賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾七話 カコーガ大橋挟撃作戦

 決戦の時は来た。


 シーカーとメディッヒを結ぶ街道を遮るように存在するカコーガ渓谷。短い雨季の間にはこの谷の底には激しい流れの川が流れていた。ここをはじめとするいくつかの渓流から注ぎ込まれた水がかつてはセトゥアの涸れ谷に溜まり砂の大地を潤し、時には谷底に幾つもの湖を作っていた。今は海となったこの渓谷に水が絶えることはない。
 この渓谷にかけられたアーチ橋の上で作戦は決行されることになった。この渓谷を越えられる橋はここだけだ。この渓谷を迂回するにはかなりの遠回りをしなければならない。煉次がシーカーを目指すのならばこの橋は必ず通らなければならない。
 橋の上に大きな魔法陣が描かれた。ひとつは橋のシーカー側の末端、魔除けの結界。この結界が崩されなければ羅刹は対岸へと渡れない。もちろん、これだけで羅刹を阻止できるとは思ってはいない。羅刹の取り憑いている煉次は生身の人間であり、生身の人間には魔除けは何の意味も為さない。煉次が結界を壊すのは造作ないことだ。踏み消せばいいだけなのだから。
 ただし、その橋を渡り終えた先には警備隊の一団が待ち構える。結界を壊すには羅刹の憑依を解いて結界に侵入しなければならない。羅刹の憑依が解けていればいくら煉次が腕の立つ使い手とは言え、武装した集団相手に勝てる訳はない。
 膠着状態になるか、諦めて引き返すか。はたまた強行突破に出るか。その時の状況に応じて作戦も練られた。
 丸一日かけて準備を整え、いよいよ決行の時が来た。
「まずは奴をこの場所にまで誘い出さなければならない。それとも、奴が動き出すのを待つか……」
 遥か下方より波の砕ける音が響く橋の上でシーカーの警備隊長が遠くにかすむ対岸を見ながら低く呟く。ちなみに、泰造も今はどちらがシーカーの警備隊長でどちらがメディッヒの警備隊長なのか見分けがつくようになった。細かくは述べないがポイントは毛の薄さだ。
「待ってなんかいられるわけねーぞ。とっととおびき出して袋叩きにしてやる!」
 泰造はやる気満々だが。
「いや、そういう作戦じゃないから」
 涼に冷静に突っ込まれた。
 どんな作戦で行くのか泰造は良くは知らない。確かに一馬に説明は受けた。しかし、泰造は自分のするべきことだけはしっかり押さえてあるが、他はなんとなく覚えているようないないようなという感じだ。一応陣頭指揮を任されてはいるが、作戦そのものを立てた軍師は一馬だ。その一馬はまだこの作戦のための最後の準備のために奔走している。
「なぁ、そのおびき出す役、俺に任せてくれないか?」
 秀樹がそう申し出た。
「俺と奴の腐れ縁も結構な長さになるからな。挑発に乗せる自信はあるぜ」
「じゃ、あたしも一緒に行くわ」
「いや、一人のほうが動きやすい。それに一発けなして逃げてくるのに二人も要らない」
 秀樹は美月を制した。
「そう?あたしもあいつに罵声のひとつも投げてみたいわ」
「あ?顔合わせるたび言いたい放題言ってるくせに何を今更。俺は日ごろ言い足りない分今日は特別きっついの言ってやるつもりだ」
「あんただって言い足りないとは思えないけど」
「盛り上がっているところすまないが、行くんならとっとと行ってくれ。準備はそうはかからない。今からメディッヒに言って帰ってくるまでなら余裕で終わる。だからとっとと連れて来てくれればこの仕事も早く終わるだろ」
 不機嫌そうに一馬が二人の話に割り込んできた。
「えらいやっつけ仕事だな」
「俺は昨日から延々と、好きで描いてるわけじゃない魔法陣だの何だの描きまくってるんだぞ。疲れたし、とっとと別な事をしたいもんだ」
「はいはい。別なことったってどうせ絵を描くんだろ。どう違うんだか」
「描きたくて描いてるか、描きたくもないのに描いてるか。お前にゃわかんねーだろうが結構な違いだぞ」
「分からなくもないけどな。ま、ちょっくら行ってくるわ。俺のカモシカの足に負けねぇようにせいぜいがんばってくんな」
「はっ、三十路間近の中年予備軍が何をほざ……」
 なぜか美月に蹴られる一馬。歳の話題に敏感である。一馬はぶちぶちと愚痴りながらもとの仕事に戻っていった。

 日も傾き、後は秀樹が煉次を連れてくるのを待つばかりである。
 しかし、一馬の仕事はまだ終わっていない。というか、まだ時間があるからこれもやっておくか、という感じで次々とすることが出てきている。
「忙しそうだな。あとどのくらいやることがあるんだ?」
 手伝いたくても手伝えない泰造だが、一応気にはなるらしい。
「さあな。まだやりたいことは山ほどある」
「終わるのか?」
「終わらせなきゃならないさ。真っ暗闇じゃ絵はかけないからな。いずれにせよ最低限の準備はとっくに済んでいる。今やっているのは念には念をってやつだ」
 一馬が今行っている作業は警備隊員たちの持つ盾に魔法陣を描く作業だ。泰造たちも魔除けの力を持つという魔法陣が描かれたマントを羽織っている。涼の斧にも破魔の魔法陣が描かれた。これにより涼の一撃で羅刹そのもの直接的にダメージを与えることが出来るかもしれないという。涼はやる気満々である。
 沙希には破魔矢が手渡された。
 破魔矢は元々退魔の最終手段と言える。悪霊などに憑依された時に、肉体に破魔矢を突き立てることで、対象の肉体を流れる血液に退魔の力を持たせ、憑依を解き、さらに再び憑依することを防ぐことが出来るのだ。
 しかし、当然矢が刺されば傷となり被術者の命を脅かしかねない。危険なためあまり行われない方法である。だが、今回は取り憑かれた煉次の安全を確保する必要はない。だからこそ、効果優先で作戦を立てられる。
 もちろん、沙希はこの作戦のために煉次の命を奪う必要はない。だが、当たり所が悪ければ殺めてしまうこともあるだろう。沙希は不安そうだ。
 泰造に与えられた役目は羅刹に取り憑かれた煉次をカコーガ大橋上で足止めすることと、憑依の解けた煉次を取り押さえること。特に、カコーガ大橋上での足止めが重要だといわれている。煉次が足止めされている間に恭が詠唱を行う。それを妨害させてはならないのだ。
 恭、涼、沙希、そして泰造。それぞれ、重要な役目を与えられている。この中の誰が欠けても作戦は成功しないという。
 羅刹は日の光を避け夜に動き始めると思われる。秀樹がメディッヒに到着するのもちょうどその頃だろう。今の煉次にその気がなくても秀樹の挑発を受ければまず動き出す。ちょうどいい時間なのだ。
 まもなく日が落ちる。秀樹はそろそろメディッヒに到着する頃だろうか。

 秀樹は風に乗って運ばれてくる臭いに顔をしかめた。
 ひどい臭いだった。おびただしい人が煉次に命を奪われ、恐らくはそのまま無残に放置されているのだろう。風に乗って運ばれてきたのは腐臭だった。
 どんな状態になってるかは分からないが数日は食欲が湧かないだろうな、と秀樹は思う。
 遠く、メディッヒの町を囲う外壁が見えるとその臭いはますますひどくなった。
 いやだなぁ、などと思いながら門をくぐる。秀樹が考えたよりはひどい状態ではなかったが、道を歩いているだけで死体が目に飛び込んでくる。
 薄暗くなってきている。このまま夜になられてはたまらない。秀樹は大通りを急ぎ足で辿る。
 この町のどこかに煉次が潜んでいるとして、それはどこか。誰もいなくなった町で、あんな大胆不敵な男が絶大な力を得た今、こそこそと隠れているわけがない。とんでもなく目立つところでふんぞり返っているいるはずだ。
 大通りをまっすぐ進んだところにある役所の窓に明かりが見えた。恐らくは市長室。
 やっぱりな。この町で一番偉い人間の住まう、一番立派な建物の一番いい部屋だ。
 秀樹は、役所の入り口をくぐった。持ってきたランプに火を灯す。役所の建物の中は所々に血の跡がある、惨憺たる状態だが、死体は見当たらない。どこかに片付けたのだろうか。あんな奴でもやはり自分の住み着く場所に死体があると気味が悪いのだろう。
 しかし、秀樹は何か妙な気配を感じるような気がした。やっぱり出るよな、こんなところ。そう思った秀樹はとっとと用を済ませて帰ることにした。長居は無用だ。
 市長室のドアを蹴破る。確かにそこに煉次はいた。市長の椅子に堂々とふんぞり返り、周りには美女を侍らせテーブルには豪華な料理が並んでいる。侍らせた美女は、いずれも怯えたような顔をしていた。逆らえば殺されるという恐怖の中、こうしているのが見て取れる。
「その汚らしい面で王様気取りか。偉くなったもんだな」
 部屋に闖入してきた秀樹に驚く様子もなく煉次はにやりと笑う。
「偉いかどうかなんてわかりゃしねぇがな……。力があればなんでも手に入るってのがよぉーく分かったよ。金があればなんでも手に入るってのも確かにありだが、力があれば金さえもいくらでも手に入る。こうなると、金さえもいらねぇがな。殺して奪えばいい、それだけだぜ」
 高らかに笑い声を上げる煉次。
「盗賊に成り下がったな、貴様」
「まったくだな。だが、俺様を捕らえられる人間はいねぇ。何をしようが俺様の自由だ。これからこの世界の法律は俺様だ。逆らえば死ぬ。生きたきゃ俺様に従うしかねぇ。これほどの力が俺様に転がり込んでくるとはまったくもってついてるぜ。お前は俺様に今までの非礼を詫びて尻尾を振りに来たのか?それとも死にに来たのか?」
 煉次は周りを取り囲む女たちを押し退けて立ち上がり、腰の剣を抜き払った。
「腐りきった野郎だな。貴様の手に入れた力ってのも所詮邪悪なものだ。神聖な力の前には大した力じゃない。それをたっぷりと思い知らせてやる。もっともここでじゃない。今仲間が貴様を捕らえるための罠を張って待ち構えている」
「はっ。罠を張っていることをわざわざ知らせに来たか。気でも狂ったか?」
「俺は至って正常だぜ。貴様は確実に三巨都、そしてリューシャーに向かう。そのためにはシーカーを通らなければならないだろう。その街道上だ。つまり、そこを通らないというなら貴様はこの町でじっとしているしかないってことさ」
「街道なんぞ通らなくても道なんざいくらでもあるだろう」
「遠回りでもいいならな。貴様はそんな回りくどいことをするような人間じゃないのは俺が良く知っている。それに、貴様はすでに町を二つ滅ぼした。貴様が頼りにしている羅刹はそれ以前にも幾つもの町を滅ぼしている。それだけの奴を待ち構える作戦だ。後々まで語り継がれるだろう。貴様が姿を現さないのならこの作戦に怖気づいた根性なしだと歴史に刻み付けられるぞ」
「そんな誘いに俺様が乗ると思うのか」
「乗るさ。そして俺は貴様を倒した英雄の一人として名を残す。俺が主役じゃないのが残念だがな」
「貴様が英雄だと。馬鹿馬鹿しい。貴様が英雄になることはない。ここで死ね」
 煉次は秀樹に斬りかかる。秀樹は大きく飛びのきその一撃をかわした。
「あばよ、街道で待ってるぜ」
 秀樹は踵を返し市長室を飛び出し、階段を駆け下りた。後ろから煉次が追いかけてくる気配があった。
「さて、と。こんな陰気くさいところとっととおさらばするか」
 低く呟く秀樹。階段を下りきったところでランプを掲げる。ランプの明かりのぎりぎりのところで人影が蠢いた。
 幽霊でも出たか、と思わず足を止める秀樹。だが、それは生きた人間だった。それが秀樹の行く手を阻んでいる。
 アコーのように一人残らず皆殺しになっているものだと思い込んでいた。しかし、思えば煉次が女を侍らせていた時点で気付くべきだった。皆殺しにはせず、生き残りを恐らくは恐怖で従えている。
「そいつを捕らえろ!捕らえたものには財宝と、自由をくれてやろう!女も一人つけてやる!」
 人影が秀樹に向かってきた。秀樹が剣を抜き払う。
 すまん、許せ。
 元々はただのこの町の住民だ。それが煉次に対する恐怖から従っているだけに過ぎない。それを分かっていながら剣を振るわなければならない。
「これで貴様も俺様と同類だぞ!英雄が聞いてあきれるな!」
「どこが同類だ!死にたくなければ道を開けろ!」
「道を開ければ俺様が殺す!死にたくないのなら捕らえることだ!」
 武装した男たちに阻まれ、前に進めない。後ろからは煉次が迫っていた。
 取り囲まれた秀樹はほとんど何も出来ずに羽交い絞めにされた。
「英雄になれなくて残念だったなぁ」
 嘲るような笑いとともに煉次の声が聞こえた。振り返ると煉次は剣を高く掲げていた。それが勢いよく振り下ろされた。
 すまねぇ、作戦は俺抜きでどうにかしてくれ。
 英雄になり損ねた男は、彼を捕らえた男もろとも切り裂かれた。
「おっと、勢いがつきすぎたか。お前も運がなかったな」
 秀樹を捕らえた男、いや、男だった肉の塊に語りかける煉次。
「こいつが貰い損ねた財宝と自由、そして女は持ち越しだ!出発の準備をしろ!馬鹿者どもが街道で待ち構えている。そいつらの首をあげるのだ!」
 煉次に敬礼し、いそいそと準備を始める男たち。
"罠であると分かっておろう。それでも行くのか?"
 羅刹の問いかけに煉次は頷いた。
「奴の言うとおりだ。偉大なる俺様に挑まれて逃げたなどという汚点は残したくねぇ。それにこの秀樹の野郎がいなくなった事で作戦だって思うようにいかねぇさ。向こうじゃ奴が戻ってくるのを待って作戦を始めるつもりだったろう。その出鼻を突いて一網打尽にしてやるのさ。こいつらの作戦がこけりゃ今後俺様を嵌めてやろうなんて考える馬鹿もでねぇだろ」
 そう言うと煉次は不敵な笑みを浮かべた。

 すでに配置も終わり、煉次の到着を待つばかりだ。見張りを兼ねて最前列に立つのはメディッヒ警備隊。町を壊滅に追い込んだ相手への弔い合戦ということもあり、士気も極めて高い。それこそ、命を捨てて突撃さえしそうな勢いだ。だが、その誘惑に負けては作戦に支障が出かねない。この作戦の成功を心から願うからこそ、そのような暴挙に出る者もいないであろう。
 斥候として街道沿いに潜んでいた隊員が急ぎ足で帰ってきた。
「来たか?秀樹殿か?それとも煉次か?」
「そ、それが……。多数の武装した人間がこちらに向かってきています!」
「何だと?……秀樹殿ではなさそうだな。恐らくは奴が雇った傭兵の一団だろう。念のため、相手の確認が取れるまで攻撃しないように」
 警備員たちの緊張が一気に高まる。
 高く掲げられた松明の灯りに無数の人影が浮かび上がる。剣を振りかざし襲い掛かってくる人影相手に、防御に徹する隊員たち。その中から驚きの声が上がる。町を守った警備隊だ。住人の中には面識のあるものも少なくはないだろう。そういうもの同士が顔を合わせ、お互い戸惑っている。
「メディッヒの住人です!」
「!……そうか!我々はメディッヒ警備隊の生き残りだ!抵抗をやめれば君たちを攻撃することはない。安全を約束しよう」
 隊長の声があたりに響き渡る。
「た、助けてくれ!」
 何人かは警備隊に助けを求めてくる。すると、攻撃をやめなかった何人かも手を止めた。
 警備隊は住民たちに自分たちの背後に回るように誘導する。住人たちはそれに従った。
「煉次は?」
 隊長が住民に問う。
「すぐ後ろに……女たちを助けてやってくれ!」
 その言葉が終わらないうちに怒声が轟く。
「役立たずどもが!まとめて叩き切ってやる!」
 煉次が剣を抜き、警備隊に突進する。盾を構えて防御する警備隊。
「無駄だぁ!」
 煉次の振るう剣は盾などお構いなしで警備隊員をあっけなく切り裂く、はずであった。しかし、その剣は盾に阻まれる。さらに、煉次の体には電流が流れたような激痛が走る。
"この盾に描かれた紋様は魔法陣だ!うかつに斬りかかれば我の力を損ねるぞ!"
 煉次の頭に羅刹の声が響く。
「これが罠ってか……?くだらねぇ。ならばいったんあんたはどいてろ。俺様に考えがある。俺が斬られたときは戻ってきてくれ」
 煉次の言葉どおり、羅刹は憑依を解く。このままでは攻撃を受ければ煉次は傷つくだろう。しかし、羅刹が戻れば傷は癒される。捨て身の作戦だ。
 煉次は猛然と警備隊に斬りかかった。警備隊は盾に描かれた魔法陣の効果で守られているが、このままでは描かれた魔法陣が壊れ力を失うと感じ始めていた。
「撤退せよ!」
 隊長の号令で盾を掲げたままゆっくりと後ろに下がり始める警備隊。
 しかし、これはまだ作戦のうちなのである。

 その頃、一馬は橋の上を疾走していた。メディッヒ警備隊の背後で様子を窺っていた一馬だが、メディッヒの住人たちが来たことで若干の作戦変更をしなければならない。倍速種の砂驢駆鳥に跨り、瞬く間に後方に控えている恭の元へ向かう。
「お出ましだが少し事情が変わった!奴はメディッヒの住人を従えて来ていた。彼らを避難させてから作戦を実行に移す!一応タイミングはこちらで合図をするが、もしも状況が思わしくないようならばそれ以前に詠唱を始めても構わない!それと涼さん、それから美月さん!食い止める時間を引き伸ばす必要があるから前方で泰造さんとメディッヒ警備隊の援護を!」
「了解!」
 声を揃え返事をする。そして涼と美月は砂驢駆鳥に跨った。
「ねぇ、秀樹は?やっぱりあっちにいるの?」
 美月がたずねる。
「……そういえば見かけなかったな。いや、気付かなかっただけだろうが」
 一馬と、美月の脳裏に嫌な予感が過ぎり始めた。

 後退する警備隊に激しく攻撃を仕掛け続ける煉次。
 その目に、警備隊を飛び越えて現れた影が入る。そちらに目を向けた瞬間、煉次は横様に吹っ飛ばされた。橋の欄干に全身を打ち付けて一瞬呼吸が止まる。が、戻ってきた羅刹の力によって痛みは消えた。
"良い考えだったが深追いしすぎたな"
 羅刹の言葉に舌打ちしながら煉次は立ち上がった。
「久しぶりだな。覚えているか?」
 煉次の目の前に立ちふさがる泰造。
「誰だ、てめぇ」
「覚えてないか。まぁ、覚えていても嬉しくねーからな。てめーに取り憑いてる羅刹にでも聞け。そっちなら良く覚えてるだろう」
"また会ったか。忌々しい奴だ"
 泰造に羅刹の声が届いた。
「決着をつけようぜ、羅刹。それに煉次!てめーは賞金稼ぎの面汚しだ!絶対に許さねーからな!」
 泰造は身構えた。
「そうか、賞金稼ぎか。……なるほど、思い出した。ちっとは覚えてたぜ。あのときのチビガキだ。まだ生きていたとはなぁ」
「そいつはこっちの科白だ。あのあと縛り首にでもなったかと思っていたんだが」
「嘘八百の事情を話して反省している素振り見せりゃ、手配されてない人間なんぞこんなもんよ。それに俺には手柄もあったからな」
「胸糞悪い話だぜ。てめーみたいな悪党をほったらかしにしておく役所も、のうのうと生き延びてるてめーもな。俺と同じ賞金稼ぎだと思うと反吐が出やがる」
「賞金稼ぎなんてのは他人の命を金に換えてるようなもんだ。いまさら善人ぶったって遅いのさ。金のために人を殺して金を奪うのと、金のために人を死刑台に追いやるのと、大した違いはねぇ。法で許されるか、許されないか。それだけだろうが。自分さえ生きてりゃいいのさ。俺様は老いぼれて死ぬまで死ぬことはねぇんだ。法が許そうが許すまいが関係ない。見ろ、月読を。奴はすべてが法で許されている。いや、法など奴には通用しない。奴が法そのものだ。力を持っているからだ。正義なんざ力の前じゃ紙っぺらみたいなもんさ。そして俺様は力を手に入れた。俺様が世界の中心だ。月読の奴に成り代わり世界を制してやる」
「世界征服かよ。悪党ってのは何で最後はそこに行き着くかね」
「当たり前だ。欲しい物は全部手に入るんだぞ?気に食わないものは全部ぶち壊せるんだぞ?俺様好みの世界が作れるんだ。これを目指さない奴は馬鹿だぜ。そういうお前はどうなんだ?何のために戦っている?名誉なんざ糞食らえだろ?金だ、そして権力だ」
「名誉なんざ糞食らえってのは俺も賛成だ。でもな、俺は生きるのに困らなきゃそれでいいと思ってる。権力を得て、世界を牛耳って、それでどうなる?欲しい物は全部手に入る?全部手に入ったあとはどうする気だ?何もかも手に入れて、目標の無くなった人生なんてつまらなくてあくびが出ちまう」
「生きていけりゃいいってか?お前は獣か?人間に生まれてきながらなぜそこまで無欲だ?」
「お前はなぜそこまで欲深くなれるんだ?こっちが聞きてーよ。人の命を奪ってまで満たされてーのか」
「いくら奇麗事並べたってとっくにお前はたくさんの人間を死刑台に送ってるんだよ。お前が生きていくためには誰かが死ななきゃならねぇんだよ」
「確かにそうだ。だからこそ、俺が生きていくために必要な金があればいいと思っている。無駄な欲望のために消えていく命なんて見たくない」
「……面白い、とことん意見が合わねぇな。まぁいいさ、この勝負に俺様が勝ちゃあ俺様が正しいってことになるんだ。俺様の正義のために、死んでもらうぜ」
 泰造の金砕棒と煉次の剣がぶつかり甲高い音を立てた。

 風のように駆け抜けていく一馬、涼、美月の三人。前方からメディッヒの警備隊に導かれて住民たちが急ぎ足で橋を渡ってきている。その奥で泰造と煉次が戦っているのが見えた。煉次もさすがに相当腕が立つらしく泰造も押され気味だ。
「このまま突っ切り退路を塞ぐんだ!」
 三人は煉次の横を駆け抜け対岸で砂驢駆鳥を降りる。一馬はそこに留まり、涼と美月は泰造の支援に向かう。
 応援が来たので攻撃を涼に任せ泰造は防御に徹した。やや劣勢だった状勢が一気に優勢に傾いた。押し切られ、煉次は大きく後退する。
 その隙に、煉次の後ろに踏みとどまっていたメディッヒの女たちが一斉に煉次の横を通り、先に逃げた男たちの後を追った。何も出来ない煉次は舌打ちする。
「ちったぁやるじゃねぇか」
 吐き捨てるように言う煉次だが、美月の姿を見つけにやりと笑う。
「お前もいたか。相棒があの世で待ってるぜ」
「秀樹は死んだのね」
 低く呟く美月。
「許さない」
 美月は剣を抜き払い、煉次に突進した。泰造がそのあとを追う。
 美月の攻撃を剣で受け止め押し返す。仰け反った美月の喉目掛け煉次の剣が繰り出された。しかしその剣は横から差し出された泰造の金砕棒で受け流された。
 その隙を突いて涼が一撃を浴びせようと斧を振り上げた。煉次は剣を素早く掲げ直し、その重い一撃を、両手でしっかりと持った剣で受け止める。直撃は免れたが、煉次の体に痺れが走る。涼の斧に描かれた魔法陣の効果で羅刹がダメージを受けているのだ。どうにか涼を押し返した煉次は堪らずさらに橋の中央に押し込まれた。
「美月、無茶はするな!冷静になれ!」
 美月を泰造が諌める。
「なれると思う?もう無茶はしないわ。でも、冷静になんてなれない」
 美月の頬を止めどなく涙が流れている。
「……だな」
 俯きため息をつく泰造。再び煉次のほうに向き直った時、その顔は怒りに満たされていた。
「こうなりゃよほど下手打たなきゃこっちのほうが有利だ!がんがん押して、押し切るぜ!」
 それを合図に三人が一斉に煉次に攻めかかった。泰造の言うとおりどんどん押されていく煉次。さすがに焦りの色が見え始める。
「羅刹よ、貴様はもうこの橋から逃げることは出来ない!橋の両側に退魔の魔法陣が描かれた!」
 一馬の誇らしげな声が吹きすさぶ風の中に轟いた。あらかじめ描かれていたシーカー側の魔法陣と一馬により急ぎ描かれたメディッヒ側の魔法陣。これで包囲は完成した。
"やられたな。こうなったら連中を全滅させるか橋から飛び降りるしかないぞ"
 羅刹の言葉に煉次は唸った。ただでさえ押されているのだ。
 泰造たちの背後から魔法陣の描かれた旗を掲げた一馬が煉次に迫る。もはや煉次の劣勢はひっくり返しようがない。
 煉次は高い橋の欄干をよじ登り始めた。隙だらけになったところに泰造の一撃が浴びせられ、煉次は吹っ飛んだ。もはや退路さえないのだ。
"やはりここへ来るべきではなかった。あの豪磨といい、貴様といい、なぜ力を過信するのか?人とは愚かな生き物だな"
 羅刹の罵りに煉次は歯噛みした。
 シーカー警備隊に守られながら恭と沙希が駆けつけてきた。
「メディッヒの住人は全員無事に避難しました!」
 報告を受け、一馬は大きく頷いた。
「沙希さんは旗の準備、恭さんは詠唱を!他は煉次の行動を封じることに専心願います!」
 一馬の掲げた旗と沙希の掲げた旗の間に全員が集結した。そして煉次を取り囲む。煉次は必死に抵抗するがもはや身動きは取れない。
 恭の口から最後の韻が発せられると、二つの旗の間は眩い光に包まれた。

 目を開けるとすでに光は収まっていた。
 辺りの景色は大きく変わっていた。橋の上ではなく薄暗い洞窟の中であった。
「……どこだここ」
 素直に疑問を口にする泰造。一馬がややキレた。
「あんた俺の話聞いてなかったのかよ!」
「いや、聞いてたとは思うんだがあまり関係なさそうだったんで聞き流してたんじゃないかと」
「あのなぁ。ここは黄泉比良坂(ヨモツヒラサカ)、言ってみりゃ俺たちの世界と死者の世界の中間だ」
「ってことは俺たちは死んだのか!?」
「何でそうなるんだよ!あんた、本当に話聞いてなかったな!?まあいい、後でもう一回詳しく話すからとりあえず作戦を最後まで実行して!」
 作戦としては、あとは動きを封じられた煉次に沙希が破魔矢を射るだけである。沙希はすでに破魔矢を構え、煉次の方に向けている。
 が。
 突然煉次から衝撃波のようなものが走った。煉次の近くにいたものはまとめて吹っ飛ばされた。
「あいたたた、な、なんだ今のは!」
 慌てて起き上がる泰造。煉次は反撃に転じようとしていたが、泰造の姿を見ると洞窟の闇の中に走り去っていった。
「今のは……まさか羅刹の力か?」
 一馬が起き上がりながら呟いた。
「ごめん、逃げられちゃった」
 沙希が申し訳なさそうに言う。
「俺たちがこっちを塞いでいる以上、追い詰めたも同然だ。ただ、黄泉のほうに逃げた羅刹が妙な真似をしなければだが」
「妙な真似って何だ」
「俺にもわからん。何が起こるかわからない、ってことだ」
「で、何で俺たちはあの世にいるんだ?」
「……まぁ、奴が姿を現すまでは時間があるか。ざっと説明してやるから今度はちゃんと聞いててくれよ」
 薄暗い洞窟の中を泰造たちは奥へと進んで行く。

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