賞金稼ぎ烈伝 Taizo!

第参拾弐話 月下の再会

 夜。闇に紛れて奴は現れた。
 世界最大の都市、リューシャーに。


 月の美しい夜だ。
 空から投げかけられる蒼い光は夜の中の全てを照らしている。
 海も。大地も。人の築いた町並みも。
 町は眠りについている。だが、水平線の近くは大地に星が落ちたかのようにきらめいている。
 神王宮と中心街だ。まさに不夜城である。
 あまりにも美しかった。この、空と人の織り成す幻想的な光景を目にすれば誰もがため息を漏らすだろう。
 だが、彼は違った。
 月をみると憎い男の顔が浮かぶ。大地に輝く宮殿はその憎い男が己を誇示しているかのようで虫酸が走る。
 彼が憎んでいるのは月読その人である。
 彼──隆臣は町に程近い小高い丘に身を潜めていた。
 町に入る気は起こらなかった。兵士たちに追われ、怯えながらやっとの思いで逃げ出した苦い記憶の町だ。
 しかし、こうしてじっとしてもいられない。奴が動き出したからだ。
 厳しい逃亡生活の果てに隆臣は近づく気配が獣なのか、それとも人なのかを判断できるほどに研ぎ澄まされていた。そんな隆臣にとってあからさまに狂気を帯びた奴の気配は遠く離れていても感じられるほどだった。
 隆臣は立ち上がり、闇の中を走り始めた。

 月は傾き始めていたが、朝はまだ遠い。さすがのリューシャー中心街も歩く人はまばらだ。酒場のいくつかではにぎやかな声がするが店はほとんどが閉まっている。
 街灯のない路地を静かに歩く人影。豪磨だ。生憎、頭上から降り注ぐ月明かりのせいで闇に紛れることは叶わない。
 向かうべき場所はただ一つ。幼き時を過ごした神王宮。地図など要らない。海沿いに歩けばいい。建物の隙間から時折その姿を覗かせる神王宮は少しずつその姿を大きくする。
"近づいて来ているぞ、汝と同じ宿命を背負ったものが"
 不意に刀が豪磨に語りかけてきた。
「十三号か!?そいつはいい、いつか捜し出して切り刻んでやろうと思っていたが向こうから出て来るとはな!」
"彼奴が相手なら我は汝に手を貸すことができぬぞ"
「なんでだ!?」
"我の力は死の力。死への恐怖、憎悪が生み出す負の波動。負の波動は生を願う正の波動を打ち消す。だが、彼奴の生を願う心には闇が、負の波動が溢れている。死への恐怖は彼奴の活力と成りかねぬ"
「奴は普通の人間じゃないのか?」
"判らぬ。ただ、生への執着が負の波動を生み出すことは珍しくはない。亡霊共がよい例だ"
「生きながらにして亡者と同じ、か」
 豪磨は嘲笑した。
"汝は笑える立場ではないぞ、汝とて似たようなものよ。なんにせよ、彼奴とやり合うなら我の力に頼らず己の力で打ち勝つしかないぞ。それでも良いのか?"
「何だってかまわねぇ、やってやる。俺はあの野郎と月読を殺すことだけを生きがいに今まで生きて来たんだ」
"我は死を与えることはできるが、生を与えることはできぬ。せいぜい生き延びることだ。……来るぞ"
 豪磨は視線を一巡させる。まだその姿はない。ここは見晴らしが悪すぎる。不意を突かれるかもしれない。
 神王宮は目の前に迫っている。あそこの前には大きな広場があったはず。再び闇の中を走りだす豪磨。ほどなく広場にたどり着いた。
 昼間は多くのバザーが開かれ人で埋め尽くされているこの広場も、夜になれば人影はまばらだ。数少ない人影の中の一つ。広場の中央にたたずむ寂しげな影。見つけた。
 向こうもこちらに気付いたらしい。剣を抜き放った。
「いい夜だな……俺にとっては特にいい夜になりそうだ」
 二人の距離は遠い。豪磨は剣に手もかけずに言った。隆臣は動かない。
「懐かしいな、この広場も。いつも神王宮の窓から見下ろしていたもんだ。広い庭の向こうのこの広場に人が集まっているのを。神王宮から出ることもできなかった俺には違う世界みたいに見えたもんだ」
「……お前は何号だ?」
 隆臣がようやく口を開いた。
「俺は五号だ」
 隆臣は記憶の糸をたどる。一緒に遊んだのは八号、十号、十二号。優しかったのにいつの間にかいなくなってしまった三号。いじめっ子だったのは七号だったろうか。
「悪いが思い出せないな」
「そうかもしれないな。俺はお前達チビどもとはあまり話をしてなかったからな」
 思い出そうとするたびに懐かしい日々が頭をよぎる。あの日々をともに過ごした兄弟たちも恐らくは生きてはいないだろう。今、目の前に対峙している相手を除いては。
「残念だよ、せっかく巡り会えたかつての兄弟がお前だってのがな。ほかの奴となら一緒に月読を殺しに行こうという気にもなるんだがな」
「そうだとしても付き合う気にはならないね。貴様は無関係の者も手当たり次第殺そうとするだろう?俺が殺したいのは月読だけだ」
「ふん。甘っちょろいな。俺たちにとって他人なんてのは殺して金を奪うか、賞金のために殺そうとするか、そんな殺すか殺されるかってだけの連中じゃないのか?」
「貴様は俺よりも孤独な生きざまを歩いて来たようだな……。同情して欲しいか?」
「いらんな。俺にとっちゃ血を見ることが一番の慰めだ。今はなぁ、楽しくて仕方ねぇんだ。人をこの手で殺す事がな。あの日の俺みてぇに、楽しかった日々が唐突に終わっちまうんだ。俺に殺された奴らはみんな俺の仲間さ。もっとも連中は、俺みてぇに追われる恐怖も、のけ者にされる寂しさも味わわなくてすむんだ。優しいだろ?さぁ、てめぇもそんなつまんねぇ人生捨てて、楽になっちまえ」
 豪磨は刀を抜き払い、隆臣に刀を向けた。
「魔物に取りつかれたとは聞いていたが、どうやら貴様の心そのものが既に魔物に成り果てているようだな。まぁいい。俺を殺そうとする者は誰であろうと殺す、それだけだ」
 両者睨み合う。そして、先に仕掛けたのは豪磨の方だった。
 甲高い剣戟の音が広場にこだまする。その後を追うように、どこからともなく女性の悲鳴が上がった。広場の隅でいちゃついていたアベックだろう。
 遮二無二斬りかかる豪磨。しかし隆臣はその太刀筋を読み攻撃をことごとく受け止める。闇雲に振り回されるだけの豪磨の刀を受け止めるのは隆臣には容易かった。しかし、反撃に転じる隙はない。このままでは押し切られてしまう。
 隆臣は猛烈な豪磨の攻撃を受け止めつつ蹴りを放った。蹴りは豪磨の足に当たる。力こそ込められなかったが怯ませるには十分だった。わずかな隙に付け入り隆臣の反撃が始まる。
 隆臣の攻めは突きを主体をしていた。受け流されたり躱されたりし易い代わりに、深手を与え易い。手傷を負わせることよりも死を与えることに重点を置いた攻撃だった。
 豪磨もその攻撃を必死に凌ぐ。ギリギリのところで刀を当て切っ先を逸らす。身を捻って躱す。攻撃を躱されつつも隆臣は返す刀で切りかかった。それを受け止める豪磨。鍔迫り合いが始まった。持ち手が不利だった隆臣が押し切られる。豪磨はその隙に付け入るでもなく跳び退いた。
「思ったよりもやりやがるな」
 豪磨が忌々しげに吐き捨てた。
「それはこっちの科白だ。我流とは言え腕には自信があったんだがな」
 隆臣は隙あらば飛びかかろうと剣を中段に構えている。そこに隙はない。まさに修羅場で鍛え上げられた達人と言えよう。戦乱も遠くに去り鈍りきった兵卒など相手にもならない。
 豪磨は攻めあぐねていた。鋼鉄の装甲さえも飴のように切り裂いていた力はかき消されている。豪磨を守っていた力場もこの相手では通用しないだろう。
"やはりこの者、ただ者ではないぞ。我らのように数多の憎悪を抱え、それを己が力としている。彼奴が何者なのか、我にも解せぬ。ここは退け、相手が悪すぎるぞ"
「退けだと?今更何を言う!?始っちまったもんは易々とは終わんねぇんだ!」
 吼えながら隆臣に猛然と斬りかかる豪磨。隆臣はそれをあっさりと避けた。無防備になった豪磨は隆臣の剣が突き上げられるのを何もできずに見届けた。
 その一撃は豪磨を掠めるにとどまった。しかし、駆け抜けた鋭い痛みは豪磨の冷静さを吹き飛ばした。手負いの獣のように猛然と隆臣に斬りかかる豪磨。狂気は豪磨を駆り立てる。守りを捨て、全てを攻撃のために注ぎ込む。一挙一動のたびに駆け抜ける痛みは否が応でも死への恐怖を駆り立てる。そして、宿主のそれは羅刹の糧となりその力は宿主である豪磨に還るのだ。
 豪磨はまさに鬼神のごとき勢いで隆臣に斬りかかった。隆臣はそれを受け止めるのがやっとである。信じられないような力で繰り出される攻撃は受け止めるたびに手を痺れさせた。痺れが消え切らぬうちに次の一撃が来る。痺れは強まり、剣を持つことさえ苦しくなってくる。次に死の恐怖に捕らわれるのは隆臣の方だった。
 死の恐怖に晒されながら隆臣はそれでも反撃の機会を窺っていた。だが、いくら隙を見つけてもそこを攻めるには守りを捨てねばならない。相打ちになる気は更々無かった。奴を仕留め、己は生き延びる。選択肢はそれしかない。しかし、それは実質不可能だった。
 そして、隆臣の精神は臨界を超えた。受け止めた攻撃を押し返そうと裂帛の気合を込めた。その瞬間、隆臣のうちに秘められた生への渇望が死の恐怖という壁を突き破りオーラとして噴出したのだ。
 生き延びる。生きとし生きるものとして当然のその想い。普通であればその想いは希望と祈りに満ち溢れた正の波動であったはず。羅刹の死を与え絶望を望む闇の波動と打ち消し合ったはず。圧倒的な数の死を与え、その絶望を啜り続けていた羅刹の力ならばなんともなかっただろう。
 しかし、己の生のために他者の死を願う憎悪に満ちたその想いは負の波動として辺りに溢れた。そして、同じ負でありながら、生と死という相容れぬ存在は反発しあう。羅刹にとって隆臣の放った波動はさながら壁のように立ち塞がった。
 しかし、これは生身の人間の体には何の影響もない。心を惑わしこそすれ、所詮現のものではないのだ。豪磨は何もなかったかのように突き進んで行く。しかし、羅刹は隆臣に近づけない。豪磨から羅刹は解離した。
 豪磨は羅刹からの助けを得られなくなった。動きは俄に鈍り、限界を超えた動きを続けて来た肉体は軋み出す。全身が痺れたように動かなくなる豪磨。隆臣がその好機を見逃すはずはなかった。低く構え、剣を突き出す。妨げるものはなかった。剣は豪磨の腹に深々と突き刺さった。隆臣は反撃を恐れ大きく間合いを広げる。しかし、豪磨は動かなかった。否、動けなかったのだ。そのまま糸の切れた人形の様にその間に崩れ落ちる。
 その豪磨の肉体に羅刹が戻って来た。体の痺れは収まり動くようになる。立ち上がろうとする豪磨。顔を上げれば隆臣は目の前に迫っていた。隆臣は刀を上段に構え、一気に振り下ろす。刀で受け止めようとする豪磨。良く響く音を立ててぶつかり合う刀と剣。今までに幾度となく響いたその音だが、今までのそれとは響きが異なった。豪磨の刀は折れていた。王鋼の名刀も、羅刹に取り憑かれた豪磨の鎧や盾も気にせず斬りかかるような使い方に耐えられたものではない。羅刹の力で持ち堪えていたようなものだ。その力が戻り切らないうちに隆臣の攻撃を受け止めたそれはあっさりと折れ、地面に叩きつけられ、まるで砂を固めただけであるかのように粉々になった。
 次の刹那、豪磨の心に羅刹が語りかけて来た。
"汝は今まで良く我に尽くしてくれた。だがもう汝に用はない。汝の最後の役目は我の糧となるべく深い絶望と恐怖のうちに死す事だ"
 羅刹のその言葉は豪磨を羅刹の望むとおり深い絶望に突き落とした。信じ、尽くして来た相手に見捨てられ、裏切られたのだ。そして迫る死の恐怖。
 隆臣はそんな豪磨に対し冷徹に剣を振るった。確かな手応えがあった。豪磨には痛みを感じる余裕さえ与えなかった。豪磨の視界がその意志とは関係なく滑り始める。地面が迫り、間もなく星空が見えた。月がいやにくっきりと見えた。それを最後に豪磨の意識は遠のいて行く。羅刹の嘲る声が聞こえた。
"甘っちょろい男だ。もっと苦痛を与えれば良いものを"
 その後は、深い闇が広がるばかりだった。

 時同じくして。魚使いの一味を追うべく情報収集に駆けずり回った泰造たちは、その疲れと成果のなさに半ば不貞寝のように寝こけていた。
 そんな泰造だが、間もなく跳び起きることになる。この宿は海に近い中心街の宿。豪磨と隆臣の死闘はまさにその近くで繰り広げられていた。その戦いで放たれるすさまじい殺気は泰造を深い眠りからさえも覚ましたのだ。
 金砕棒を手に着の身着のまま部屋を飛び出す泰造。その慌ただしい物音に沙希も目を覚ました。
 部屋の外に出ると恭と鉢合わせた。恭もやはり禍々しい気配を敏感に察知したのだ。
「泰造さん、この気配……」
「分かってる!ぐずぐずしてる暇はねー、行くぞ!」
 部屋の入り口で寝ぼけ眼をこすっていた涼も慌てて真新しい斧を手に泰造たちを追った。それをみた沙希も弓を手にその後を追い始めた。
 泰造たちの宿は大通りから延びる路地にある。大通りに出れば神王宮の広場まで真っ直ぐの道だ。それぞれ前を走る影を追って行く。
 泰造が広場に達する刹那、吐き気をもよおすほどの殺気が不意に収まり始めた。
 野郎、感づいて隠れるつもりか!?
 泰造は疾駆しながら豪磨の行方を捜して心を研ぎ澄ませた。

「お前か、神聖なる神王宮の御前で騒ぎを起こしたのは!」
 隆臣は広場に響く怒号に顔を上げた。
 神王宮警備隊の甲冑をまとった兵士が走って来る。遠くからでも聞こえるような騒々しい甲冑の音は忍び寄るという概念さえない事の証しだ。むしろこの音で威嚇し追い返す。神聖な神王宮を血で汚さないためである。
 兵士は広場に広がる血溜まりをみていきり立った。
「何と言う……っ!貴様、ここがどこか分かっているのか!このような不貞を働く輩は生かしては帰せぬ!」
 はっとする隆臣。この声には聞き覚えがあった。幼いころの隆臣が過ごした部屋の入り口を見張っていた警備兵だ。
 顔は兜で半ば隠れている。もっとよく見ようと隆臣は警備兵を見つめた。間違いない、あのころは下っ端だった警備兵の克晶だ。だが今は懐かしむ暇などありはしない。
「ん?お前はどこかで……!!」
 克晶も隆臣のことを覚えていた。忘れるはずがあろうか。神王宮では十三号と呼ばれていた隆臣は、警備兵たちの目を盗み抜け出した。そのときに見張っていた兵士、克晶の同僚たちが何人か責任を取り処刑されたのだ。
「貴様は十三号か!?」
 正体を悟られ隆臣はその場から離れようと走りだす。
「ま、待てっ!」
 重い甲冑に身を包んだ警備兵たちは逃げる隆臣を思うように追うことができない。逃げ切られるのは目に見えていた。

 不意に騒がしくなった。泰造は集中できなくなり豪磨の気配を探すことを諦めた。
 気配を探るための集中が解けると同時に意識の中で遮断していた周囲の状況が一気に泰造に流れ込んでくる。
 前後から近づく複数の足音。後ろから来るのは自分の後を追ってきた仲間たちだろう。そして前から来るのは。
「どけっ!」
 前から来た誰かが泰造を押しのけ横を駆け抜けて行く。泰造の前から差し込む月明かりは泰造とすれ違う者の顔を照らしはしない。しかし、豪磨ではないことは直感的に分かった。
 通りに出るところで泰造にぶつかりそうになった隆臣がさらにその後ろに人影を認めた。こちらはこのまま走り抜けてもぶつかりはしない。隆臣は前に向き直ろうとした。
 しかし、すれ違う人影から視線を逸らすことができなかった。月明かりに照らされたその顔に見覚えがあったのだ。はるか北の果てで、月明かりの下で出会った少女。この街へ帰るきっかけを与えたあの少女。
 沙希もすれ違おうとする人影を見つめた。視線が交わったまますれ違う。その振り向いた顔が月明かりに照らされた。
「え?」
 沙希は思わず立ち止まった。見覚えのある顔だった。立ち止まった時には隆臣の顔は正面に向けられていた。
「隆臣さん?」
 月に照らし上げられる後ろ姿に向かい、沙希は小さくつぶやいた。
「おい、そこの!今の奴を捕まえるんだ!」
 前から物々しいなりの男が走ってくる。泰造は今し方すれ違った人影を目で追う。もうかなり離れているが今からならまだ間に合うかもしれない。しかし。
「あいつは俺が追いかける、こっちは任せた!」
 迷う泰造に代わり涼が人影を追って走りだした。
「あたしも行く!」
 涼の後を追い走りだしたのは沙希だ。
 沙希はともかく涼が抜けたのは痛い。恭が破邪詞を歌い上げる間一人で食い止められるだろうか。そんなことを考える泰造の鼻に風が運んできた血の臭いが再び届いた。
 風の来た方に目を向けると数人の兵士が血だまりの中の骸を取り囲んでいる。泰造は何げなくその骸をのぞき込んだ。
 首のない骸と俯せた体から切り離され空を仰ぎ見る首。蒼い月明かりに照らされたその顔にはいやと言うほど見覚えがある。
「こいつは三十九号じゃねーか!」
 思わず大声を出す泰造。その様子に兵士が泰造に尋ねた。
「知っているのか?」
「ああ、こいつは賞金首だ。……ってゆーか、あんたらしらねーのかよ」
「我々は神王宮とその周辺の警備が仕事だ。賞金首など覚える必要がない。この近くで不審な行動をしている者がいれば捕らえる、それだけだ」
「お役所仕事だな。こいつは全土で大虐殺を繰り返してきた凶悪犯だ。聞いたことくらいならあるだろ」
「噂でなら聞いたことがあるな。確か討伐隊が編成されることになっていたはずだ」
 随分のんびりとやってやがる、こいつら何か起こるまで動く気なかったな。泰造は口に出さず心の中で呟く。
「何にせよ終わったことだ。まずはこの死体をどうにかしないといかんな。ただの行き倒れならこのままゴミ捨て場にでも捨てるところだが賞金首となると確認しなければならん」
「弔う気なんてまるでないみたい。ひどい話ね、この街じゃ迂闊に死ねないわ」
 恭はあからさまにいやな顔をしながら泰造に耳打ちした。
「こんなところで暴れたからだろうけどな。こいつらに目ぇつけられなきゃ大丈夫だ」
「それにしても……一体誰がどうやって豪磨を倒したのかな?羅刹の障壁はそうそう破れないはずよ?あたしより強い力の聖職者ならともかく」
「さっきすれ違った奴だよな?聖職者って感じの雰囲気じゃなかったぞ?妙に殺気立ってやがった。ただもんじゃねぇってのは感じたけどな。……あの二人、大丈夫かな」
「取り逃がしてくれた方がいいかもしれないわね。言霊おくっとこう。間に合えばいいけど」
 恭は目を閉じ二人の無事を祈った。

 隆臣の後を追う二人そのころ大通りを疾駆していた。
 隆臣はこのままリューシャーを離れるつもりだ。街の外を目指す。しかし追手は一定距離を保ちながら確実について来る。重装備の警備兵なら容易く撒けただろう。しかし相手はなかなかに身軽だ。逃げ切る自信はあるが相手も侮ることはできない。何せここまでついて来ているのだ。
 大通りは街の外の街道につながる。このまま走り続ければ町を出ることはできるだろう。果たしてそれまで体力がもつか。
 前方にいくつか人影が見えた。こんな時間にうろついて屯している連中などろくなものではない。駆け寄る隆臣の姿を見た連中はやや逃げ腰になる。生憎構っている暇は無いので横を駆け抜ける。その間際、盗み見たその顔に見覚えがあるような気がした。
「うおっ」
「賞金稼ぎだっ」
「やべぇ」
 隆臣の背後でさっきの連中が俄に色めき立つ。そして隆臣と一緒になって逃げ始めた。隆臣にあっと言う間に追いつき、追い抜いて行く。
 連中は路地に入り、そのまま廃屋に逃げ込む。隆臣も一緒に廃屋に駆け込んだ。入り口を閉め、二階にまで駆け登る。
「探してますぜ、兄貴」
「早く諦めてくれないかなぁ。しつこく探されて見つかりでもしたら袋のネズミだぞ」
 窓を細めに開けて下を見下ろしている。
「やっと帰ったよ」
 諦めて立ち去る沙希と涼を見て一同に安堵の色が広がる。
「で、あんた誰?」
 連中は落ち着いたところでやっと隆臣が混じっていることに気づいた。
「俺は隆臣だ」
「その名前は聞いたことがあるぞ。確か賞金が懸かってたはずだな」
「若いのに大変だねぇ」
「兄貴も人のこと言えませんぜ」
「俺は牙龍団の首領の龍哉ってんだ」
「牙龍団?」
 隆臣はその名前に聞き覚えは無い。
「夢を追い続ける若者達の集まりさ。退屈な日々にグッバイ、ファンタスティックな旅に出て早半年。青春の苦悩もあるが俺たちのユートピアは目の前だ!」
 よく分からないが熱く語る龍哉。
「まぁ、平たく言やぁ田舎飛び出してナンパ旅行に出たんだけどな。で、どうせ行くならあったかいところの方が薄着だからってんで北の果てからはるばるここまで来たんだよな〜」
 薄着のおねーちゃんを見たいが為に大陸を縦断して来たということだ。この行動力と根気強さを、もっと別な方に活かした方がいい人生になると思うのだが。
「金は無いからカツアゲとか万引きとかしながら細々と食ってる訳よ。そしたら盗んだ何だかが月読の献上品で指名手配さ」
「あんたらも月読の犠牲者か」
「ってことはあんたもか。独裁者のいる時代になんて生まれて来たくなかったよなぁ。まぁ戦乱よりはましかもしれないけどさ。誰か革命でも起こしてくれねぇかな」
「……月読は俺が殺す。俺はそのために生きているようなものだ」
 隆臣の目に鋭い光が宿る。
「革命起こすってか。いいねぇ。うまく行ったら英雄だよな。モテモテなんだろうなぁ」
 視点が些かずれている龍哉。
「モテモテなんてもんじゃないっすよ。革命起こせば実質世界の支配者になれる訳っよね?そうすりゃハーレムの一つや二つ持てますぜ」
「ハーレム!」
 いきり立つ龍哉。
「ハーレムかー。革命起こしてぇなー」
 動機が不純だ。
「この人数じゃ到底無理でしょ」
「それじゃ人数集めるか。早速だが仲間になるよな?」
「仲間?俺がか?」
 いきなりの誘いに戸惑う隆臣。しかし、行く先々で泥棒と罵られ追い立てられ、人の姿を見れば逃げ、追って来る者がいれば斬るという日々を送って来た隆臣にとって仲間という言葉は甘美に思えた。
「革命より先に明日の飯の心配をしなきゃならないと思うっす。新入り、金持ってるか?」
 隆臣の返事を待たずに仲間入りが決定したらしい。
「少しならある。だがとてもこの人数の飯代にはならないな」
「うーん、どうしよう」
「金なんか無いなら奪えばいいだろう」
「そりゃそうなんだけどなぁ。この街の連中と来たら何かあるとすぐに警備兵に助けを求めやがるんだよ。カツアゲもままならねぇ」
「殺して奪えばどうって事ない」
「……過激だね、君」
 隆臣の一言は過激なブラックユーモアだと思われたようである。
「しょうがない、寝る前に酔っ払いでも見つけて財布失敬してくるか」
「そっすね」
「そっすね」
 龍哉は立ち上がり、念のため賞金稼ぎが外にいないことを確認してまた夜の街に繰り出すのだった。

「くそー、見失ったか」
 涼は吐き捨てるように呟いた。
「多分、今の人は隆臣さんだったと思う」
「知り合い?」
「っていうか賞金首。あたしが……今でもへっぽこだけど、今よりもっとへっぽこだったころに会ったことがあるの。寂しそうにじっと海を見つめてて……。ちょっとだけお話もしたんだ」
「ちょっと待って、確かめて見るわ」
 涼は心を研ぎ澄まし、風の噂を集め始める。
「確かにこの辺の街でそんな人が目撃されているみたいだね。結構やばい感じじゃん、この人ってさ。よく殺されないで済んだね」
「そんな悪い人って感じじゃなかったけどなぁ。でも人を寄せ付けない感じはあったかも」
「うーん。人の噂ってのは案外当てにならないからなぁ。賞金首ったってくだらない理由で賞金懸かってる奴もいるらしいし。……とにかく一度広場に帰ろう。残して来た恭と泰造さんが心配だ」
 隆臣を見失った以上、ここにいる理由はない。涼と沙希は急ぎ泰造たちの待つ広場へと戻って行った。

「おう、無事だったか」
 広場に戻って来た涼と沙希は泰造に出迎えられた。
「無事だけど逃げられたよ」
「三十九号が死んだよ。さっきの奴に殺されたみたいだ」
「ええっ!?」
 声をそろえて叫ぶ涼と沙希。
「見ねー方がいい、首がちょん切れた惨い死体だからな」
 沙希はその一言だけで竦み上がった。
「俺たちが四人掛かりであれだけやってもやばかったあいつをたった一人で倒したってのか、その隆臣って奴は」
「隆臣?それって四十七号だよな。今のは四十七号だったのか?」
 涼の言葉に泰造は顔を上げた。涼は沙希に視線を移した。泰造もそれに倣う。
「うん。すれ違う時顔が見えたんだ」
 そんな泰造たちの話に遠巻きに聞き耳を立てている克晶。
 そして、その克晶の部下である警備兵たちの手により豪磨の亡骸はどこかへと運ばれて行く。
 克晶は血だまりの中に落ちている刀を拾い上げた。曇りの無い刀身が月明かりにきらめく。つい今し方の戦いでその刀が粉々に砕けていたことなど、知る由もない。
 豪磨の亡骸も運ばれ、もはや広場には血の跡が残るのみ。泰造たちも切り上げることにした。
「訳わかんねーなぁ。あいつは軍隊だって一人で壊滅させちまうような化けもんだってのに、サシでやって勝てるもんか、普通」
 納得行かない、と言った顔で涼が言う。
「あいつだって元から化け物だった訳じゃない。あの何とかっていう化け物が取り憑いてああなったんだろ。憑き物落ちたらただの人だろうよ。刀の振り方見ても素人よりはましって程度だったしな」
「それにしても何かがっかりしない?軍隊もだめ、コトゥフの神官団もだめでさ、俺たちだけが結構いい線行ってた感じだったじゃん。もしかしたらヒーローになれたかも知れなかったのにさ」
 悔しがる涼だが、泰造は関係ないとでも言いたげな顔をする。
「名声なんかほしかねーけどな。腹膨らむ訳でもねーし」
「リアリストだね、泰造さん……」
 泰造の言い草に恭が苦笑した。
「世界を震え上がらせた殺人狂は死んだけど、倒した人は賞金首で名乗り出ず、か。月読の軍隊が倒したことにでもなるんだろうな」
「賞金も立ち消えだ。もったいねー」
「だよね……。あたしたちでどうにかしたかったなぁ。あいつがいなくなっただけでも満足と言えば満足だけどね」
 そう言いながらも満ち足り無さが顔に滲み出ている沙希。育った村を滅ぼした男に報いたいという思いがあり、この中でも一番豪磨を倒したいと息巻いていただけに無理も無い。
 朝まではまだ時間がある。この大事件とも言える出来事は深い夜の静寂の中、人知れず幕を閉じた。

 誰もがそう思っていた。
 翌朝、豪磨の亡骸が運び込まれていた警備隊の詰め所に交替の兵士が着くまでは。
 そこは血の海だった。夜勤の兵士たちは一人残らず八つ裂きにされていた。
 豪磨の亡骸が収められていたはずの棺には豪磨の首だけが残されていた。
 このことはすぐさま箝口令がしかれ、血塗れの詰め所には火が放たれた。未明の火事としてリューシャーの市民には些細な出来事としか認識されなかった。
 すぐさま討伐隊が結成され、街の警備は強化された。軍隊の大きな動きに相反して街はいつも通り、何も無かったように時間とともに賑わって行くのだった。

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