていた背も、いつの間にか顔がでるくらいにまで伸びていた。ミルイにはビエチルという弟もできた。男の子がヤネカチしかいなかった村にはとても嬉しい出来事だった。
 ヤネカチもすっかり村になじみ、最近は大人達に混じって漁に出るようになった。頭もいいし、元々同じ海の民だったこともあってか飲み込みもよかった。村の中では海の神が授けてくれた子供じゃないかとまで思う者がいるほどだった。
 ヤネカチが流れ着いた時の不穏な噂などとっくに記憶の隅に追いやられていた。穏やかな日々はいつまでも続いた。そしてこれからも続くと誰もが思っていた。

 その日、ミルイは初めて他の村に出掛けることになった。
 交流のある村にたくさんできた魚の干物や、特にたくさん採れた海草などをお裾分けにいくことがたびたびある。子供なんか連れて行っても邪魔なだけだが、ミルイも大きくなってきたのでそろそろ連れていくことになったらしい。今までは他の村に行くのは祭りの時だけ。しかも今回は始めていく村だ。前の晩は嬉しくてあまりよく眠れなかった。
 ポンもヤネカチももう何度も他の村に行ってきている。年上のポンはもちろんだが、歳の近いヤネカチも男で力があるので干し魚や海草を詰めたカゴを背負っていくこともできる。なので早くから連れていってもらっていたのだ。
 男の子がこう言う時に連れていってもらうのは本当に純粋にお手伝いなのだが、女の子の場合は少し事情も変わってくる。つまりはもっと大きくなった時に嫁ぐ相手を見つけることも大切な目的なのだ。
 もっとも、今はまだそれほど深く考えず、ちょっとした旅行気分で楽しめばいいのだが。
 前の晩寝不足だったことと、歩き続けたことであっけなくミルイは疲れ果て、目的の村に着いた時は父親の背中ですやすやと寝息を立てていた。
 ササナミ森の村。松林をよぎる小川の縁につくられた小さな村だ。
「おい、ミルイ。ついたぞ」
 父親の背中の上で揺さぶられ目を覚ますミルイ。おぼつかない足取りで地面におり、目をこすりながら辺りを見回した。
 目の前には無数の太い松の木が聳えている。その松の木が作り出す木陰の中に家々が立ち並んでいた。足元はふかふかの松葉だ。後ろには畑が広がり、その向こうは地平線まで原野が広がっていた。ミルイは地平線を見るのは初めてだった。ナミバチ浜の村の前は水平線、後ろには遠くの山の稜線が微かに見えていた。
 そして、その遠くに見えていた山がここからは大分近くに見える。それでもまだ遠くに霞んでいるのだが、とても大きく見えている。
 村の人たちが何人か近寄ってきた。
「おっ、海草か」
 やはりカゴに山盛りの海草が目につくようだ。
「干物もあるぞ」
「助かるよ、夏場は山は食えるものがなかなかなくてな」
「そう思って持ってきたんだ。どうせ秋になったらこっちがお世話になるんだしな」
 松林の奥は豊かな森だ。クリ、ドングリなどが食べきれないほど採れる。春には山菜も採れるし冬場は狩りの獲物に事欠かない。しかし、山菜も育って堅くなり、草も伸びて動きにくくなり狩りができない夏場は食べ物の調達が大変なのだ。特に、この村の近くには川がない。水場は森の中にある泉だ。幸い水が涸れることはないのだが、魚が捕れない。なのでこうして持ってきてもらう魚は貴重なのだ。
「おや。お嬢ちゃんは見ない顔だな」
 村人の一人がミルイに気付く。何度か村に来たことのあるおじさんがミルイを見ていった。
「おや。ドブリさん、娘さん連れてきたのかい。いつの間にか大きくなったねぇ」
 ドブリとはもちろんミルイの父親の名前である。
 ミルイはこのおじさんの顔は何となく覚えていたが名前は知らない。
「娘のミルイだ」
「そうか、ミルイちゃんか」
 おじさんの方も似たようなものらしく、ドブリに言われて初めて名前を呼んだ。
 ミルイは周りが知らない大人ばかりなのでちょっと戸惑っている。ポンとヤネカチはもうこの村も何度か来ているので勝手が分かっているようだ。
「おおそうだ。実はこの間鹿が二頭穴に落ちててな。もういい感じに燻し上がってるはずだ。持ってってくれ」
「いいのか?食べ物大変なんだろ?」
「これだけ貰えばしばらくもつさ。二頭分も食ってりゃそのうち飽きてくるしな」
 こうして、鹿肉を分けて貰うことになった。他にもいろいろ世間話などもあるだろう。子供達には退屈だ。
「時間もかかりそうだし、遊びに行こうよ」
 ヤネカチに言われてポンも走り出した。ミルイも遅れまいとその後について走っていく。
「ねー、何があるの?」
 ミルイは走りながら前に行く二人に訊いた。
「変な形の松の木があるんだ。登ると面白いよ」
 ナミバチ浜の村の近くにも木はたくさん生えているが、どちらかというと海に近い暮らしをしている村人達はあまり木に登ったりと言ったことはしない。登りにくい杉の木も多いし、あまり木に登る必要がない暮らしをしている。せいぜい元気な子供達がよじ登るくらいだ。
 村を突っ切り、松林に向かう。村の家々の間から松林が見えてきた。まっすぐ伸びた松の木に混ざり、不思議な形に曲がった松の木が所々に生えている。確かによじ登るにはぴったりだ。三人は早速駆け寄ろうとした。
「待て!」
 突然頭の上から鋭い声がした。三人は驚いて足を止める。
 見上げると大きな松の木の枝の上に人影があった。その人影は、大人の背の3倍以上あるような高さからひらりと飛び降り、三人の目の前にすとっと降りた。まるで猿のような身軽な動きだ。鍛えられた体にはやや不相応な童顔。顔つきや背から考えればポンより少し年上くらいだろうか。まだ少年と言っていい年頃だ。少年は三人の顔を順に見回し、声をかけてきた。
「この村の子供じゃないな。この先の森には所々落とし穴がある。この間もよその子供が駆け回って落とし穴に落ちて大怪我をしたところだ」
「この先にはいけないの?」
 ヤネカチがつまらなそうに言う。
「落とし穴に落ちなければ大丈夫。落とし穴の見つけ方を教えてやるよ」
 少年は手招きする。松林に入ると地面は一面の枯れ松葉、ふかふかした柔らかな踏み心地だ。
「あれを見てごらん」
 少年は足を止め前方を指さす。そこには地面に短い棒が立てられており、棒の先には布が巻き付けてある。
「あの棒が落とし穴の目印だ。落とし穴の周りは草も刈ってあるからすぐに分かるだろう。布に染みこんだ桑の実の汁の臭いにつられて動物が寄ってきて、落とし穴に落ちるようになっている。いい匂いがするからって近づいちゃダメだぞ」
「はーい」
 声を揃えて返事をする子供達に満足に頷く。
「ねー、落とし穴の中ってどうなってるの?」
 ミルイは興味津々だ。ナミバチ浜の村は漁が盛んな代わりに獣を捕ることはあまりない。見晴らしのいい浜のあたりにはあまり獣が来ないので罠を作っても引っかかる獣は滅多にいないので罠も作らないのだ。
「ポンは落とし穴の中、見たことある?」
「ううん、ない」
 ミルイがヤネカチに顔を向けるとヤネカチは訊かれる前に答えた。
「ぼくもないよ」
「見られる?」
 ミルイに訊かれ少年はちょっと困った顔になったが。
「落とし穴がそんなに珍しいのか?しょうがないな。まあ減るもんでもないから見せてやるよ」
 そう言うと少年は地面の枯れ松葉を少しどけた。木の小枝が穴の上を塞いでいて、その上に松葉を載せて隠しているらしい。
「気をつけて覗いてごらん」
 子供の頭が入るくらいの小さな穴が地面に開けられた。その中を覗き込むと、落とし穴自体は結構大きな穴だった。下の方には先を尖らせた棒が何本か上を向いて突き立てられている。
「あれが刺さったら死んじゃうよね?」
 ミルイは怖くなって穴からおもいっきり離れた。ポンとヤネカチも順番に覗き込む。
「刺さるところが悪けりゃな。この間落ちた子供は足に刺さったから命は助かったが足が血まみれでひどいことになってた。そうなりたくなけりゃ落とし穴には近づくなよ」
「うん、分かった」
 少年は子供達の素直な反応に満足げに頷く。
「じゃ、気をつけてな」
「あのっ……お兄さん名前は?」
 手を振り立ち去ろうとする少年にポンが慌てて声をかけた。
「俺か?俺はガラチだ」
 振り返り、それだけ言うとさっきいた木にするすると登り始めた。見張りの仕事でもさせられているのだろうか。
「ガラチさんかぁー。ねー、ミルイ、かっこいいよね、今の人」
 ポンは一目惚れしたらしい。
「えー。そうかなぁ。なんか怖い感じがするけど」
 ミルイとポンの好みは合わなかった。ちょっとがっかりするポンだが。
「まあいいか。好みが合わないってことはミルイと取り合いにはならないもんね」
 などとぶつぶつ言っている。
 とにかく、そのガラチのおかげでミルイたちは落とし穴に落ちることもなく、松林で遊ぶことができたのだった。

 しばらくすると、用も済んだらしくミルイたちを大人が呼びに来た。
 村に戻るとさっきまで海草がたっぷりとつまっていたカゴに木の実や山菜が入っていた。さすがに季節が季節だけにたっぷりとは行かない。話にでていた燻して干した肉もカゴに入っている。
「おお、そうだ。子供たちにいいものがある」
 村人の一人が倉庫から何かをもってきた。
 小さなオカリナ状の土笛だった。表面にはきめ細かい細工が施されている。
「いいのか?貴重なものなんじゃ?」
「実はこれは子供が練習で作ったものなんだ」
 3人全員に土笛が手渡された。早速吹いてみるが、練習で作ったものだけにそれほどいい音がしない。それでも子供のおもちゃには十分だった。
「練習にしちゃうまくできてるな。細工がいい」
「ああ。ようやくしゃべり出した頃から粘土ばかりいじってたおかげで細工の腕は大したもんでな。大人には思いつかないような意匠も生み出すんだ。将来が楽しみだ」
「この村にそんな子供がいたなんて知らなかったな」
「ポケシの娘だよ」
「ああ、ポケシの」
 ポケシはこの村では一番の土器職人だ。ポケシの名ならばナミバチ浜の村人たちでも聞いたことがある。大きなほくろが特徴的ななかなかの美人でもある。
「しかし、いずれは村を出て行くことになるからな。掟とはいえ寂しいことだ」
 女は大人になったら他の村に嫁がなければならないのだ。ミルイやポンがこうして他の村に連れて行かれるのは、将来の結婚相手を探すためでもある。ちなみにヤネカチの場合は単なるお手伝いだ。

 お手伝いと言うこともあり、帰り道に子供の中でただ一人、中身の入ったカゴを担がされるのはヤネカチだった。力仕事は男の仕事なので当然ではあるのだが。三人はさっき貰った笛をまだぴーぷー言わせながら歩いている。
「祭り行列みたいだな」
 大人がその様子を見て言った。
「そう言えばそろそろシロキ野の村で祭りの季節だよな」
 シロキ野はササナミの森の近くにある平野だ。そこにある村では穀物の畑が一面に広がっている。そのため、秋の実りを祈る夏祭りが毎年盛大に行われる。祭りがあるとなると黙っていられないのはいつの時代も同じである。祭りとなると近隣の村々から人々が集まり、大変賑やかになる。特にシロキ野の豊作祈願の夏祭りは年に一度と言うこともあり特に盛大である。この時は近隣の人々が皆その村に集まり、そこから神の山と呼ばれるタイナヤ山まで行列を作り、賑やかに歌い踊りながら進んでいくのだ。
 ナミバチ浜でも豊漁祈願の祭りや豊漁を祝う祭りなどをたびたび行う。しかし、盛大なものではなく、せいぜい隣村に声をかけて盛り上がるくらいだ。シロキ野の夏祭りはこのあたりでも特別の祭りなのだ。
 そんな祭りなので、どこの村でもその祭りを楽しみに待ちわびている。
 祭りが行われるのは長雨が開け、日差しが一段と強くなった夏の初めだが、正確にどの日になるのかはイスノイドネと呼ばれる祈祷師が神からの啓示を受けて決めるのだ。なので、割と急に祭りの話が来る。
 どこの村も、ここぞと自分の村の特産を持ち寄る。大規模な交易もこれを機にと言わんばかりに行われる。この時期、めぼしい収穫物のないササナミ森の村も土器や木工品、獣の骨の工芸品などが喜ばれる。先ほど大人たちの話にでていたポケシなどは優れた土器職人の称号グリヅチを与えられた一流の職人で、彼女の作品は時に貴重なこの時期の大物の獣とも等価で取引されることもある。おかげでお裾分けばかりに頼らず堂々と夏を乗り切れるのだ。
 それと同時に、やはりこの祭りは貴重な出会いの場でもある。友情も愛情も、祭りから始まることが決して少なくない。
 この大きな祭りは彼らにとって、とても大きな意味を持つ、重要な祭りなのである。

 その祭りが行われるという知らせは、程なくナミバチの浜にも届いた。
 そうなると、のんびりとはしていられない、祭りに持ち寄るものを準備するのに大忙しだ。
 魚の干物を山ほど作り、海草や貝などもどんどんかき集める。そして、村人たちはたくさんのカゴに詰め込めるだけそう言った海産物を詰め込み、シロキ野の村へと向かうのだ。
 ミルイとポンは海岸で海草を拾い集め、それを干す。干している間は貝を拾い集める。
 ヤネカチは漁の手伝いだ。まだ基本的なことを教わった程度なので遠洋の漁には連れて行ってもらえない。それでも入り江の中での漁ならばちょっと大人に手伝ってもらえば一通りこなすことはできた。元々海の民だったおかげか筋がいい。
 ドブリの船に乗り、あれこれと教えてもらっているヤネカチの姿が、ミルイたちのいる浜辺からも見えた。
 ヤネカチを見つけたのはミルイだし、その時ドブリも居合わせたので、ヤネカチのことはドブリが面倒を見ている。最初の何年かはミルイの家に厄介になっていたが、今は漁師小屋で独り者の漁師たちと一緒に住んでいる。
 一緒に、とは言ったものの、今は独り者の漁師達は祭りに持ち寄る魚を捕るため遠洋にでているのでヤネカチ一人で寝ているのだが。若くて体力もある家族のいない独り者の漁師達が遠洋での漁を任されるのだ。いつか、ヤネカチもこの中に混じって遠洋にでることになる。それも遠いことではない。今年の冬の漁には出られるかも知れない。
 ミルイも船には乗ったことがあるが、遠洋にでたことはない。遠洋は危険も多い場所だからだ。
「いいなぁ。ヤネカチはもうすぐ遠くの海を見に行けるんでしょ」
 ミルイは以前、ヤネカチに何気なくこう言ったこともある。ヤネカチは苦笑いを浮かべて言った。
「遠洋になんか本当は行きたくないけどね。大変だって聞いてるし、ミルイにも会えなくなるから」
 この一言をヤネカチがどんな思いで言ったのか、ミルイは考えたこともなかった。

 祭りの日が迫ってきた。
 この日、ナミバチ浜の村人達はシロキ野に向かうことになった。
 まだ祭りまでは日があるが、待ちきれない人たちはもうシロキ野に集まっているだろう。祭りが始まるまでの数日、歓談や取引などが行われる。そして祭りが終わったあとはそのまま自分たちの村へと引き上げていく。
 村人達はめいめいにカゴを背負い、さらに袋をさげている人もいる。帰りにはこれの中身がそっくり入れ替わっていることだろう。
 大人達は祭りへの期待を隠そうともせずに浮かれて陽気に喋りながら歩いている。子供達はと言うと、この間貰った笛をピープー吹き鳴らしながらの行進。とても賑やかな行列となった。
 ナミバチ浜からは、シロキ野もササナミの森も同じくらいの距離を歩くことになる。またしても長旅にはなるが、普段から走り回っているミルイたちは、このくらいの長旅でマメを作ったりはしない。
 ミルイも今日はしっかり寝ているので、途中でばてて寝入ることもなかった。
 どこまでも続くような大平原を歩き続ける。単調な風景に少し飽き始めた頃、その平野のど真ん中に何かが見えてきた。村だ。
 シロキ野の村はとても大きな村だ。何せ辺り一帯の村の人たちが一斉に集まるような盛大な祭りを開くのだ。それなりの大きさを元々もっている。そこにきて、祭りのために訪れた人々が泊まる簡素な小屋がだいぶ建てられている。この時期だけ、村は普段の何倍もの大きさになるのだ。何度みてもすごい光景だった。
 村に着くと、やはり待ち切れていない人々が早くも集まってきているようだった。
 当然ながら知らない人ばかりだ。聞いたことのない村の人々がたくさんいる。日頃少人数で暮らしているミルイたちにはこうなるともう訳が分からない有様だ。浮かれるよりも先に怖い感じがして、大人しく小さくなってしまう。
「ササナミ森の連中はまだ来てないな」
 誰かがそう言った。
「マリニキ村の奴らと一緒に来るんだろ」
 誰かがそれに答える。周りはたくさんの人の話し声で溢れ、近くの話し声を聞き取るのがやっとだ。子供達も、ここでどこかに遊びに行ってしまうと大人達がどこにいるのか分からなくなってしまいそうで、身動きができない。
 しばらくすると、シロキ野村の、言ってみれば祭りの実行委員のような役割の人が来て、ナミバチ村の人が泊まる小屋まで案内してくれた。小屋と言っても、四本の柱に藁と萱の天井があるだけの、今で言えば運動会の時に建てられるテントのような簡単なものだ。夏なので風が入ってくるのは気持ちいいくらいだし、雨露がしのげれば十分なのだ。
 子供達も、遊びにでたらここに戻ってくればいい。そう分かるとほっとできる。とりあえず、あたりを探検してみることにした。
 村の周りには、ずらっと外来の人たちのためのテントがならんでいる。そしてその真ん中あたりにあるのがシロキ野村。
 とても大きな建物が遠くからでもよく見えていたが、近づいてみると毎年ながらその大きさに圧倒される。今はこの建物には入ることができないが、祭りが始まると、最初にこの中で祈祷などの儀式が行われるのだ。入り口には縄が張ってあり、いわゆる関係者以外立ち入り禁止の状態になっている。
 ミルイたちは入り口の前でなんとか中が見えないか覗き込んでみた。松明らしい炎が揺らめいているのが見える。そして、その炎の揺らめく光の中で、一人の少女が儀式の時に踊りの練習をしているのか、一心不乱に踊り続けているのが見えた。
 ミルイたちは暫しその姿に見とれた。
 あまりに熱心に見ていたため、ミルイたちに近づいてきた人物に気付くことができなかった。

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