賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾六話 蒼海に包まれて

 果てなく続く蒼き海。
 海は二人に最後の休息の時を与えた。

 船はルトの港に到着した。泰造の船旅ももう終わりだ。泰造たちを雇った隊商はこの先のウタム・アカトの町まで行くそうだ。
 船を降りた泰造たちはすぐにマシクに向けて出発した。定期船はウタム・アカトから折り返し、明後日には再びルトに来る。急がねば乗り遅れてしまうだろう。そうすると八日待たなければ次の船は来ない。
 しかし、道程は険しい。何せここはトリト砂漠のように気候的に恵まれていない、トリト砂漠よりも過酷な砂の大地なのだ。この地には雨など降らない。完全に砂漠である。水はどこかで買うしかない。
 死せる大地といっても本当に死んでいるわけではない、と今までの土地なら言えたが、ここは本当に死んでいる。虫の姿も草の一本さえない。
 このような土地にまで人が住んでいるのは、その中央に聳える山々に眠る鉱山資源のために他ならない。
 この地にはかつて巨大な文明が存在していた。神々の黄昏で跡形も無くなったが、その文明で使われていた鉱物は形こそ変われどそこに存在し続けている。
 王鋼(ハルコン)と呼ばれる金属がそのもっとも象徴的なものだ。その古代の文明で生み出されたらしいその金属は、その加工しやすさと強度でその名の通り鉱物の王とされている。世界でもここでしか採掘されない金属だ。当然、手にすることができれば高値で売れるだろう。

 泰造たちが向かうマシクの町は、かつては鉱山で掘られた鉱物を海路で運ぶための重要な港だった。
 しかし、ルトの港町ができるとマシクは急に寂れた。鉱山はマシクの方が近い。泰造にはなぜマシクが急に寂れたのか分からなかった。
 あれから十年近くたち、再びマシクを訪れたとき、その理由がはっきりとした。
 泰造が再び目にしたマシクの町は半ばまで海に飲まれていたのだ。寂れ始めた時、海は確実にマシクに迫っていた。やがて、この町は海に飲み込まれる。そのことを察した人々はこの町を捨てたのだ。
 まだこの地に残った人から話を聞くことができた。
 元々この土地は、ルトが築かれている北岸の内環状岩盤帯と、この地の骨と呼ばれた外環状岩盤帯の中間にあった、砂の溜まり場だと思われていた。しかし近年、調査技術などが発達するにつれこの陸地の真の姿が明らかになってきた。
 かつて神々の黄昏が起こったといわれる場所を中心に、広大な範囲の岩盤が砕かれていた。その中心はセトゥアの涸れ谷と呼ばれていた、今は海になっているあの一帯。
 中心部分であるセトゥアの涸れ谷一帯は想像を絶する高温で溶けた岩が固まり、言わば焼き物のような状態になっていた。そして、その周囲はやはり想像を絶する衝撃で岩盤が粉砕されていた。特にこの南の大地は砂や砂利でできた地面の上にわずかに岩が乗っているようなものだった。砂が浸食で海に飲み込まれれば、岩も支えるものを失い海に沈んでしまうだろう。
 この世界の南には暴食の海と呼ばれる海が広がっている。その名の通り、その海はこの世界そのものを飲み込んでいると伝えられてきた。激しい海流を持つ酸性の海で、その海流に抉られた大地がまさに飲み込まれている。そして、この地を走る外環状岩盤帯が僅かずつだが、暴食の海に向けて傾き始めていたのだ。恐らく、外環状岩盤帯を支えていた砂や砂利が取り去られているのだろう。広がった内環状岩盤帯との隙間は緩やかに陥没し海になっていく。
 数百年もたてば外環状岩盤帯と内環状岩盤帯は完全に海に隔てられるだろう。さらに長い時間をかけて恐らくは全てが海に飲まれていく。
 まさに死せる大地の末路である。人は死に、土に還っていく。同じように、この大地は海に還ろうとしていたのだ。

 泰造が昔の記憶をたどりながら歩いていくと見覚えのある通りを見つけた。泰造の記憶と違うのは足元が簡素な石畳ではなく海になっているというところくらいか。押し寄せる波に向かい通りをたどり、路地に入ったところで泰造の育った家が見つかった。泰造の古い記憶がよみがえる。
 錆び付き朽ちかけた扉は、開こうとすると付け根からもげて倒れてしまった。泰造の記憶の中では広かった家も、大きく成長した今では狭苦しく感じた。
 小物はあらかた持ち出されていたが、椅子やベッドは残されたままだ。いずれも海の水に浸かり腐ってはいるが、昔の面影くらいは残っている。
 時の経つのを忘れ思い出に浸る泰造だが、気が付けば思い出ばかりではなく満ち潮で先ほどは膝までだった海に腰くらいまで浸っている。
 名残惜しく思いながらも、泰造達はこの場所を後にすることにした。

 砂漠を越えて泰造達がルトに戻ると、ちょうど定期船の停泊を告げる鐘が鳴らされた。出航にはまだ時間はあるが、鐘の音にせかされ、ついつい急ぎ足になりながら船に乗り込む。
 船賃をおごってくれるキャラバンはもういない。当然、今回の料金は自腹になる。少しでも出費を抑えるためにシーカーまで行き、そこからは歩くつもりだ。そうすると一人頭二百ルク安い三百ルクで済む。
 今回の定期船の利用者は多くはなかった。元々この船で帰る予定だった隊商も、大陸側での騒ぎを聞いて先延ばしにした者が少なくないという。行きの船とはうって変わって静かな船。泰造たちは船からの美しい海も見飽き始めていて、けだるい船旅になっていた。
 そんなマンネリ気味の泰造たちを乗せた船は何事もなくシュモートに到着した。
 が、ここで予想外の事態が起こるのだった。
 この港はあくまで停泊地であり、乗り降りするような港ではない。しかし、船の外にはたくさんの人がこの船に乗ろうと待っていた。
「えー、ご乗船の皆様に連絡です。ただいま、本土のほうでは非常事態が起こっており、多数の避難者がシーカーに詰め掛けております。その避難者をルトへと避難させる為に当船は先の船でシュモートに移送されてきたシーカーからの避難民をルトへ送り届けるために二港間を往復することになります。よって、皆様もこのままルトへと引き返すことになります。ご了承ください」
 なにやらとんでもないことになっているようではあるが、何が起こっているのかは泰造たちにはまったくわからない。
 泰造はどういうことかと港の係員を問い詰めた。係員は、自分も良くは分からないのだが、と付け加えつつアコーの町が一晩のうちに壊滅させられたこと、その犯人がどうやらメディッヒの近くにも出現したらしいこと、それを受けて自治体は周辺住人の避難を推し進めていることを泰造たちに伝えた。
 今、メディッヒを中心にいくつかの町や村では住人が避難を始めいる。陸路でヒューゴー方面に逃げるものもいれば海路でウタム・アカトに向かおうという者たちもいる。
 ひとまず、海路で逃げようとする者を極力シーカーに集めはしたが、船の輸送能力の問題もありこのようなことになっているのである。
 暴動の類であればその事実をはっきりと知らせるだろう。何が起こっているのか漠然としか分からないというのは不自然すぎる。さらに、こういう事件が起こったとき、普通ならばまずは自警団などが協力してその犯人の捕獲や掃討の作戦を展開するはずだ。しかし、今回はいきなり避難させている。自警団などでは太刀打ちできない相手だととる事もできる訳だ。
 そして何より、そういった状況云々よりも、泰造の勘が羅刹の臭いを感じ取っていた。
 そうとなればいてもたってもいられないわけだが、今乗ってきた船はルトへ引き返してしまうし、もう一艘の船はついさっきシーカーヘ向けて出航したばかりだという。つまり、少なくとも一日半は帰ってこない。
「くそーっ、こうなったら泳いででもシーカーに行くぞ!もしかしたら定期船に追いつけるかもしれない!」
 無茶なことを言い出す泰造。
「なんだ、シーカーに行きたいのか?やめときな、あっちは今とんでもないことになってるって話だぞ」
 地元の漁師らしいオヤジがのんびりと口を挟んできた。はっとなる泰造。
「おっさん、漁師だよな!船、持ってるだろ?」
 親父はうなずくと、自分の船を顎で指した。大きな洗面器のようなタライ舟だった。いくらなんでもこれでは遠くまで行けそうもないし、泳いだほうが速いかもしれない。がっくりと肩を落とす泰造。
「この島の漁師の持ってる船はみんなこんなもんさ。出来たての海だが魚はたくさんいるからな、これでちょっと行って帰ってくればしばらく食えるくらいの魚が獲れるんだ。こんな船で行くくらいなら歩いて本土に渡ったほうが早いやね」
 さらっと不思議なことを言う漁師。
「……歩いてって、海の上をか?」
「まぁ、そんなところかね。引き潮の間なら歩いて本土までいけるぞ。まあ、ちょっとは泳がないといかんがな」
「マジか!?詳しく教えてくれ!」
 漁師の話では、シュモートの北の海は多数の岩礁とそこに潮流に乗って溜まった砂が作り出した浅瀬になっているという。
 定期船はその浅瀬の上を満潮のときに越えたが、干潮の時は今度は人が歩けるほどになるらしい。
 場所によっては一番潮が引いても胸くらいまで水に浸かるうえ、干潮が終わってしまうと、泳ぐか途中にある島で次の干潮を待たねばならない。なので普段使うようなことは滅多にないそうだ。
 しかし、ちょっとでも急ぎたい泰造はそのルートを辿ることを決心した。
 そして、その旨を伝えて船賃の一部を払い戻させて、少し得もしたのだった。

 干潮の時はすぐに迫っていた。満潮に合わせて浅瀬の上を通り抜ける定期船が出航し、しばらく経った後だ。正に、泰造達が船を降りてすぐが満潮だった。そして、その後潮は引きゆく。
 泰造たちはすぐにシュモートを出発した。そして、その北にあるトゥナの岬に着いたときには潮は緩やかに引き始めていた。濡れた砂浜がそれを物語っている。
 意気揚々と進む泰造だが、すぐに引き返してきた。歩いて渡れるという海だが、思ったよりも深かったのである。思えばまだ潮も引き始めてそうは経っていない。そんなに浅いわけもない。ただ、深いといってもせいぜい胸くらいだ。どうにかなる。
 泰造は服を脱いで鞄に詰めた。深い所では荷物を頭にでも載せておけば荷物は濡れない。体はいくら濡れても平気だ。これで準備万端である。
 が、問題は沙希だった。当然、脱ぐわけがない。
「あ、そうだ、水着持ってきてたぁ♪」
 荷物から水着を取り出す沙希だが、そこで気づいてしまう。
 このあたりは見渡す限りの砂浜。むしろ砂洲といってもいいような所だ。岩も申し訳程度にしかなく、隠れる場所などない。着替える場所がないのだ。
「絶対、こっち見ないでよ!」
 悩みに悩んで、結局泰造に後ろを向いていてもらってそのうちに着替える、という方法を選んだ。というか、実質それ以外に方法はない。
「見ないでよ」
「わーってるって」
「……見ちゃだめだからね」
「いいからとっとと着替えろ!」
 泰造が怒鳴るまで、いまいち決心が付かずに服に手をかけることも出来ずにいた沙希だったが大慌てで着替え始める。
「もういいよ」
 着替え終わり、沙希も泰造もほっとした。
「この水着、どう?」
 泰造としてはどうといわれても困るところだ。言われてみれば、確かにこの間オアシスで着ていた水着とは違う水着だ。お世辞にもおとなしいデザインとはいえないのは変わりないのだが。
「うーん、まぁ似合ってるんじゃないのか?」
 当たり障りのない言葉を返す泰造だが、似合ってると言われて沙希は少し嬉しくなった。こういう水着が似合うのはどうかとは思うようなデザインではあるが。そもそも実際の所あまり似合っていない。泰造の一言は売り言葉に買い言葉だった。
 濡れても大丈夫になった二人は海の中を突っ切って歩いていく。
 時間とともに潮は引き、泰造なら胸の辺りまで、沙希は溺れそうになっていた潮位もだんだん腰より下くらいにまで下がってきた。こうなれば歩くのもだいぶ楽だ。
「ねぇ、泰造、見て見て!」
 沙希が後ろから声をかけてきた。
「見ろって何をだよ」
 振り返る泰造。見渡しても何もない。
 そう、何もなかったのだ。いくら見渡せど海と空以外には何もなかった。
「すごいよ、今あたしたち、海の真ん中に立ってるんだ」
「……だな」
 泰造はもう一度あたりを見渡した。波打つ海と空しかない。晴れ渡った空には雲さえないのだ。深いブルーの中に二人は閉じ込められていた。

 途中の小島で一休みし、再び二人は歩き始めた。潮は再び満ち始めている。だんだん深くなる海を歩き続けた。
 日は傾き海も深くなってきたところで、飛び石のようにところどころにある小島の中でもひときわ大きなところの上陸し、次の干潮を待つことにした。しかし、この様子だと次の干潮は真夜中になるだろう。
 地図を見ると、ここはトゥナの島々の中でも最も大きく、そして一番北よりになる。この島の先は水から上がって一息つける場所はしばらくはない、ということだ。夜の冷たい海を休みなしに歩き続けるのは多少無謀のような気がする。
 今夜はこの島で一晩寝ることにした。歩き続けた疲れもあってとっとと寝入ってしまう泰造。溺れそうになりながら必死に歩いている沙希の荷物も担いできたのだから疲れて当然だろう。
 小島といっても岩礁の周りに砂が集まった程度のものだ。大きさこそ多少はあるものの、岩のほかは砂しかない。
 波が迫る砂浜で水平線に消え入りそうな太陽の最後の日差しを受けながら鼾をかいている泰造の横に座り、夕日の微かな温もりで冷えた体を温める沙希。
 先ほどまでのブルーはなく、辺りは茜色に輝いている。幻想的な光景だった。ただの夕焼けなのだが、その夕焼けに染まった海の只中にいる。
 やがて、満ちてきた潮に足を濡らされた泰造が目を覚まし、潮が引くまでの間岩場に逃げることになった。
 涸れ谷が海になった時に崩れたばかりの岩場はごつごつとした岩ばかり、ましてこんな硬い岩の上では寝るに寝られない。
 どうにか座れそうな岩を見つけ、泰造は腰を下ろした。少し離れた岩に沙希も腰をかけた。
 まもなく、日は落ち闇に染められた空を星々が彩り始めた。何もないところだ。二人がする事といえばこの満天の星空を見上げながら話すことくらいだ。これからのこと、今までのこと、昔のこと。
 これだけ話す時間があるのに、沙希は泰造に自分の思いをまだ伝えられない。
 自分自身の勇気の無さにもどかしさを感じながらも、今はとても幸せな気分だった。まるで、この世界に二人しかいないようだ。
 泰造の過去の武勇を聞いていると、こんな自分が本当に賞金稼ぎとしてやっていけるのか不安になったりもするが、泰造の邪魔にならなければこのまま一緒に旅ができるかも知れない。
 もし、自分が一人前の賞金稼ぎとしてやっていけるようになったとしたら、その時は泰造の元を離れて一人にならなければならないのだろうか。
 沙希は泰造の古い知人の二人、美月と秀樹のことを思い出した。腐れ縁だ、ライバルだといいながら仲良くやっているようだ。自分も泰造とあんな感じででもやっていけるのだろうか。
 夜は更けていく。沙希はだんだん瞼が重くなってきた。
 明日出発すればシーカーに着くだろう。この二人だけのような世界から現実に引き戻されてしまうだろう。
 眠る前に、この思いを伝えなきゃ。
 沙希は立ち上がり、泰造のほうに向かって歩いていく。
「ね、隣、いいかな」
「ん?何で?」
「眠いからさ。寄りかかって寝ていい?」
「ああ、かまわねーぜ」
 泰造は少し横に詰め、少し開いた場所に沙希は肩を並べて座った。
 沙希の胸は苦しいほどに高鳴った。
 落ち着かなきゃ、落ち着かなきゃ。
 沙希は泰造の胸のぬくもりを感じながらそっと目を閉じた。
 寄りかかって寝る、なんて言ったけどこんなんじゃ眠れないな。
 そう思いながら心が落ち着くのを待った。
 そして、少しずつ心が落ち着いてくると、いとも簡単に沙希は眠りに落ちていった。

 沙希は目を覚ました。そして、自分が眠りに落ちていたことに気付く。
 沙希の肩にはずっしりと重みがかかっている。泰造も、寄りかかっていた沙希を支えにして眠りに落ちている。泰造が掛けたのだろう毛布が二人を包んでいた。
 潮はだいぶ引いているらしく、波の音が遠くから聞こえた。
 眠りが浅いのか泰造は静かに寝息を立てていた。そんな泰造を起こさないようにそっと泰造の胸に頬を添えた。
「……泰造、好きだよ……」
 その囁きとともに沙希は再び眠りに落ちていった。

 泰造は波飛沫を浴びて目を覚ました。海は目の前まで迫っている。今がちょうど満潮のようだ。顔を上げた泰造に揺り起こされるように、寄り添っていた沙希も目を覚ました。
 簡素な食事を取ると潮は引き始めた。まだ少し深いが今が正に出発のチャンスだった。
 歩き始めてみると、海は殊の外深い。どちらに歩いていけばいいのかは太陽の位置と深さによる僅かな海の色合いの違いでどうにか分かるのだが、この様子だといくら潮が引いても小島は当分現れそうも無い。
 地図によるとだいぶ進んだところに島らしいものがある。とりあえずそこまでは休みなしで歩くしかなさそうだ。そして、その地図を見る限り、その島の先は今まででもひときわ深く一番潮が引いているときで無ければ歩いてはいけない。だからこそ早めに出発したというのもある。どうにか一番潮が引くころにはその深いところに辿り着いておきたい。そうしないとまた次の干潮を待つようだ。
 歩いていくと申し訳程度に海の上に顔を出した岩が見えた。もしかしてこれがこの地図の島なのか、と泰造はうんざりしたような顔をした。
 近づいてみた感じでは、もっと潮が引けば今足元にある砂が顔を出し、もう少し島らしい島にはなりそうだ。ひとまず、ここでほんの少しだけ休むことにした。
 泰造と沙希は背中を合わせるようにして岩の上に腰掛けた。何度も落ちそうになりながら軽く昼食を取る。
 泰造と背中合わせの沙希にとって少し幸せな時間はすぐに終わった。そうこうしているうちに下に見えた砂が少しずつはっきり見えてきた。潮がまだ引いている証拠だ。今のうちに一番深い辺りを越さなければならない。
 引き潮だというのに腰まで浸かる海を大急ぎで歩いていくと遠くのほうを定期船の船影がゆっくりと過ぎっていくのが見えた。
 泰造は定期船に追いついたんだ、と喜んだが、そんなわけは無かった。定期船は泰造たちの後ろにゆっくりと回りこんでいく。シーカーの港を出た船だということに泰造はようやく気付いた。
 潮が満ちてきたのか、それともそれほどに深かったのか。歩いていくうちに泰造の肩くらいにまで水位が上がってきた。当然、沙希はもう足など付いていられない。泰造の肩に掴まりながら泳ぐしかない。
 そんな二人の目に対岸がようやく見えてきた。歩くにつれ、海も見る見る浅くなってきた。沙希ももう普通に歩ける。正面には街道が、そしてその街道を目で辿るとシーカーの港町が朧に見えた。

 シーカーの港町は定期船を待つ人々でごった返していた。
 隊商よりも住民らしい人が多い。隊商はこの機に三巨都方面に向かい仕入れるなり商売するなりすればいいのだが、住人たちは都市部に逃げても泊まるところさえ満足に無い。
 どうせ泊まるところも無いのならルトの近くの砂の上にでもキャンプをしたほうが危険が無いということだ。
 泰造達がそんなシーカーの港町に入ろうとすると突然声をかけられた。
「や、待ってたよ」
 涼が門の裏に寄りかかって手を振っていた。
「何だよ、土産話が待ちきれなかったのか?」
 驚いて問いかける泰造に涼はかぶりを振った。
「じょーだん……。泰造さんたちと同じ目的だよ。羅刹がまた出没したんだ」
「やっぱりそうか。そんな気がしたんだよな。でもよ、三十九号……豪磨は死んだんだろう?羅刹は今誰に取り憑いてるんだ?」
「俺は良く知らない人だけど、泰造さんなら知ってるかもしれないってさ。みんな泰造さんが着くのを待ってたんだ」
 手でついて来い、と合図をして歩き始める涼。その後について泰造と沙希も歩き始める。
「みんなって?そもそも俺たちがこの町に来るのが分かってたのか?」
「噂でね。この辺りで起こってることを聞いて海を越えてこっちに向かっている賞金稼ぎがいるって聞いてさ、ああ、絶対泰造さんだなーって思ったよ。そもそも俺がここにいるのも羅刹がまた現れて大暴れしているって噂があったからなんだけどさ」
「その噂が出たのっていつだ?」
「羅刹が大暴れしてるっての?そうだなぁ、四、五日くらい前かな」
「ちょうど俺が船に乗った頃か。で、どうなってるんだ?アコーは滅んだって聞いたけど。メディッヒは?」
「メディッヒでも相当死者が出たみたいだけど、その前にかなりの数の人が避難したみたいだね。順番的に、もうすぐこのシーカーに来ると踏んでいてさ、泰造さんが間に合うか、それとも俺たちだけでどうにかしなきゃならないかってところだったよ……。ここでみんな待ってる」
 案内された先はシーカーの警備隊本部だった。
 中に入ると見知った顔がいくつかあった。
「泰造君!本当に来てくれたのね」
 嬉しそうに近寄ってきたのは美月だ。
「お前、あっちじゃすっかり英雄になってるじゃねぇか。そうならそうといってくれよ、水臭いやつだな」
 秀樹がニヤニヤしながら泰造を小突いた。しかし、泰造には何のことだか分からない。
「俺もその話聞いてびっくりしたよ」
 涼が口を挟む。
「ウーファカッソォでの豪磨を魔法陣に誘い込んで無力化して捕まえようって作戦、覚えてるっしょ?あれで陣頭指揮を執ったのが泰造さんってことになってるんよ。まぁ、確かに陣頭指揮とってたし。なんか俺と恭もすごい人みたいになっててびっくりしたよ」
 といっているそばから、いかにもなりのいい男二人が寄ってきて深々と泰造に頭を下げて面食らう。この二人はメディッヒとシーカーの警備隊の隊長とのことだ。そんな相手に深々と頭を下げられて柄にも無く恐縮する泰造。そんな泰造を見て美月は口元に笑みを浮かべたがすぐにまじめな顔になり、泰造に切り出した。
「泰造君、煉次のこと覚えてる?」
「ああ、ちょっと前に思い出話をこいつに聞かせたからな。思い出しちまった」
 沙希の肩を叩きながら泰造が言う。
「まぁもっとも、あんたらの顔まで見せられたらいやでも思い出しちまうさ……まさか羅刹が取り憑いてる奴ってのは」
「そのまさかよ」
「あいつ、まだ生きてたのか!?」
「あたしたちだって止めを刺してきたわけじゃないからね。あの後、あたしたちの邪魔ばかりしてさ。何度あの時止めを刺して来ればよかったと思ったことか分かったもんじゃないわ。特に今回は……ね」
「前から粗暴で強欲で手段を選ばない奴だったが、とんでもないことになったもんだ」
 ため息をつきながら秀樹が言う。
「涼殿、恭殿の話から考えてあの羅刹は人の多い街道沿いのこの町を通りさらに人の多い三巨都、果てはリューシャーを目指すはずだ。それだけは絶対に避けなればなりません」
 深みのある響く声で警備隊長が言った。どちらがどちらの町の警備隊長なのかを聞いていないことに泰造は気が付いた。まあ、どっちでもいい。
「煉次の野郎のふてぶてしい性格から考えて街道を堂々と通っていくはずだ。砂漠を突っ切っていくなんてあいつはやらねぇ」
 秀樹の言葉に賛同するように美月も頷いた。
「奴は今メディッヒの町に潜んでここを襲う機会を窺っているのだろうと思われる。この町にはまだ避難できていない人たちも多数逗留している。彼らのためにもこの町に来る前に奴を止めなければならない。よって、この町を我々の拠点とし、メディッヒにつながる街道上で煉次を拘束、羅刹を退治する作戦で行こうと思う。皆さん、……泰造さん。異存はありませんか?」
 かなり泰造を頼りにしている警備隊長。いや、警備隊長だけではない。この間まで泰造と軽口をたたきあっていた秀樹や美月でさえも今は泰造に一目置いているのだ。
 泰造は無言で頷いた。
「で、どうするんだ?相手が羅刹となりゃ俺たちだって食い止めることしか出来ねーぞ。頼りは恭だけか?」
「その点なら任せてくれ。俺たちのほうからも聖職者を一人紹介させてもらう。こいつだ」
「こいつとかいうな」
 秀樹に促され、ふて腐れながら立ち上がる若者。
「画術師の一馬だ。画術師ってのがどんなのかはこいつが自慢げに語ってくれるだろうよ」
「よせっての」
 一層ふて腐れる一馬。
「画術師って言うのは、言ってみれば魔法陣なんかの使い手だ。そちらには言霊使いのお姉さんがいるが、言霊使いが言葉に秘められた力を大きく引き出すように、画術師は絵や図形なんかの力を大きく引き出す力ってわけだ。魔法陣はそういった図形の中でも特に大きな力を持っていて素人でも書くだけでそれなりの力を引き出せるが、俺はさらに強く引き出せる。そして俺の書いた絵は、たとえ落書きでもかなりの力を持つ。すごいだろ」
 言いながら、どんどん顔が朗らかになっていく一馬。
「な、自慢げだったろ」
 にやりと笑う秀樹、またふて腐れる一馬。
「作戦としては大体こんな感じだ。街道上にこっそり聖水を使って魔法陣を描いておく。見た目だけじゃ分からないだろう。その中に煉次が入るのを待つか、誘い込む。そうすりゃ魔法陣で羅刹の力はかなり抑えられる。うまくすりゃまるっきり無力になるかもしれない。そこで煉次を取り押さえ、羅刹を引き離す。これは言霊使いさんにお願いしてある。問題は羅刹の処分だ。煉次をひっつかまえてもまた誰かを見つけて騒ぎを起こすに決まってるからな」
 説明する秀樹に一馬が割り込む。
「羅刹は黄泉から来たらしいからな。この世界の人間は黄泉の住人には直接手出しは出来ない。たとえ俺たち聖職者でもな。痛めつけることくらいは出来るが、とどめは絶対に刺せない。羅刹のほうも同じようなもんだ。だからこそ人を唆してそいつにこっちの人間を殺させているんだ。出来ることといえば封印するか、黄泉に送り返すこと。ま、ここは俺に秘策がある。任せてくれ」
 自慢げに一馬が言う。
「じゃ、俺たちは何をすればいいんだ?」
「最初の魔法陣に誘い込むところと、煉次って人を取り押さえるところ。後は……不測の事態のとき」
 泰造の問いに恭が答えた。
「大掛かりな作戦を準備する時間もないし、結局は俺たちの動きにかかってるってことさ。羅刹がこちらの目論見に気付いた時は力ずくでも魔法陣に叩き込まなきゃならないしな」
「そうか、なるほどな……。よっしゃあ、やってやるぜ!今度こそあの化け物野郎とケリをつけてやる!逃がさねーぞ!」
「おーっ!」
 泰造の言葉に全員が手を振り上げて応えた。
 多くの罪無き命を奪って行った羅刹との最後の決戦がまもなく始まろうとしている。

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