賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾伍話 新たな宿主

 憎しみのために人の命を奪おうとする者がいる。
 欲を満たすために人の命を奪おうとする者もいる。


 隆臣たちを襲った賞金稼ぎは、捨て科白の通り諦めてはいなかった。隆臣たちのキャンプの見える岩陰に身を潜めていた。
 このまま夜を待ち、闇に紛れて忍び寄るつもりだった。しかし、相手は物陰に潜んでも気配を感じ取ってこちらの居場所を探り当てるような相手だ。賞金稼ぎも攻めあぐねていた。
 寝静まるのを待ち、取り巻きの首を切り落として素早く逃げる。隆臣の読んだとおり、そのつもりでいた。
 そして、そのとおりに動いていたならばそれを読んでいた隆臣たちに返り討ちにあっていただろう。
 辺りは遠くに見えるキャンプの炎と、空の糸月と数多の星々を除いて闇に覆われていた。
 砂塵混じりの風の吹き抜ける音が辺りの寂寥感を際立てる。気配を消して近付くにはぴったりだった。
 その闇の中から何やら身の毛のよだつような不吉な気配を感じた。
 賞金稼ぎは歴戦だが、その卑怯なやり口と冷酷さでのし上がったようなものだ。隆臣のように気配を探り当てたりと言った芸当は得意ではない。
 しかし、その気配は感じた。どんなに鈍い人間でも、これ程強烈な気配の相手ならばその気配に気付くのではないか。
 賞金稼ぎは思わず剣を抜き振り返る。そこには小柄に見える人影が見えた。まじまじと見ればなぜ小柄に見えたのかがすぐに理解できた。在るべき場所に存在しない頭の分、背が低く見えるのだ。
 生きているはずの無い首無しの体が立っている。どう考えても相手は人間ではない。賞金稼ぎは恐怖を覚えた。自分が賞金稼ぎを名乗り始めてからは感じたことのなかった恐怖を。
"汝がいくら我に刃向かおうと我には勝てぬ"
 聞こえてきたのは声であって声ではなかった。相手が人知を超えた存在であることを悟った。しかし、その人知を超えた何かが自分の悪行を戒めに来た、とは到底思えなかった。何せ見た目があまりにも禍々しすぎる。
"汝は力を欲しているな?我は羅刹、我が力は殺戮の力。欲深きものよ。望むなら我が力、汝に貸し与えよう"
 羅刹は首を失った豪磨の肉体を操りこの砂漠にまで来たのだ。リューシャーでは人目が多すぎて思うように動けない。そして、平和で堕落しきったリューシャーには羅刹の求める殺意に満ち満ちた人間を見つけることができなかったのだ。
 元の宿主だったおかげで多少はましだったとはいえ、実体を持たない羅刹にとって、この世界の物体である豪磨の肉体を自らの力で動かすのはかなりのエネルギーを要する。そのエネルギーを得るために道すがらに幾人もの命を奪ってきた。
 隊商たちが泰造に言っていた命だけを奪っていく賊とは羅刹のことであった。死した肉体を操るには、恐怖や絶望の生み出す負のエネルギーではなく、生者の持つ生命エネルギーが必要になる。羅刹にとってここまでの旅路は時間こそ短いものの過酷な旅路でもあった。何時、生命エネルギーが尽きて豪磨の肉体が唯の死体に成り果てるか分かったものではないのだ。
 これほどまでに過酷な旅路を経てでもこの男の前に姿を現したかったのは、遠くの地からでもこの男の持つ欲望とそのためには殺戮さえも厭わない、むしろ血を好む性を感じ取ったからであった。
「殺戮の力だと……?」
 賞金稼ぎは少なからず興味を覚えた。それを悟った羅刹はさらに続ける。
"汝も賞金稼ぎを名乗るならば聞いたことがあろう、悪名高き殺戮魔、豪磨の名を。彼奴に力を貸し与えたのは我だ。幾百もの兵をたちまちの内ににねじ伏せたこの力、欲しいであろう?"
 羅刹の言葉に賞金稼ぎは打ち震えた。確かに豪磨の噂はこの辺境の地にまで轟いていた。その恐るべき力が手に入るかもしれないのだ。
 だが、それだけの力を得るのだ。それなりの代償も払わされてしかるべき。命の一つも差し出さねばならないのではないか。現に今、その豪磨は捕らえた者がいるという噂もなく姿を消した。手配書さえ剥がされている。兵卒に捕らえられたか、あるいは野垂れ死んでいるのを見つけられたか。一晩で街を壊滅させるような奴だ。兵卒ごときにに捕らえられたとは考えにくい。では、野垂れ死んだとすればなぜか。この羅刹とやらに取り殺されたとは考えられないか。そう思うと、なかなか受け入れる気にはなれない。
 羅刹はその心を読み取り、豪磨の死の顛末を語り出した。豪磨が宿命の敵たる人物に挑みかかったこと。そして、その人物が強い負の力を秘めていたこと。
"汝が狙っている賞金首、其奴こそその男だ"
 賞金稼ぎは息を飲んだ。
"聴け、欲深き者よ。彼奴の力は闇の力、我が力もまた闇の力。彼奴を越える力を得ねば我が力は彼奴には届かぬ。我が力の源は我の宿りし刃にてもたらされる死の恐怖、死の絶望。刃を染めた血の分だけ我が力は強まる。我が力を得れば刃は鋼をも切り裂く力を、肉体はいかなる刃も寄せ付けぬ障壁を得るであろう。代償はただ一つ、我の宿る刃に血を吸わせること。それだけで汝は大いなる力を得るのだ。そしてその力は汝に大いなる富も、悪しき名声も与えよう。汝の心の内には殺戮の衝動がたぎっておる。その汝の衝動を思うままに走らせればよい。悪い取引ではあるまい。どうだ、我の力を得ては見ぬか?"
「つまり殺しまくるだけでいいんだな?」
"そうだ。今まで通り、な。我が力を欲するならば汝の持つ得物を差し出すがいい"
 賞金稼ぎは躊躇う事なくその剣を差し出す。辺りを包んでいた邪悪な物が自分の体に流れ込んでくるのを感じた。目の前に立っていた首の無い体が、糸の切れた操り人形のように倒れる。
"我が力は汝の物となった。汝の振るう刃を阻む物はないだろう。汝の肉体を侵す物もないだろう。思う存分殺戮の限りを尽くすのだ!"

 隆臣たちはアコーを離れ、東の港町メディッヒを目指していた。アコーより西はより砂の深い大地、訪れる者もほとんどいない。
 メディッヒは定期船の寄港地でもあり、多くの隊商が行き交う南の街道の通る町でもある。隆臣たちは街道沿いにキャンプを張り隊商を狙うことにした。
 旅立つ隊商は朝早く出発し、隣の町から来る隊商は日が傾きかけてから通りかかる。つまり、昼間はまったく暇なのだ。そこで、その間は龍哉たちのたっての頼みもあり、街に繰り出してナンパ三昧となるのである。
 意外にも、隆臣はやる気満々だった。ちょっとでも気に入った娘がいるとすぐに声をかける。少し言葉を交わし、打ち解けてきたところでおもむろに手を握り耳元でそっと愛を囁くとそれこそイチコロである。龍哉たちもその手法を取り入れてみるのだが、手を握ったところでビンタが飛んできて今までの苦労が水の泡になってしまう。
 確かに龍哉は手配書にもスケベ面と書かれてしまうくらい下心見え見えの顔で迫っているのでやむをえない。しかし、龍哉もそのにやけたスケベな表情をどうにかし、相手にまじめに接すればもう少しましな結果を出せるだろう。決して顔は悪くないのだから。
 隆臣のナンパがうまくいく理由はまだほかにもある。狙う相手だ。
 隆臣は龍哉たちに比べるとだいぶ若い。まだ子供と言ってもいいほどだ。当然、狙う相手もそれに見合った年頃になる。まだ初な少女たちはそんな積極的な誘いに慣れていない。手を握られることさえいまだ未経験であることもざらだ。だからこそ、初めての体験に心ときめかせ、瞬く間に虜になってしまう。
 一方、龍哉たちは派手目のタイプを狙っていくのでもう相手も百戦錬磨なのだ。手強くて然りである。
 結局、隆臣は日暮れまでに二人を口説き落とし一人とお茶を飲んで語り合い、もう一人とは海辺で夕日を見ながら語らい、最後に口づけを交わし別れた。龍哉たちのほうは何人かが一人ゲットできたくらいでほとんどが無残な結果となった。
「お頭もなかなか隅に置けないじゃないっすかー。うりうり」
 自分はまったく成果が上がらなかった僻みも込めて龍哉が隆臣を激しく突っつく。隆臣は嫌がりながらもまんざらでもない表情だ。
「ちょっと前まではナンパの仕方もわからなかったなんて信じられないよな」
「うんうん」
「しょうがねーだろ、今までは人を見かけたら逃げるような生活してたんだから。俺の育った村はやたら女ばかりの村でな、数少ない男は何人も嫁を取ってその人数がそのまま身分になるような所だったんだ。そこで仲良くなった女を口説き落とす方法は教わってたんだがな、どうすれば仲良くなれるのかがわからなかったんだ」
「……お頭。故郷を離れ辛い旅路だったでしょう。そろそろ、一度帰ってみたくはありませんかい?」
 龍哉はその女だらけの村に行きたいのが見え見えだ。
「残念だがもうその村は無いぞ。……月読にとっくの昔に滅ぼされている」
「うおおおおおぉぉぉ!ゆ、許せん月読!俺は今決意を新たにしたあぁぁっ!クーデターだ!月読の野郎を絶対必ず追放してやるううぅぅ!」
 猛烈にいきり立つ龍哉たちとは対照的に隆臣は暗い表情になった。しかし、気持ちは龍哉たちと同じだ。月読は許せない。その理由は龍哉たちのようなものではなく、もっと深いところにあった。

「そうか、行っちまうのか」
 荷物をまとめている秀樹と美月に泰造が言う。
 盗賊がメディッヒに出たというのはアコーにもすぐに伝えられた。それを追って二人も旅立つというのだ。
「坊やたちも船に乗ればメディッヒに寄ることになるでしょ。もっとも降りて盗賊退治できるほどの余裕は無いだろうけどね」
 美月の言葉に泰造は口を尖らせる。
「坊やは止せって言ったろ。あっちから帰ってきたら手ぇ貸すぜ。タダとはいかねーけどな」
「いらねぇさ。それまでに片つけちまうからよ。往きじゃ難しいかも知れねぇが、帰りの船に乗ってきた時ゃ、もらった賞金見せびらかしてやるぜ」
 秀樹はにやりと笑う。その言葉に泰造見意味深なにやけ顔をする。
「見せびらかすだけってか?」
「ま、気分も良くなってるだろうから飯くらいはおごっちまうかもな」
「そうこなくっちゃなぁ。楽しみにしてるぜ。ま、もたついて賞金山分けになったほうがうれしいけどな」
「そうは行くか。よし、ぐずぐずしちゃいられねぇぜ。急いで賊の首を挙げてこねぇとな」
 まとめ終わった荷物を担ぎ、夕日に背を向けて砂驢駆鳥を走らせる二人の影に手を振った。
 泰造たちも翌日の船で出発する。物取りの一団はメディッヒに行ったがまだ命だけを奪っていくという賊の動きは知れない。隊商たちもまだ気は抜けない。最後の一夜だが気を引き締めてあたりを警戒する。
 結局、その夜は何事も無く静かに過ぎていった。

 翌日。港は今までに無い混雑を迎えていた。
 盗賊の出没を受けて南の陸を目指す者、三巨都までの道のりを陸路を避けて海路で進む者。
 思惑は違えど船を使おうという隊商は多く、船はすぐに満員となった。おかげで出航を見送らざるを得ない隊商も出てきたが、泰造たちが雇われていた隊商は早々と船に乗り込んでいたので問題なかった。
 出航を告げる二度目の鐘が鳴り、船がゆっくりと動き出した。
 沙希は大きな船に乗ったのがよほど嬉しいらしく甲板ではしゃぎ回っている。この様子だとすぐに酔うだろう。
 このあたりの海はほんの数年前までは涸れ谷だった。大きな大地の裂け目は深い谷を形作り、大量の砂がその谷を埋め尽くし大きな窪地になっていた。雨の多い季節には砂が飲みきれなくなった水が砂の表面まで達し、所々に川や湖が出来るのだ。そして、雨が少なくなるとまた元の砂だらけの土地に戻る。
 あの頃の荒れ果てた涸れ谷の姿は今は無い。砂は陸に打ち寄せられ美しい砂浜を作り、遠浅の海は淡いエメラルドブルーを湛え水平線まで続いている。泰造でさえ見とれるほどの美しさだった。沙希が遮二無二はしゃぐ気持ちもわかる。
 案の定あっさりと酔った沙希も日が傾く頃には揺れにも慣れたのかまた甲板に出てきた。
 船の中では久々に一堂に会した隊商たちがまるでパーティのように騒いでいる。盗賊騒動で商売どころじゃないところに、大きな出費までして船に乗ったのだ。破れかぶれというか、船賃分くらいの元は取ろうと目一杯楽しんでいるのだろう。このペースがずっと続くとは思えない。
 その騒ぎから逃れるように泰造も甲板に出ている。まだ船酔いの残る沙希もこの騒ぎでは堪らなかっただろう。
 船尾に立ち、沈み行く夕日を眩しそうに見つめる沙希。
「きれいだね」
「だな」
 沙希の言葉に泰造は短く答えた。
 太陽はゆっくりと水平線に沈み、星空が緞帳を下ろしたように空を覆い尽くしていく。その境界は融けあうように群青の翳をはらんでいる。
「そろそろ飯の時間だぞ」
「だね」
 二人は船内へと入っていった。

 食事の時間、というものはあってないようなものだった。
 隊商たちは売り物である食料を広げ隊商同士で売り買いしている。船専属のコックなどいなくてもよいのだ。普段もこの船の利用者は主に隊商だ。旅人がいれば喜んで食料を売っているという。
 泰造と沙希もそこら辺にいる隊商から料理を買って食べ歩いた。まるで祭りの出店のようだ。
 沙希もすっかり食欲が戻ったようだ。結構立ち直りが早い。
 一通り食べ終わったものの、まだ食べたいような、でもかかる金のことを考えるともう食えないかな、などと泰造が考え込んでいる間に、沙希がいなくなっていることに気付いた。
 独りにしておいても別段心配ではないが、することも無いので探してみることにした。
 ホールにも船室にも見当たらなかった。さすがに泰造もだんだん不安になってきたが、甲板に出てみるとすぐに見つかったので少しほっとする。
「こんなところで何やってんだ?下のほうが賑やかだぞ」
「賑やかって言うか、ちょっと騒がしくてさ」
 沙希は星空を見上げた。泰造もそれに倣う。澄み切った星空だった。
 空を覆う星と月、船の灯り以外にはあたりには何も無い。遠く見える岸にも灯りは見えない。
「寒くないか?」
 泰造の問いかけに沙希は首を横に振った。元々北国生まれの沙希にとってこのくらいの寒さはどうってことは無い。むしろ昼間の暑さのほうが堪える。
 それでも泰造は上着を脱ぎ沙希に羽織らせた。沙希は少しどぎまぎした。別にいいのに、と言おうとした沙希はその言葉を飲み込む。
「うーわ、さむっ」
 沙希が前を軽く合わせ泰造にありがとう、と言おうとするが、泰造は風に吹かれていそいそと船の中に入っていこうとした。
「俺は先に風呂入ってっからよ。お前も風呂入れよ。風呂はタダらしいから」
 思い出したようにそう言い残すと泰造は船の中へと入っていった。
 泰造の上着には泰造の温もりと体臭が染み付いていた。まるで泰造に抱かれているような気持ちになった。

 風呂は大風呂だった。隊商の女たちに混じって風呂に入る。
 この間オアシスに浸かって以来の入浴なので体中念入りに洗う。あのあとすぐに砂嵐に巻き込まれたので、特に髪が砂だらけだった。
 沙希が風呂から上がり船室に戻ると泰造は毛布も被らず壁に寄りかかったまま寝こけていた。
 沙希は泰造に、泰造から借りた上着をそっと掛けた。そして起こさないようにそっと、さっき言えなかった言葉を囁いた。
「ありがと……」

 泰造が目を覚ますと船はすでに港に着いていた。体の上にかかっていた上着を、ああ、沙希が返してくれたんだな、などと思いながら羽織る。
 毛布に包まっていた沙希を揺り起こし、港に出た。波止場では秀樹と美月が待っていた。
「どう?船旅は」
「どうって言われてもなぁ。まぁ景色はいいかも知れねーな。あと隊商の連中は騒ぎすぎだと思う」
 その隊商たちは、ここで船を降りる者も多いらしく、荷物の積み下ろしに追われている。
「そっちの首尾はどうだ?手ごたえはあったか?」
「まだ着いたばかりだからなんとも、だな。昨日襲われた隊商があって話だけは聞いてみたけどさ。まぁ、町の近くで待ち伏せしてるってことぐらいしか分からねぇ」
 泰造の問いに答えたのは秀樹だった。
「今日はその隊商が襲われた所を中心に探ってみようと思ってるの。連中のキャンプくらいなら見つかるかもしれないからね。こんな見晴らしのいい砂漠じゃ隠れるところもそうそうないし、それにそう遠いところにも行かないだろうから」
「こりゃ、マジであっちから戻ってくる頃には捕まっちまってるかも知れねーな」
「できればそうしたいね。賞金山分けよかおごる方が安くて済むしな」
 しばらく立ち話した後、二人と別れた。そのままその盗賊のキャンプを探しに行くという。
 やがて、出港を知らせる鐘が鳴らされた。

 船はメディッヒの港を離れた。航路は昨日よりも海岸沿いを通っている。
 メディッヒは比較的大きな港町だ。そして、次の寄港地であるシーカーは『人の領域』と『死せる大地』の境界上にあるさらに大きな町である。そして、その向こうにはもう三巨都があるのだ。
 メディッヒとシーカーを結ぶ街道はアコーとメディッヒを結ぶ街道よりもはるかに栄えている。このあたりはまだ砂漠に飲まれていないためだ。人工物のまばらだったアコー方面の街道に比べると建物がだいぶ多い。漁村らしい集落や宿場が見える。
 シーカーの港に着くと多くの隊商が船を降りていった。三巨都に最も近い港町なので三巨都を目指す人たちがみなここで降りる。そして、降りた以上に多くの隊商がここで乗り込んできた。
 この船はこのまま南の陸を目指して進んでいく。盗賊の噂はすでにこのあたりまで流れているのだろう。盗賊を避けたい隊商たちがやはり南の陸に向かおうとしているようだ。
 船はここで一度外洋に出る。内海は特に浅く干潮時と満潮時で海岸線がだいぶ移動する。そのため内海の沿岸には港が作れない。そこで外洋に港町が作られた。
 シュモートの港町。といっても大きな町ではない。ここは停泊するだけの港。降りる者も乗り込む者もいない。わずかに住まう人々が船に乗ってきた隊商から買い物をしに来る。漁師たちが採れたばかりの海産物を売りつけに来る。それだけの町だ。この港で船は満潮を待つ。満潮の間に浅い海を越えて内海に戻る。潮が引くと陸地になってしまうためだ。
 このシュモートを出港すれば次は泰造たちの降りるルトの港である。

 泰造たちがのんびりと船旅を続けているその頃、秀樹と美月は盗賊たちのものと思われる真新しいキャンプ跡を見つけていた。
「見ろ、奪ったものがそのままおいてあるぞ。ってことはこりゃぁ、この場所に戻ってくるな」
「そうね。待ち伏せて一網打尽にできるわね。問題は相手の数かしら。結構多そうだし、二人じゃ手に負えなそうなら応援を呼んでこなきゃ」
「数だけじゃないぞ。少なくとも一人、とんでもないのが混ざってる。おそらく首領格だと思うが俺と隊商の腕利きの二人掛りでどうにか押した感じだった。俺一人じゃとても敵いそうにない」
「自称無敵の秀樹様にしちゃえらく弱気な発言じゃない。それじゃ、連中の顔を確かめたらひとっ走り応援でも呼んできましょうか」
「ああ。そうだな、そっちの岩場にでも隠れてるか」
 キャンプから離れた岩場に身を隠す二人。日が傾き、夜といってもいい時間になった頃ようやくキャンプに向かう人影が現れた。
 遠い岩場の陰からなので顔までは見えないが結構な人数だ。運び込まれた荷物の量から見て今日の仕事もうまく行ったらしい。
「見ろ、あそこに座っているやつを。俺がやりあったのはあいつだ」
 秀樹の指す人物を目を凝らしてみる美月。小柄な影だ。
「間違いないの?」
「間違いねぇ」
「決まりね。今夜奇襲をかけましょ」
 夜の闇に紛れて二人は町へと戻った。そして、その闇がさらに深くなり人々が寝静まるころ、彼らの率いる警備隊の一団が密かに動き始めていた。
 二人はすでにこのあたりではちょっとした顔である。警備隊の一団を動かすのにそう苦労はしなかった。
 三方向に分散し、キャンプを取り囲む。寝込んでいるところを一気に襲う。作戦は順調に進んでいた。ここまでは。
 周囲を取り巻く不穏な空気に隆臣が気が付き目を覚ましたのだ。

「おい、お前ら、起きろ!」
 隆臣の一喝で子分たちは一斉に目を覚ました。
「取り囲まれたようだ。こうなったら一点突破するしかない」
「ま、まじっすか」
 隆臣は気配を探る。包囲は三方。寄せ集めの集団らしく戦い慣れた連中では無さそうだ。が、その中に紛れるように不自然な気配を感じた。極限まで気配を押し殺している。この中ではなかなかの使い手らしい。二つの集団に一人ずつ。この様子だとその気配を感じない一方を突破するのがよさそうだ。
「行くぞ。俺について来い。一気に押し切り突破する。後ろから来る連中に追いつかれる前にだ」
 そういうと隆臣は剣を抜き闇に向かって駆け始めた。龍哉たちもそれに続く。不意を食らった敵は迎え撃つことさえもままならず泡を食うばかり。
 隆臣がその集団の中を一気に駆け抜けた。その通過線上にいた警備隊員たちはばたばたと倒れていく。残った隊員も龍哉たちに一人ずつ叩き伏せられていく。
「止めは刺さなくていい、動きだけ止めれば十分だ!追っ手が来るぞ!急げ!」

「ちっ、感づきやがった!」
 突然動き出した隆臣を見て秀樹は歯噛みした。
「行くぞ!!逃がすな!」
 号令の元、包囲が一気に狭められる。しかし、すでに包囲は突破されていた。
 秀樹たちはその後を追うが距離はだんだん離されていく。
 その秀樹たちの前に影が立ちはだかった。
「誰だ!」
 足を止める秀樹。もはや間に合いそうもない。
「悪いな、あいつらに先に手を出したのはこっちなんでね。横取りは困るぜ」
 その声には聞き覚えがあった。秀樹も、美月も。
「煉次!」
 声をそろえてその名を口走る二人。
「てめぇ、また俺たちの邪魔をしに来たのかよ!」
 いきり立つ秀樹。煉次はへらへらと嗤っている。
「分かんだろ?あいつはおめぇらにゃ無理よ。数で勝負したみてぇだが、あっさり破られちまってるじゃねぇか」
「だったらあんた一人でも到底勝てるわけないでしょ。あんたのほうがよっぽど邪魔よ、どきなさい」
「へっ、俺様はな、今までたぁちっと違うんだよ。それを見せてやんぜ」
 煉次は剣を構えた。秀樹と美月も剣を構える。その二人の間を突っ切り煉次は駆け抜けていく。そして。
「ぐあっ!?」
「ぎゃああぁぁ!」
「うわあっ!」
 振り返ると、後ろに控えていた警備隊が次々と倒されていた。
 武装した警備隊を一太刀で数人まとめて薙ぎ倒していく。見る間に警備兵たちの死体の山が出来上がる。
「なんてことを!」
 秀樹は煉次に斬りかかった。その剣は確実に煉次を捕らえていた。しかし、剣はまるで見えない鎧に阻まれたかのように煉次の寸前で止まる。
 煉次は秀樹のほうに目を向け、にやりと嗤う。その隙に残された警備隊員たちは一斉に逃げ出した。
 向ける相手のいなくなった剣を秀樹に向ける。美月は我武者羅に煉次に飛び掛った。振り下ろした剣を煉次の剣が受け止める、と見えた。が、美月の剣は振り抜かれた。そして、自分の剣を見て美月は愕然とする。剣の刀身が半ばほどから失われていたのだ。
 攻撃の手段をなくした美月は蒼ざめながらじりじりと後退する。秀樹はそこにもう一撃を加えようとするが、やはり攻撃は寸前で止まってしまった。
「どうやら手詰まりのようだな、お二人さん」
 煉次はただでさえにやけた口元をさらに吊り上げた。
「どうなってやがる……!」
 秀樹ももはや下がるしかない。
「俺様にゃ守り神が付いてるのよ。俺様にお似合いのとびっきり邪悪な奴がなぁ。この剣に血を吸わせ続ければこの剣には斬れない物はない。俺の体にゃどんな攻撃も届きもしない。すげぇだろ?こんな夢物語みてぇな力が勝手に手に入ったんだぜ?」
 そういうと煉次は剣を収めた。
「ここであっさり殺しちまってもいいが、お前らにゃ俺様のこれからの活躍をじっくり見てもらうのも悪かねぇ。今の俺はすこぶる気分がいいんだ。今日の所は見逃してやるぜ。ついてたな」
 高笑いを残して去って行く煉次に、手も出せず二人は立ち尽くすしかなかった。

 自信たっぷりで出て行ったが連れて行った警備隊員から多数の死者を出し、何の成果も上げられなかった二人は、町の前で途方に暮れていた。これほどの犠牲を出してしまったことに責任を感じないわけはない。
 意を決して警備隊の事務所に入っていく二人を待っていたのは予想した罵りの言葉ではなかった。
「おお、無事だったのか!隊員から大体話は聞いている。とんでもないことになったようだな」
「隊員に多くの死者を出してしまい大変申し訳ありません」
 深く頭を下げる二人。
「過ぎてしまったことだ。それより、君たちが出て行った後に知らせが入ってな」
 その内容は想像を絶することだった。
「アコーの町がたった一人の男に壊滅させられ占領されたそうだ。市長を始め有力者は皆殺しにされた。自警団もまったく歯が立たなかったらしい。そしてその男の特徴が、まさに君たちを襲ったというその男なのだ」
「な、なんて奴だ……」
「……君たちはほんの少し前に北の大地からリューシャー近辺にかけて騒ぎになった手配番号三十九号・豪磨という男を知っておるかね」
「ええ」
「君たちがどのくらいまで聞いているのかは知らないが、その名を知っているなら一人で軍隊を全滅させ、幾つもの町を滅亡させたということは聞いているだろう。噂ではその男、羅刹という異界の怪物の力を得ていたとか。どうも私はその男と君たちを襲った男の手にした力というものが似ているような気がするのだよ」
『俺様にゃ守り神が付いてるのよ。俺様にお似合いのとびっきり邪悪な奴がなぁ。この剣に血を吸わせ続ければこの剣には斬れない物はない。俺の体にゃどんな攻撃も届きもしない。すげぇだろ?こんな夢物語みてぇな力が勝手に手に入ったんだぜ?』
 煉次の言葉が二人の脳裏をよぎる。
「その羅刹って化け物もまたたちの悪い奴を選びやがったもんだ」
「君たちはあの男のことを少なからず知っているようだが」
「こう言うのは吐き気がしますが……奴は俺たちの同業者です。煉次って野郎で、金のためなら手段を選ばない、賞金稼ぎなんて名ばかりのチンピラです」
 苦虫を噛み潰したような顔で言う秀樹。警備隊長は髭だらけの顎をさすりながら少し考え込み、低く言い放った。
「……その煉次という男を緊急手配しようと思う」
「……いけません!」
 少し考えて美月が言う。
「なぜだ?」
「手配などすれば金に目の眩んだ者たちが挑みかかりかねません。注意を促し、できれば避難を求めるべきです。戦ってみて分かりましたが、あの男には手も足も出せません。鎧でさえ意味をなさず、攻撃も通用しない。放置はできませんが手出しするのは逆効果です。対策が立てられないうちは、奴を見たら逃げることしかできません」
 止めていた顎をさする手を再び動かしだす警備隊長。この人の考え込む時の癖だ。
「そうだな、豪磨のときも通常の軍隊で返り討ちにされたのだった。下手な手出しは無用か」
 暫し、沈黙。
「噂では、豪磨を後一歩というところまで追い詰めたというウーファカッソォ包囲作戦の指揮を取った男が、リューシャーから西に向けて出発したと聞いた。奴を追っているのかも知れん」
「……その人は今どこに?」
「あいにく、旅立ったというのは噂でしかないのだが……。私も治安を受け持つものとしてその作戦の話は小耳にはさんでいる。何でもその指揮を執ったのは君たちと同じ賞金稼ぎだったとか。もしかしたら君たちなら名前くらいは聞いたことがあるかもしれない。確か名前は泰造殿といったはずだ」
「……へ?」
「泰造……君?」
 どう考えても、二人の頭にはあの泰造しか思い浮かばないのだった。

 隆臣たちは街道を離れていた。しばらく食い繋ぐだけの稼ぎはあったし、ああも度々狙われていたのでは堪らない。
 街道を離れるとほとんど町もない。ようやく見つけた町ではただの旅人の振りをして買い物をしたり、ナンパをしたりと久々に羽を伸ばしていた。
 このまま、ほとぼりが冷めるまで目立たないように時がたつのを待つことにしたのだ。
 隆臣たちの行方が分からなくなったことで煉次もする事が無くなっていた。
 住人を皆木濾紙にして占領し、すでに自分の町となっているアコーへと戻っていた。
 生かしておいた住人たちの多くは逃げたようだったが、まだ残っているものもいた。あいにく、逃げる気力もないような老いぼれか両親を亡くして途方に暮れている孤児ばかりだった。
 役立たずばかり残りやがって、と小さく呟く煉次。こんな連中では、せいぜいこの剣に血を吸わせることにしか使えないではないか。
 そして、静まりかえったアコーの町の、その中でも一番大きな市長の屋敷で、この町の富豪どもから奪った財宝を部屋一杯に敷き詰めてその中に埋もれて高笑いする煉次。
 金輪際金になんざ困らねぇ。金ならいくらでも奪える。盗賊といわれ、命を狙われても構うものか。俺様の命は誰にも奪えねぇ。
 他に誰もいない屋敷に、欲に塗れた殺戮者となった煉次の笑い声だけが響いた。

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