賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾参話 次なる旅立ち

 一つの所に留まりたがる人もいる。
 そして、流転を求める人もいる。

 リューシャーの町角に新しい指名手配のポスターが張り出された。
 もともと張られていたポスターが剥がされ、そこに新しいポスターが張られている。同じ人物に対する指名手配書だったが、手配内容が変わっている。
 目に付くのは賞金額だった。一生遊んで暮らせる。まさにそんな金額だった。そして、捕獲条件が生死問わずから生け捕りのみになった。殺害の際は厳罰す、と書かれている。賞金額が途方も無い額だけに、その厳罰は想像を絶する物になるだろう。月読のことだ、街の一つも焼き打ちにしかねない。
 手配されていたのは四十七号、隆臣だった。

 泰造ももちろんその手配書を目にすることになる。その途方も無い金額に驚いた。
「俺は長いこと賞金稼ぎやってるけどよ、ここまで馬鹿高い賞金はお目にかかったことはねーな」
「豪磨やっつけたからかなぁ」
 沙希の言葉に泰造はかぶりを振る。
「んなわきゃねーぞ。あれだけのことやらかしゃ英雄だろうが。掛かってた賞金なんざ帳消しだろうよ」
「英雄だから探してるって事じゃないの?」
「それはねーだろ。そうならこんな手配書じゃ無くもっと違う探し方するさ。この手配書は生け捕りにさえすりゃどんなに痛めつけてもかまわねーってことだろ?褒美の一つもくれてやろうって言うならそんな探し方するわきゃねー」
「それもそうだね。じゃあさ、何でこんなに賞金懸かったんだろう?」
「さぁな……。何かとんでもないことをやらかしたって事だろーが……」
 しかし、何をやらかしたところでこの賞金の額は異常だ。あの豪磨でさえ、賞金額はどんどん上がり、まさに破格の賞金額だったがそれでもこの隆臣に掛けられた額には遠く及ばない。
 一体どうすればこれだけの賞金が懸かるのか。泰造は賞金そのものよりそちらの方が無性に気になるのだった。

 リューシャーの街は様々な文化とともに流行の発信地でもある。通りを歩けばきらびやかな服を纏った娘たちが行き交っている。そうすれば放っておかないのは男たちだ。
 まして田舎を飛び出してナンパ旅行に繰り出した龍哉は放っておくはずも無い。しかし、ナンパする相手を選ぼうにも魅力的な子が多すぎる始末だ。
 いつもは二、三人のグループに分かれてナンパに繰り出すのだが、今日は一人ずつめいめいにナンパすることになった。
「ナンパって、何をすりゃいいんだ?」
 隆臣の質問は、勝率二割未満とは言え百戦錬磨の龍哉たちにも意表をついたものだった。
「何って……。そりゃぁかわいい子を見つけたら声を掛けて脈があったら口説き落とす訳だが」
「声を掛けるって言うとどんなふうに?」
 仲間の一人がいつもの言葉を言う。
「ヘイ彼女、お茶しない?」
「今時そんなナンパに引っ掛かる奴いるのかよ」
「じゃあお前はなんて言って口説いてるんだよ」
「ねぇ君かわいいね、俺と遊ばない?」
「そんなやる気満々の口説き文句もあったもんじゃ無いな」
「ああ、君はなんて美しいんだ!君の瞳のその輝きは険しい山の頂に咲く一輪の天星花(マンテ・アマナ)のように……」
「お前は田舎芝居の見過ぎだ」
「何か俺たちのナンパがうまく行かない訳が分かったような気がするよ。おまえらいつもそんなふうに声掛けてたんだな……」
 龍哉は呆れ果て、溜息を吐いた。
「それじゃ兄貴はどう声を掛けてるんです?」
「ん?そうだなぁ。相手にもよるけど最初はさりげなく近づいて道を聞いたりする訳よ」
「いい連れ込み宿を知らないか?ですかい」
「んな訳ねーだろ!当たり障りのないものだ。市場とかな。ちなみにそういうものの場所はあらかじめ調べておくと。そんで狙った子が向かっている方向にあるものへの行き方を聞く訳よ。すると方向が一緒だからってんで少し話ながら歩きましょうってなる訳よ。その間楽しいトークで盛り上げて、目的地が近づいたら必殺技よ。“優しい君が好きになったかもしれない”ってな。知ってるか?相手が自分に好意を持っていると思うと自分も好意を持つようになるんだ。まぁ、それまでにいかに自分に興味を引き付けるかだ。うまく行ったらそのままデート突入、晩飯おごってその後はお楽しみってな」
「一見どこにも曇りの無い完璧な作戦っすね」
「それでうまく行かないのはその下心見えまくりの目つきのせいか……」
「うっせぇ!俺の目のどこが下心見えまくりなんだ?」
 子分に詰め寄る龍哉だが。
「そこに貼り出されている手配書見てくださいよ。しっかりと特徴のところにスケベそうな目付きって書いてあるじゃないっすか」
 手配書はさすがに公的な機関が発行しているのでそんな表現ではないものの、回りくどい言い方でまさにスケベそうな顔、と書かれていたりする。
「がーん。俺って世界中歩き回って、その行く先々でスケベな顔ですってポスター貼られてたのかよ!」
「俺の覚えてるか限りじゃこう書かれ出したのは割と最近だったと思うっすけど。三巨都あたりでナンパされたギャルがそう証言したんじゃないっすか」
「そ、そりゃぁナンパ中の顔を思い出しながら証言したそいつが悪い!」
「って言うかやっぱりスケベな顔でナンパしてるんじゃないっすか」
「うぐっ、そ、それはだな。……くっそー、どこのどいつだ、俺様の端正な顔にけちつけた奴は!」
「けちがつく顔だったってこってすよ」
「んだとぉ!?てめぇの顔なんざこうしてやるこうしてやるこうして……」
 顔の引っ張り合いを始める龍哉と子分。そんな二人が落ち着くまで暇な他の子分は手持ち無沙汰にしているしかない。
「お、新入り。お前のポスター新しくなってんぞ」
 ぼーっと指名手配のポスターを眺めていた子分の一人がそれに気づく。そして当然書き換えられた新しい賞金額にも自ずと目が行くというものだ。
「うぉっ、なんだこの賞金額!」
 思いっきりでかい声を出す子分。それに釣られて周りにいた子分たちや龍哉もポスターに群がる。
「おおっ、マジですげー!」
「何やらかしゃこんなに賞金増えるんだ?」
「あのジェノサイダーより賞金多いってどういうことよ!?」
「桁間違えたんだろ」
 口々に騒ぎ立てる一行。隆臣だけ渋い顔だ。当然だが。
 そして、大騒ぎした結果人だかりが出来てしまう。そしてよくできた似顔絵のお陰で集まっている中に本人がいることにすぐに気づいた。
 手を伸ばせば届くところに一生遊んで暮らせるほどの賞金が懸かった人間がいるのだ。
「捕まえろ!」
「いや、俺のだ!」
「こっちのスケベ面も賞金首だ!」
 人々は争いながら隆臣に飛びかかってくる。隆臣は剣を抜き放った。隆臣を取り囲んでいた人々の輪が一気に広がる。
「浅ましい小市民どもめ……、その欲が身を滅ぼすということを知らしめてやる!」
 隆臣は狂犬のような獰猛な目で人々を睨む。
 不意に隆臣の腕を強く引くものがいた。取り囲んでいる人々には背を向けてはいないはずなのだが。慌てて振りほどこうとするも、相手が龍哉だと気づいた。
「かっこつけてねーで、とっととずらかるぞ!」
「あ、ああ」
 走り始める一行。隆臣の目の前にいた龍哉たちがどんどん離れて行く。隆臣も全速力で走っているにもかかわらずだ。
 振り返って見たが追ってくる者はいないようだ。丸腰で剣を持った相手を追うような無謀なことをする気はないようだ。所詮命が惜しい。脅せば欲に眩んだ目も覚めるというものだ。隆臣はそれをよく知っている。近づく者には牙を剥き、それでも逃げない相手は容赦なく切り捨てる。いつもそうして生きて来たのだから。

 結局ナンパ大会は中止になった。さすがにそれどころではない。一路アジトに引き返し、薄暗い中でぶちぶちとダベるよりほかにすることはない。
「それにしてもあの賞金はすげぇよな。何やったんだよ」
「別に何もしちゃいないんだがな。まぁ心当たりがない訳でもない」
「おおっ、なんだ?」
「悪いが……言えないな」
 隆臣の表情が険しくなった。一同ちょっとびびる。
「そ、そっすか」
「指名手配の罪状は窃盗と殺人っすよね」
 気が付けば子分は隆臣に敬語を使い始めている。
「ああ。生きるためには食わなきゃならん。働いて稼げる身の上でもないし、欲しいものがあれば盗むしかなかった。見つかれば逃げ、追ってくれば殺す。日々それの繰り返しだ。俺はあんたらみたいに逃げ足速くねぇからな」
「追って来ただけで殺すんすか」
「大体は剣を突き付けてやればしっぽを巻いて逃げるけどな」
 龍哉たちの引きつった顔とは対照的に隆臣は寂しげに微笑んだ。
「ワイルドな少年時代を送ってるっすね」
「ワイルド、か。そうだな、俺の生きざまは野生の獣に似ているかもしれないな。やっぱり人里は性に合わない」
「いずれにせよ、このままここにはいられないっすよね。田舎に逃げます?」
 考え込む龍哉たち。
「あんたらには関係ない、俺一人消えればいい」
 無表情に隆臣は言った。そんな隆臣の方にいつもと変わらないにやけた顔で龍哉が手を置く。
「水臭いこと言うなよ、仲間じゃないか」
「っていうか、つるんでいるところ思いっきり見られているから俺たちもただじゃ済まないっす」
 隆臣は顔を曇らせた。
「巻き込んですまない」
「だから水臭い事言うなって」
「それはそうと、北の方に逃げるつもりならやめておいた方がいい。少なくともオトイコット辺りまで逃げないと連中からは逃げられないだろう。そこまでに関が二つもある。強行突破も出来るだろうが一つ目を抜ければ二つ目の関の警戒が強化されるだろう。それを避けるなら山越えだ。猛獣が野放しになっている険しい山を越えなきゃならないだろう。むしろここから逃げるならほんの目の前にあるトリト砂漠の方がいい」
「砂漠に逃げるんですか?死の砂漠だって聞いてますよ?」
「あそこはほんの数十年前までは普通に人が住んでいたところなんだ。今でも小さな町はいくつもある。街道も通っているし、そこには商人も通りがかる。当然不自由あるがは生きて行くには十分だ。そして居心地のいい都会に慣れた連中なら行くのを躊躇うだろう。たとえ俺たちのような逃亡者でもな」
「危険じゃないんですか?」
「危険は危険だが、ここにいるよりはましだ」
「でも町があるならナンパ旅行は続行出来るな」
「砂漠の熱い太陽の下、熱い恋の予感」
「そうだな。よし、野郎共!熱砂の中の愛のオアシス探しに繰り出すぜ!」
「おーっ!」
 龍哉たちのノリについて行けるか些か不安になる隆臣だった。

「往生際が悪ぃぜ、逃げられるとでも思ってんのかよ!」
 狭い入り口に陣取り金砕棒を振りかざす泰造。魚使いの一味を探して港を探っていた泰造は、そこでこそこそしている露骨に怪しい人影を見つけた。近づいて見れば案の定賞金の懸かった密売人で、港の倉庫に逃げ込んだのを追い詰めた形だ。倉庫に逃げ込んだということは魚使いの一味では無さそうだ。
「ここは俺が固めておくから引っ捕まえてきてくれ」
「うん」
 沙希は単身倉庫にもぐりこむ。どこの業者が借りているのか良く整頓された倉庫だ。仕事をするには良さそうだが身を隠すには向かない。
 相手は沙希の足音から逃げるように動き回っているようだ。追い詰められる場所がない以上このままでは延々といたちごっこが続いてしまう。
 沙希は弓に矢を番えた。威嚇用の鏑矢だ。
 荷物の並んだ棚の向こうを人影が横切って行く。沙希は素早く狙いを定め矢を放つ。当てるつもりはなかったが鏑矢の音にひるんだ男は動きを止め、脇腹に鏑矢がぶち当たった。慌てて逃げる男だが、あれは相当痛かったはずだ。動きは大分鈍るだろう。
 沙希は一気にケリをつけるために走りだした。相手の逃げ足は大分遅くなっている。走る男の足を狙いさらに鏑矢を放った。矢は見事に命中し男は足を引きずり始めた。こうなれば追い詰めるのは容易い。あっと言う間に距離を詰める沙希。
「このアマぁっ!」
 逆上した男は沙希に殴りかかってきた。避け切れずにまともに食らい吹っ飛ばされる沙希。
「いい気になってんじゃねぇぞ」
 形勢逆転して強気になった男は沙希につかみ掛かった。しかしこうなればこっちのものだ。
 男の腕をつかみ、男の勢いを利用してそのまま捻り倒して押さえ込んだ。だが男は力任せに振り払おうとする。力で押し返されそうになる沙希。
「調子にのってんじゃねぇぞぉ」
 ついに沙希は押し返された。が、そこで男はおとなしくなった。
「それはこっちの科白だ」
 応援に駆けつけた泰造が男の脳天に一撃食らわせたのだ。
 こうして男はあっさりと捕まり、泰造たちは賞金を手にした。
 リューシャーはとても大きな町だ。神王宮の周囲の治安はとても良いのだがダウンタウンに行くと治安は乱れている。スラムに至っては犯罪も何も野放し状態だ。政府は神王宮周囲の警戒に力を注ぎ過ぎ、周りが疎かになっている。
 そのため各地区の自治が共同で賞金制度を運営し、治安を賞金稼ぎなどに委ねているのだ。
 自治の手配した小口の賞金首はかなりの数いる。それこそ、こそ泥やケンカを起こした酔っ払いまで。その程度なら課せられる罰もそれほど重くはなく、説教されるかせいぜい数日牢屋に入れられるくらいだ。荒っぽい賞金稼ぎたちに叩き伏せられるくらいなら、自分から名乗り出た方がいい事が多い。
 中には、今泰造が捕まえたような割と重い罪を犯しているものもいる。また、賞金が懸かっていなくても現行犯で捕らえることも出来る。証拠や目撃証言などが必要にはなるものの、繁華街での酔っ払いの喧嘩を仲裁しただけでもそれが適用されるので賞金稼ぎにとっては稼ぎやすい町なのだ。その分競争も多いのだが。
 泰造は滞在していたここ数日でかなりの稼ぎを上げていた。一人では逃げられることも多かったが沙希との連携で効率よく捕まえられる。あがりが山分けで半分になるのはしょうがないだろう。
 ただ、狙いをつけている魚使いの一味に関しての情報はあまり集まってこない。港で働く人の話ではリューシャー近辺のみならず、大陸南部北岸の広い範囲で目撃されているらしい。よく見かけるのはリューシャー近辺なのでやはりこの辺りを拠点にしているのではないか、とのことだ。
 やはり危険を感じると海に逃げるやり方なので追跡もしにくい。自治なども情報を掴みかねているようだった。最初に目撃されたのは半年ほど前らしい。
 何をするにも情報が少なすぎる。もう少し情報が集まらないと行動が起こせない。港などで単独行動中を狙うのもいいが、海に逃げては追い様もない。どうにか本拠地を探れるまで手出しは出来そうもない。情報が集まるまでは時間がかかりそうだった。

「ええっ、行っちゃうの?」
 恭は驚いた。泰造がいきなりこの町を出発すると言ったのだ。恭と涼がこの町に住み着く決心をした矢先のことだった。
「ああ。金も貯まってきたし、例の魚使いの一味について他の町や村でも情報を集めてみたいしな。それに沙希が“死せる大地”にあった俺の故郷を見たいって言ってんだ。言い出すと聞かないし、一回くらい連れて行ってやりゃ、気も済むだろうからさ」
「そう。寂しくなるなぁ。あたしたち、つても何もないから泰造さん達だけが頼りだったんだけど」
「別にこのまま戻ってこねーわけじゃねーよ。ちょっと出掛けるだけさ。ここは賞金稼ぎは暮らしやすい町だしな。金に困ったら帰って来るだろ」
「いつ出発するの?」
「隣の漁村に明るいうちにつきゃあいいんだ、午後になってからでも間に合うだろうさ。今日中には発つつもりだ。延ばすと宿代も高いしな」
「出るときは声掛けて。お見送りするよ」
「ああ。沙希が買い物から戻ってきたら行くつもりだ。しばらくろくな買い物が出来ないって言っておいたからたっぷりと時間掛けて買い物するだろーよ。間に合わなくなるほどはかからねーと思うんだけど、どうだか」
「お兄ちゃんも呼んで来るよ。こんど借りることになったお店の下見に行ってるはずだから。本当は泰造さん達には内緒で驚かせるつもりだったんだけどこっちが先に驚かされちゃった」
「そうか。本当にこの町に居着くつもりなんだな」
「あたしたち、賑やかなところが好きだからね。他の風聞きの民はこういうところは苦手だから来たがらないだろうし」
「ここに住み着くんならたまに泊めてくれよ。高い宿代なんざ払いたくねーからな」
「うーん、お兄ちゃんにも聞いてみて。じゃ、お兄ちゃん連れて来るよ」
 恭はそう言い、急ぎ足で出掛けて行った。

 沙希は意外と早く帰ってきた。
 買ってきたのは服が中心だったようだが、おしゃれ着よりも厳しい死せる大地の旅に耐えられるような、丈夫で機能性の高い服を買ったので、選ぶのに余り悩まなかったようだ。
 そのお陰で昼食を四人で食べることが出来た。当分はこの四人が顔を合わせることもない。ちょっと奮発して料理屋の小部屋を借り、送別会のようなものを開くことにした。
 泰造はこの食事が終わったらそのまま発てるように荷物をまとめて来ている。もちろん沙希が今し方買って来た新しい服もだ。恭はその服を見ながら沙希としゃべくっている。
「うわー、こんなのもあるんだぁ。これがここらへんのはやりなのかなぁ」
「分からないけど気に入ったから買って来ちゃった。でもね、ここだけの話さっき鏡の前で前に当ててみたら何か釣り合わないのよね……。この地味な髪形に合わないのかも」
「それじゃ髪を縛るのにリボンを使ってみたら?そうだ、あたしのリボンあげるよ」
 リボンを解いて沙希に差し出す恭。
「えっ、でもそれお気に入りのなんでしょ?悪いよ」
「お気に入りだけど同じようなのたくさん持ってるから」
「じゃ、もらっちゃう。ありがと。早速着けてみるね」
 髪を解き、恭からもらったリボンで縛り直す。
「似合う?」
「似合う似合うー」
 正直、今着ている地味な服には似合っていない。
「こっちのは……水着?」
「うん。もう冬だけどこっちはあったかいし」
 まぁ砂漠なのだからあったかいというか暑いだろう。リューシャー近辺はまだ北方からの風で冬はそれなりに冷えるのだが砂漠付近に行くともはや北よりの風は南よりの風に押し切られ入り込んでこない。
「へぇ、結構思い切った水着ねぇ」
「そ、そうかな。だいぶおとなしいの選んだつもりなんだけど」
「こ、これで?」
「だってあんまり露出多いのは恥ずかしくて着けられないよ」
 今恭が手にとって見ている水着もちょっと恭には気恥ずかしいものなのだが。恭は自分ももう若くないのかな、などと思い始めている。
 実際のところは、沙希が何も考えずに入った店がたまたまそういう系統の店だったのに過ぎなかったりもするのだが。つまり、沙希の買って来た水着はその店ではおとなしめだが、世間一般から見ればきわどい方だった。
 そんなこととは露知らず、恭はリューシャーでの暮らしに早くも不安を抱き始めていた。

 これでしばらく会えないかも、と思うとなかなか別れられないものだ。恭と沙希の長話は延長戦にもつれ込み、満腹で居眠りを始めた泰造が目を覚ますまで続いた。泰造がいなくなったことで涼も自ずと長話に加わる。泰造もこの二人との旅も結構長かったのですっかり横で談笑されることに慣れており、眠りを妨げられることもなくなった。これで、不審な気配などには跳び起きられるのだから不思議だ。
 泰造が目を覚ましたのは日も傾きかけたころだった。出発にはちょっと遅いかもしれないが強行出来ない訳でもない。一番近い港町はここから歩いて半日もかからない。泰造たちの足でなら日没前にはたどり着けるだろう。
「気をつけてね」
 名残惜しそうな顔をする恭。
「お土産一杯買って来るからね」
「砂漠でお土産なんてあるかよ」
「土産話で十分だよ」
 泰造の突っ込みにフォローをいれる涼。
「死せる大地ってのは旅人もめったに行かないところだから噂も何もないっしょ。だから俺も何にも知らないんよ」
「俺もあっちに行くのは七、八年ぶりになるかな。大分かわっちまってるだろーからいろいろ見てみるよ」
 手を振り歩きだそうとする二人を恭が呼び止めた。
「待って、最後におまじない」
「おまじない?」
 恭は目を閉じ、祈りを捧げた。
「今は離れ離れになってもまたいつか会えますように。いつも風の噂の精霊が二人の噂を届けてくれますように」
「なんかもう会えないみたいだな」
「そうならないためのおまじないだよ。あたしたちの村では必ず旅立つ人達にこのおまじないをかけるの。あたしは言霊使いだから、おまじないも強力だよ」
「金が無くならないうちに帰って来るさ。俺たちが道に迷わないおまじないもかけておいてくれよ」
 笑いながら恭はおまじないをかけた。
「じゃあな。行くぞ、沙希。のんびりしてると暗くなっちまう」
 二人は急ぎ足で西へと向かって行った。

 夕日が水平線に沈もうとしている。そして、その夕日を背に小さな港町の影が平原に伸びている。
 リューシャーの隣の港町だ。遷都前は寂れた漁村だったが、急激に発展した。とは言え、元が小さな村だ。ようやく町と呼べる程度でしかない。若者達は歩いて半日ほどのリューシャーに流れてしまい、近年は過疎化が進んでいた。
 建物の多さの割に人の少ない町だ、と泰造は思った。だが、間もなくこの町のもう一つの顔を見ることになる。
 日が沈むころ、リューシャーの方角からおびただしい数の空遊機が走って来た。空遊機の普及により、この町はリューシャーへの通勤が容易な近郊の町として再び栄え始めているのだ。
 泰造たちが宿を見つけたころには町は賑やかになっていた。酒場や小料理屋は人で溢れている。いるのはオヤジばかりではあるが。この町に住んでいるのはマイ空遊機を買うことができ、なおかつ安くてもマイホームを持ちたがるような中堅のサラリーマンたちなのだ。
 そんな町なので、夜はいたって静かだ。仕事に疲れ、酒にほろ酔いになった中年のサラリーマンたちは早々と寝こけてしまう。彼らの子供たちの多くはリューシャーに上京し一人暮らしを始めている。若者のいない町はあっと言う間に夜のしじまに包まれてしまう。夕刻のほんの一時だけがこの町が賑わう瞬間なのだ。

 泰造は夜の港に来た。魚使いの一味か、そうでなくても怪しい奴はいるだろうと思って来てはみたが、この港は貿易港ではなく漁港だ。怪しい人影などない。代わりに夜釣りに勤しむ人々が所々で糸を垂らしている。こんなところではこそこそと何かをすることもできないだろう。この夜釣りが帰るころには早朝の漁に出る漁師たちが船を出しに来る。ある意味眠らない港ではある。泰造は早々と諦めて宿に帰ることにした。
 早朝。朝もやに煙る町をジョギングする。港の船はすでにほとんど沖に出ている。船のいなくなった港には釣り人が並んで糸をたれている。ジョギングを終えて帰るころには通勤ラッシュが始まっていた。
 何とも平和な町である。そこそこには裕福そうな家が多いのでこそ泥くらいは沸くだろうが、大きな事件は起こりそうもない。
 思えばカームトホークのど田舎ではこんな空気が当たり前だった。町が大きくなるとどうしても風紀が乱れ、殺伐とした空気が流れる。華やかな空気の奥底には犯罪の臭いが澱んでくる。
 いずれにせよこんな平和で穏やかな町に長居は無用だ。泰造たちは荷物をまとめ出発した。

 泰造の持っていた古い地図によればこのまま寂れた街道を南に向かえば数日でマシクに着く。途中小さな町があり、そこで宿を取ればなんの問題もない。西へ向かうとトリト砂漠に到達する。
 進むにつれ、風が暖かくなってくる。冬であることを感じさせないほどだ。この辺りは南からの暖かな風と北の冷たい空気がぶつかり合う場所なのだ。
 そして、草原だった大地がだんだん草の少ない砂に埋もれた荒れ地になってきた。道の石畳も半ば砂に埋もれている。まるで砂漠に近づいているかのようだ。
 道を間違えたか、と最初は思った。しかし、間違いなく南を目指しているし、見つけた古びた道標には確かに南に向かえばトゥ・ヨーカーの町と書かれていた。
 砂漠が広がっているのだ。それもほんの数年でこんなところまで。
 この勢いで砂漠が広がればリューシャーや三巨都でさえもあと十年ほどで砂に飲み込まれてしまうだろう。
 かつて、この砂漠は広がってはいなかった。急に広がり始めたのはごく最近、泰造が旅を始めた頃である。そのころから砂漠周辺に吹き始めた西からの風が砂を東へと広げているのだが、その風がなぜ吹き始めたのかは今ひとつ明らかになっていない。
 泰造達が歩いている間にも西よりの風が砂粒を巻き上げながら吹き抜けていく。うっすらと見えていた石畳もほとんど砂に埋もれて見えなくなる。もはやそこは砂漠としか言えない有様になっていた。
 ここはもう、トリト砂漠なのだ。

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